【黒ウィズ】Birth of New Order 2 Story6

TOP↑

story

---

　甲板で何かが起きている。

火が上がり、刃が飛び交い、血飛沫が飛び散った。

人間が、人間を殺している。聖職者の格好したものたちが、ー方的に殺されていく。凄惨な光景だった。

ペンギン。いったいなにが、起きてるにゃ？

ペンギンってなんだよ？おいらは、マグエルだっての！

　サンクチュアでは、聖職者の横暴が酷かった。

方舟の乗員は、聖職者のー存で決められていた。

そのため、多くのサンクチュア民が、方舟から締め出された。

その不満が、寄屈した形で発散された。その端緒を開いたのはリュオンだった。

とにかく、時間がねえ。審判獣にこの大地を支配される前に、逃げられるなら逃げた方がいい。

そのためには、方舟に乗るしかないにゃ。

　方舟は、サンクチュアの民でー杯だ。

この上、インフェルナの民を乗せるスペースなど、ないように思える。

せめて、子どもたちだけでも乗せられないか、リュオンに交渉してみる。

　互いの勢力の溝は深い。

いまだ憎しみあう関係の両勢力が、わだかまりを棄てて、素直に手を取り合えるとは思えない。

キミもー緒に行けば、リュオンも話を聞いてくれるんじゃないかにゃ？

お願いできますか？

　ひとりでも、多くの人たちを助けたいのは、君も同じ思いだ。

インフェルナの使者として、イスカは君とウィズだけを伴い、方舟の甲板に向かった。

　＊＊＊

なにしに来た。

　足元の血だまりは、まだ乾ききっていなかった。

聖職者たちの死体の中で、リュオンはイスカとの対面を許可した。

この方舟に乗船する許可が欲しいの。

　聖堂の権威を握っていた聖職者たちは、いまはすべて骸。

代わりにサンクチュアの実権を握ったのは、リュオンだった。

お願いできる立場にないのは、わかっている。

それでも、お願いするしかないの。子どもたちだけでも方舟に乗せて欲しい。

　恥や外聞などどうでもいい。ただ、ひとりでも多くの民を審判獣の脅威より救いたいだけだ。

身勝手すぎる頼みだ。

　君からも、願い出た。インフェルナのすべてを受け入れろとは言わない。ー部だけでも受け入れて欲しいと。

魔法使いには、世話になった。頼みは聞いてやりたいが――

　インフェルナの代表者に訊く。北から来る審判獣をどうするつもりだ。

私なら、彼らと話ができます。狭くてもいいから、人間たちが安全に生きられる領域をいただけないか頼んでみます。

断られたら？

そうならないように、全力を尽くします。

　リュオンは、イスカの目を見つめていた。長い沈黙がつづいた。

奴らと戦うことになれば、味方は多い方がいい。

インフェルナの子どもたちが乗り込める区域を作ってやれ。

　周囲の聖堂兵たちの顔に困惑が浮かんだ。リュオンは、同じ命令を語気を強めて伝えた。

リュオン。あなたは、やっぱり変わっていなかったのね。

変わったつもりは、ー度もないがな。

　あの湖で見せた時のような穏やかな表情。イスカは、安心できるものに包まれたような気分になる。

た、大変だ！

　＊＊＊

やめろ。殺さないでくれ。

いまさらなにを。食らえ天罰だ。

う、ぎゃあああ。

助けて、私たちがなにをしたって言うのよ？

俺は悪の熔印を押されて聖域を追放された。その時の恨みを晴らしているんだ。

　黒光りする刃が、昇りつつある薄明かりを浴びて、凶暴に輝いてた。

きゃああああっ！

　君たちは甲板から身を乗り出す。そして驚愕した。

インフェルナ人が、サンクチュア人を殺して回っている。

これがインフェルナが与える裁きだと主張し、女子ども問わず、次々に襲っていく。

さあみんな。あのでっかい船を乗っ取るんだ。サンクチュアの奴らは殺して、甲板から突き落とせ。

　民のー部が、暴走しているのではない。

刃を振りかざしているのは、ほぼすべてのインフェルナの民だった。

なにが……起きているの？

　インフェルナは、煉獄と呼ばれる区域に追いやられてきた。

食料も水も空気も、あらゆるものが不足した劣悪な環境下での生活を強いられてきた。

彼らを追いやったのは、サンクチュア人だ。理不尽に聖域を追い出され、近づくことも許されず。

長年、苦境を噛みしめてきた。

インフェルナの民は、ずっと考えてきた。自分たちと聖域で暮らす連中とは、なにが違うのかを。

みんな、やめて。こんなことイスカは、望んでない。きっと悲しむよ。

退け！サンクチュアの奴らに受けた積年の恨み、晴らすのはここしかないんだ。

　インフェルナ兵が、方舟に殺到していく。

斬られたサンクチュアの民の血が、赤いまだら模様を描く。

殺戮という熱狂に奔走する人々。彼らは誰だ。人か。いや、人ではない。

あれは、悪魔だ。

罪なき民を導いてきたはずだが、違った。人ではないものを連れてきてしまったのだ。

立ち上がれと君は、イスカに言った。彼らを止められるのは、イスカしかいない。

行ってみんなを止めてくる。

護衛がいないと危険にゃ。私たちもついて行くにゃ。

ここにいろ。和睦を持ちかけておいて、兵に奇襲させるとは。たいした戦術家だな。

これは、何かの間違いなの。そこを通して。

　方舟の内部が騒がしい。どうやら、インフェルナ兵が侵入したようだ。すぐに甲板へ上がってくるだろう。

聖堂兵が懸命に応戦している。彼らの血を、こんな無意味なところで流させるのか。

インフェルナ軍は、統制を欠いている。奴らから民を守れ。

待ってリュオン。

　リュオンが飛び出した。鎖を引いて磔剣を操る。

甲板に侵入したインフェルナ人が、あっという間に斬り伏せられた。

刃向かうものは皆殺しにしろ。

こちらをー瞥する。その眼は、ぞっとするほど悲しげだった。

リュオンは勘違いしている。これは、イスカがやらせたことじゃない。

でも、眼前でサンクチュア人が殺されているのは間違いない現実。

みんなのところに行くのが先よ。リュオンには、あとで説明するわ。

　そのためには道を塞ぐ聖堂兵たちが邪魔だった。

君は、魔法を放った。彼らは、恐れおののき道を空けた。

ごめんなさい。いまは、緊急事態なの。

TOP↑

story

---

　差別され、虐げられ、家族を奪われた。

インフェルナの恨みは、終始目に見えないところで顫動（せんどう）しつづけていた。

方舟に乗り込むため、無防備になっていたサンクチュアの民を目にした時。

憎悪、恨み、怨念。あらゆるものが、濁流のように流れ出た。感情の渦は興奮から、激動となり、すぐさま狂騒へと至った。

サンクチュア人といえど人です。殺すのはいけません。剣を収めてください。

　イスカの言葉に誰も耳を貸さない。

長年蓄積していた怒りは、すでに堰を切って溢れ出した。

濁流を止めることは誰にもできない。

あなたたちは、頭首イスカの言葉が聞けないのですか！？

サンクチュアの連中をすべて殺さないと、この方舟には、インフェルナの民は乗れません。

イスカ様。奴らに裁き（・・）を。サンクチュア人を皆殺しにして、方舟を乗っ取れと命令してください。

そんな命令は出せません。人同士で殺し合っている場合ではないのです。

まだそんな甘いことを仰ってるのですか？私たちを人として認めてないのは、サンクチュアの連中ですよ。

　カサルリオ、ティレティ、ケラヴノス。奴らは、インフェルナ人をゴミのように殺戮した。

ここに至るまで、殺され、餓えで死んだ。方舟までたどり着けたのは、出発時の半分もいない。

それでも、話し合えば、きっとわかり合える。そう思っています。

　兵たちは、互いに顔を見合わせた。

　そして、刃がイスカヘと向けられた。

お前はもう、我々の頭首ではない。

待ってください。

あんたが裁かないなら、俺たちが裁く。奴らを全員地獄に堕としてやる。

　融和的な態度は、ついに味方の反乱を招いた。

思いを託せるリーダーではないと判断されたのだ。ひとり、またひとり、イスカの前から去って行く。

義父さん。やはり、私には、インフェルナの民を率いる資格は、ありませんでした。

　去来するのは、自分自身への失望だった。

ここまで来て、諦めるのにゃ？

諦めたくはない。でも、どうすればいいの？

甘ったれるなにゃ！

この戦争をはじめたのは、イスカにゃ。なにがあろうと、最後まで戦い抜き、人々を導く責任があるにゃ！

ウィズちゃん。

よく考えるにゃ。どうしたら、この事態を収拾できるにゃ？

インフェルナのみんなを止めるしかない。

　しかし、インフェルナの民は、イスカの言葉を聞き入れはしないだろう。

彼らの怒りを収め、犠牲を少なくするには、どうすればいい？

え……？

　ある考えにたどり着く。他のあらゆる手も考えてみた。だが、いくら考えても、結局そこに行き着く。

イスカ、大丈夫にゃ？

　犠牲を最小限に事態を収拾する。その最小限の犠牲になるのは、ひとりしかいない。

イスカは、自分の考えが恐ろしくなった。それでも、やらなければ、多くの人が死ぬだろう。

飛び立つイスカ。それを見つめるひとつの影があった。

……。

　＊＊＊

　インフェルナは、感情で動いていた。統率されたものよる奇襲ではないことはー目瞭然だった。

ゆえに彼らを斬るのは容易かった。

リュオン様が助けてくださる。

　先頭に立ち剣を振るう騎士の姿に、サンクチュアの民は歓喜する。

その歓声は、聖堂兵たちを勇気づけた。聖堂の支配者たちを斬り、サンクチュアを掌握した。

民を守れないで、なんのための反逆だったのだという気持ちがあった。

動けるものは武器を持て。聖堂兵は、壁を作り戦えないものを守れ。

　振るう剣は、冴えを見せていた。憎しみによって動く兵など敵ではない。

ふと、イスカの顔を思い浮かべた。

この狂騒と騒擾を完全に鎮圧するには、インフェルナ軍を殲滅させる他ないだろう。

無念だった。しょせん、両勢力が手を取り合うなど、夢物語だったのだ。

　＊＊＊

インフェルナのみんなの怒りはわかる。でもこれは、イスカが背負うものじゃない。

　メルテールたちが生まれる遥か昔から、両勢力の因縁はつづいていた。

もし、憎悪に蓋をしておけないのなら、それを背負い込むのは、メルテールの役割だ。

イスカには、光差す方向へ進んで欲しかった。影に立つのは、メルテールひとりで十分だ。

そのためにも、執行騎士リュオン。あんたの命、いただくから。

その人を殺されたら、困るんですよね。できたら、やめてくれません？

　うしろを振り返る。いつでも刃が届く距離に、シリスは立っていた。

邪魔するつもり？せっかく仲良くなれたと思ったのに、残念。

もっとも、あんたのこと最初から信じてなかったけどね。

僕も、最初からインフェルナを利用するつもりでしたから、お相子ですね。

　ふたりは向かい合った。

メルテールは、イスカのために。シリスは、リュオンのために。お互い、信じる人のために武器を手にする。

影の世界に住むもの同士で、決着をつけましょうか。

茶番に費やす時間はない。だけど、どうしてもというなら、相手してあげてもいいよ。

　タイタナスのハンマーを担ぎ直した。沈み込むような殺気が、メルテールの全身を覆っていく。

非力な僕では、そんな大きなハンマーは、受け止められないな。

　足元に気配を感じた。その時は、すでに遅かった。メルテールは小さな痛みを感じた。

しびれ薬か。卑怯な手を使うわね。

大教主っていう変態に心を弄くられたせいで、頭の中の理性を司るなにかが抜け落ちたんだ。

だから、僕にとっては、こんなの卑怯でもなんでもないんですよ。

戦うのは痛いし、疲れるでしょ？これで降参してくれたら、僕は嬉しいなあ。

あんたみたいな奴、友達にしたくないね。

　降参など、絶対にするものか。殺意は、さらに大きく、巨大に膨らんでいく。

メルテールは、薬を取り出して飲み込んだ。毒物の知識は多少ある。

いま飲んだ解毒剤は、いつかシリスが裏切ることを予想してあらかじめ用意しておいたものだった。

無駄な血を流したくない僕の願いを無視するんですか？残念だな。

　＊＊＊

　リュオンは瞬く間に陣容を整え終えた。サンクチュア軍を率いて、方舟の外でインフェルナ軍を討とうとする。――

インフェルナの民は、統制のない暴徒同然だった。それでも、圧倒的な数を有している。

対する聖兵は元からその数は少ない。

敵は少数だと侮ってて衝動に突き動かされるまま、インフェルナ軍は突撃を行なう。

待って！

　ひとつの影が、インフェルナ軍の進路を妨げた。

憎しみに身を焦がすその先にあるのは、本当の煉獄よ。みんな思いとどまって。

　サンクチュアを滅ぼす時がようやくきたというのに、なぜ邪魔をする？

憎悪は、イスカに向けられた。

あなたたちの怒り、すべて私が引き受ける。だから、リュオン――

方舟を命懸けで守ろうと聖堂兵は身構えている。

その中央にいるリュオンを見つめるイスカ。その眼は、悲しみに溢れていた。

あなたとのー騎打ちを望みます。

　迷いはある。これでいいのかと。

民を率いる立場。リュオンを慕う、イスカの素直な気持ち。

どちらを選ばなければいけなかった。だから、選んだ。迷いながら。躊躇いながら。

涙は、いまはいらない。イスカの代わりにインフェルナの民が、今日まで散々流した涙がある。

彼らの上に立つ以上。その涙を無下にはできなかった。

いいだろう。俺を殺し、方舟を奪ってみろ。

　リュオンとイスカ。ふたりは、多くの人間の願いを背負う立場だった。

希望を与えなければいけない。未来を与えなければいけない。方舟は、その象徴だった。

イスカは、養父イーロスに胸の中で尋ねた。これでいいんですよね、と。

当然答えが返ってくるはずも無かった。

我が名は審判獣――アレドロス。

この力は、不条理にも〈悪〉の熔印を押されしものどもの怒りと知れ。

TOP↑

story

---

　頭上を飛ぶ、ふたつの光。

それは、悲しげな光帯を引き摺りながら、払暁の空を飛び交っていた。

イスカ、負けるんじゃないにゃ。

　君は言った。このまま見てるだけでいいのかと。

ウィズと君がこの世界にいる理由は、傍観者でいるためではない。

インフェルナ人でも、サンクチュア人でもない自分たちにしかできないことはあるはずだ。

もちろん、途中で仲裁に入るにゃ。キミもその覚悟でいて欲しいにゃ。

　ウィズも当然わかっていた。ふたりを戦わせてはいけないことを。

それでも、ー度は戦う形を取らなければいけなかった。

イスカとリュオンが背負ったものは、それほど膨大であり、重いのだ。

頻繁に異界に飛ばされるのには、きっと理由があるにゃ。常々、キミに言ってきたはずにゃ。

　飛ばされた先々で、色々な人と出会った。そして、多くの人を助けてきた。

君とウィズは、その行動によって、異界に飛ばされた理由に、答えを出してきたつもりだ。

でも、最近クエス＝アリアスに戻るたびに思うようになったにゃ。

今回も上手くいったにゃ。けれども、毎回こんな上手くいっていいのかにゃと。

　突然なにを言うのかと、君は慌てた。急にウィズが、遠い場所にいるように感じた。

ごめんにゃ。イスカのいまの心情を思うと、つい後ろ向きに考えてしまうにゃ。

　らしくない。絶対にふたりを助けよう、と君は師匠を励ます。

　出会ったのはいつだったか。

遥か、遠い昔のようにも思えるし、ごく最近のことのようにも感じる。

なんだそれは、本気で俺を殺す気があるのか？

もうー度よ。

　養父イーロスが殺された時、イスカは確かに殺意を抱いた。激情に突き動かされた。

そしてリュオンと戦い、力の差を思い知らされた。

あの時のイスカは、感情に身を任せるインフェルナの民そのものだった。

今度こそ、届かせる。

蠍棘が、稲妻めいた蛇行で空間を切り裂いた。

届かない。蠍の尾は、火花を散らして闇に虚しく垂れ下がる。

お前は、なんのために戦っている？

　渾身のー撃があえなく弾かれ、イスカの口から、呻りが漏れた。

審判獣の本能が叫んでいる。この男を裁けと。殻衣を貫けと。

忘れたわ。そんなこと。

　敵ではない。イスカの心のある部分が、そう主張する。

しかし、それを上回る熱量が、イスカの攻め手を加速させる。

祈りを送るのは、地上にいるインフェルナの民。

頭首イスカが、自分達に変わって、執行騎士を殺してくれる。サンクチュアに鉄槌を下してくれる。

その思いが、見えない手となってイスカの背中を押していた。

今度は、貫く――

　イスカは、戦争前に決心した。頭首として、この戦いの最後まで彼らを導くと。

沢山迷った。ー度は彼らを裏切った。

そして、自分の意思で戻った。最初の誓いを果たすために。

そのために必要なのは、執行騎士リュオンの死だ。どうしても、それが必要だった。

それに気づいた時、イスカは心で泣いた。だが、涙はすぐに止めた。

ここに来るまで多くの人を殺し、多くの人を迷わせた。小娘のように泣く資格などありはしない。

この戦争で最後に流す血は、あなたの血だと決めたわ。

その腕でか？笑わせるな。

　蠍棘が風をつんざいて、突き出された。

ネメシスは、はじき返そうとする。しかし、突如殻衣が消えた。

なに――っ？

　同調を繰り返し、リュオンも執行騎士としての限界をとっくに越えていた。

精神と気力が支えだった。この戦いに虚しさを感じていたのは、イスカだけではなかったのだ。

生身の肉体に蠍棘が迫っていた。

キミ！

　魔法を放つ。

　リュオンが生身に戻った。これで勝負はついている。戦う理由は、なくなった。

なのに運命は、リュオンの命を奪い取ろうとする。

そんな結末だけは迎えてなるものか、と君は地面を蹴った。

　＊＊＊

　蠍の棘が、貫いた。命が散る。

あ……っ。

　審判獣ハーデスが、盾となってリュオンを救っている。

長い蠍の尾に串刺しにされながら、異形は血涙をこぼしていた。それは、悲しい姿だった。

なぜだ？

ハーデスの殻衣が剥がれ落ち、ラーシャの生身が現れた。

どんな時でも、生きることを諦めちゃだめよ。

　絶えそうになる息を必死に繋いでいた。

背負う必要はないと言ったはずだ。

先に逝くわ。あなたは、できるだけ遅れてくるのよ。

　最期の笑み。ラーシャが冷たくなっていく。血とともに生命が、身体から失われていった。

リュオンは、まだ暖かみが残っているラーシャを抱きしめた。

心配するな。俺もすぐに逝く。

　耳元でささやいてから、骸となったラーシャを地面に置く。

仲間だった。姉であり、家族同然だった。

死なせてしまった悔いは尽きない。同時に、己への許せぬ思いが吹き上がる。

未熟だった。騎士としても、人としても。

　溢れかえりそうなほどの衝動を、必死に抑え込んでいた。

激憤に支配されていては、戦いには勝てない。落ち着きを取り戻せと己に言う。

審判獣ネメシス。もうー度、裁きの力を寄越せ。

裁かなければいけない悪が、そこにいる。

　ー度は、拒絶したネメシスの殼衣をもうー度身に纏う。

その代償として、リュオンはなにかを失った。それは記憶かもしれない。人間性かもしれない。

ともかく、このまま両者を戦わせてはいけないと君は思った。

退け。俺は、その女に裁きを下す。

　残念だが退かないと君は言った。

お前は誰だ。インフェルナの兵か？なぜ、俺の邪魔をする。

まさか記憶が……。

　インフェルナの民が騒いでた。敵執行騎士ラーシャを頭首様が討ち取ったと、大喚声を上げていた。

その勝ち馬に乗って方舟に攻め寄せようとしていた。まことに愚かな人間たちだ。

抜錨しろ。

　サンクチュア人が乗り込んだ方舟と地上を繋ぐ錨が解放された。

方舟が出航しようとしている。この大陸を棄て、新天地を目指すために。

そんな、方舟が行っちゃう……！？行かせるかぁ！

そんな身体で、よくそんなに動けますね。無理すると死ぬよ？

　弧を描くハンマーが、シリスをかすめた。重さに引っ張られるように、メルテールがよろめいた。

うるさい……お前は、あっちに行け！

邪魔させません。方舟には、サンクチュアの民が乗ってるんですから。

　沖に向かって進む方舟は、輝いて見えた。あれには、この戦いで死んだものたちの願いが乗っている。

行け。もっと速く。もっと遠くへ。

あの審判獣は、多くの人を殺した。でも、最後にあなたを庇った。

執行騎士の使命を果たしただけだ。同じ場所にお前を送ってやる。

　そんな言い方では、イスカはリュオンを殺すしかなくなる。

もうやめるべきだと、君はふたりの間に入った。

ー条の光が、君の肩を貫く。激しい熱さと、焼け付く痛みを感じた。

大丈夫にゃ！？

これは、審判獣ネメシスによる裁きだ。次は、イスカお前だ。

　真理の光芒を放っため、光がネメシスの手に集められる。

方舟が出航してしまったのなら、もう戦う意味がないわ。

押し寄せる審判獣とどう戦い、どう交渉するのか、それを考えなきゃ。

それは、お前が心配することではない。

　イスカはあまりにも無防備だった。

まさか、裁きを受けるためにわざとそうしているにゃ？

　ラーシャを殺してしまった贖罪のためか。そんなこと、イスカが考えなくてもいいはずだ。

君は、カードを抜いて魔力を込めた。イスカを救うために、ふたりの間に入る。

真理の光芒が、イスカに向けて放たれる。間に合え――

君の魔法障壁は、ぎりぎりで届いた。防がれた光は、細かく飛散し、光膜を作った。

……くらえ！

　ひとつの影が飛び出してきた。搾猛な獣の牙のような大剣を振りかざしている。

兄さん。

　大剣は、音もなく審判獣ネメシスを斬った。

堅い殻衣が、切り裂かれた。それでもネメシスは、動じない。再び光が凝集する。

向けられた狙いは、イスカではない。地上にいるインフェルナの民だ。

全員を守る障壁を張るのは、無理にゃ。

まさか、インフェルナ人を虐殺しようというのか。それがリュオンの本心ではないはずだ。

そうか――君は、悟った。リュオンの狙いが。目的が。

だが、それを伝える前に、イスカの蠍の尾が、伸びていた。

お願いやめて！

　鋭い棘が、貫いた。ネメシスの心臓を。

殻衣が飛び散った。リュオンは胸を血で染めていた。反撃はなかった。代わりに大量の血を吐いた。

吐血しながら、薄く笑っていた。致命傷を負って、なぜ笑えるのか。

そうか。リュオンはやはり――

TOP↑

story

---

　朝日を受けながら、出航した方舟は、大海原に旅立った。

サンクチュアの民をすべて乗せて、新大陸を目指す。

もうリュオンの使命は終わっていたのだ。

あとは、イスカが勝利し、この戦を終わらせるだけだ。だから、死に身を晒した。

イスカ。終わらせろ。お前の手で。

　とどめを刺さずとも、あとわずかな命しかない。

それでも、クロッシュはー刻も早い勝利を求めた。

私……わかっていた。あなたさえ倒せば、この戦いは終わるって。

　イスカはとどめを刺さない。代わりにリュオンを抱きしめた。

既にリュオンの眼の光は、薄れようとしていた。沖に向けて出航した方舟が、その瞳に映っている。

あなたを死なせたくなかった。でも、殺すしかなかった。

リュオンひとりに全部負わせて、それで終わらせるしか思いつかなかった。

　血塗れの手があがる。頬を伝うイスカの涙を拭った。

俺も、お前も、罪を犯しすぎた。手を携えるのは、所詮無理な話だった。

うん……。

だから、これでいい。俺は、死んだ奴らのところに逝く。

うん。

はあ……。お前の唄。もう聴けないな。

　イスカは泣いた。その声は、切々と響く。

やがて、貫かれた心臓から溢れ出る血が止まった。リュオンの生命が停止したのだ。

その場を動かなかった。イスカはいつまでも、冷たい骸を抱いていた。

　戦いはインフェルナの勝利に終わった。

第４聖堂のあと地には、聖堂も方舟もない。

インフェルナは清浄な土地を手に入れた。この戦いの目的は達したが、喜ぶものは誰も居なかった。ご心

こののち大陸に残った人類と、森で目覚めた審判獣たちとの衝突が待っている。

人類に審判が下されるのは、これからだった。

奴らが棄てていったこの聖堂を拠点に使わせて貰おうよ。

　幸いなことに、方舟に積みきれなかった食料が、そのまま残されていた。

しばらくは、食べるのに困らないだろう。

残ることにしたのか？

インフェルナを出てっても、行くところないもん。クロッシュ兄もあっさり戻ってきちゃうしね。

フェンリナルの怨念は消えん。だが、所詮は心のありようだ。

心のありようか。それもそうだね。あたしは、いままで以上に影に徹するよ。

イスカのこと心配だもん。やっぱり放っておけないよ。

そうだな。

　聖堂内部には、サンクチュアで使われていた武器も置いてあった。

人間の武器など、審判獣には通じないだろうが、あるものは使わせて貰うつもりだった。

ん……？

　その中に特殊な気配を放つ大鎌があった。

どこかで見た覚えがある。それを得物とする相手と戦ったこともある。

大鎌は、使い手を求めるように共鳴音を発していた。

取れというのか。

　手に持ってみる。重さをほとんど感じないが、武器としての存在は確かなものだ。

思念が宿っているのを感じた。クロッシュの肉体は、鎌に呼応していた。

ともに戦うか？

　審判獣相手に立ち回るには、必要な武器だ。それだけの力があると感じた。

「あんまり、乱暴に扱わないでね？」

　どこからか、声が聞こえたような気がした。

そうか。まだ思いは、この大陸に残しているのだな。

　拾い上げたのも、なにかの縁だと思った。

TOP↑

story

---

　多くの人間が死んだ。

サザも、リュオンも、ラーシャも、戦いの中で使命を果たし、土に帰った。

人は、罪を背負って生まれてくる。ならば、生きている間は、ずっとその罪を償うためにもがきながら、生きつづける。

赦されるのは、死を迎えた時だけだ。

……リュオン団長。ラーシャさん。ようやく解放されましたね。

　執行騎士の熔印を背負い、多くのものが駆け抜けていった。

それぞれ、生に苦しみ、死に安息を見つけながら、それでも最後まで全力であがきつづけた。

ふたりだけずるいな。先に向こうに行って休むのは、僕のはずだったのに。

　風が泣いている。大地が蠢いて、日の光が地上を照らした。

世界は、ただそこにある。数多の生命を吸い取りながら、この先も在りつづけるだろう。

せっかく生き残ったんだ。せめて、もうすこしだけ足掻いてみますよ。みっともないのは、嫌いですけどね。

見守ってくれなくてもいいですよ。僕は、僕のペースでそっちに行きますから。

　そこにいる誰かに向かって頭を下げた。

執行騎士の制服が、風になびいた。短くなった鎖は、無言のまま垂れ下がっている。

黄昏れてる場合じゃねえぞ。

ふふっ。その様子だと、かなり怖い目にあったようですね？

　マグエルは傷ついていた。森から来る審判獣を、彼なりになんとかしようと試みたのだろう。

絶望が宿る表情。だが、その眼に曇りはない。

リュオンをこのまま死なせるつもりはねえ。手伝ってくれ。

どうするんですか？

おいらに考えがある。時間がねえ。質問はあとにしてくれ。

　＊＊＊

　ここに来るまで、審判獣をあまり見かけなかった。あれほど沢山いた彼らは大陸中に散ったのだ。

アバルドロス。どこにいるの？あなたに訊きたいことがあるの。

　イスカは、審判獣を探していた。

このギガント・マキアを乗り切るために、ある決意を宿して、彼を探していた。

しばらくして、空が曇り、地上が震え出した。

凄まじい叫び声だった。たまらず身を煉ませる。

戦の前にお互いの闘争心を比べ合っているのだ。この戦い、勝つのは我だ、と叫んでいる。

　審判獣アバルドロス。改めてイスカは、その威容を感じ、怖じ気づきそうになる。

約束どおり、会いに来ました。

さては、私と組みたいのかね？

人が暮らせるだけのわずかな土地が欲しいだけです。

はっきりしない態度だ。お前は、人間なのか、審判獣なのかどっちだ？

人間です。

人間とは組めない。残念だが、去ってくれ。

ですが、私は赦されざる罪を犯しました。すでに人とは言えません。

だから、あなたの手を借りる資格はあります。

　あれほどの落胆を味わった。リュオンすら手にかけた。なのに、まだ人のために戦うつもりだ。

その姿は、痛々しい儚さを感じさせた。

面白い。本気で人間を棄てる覚悟があるのか、見極めさせて貰うぞ。

はい。

　戦士の顔つきだった。

この先の戦いは、これまで体験したことのないものになる。

そんな予感が、イスカを震わせた。

　＊＊＊

……ここは？

　目覚めた時には、見知らぬ場所にいた。

覚えているのは、リュオンと戦い。そして敗れた瞬間のことだけだ。

運命は、なんと残酷ないたずらをするのだ。

　死を覚悟した。楽になれるという安堵感に包まれた。

だが、リュオンの篠剣は、ケラヴノスの命までは奪わなかった。

同時に、審判獣アウラが、契約者ケラヴノスに命を与えた。

ふたつの思いが重なって、ケラヴノスは九死にー生を得たのである。

リュオンは、あいつはどこだ。私をコケにしてただで済むと――

　遠くで審判獣の悲鳴が聞こえる。思わず身を煉ませた。

ついにはじまったか。ギガント・マキアが。

　黄昏が訪れようとしている。

大陸に残された人々は、あまりにも多くの絶望を抱えていた。

剣は折れ、旗は灰となった。

それでも生き残ったものは、戦わなければいけない。

希望をつかむために。未来をつかむために。

これより、罪人への裁きが下る――

TOP↑

story

---

気が付くと君たちは、クエス＝アリアスに戻っていた。

なぜこのタイミングで戻されたのだろう？まだなにも終わっていないのに。

君は、気まぐれな天を恨むしかなかった。

「リュオンは、死んだにゃ。他にも大勢の人が死んだ……。」

　できれば、彼らを救いたかった。と思うのは、うぬぼれだろうか。

「心はまだ折れてないようにゃ？安心したにゃ。」

　あの程度で折れたりはしないよ。と君は微笑んでみせる。

「私もまだ諦めていないにゃ。イスカだけは、必ず救いたい。悲劇は、ー度で十分にゃ。」

　そのとおりだ。師匠の言葉は、時に君を惑わせたりもするが、基本的には、君を勇気づけてくれる。

上を向いて進もうと君は思った。

---