ムサカ・エピソード
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ムサカのエピソード
神のような外見をしているが、本当の神ではない。世界の苦しみを憐れみ、土地を守るために最善を尽くすが、世界を救うことができず、人間の恨みを買ってしまった。長い年月の中、彼は無関心でいることを学んだが、寒い冬が来ると、例え一人で厳しい寒さに立ち向かっても、無実の命のために暖かい春を作ろうとする。
Ⅰ.精霊
人間というのは、最も救いようのないものだ。
冷たい風が森を吹き抜ける、くるみに包まれた赤子の泣き声はどんどんちいさくなっていった。
こんなにも弱々しい御侍に呼び出された私には、彼を救うことはできない。
人間の体は永遠に生きることはできない、魂も劣化の一途をたどりながら病んでいく。
例えば、どんな犠牲を払ってでも富を求める人、家族を捨てる男、そして目の前の捨てられた赤子も。
だが、彼らは限られた人生の中で、頑なに不可能を可能にしようとする。
突然、指先に刺すような痛みが走った。
生後10ヶ月にも満たない赤子まだ生えかけの歯が私の指に刺さり、そこから流れ出る血を必死で吸っていた。
しかし、この血は大海の一滴に過ぎず、彼をどうすることもできなかった。
もうすぐ、彼もこの冬のように寒くなるだろう。
作り手によって見放されたこの小さな生き物を見て、私はふと気づいた。
私も、彼に見捨てられようとしているということを。
生きて……
君の人生はまだ始まったばかりだ……
生きてくれ……
「ここで……何をしているんだ?」
とても奇妙な人がやってきた、いや、もしかしたら「人」と呼べないのかもしれない。
老けて見えるが、普通の人の老け方とは違う。
彼の肌はまだ滑らかで、髪はまだ黒黒としている。ただ、その目だけは晩秋の花のように、枯れているように見えた。
「宝を……求める者か?」
何故か、その口調は少し残念そうに聞こえた。
「いいえ、私はこの赤子に召喚されたばかりの食霊だ」
「食霊?しかし、貴方の霊力は……」
その目には、一瞬嫌悪感が浮かんだ。しかし、私の腕の中の赤子を見た時、彼は理解したように頷き、微笑みを浮かべた。
「そうか、御侍が弱いから、貴方も抜け殻のようになっているのか……なるほど」
「彼は死にかけている」
私は思わず彼に、「ここには死にそうな人がいる、私の霊力について語っている場合ではない」と年を押してしまう。
「本当に、貴方たち食霊というものは……」
彼はため息をつき、私に近づきしゃがみ込んだ。
その薄い灰色の瞳は、何かを躊躇しているかのように揺らいでいた。
「もし彼を助けたら、一つだけお願いを聞いてくれないか?」
「どんな願いだ?」
「まずは受け入れてくれ」
「……良かろう」
「ついて来なさい」
私は赤子を抱き上げ、冷たい風の音だけが聞こえる静かな森の中で彼の後を追った。しはらくすると風は止み、体もあたたかくなって来た。
やがて、目の前に現れたのは、この寒い冬とは正反対の春爛漫とした光景だった。
「ここは……」
「私たちの家だ」
「君たちの?」
彼は私の腕から赤子を取り上げ、その目から悲しみを滴らせた。
「かつては“私たち”だった、今は……私一人」
彼は木の下に座って目を閉じ、微かに光る霧のようなようなものが彼から流れ出し、赤子を包んだ。
「私は精霊だ。この世で最後の一人かどうかはわからないが……この森で最後の一人だ」
「あの戦争が起きるまで、ここは精霊の生息地だったが……神に逆らったことで、下等な人間でさえ我々を見下すようになった」
その怒りが咳を誘発し、私は少し心配そうに彼と彼の腕の中の赤子を見た。
「人間だけでなく、貴方たち食霊も……まあ、全ては過去のことだ。生きて前に進むなんて言葉は安っぽいが、私も今前に進まないといけないんだ」
柔らかな風が、彼をなだめるように花びらを散らした。彼が目を開けると、霧が晴れた。
「すまない、少し休ませてくれ……」
「お願いを言う前に私の命が尽きてしまうかもしれない……だから、その前に貴方に伝えておく……」
「見ての通り、私はこの生息地を維持するためにほとんどの力を使い果たした……しかし、私が死んだとしても、この場所は消えてはいけない……」
「精霊族は、消えてはいけないんだ……」
淡い灰色の瞳が一瞬金色の光を放った、死を抗うような光だ。だが、すぐにまた暗くなった。
「貴方を見た瞬間、わかったんだ……貴方は精霊を救うと」
「私が?何故?」
「創世の神は、理由もなく貴方に神のような見た目を与えることはない。運命が貴方をここに送ったのは、それなりの理由があるからだ」
彼は弱さを脱ぎ捨て、目を光らせた。その言葉は私の脳裏に刻まれるほどに強いものとなった。
「森には精霊の宝が眠っている……それを守り抜くのだ。無理なら……それを貴方のものにしろ!」
「私の霊力を全てやろう、この命も全て捧げよう。そして貴方は、精霊族が冬を越し春を迎えるために、この場所を守るのだ」
「精霊族の生き残りを見つけろ!見つからなければ、この世で最後の精霊となれ!精霊族の最後の尊厳!栄誉!そして、希望を守るのだ!」
「精霊を食霊や人間、更には神々の上に立たせるのだ!貴方は、貴方は……」
「創世の神を殺し、ティアラの王となるのだ!」
Ⅱ.人間
精霊は赤子を救うことができなかった。
赤子の体はすでに衰弱しきっていたため、送り込まれた霊力は体の負担を増やすだけだったのだ。
「仕方ない……」
そう言って精霊は、赤子の体に送り込んだ霊力を回収し、私の言葉を待たずに再び霧を私の周りに漂わせた。
溺れる者が必死に笑をもすがるような目で、彼は私に霊力を注いだ。
私には断れなかった。
彼は赤子を埋葬するのを手伝ってくれた。土地を撫でながら、人間がこの森で行った悪事を語ってくれた。
彼は、私の御侍がここに捨てられた最初の捨て子ではないし、最後の捨て子でもないと言った。
人間は自分が生き残るためなら、肉親だろうと仲間だろうと見捨てるのだと。
生き残るためなら、いや、より快適に生きるためなら何でもすると。
「食霊は人間の欲望から生まれたものだ、だからあの人間共と何ら変わりはない。かつては人間の道具であったが、今は主に反抗したい動物のような存在になっている」
「やることは結局、人間と同じ」
口ではひどい暴言を吐いていたが、その目はいつも青い空と花々、美しいこの森だけを見ていた。
「だが貴方は違う。貴方は人間に捨てられ、食霊とも言い難い。今の貴方の中には精霊の力しかない……私と同じだ」
その無茶な要求には二度と触れなかったが、その言葉は確かに私の脳裏に刻まれ、無意識に浮上してくるようになった。
「この世界を創った神を殺すのは、同じ悪ではないのか?」
「違う、貴方は今のあいつを全く知らないんだ!」
彼の弱さは、その怒りさえも沈黙させた。
彼はもう限界だったのだ、もうすぐこの世を去るだろう。
「大丈夫だ、すぐにわかる」
精霊の死は、私の認識とは異なり、死体が硬くなったり腐ったりすることはない。萎れた花のように風に吹かれ、最後は跡形もなく大地に溶け込んだ。
死さえもこんなに静かなのか。もし意図的に隠れていたら、確かに見つけられない。
私は、本当に、世界で最後の精霊になるのか?
……
誰も答えてくれない。
ここには植物や動物がいる、自分だけが生きている訳ではないことも知っている。
だがそれを知っていても、この広い森の中で、生き物は自分だけしかいないという不思議な感覚を覚える。
この感覚は、なんなのだろう。
精霊は約束通り御侍を救ってはくれなかったが、今は他にすることがないから、彼の言う通り森を守るためにここに残った。
そして、彼の言う人間の悪を見ることができた。
私の御侍のすぐ後、もう一人の赤子がこの森に捨てられた。
そして、彼を捨てた女は、恐怖に震えながら、自分の罪を他人のせいにしていたのだ。
生活が苦しいから、貧乏だから、この子を育てることができなくなったと。
森の動物たちが自分たいの子どもとして育ててくれるから、この子はここで暮らした方がいいと。
彼女はこの子を愛していたからこそ、森に置き去りにしたと。
馬鹿馬鹿しい。
もし彼女が本当にこの子を愛しているなら、もしこの子が森の中でより良い未来を手に入れることができると本気で思っているのなら、何故恐怖に震える必要があるのだろう?何故罪悪感を覚えているのだろう?
健常者であれば、子どもを無事に産むだけの力があるのなら、どうして育てられないのだろうか?
ただ楽するため、ただ逃げるため。
生きるために必死で私の指を噛み切った赤子のことを思い出した。あの年齢で食霊を召喚できるとは、どれほど強い生きる意志があったのだろう。
しかし、彼は永遠に、永遠に葬られてしまった。
この森はあと何人の罪を埋めなければならないのだろう?
いや、もう十分だ。
その時初めて、自分が雷を呼び出す力を持っていることを知った。
憤怒が雷を落とし、何も傷つけなかったが、女は抱いていた赤子を置き去りにして逃げ出した。
私は彼女を罰する興味はない、ただ泣き叫ぶ赤子を抱き上げ隣の村に連れて行った。
そして彼を養子にしてくれる家族を見つけた矢先、彼を捨てた女は私を邪神に仕立て上げ、村の隅々まで広めていた。
人間たちは恨み、呪い、そして恐怖を抱いた。
彼らは森の方へ跪き、悔い改め、哀れで馬鹿げた生贄を捧げてきた。
しかし、そうする理由も、結局私の許しを請うためではなかったのだ。
彼らはただ、邪神であっても、神として繁栄と豊かさをもたらして欲しいと願っていただけ。
例えそれが罪であっても、彼らは全てを手に入れようとしていた。
まるで、何かを手に入れることで、空っぽの魂が満たされるかのように。
これが、人間というものだ。
Ⅲ.食霊
森には祭壇があり、その下には精霊が言っていた宝が埋まっている。
宝が何であるかは知らない。私が知っているのは、祭壇に近づくと、霊力がゆっくりと流れ出し、祭壇の下に吸い込まれるということだけだ。
私はあそこに近寄りたくないため、今では、人間たちが森の中で辿り着ける一番奥の場所がこの祭壇になっている。
だからか、ここは赤子を捨てる場所と化してしまった。
時々祭壇に行っては捨て子を見つけ、隣村へ送るのが常となっていた。
シュプフヌーデルンに出会ったのも、その時だった。
「何故人間はこんなにも貴方を恐れるのですか?」
彼はとても背が高い、それに祭壇の上に立っていたので、彼は私を見下ろしていた。
しかし、その気怠い雰囲気故か、不快感を抱くことはなかった。
彼には私と同じようで、しかし明らかに違う気配を漂わせている。彼は、私が初めて出会った食霊だった。
「私を恐れているというより、犯罪がバレることへの恐怖だろう」
人間による赤子の遺棄は、彼らの言葉を借りれば、邪神への生贄として正当化されている。
本当に私を恐れているのなら、あんなに無茶な噂を流さないはずだ。
「しかし、彼らは貴方のために子どもを犠牲にしている、貴方に傷つけられないために……貴方はきっと、多くの恐怖心を食べてきたのでしょう」
恐怖心?
事情を説明し、「恐怖心を食べる」とはどういうことかと尋ねようとした時、突然、ある声がした。
「話が長い!もしここにいさせてくれないなら、殺せばいいだろう!」
それは、私のものでも、目の前の食霊とものでもない、若くたくましい男の声だった。
「彼はスレンダー、元は人間だったけど、ある事情で今は僕の左手になっています」
シュプフヌーデルンが説明すると、スレンダーと呼ばれた男は更に不満げに声を荒げた。静かな森は一瞬にして騒がしくなった。
「この森に害を与えないなら、ここにいても構わない」
「なら、赤ちゃんを食べる時、事前に教えてくれませんか?」
「……赤子は食べない」
「そうですか。とにかく、誰か来たら教えて欲しい、恐怖心を食べないと生きていけないんです」
「食霊は……皆そうなのか?」
「人間も食べないと生きていけないように、食霊も生命維持のために何かが必要です」
「しかし、ほとんどの食霊は、希望、幸福、喜びといった感情があればいい……だけど僕は、御侍が極端な恐怖心を抱いている時に召喚されたためか、恐怖心を必要なんです」
私はどうなのだろう。
何も必要ないようだ。
おそらく、私の御侍が、複雑な感情を持つ前に命を落としたからだろう……
とにかく、シュプフヌーデルンはそうやって森に住まう事となった。彼は静かだ、スレンダーの叫び声がなければ、時々その存在を忘れてしまう程だ。彼も同様に、私のことを気にもしていなかった。
彼は恐怖心を求めて毎日祭壇に足を運んでいるため、赤子が捨てられていないか、時々確認する必要もなかった。
その日までは……
「邪神様!今日も僕を食べてくれないの?」
私の服を引っ張りながら、少年の食霊が尋ねてくる。
私の顔を見るために、彼は頑張ってかかとを上げ、上を向いた。
その目には明るくあたたかい太陽が差し込み、その笑顔を照らした、私は一瞬言葉を失った。
人間は私に生贄を捧げれば再び森に入れるようになると思い込んだのか、スブラキという名の少年は彼らの欲望の犠牲者となった。
「邪神様、お願いだから、僕を食べて」
「……食霊は食べない。だがこれ以上しつこくしたら、殺すかもしれない。怖くはないのか?」
彼は一瞬固まったが、意外にももっと嬉しそうに笑った。
「邪神様が僕を殺したいと思っているなら、邪神様に殺される事こそが僕の存在意義だ、怖くなんかないよ」
……
人間はスブラキに、彼の存在意義は私に食べられることだと言った。そのために、彼は自らこの森に入り、私に食べられるよう懇願している。
しかし、ある食霊の存在意義が他の食霊に食べられることなど、そんな事はありえない。
だが、私も彼を憐れむ資格はない。
結局、食霊である私は自分の御侍を守ることすらできなかった。空っぽな私は、自分が生まれてきた意味さえもわからない。
「邪神様が生まれてきた意味?」
私は気づかずに、思った事をそのまま口にしてしまったようだ。
スブラキは戸惑いながらも真剣な眼差しで瞬き、私と言葉を繰り返した。
「邪神様も存在意義に悩んでいるの?」
「村人がお供え物を持ってくるのを森で待って、美味しいご飯を食べられればいいんだと思ってた」
「……」
「あの、邪神様?貴方は……」
「君を食べないし、殺さない。だから諦めて、ここから出て行ってくれ」
そう言って立ち去ろうとしたら、彼はまた慌てて私の服を引っ張った。
「ごっ、ごめんなさい」
「何故……謝るんだ?」
「だって、邪神様が傷ついたように見えたから……変な事言っちゃってごめんなさい……」
彼は自分のつま先を見つめ、口ごもった声をだしていた、まるで過ちを犯した子どものようだった。
「邪神様が存在意義に悩むのは当然だし、ご飯さえあればいい訳がないよね……わかったような事を言っちゃった」
「邪神様が生まれてきた意味……えっと……生まれてきた意味は……」
少年は目を瞑って頭を掻いた、眉間に皺を寄せ悩んでいる様子を見せた。
これほどまでに私の感情を大切にし、私のことを悶々と考えてくれた者は、生まれて初めてのような気がする。
「……いいんだ」
私は髪をぐちゃぐちゃに引っ張っていた手をその頭から外した。
精霊の言ったことが全て正しいとは限らない、食霊は人間とは違うのかもしれない。
少なくとも、今目の前に立っているこの彼は、違う。
Ⅳ.神
深夜目が覚めると、首筋に冷たいものを感じた。
おそらく剣だろう、誰かが私を殺そうとしているのか?
私は目を開けなかった。
そして、私に跨っていた者は、ほどなくして剣を下ろして、ドアを押して小屋の外に出て行った。
足音が止んだ後、暗闇の中で家の隅を見ると、月明かりが微かに細長い人影を描いていた。シュプフヌーデルンはまだ寝ているから……
スブラキ?
私を殺そうとしたのか?毎日無邪気な顔で私の後をついてした少年が、私を殺したいと思っているのか?
何故?
何故……最終的に諦めてしまったのか?
その夜は眠れなかった。
そして夜が明けると、またいつものスブラキが私の前に現れ、私の服を引っ張りながら「食べて」もせがんで来た。
まるで、あの事が夢だったかのように。
私は彼にどうしてそんな事をしたのか聞かなかったし、聞きたくもなかった。
彼とスレンダーが言い争っている間、私はそっと小屋を後にした。
精霊が最初にくれた霊力はまるで種のようで、森を守るために惜しげなく使っても、失われた霊力は使い切ることなく、必ず体の中に戻ってくる。
だからその後、森の中には春になったままの場所がある、動物も植物も平和に成長できる、私の一番好きな場所だ。
しかし、最近考えてしまうのだ……ここの動物や植物は、このように私に守られる必要があるのかと。
この森を守って、精霊の生き残りが戻ってくるのを待つ必要が、本当にあるのか?
スブラキが昨晩剣を下ろさなかったら、多分もうこんな事を考える必要はないだろう。
……
スブラキは私に食べられたいのではなく、抗えない運命に一時的に従っていただけなのかもしれない。
そして、私に食べられないとわかると、人間にとっての諸悪の根源である私という邪神を殺そうと……
実際、私は邪神と呼ばれることを気にしたことはない。シュプフヌーデルンでさえ、長い間私が本当に生贄を食べていると思い込んていたのだ。
信頼されていないという感覚に慣れると、その痛みに鈍感になり、そして何も感じなくなる。
だが時折、信頼されるとはどういう感覚なのか、気になって仕方がなくなる。
人間は信じたい事しか信じない、食霊も同じだと、あの精霊が言っていた。
彼らに利益をもたらすことができない時、全ての言い訳は無駄になる。
しかし、それでも私はスブラキに、「私は人間が言うような邪神ではない」と説明した。
人間とも、食霊とも違う、もしかしたら彼なら信じてくれるかもしれない……
「だったら……僕と一緒にここから出よう!」
「勇者を知っているかい?それが僕の夢なんだ……勇者になって、悪をくじき、弱きを助け、正義のために生きるんだ!」
「そうだ!旅先で困っている人々を助けて、お金を稼ごう。ナイフラストだけじゃない、グルイラオや光耀大陸、たくさんの場所に行こう!」
「夏は海を航海して、冬は雪原でかまくらを作って、春は草原で馬に乗って、秋は山で果物を摘もう……飽きたらまた次の場所に行って色んな景色を見て、疲れたらそのまま倒れて寝ればいい。楽しそうでしょう!」
彼は私を「邪神」と呼ばなくなった。私を見ているその目は、まるで星の光で満たされているかのように、明るく輝いていた。
まるで……私の未来にも、そんな光があるかのように……
「良さそうだ……考えておく」
「それなら早く考えて、僕の根気には限りがあるから!」
青空の下わ朝日を浴びるヒマワリのように、空を流れる雲のように、彼は微笑んだ。
どんな素晴らしい未来が待っているのかと、信じずにはいられなかった。
彼を信じたかった。
人間とも、食霊とも違う存在だと、信じたかった。
しかし、限りがあるのは彼の根気ではなく、私の夢だった。
夢はやがて醒めるものだったのだ。
「勇者様!これこそが確実な証拠です!あの邪神が赤ん坊を食べたのです、許せません……彼を殺してください!」
「勇者様が味方になれば、もう怖くありません!お前はもう逃げられない……勇者様、あいつを殺せ、殺してくれ!」
そうだったのか。
スブラキは哀れな生贄ではなく、私を油断させるため、生贄に扮した勇者だったのだ。
彼は初めから、私を殺すつもりで近づいてきたのだ。
ただ……
全て彼が自分の口から言ってくれたら、どれほど良かっただろう。
スブラキは祭壇の下の人間に呼び止められ、その表情は揺らぐ炎と共に歪み、引き裂かれ、まるで私の知らない存在のように見えた。
何度目なのかわからない、「信じてくれないのか?」と彼に尋ねた。
彼は「信じる」と言いながら、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
私はようやく理解した。
人間を守るためでも、森を守るためでも、祭壇に縛り付けられた悔い改める気のない人間共に焼き払われるために生まれてきた訳でもない。
私は「邪神」であり善と正義を映す鏡であり、少年が勇者になるための足がかりでしかないのだ。
あらゆる罪を許し、人間や食霊の敵となり、最後に勇者に殺される。
なんて簡単な話だ。そして、勇者が彼であるならば……この世界の未来は、太陽の光と温もりに満ち溢れているだろう。
「だから……もう私を信じなくていい。君は、勇者であり続けろ」
だから、私は神となって崖から飛び降りた。ついに欲と欺瞞に満ちたこの地上から、望んだと通り離れることができたのだ。
Ⅴ.ムサカ
人間は諸悪の根源である。
人間の欲望から生まれた食霊も、同じ諸悪の根源だ。
自然から生まれた精霊だけが、創世の神との争いがなければ、世界の支配者であっただろう。
人間と食霊によって濁された世界を浄化できるのは、精霊だけだ。
精霊に力を与えられ、人間に憎まれ、食霊に裏切られたムサカは、やがてこの結論に至った。
そして、過去の記憶や感情を手放し、自分の名前と生死を捨てることを決意した。
彼は精霊の宝を手に入れ、世界を濁らせた神を懲らしめることにしたのだ。
むしろ殺してもいいと思っている。
かつて仲間だと思っていた勇者から逃げるため、彼は崖から飛び降りた。
そして崖の下で、シュメール探検隊のカメラマンであるパルマハムと出会った。
彼はパルマハムからシュメール探検隊の目的を聞いた。
絶滅したと言われている精霊族の発見も含む、ティアラの未知の謎を全て解明することだった。
目的が一致したため、彼はパルマハムに誘われ探検隊に入り、森を抜けて祭壇までパルマハムを案内した。
だが意外な事に、パルマハムは美しい風景を撮影するため、ムサカが封印し忘れようと決心した記憶の「温室」に入ってしまった。
「ム、ムサカ……?!」
まるで伝説の宝物を見つけたかのように、少年の目から徐々に燃えるような喜びが湧き上がった。
だが、ムサカはその視線を避けた。
「人違いだ」
「そんなのありえない、どう見てもムサカ……」
「証拠はあるのか?」
スブラキは、冷水をかけられたかのようにその場で固まってしまった。
ムサカはただ、少し子どもじみた悪意を持ってそう言っただけだ。スブラキに「自分は邪神ではない、信じてくれるか?」と数え切れないほど尋ねたが、「証拠がない」と誤魔化されてきたから。
しかし、今、彼は報復が成功した快感を得られなかった。
彼は「温室」から目を逸らし、精霊としての自分の使命の地へと向かった。
「パルマ、また誰かを騙して探検隊に入れたのですか?」
祭壇のそばにいた少女は3人を見て、慣れた様子で尋ねた。
「騙すとか言うな、彼らは俺の魅力に感動したから入ったんだ」
「ごめんなさい、そのありえない話は僕がいない時に言って……」
スブラキはパルマハムの嘘を無遠慮に暴き、傍らにいた無表情なムサカをチラリと見て、心の中でため息をついた。
「もういい、どうせバクラヴァは人を追い出さないから……でも、探検隊に入るからにはルールに従っていただきます。その一、古物を破壊してはならない、例え危険な目に遭遇しても、古物の安全を優先させること」
祭壇の上に立つ少女は、真剣な顔で2人にそう言うと、先ほどとは打って変わって朗らかな笑みを浮かべた。
「シュメール探検隊へようこそ!私はチームの古物修復師、キャラメル・マキアートです。これからは未知の世界を一緒に探検しましょう!」
キャラメル・マキアートは目を輝かせ、自分がやっている事が大好きなのだと、言葉の節々から感じ取れた。
ムサカは何故か少し不機嫌そうに、少女を通り越して祭壇の中央を見た、平らだった地面には穴が開いており、中は真っ暗だった。
「これはどういう事だ?」
「ああ、バクラヴァが精霊遺跡が祭壇の下にあるって言って、パルマが戻るまで待ちきれなかったから、先に自分で降りたんです……ちょっと!新人!下に行くならまず手袋をしてください!」
キャラメル・マキアートの叫び声を無視して、ムサカは穴に飛び込み、スブラキとパルマハムも後に続いた。
「ムサカ……あの、きっ、気をつけてね」
「……」
ムサカはスブラキの心配に応えることなく、まるで何年も前からここに住んでいたかのように、暗闇の中を歩いていた。
やがて、一行の目の前に光が広がる。
そこは、ティアラの歴史を少し知っている人なら、かつて精霊が住んでいた事がわかる地下宮殿だった。
「見つけたー!」
静寂の中、どこからともなく叫び声が聞こえてきた。聞き覚えのない声だったが、ムサカは迷うことなくその声のする方へと走った。
同時に、彼の頭の中でもう一つ、奇妙で聞き覚えのある声が鳴り響いた。
「私を蘇らせ、私に成り代わり、そして……」
「精霊族を復興させるのだ……絶滅した種族を人間と食霊に置き換え……創世の神を二度と目覚めさせるな……」
「この世界は……ティアラは、元々精霊族のもの……」
「この世界は貴方のものだ……」
「ムサカ」
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