クリームチキン・エピソード
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クリームチキンのエピソード
上品で余裕があるように見えるが、実はポンコツでいつも何かを台無しにする。キッチンを爆発させたり、シーツを燃やすのはもはや日常茶飯事、その都度いつも平静を装って自分で後片付けをする。それでも、彼は終始自分の事を完璧な執事だと信じており、努力をし続けている。
Ⅰ.深秋の願い
淡い朝の光が窓に降り注ぐ。風が落ち葉を巻き上げ、冷気を伝える。
吐いた空気がガラス窓に結露し、私は思わずコートの前をキツく閉めた。
もうすぐ冬がやってくる。
しかし、今年の秋は例年より寒い気がする。
城の廊下を掃除して、隅に落ちている奇妙な道具を拾い、最後にネズミを追いかけていた時に誤って割ってしまった食器も一緒に処分する。
これが私のモーニングルーティンです。
「ご苦労。ダイニングルームから良い香りがするわ。また新しいアロマに換えたのかしら?」
「はい。お察しの通りです、お嬢様」
皆様が次々と着席する、朝食はいつも賑やかだ。
「どうしてここに虫の死骸があるの?デビルドエッグ!」
「あっ、昨日なくしたおもちゃここにあったんだ!あれ?なんかヌルヌルしてる……」
「……やはり貴方のおもちゃでしたか。消毒させて頂きました。ご安心を」
「あの……執事さん、何か忘れていないですか?」
ヴィーナーの視線を追うと、思わず口角が引きつってしまった……
いやはや、カトラリーを出すのに夢中で……一番大事なティーをまだコンロにかけている事を忘れてしまうとは……
しかし、「スペクター」家の執事として、臨機応変も基本的な能力の一つである。
こんな時こそ、笑顔を忘れぬこと。こうすれば、多くの場合どうにか解決出来てしまうのだ。
「皆様ら誠に申し訳ありませんが、モーニングティーをキャラメル味に変更させていただきました」
「でも、なんかねっとりした黒いのが浮いているよ?」
「……坊っちゃまの見間違いでしょう。または誤って落とした黒パンのパン屑ではないでしょうか?」
幸いなことに、皆様はティーの中からサプライズを見つけることに慣れているので、早朝の一幕はあっという間に幕を閉じた。
ただ残念なのはらティーポットの交換は……今月で何度目になるだろうか?
でも大丈夫、料理の腕を磨くには代償がつきものです。
そう考えたら、少し気が楽になった。
そろそろ……生け花の時間だ。
優雅な城が荘園の骨格であるとすれば、美しい庭園はそれを彩るのに欠かせない物だ。
庭園の手入れとは、丁寧にやらなければいけない根気のいる作業なので、まずは生け花から初めて見るというのは、実に良いアイデアだ。
早朝、温室から摘んだ花を休憩室に持ち込む。
すぐに、清らかな香りが部屋全体に広がった。
余分な葉をカットし、色を合わせ、大きさのバランスも考え、一本ずつ花瓶の中に挿していく。
しかし……
どう組み合わせても、目の前の生け花は色を乗せ過ぎたパレットのように、ごちゃついている。
「一体、何が足りないんだ……?」
「このスズランを試してみたらどうでしょう?」
思わず声に出して呟いていたら、突然白い花が咲いた枝が目の前に現れ、その爽やかな香りが鼻を抜けた。
驚いて顔を上げると、一人の女性が私に向かって優雅に微笑んでいる。
「ヴィーナー……?どうしてここに?おや……もう夕方ですか」
「ここに隠れて創作していたなんて、そうしないと執事さんはインスピレーションが湧かないのですか?」
「いえ……皆様が花粉症になるといけませんので……」
「なるほど、執事さんって優しいんですね。しかし……」
ヴィーナーは目を細め、突然距離を詰めてきた。
「!」
手のひらに柔らかい感触がして、同時に少し痛みも感じた。
「生け花の練習をするのはいいですけど、自分を大切にしないといけませんよ。執事にとって、トゲで傷ついた手というのは、仕事しづらいでしょう?」
「ああ……ありがとうございます……」
私が返事を口にした頃には、既に私の手はガーゼで包まれていた。
ガーゼを持ち歩いている上に、傷の手当てまで完璧に出来るとは、流石ヴィーナーだ。
「それと、このライラックの花粉を吸い過ぎると、刺し傷より危険な事が起きるかもしれませんよ」
その言葉で我に返り、恥ずかしさの波が押し寄せ、慌ててライラックを掴んで隅に投げ捨てた。
「毒があるから……ヴィーナーも触らない方がいいですよ」
「ふふっ……」
「なっ、何を笑っているんですか?」
「いえ、この花たちを見ていたら、気分が良くなっただけです。しかし執事さん、私にではなく、花たちに集中してください。でないと、花たちの機嫌を損ねますよ」
「えっ……!すみません……」
急に耳が熱くなり、自分の無礼を微笑みで誤魔化そうとした時、笑みを浮かべた彼女と目が合った。
「あら、執事さんはすぐに顔が赤くなるんですね」
夕日は優しく彼女の肩に降り注ぐ。私はまた呆けてしまった。
どうしてか、この時の彼女は……いつもと違う感じがした……
「ヴィーナー、ここに来た時の頃と比べたら、随分と変わりましたね……」
まるで……無関心という殻を、脱ぎ捨てたかのようだ。
気付いた頃には、既に心の声が口に出ていた。彼女は少し固まったが、すぐにまたいつもの様子に戻った。
「では、執事さんの方は?」
「私、ですか……?」
Ⅱ.不協和音
自分がもうスペクターの一員ではないと、前々から知っていた。
「クリームチキンの戦闘評価を見て判断した結果、残念ながらスペクターに加入する事は出来ないだろう」
「おそらく彼はすぐに新しい研究室に送られる」
ドアの向こうから会話が途切れ途切れ聞こえてくる。ドアノブを回そうとしていた手は重くなり、凍りついたように固まった。
しかし次の瞬間、ドアが開けられた。中にいた白衣を着た研究員数人としばらく顔を見合わせる。彼らの後ろにはいつも通り静かに微笑んでいるトフィープディングがいた。
「クリームチキン?研究所に来て何か用かしら?」
「私は……次回の査定に応募するために来ました……」
彼らが怪訝そうな表情を浮かべるだろうと予想出来ていたが、私は歯を食いしばりながら口にした。
「査定は既に終了した」
「しかし、私は……」
「クリームチキンは堕神との戦闘には向いていないかもしれないけれど、今のスペクターには有能な助手が必要だわ。彼にも一員になって欲しい」
「申し上げたように、彼には既に新しい任務を与えました」
「研究室に残されるより、こうした方が彼の価値を最大限に引き出せる、でしょう?」
トフィープディングは笑顔で研究員に歩み寄った。口調は穏やかだが、抗えないオーラを放っている。
研究員たちは、チラチラと私に視線を送りながら、険しい表情で話し込んだ。
最終的に、彼はトフィープディングの決断に賛成した。
「クリームチキン、貴方は私たちと来てくれるかしら?」
私に断る理由はない。
「研究室に残される」とはどういう意味か……研究員たちの冷たい眼差しを見てしまった後じゃ、真相を知りたくもない。
冷たい戦場は誰にも容赦しない。自分がとても弱い事、未知の危険に立ち向かえる程強くない事は認識しているが、それでも仲間たちのために何かしたかった。
寒い時に温かいお茶を差し入れ、暗い時に灯りを点け、彼らの居場所を守る事が出来るなら……
こうして、私は正式に「スペクター」の執事になった。
しかし、思っていた程簡単な仕事ではなかった。
アロマを焚きたいだけなのに、マッチの残り火でベッドシーツの一角を焦がしたり……
キッチンを片付けたいだけなのに、食器たちはいつも砕け散ってしまう……
結果だけを重視する研究室の人間たちみたいに、バカにされたり、責められたりするんじゃないかと思っていた。
しかし、時々邪魔をしに来る坊ちゃま以外は、全てをどうって事ないように流してくれた。
その時初めて「スペクター」は本当に研究所とは違って、家と呼べる場所なのだと実感した。
ただ仲良くする事と馴染む事は、決して一方だけで出来る事ではない。
「なるほど……これが、貴方がいつも冷静でいられる理由ですか?」
「コホンッ、執事としての基本的な心得です」
私の答えを聞いても、ヴィーナーの表情は変わらない。続きを促すように、ただ口角を少しだけ上げた。
「私にとって、ここでの全ては心地の良い絆になりました。執事としてスペクターの力になれる事を、心から光栄に思います」
思い出は尽きない。
この絆は一言説明出来るものではない事を、私は誰よりも知っている。
おとぎ話では、家族は執事なしには成り立たないし、執事も家族から離れられない。
これは永遠の法則のようで、たとえ不協和音が混ざっていても、素晴らしい楽章を奏でられるのだ。
夕陽が沈む。窓の外の木々の影が、花瓶に挿した花のように暖色に染まる。
ヴィーナーは指先でそっと花びらに触れ、安堵の表情を浮かべた。
「そう……執事さんの変化があの事件のせいでない事が分かって安心しました」
「あの事件?何の事ですか……」
彼女は微笑んでいる。整った顔は夕焼けに溶け、より一層優しく見えた。
「もうこんな時間ですか。執事さん、夕食の準備をお忘れなく」
夕食?
聞き覚えのある言葉が耳に飛び込んできて、脳に警鐘を鳴らす。
危ない。忘れるところだった。
感謝の言葉を述べようとしたら、ヴィーナーの姿はもう見えなくなっていた。
テーブルの上の花瓶には、いつの間にかスズランが増えたをごちゃついていた枝も切り揃えられ、優雅にカーブを描いている。
スズランが加わる事で、色合いも少しはましになった。
やるせなさと驚きが心に浮かぶ。
長くここで生活して来た事で、私を含め、全員が何か変わったようだ。
Ⅲ.悪夢の牢獄
意識は無秩序な混沌に陥っているようだ。
どれ位の時間が経ったのだろう。無数の棘が体内から外に突き破ろうとしているような激痛が、私の血肉の間に広がっていく。
重いまぶたを必死に開けようとしたが、体は糸が切れた操り人形のようにぐったりとしている。
ここはどこだ?皆のために夕食を用意していたはずじゃ?どうして……
辺りは血色と喧騒に呑まれていた。灼熱の土埃はまるで巨大な獣のように、全ての命を呑み込んでいる。
城も、花も、何もない。
ここは戦場だ。
冷たい風が肌を切り裂く。誰かの微弱な呼吸音が耳を掠め、無意識に手元にあるものを握りしめた。
「もう少し耐えてください……」
ヴィーナーの声だ。
口に血の味が広がる。軽く咳き込んだだけで、口角から温かい液体が流れ出した。
両足は激痛に襲われて動かせない。しかし、ヴィーナーも同じく傷だらけなのに、頑なに私を支えて前へ進もうとしている。
背後から不気味な金切り声が聞こえる。
ダメだ、ここで倒れてはいけない……
これ以上、彼らの足は引っ張れない……
残り少ない霊力を燃やしながら、押し寄せてくる怪物の怒涛の攻撃を防げるバリアを張ろうとした。
しかし、次の瞬間には体が制御できなくなり、僅かな力も消えてなくなった。
私は倒れ込んだ。
倒れた瞬間、見覚えのある人影がぼんやりと見えた……彼らは私たちを呼んでいるのだろうか……
喉には生温かい液体が詰まっていて、口を開けても声が出ない。ただ目の前の映像が崩れていくのを眺める事しか出来ない……
ふと、昔の会話が耳元で響く。
「戦争が終わっても、一緒に暮らそう」
「本当ですか?では家に庭園を造っても良いですか?」
「もちろん。じゃあ庭園の手入れは任せたわ」
「お任せください!」
申し訳ございません……
誰もいない時にこっそり練習していた生け花は、結局役に立たなかった……
あの冬に交わした約束が焦土と瓦礫に埋もれ、枯れ果てた春しか訪れないとは、思いもしなかった。
砕け散ったかつての場面が嵐のように襲ってきて、突如目が醒めた。
焼け付くような日差しが降り注ぐ中、目に映ったのは至るところで鳥が囀り、花の香りに満ちた広い庭園だった。
戦場に取り残された無力感はもうどこにもない。
「こっ、これは……!」
「あら?ごめんなさい、長い時間日向ぼっこに付き合ってもらったから、具合が悪くなったかしら?」
声がする方を振り返ると、花畑の中にお嬢様がいた。彼女が抱えている白い薔薇によって、彼女の笑顔が一層優しく映る。
「しかし、この庭園は広すぎるわね、何日いても慣れないわ。ここの手入れ大変でしょう」
……庭園?
そうだ、堕神との戦争はとっくに終わっている……
あの事件以来、お嬢様は私たちを連れてこの荘園に引っ越して来た。
悪夢は消え去り、長い休養を経て、私たちの春が訪れた。
そして、私はこの新しい庭園の手入れを任されたのだ。
皆様が無事なら、それが一番だ。
お嬢様に返事をしようと思って、顔を上げる。
しかし、目の前には誰もいない。そよ風も鳥の囀りも、何もかもが消えてしまった。
次の瞬間、足元の床が当然崩れ始めた。
霧が荒れ狂い、視界が飛び回る中、私は未知の力によって前に押し出され、冷たい壁にぶつかった。
?!
懐かしい消毒液の匂いが広がる中、魔導学院のマークが描かれた機械式の扉には、二人の輪郭が投影されている。
「お前らは戦うためだけに生まれてきた。死ぬまで人間のために戦える事を光栄に思え!」
「怪物よ、人間の栄光なる歴史に遺物の居場所はない……」
「さらばだ。スペクター」
幽霊のような囁きに襲われ、いくら耳を塞いでも振り払えない。
「イヤ、イヤだ……!!!」
目の前の光景は再び崩壊し始めた。手を伸ばしても何も掴めず、なすがままに深い深淵の底へ堕ちていく。
戦場の廃墟、昼下がりの庭園、冷たい実験室……
まるで時空の狭間に落ちたかのように、様々な画面が重なり合い、終わりのない悪夢と共に迫ってくる。
「ああああああああー!!!」
鼓動が加速する。血が噴き出しそうになり、遂にパニックで悲鳴を上げた。
バーンッ!
その瞬間、重力を失った感覚によって呼吸が止まる。
続いて飛び交う画面はピタリと止まり、引き裂かれるような痛みも消えた。
少しずつクリアになっていく視界に映ったのは、見慣れた家具、窓枠や調度品だ。ベッドサイドからは、アロマの甘い香りが漂う。
ここは私の部屋だ。
「いや……まだ夢の中なのか……一体……どこにいるんだ……」
頭の中が掻き乱されて、何もかもが混乱している。慌てて現実を垣間見ようと、ドアを押し開けた。
ここは夢なのかそれとも現実なのか、私にはもう判断出来ない。
私には明確な答えが必要だ……
コツコツコツ。
私の足音だけが静かな廊下に響いた。日差しは遮られ、埃だけが薄暗い中浮いている。
どれ位歩いたのかわからないが、誰一人いない……
ねっとりと湿った恐怖によって背筋が凍る。
突然、脳内に「家族の元へ行け」という声が響き、私を催促した。
そよ風が私の耳を掠め、遠い彼方から聞き取れない程に微かな笑い声を運んできた。
まるで見えない糸に導かれているかのように、突如前方に小さな光が見えた。
鼓動がどんどん早くなる。
そこには知りたい答えがあると、私の直感がそう告げているのだ。
Ⅳ.咫尺の間
その光は手を伸ばせば触れられるようで届かない。ただそれに向かって走るしか出来なかった。
目に見えない何かを通り抜けたのか、光が少しずつ広がり、笑い声が更に明瞭に聞こて来るようになった。
近づけば近づく程、懐かしい温もりを感じる事が出来た。
心の中の不安は徐々に消えていった。この感覚は、私が良く知っている絆だ。
光は更に強くなった、そして力も沸いてきた。全力で前に向かって跳んだら、光と闇の境界を越えられたようだ。
……
足裏から土に柔らかさを感じ、目を開ける。
そこには青く澄んでいる空、咲き誇る花々、遠くには紅葉が燃えていた。
我が荘園ならではの景色が広がっている。
誰かが目の間の生垣の向こうにいるようだ。円卓の横には優しいスズランの花が見える。
喉に何かが詰まっているかのように、私はその場で立ち尽くしてしまった。
暖かい風と降り注ぐ日差しは、長い夢の終わりを告げるかのように、熱くしっとりとした感触をもたらしてくれた。
「ぷはっ、何ボーっとしてんだ?まさか本当に寝過ごすとはな。しかもそんな寝ぐせまで付けて」
沈黙を破ったのはレイチェルの明るい笑い声だった。私を上から下まで見た後、豪快に笑い出した。
私は心をどうにか落ち着かせ、柔らかい芝生の上を歩く。
「執事さんがもう少し遅れてきたら、お嬢様特製のお菓子にありつけない所でした」
いつもの日常会話が繰り広げられているのに、私は思わず顔を顰めた。
もし……また夢だったら……
魔が差して一番近くにいたトマホークステーキをつねった。
「いってぇ……!クリームチキン、どういうつもりだ?!」
指先に柔らかくて暖かい感触が伝わった後、すぐに彼の咆哮も耳に届いた。
「現実だ……良かった……」
「寝ぼけてるのか?それとも夢遊病か?」
「えっと……いえ……先程顔に小さな虫が付いていたので」
「は?虫がいたとしても、力加減おかしくないか?」
私は手を引っ込め、胸に押し当てた。そこから感じた鼓動は嘘ではない。
お茶会は私の異変によって、中止する事はなかった。
今ある全てが、ここはもう夢の世界ではない事を私に告げている。
そして、先程までの混沌は長い悪夢に過ぎないという事にも、ようやく気がついた。
皆様の声を聞いていると、張り詰めていた心と体もようやくリラックス出来た。
記憶が正しければ、スペクター家はとっくに戦乱から遠ざかっている。今の私たちは、この新しい土地で平和で安定した生活を送っている。
深呼吸をすると、草花の香りが身体に流れ込んだ、秋の匂いがする。
しかし、ぼんやりと自分を見つめるいくつかの視線を感じた。
その視線の先を探ろうとすると、すぐに逸らされてしまう。
「あの、執事さん。懐中時計に泥がついているようですよ」
向かいのヴィーナーはティーカップを手に、落ち着い声で言ってきた。
「はい?ありがとうございます。見てみます……」
どうして急にそんな事を言ってきたのか!わからないまま言われた通りに時計を手に取った。
すると、時計に反射された自分の姿を目にする事に……
ボサボサの髪、乱れた服装、頬には猫のヒゲが描かれている、実にみっともなく滑稽な姿だった……
「……」
懐中時計を握り潰したい衝動に駆られた。
「あははははっ!!!!」
我慢の限界に達したのか、あちこちから笑い声が爆発した。とくにある坊っちゃまの声が一層大きく聞こえてきた。
「……申し訳ございません。キッチンにまだスイーツがある事を思い出しました。取りに行ってまいります」
憤りで胸がいっぱいだったが、やがてどうしようもないため息に変わった。何しろ、イタズラを真に受けるのは紳士的ではないから。
しかし、次昼寝をする時は、しっかりと鍵を掛ける事を私は心に決めた。
Ⅴ.クリームチキン
バーンッ!
失敗した料理はまた鍋の中で爆発した。クリームチキンはため息をついて、コンロに立ち上る炎を見つめる。
彼が水を運んでくる前に、炎はイタズラ好きな悪魔のように、カウンターにまで飛び移り、燃え広がった。
「まずい!」
ゴオーッ!
緋色の炎は燃え盛る獣となり、城の隅々まで噛みつき、舐め回すように、行く先々を呑み込んだ。
クリームチキンの口と鼻に煙が入り、呼吸困難となった彼はビクリとも動けなくなった。
「ゴホッ!ゴホッ!しまった……火事……!」
城は一瞬にして崩れ、廃墟と化した。暴れ回るクリームチキンは、ガバっと起き上がる。
「はぁ……はぁ……夢……か……」
「いや……この匂い!!!」
慌てて匂いがする方へと向かうと、熱いお茶を沸かしているキッチンから黒煙が出ていた。
「ああ、キッチン丸ごと燃えていなくて良かった……」
クリームチキンはホッと一息ついて、慣れた手つきで袖を捲り惨状を片付けようとしたら、背の高い誰かが入口から入って来た。
「今日もキッチンは免れなかったようですね」
ヴィーナー・シュニッツェルのまるで予想通りのような言葉に、クリームチキンは気まずそうに頭を搔いた。
「コホンッ……驚かせてしまって申し訳ありません。新……新メニューの研究をしていたのです」
「安心してください、この程度の爆発はどうって事ないです。それより、執事さん最近よく居眠りをしているようですね?」
「そうですか?もしかすると、坊ちゃまなまた私の飲み物に変な物を入れたのかもしれません……」
「そう……てっきり『執事の心得』の実践に明け暮れているから、疲れがたまっているのかと」
彼女の言葉に、クリームチキンは固まった。
「どうして……それを?」
「何故なら、その本は半分焼かれてしまったから。残念ながら、あと500箇条しか残っていませんよ」
「……」
彼女は淡々と床に落ちていた本の残骸を指差し、興味深そうに顔が強張っている執事の顔を見つめた。
翌日。
トレイを運ぶクリームチキンは、慣れた様子で廊下と階段を通り、書斎の扉をノックした。
「お嬢様、アフタヌーンティーのお時間です」
「ご苦労、そこに置いておいて」
淑やかな女性は微笑みを見せた後、すぐに目の前の書類の山に没頭したり
しかし、彼女と目が合ったその一瞬で、クリームチキンは彼女顔に浮かぶ疲れを感じ取った。
「お嬢様……昨日はよく眠れませんでしたか?いえその、疲れているように見えます。ハーブティーをお持ちしましょうか?」
「ありがとう、心配しないで。あの子が起こした面倒事を片付けたところよ」
「私の監督不行き届きのせいで、デビルドエッグに盗み出されてしまった。貴方たちのおかげで事態は収束したわ、そうじゃないともっと大変なことになっていた」
トフィープディングは申し訳なさそうな表情を浮かべた、クリームチキンはすぐさま言葉を返す。
「ハロウィンの時に、坊ちゃまが悪夢にコントロールされた事件の事でしょうか……」
「ええ、形のない瘴気だけど、結局堕神だった」
「そうでしたか……恐れながら、あれを見つけた場所と言うのは……もしかして庭園でしょうか?」
「そうだけど、それがどうかしたのかしら?」
「いいえ、何でもありません……あはは……どうやら、鎮静効果のあるハーブティー研究しなければなりませんね……」
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