ハモン・イベリコ・エピソード
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目次 (ハモン・イベリコ・エピソード)
ハモン・イベリコのエピソード
誰にでも平等に接する、気さくで優しい、サヴォイで最も人気な食霊魔導師である。優しい炎の持ち主で、彼が怒っているところを見たことがある人はほとんどいない。しかし、実際はとてもせっかちで怒りっぽい性格。故にハモン・イベリコは世間体を保つために、怒りをこらえて、いつも心の中で暴走しているらしい。
Ⅰ.写真
月夜は静寂に包まれ、部屋の中でひとつのランプが静かに燃えている。
魔法学院の新入生募集の書類整理を終え、ようやくほっと一息ついた。
酸痛(※筋肉がかたくなって痛むこと)が遅まきながら四肢に広がり、冷め切ったお茶を飲み干して、頭に湧き上がる眠気を払おうとする。
まだ休むわけにはいかない……
シャドー・グリモワールの災厄からしばらくたって、サヴォイの再建は着実に進んでいるが、まだまだやらなければならないことが山積みだ。
目の前に積み上げられた巻物の山を見上げ、私は額を揉みながら、もう一度気を引き締めた。
今はぼんやりと考え事をしている場合ではない。
しかし、巻物を開こうとした時、馴染み深い足音が静寂を破った。
「このまま書斎に根をおろすつもりか?夜更かしなら、フクロウだってお前にはかなわないぞ」
鋭い風のような声が耳に飛びこんできて、見るまでもなくそれはブレスだとわかった。
「……どうして来たのですか……明日の朝、大臣たちと魔法審査協会の設立について相談する予定でしょう……」
「それでも、お前が毎日ここにいるのを放っておくわけにはいかない。俺が大魔導師を搾取していると世間に噂されたら困る。王族の連中も今はおとなしい。お前が毎日そんなに心配する必要はない」
ブレスの口調は相変わらず無遠慮だが、彼の目の奥には私と同じ陰りが見える。
いつも権力を軽んじているとはいえ、彼の指導がなければ、壊滅的な打撃を受けたサヴォイはこれほど順調に軌道に戻ることはできなかっただろう……
そう思うと、私はまたため息をついてしまったが、結局、魔法で彼に熱いお茶を手渡すしかなかった。
「このところ、あちこちを奔走して大変だったでしょう……」
「別にいい。この前も言ったが、適切な後継者が見つかるまでは、あいつらを放任するつもりはない」
「ああ……後継者の選定は慎重に考える必要があるでしょうけど……こんな遅い時間に来るなんて、ただお茶を飲みに来たわけじゃなさそうですね」
図星だったようで、ブレスは軽く咳払いをして、目を逸らした。
「お前に隠し事はできないな……実は、アレイスターの城のことを聞きたかったんだ。中には……」
ブレスの言葉が途切れた。彼が事実を述べていることはわかっているのに、私の動作は一瞬止まってしまった。
まるで石が池に沈むように、空気が急に息苦しくなった。
それぞれが見えない壁に胸を塞がれているようで、しばらく言葉が出なかった。
最後に、冷たいため息が宙に漂った。
「……もういいでしょう。貴方の好きになさってください。燃やした方が清々しいかもしれませんね」
「わかった……城のことは任せてもらう……」
ブレスの姿が影に消え、部屋が完全に闇夜に包まれた時、私はようやくわれに返った。
言いようのない思いにとらわれ、なぜか私は戸棚の奥に隠された小箱を取り出した。
一枚のきれいな写真が目に飛びこんできた。思わず指先が3人のはしゃぐ笑顔に触れてしまい、冷たい感触が伝わってくる。
切なさが思わず心に広がっていく。
もしも……
あの予期せぬ災害が起こらなければ、すべては昔のまま、今でも穏やかな日々が続いているのかもしれない……
Ⅱ.魔法
この見知らぬ国に初めて来た時、私も少し不安を感じた。
召喚された日、目に映った中年の男の目は深く、目の周りは真っ黒で、唇まで……
いや、あれは油彩だったらしい……ゴシック風というべきか。
周囲の本棚のはしごは迷路のように螺旋を描き、薄暗いろうそくの明かりが壁にある奇妙な飾りを映し、そのスタイルはまさに彼と一致している。
彼の顔色は古木のように陰鬱だったが、私は悪意を感じなかった。
この奇妙な沈黙を打ち破る方法を慎重に考えている時、彼は何もいわずに様々な分厚い本を私に投げつけてくる。
「食霊、これらの魔法書を研究してほしい」
そして私は混乱の中、彼の名前すら知らないまま、サヴォイの魔法を研究し始めた。
研究といっても、ほとんどどのページには彼の作った細かい注釈がついていて、とても効率的に読める。
そして、本に書かれた個性的なサインによって、彼の名前がパラケルススであることをようやく把握できた。
それらの秘密の呪文は、一見難解で複雑に見えるものの、パターンを徐々に掴んでくると、食霊自身の魔力がそれと微妙につながっていることが理解できる。
そんなこんなでしばらくすると、パラケルススは私をひとつの教室に連れて行った。
ここ数日における魔法の研究の成果を共有してほしいというのだ。
見渡す限り、教室には魔法のローブをまとった若い研修生たちばかりだった。しかし、あっという間に会場はささやき声に包まれた。
「こいつはパラケルスス様の食霊か?バカブレスと比べてはどうだろう……」
「パラケルスス様は食霊を通じて魔法の研究をするつもりだから、彼を重視しているみたいだ」
「チェッ、高貴な魔法を食霊も習えるものか、冗談じゃない」
「……」
探求や疑念の視線に向かれ、私は深呼吸して微笑みと礼節を保ち続けるしかなかった。
その日まで、私は魔法の勉強に専念するだけでなく、この国の歴史も一通り読み込んでいる。
堕神の時代から魔法の力で存続してきたサヴォイは、1000年以上の歴史がある。
魔法の力がサヴォイの繁栄と存続を築いているため、魔導師の地位は高く、古くから王室と同じぐらいの権力を握り続けていた。
その中でもアレイスター、フェラメル、パラケルススの三大魔導師が最も名高い。
堕神とほぼ同等視される食霊の扱いといえば、いうまでもない。
だから、その時研修生たちの態度は意外ではなかった。
ワンドを地に叩く音が私の思考を一瞬で引き戻した。アレイスターのオーラに圧倒され、騒ぎはやむを得ず静まる。
私は魔法の理論を分析しながら呪文の応用を実演しているうちに、だんだんと視線が集まってきた。
彼らが見下ろした食霊がこれほど魔法を使いこなしていることに驚いたのか、発表が終わると、会場は驚きに包まれる。
突然、ひとりの男がゆっくりと立ち上がり、軽蔑に満ちた表情を浮かべる。
「ちっ、咒語(※呪文)を使えるくらいで調子に乗るな。本当に腕があるなら、勝負してみろよ」
「ロートだ!ハハハ、これは面白いことになったぞ!」
「まあ、『一位』として君臨するロートは、自分より目立つ存在は絶対に許さないよな〜」
ロートの挑発的な言葉はすぐ議論を引き起こしたが、パラケルススは相変わらず無言のまま隅に立ち尽くし、その感情を読み取れなかった。
予期せぬ事態は既に心の中で覚悟をしていたが、騒ぎに直面すると、少し頭が痛くなる。
できれば、私は平和的な方法を好むのだが……
「君たち、試練場に行け。勝負してもいいが、人を傷つけてはならないぞ」
しばらく沈黙した後、パラケルススが突然話し出し、この決闘を黙認した。
「ふん、3ラウンド持ちこたえられるかな、気取った食霊さんよ」
優等生と食霊の対決に大勢の観衆が集まった。
黒檀のワンドを手にした男が呪文を発動し、私に襲いかかったが、私は戦いたくなく、守備に専念した。
これで彼の衝動が静まると思っていたが、何度か繰り返しているうちに、ロートは激怒したらしく、魔法の攻撃もますます激しくなった。
「やっぱりお前は手を出せない臆病者だ、サヴォイはお前みたいな魔導師なんか要らない!」
連続した光玉が星のように降り注ぎ、猛烈な白光が炸裂した。
人々の中から急に数回の悲鳴があがり、その攻撃が周囲に広がるのを見て、胸が締め付けられる。結局、私は呪文を発動した。
蒼藍色の炎が巨大な波のように湧き上がり、光玉の攻撃を瞬時に阻止した。
彼は不意を突かれ、私は燃え盛る青い炎を操り彼を包囲した。
試練の場は一瞬で火焔に包まれ、まるで幽玄な青い海に落ちたようだった。
「ああああ……!!」
最終的に、ロートは炎に取り巻かれてよろめきながら倒れ、しかしその瞬間、驚きの表情を見せる。
「待てよ、これはなんだ……これは火じゃないのか!?」
「本当だ、この火は全然熱くない……」
「おかしい、触ったらかなり心地がよい、こんな魔法初めて見た!」
「いえ、ご覧の通り、これは火です。ただし……これは精霊時代の魔法です。」
勝敗が決まったのを見て、私は呪文を止めて、礼儀正しく説明した。
「精霊時代!?冗談だろう、あれは魔法が最も強力だった時代だ、お前のような食霊はどうやって……!」
「これは正真正銘、精霊時代に由来する古い火の魔法ですが、強大な力とは必ずしも絶対的なものではないと思います」
「……は?」
「火は熱く見えるけれど、人を傷つけないこともあります。海は優しいけれど、命を奪うこともあります。力強さを証明するためには、支配や侵略するだけでなく、包容と守護も力を証明できます。」
「だから……すべてのものは本来平等です。種族も魔法も、強いとか弱いとか、優劣はないのです」
口調をやわらかくすると、目の前の人物の顔が次第に青ざめていく。
「もしかしたら、精霊時代の人々はもう世界の秘密と真実を気付いていたのかもしれません。そして、私はただ幸運にも、このような魔法を学ぶことができただけなのです」
最後に、私は微笑んで頷き、自分の言葉を終えた。
しばらくすると、観客から盛大な拍手が沸き起こる。
「お前…………!!もったいぶりやがって……今回の対決は俺の負けだ、次回は必ず勝つ!!」
結局、対決はロートが怒りながら退場することで終わりを告げた。
ほっとして振り返ると、パラケルススの口元には奇妙な微笑みが浮かんでいるように見えた。帽子のひさしから、色とりどりの炎さえ躍っている。
「お前は私の期待を裏切らなかった、食霊よ。これからは学院に通って学びなさい」
彼の願い通り、私は正式に魔法学院に入学することになった。
学院では常に順位と成績ですべてが決まるという習慣があったが、私は研修生たちと競争する気はなく、ここの充実した知識の資源のために学んだ。
知識は皆の共有の宝であり、私は魔法の研究に関する洞察や心得を惜しみなく共有してきた。
しかし否定できないのは、食霊の霊力が魔法の力の効果をより高めて発揮できるのも事実だ。
だからこそ、パラケルススは私に魔法の研究を任せたのだ。
どんな時も、力は専制や覇権のために存在する道具ではなく、人々の幸福をもたらすための知恵と架け橋であるべきだ。
Ⅲ.矛盾
「へえ、だからハモン・イベリコも最初はこんなに強気だったんだ。まぁ、今は手抜き研修生たちに付き合って、性格も円くなっているのにね〜」
「それにしても、魔導師たちと付き合いながら、俺たちを気にかけてくれるなんて、本当に大変だよね。リラックスするために、イベリコ専用のバラ風呂を無料で用意してあげようか?」
賑やかな露天の酒場で、夜の冷えた空気も酒と暖炉の炎で熱く煽られていた。
パルマは満足そうにカクテルを一杯飲み干し、その視線には明らかにからかいが含まれている。
私は言葉を失っていると、隣で肉を食べているブレスが口を挟んだ。
「ヒック〜、お前、そのバラとやらを考えるより、あの傲慢な研修生たちに教訓を与える方がいいぞ……」
「しかしまさかイベリコが君にこんなに長く耐えられるなんて。この前、研修生が勝手に魔法を使って人をからかったことで、暴走しただろ……次の日まで近づけないくらい怖かった……」
「あら、暴走?彼は化け物相手でも微笑みを保ち続けるのに、まさかかわいい研修生に怒るですって?貴方が酔っ払って見間違ったんじゃないですか?」
「俺のこの明るく魅力的な目が、そんなこと間違えるはずがないだろう。あの時の彼の表情……って、待てよ、今の彼とそっくりじゃないか!」
顔が真っ赤になったパルマがしばらく真剣に考え込み、酔っ払いブレスを引っ張りながら私を見つめ、そして無遠慮に笑い出した。
「…………」
目の前で酔っ払った二人が独り言を繰り返す様子を見て、私は額に痛みが走るのを感じた。
しかし周りを見渡し、テーブルをひっくり返したい衝動をこらえ、無言でアイスティーを飲んだ。
難解な魔法や元気な研修生たちに対処するよりも、この二人の方が明らかに私を困らせる。
ワインの芳醇な香りと二人の自由奔放な笑い声が伝わってくると、思考がぼんやりしてくる……
フェラメルの紹介で知り合ったブレスと、偶然出会ったパルマ。
いつの間にか、私たちの間には深い絆が芽生えていた。
しかし、フェラメルに期待されるブレスも、アレイスターに軽視されるパルマも、そしてみんなに優等生とされている私も。3人がお互いに向き合うと、すべての身分の束縛はまるで存在しないかのように思えた。
たまに喧嘩して頭を抱えることもあるけど、一緒に過ごす時間はとても平和で、心地よいものであることは否定できない。
「いや、風を感じながらお酒を飲むのっていいね。春になって新しいベリーワインができたら、また一緒に来よう〜」
「ちっ、お酒はいいけど、お前のうるさい機械は連れてくんじゃないぞ」
「ねぇ、そういえば、せっかくだし、この美しい夜で一緒に写真を撮ろう~」
「は?おい、そんなに近づくな!バラの花びらがくすぐったい!」
突然の騒ぎに意識が引き戻され、気づくと私は腕を引っ張られて二人の間に引きずり込まれていた。
「えっ?待って……」
「へへ、二人とも笑顔を忘れないでねー1、2、3ーー」
「カシャ」
白い光が一瞬目に瞬き、私たちの顔と美しいろうそくの光景を切り取っていった。
その瞬間、私の胸には熱い思いと期待が湧き上がる。
こんな日々が……いつまでも続けばいいのに……
しかし、星の軌道が狂った瞬間から、すべてが未知の方向へと導かれる運命にあったとは、誰も予想していなかったのだろう。
3人の大魔導師の間で意見の食い違いが生じ、一晩のうちにアレイスターの城には乗り越えがたい障壁が築かれ、他の二人の大魔導師との不必要なつながりが絶たれた。
その日、遠くにぼんやりと浮かび上がる閉ざされた青い城を眺めていると、いつも物静かなパラケルススでさえ、思わず長い夜にため息をついた。
「パラケルススさん、貴方は既に……今日の結果を予測していたんですね……」
「……やはりお前は賢い」
「お褒めいただき恐縮です、勝手に推測して失礼しました。貴方やフェラメルさんが私たちに魔法の学びの機会を与える理由のひとつも、他の人に証明したかったんですね……」
「あの頑固なオヤジを誰も変えられない。だが……お前たちは違う」
パラケルススは突然言葉を切った。深い淵のような眼底に、珍しく微かな波紋が広がった。
私はわかる。それは彼からの信頼であり、サヴォイの未来への期待でもあった。
「サヴォイは、もう変わるべき時なのだ」
「変革には血がつきものだ。もし本当にその日が来るなら……この国を諦めないでほしい。フェラメルが言ったように、君たちこそがサヴォイの最後の希望だからだ」
思わず心が沈んだ。
今の展開は彼らが望んでいた結果ではないことを理解している。しかし、否定できないのは、種族と力の隔たりが、消えないつるのように、いつもサヴォイ人の心に張り付くだろう。
私が返事する前に、彼は続ける。
「お前はすべての人々を平等に受け入れ、非常に優れた才能を持っている。大魔法師の後継者に最もふさわしい人物だ。お前を見間違ってはいなかった」
「すべて私がやるべきことです。私も貴方と同じく、この土地を愛しています」
その夜、パラケルススは意外にも多くのことを語った。
冷たい白い月光が薄雪のように凝り、彼の老いつつも、毅然とした顔立ちははっきりと映し出した。
彼はいつも情熱と真摯さを黙って隙間に埋めることに慣れているように。
私にできることは、全力を尽くして、この肥沃な大地と希望を守ることのみ。
Ⅳ.過去
魔導師たちの対立はまだ解決されておらず、その後に起こったシャドー・グリモワールの盗難事件も前例のないほど暗い知らせだった。サヴォイ全体がパニックと混乱に包み込まれていく。
現場に残された、複製不可能なアレイスターの魔法の気配は、世論を最高潮に押し上げることになる。
三大魔導師は姿を現さず、ブレスとパルマは真相を調査するために走り回り、私も学院の事務に追われていた。
しかし、混乱の中で、嵐の行方はすでに隠れるすべを失っている。
王家の陰謀もあっという間に引き出され、絡み合った無数の糸が、すべてを引き裂いて崩れ去っていく。
魔導師たちの戦火が天地を赤く染め、私とブレスが現場に駆けつけた時、傷だらけで人々を守ろうとするパルマの姿だけが認められた。
光の炎に包まれた地面の中、彼の灼かれた顔には悲しみに包まれているように見える。
シャドー・グリモワールの悲劇は三人の魔導師が共に倒れることで幕を引き、昔繁栄した魔法の国は一夜にして崩れ落ちた孤島のようになった。
しかし、まだ多くの重要なことが迫っていた。私は自分には悲しみの余地がないことを知り、災厄がサヴォイを飲み込むことを許さない。
少なくともここには多くの山や川と、人々の信仰と生活がある。ここは私が紛れもなく生きてきた土地だ。
風雪が来る時、必ず誰かが松明を揚げる責任を負う。
ただし、因果の交錯の中で、言い表せないなにかがすでに変わっていて、なくなるなんて思ってもみなかった。
気がついたときには、順序の狂った羅針盤は正しい方位を指すことはない。
暖かい風が初めて復活の息吹を運んでくる時、ブレスがもたらした知らせに私はしばらく言葉を失った。
「……あの馬鹿、黙って逃げやがって……見つけたらひど目にあわせてやる、あいつ……!」
ブレスは拳を握りしめ、わざと目をそらしたが、切なさと悔しさで満たされた表情を浮かべている。
「だから最近彼はいつも黙っているんですね……でもどうして……」
あの整然とした空っぽの部屋を見つめていると、心の中に喪失感だけが広がっていく。
彼が魔導師の内戦で憂鬱になっただけだと思っていたが、その人が受けたショックは私が想像していた以上に深刻だったとは……
そして私は……気づかなかったなんて……
複雑な思考が漂い、口の中に苦みが広がる感覚がする。
次の瞬間、肩から少し熱い感触が伝わってきた。
「気に病むことはない。あの臆病者が自分で選んだんだ、ふふ……責任は自分で負うんだ」
まるでさっきまでの喪失感などなかったかのように、ブレスは穏やかに言う。
私たちはお互いに知っている、なにかがもう静かに消えてしまった。そして、最善の方法は口を閉ざすことだろう。
「ええ……逃げることは解決策ではないですが、彼には彼自身の理由があるかもしれません……もうすでに船は出てしまっている、私たちにはより重要なことがあります……」
「安心しろ、大魔導師。俺はなにをすべきか知っている。もうサヴォイを二度と傷つけさせない」
ブレスの声は低く力強く、城外の風の音を貫いていた。頭上の冠は輝き、まるで雲を切り裂く夜明けの光のようだった。
ブレスは外部に縛られたくないことを知っている。彼は自身の生来の強さと意志を持っているのだから。
フェラメルの言葉を借りれば、盤面がどう変わろうと、ブレスはあのもっとも確固たるキングの駒にちがいない。
私も黙って魔導師の長を象徴するローブを引き締めた。一瞬、背中が少し重く感じられた。
しかし、重いのは新しい衣装だけではない。
いずれにしても、サヴォイの信仰と伝説は止まらないだろう。
今度こそ、必ず全力で運命の星図の歯車を握りしめると誓った。
Ⅴ.ハモン・イベリコ
優雅な廊下は汚れひとつなく、長いローブを身にまとった魔導師たちが大きな扉の前に立ち、少し困ったように互いを見つめ合っていた。
周囲は静かで、扉の向こうの音がより鮮明に響く……
「ふん……今年の新入生たちは、もう生き飽きたのか!?図書館の近くの禁地に無断で入ることは禁止だと、何度も言ったはずだが、その警告は耳に入らなかったようだ……」
「はぁ……仕方ない、皆がそこを気に入るのなら、次の魔法テストの場所は禁地を模擬するとしよう……そうすれば難度の高い魔獣堕神も考えられるからな……」
「……それにブレスのやつ、今日は一緒に議事会に参加する約束だったのに、まだ姿を見せない……私が設定したリマインド魔法がまだ『失敗』だったようだな……」
荒々しい声が次々と響き渡り、聞くつもりのない若い魔導師たちは困った顔で互いを見つめ合い、唾をのむゴクリという音だけが聞こえる。
「そ、そうか……優雅で偉大なイベリコ大魔導師にも、こんな一面があるとは……」
「き、きっと聞き間違えだ……イベリコ様がそんなことを言うわけがない……」
ささやく低い声は、扉が開く音に突然打ち切られた。優しげな目をした長髪の青年は相変わらず柔らかい表情を浮かべている。
一瞬にしてなにかが頭の中を駆け巡り、魔導師たちは目を見開いて、なにを忘れたのかを全く思い出せなかった。
しかし考える間もなく、彼らは次々と議事堂に招かれた。
「最近の研究によると、シャドー・グリモワールは古代の精霊族に由来することが確認されました。ただし、現時点ではその中に宿る魔法の力を引き出す十分な力が存在せず、今後のトラブルを避けるために……」
金メッキの教冠をかぶった青年は長い机の前に立ち、青い瞳は温かく穏やかだった。
彼は穏やかな口調で、小難しい仕事を説明しているが、その姿は落ち着いた雰囲気が漂っている。
――塔の頂上にある灯台のように静かに立ち、未来への道を照らし続けているみたいだ。
一方、遅れてやってきたブレスは、彫刻ガラスの窓越しに、熱心に話す青年を見て、口元を軽く上げた。
「ここにいる全員は、サヴォイの優秀な魔導師の代表ですが、総合的に考えると、幽冥図書館の館長には、ホワイト・リースリング女史を推薦し、シャドー・グリモワールの管理をお願いしたいと思います」
イベリコの言葉が終わると、人々の視線が彼の隣に立つ女性に集まった。
しかし、彼女はそれに気づかず、図書館の方を見つめ続けていた。まるで目の前の熱い視線が何の価値もない埃のように思ったかのように。
会議が終わると、壁に寄りかかっていたブレスは、青年にゆっくりと歩み寄った。
「チェッ、あんな冷たい変な女に、こんなに愛想よく話しかけられるのは、お前だけだよ」
「ホワイト・リースリングは冷酷ではありません、ただ真剣なだけです……」
「……まあいい、お前は誰に対しても同じような優しい態度を取るんだな。そうだ、会議も終わったし、一杯飲みに行く時間ができたんじゃないか?」
「酒場では、春に仕込まれたベリーワインが出ている。今行かないと、また逃してしまうぞ。去年はあいつがいないからって断ったんだろう……」
ふと気づくと、ブレスの口から出ていた言葉が、プツリと切れた弦音のように途切れた。
しかし、お互いに馴染んだ言葉は、まるで予期せぬ鍵が落ちてきて、二人の心の中の思い出を再び引き出せた。
沈黙がしばらく漂ったが、すぐにイベリコが薄い笑みを浮かべた。
「いいですよ。今回は逃さないでおきましょう」
ブレスは微かに驚き、ふと自嘲気味に、そしてほっとしたように微笑むと、再び堂々と歩きだした。
「そういうことなら、今晩は酔いつぶれるまで帰らないぞ!」
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