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老婆餅・エピソード

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作成者: 時雨
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老婆餅のエピソード

今にも眠ってしまいそうなうとうとしている美少年。いつも瓜餡という名の伴生獣を抱えている、彼らと離れる事はない。繊細な外見をしているが、かなり気性が荒い。眠気に襲われている時に起こしたり、呼び方を間違えたりすると……火薬よりも遥かに攻撃的な爆発が起きてしまうだろう。

Ⅰ.仮面


光耀大陸の辺境にある天城は、神君が全域の力を結集して築き上げた肝要な場所であり、堕神に立ち向かう巨大帝国の最前の防衛線だ。

天城の乾いた風が巻き上げた砂が頬を擦る時に生じる微かな痛みも、堕神と戦友の血で湿った冷たい土の感触も、俺はよく知っている。

ここが俺の人生の始まりで、御侍に召喚された場所でもある。


御侍の一族は神君からの勅命を受け、代々天城の門を守ってきた軍閥の名門だ。配下の一族は全員戦場の中で武を磨き上げてきた、女の子たちも例外ではない。

堕神との長年の戦いで、御侍は軍隊を率いる辣腕を手に入れた。彼の軍隊は、まるで砂の上にあるすべてのものを呑み込む砂漠の嵐のようだ。


そんな厳粛な軍隊の中、俺という存在は……あまりに浮いていた。


「おいっ、老婆(らおぽー)!飯食ってないのか?また置いて行かれるぞ」

「だから……その名前で呼ぶな!!!」


俺は仮面を取って、大きく息を吸って筋肉痛の足をどうにか上げて、俺をからかう戦友の炳を押し退けた。近くにいた奴らは俺の顔を見ると更に笑い出した、その内の一人は痙攣しそうになった程だ。

「そんな綺麗な顔して、老婆でいいだろ?」

「そうだ、大将軍は俺たちがお前に惚れないように、わざわざお前のために仮面を作ったんだろう!」


「このっ……!」

炳がおかしな憶測を言ってきたけれど、反論出来ない。この中性的な容姿が志気を乱すのではないかと心配していたのは……事実だ。


でも、生まれつきこの顔だ、自分で選んだ訳じゃない。あいつらは、顔の皮を引きちぎって踏みつけてこそ漢だって言いたいのか?

きっと……俺と同じ考えを持つものもいるはずだ……


俺は彼らの主張を否定してくれる人がいないかと周囲を見回した。だけど乗っかって騒ぐやつらと聞こえないフリをしているのに笑いをこらえているやつらしかいない。

瓜餡(うりあん)は心配そうに鳴いているけど、こんな慰めではこれから暴走する俺を止められない。

俺は歯を食いしばりながら、武器を取り出して怒鳴った。

「……天下の強者は全員同じ顔じゃないといけないのか?!」


そう言ったものの、自分自身今まで大した事を成し遂げた事はない。

まさか俺がこんなにも過剰反応するとは思わなかったのだろう、この場は一気に気まずくなった。炳をはじめ、さっきまで俺をからかっていた戦友の何人かは、頭を掻いて顔を見合わせた後何も言えなくなっていた。


唇を固く結んでこの場を離れようとした時、背後から低い叱咤が届いた。

「私闘は厳禁だ!破った者は処罰される!」


武器を持って悔しそうに唇を噛みながら振り返ると、御侍が厳しい顔で俺を見つめていた。その目には深い失望が見て取れる。

「……大将軍、罰してください」


俺の御侍は、「大将軍」って呼ばれる方が好きだ。


「三十周走って来い、終わったら俺の所に来い」


その言葉と共に、御侍は馬を走らせた。

俺の前を通り過ぎた時、その視線は俺の顔に一瞬留まった。

「仮面を付けろ、みっともない」


俯いた俺の指は、深く膝下の砂にめり込んだ。


野次馬たちは慌ただしく散ったが、俺の伴生獣である瓜餡たちだけは静かに俺に寄り添い、もふもふの体で俺の涙を優しく拭ってくれた。


Ⅱ.臆病


恐怖、退縮、それとも怒りと戸惑いか……


御侍が俺を最前線に放り込んで堕神と戦わせたという事実に、俺は最早どう反応したらいいかわからなかった。

俺は彼とすれ違う度、失望する彼に対してただ沈黙で応えるしかなかった。


そんなに俺の事が嫌いなのだろうか?

震え上がらずにはいられなかった。

もしかしたら……本当に俺のせいなのかもしれない。


「老婆、何ボーッとしてるんだ?!」

聞き覚えのある声で我に返ると、青ざめた頬に血の気が戻った。目の前の敵を怒りに任せて押し返し、背中合わせで戦う炳のやつを見た。


「だから、その名前で――」

「はいはい、呼ぶなだろ?知ってるよ老婆、わかってるよ老婆!」

炳は笑いながら、大きな声で答えた。


例え目の前の堕神たちが突然襲い掛かって来ても、彼は依然と高い情熱を持ち続けていた。この時は俺の動きが遅れているのに気付いたからか、こんな緊迫した状況の中わざとからかってきたのかもしれない。


しかし、このわずかな隙を敵を見逃してはくれなかった。


温かい液体が首筋に掛かった。不思議に思いながらそれに触れると、凍えて曲っている指が真っ赤に染まった。


振り返ると、堕神の長槍が炳の心臓を貫き、彼は高く持ち上げられ、俺を覆う大きな影が出来ていた。


槍の先から血が滴り落ちている、それは空気に触れるとすぐに生命力を失った。

そして、彼はもがくのをやめた。


炳はもう二度と……俺に微笑んではくれない。


俺はその場で固まってしまった。すなわち、敵にとっての絶好の的になったのだ。


少し離れた所に立っている堕神は、軽蔑するような目で俺を見ていた。

その顔には、こめかみあたりから顎にかけて細長い裂け目があり、まるで顔が二つに裂けているように見えた。腐敗して蠢く肉塊がその傷口からぼんやりと見える気がした。

その醜い姿はなんだか魔力があるかのように俺を縛った。


「役立たずの臆病者」

それは鼻で笑いながら、俺に斬りかかってきたのだ。


怒りに満ちた鳴き声と共に、瓜餡たちは慣性を利用して敵を突き飛ばした。

彼らは明らかに戦い続けるべきであった俺を、敵の群れから安全な場所に戻れるまで、その小さな体を挺して庇ってくれた。


御侍の戦馬が俺を越えて進む。


「役立たずの臆病者」

彼の沈黙に声が宿っているかのように、眠れない夜に鞭となって何度も俺の背骨を打った。


……こんなに弱い俺は。

他人の庇護に甘んじないと、生きていけないのだろう。


背後から冷たい殺気を感じる。

俺は最後の拠り所である瓜餡を、強く抱きしめた。


Ⅲ.覚醒


炳が死んでから、俺の周りではもう誰も冗談を言わなくなった。

俺も戦場以外の場所で武器を構えなくなったし、後から来た新兵たちのほとんどは俺の存在を知らない。


しかし、そんな日々を過ごしていても、最前線に立たなければならない。

俺は食霊だから、御侍のために生きて……そして、御侍のために死なないといけない。

俺はこの結末を待っている。


今日の戦場では、俺のいる前衛は敵の圧倒的な攻撃を受けていた。

傍にいる戦友たちを守るために全力で戦ったけど、それでも彼らは次々と倒れ、誰もが悔しさを持って息絶えていった。

最終的に、俺自身までも囲まれてしまい、持っている武器をどの方角にいる敵に向けて良いかすらわからない状態になっていた。


瓜餡たちは焦った様子で俺を囲って鳴き声を上げる。雑踏の中ある笑い声がはっきりと聞こえてきた。

血で濡れた髪を避けると、憎き堕神が遠くの丘の上から、俺に向かって流星のような矢を放っているのが見えた。

それは、必殺の矢だった。


……俺はこのまま死ぬのか?

死ぬだろうな。それも、悪くない。

これこそが、俺が待ち望んでいた結末だろう?


武器が地面に落ちるのも構わず、胸に手を当てると、心臓の鼓動が弱まっているのを感じた。


炳の笑い声が聞こえた気がした……

「何ボーっとしてんだ?」って言っているように聞こえる……


……お前に関係ないだろう!まずは自分の事に集中しろよ!

……臆病で愚鈍な俺のせいで……命を落とすなよ……


視界が曇る、唇から漏れる呻き声をこれ以上抑えられなかった。

見慣れたもふもふとした何かが俺の前に立ちはだかり、必殺の矢を防いでくれるまでは……


俺の最後の拠り所、一番大事な伴生獣……瓜餡が地面に落ちて、瀕死になっている。

鳴いている。

泣いている。


ドンッ……

ドンッ、ドンッ、ドンッ――


突如降り注いで来た、俺を包み込むこの音は何だ?

ああ……これはきっと援軍の到着を告げる戦鼓の音だ。


いつもなら安心して、安全な自分の殻に閉じこもるところなのに、何故か震える声帯をなだめられず、武器を持って乱舞する腕も制御出来ず、戦う事をやめられなかった。


――戦わないと、お荷物の俺をまた誰かが庇って無駄な血を流す事になる!


血まみれで戦う俺の姿は、唖然とする御侍の目に映った。

俺の刃は霧でさえ切り裂く、背負った過去と未来が二つに切られた。

戦いの最中、俺は目覚めた。


もう流言飛語なんかで、自分を追い詰める必要はない。

力さえあれば、全てを打ち破れる。


Ⅳ.強者


負傷した瓜餡が完治した後、俺は日々練習に没頭した。俺の手と武器が一体になるまで、演武場の的を昼夜問わず攻撃し続けた。


御侍が演武場に見に来た事もあった、おそらく俺が召喚されて初めてこんな丁重な扱いを受けた。

だけど、彼は帰るまでただ黙って立っていただけだった。

俺は彼の事を気にせず、ただ没頭した。


十数日後、御侍は堕神を鎮圧するために再び軍を率いた。俺は隊列の先頭に立って、気を引き締めた。

今日こそ、俺は形勢逆転出来ると証明してみせる。


俺がいた部隊は先陣を切って敵を撃破した。ついでに衝動的に動いて、敵の罠に掛かった御侍を助け出した。


凱旋後、御侍は俺を天幕まで呼び出した。


今回、彼は俺を彼と対等の位置に座らせ、仮面を外して素顔を見せるように言ってきた。


長い間、彼は何も言わずに俺を見つめた。やがて小さくため息を漏らした。あんなに堂々とした男の体から出るには、あまりにも小さいため息だった。

俺はその中から安堵と……遺憾を感じ取った。


「俺とお前は主従関係にある、しかし今回お前は俺の命を救ってくれた、対等の関係になってもいいだろう」

御侍は冷静にこう言ってきた。至近距離になってからはじめて、俺は彼の顔のシワに、戦場から持ち帰った砂が残っている事に気が付いた。


「――しかし何か褒賞をやりたい」

「全ての忠実な兵士は報われるべきだ」


「大将軍、俺は……」

心の中で思っていても、それを言葉にするのは少し気恥ずかしかった。


「……代わりに言ってあげよう。お前の心はここにはない」

御侍は穏やかに微笑みながら、俺の代わりに心の内を語ってくれた。

「強くなりたいのであれば、良い考えがある」


「……大将軍、どうかご助言を!」

その態度に勇気づけられ、俺は迷う事なく真剣に答えた。

「強くなる事でしか大切な伴生獣たちを守れない。瓜餡たちを二度とあんな目に遭わせたくない……俺のせいで傷ついて欲しくありません」

御侍は長い間考え込んだ後、ゆっくりと数人の名前を挙げた。

しかし恥ずかしながら、俺は誰一人知らなかった。


御侍は頭を掻いて、軍報から無造作に白紙を取り出し、筆を持って不器用に何行もの長い文章を書いた。

「彼らは俺の古い友人で、皆光耀大陸の各地にいる隠者だ。気が向いたら、俺の紹介状を持って彼らを訪ねるといい」


翌朝、数枚の服しか入っていない荷物をまとめ、御侍に別れを告げ、初めて天都の中に足を踏み入れた。戦友たちと必死に守ってきた土地に。

長い修行の旅が始まったのだ。

始まったのだ……


……


「なあ、瓜餡……大将軍は俺を騙してたりしてないよな……」

俺は今、ボロボロな藁小屋の前にいる。「三顧の礼」をしてからじゃないと扉を開けないと言ってきただらしないおじさんを思い出して、青筋がピクピクと跳ねた。

「所謂隠者って、もしかして全員変な奴なのか?!」


Ⅴ.老婆餅


かつて老婆餅(らおぽーびん)が妄想していた真の強者というのは、軍隊の強者とは全く違う風格を持つ風流な侠客だった。

そして、彼がこれから行う修行も、昼夜を問わず剣を振り回し、武道を追い求めるだけの生活のはずだった……


老婆餅は窓の前に立ち、丹田に力を込めて思いっきり叫んだ。

「……初対面の客に雑用を任せて、自分だけ飲みに行く師匠がいるかよ!!!」


隅から顔を出して彼を覗き見している瓜餡たちは、彼の怒号に怯えて散ってしまった。既に遠くまで行った老人は、高笑いをしながらその年では考えられない程の素早さで土煙を上げ、走り去って行った。


「そう簡単に教えてやるものか!まずは家の掃除からじゃ、これは誰でも挑戦出来る試練ではないぞ、クソガキ!」


老婆餅は拳を鳴らしながら、振り返って酒瓶と武器が散乱している部屋を見て、再び怒りが爆発した。


「……このクソジジイ、待ってろよ――!!!」


瓜餡たちは落ちている物を避けて、もふもふとした体で老婆餅の足にすり寄った。

そうすると、彼の怒りは一瞬にして消えた。彼らの温もりは老婆餅に初心を忘れないように、いつでも言い聞かせてくれるのだ。

彼はしゃがみこんで、手のひらで伴生獣たちを優しく撫でながらも悪態をつくのを忘れない。

「……全部教わった後、絶対あいつを懲らしめてやる!」


そして、諦めたようにため息をつきながら、前掛けを付けて、雑巾を持って、臨戦態勢で部屋に踏み入れた。

大掃除の開始だ!


……


ようやく床をピカピカに磨き上げた老婆餅は、床に腰を下ろして大きく息を吐いた。疲れ切っていて、まだ酒館で酔いどれている老人の文句を言う力すら残っていない。

「……知っているかのぉ?武術の訓練は掃除と同じじゃ!近道などない!」


突如酒臭さに襲われた老婆餅はまぶたを上げる気にもならず、鼻で笑って老人を揶揄した。

「武を修める者、心を落ち着かせなければならない、そうでないと……大成しない」

「だから、心を磨く事は武を磨く事でもあるのじゃ」

「小僧、一応合格だ。明日は早起きして、朝食を用意した後、竹林に行ってまず三十周走っておけ!」


「三十周?!ジジイ、俺はロバでも馬でもないぞ!!!」


戸惑う老婆餅を置いて、老人は酒を手にふらふらとどこかへ行ってしまった。老人の言葉に呆然とした彼は、ガバっと体を起こしたが、目に映ったのは老人の寂しげな背中だけだった。

だけど、彼はすぐに老人の後を追った。


「試練に合格したんなら、早く俺に武術を教えてください!一刻も早く強くなって……光耀大陸で一番強い男になりたいんです!!!」

「ハッ、最強になりたいんなら、口だけじゃダメじゃ。お前はまだ心が浮ついておる、罰として厠掃除一週間しろ!きっちり心も磨いてこい!」

「なんだと?!クソジジイのクセに偉そうに!」

「クソジジイとはなんじゃ!師匠と呼べ!」


この時の老婆餅はまだ知らなかった。

彼の人生の修行の旅はまだ始まったばかりだという事を……



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