水無月・エピソード
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水無月のエピソード
桜の島の蝉羽神社の宮司によって召喚された食霊。「巫女」の世話係で、「巫女」に対して敬虔。人間が神権統治を覆すために「巫女」を殺害した後、水無月は復讐のために皇族たちを殺し、その後ずっと流浪していた。
彼の邪魔さえしなければ、普通の少年のように誰に対しても爽やかで優しい。しかし、「巫女」を裏切った人間に復讐しようと、彼はどんな罰をも受ける覚悟を決めている。
Ⅰ.人間
人間というのは、本当に面白い生き物だ。
老少問わず、僕よりずっと短命なのに……
毎日、毎分、毎秒を自分たちの力で豊かに彩る。
笑ったり、泣いたり……
彼らの人生は、短いけれど精彩がある。
だから、「巫女の世話係」という立派な仕事よりも、山の麓にある村で色んな人たちと一緒に過ごす方が好きだ。
「水無月兄さん!左!左だよ!」
「もうちょっと右!」
「ははははっ、みんな嘘ついてるよ!本当は前だ!」
暗闇の中、手にした木刀を振り回していると、耳元で子どもたちの声が響き渡る。
一つの声に従って前に進むと、やがて足先が何か重たい物に触れた。
木刀を思いっきり振り下ろす。
ガッーー
伝わってきたのは果物を割った時のような爽快感ではなく、全身が痺れる感覚だった。
「あはははっ!引っかかった!バカだな!」
目隠しを外すと、僕の前方にあったはずのスイカは子どもたちの腕に抱かれていた。そして、スイカだと思って割ろうとしていたものは、木刀では絶対に割れない丸い石だった。
「よくもやってくれたね!」
僕は目を細めながら、危機としている子どもたちを一瞥した。どうやら彼らは「危険」が迫っている事にまだ気付いていないようだ。
「行け!彼らに僕たちの力を見せつけてやれ!」
指先から飛び出た紙人形は、子どもたちの身体にくっつき、弱い所を目掛けてくすぐり始めた。
「もう、許してっ……あはははは!ごめんなさい!水無月兄さん!あはは、ごめん、」
「あー!腹がよじれる……あはははははは!」
「水無月兄さん、あははっ、もうこんな事しないから、許して……」
目尻から涙がこぼれる程笑い転げている子どもたちを見て、満足そうに頷いた僕は、まだ頑張っている小さな紙人形たちを仕舞った。
「ざまあ見ろ」
「隙あり!」
負けず嫌いな子供たちは、紙人形を回収している隙に、僕の腕に飛びかかり、「急所」を攻撃してきた。
「あはははははっ、バカ!不意打ちはずるいよ!やめろ!あははっ」
砂浜での戯れは、橙色の夕日と足元に打ち付けられた波によって終わりを告げられた。迎えに来た兄と共に帰って行く最後の一人に手を振り、背伸びをする。
さて、僕もそろそろ帰ろうか。
Ⅱ.巫女
神社に戻った頃、空には既に玉盤のような銀色の月が懸かっていた。流れる雲は地面に影を作る。
僕は物陰の中に身を隠し、この粗末な偽装で見回りしている老いぼれたちの監視から逃れられるよう祈った。
「貴方は……祭司の食霊、水無月では?どこに行っていたのですか?」
「えーと……」
背後から聞こえてきた優しい声に、僕は動きが止まってしまった。ぎこちなく振り向くと、和室の中にいる二人が見えた。
「僕は……」
どう返事したら良いか戸惑っていると、一人が僕の前にやって来て、ゆっくりと手を上げた。
(あぁ……こっぴどく叱られる。)
そう思って目を閉じると……次の瞬間、これ以上ない程の優しさで、その手は僕の頬に触れた。
そして、そっと頬に付いた汚れを拭き取ってくれたのだ。
目を開けると、月明かりに照らされた明月のような二つの笑顔が目の前にあった。美しくて目が離せない。
「楽しんできたようですね」
「えっ、はい……」
彼らこそ、僕が世話をしなければならない「巫女様」だ。
召喚されてから、こんなに近くで彼女たちを見た事はない。
毎回、高台の上に座って皆からの礼拝を受けている彼らを、ただ遠くから眺めるだけだった。
だから、こんなにも間近で彼らを見たのはこれが初めて。
僕が予想していた叱咤はなかったし、思っていたような横柄な態度も取っていない。はしゃいでついてしまった汚れをただ優しく拭ってくれただけ、そして躊躇いがちに僕の方を見てこう言ってきた。
「もし……差支えがなければ、神社の外で皆がどんな風に暮らしているのかを、教えてくれませんか?」
その眼差しは、誰であっても断れない程に希望に満ちていた。もちろん、僕も例外ではなかった。
「ええ?では、スイカは赤い果物ではない……のですか?私たちがいつも食べているあの赤い果肉が本来の姿だと思っていました」
「ふふっ、子どもたちは実に可愛らしいですね。いつか彼らと一緒に遊べる事が出来たら……」
口を覆って微笑む二人を見て、思わず笑みがこぼれた。
「巫女の世話係」という仕事は、僕が思っていたよりも煩わしいものではないみたい。
次に自分の番が回ってきても、言い訳を探す必要はなさそうだ。
Ⅲ.祭り
「では……こっそり見に行きませんか?」
僕はこう聞いた事がある。
「皆に迷惑をかける事になります。我々は重要な使命を背負っているのです。我儘を言ってはいけません」
彼らは優しく微笑んだ。だけど僕には彼らが目の奥に隠した落胆が見えていた。
僕たち食霊にとって、時はゆっくりと進む。
でも、人間にとってはとても速い。
人間の身でありながら、時の寵児である「巫女たち」は、桜の島全ての人間にとって憧れの存在となった。
彼らが誕生した日であるはずの今日は、自ずと全ての人間が祝う祝祭となったのだ。
高い神楽殿の上に座り、参拝に来る人たち一人一人に加護を与える事、これこそが彼らの「義務」。
しかし、僕とあの白兎だけは知っている。彼らは誰よりも賑やかな祭りに憧れているという事を。
僕は以前、祭りで見た光景を彼らに伝えた事があった。
全ての人たちがはしゃいで、楽しそうにしている。女の子たちは一番綺麗な浴衣を着て、男の子たちは一番カッコイイお面を着けて、下駄を蹴りながら水風船を持って、金色に照らされた綿あめを分かち合っていた。
堕神がいても、戦乱が、数え切れない程の苦難があっても。
今この時、彼らは幸せな時間を楽しんでいる。
しかし、このような小さな楽しみは、高台に座って「他人の願いを叶えられる」彼らにとって、過分の望みであるのだ。
彼らの一番近くにいた僕と白兎にしか見えない落胆。
それは、決して他人には見せたりしない「我儘」なのだ。
しかし、誰にもバレなければ、このようなささやかな願いを叶えるのは不可能じゃない。
そうでしょう?
「待て、待ってください!水無月!どこに連れて行くつもりですか?」
「水無月?神官らにバレてしまったら、貴方が叱られてしまいます!」
「大丈夫です、あの兎が食い止めてくれますよ。もうすぐです!」
「なっ!月見も巻き込んだのですか……?!」
僕は二人の手を引き、既に静まり返った会場に辿り着いた。
鳥居の入口に立つと、明かりは全て消えていたが、微かに食べ物の匂いが漂っていた。
「はぁ……はぁ……私たちをここに連れてきたのは……一体何を……」
神社にいる事が多く、ほとんど運動をしない「巫女たち」は、会場を見つめながら息を切らしていた。
「ほら、この服に着替えましょう」
普通の浴衣に着替えた「巫女たち」は、どこにでもいるような普通の少年少女のように見えた。可愛らしい浴衣を着て、カッコいいお面を被って、どこからどう見ても普通の人だった。
だから、普通の人のような幸せを手に入れる事だって、きっと……
パッーー
指を鳴らすと、一瞬にして会場は明かりを取り戻した。
静まり返った参道には様々な出店が並び、更には数えきれない「通行人」が行き交っていた。
紙人形たちは小さな紙芝居の舞台から飛び出し、各々違う出店を開いていたのだ。活発な子たちは、遊戯が出来る出店で、その遊び方を身振り手振りで見せてくれた。
僕は鳥居の前に立ち、二人を振り返る。
「これ以上人数は増やせませんが、これはお二人のためのお祭りです」
祭りは無事終わった、まるで彼らの笑顔のように。
だけどまさかこの後、永遠の別れが待っているとは、誰も思っていなかった。
Ⅳ.人間
大地が陥落したあの日、彼は笑顔で「どんなに掛かっても、どんなに難しくても、妹と共にこの土地を守りぬく」と僕に言ってきた。
その日、天地が逆転し、海水が大地を侵し、何もかもが絶望に陥った。 彼が力を合わせ、この災難に終止符を打った。
彼らは、この土地に住まう全ての者が生存出来る道を必死で見つけ出したのだ。
衆生を救うには神を欺かなければならない。術はそれしかなかった。
二人で天沼矛の力を借り、破壊された記憶の中の土地を再現し、その「存在してはならない土地」を黄泉に隠し、神の目を欺いた。
双子は愛する土地のために離れ離れになった。
そして、僕と月見はそれぞれの「巫女」を守る役目を負った。
彼らを連れ去るのは、神と時間だけだと思っていた。
しかし……
不安を抱えて走っている最中、自問自答を繰り返す。
どうして?
彼らが守っている人間が、いかに素晴らしいかを彼らに教えてあげた?
どうして?
彼らを祭りに行かせた?
どうして?
どうして……人間の笑顔を見せたんだ?
もし、最初から知らなかったとしたら?
もし、素敵な体験をしていなかったら?
もしかして、全ては変わっていた?
負の感情に引き寄せられて来た堕神と、殺意で目が真っ赤になっている人間が、赤く燃える空の中やってきた。
彼の身を守っている紙人形が一体ずつ千切れていく、だけど僕は数えきれない程の人間のせいで彼に近づけない。
どうして?
彼は君たちを守り続けて来た「巫女様」だろう。
どうして?
彼は君たちのために実の妹との別れを選んだのに。
どうして?
彼は君たちのために全てを捧げたはずだ。
「巫女を殺せ!桜の島の人々が二度と愚かな『神』に惑わされないように!」
「巫女を殺せ!ここは俺たちの桜の島だ!これからは全部俺たち民が決める!」
「巫女を殺せ!土地も、労働も私たちのものだ!皇族どもの財産ではない!」
「巫女を殺せ!そうすれば自由と公平を手に入れられる!」
神権の圧制を打破し、全ての人に公平をもたらす。
「祈る」事しか知らない神職者たちに、労働に見合わない待遇を享受させない。
これが人間たちにとっての大義名分だ。
だから、人々が崇拝してきた「巫女様」は、今や彼らにとって極悪人の筆頭となってしまった。
紙芝居を数え切れないほど上演したあの小さな和室に入ると、本来真っ白な千早には血色の花が咲いていた。夜闇の中でも、視線を奪う程に鮮やかだ。
胸に咲いた花を見て、あの日、鳥居の前で恥ずかしそうに浴衣の裾を引っ張っていた兄妹の姿が浮かんだ。
あの時の彼らの笑顔も、この花のように目が離せなかった。
「あああああーー!」
喉から発せられたのは、自分のものとは考えられないような咆哮だった。
魂を絞り出したような声のせいで、声帯が裂ける寸前なのに痛みを感じない。感覚が死んでいたのだ。
悲しみ、痛み、全ての感覚はまるで他人のもののように感じた。
僕はただ、紙芝居で繰り広げられる悲劇を見ているだけに過ぎないと。
劇中にいるのに、観劇者のようだ。
思考と行動が結びつかない。血まみれの彼を抱えた時、悲しみに溢れていたはずなのに、心は事の他冷静だった。
まるで、空っぽになったようだ。
頬に温もりを感じて、ようやく我に返り、腕の中にいる彼に目を向けた。
こんな時まで、彼は依然として優しい笑顔を浮かべていた。
「水無月、どうか人間を恨まないでください。だって、人間は素晴らしい存在です。そして貴方も……優しい水無月ですから」
Ⅴ.水無月
タッタッタッタッーー
下駄が石畳を蹴る音がする、短い足が素早く森の奥へと駆け抜けていく音だ。
ドンッーー
鈍い音と同時に、少女が青年の腕の中に飛び込んでいった。
あまりに容赦のない体当たりで、その場にいる誰もが心配になり、青年の無事を確認するかのように彼を見た。
「ぐえっ!……ケホッゴホッ!」
予想通り、眠っている時に衝撃を受けた青年は、胸元を抑えながら起き上がった。
眉間の皺は徐々に緩んだが、まだ夢から完全に覚めた様子ではないようだ。
体を起こしながら、夢の余韻を感じるように、指で目尻をさすった。
「つじうら煎餅、僕を殺す気?」
「フンッ、あたしそんなに重くないし!」
水無月の笑顔を見て、周囲の人々は少し安心した。そして青年と少女の戯れに、全員が思わず微笑んだ。しかし、突然背後から響いた少年の声に、誰もが神経を尖らせた。
長らく共に過ごしてきたが、無光にいる者たちはまだこの情緒不安定な首領に慣れていないのだ。
「良い夢でも見ていたの?」
「……首領、何を言っているんだ。僕にとっては悪夢でしかないよ」
からかうような返事に、羊かんは顔を上げいつもの無表情な顔を見せた。それにはいつも元気なつじうら煎餅も、思わず水無月の後ろに隠れた。
「あなたの心はそう言っていないよ。平和で、穏やかで、幸せ、それが夢の世界にいる時のあなたの感情だ」
真っすぐだが虚ろなその目は、その瞬間水無月の魂すらも見透かしているようだった。だが、他の者に比べると、彼は目の前の神子をさほど恐れてはいない。
「首領、そんな風に他人の心を覗き見していたら、いずれ孤立してしまうよ!」
水無月の笑顔など気にせず、少年は自分の空洞になっている胸をそっと撫でた。
「その直後に残されたのは、強い執着心、悔しさと憤りだけ。あなたの心は、傷ついている」
「……首領と一緒にいなければ、自分が傷ついている事にすら気づかなかったよ。面白い、感情というのは、実に面白いね」
笑顔の水無月は立ち上がり、服についたつじうら煎餅の靴跡をはたいた。
「よしっ、もう十分休んだし、今日も首領のために一生懸命働くよ!」
「水無月」
「……なに?」
静寂の中、その声はまるで頭の中に直接響いているかのようだった。暗闇の中、微かな光を背に、悲しみも喜びもない「神」が、笑顔で全てを隠そうとする水無月をじっと見つめていた。
「全ての波紋はやがて時間によって消される。だから、この時の波紋が、善であれ悪であれ、喜びであれ悲しみであれ、傷つける事しか出来ない」
「……」
「だからこそ、全てを均す必要がある。真の幸福をもたらすためにね。そうでしょう?」
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