ブラッドソーセージ・エピソード
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ブラッドソーセージのエピソード
大切な人が正義であり、それに逆らう人こそ間違っているーー愛する人が至上という思考回路。大事な人のためなら何でもするし、明らかに犯罪レベルのことでも躊躇なくやってしまう危険人物。愛する人次第で善人にも悪人にもなり得る。
Ⅰ研究
靴底が冷えた地面とぶつかる音が鮮明に響き、錆の匂いが空気中をただよう。静かな廊下はどこか肌寒さを感じさせていた。
わたしはプレートをもって廊下の奥にある特殊病室へ向かった。
軽くノックしドアを開けると、薄暗い病室の奥には白いベッドがある。
げっそりとした女性がベットに拘束されている。わたしが近づいていくと、何かを感じ取ったのかベッドの端まで下がり、体を縮まらせる。
「来ないで!来ないで――!!来ないでよお――――!!」
反抗すらできないと言う事実が、彼女をますます狂わせる。
わたしはそんな彼女を気に留めず、叫び声を聞いて起き上がった御侍さまに視線を向けた。
「御侍さま、もう少し休まれたほうがいいのでは?昨日も二時間ほどしか寝ていませんし」
「大丈夫だよ。ブラッドソーセージ。必要なものは持ってきたかい?」
「はい」
わたしは手に持ったプレートを棚の上に置くと、御侍さまはプレート上の容器を持ち上げて中の薬物を確認する。
わたしは御侍さまの青黒い瞳を見て無意識に心配な気持ちになる。御侍さまは自身の研究のためにもう数ヶ月もまともに睡眠が取れていない。
御侍さまは優しく女性の拘束を解き、ベッドの端で怯えて体を震わせていた女性を抱き寄せた。注射針内の空気がゆっくりと抜かれ、赤色の液体が針を通して女性へと流れる。
女は御侍さまがこの『薬』のためにどれだけの苦労をしてきたかも知らず、ただただ大声で騒いでいる。
なんと愚かな女。
そして御侍さまが自分の研究に没頭する姿は、なんて魅力的なんでしょう……。
Ⅱ 学院
かつての御侍さまは、とてもつまらない人だった。彼は全ての人間の命を救いたいと言っていた。
そして確かにその努力をしていた。御侍さまの成績は、教廷所属の医学院学生の中でも特に優れていた。
しかし、彼の助手として付き添うわたしにとっては、医学院の味気ない課題からは少しの面白みも感じられなかった。
教授に至っては、あの頃の彼よりもつまらない人だった。
いつも変わらぬ服装、毎日同じ内容の授業、固まったように変わらない表情。
明らかに、普通の人間とは違っていた。
御侍さまに付き添って初めて授業を受けた日に気付いた。あの、必死に良い人を装っている男は明らかに他の人間とは違う。彼はわたしと同じ食霊だ。
人間の力を遥かに凌ぐ力を持つ食霊が、人間に交じってこんな平凡な生活に満足しているだなんて。
けれどわたしが彼に気付いたように、彼もわたしの存在に気付いていた。
* * *
定期的に開かれる解剖の授業だけは、わたしの退屈を紛らわせてくれた。手術用のメスで動物の皮膚を切り裂く。そこからは美しい鮮血が流れ出る。その一瞬、動物の目には絶望の色が映る。
部屋でメスを握る人間たちは、同時にか弱い動物の生死も握っているのだ。その事実はわたしをゾクゾクさせた。
鋭利なメスが動物の腹を切り開く時、動物が見苦しい表情をする時、その動物の本来の自我がさらけ出され、やがて、あたりに酸っぱい血の匂いが漂い始める。私はそれを深く吸い込むと、自分でも気付かないうちに恍惚の表情を浮かべていた。
わたしが御侍さまの使用した『残骸』を、上気した顔で処理している間、そう遠くない場所からこちらを見ている男に気付いた。
彼は見張るような眼差しでこちらを見ており、どうしてか、その眼差しからの警告を読み取ることができた。わたしを危険な人物だとでも思っているのだろうか。
ふん、人類に侵されたような奴は、どんな薬でも救いようがないわ。
Ⅲ 覚醒
この学院でのつまらない生活に窒息しそうだったが、ようやく卒業式典の日がやってきた。皆偽善的な笑みを浮かべ、心にもない言葉を交わし合っている。
人間の時間は、食霊のそれよりもずっと短い。歳月を経て学生たちは青年へと成長したが、白い服を着て、相変わらず表情ひとつ変えずに立っているあの男の風貌には少しの変化も見られなかった。
御侍さまは、最も優秀な成績のもと卒業し、学院の支援を受けて、緑の生い茂る草原に小さな病院を建てた。
患者一人一人を丁寧に診察し、それぞれの病状を真剣に研究し、回復するまで徹底的に向き合った。貧しい患者には、費用を請求することすらしなかった。
ここへ来た患者たちは、誰もが感謝の気持ちでいっぱいになった。
彼は全ての病状を解明し、全ての人々を救うことを目標に掲げた。
それは簡単な目標ではなく、あるいは失敗の約束された目標だったのかもしれない。
その日、血液中に治療不能の恐ろしいウィルスをもった女性がやってきた日、御侍さまの顔からつまらない優しい笑顔が消えた。彼が理想とする世界は、簡単に打ち砕かれた。
それは他に類を見ないウィルスだった。感染者は、まるで伝説上の血族であるかのように他者の血を欲するようだった。
御侍さまは眠ることすら忘れ、あらゆる書物を読み尽くし、考えうるすべての方法を実行に移し、そしてすべて徒労に終わった。ウィルスの進行を抑えることすら叶わず、女性は三日三晩の激しい呻きののちに息絶えた。
誰もが御侍さまに同情し、御侍さまは悪くないと慰めた。一方で、わたしは御侍さまの目の色が変わっていくのに気付いていた。
面白い目になった。
御侍さまは、大陸各地を回っては同様のウィルスをもつ患者を探し出し、治療法を研究するようになった。研究に憑りつかれ、様子のおかしくなった彼を、病院を訪れる誰もが心配し、噂した。
この珍しい病の実例報告は極めて少ない上、御侍さまが治療法を研究している間に患者はこの世を去ってしまう。やがて、ウィルスを持った患者を見つけることすらできなくなった。もう研究を続けることはできないだろう。これで、以前のような穏やかで優しい彼に戻ってくれるだろうと、皆口をそろえて言った。
その晩、御侍さまは、自身が最初の患者から抽出した血液を取り出すと、注射器に装填した。
『このウィルスは、血液を介した他者への伝染が可能』
これが、御侍さまが廃棄箱に捨てられたネズミから得た結論だった。
わたしは興奮を覚えた。御侍さまの静かな狂気と、その眼差しに宿る深い暗闇に、強く興奮した。
わたしにすべてを曝け出す御侍さまを見て、わたしはこれまでになかった崇拝の念を感じた。
これでこそわたしの御侍。これでこそわたしが奉仕すべき人……!
わたしは彼の意向で、病院内で身寄りのない流浪の人たちを見つけ、彼らを本来物置となっている地下室へと連れて行く。
中には、わたしたちのために、地下室を改装してくれた者もいた。わたしは彼が笑いながらこんなことを言っていたのを覚えている。
「あなたたちは、私たちを救うために来た神の使いですからね。あなたたちがいなければ、多くの人々はとっくに死んでいた!病室が足りなくなったんですよね?私に任せてください!」
「ありがとう。あなたの行為は、決して無駄にはしませんからね……」
命を救うには代償が必要。
わたしたちは、あなたを決して無駄にはしない。
Ⅳ 終結
終結は、わたしが想像するよりもずっと突然にやってきた。
御侍さまは研究を始めてから外出することはなくなった。地下室に連れてきた者たちも、続々と病に倒れていった。
実験材料の不足は研究の停滞をもたらす。病院内の流浪の人々も減っている今、研究の進展のためわたしが新しい実験材料を持ってこなくては。
安易な方法ではあったけれど、男を誘惑することに大した労力は必要なかった。わたしは、罠にかかった男たちを次々と地下室に閉じ込めた。
栄えていたはずの病院は、主を失い衰退していった。
いつからか、皆が信頼を寄せていた病院は、皆の怪談の中心となっていた。
だけど、この衰退は御侍に良き研究の場を与えてくれた。
なぜなら患者がどんな悲痛な叫びをあげたとしても誰も気にしない。そしてわたしが残骸を処理する際にわざわざ人目を避ける必要がないからだ。
ある日、差出人の名のない便りが届いた。
『御侍と病院を離れるように』とあったが、その時は特に気には留めなかった。
どうせその辺の人間の仕業だろう。わたしが抑えつけてやればいい。それに彼らの到来は新しい実験材料の到来でもある。
しかしこの手紙は、彼らの最終警告だったのだ。
教廷の軍勢が『邪悪を駆逐する』ことを掲げ、攻め入ってきた時、わたしが改造した病院内の防ぎようのない隠し扉の前に奴らは次々と倒れていった。網にかかった獲物がいれば、奇襲を加えれば簡単に彼らを帰らぬものにできた。
だがそんな状況も二人の食霊の前に打ち破られる。
そのうちの一人は、なんとあの医学院で人間として教壇に立っていた男だった。
その隣にいた神父の出で立ちをした食霊が、病院へと逃げ込んだ御侍を追う。
離れる直前、わたしは神父の出で立ちの人物が彼をヴァイスヴルストと呼ぶのが聞こえた。
わたしが追っていった者を追いかけようとしたが、ヴァイスヴルストがわたしの前に立ち、道を塞いだ。
「終わりです。プレッツェルは情けなどかけません。あきらめなさい」
わたしは顔を上げ、不満げに彼を見ながら、どうやってこの場をいち早く切り抜けて、御侍を助けに行くかを考えた。
「あなたは行かせませんよ。食霊として生まれたからには、御侍を手助けして良き道に導くものです。ですがあなたは御侍を間違った道へ誘い込み罪を犯させた!わたしの失態です。あの時あなたを見逃すべきではなかった!」
彼は怒りに打ち震えながら、わたしに全身全霊の攻撃を放った。わたしは、御侍さまとの契約がプツンと中断されたような感覚と恐怖を遠のく意識の中で感じていた。
Ⅴ ブラッドソーセージ
ブラッドソーセージが目を覚ますとそこには美しく期待に満ちた二つの瞳が彼女を見ていた。その瞳の持ち主と目が会うなり、彼女は振り向き部屋を飛び出して行った。
歓喜の声とともに、一人の赤髪の男が少女に連れられブラッドソーセージの傍に来る。その少女は何かを期待するかのように上目使いで頭を揺らす。
パスタは仕方なさそうに手を挙げ、スターゲイジーパイの頭を撫でた。スターゲイジーパイは満足したのかそのままスキップで部屋を離れていった。
パスタはブラッドソーセージが横たわったまま警戒の眼差しを向けてくるのを見て、少し可笑しそうに近くの椅子を持ってきて腰掛けた。
彼は椅子の腰掛けの部分に身を預け、少し遊びを入れるかのようにブラッドソーセージの髪を手にとって尋ねる。
「なぜ言う通りにしなかった。 あの場所から離れろと教えたはずだが?」
「あの便りはあなたが……?」
「もちろん。お前も私が助けた。ただ到着が遅れ、助けられたのはお前一人だが」
「目的は何?」
「なぜそんなことを聞く」
「良心だなんて、言わないでくださいね」
「いずれ分かるさ。今は体を休めると良い」
その後、ブラッドソーセージはスターゲイジーパイの口から、パスタが成そうとしている計画や、そのためには食霊の力がいることを聞いた。
ブラッドソーセージは、あの男が自分を利用しようとしている考えを気にはしなかった。
なぜなら彼女にとっても、パスタのもとで得られるものがあったから。
例えば、目の前の天真燭漫な可愛い少女。天真燭漫な部分を持ち、同時に自身の残忍さを飾ろうとしない。まさに彼女が追い求めていた自我だった。
でも、まだ足りない……。
もう少し磨けば、この美しい赤い宝石はあの御侍よりも素晴らしい輝きを見せる。そう。御侍を磨いてきたのと同じように。
ブラッドソーセージは手元の紅茶をスターゲイジーパイの前に置く。その時、自分が焼いたクッキーを持ってきていなかったことに気付いた。
彼女が再度花園に戻って来る頃に、ちょうど帰ってきたパスタが花園の入り口にいるのが見えた。
花園の入り口で立っているパスタは花園に入ってスターゲイジーパイとお茶をするつもりはないようだ。彼はブラッドソーセージの持つプレートから彼女が焼いたクッキーを手に取り口に入れる。
「悪くないな」
「何か言いたいことでも?」
「スターゲイジーパイをどう誘導するかは知らないが、私の計画だけは邪魔するなよ」
「なんのことです?」
「私が言いたい事はわかっているだろう。お前には前科があるわけだしな。そうだろう?」
ブラッドソーセージはパスタがプレートに置いた、どこか見慣れた注射針を見て、肩まである長髪を後ろに流し、軽く笑った。
「安心して、失望はさせないですよ」
「なら期待していよう」
教廷本部、ヴァイスヴルストがちょうど図書室で必要な書籍を探している。彼がそこから出ようとした時、キャンディケインとフィッシュ・アンド・チップスが図書室の机で何かを研究している。
「二人とも何を見ているんです?」
フィッシュ・アンド・チップスが振り向き、ヴァイスヴルストに疑いの眼差しを向け、手元の資料を彼に突き出す。
「ヴァイスヴルスト、これはあなたが処理した事案ですね!渇血症の研究をしていた博士!でもどうして、この症状の治療法がないんです?」
「……渇血症、初めから最後まで、ある食霊が、御侍を暗闇の悪夢に堕とし入れるために……この食霊はもうすでに粛清されたよ……あなたたちはこの事を聞いてどうするつもりです?」
二人はヴァイスヴルストを見て、沈んだ表情で少し話しづらそうに言った。
「……ナイフラストの辺境の村で、数名の村人が病を患ったのです。症状はかつてのあの病と同じ……渇血症だと」
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