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ウェルシュラビット・エピソード

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最終更新者: 時雨

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ウェルシュラビットのエピソード

「殺人鬼ラビット」という恐ろしい異名を持つ金髪の青年。初めて武器を手にした理由は純粋なものだった。限りない搾取と抑圧を受けた御侍のために復讐しようと、血に飢えた貴族に斧を向けたのだ。しかし時が経つにつれ、より一層過激になった自分の模倣犯に戸惑い始めるようになる……


Ⅰ.没落

重苦しい雪の夜。

吹雪の中、人々は忙しなく歩いている。薄すぎる服で一瞬でも温もりを保てるよう、凍えて白くなった指で襟元をキツく締めていた。


「それに比べて、市役所は実に心温まる聖所だわ」

僕の仲間である、ハカールが笑った。このナルシストな女は案内人としての役目を終えた途端、他人事のように高みの見物を始めた。

腕を下ろすと、綺麗に磨かれた斧に燃える先賢たちの絵が映っていた。

純金は高温の中で融け、国王の顔にあった慈愛は既に消え去り、まるで地獄に沈む悪魔のような獰猛な形相になっていた。


慌ただしい足音に視線を上げると、寝間着の貴族執政官が急いで駆け付けてきた。僕の無礼を怒鳴るが、それに無反応な僕に怯えた表情を見せ振り返って警備を呼んだ。

そして僕は、斧を持って彼に近づく。


一歩……

彼は後ずさり、躓いて僕に許しを請いた。

「ここにある純金の装飾、高価な織物、どれもこれもわしの命より遥かに価値があります。どうぞご自由にお持ち帰りください!」


二歩……

ハカールが僕の耳元で囁く。

「ラビットちゃん、人の命って安いわね。カレの言う装飾も織物も、全部貧乏人たちの血肉と引き換えに得たものだというのに」


三歩……

貴族執政官は目を見開き、震える指で僕の赤い目を指した。

「……お前が……あの……殺人鬼……ラビット……」


まったく……模倣犯たちが「手伝ってくれた」おかげで、それなりに有名になった。

でも、こんなのばかりで、気分が悪い……


立ち止まり、斧を振る。

悲鳴を上げる間もなく、貴族の頭は彼のお気に入りであろう黄金の木が描かれた羊毛の絨毯の上で転がり、ハカールの足元に止まった。


「ラビットちゃん、おめでとう」

ハカールは意味深に祝福の言葉を掛けてきた。


「誰かがアナタのために、理想の世界への道を広げてくれているようね」

「……僕の名を騙って、無実の者を殺戮している輩を必ず見つけ出す」

僕はちらりと彼女を見て、鼻で笑った。


貴族の死体に松明を投げ、市役所の門に向かってゆっくり歩く。

半ば閉ざされた重い門の外には、一人の年老いた農民が立ち尽くしていた。彼は通りかかったフリをして中を覗き込んでいて、眉毛が既に凍っている。


彼とすれ違う。

僕の事が見えていないらしく、まだ炎に呑まれていない金銀財宝しか眼中にないようだ。

だがその老けた顔は、僕の記憶の中にある彼に似ても似つかない懐かしい顔と重なった。


Ⅱ.追憶

「親父、お昼ご飯持ってきたよ!」

僕はあぜ道に立って、まだ畑仕事をしている親父に向かって力いっぱい腕を振ったが、彼は僕に向けて手を振るだけ。腰を屈めては、麦穂をつまんで眺めていた。


彼が夢中になっているのを見て、親切な隣人は一緒に説得してくれた。

「ガーターよ、午前中働き詰めだっただろ。息子と交代しな」

親父は首を横に振った。

「あいつはまだ半人前だ。何が出来るって言うんだ?」

「そんな言い方はないでしょう!」


僕は弁当箱をランチョンマットの上に置き、袖を捲って靴を脱いで畑に飛び込んで、彼の手から麦穂を受け取った。

「うちの麦穂は粒だっている上にキレイな黄金色だし、僕に言わせればーー今秋はきっと豊作だ!」

「デタラメを言うんじゃねぇ!」


叱るような口調だったが、親父は目を細めて笑っていた。白いヒゲも笑い声と共に揺れている。


親父は自慢の家族だ。でも……僕は彼の子どもではない。


親父の一人息子は一年前に事故で亡くなった。

悲しみに暮れた親父は、一人息子の大好物で思いがけず僕を召喚したのだ。


しかし、畑に一生を捧げてきた親父は、食霊がどんな強大な存在なのかは知らない。


彼にとっての唯一の現実は、僕と彼の息子の顔が似ているという事だった。


だから、僕は亡くなった彼の跡を継いで、全身全霊で親父の面倒を見てきた。

親父も僕を息子同然に思ってくれている。

全力を尽くして僕に家畜の飼い方や、畑からお腹を満たせるだけの食料を得る方法を教えてくれた。


夏の夜、夜風が涼しい時は、二人であぜ道に寝っ転がって、星を覆う雲から明日の天気を推測した。


冬の明け方、寒風が吹き荒ぶと、二人で暖炉の前で方を並べながら木べらで鉄鍋をかき回し、何ヶ月も漬けていたベーコンを切り、熱い白粥に放り込んだ。


寒さと暑さは交互にやってきた。秋に獲物を収穫して冬に貯蔵した。僕たちの倉庫は穀物で、僕たちの皿は肉とジャガイモでいっぱいになった。

豊作で作物が余った家では、自家製ビールを村の家々に配ったりもしている。


豊作の季節は毎年やってくるものだと思っていた。

だが僕の拙い幻想は、徴税官が男爵の意志を携えてやってきた日に、初めて破綻したんだ。


Ⅲ.剥奪

最近、よく商人が村にやってきては高い値段で穀物を買い取っていく。

どんなに愚鈍な村人でも、米の急な値動きから異常を感じ取っていた、親父のようなベテランは尚更だ。


「……小僧、何かが起きるかもしれん」

まだ僕が何も気づいていない時、彼は心配そうにこう言ってきた。


徴税官の到着で、グルイラオとパラータが戦争を始める事が証明された。


国中が動員されるこの戦争を前にして、僕と親父のような普通の農家だけじゃなく、この地を統べる男爵たちも不安に襲われている。

自分の身を守るために、男爵は村の防衛施設の再建を旗印に、食料の強制徴収を始めようとしていた。


僅かな徴収であれば、僕も親父も財布の紐を引き締めればやり過ごす事は出来るのだが、徴収令に書かれていた数字は想像を遥かに超えていた。

親父はざっと見積もったが、余った食糧を全て献上しなければ、あの貪欲な男爵を満足させられない。


「種籾まで渡したら、僕たちは何で種まきすればいいんだ?!」


僕は徴税官に反論したが、この羽のついた高帽を被った男は、僕が着ている質素な服を軽蔑するように一瞥しただけで、柔らかな声で悠々と答えた。

「食糧が足りないのなら、土地を充てればいい。土地も足りないのなら、家畜を売ればいい。男爵閣下を信じなければ、諸君の生きる道はないと思え」


「どういう理屈だ?僕たちには手も足もある。自分たちの力で生きられる!」

僕は大声で言い返した。


「防衛用の柵は優れた職人が作るし、家を守る弓矢は屈強な猟師がいる!」

「僕たちは税など払わずに身を守れるんだ!」


人々は静まり返った。

いつもは味方をしてくれる親父だが、今回は心配そうな目を僕に向けてきた。


「小僧、早く降りて来い……男爵閣下に逆らう訳にはいかんぞ」

男爵家の支配は数百年にも及んでおり、その怒りに耐えられる度胸のある者はいなかったのだ。


最初の一人が出ていった、そして食糧の入った大きな袋を持ってまた帰ってきた。二人目、三人目……徴税官の馬車は、村人から徴収した食糧でいっぱいになった。


「……どうして……?」


立ち尽くしていると徴税官の皮肉な笑い声が聞こえてきた。

「待っているといい。君の言葉をありのまま男爵閣下に伝えておくよ」


Ⅳ.忠誠

僕の反抗はやはり男爵の怒りを買ったらしく、親父はもっと多くの食糧を徴収される事になった。


その穴埋めのため、数日後の種まきのために残しておいた最後の籾殻を渡した。それからミルクを絞るための羊を売り払って、なんとか種子代を工面した。


連日の心労で親父はすっかり体を壊し、畑仕事をする事すら出来なくなり、僕が代わりにやる事に。


毎日のように新しい戦報が村人たちの元に届く。前線の戦火が熱くなればなるほど、平和に慣れた田舎は不安に襲われた。

気付けば強制徴収の命令が来る間隔はどんどん短くなった。村人たちが上納出来る分では、寄生虫たちを満足させる事はもう出来なくなっているのだ。


遂にある日、男爵は村全ての家に男子を一人差し出し、無償で親衛隊に入隊するよう要求してきた。

親父が受け取った徴兵令には、はっきりと僕の名前が書いてあった。


「親父を置いて、あんな親衛隊に行ける訳ないだろう!」

僕は机を叩き大声で反対したが、親父はベッドに寝たまま、黄ばんだ羊皮紙をまるで難解な書物のようにボーっと見ているだけだった。


長い沈黙の後、親父はゆっくりとため息をついた。


「男爵閣下から行けと言われたのなら、行け……」

「心配するな。閣下は三度の食事を提供してくれると約束してくれただろう」


僕はガバっと立ち上がって、彼が信頼する男爵閣下とやらの本性を暴こうとしたが、口には出せなかった。

……そう、親父は僕の御侍だ。彼の命令に逆らう事は出来ない。


「……わかった。行ってくるよ。親父も、気をつけて。忘れずに……手紙を書いてくれよ」


僕は少ない荷物をまとめて、男爵の親衛隊に入った。

親衛隊といっても、男爵の雑用係のようなものだ。


雑務なんかで僕の毎分毎秒が奪われていく。

ある日夢から覚めてふと親父からの手紙が数日も届いていない事を思い出す。


親父を心配した僕は、夜の闇に紛れてこっそり城から出た。

渓流を渡り、あぜ道を越える。

足元の畑には、雑草が生えていた。


僕は静まり帰った家に辿り着き、扉を開ける。

親父はベッドにもたれかかっている。目が窪み、やせ細っていた。

彼はもう、死んでいたのだ。


Ⅴ.ウェルシュラビット

男爵は約束を守らなかった、彼が届けたのは食料なんかではなく死だった。


あの狂気の夜、ウェルシュラビットは彼の父親が残した石斧を拾い上げ、初めて食霊の力を使い、赤目の大きなウサギを出し、男爵の城に殴り込んだ。


彼は自分がどれだけの貴族を殺したかわからなかった。男爵の背骨を切った時に斧が欠け、ようやく彼は武器を捨て、血に染まった庭に立ち、思わず家の方を見た。


……その瞬間、親父の顔がウェルシュラビットの脳裏に浮かび、彼を憎しみの支配から解放した。


そして、彼は自分に課せられた使命をはっきりと自覚する事に。


その夜、男爵家は潰れ、罪のない村人たちは家に帰され、略奪された食糧はそれぞれに家に返された。


息を吹き返した村を眺めながら、ウェルシュラビットは呟く。


「そうか、なんでもっと早く気づかなかったんだ……」

「役立ずが死なないと、世界は変えられない」


暖炉の火や温かな食べ物の思い出は、彼の父親の惨死と共に色褪せていった。

抑圧がある限り、似たような悲劇は繰り返されていく。


どうすれば、この因果の連鎖を断ち切ることが出来るのだろうか?


「ラビットちゃんは相変わらず甘いわね」

手に入れたばかりの真新しい骨をうっとりと眺め、ハカールは軽蔑したような笑みを浮かべた。

「悲劇の連鎖は形のないものよ、斧で切れる訳がないじゃない」


「……君たちには、一生わからないだろうね!」

ウェルシュラビットは斧についた血痕を拭いながら、鼻で笑う。


「僕は君たちみたいな、人を殺す事を楽しんでいる奴とは違うんだ!」


「そう?」


そう。


武器を振りかざす事すらできない者を一人でも多く守るためには、誰かが先頭に立たなければならない。

ウェルシュラビットは心の中で決めていた。


理性が悲しみや怒りにかき消されると、人間なのか獣なのか曖昧になってしまうものだと言われている。

多くの人は奈落の底に落ちてしまい、途方に暮れてしまうだろう。


しかし、その中には……

残された僅かな理想の光をしっかりと掴める者もいる。


世界を一変させるため、彼は砕かれた宝石を少しづつ集め、自分の理念を貫き通している……


いつか……抑圧も搾取もない新しい世界が、彼の傷だらけの指先に誕生するまで。



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