キビヤック・エピソード
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キビヤックのエピソード
「学校」7人目の先生、「生存」科目を担当している。冷徹で威圧感があるように見えるが、実はとても単純で、優しく接してくれる人の言う事ならなんでも聞く。例えその優しさが表面的な物だとしても、彼は自分の全てを捧げて返そうとする。世間知らずで、極寒の地「エクティス」での野蛮な生活に慣れきっているため、外界に馴染めない。ある時、恐ろしい悪鬼として扱われ、その噂が「学校」に届き、彼を連れ帰るようにとポロンカリストゥスは命じられる事になる。
Ⅰ.難局
「どうしよう……」
ドンッーー
「本人に直接聞け」
アクタックはカウンターの上にお酒を叩きつけると、すぐに戻っていった。
本人……
鹿の事?
でも、彼は俺の話を全然聞いてくれない……
「雪だるまちゃん、今度は何をやらかし……コホンッ、何があったの?」
レッドベルベットだ。
どうして俺の事を「雪だるまちゃん」って呼ぶのかわからないけれど、いつも助けてくれる、とても良い人。
「この前タダ食いの奴らをやっつけてくれたでしょう?今日はあたしが悩みを解決してあげるわ〜」
「うん……俺が今いる場所に、シャンパンっていう食霊がいる……」
「あら、ビクター帝国の国王様でしょう!ナイフラストで彼を知らない者はいないわ!彼がどうかしたの?」
「……毎日お酒飲んで、ブラブラして、仕事しない。だから、彼に直談判……?した」
「ぷっ……あはははっ!流石雪だるまちゃんね!それでそれで?」
「シャンパンは鹿を呼んだ。俺と彼が話をしているのに……どうして鹿に迷惑を掛けるのか、わからなかった……だから、彼を凍らせた……」
「……雪だるまちゃん、鹿に怒られて不満なのね?謀反罪に問われてその場で処刑されずに済んで良かったじゃない。不幸中の幸いよ!」
「謀反?どうして……本当の事を、言っただけなのに」
レッドベルベットはため息をついた。でもなんだか嬉しそうな顔をしている。
「いつまでもその純粋さを持ち続けて欲しいわ。雪だるまちゃん〜」
ドンッーー
また新たなお酒がカウンターに叩きつけられた。しかも酷い冷気を帯びている。
「何のために持ち続けるんだ?貴方に楽しみを提供するためか?」
「あら、管理者様、そんなにストレートに言わなくてもいいじゃない!」
アクタックはレッドベルベットの言葉を無視して、チラッと彼女を一目見る。すると、彼女は俺に向かって変顔をした後、お酒を持ってこの場を立ち去った。
「貴方は、どうして”学校”に残っているんだ?」
アクタックは腕を組んで俺の前に立っている。バーカウンターに阻まれて見えないけれど、イラついているのか靴をコツコツと鳴らしている事がわかる。
「うーん……鹿が、俺を必要としている……から?」
「鹿の奴だって、貴方にはシャンパンに対して礼儀を……例え心がこもっていなくとも、最低限の礼儀を持って接するように言っているだろう?どうしてこれに従わないんだ?」
「俺にも説明出来ない。例えば……鹿が彼自身を傷つけろって、言ってきても……そうしない、みたいな……」
「……正直な所、二人の間で何があったのかよく知らない。でも、私が知っている限り、鹿は貴方が身を捧げるに相応しい相手ではないはずだ、考え直したら……」
「そんな事、言わないで」
アクタックは苦い顔をしている。そんな顔をして欲しくない。でも……
「鹿は皆が思っているような人じゃない……認めてくれないてもいい。でも、どうか……責めないで」
アクタックを見つめる。彼の今の表情を見たくないけれど、彼の視線から逃げたくはなかった。
「鹿がいなかったら……俺は未だに、氷海に閉じ込められている。確かに性格は良くない。でも性格が良い人に比べたら、彼は……」
「唯一俺を助けてくれた人だ」
Ⅱ.起源
初めて鹿に出会った時、エクティスは窮地に陥っていた。
無節操に狩猟を繰り返したため、頭上に鳥が飛ぶ事はもうなくなった。飢餓と極寒が交互に襲ってくるから、人々は発狂寸前になっていた。
俺の御侍であるリナは、外に出るために自分を支えるよう俺を呼んだ。村の年長者として、彼女はまだエクティスのために何かしたいと思っているようだ。
そうして、まな板の上に押し付けられている食霊に出会った。
「殺せ……食べ物が必要だ……生きるためだ……」
「まっ待ってくれ!私の体は一つしかない。食べ切ったらもうなくなる!いっそ……いっそ私の角を食べたらどうだ?また生えてくるから、何回でも食べられるよ!」
彼は明らかに状況を把握出来ていない様子だ。黒い布を目に巻かれ、膝をつかせられた彼は、子鹿のように震えていたけれど、それでも人間の同情を引こうと必死だった。
彼の恐怖が伝染したのか、リナを支えていた俺の手も思わず震えた。
彼女は俺を見てから、人混みの方に近づいた。
「彼を解放しなさい」
こうして、その食霊は束の間の自由を得て、全身の力が抜けたのかぐったりと倒れ込んだ。
人間たちが彼を解放したのはリナの意見を尊重したからじゃない。彼の提案を受けたからだ。
しかし、その食霊はこれから何が待ち受けているのかわかっていないみたいで、極寒の中震える手で目を覆っている布を外そうとした。
まずい……
俺は彼に近づき、しゃがんで手で彼の目を塞いだ。
「まだ開けないで。雪で……目が焼ける」
彼は一瞬震えて、肩をすぼめたけど、少しずつ落ち着いた。
手のひらに温もりを感じる。
水……?違う……
涙だ。
手を引っ込めて怪我をしていないか確認しようとした時、彼に制止された。
彼は俺の手を抑えた。力はそれほど強くはないけれど、力を入れすぎて震えている。
彼の涙が乾くまで、俺はこの体制を維持した。
まさか、食霊もこんなに涙を流すとは思わなかった。
泣き虫……
彼は長い間声を上げずに泣いた。
そして、俺の手のひらで隠された涙は……
この長く続く寒さの中で、初めて触れた温もりだった。
しかし、俺とこの泣き虫は仲良くならなかった。
あの日以降、彼はまるで別人のようになった。
誰も彼の涙を見た事がない。彼はいつも飄々と笑っていた。角に巻き付けられた赤色が滲む包帯は、亡霊のように空を舞った。
彼はエクティスの住民に、この地は神に呪われていて、救われるためには生け贄が必要だと告げた。
或いは、不老不死の食霊を氷海に入れ、人柱にすればいいと。
彼は俺を指差した。
隣にいたアクタックは眉をひそめて俺を見た、俺が怒るんじゃないかと心配しているようだった。
どうして彼がそう思うのか、俺にはわからなかった。
寒いのは苦手じゃない。人間は氷海の温度に耐えられないけど、俺にとっては罰にもならない。
しかも、エクティスがこうなったのは全部俺のせいだ。
苦しんでいる人たちのために何か出来るのなら、どうして怒ったり、拒絶したりする必要があるの?
鹿が俺を選んだから?
でも、これ以外に方法がなかったんだろう。
彼は人一倍痛みに、寒さに弱い。彼はここにいるべきじゃない。
それに、全ての人に寒さを我慢するように、自らを犠牲にするようにお願い出来る訳がない。
そんなのは、一人いればいい。
だから、俺は氷海に飛び込んだ。寒さが急速に押し寄せてくる。
痛みを感じるけれど、我慢出来る程度だ。
でも、彼が飛び込むよう言ってきたのに、どうして……
あんなに泣きそうな顔をしているの?
Ⅲ.異常
俺は笑顔溢れる家庭に召喚された。
俺の御侍リナは、執事によると貴族のお嬢様だそうだ。そして、彼女の夫は素晴らしい青年で、彼らは町で一番お似合いの、幸せなカップルだったそうだ。
もうすぐ、二人の子どもが生まれる。まだ生まれていないけれど、既に皆の期待と愛情を一身に受けていた。
つまり、俺の出現は彼らにとって、人生に「華を添える」程度の事に過ぎなかった。
リナが俺の事をこう言った時、彼女は大きくなったお腹を見ていて、俺の方を見ていなかった。
「貴方にして欲しい事?そうね……キビヤックは私たちのために祈ってくれるだけで良いわ」
そう言われて、俺は頷く事しか出来なかった。いつも通りやる事がないまま。
これで良いんだ。皆が無事で、楽しく、幸せに生活しているだけで……
でも、すぐに天災がやってきた。
俺とリナ一家は百人も収容出来ない救命ボートに乗って、町を離れた。緊張と疲労が長く続く中、リナは新たな命を産んだ。
しかし、不運は重なるものだ。
船内にはほとんど食料が残っていない。男たちの無意味な喧嘩で頑丈なはずの船室が破壊され、海水が入り込み沈没寸前になった。なのに辺りを見渡すと、果てしない意味しか見えない。
「キビヤック、行きなさい……貴方は食霊だから、ここから離れられるでしょう?」
リナは絶望のあまり、赤ん坊を抱きしめたままこう言ってきた。こんな状況になっても、彼女は俺に何も望まない。
「でも、君たちに死んで欲しくない」
「じゃあ、貴方に何が出来るの?」
「君たちを助ける事は出来る。でも一定の代価は……払わないといけない……それでもいい?」
「お願い!どんな代価でも払うわ……私は生きたい!」
彼女の目には再び生きる希望が灯った。赤ん坊は鋭い泣き声を上げる。男たちの咆哮が甲板の下から聞こえてくる。
「わかった」
彼女が俺を必要としてくれたから、俺は迷わず船から飛び降りて、この海を凍結させた。
こうして、エクティスは誕生した。
ただ……
かなり後になってから、俺は知る事になる。
命には限りがあるんだと、食霊にとっても同じだと。
氷海の中で生活していると、より一層ハッキリとこの点を認識出来るようになった。
寒さは指先から骨の髄にまで沁み込んでくる。痛みだけなら耐えられる。だけど明らかに何かが体内から失われているような感覚がする。
ふとこの海域を凍結してから長い時間が経った事に気付いた。リナがまともに歩けない程の老人になるぐらいの長い時間が経っていたのだ。彼女の夫と子どもも、とっくの昔に寒さの中死んでいった。
俺の力も……いつか尽きる日が来るのだろうか?
……それまでに、もっと魚を獲らなければ。
俺によってエクティスに囚われた罪のない人たちが、今俺を必要としている。俺は彼らに対して責任を持たなければならない。
「何もしなくていい」事に満足しなかった、俺への罰でもある。
「上がれ」
海の中でも音が聞こえる。でもぼんやりとした音しか聞こえない。ほとんどが魚の音だ。
「キビヤック!上がれ!」
「……何?」
鹿は海辺に立って、とても怒っている様子だった。俺の傷だらけで変形した手を一目見て、強い意志がこもった目で俺に向かってこう言ってきた。
「エクティスから出て欲しい」
彼が俺に何かするよう要求してきたのは、これが初めてじゃない。でもこんなにハッキリと誰かからして欲しい事を言われたのは初めてだった。
そして俺を必要としているだけじゃなくて、初めて……
俺を救おうとしてくれている。
でも……
俺はまだ救われてはいけない。
今俺がここを去れば、エクティスの地は一瞬にして海に還る。皆死ぬだろう。
彼らの大半は、まだエクティス以外の世界を見た事がない。
彼らは夏を感じた事がないし、生花を見た事がないし、魚以外の食べ物を食べた事もない。
このまま死んでしまったら、全て俺の責任だ。
そんな事は……出来ない……
「じゃあ、一生海底の幽霊でいるつもり?」
鹿は俺を見て、口角を上げていたけれど、目は冷たかった。
「あいつらは自分でここに残る事を選んだ。外を探索しようとした事すらない。私が何度も外の世界の暖かさを彼らに暗示してもだ……何故ならここには食べ物があるから、生きる事が出来るから、彼らは望んでここにいる」
彼は氷面の上に膝をついて、俺と目線を合わせた。
「あいつらをエクティスに閉じ込めたのは君じゃない、未知を恐れる人間の天性そのものだ」
この時の鹿の顔には涙も笑顔もなかった、今までに見た事もない彼がそこにいた。
でも、これが本当の彼なのかもしれない。
……自分が何をすべきなのか、俺はわかっていた。
住民たちに真相を教えるべきだ。
彼らの祖先はかつてエクティスによって救われ、でも現実社会の残酷さと外の世界が本当に災難から逃れたかどうか確証がないから、彼らは現実逃避を選び、エクティスに身を隠した。
彼らはここに囚われているべきではない、エクティスを離れて、外の世界に行くべきだ。
でもリナに約束したんだ、何も言わないって。
彼女は俺が住民たちの怒りによって殺されるのではと恐れていた。
それに、住民たちが外の世界に適応できなくて、おかしくなってしまうのではないかと、俺も不安だった。
「いつまであいつらを甘やかすつもりだ?」
鹿は立ち上がった。ひそめている眉から、イラついている事がわかる。
彼が自分の髪を撫でると、その銀色は雪のように揺れた。
彼は何かを決断したのか、大きく深呼吸をしてこう言って来た。
「君はエクティスを救った。じゃあ今度は私が君を救うよ」
そして、目を見開く俺をよそに、彼は氷海に飛び込み、俺の方に向かって泳いできた。
Ⅳ.急変
エクティスは完全に海に還った。
広い海域を凍結したまま、俺に近づいてくる鹿を攻撃しないよう力を制御する事が出来なかった。
彼は俺と共に少しずつあたたかくなっていく海水に浸かっていた。その目は得意げで楽しそうに見えた。
でもすぐに、彼は厳しい目で俺を見てこう言い放った。
「ついて来ないで」
彼は遠くの方に向かって泳ぎ始めた、そして姿を消した。
呆然としている俺を残したまま。
終わった。リナも、エクティスも、鹿も……
全部が終わってしまった。
これから、俺はどうすれば……
外の世界から逃れたかったのは、未知を恐れてエクティスにこもっていたのは、住民たちでなく……
俺自身だと、この時になってようやく気付いた。
どれぐらい泳いだんだろう、やっと海岸が見えてきた。
海岸で出航の準備をしていた船員たちは親切に俺を船に引き上げてくれた、そして矢継ぎ早に俺に質問してきた。
俺は殺人犯。エクティスから来た。
そして、エクティスを壊したから海にいた……
彼らに伝えるべきか?
いいや。
俺は何も言わず、頭を横に振って、船を降りた。
記憶の街並みと大差ない事に気付いて、ここがかつてリナ一家が生活していた町だと気付く。
こんなに近くにあったのか。
俺はリナが住んでいた家を見つけた。そこには既に新しい住民が住んでいた。屋根は空色に塗られていて、壁には緑色の蔦があり、それは白いカーテンに絡んでいた。
天災は建物に消せない傷跡を残さなかった、もしくは単純に建て直したのかもしれない。
「うっ……痛いよ……」
立ち去ろうとした時、どこからか泣き声が聞こえてきた。
小さな子どもの声だ。
若くして亡くなったリナの子を思い出す。
「どこにいるの?」
「えっ……誰かいるの?助けて……」
子どもの声は大きくなり、俺はすぐに彼を見つけた。壁にもたれてしゃがんでいる男の子は、足を捻ったみたいだった。
赤く腫れ上がったその足首を軽く掴み、少しだけ冷気を出した。
「あれ……冷たい、もう痛くない!お兄さんは魔法使いなの?」
「違う……」
「神様?天使?それとも妖精?」
「全部違う。俺は食……」
「かっ、怪物……!!!」
そう遠くないところから、突然女性の悲鳴が上がった。彼女は持っていた物を手放し、なりふり構わずに俺に向かって走ってきた。
エクティスを出てから、これほど人間からの激しい憎悪に直面したのは初めてだった。
「ああっ!痛い!」
少年の悲鳴で我に返り、慌てて冷気を止めた。だけど、彼の足首は既に凍傷になっていた。
「どいて!この怪物!私の子に触らないで!!!」
女性の怒鳴り声と男の子の目に浮かんだ恐怖を浴びて、俺は逃げた。
また……間違えた。
どうしてか、頑張れば頑張るほど失敗してしまう。
寒さで早死したリナの子も、涙を流していないけれど泣きそうな顔の鹿も、凍傷になった男の子も……
何気なく触れただけなのに、すれ違っただけなのに、誰かを凍らせてしまう。長くいればいる程、より多くの人を傷つけてしまう。
最終的に俺は海底の幽霊から、人々が言う町の亡霊となった。
Ⅴ.キビヤック
「この後……君は俺を”カーニバル ”に連れて来た……そして……鹿は俺を”学校”に連れて行った……鹿は本当に悪いひとじゃない……彼はとっくの昔に、人々をエクティスから出したんだ……俺も、救った……」
「この話、あと何回する気だ?」
酔っ払ってカウンターの上に倒れ込んだキビヤックを見て、アクタックの眉は今にも一本に繋がりそうになっていた。
「あははっ……雪だるまちゃん、もうそこまでにしなよ、大魔王の怒りが爆発しちゃうわ!」
ここには酔っ払いしかいないみたいだ。
アクタックは白い目でふらついているレッドベルベットケーキを見た後、二人には酔いを醒ましてもおうと決めた。これ以上巻き込まれないように、彼らから離れた場所で作業を始める。
しかし、グラスを拭いている途中、突然バーのドアが蹴り開けられた。
「キビヤック!いい加減にして!上司に盾突いたと思ったら、今度は無断外泊か?!」
怒りを露わにしているポロンカリストゥスがバーに突入してきた。彼の教え子たちが今の彼を見たら、きっとビックリ仰天してしまうだろう。
彼の怒った顔が怖いからではなく、普段の余裕な様子からあまりにもかけ離れているからだ。
しかし、酔っぱらいがそんな事に気付く訳もなく、自ら彼に近づいて行った。
「鹿……会いに来てくれたの?うーん……もう怒ってない?いや……まだとても、怒っているみたい……」
「チッ、酒臭い……アクタック、どうしてこんなに飲ませたんだ?」
「ここを何だと思っているんだ?お客様がお酒をご所望なのに、追い出せると思う?」
「……どんな話をした?」
「同僚があまりに頑固で理不尽だから、”学校”から”カーニバル”に転職しないかと誘ったり?」
「ふふっ……寝言は寝ている時に言うものだよ」
代金をカウンターに叩きつけた後らポロンカリストゥスはキビヤックを引きずって「カーニバル」を出た。
「はぁ……ただでさえ任務で疲れているのに、どうして酔っぱらいの世話までしなきゃいけないんだ?」
「ごめん、なさい……」
「口を閉じて、酒臭い」
こうして、夜の町は再び静まり返った。ポロンカリストゥスはキビヤックの息遣いを聞いて、結局我慢出来ずに質問を投げかけた。
「君は一体何を考えているんだ?これからどうするつもり?また幽霊やら亡霊になるのか?」
「……」
「もう喋っていいよ」
「なりたくない……」
「じゃあ、どうするんだ?”学校”を離れて”カーニバル”に行きたいなら正直に言うといい、命だけは保証してあげる」
「……必要とされるような、居場所が、欲しい……」
「はぁ?」
キビアックは俯いて、小さな声で呟いた。口調は確かなものだった。
「人々に、必要とされたい」
「わかりづらい、もっと具体的に言って」
「俺は……温もりが好き……この世界に温もりを与えたい……寒さ……だけじゃなくて……」
「……なんかもっとわからなくなった」
相手の顔を見ずとも、捨てられた子犬のように落ち込んでいるはずだと、ポロンカリストゥスは確信していた。
「自分一人で世界に温もりを与えられると思っているの?世界はエクティスよりも遥かに広いよ」
ポロンカリストゥスは怒りを通り越して笑ってしまった。そして、目の前に広がる果てない道を見つめながらこう続けた。
「だからこそ組織が必要なんだ。一人で出来ない事は、二人でなら出来るかもしれない。二人で出来ない事は二十人で、二百人でなら、いつかは出来るようになる。それに……」
彼は一拍置いて、ぎこちなく咳払いをした。
「少なくとも……既に小さな一歩を踏み出しただろう」
「鹿……」
「はぁ、こんな簡単な道理をもう二度と説明させないで。私はビクター帝国の情報官で幼稚園の先生じゃないんだ」
「気を付けて」
「ん?」
ポロンカリストゥスが反応する前に、キビヤックに頭を押された。
骨を刺す寒気が彼の頭上を通り過ぎる。氷で出来た長い刀が夜を抜けて、影に隠れていた人物に刺さった。
カランとした音の後、その人物の武器が地面に落ちて、その後辛そうな呻き声が聞こえてきた。
「誰だ?」
「チッ、聞く必要あるのか?ビクター帝国の敵に過ぎない」
ポロンカリストゥスの顔が少し熱くなった。
キビヤックを押し退けて、まだ顔も確認していないのに捕まってしまった敵に向かって、いつもの作り笑顔を浮かべた。
「さっき捕らえ損ねたお魚が、まさか自ら網に入って来るとはね。ふふっ、手間が省けた」
上機嫌なポロンカリストゥスは、敵を自分のプレゼントボックスに入れた。しかし、ここである違和感を覚えた。
「待って、君……」
キビヤックは目をぱちくりさせ、目を見開いたポロンカリストゥスを不思議そうに見た。
「寄ってないのか?!」
「えっと……」
「ふふっ……酔っていないなら、これから私と一緒に社会常識の勉強の続きをしようか!居眠り一回につき、運動場十周だ!返事は?!」
「はい……」
月は雲から抜け出して、優しい光で怒っている者と憂いている者の表情を照らした。
この世界に温もりを与えるのは、一夕一朝で出来る事ではない。十年……いや、百年掛かる可能性だってある。
キビヤックは自分がまた何かをしくじってしまうのではないかと、心の中で憂いて、未知なる明日を恐れている。
しかし、すぐに自分を怒って来る者の傍に立っている時は、彼の憂いは大幅に減少する。
少なくとも過去のように、地に足が着いていない感覚はもうしない。
なぜなら、彼はこれから運動場を十周走るのを失敗する事はないと確信しているから。
彼に先見の明なんてない。だけど、一先ずこの確信さえあれば、彼にとってはもう十分だったのだ。
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