ティリー・キャクストン
通常 | クライシスコントロール |
---|
Illustrator:みつ
名前 | ティリー・キャクストン |
---|---|
年齢 | 19歳 |
職業 | 駆け出しギタリスト |
時代 | 現代 |
- 2022年10月13日追加
- SUN ep.Ⅰマップ6(進行度1/SUN時点で○マス/累計○マス)課題曲「CELERITAS」クリアで入手。
- トランスフォーム*1することにより「ティリー・キャクストン/クライシスコントロール」へと名前とグラフィックが変化する。
ギタリストの少女。
拾ってくれたオーナーの指導のもと、成長してゆく。
兄のために、オーナーのために、そして音楽家のために。
スキル
RANK | 獲得スキルシード | 個数 |
---|---|---|
1 | 嘆きのしるし【SUN】 | ×5 |
5 | ×1 | |
10 | ×5 | |
15 | ×1 |
- 嘆きのしるし【SUN】 [EMBLEM]
- JUSTICE CRITICALを出した時だけ恩恵が得られ、強制終了のリスクを負うスキル。
- 勇気のしるし【SUN】よりも強制終了のリスクが低い代わりに、ボーナス量が少なく、JUSTICE以下ではゲージが増えなくなっている。
- PARADISE LOSTまでの嘆きのしるしと同じ。
- SUN初回プレイ時に入手できるスキルシードは、NEW PLUSまでに入手したスキルシードの数に応じて変化する(推定最大100個(GRADE101))。
効果 | |||
---|---|---|---|
J-CRITICAL判定でボーナス +??.?? JUSTICE/ATTACKでゲージ上昇しない JUSTICE以下300回で強制終了 | |||
GRADE | ボーナス | ||
1 | +20.00 | ||
2 | +20.10 | ||
3 | +20.20 | ||
101 | +29.95 | ||
推定データ | |||
n (1~100) | +19.90 +(n x 0.10) | ||
シード+1 | +0.10 | ||
シード+5 | +0.50 | ||
n (101~) | +24.90 +(n x 0.05) | ||
シード+1 | +0.05 | ||
シード+5 | +0.25 |
開始時期 | 所有キャラ数 | 最大GRADE | ボーナス | |
---|---|---|---|---|
SUN | 4 | 49 | +24.80 | |
~NEW+ | 0 | 137 | +32.35 | |
2022/10/13時点 |
- ボーナス量がキリの良いGRADEのみ抜粋して表記。
- 水色の部分はWORLD'S ENDの特定譜面でのみ到達可能。
GRADE | 5本 | 6本 | 7本 | 8本 | 9本 | 10本 | 11本 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 900 | 1800 | 2700 | 3600 | 4800 | 6000 | 7500 |
11 | 858 | 1715 | 2572 | 3429 | 4572 | 5715 | 7143 |
21 | 819 | 1637 | 2455 | 3273 | 4364 | 5455 | 6819 |
31 | 783 | 1566 | 2348 | 3131 | 4174 | 5218 | 6522 |
41 | 750 | 1500 | 2250 | 3000 | 4000 | 5000 | 6250 |
51 | 720 | 1440 | 2160 | 2880 | 3840 | 4800 | 6000 |
61 | 693 | 1385 | 2077 | 2770 | 3693 | 4616 | 5770 |
71 | 667 | 1334 | 2000 | 2667 | 3556 | 4445 | 5556 |
81 | 643 | 1286 | 1929 | 2572 | 3429 | 4286 | 5358 |
91 | 621 | 1242 | 1863 | 2483 | 3311 | 4138 | 5173 |
102 | 600 | 1200 | 1800 | 2400 | 3200 | 4000 | 5000 |
122 | 581 | 1162 | 1742 | 2323 | 3097 | 3871 | 4839 |
142 | 563 | 1125 | 1688 | 2250 | 3000 | 3750 | 4688 |
162 | 546 | 1091 | 1637 | 2182 | 2910 | 3637 | 4546 |
182 | 530 | 1059 | 1589 | 2118 | 2824 | 3530 | 4412 |
200 | 516 | 1032 | 1548 | 2064 | 2751 | 3439 | 4298 |
- 登場時に入手期間が指定されていないマップで入手できるキャラ。
Ver | マップ | エリア (マス数) | 累計*2 (短縮) | キャラクター |
---|---|---|---|---|
SUN | ep.Ⅰ | 6 (205マス) | 550マス (-50マス) | ティリー・キャクストン |
ランクテーブル
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |
スキル | スキル | ||||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |
スキル | |||||
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | |
スキル | |||||
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | |
スキル | |||||
~50 | |||||
スキル | |||||
~100 | |||||
スキル |
STORY
連なってそびえ立つ無機質なビル群と、現物で――あるいはデータで飛び交うカネの束。
この街の経済の中枢である商業地区が、そこにある。
昼夜問わずギラギラと輝く照明に吸い寄せられる虫のように、この場所でのし上がってやろうと意気込みやってくる者は少なくはない。
欲望に塗れた裏の顔を隠し、クリーンでエキサイティングなモノに溢れた仮面をつけて取り繕う。
誰もが憧れる“黄金郷”。それがこの商業地区である。
そんな華やかな商業地区からたった3ブロック離れた小さな地域。
見上げればビルが空を覆うのが見えるほど商業地区からほど近い通りには、黄金郷と隣り合っているとは思えないほど、別世界のように荒廃した風景が広がっている。
商業地区から湯水のように溢れ出る廃棄物を“資源”として受け入れ、あらゆる犯罪が日常的に蔓延る地域。
住処とする者同士での暗黙のルールは存在するものの、治安としては最悪な部類。そんな“塵の街”<ダスト>と呼ばれる地区で、幼い少女が所在なさげに立ち尽くしていた。
少女には帰るべき家がない。
今にも崩れそうな廃屋、錆びたコンテナ、ドブ臭い下水路、この地区全てが少女にとっての“家”であった。
この“塵の街”では珍しいことではない。少女と同じような境遇の子供達は無数に存在する。
だが、そんな子供達のコミュニティにも少女は入っていない。
まだ街に染まらぬ小綺麗な服を着た“新入り”である少女を、進んで歓迎しようという者はいないからだ。
少女はひとりぼっち――いや、二人きり。
血を分けた家族である兄、少女が頼れる存在は彼しか残されていなかった。
「遅くなってごめんよ、ティリー」
「テディ兄さん……おかえり……」
「今日はパンを買えたんだよ。兄ちゃんも靴磨きの腕が上がってきたみたいだ」
「そう……ありがとう……」
「ティリー、もう気にするのはよせ。俺たちは生きていかなきゃいけないんだぞ」
妹のティリー、そして兄のテディ。
まだ幼い兄妹は、肉親がなぜそのような選択を取ったのか今も、これから先も永遠に分からない。
だが二人は事実、愛する親から“捨てられた”。
自身が“要らない存在”だとすぐに理解した聡いティリーの心は、着のみ着のまま“塵の街”へ流れ着いた頃にはすっかりと冷えてしまっていたのだった。
「大丈夫。兄ちゃんがお前を守るから。ずっとずっと守って、いつか二人で幸せを掴もう。だから元気を出してくれよ、な?」
「うん……」
「そうだ! 今日は集積所からギターを拾ってきたんだ! まだ全然弾けないけど、練習してそのうち名曲を聴かせてやるよ! 兄ちゃんは天才だからな!」
聡い分、多少内罰的な傾向にあるティリーにとって、この兄は唯一残された希望であり太陽。
誇り、憧れ――兄であり親である彼は、世界一の理解者であった。
それからテディは十数年に渡って、自身がティリーに誓った言葉を体現していく。
妹を守り、育て、そして“塵の街”で1番のギタリストとなった彼は、その腕ひとつで僅かばかりのチャンスと金を掴んだ。
いつも笑顔で優しい兄が奏でる、素晴らしい音楽。
兄と音楽は、いつだってティリーを地獄から救い出してくれるヒーローだったのだ。
二人は僅かな金を手に、最低最悪の街から抜け出して古いアパートの一室を借りることとなる。
裕福ではないが人間らしい穏やかな暮らし。
『いつか二人で幸せを掴もう』
あの日、兄に言われた言葉をティリーは思い出す。
“これ以上の幸せなんてない”。
そう思い浸るティリーとは裏腹に、彼女にとっての希望である兄はさらなる野心を燃やし始めていた――。
「兄さん……晩ご飯の用意ができたけど……」
「ああ……先に食べてくれ」
「少し休憩したら? そんなに練習ばかりしてたら、身体壊しちゃうよ」
「休憩なんてしてられないだろ! まだまだ足りないことばかりなのに……」
掃き溜めのような生活から脱出し、兄妹の人生は順風に乗ったと思えた。
ショービジネスの世界で名をあげるため、テディはメンバーを集めバンドを組んだ。それからは、ライブと曲作りに明け暮れる毎日。
バンドはほどなくして軌道に乗り、地元のライブハウスではチケットは連日ソールドアウト。リリースした2枚のEP盤もインディーとは思えないほどのセールスを収めることに成功する。
だがそれは、テディが望んでいたほどの結果ではなかった。
都市部の大きなライブホールの出演は未だワンマンではなく対バン形式でしか叶わず、音源のセールスも“インディーにしては”と言い換えれば、そこそこ程度のもの。
上に実力と貫禄たっぷりのベテラン勢が壁となって立ちはだかり、下からは考えもしなかった新たな感性を持った若手が物凄いサイクルで押し寄せてくる。
テディはもう、平静を装えないほど焦っていた。
あの日心に刻んだ、“自分の力で、音楽で、妹のティリーを幸せにする”という誓い。
だがその“幸せ”の定義は、いつしかテディの中で変容していたのだ。
プールのついた豪邸、いくつも並ぶ高級車、豪勢な食事……あのロックスターのような生活を手に入れるまでは、幸せなど遠く遠い――。
それはテディの優しさゆえ。
その優しさゆえに、まだ若いテディは迷走する。
「今の暮らしじゃダメなの? 私、これでもう十分……」
「バカ言うなよ! 俺たちが目指した“幸せ”はこんなもんじゃない!」
「でも兄さん言ってたじゃない! “音楽を楽しめば聴いてくれる人は勝手に増えてくる”……“誰かを楽しませるには楽しまなきゃダメだ”って! なのに、今の兄さんはちっとも楽しくなさそう!」
「ティリー、いつまでも遊びじゃいられないんだ。のし上がるためには戦略だって必要なことくらい、いい加減分かってくれよ!」
テディの焦りは心の余裕をなくし、刺のある言葉が他者に牙を向く。
リハやミーティングで集まる度に振り回されるバンドメンバーのモチベーションはみるみる下がっていき、脱退を申し込む者まで現れる始末。
だがそれでも、どんなに冷たい言葉を投げかけられてもティリーの兄に対する愛だけは変わらなかった。
「兄さんはちょっと不器用なだけ……ヒーローだって迷うときはあるもの……もしも世界中が兄さんの敵になっても、私だけは最後まで味方だから……」
兄を思い憂うティリーと、もがくテディ。
そんな二人の元へ、ある日一通の手紙が届けられる。
それは大きな“転機”。
ともすれば2度と元には戻れなくなるほどの、大きすぎる転機であった。
「見てくれティリー! K.O.Bへの招待状が届いたんだ! やっぱり俺の才能に気付く人がちゃんといたんだよ! 大会で名を挙げればもっともっと高みに昇れる! チャンスがやってきた!!」
二人は大いに喜んだ。
テディは未来への大きな足がかりに、ティリーは兄が認められたことに。
ほどなくして「数日で帰るよ」と喜び勇んで家を出たテディ。
だが、それから1週間、2週間という時が経っても。
彼が家に帰ってくることはなかった――。
――そして。
テディが家を出てから2ヶ月後。
日中の快晴が嘘だったかのように、大粒の雨が夜の街に容赦無く降り続ける。
その雨の中、ティリーはふらふらとした足取りで歩を進めていた。
目的地は『ナスティ・フェール』。業界ではそれなりに名の通ったライブバーだ。
K.O.Bの事務局はおろか、警察でさえ兄の行方について何の情報も掴めていない。その状況に痺れを切らしたティリーは、自ら兄を探し出そうと単独行動に出ていた。
だが、いざ聞き込みをはじめようにも業界に関しての知識がまったくなかったティリー。
そのため、割と名の知れた『ナスティ・フェール』へ辿り着くのに1週間もの時間がかかってしまっていた。
“塵の街”育ちとして、その辺の路上で寝泊りするのには慣れていたつもりの彼女でも、聞き込みに夢中になって飲み食いを怠っていたのは判断ミスだったといえる。さらには予報士泣かせのゲリラ豪雨。体力は限界に近い。
「『ナスティ・フェール』……あの店だ……」
バーとしてはゴールデンタイムといえる夜であるが、ネオン管に灯りは点っていない。
ティリーは不安になりながらも店に近づくと、偶然にも店主らしき人物が外の立て看板を片付けようとしていたところだった。
(私に残された手がかりはここが最後……もしもここで何も掴めなかったら……)
そんなはずない。私が信じなくてどうする。
そう思い直して、ティリーは振り絞るように声をかけた。
「あの……兄さんが……私の兄さんがここに来ていませんか……?」
――ここは……どこ?
誰かがいる……あれは……オーナー……
隣にいるのは……私?
どうして私が私を見ているの……?
霊魂かはたまた思念体か。意識そのものとなったティリーは、誰に気づかれることなく見慣れた部屋の中をふわふわと浮遊している。
視線の先にはこの数ヶ月間お世話になっている“オーナー”こと、モーガン・フェール。
そして、その眼前で必死になってギターの特訓を受けている自分の姿が見える。
――ああ……そっか……
これは夢……夢を見ているのね……
ティリーの見る“夢”は、モーガンと出会ってからの日々をスライドショーのように次々と映し出す。
何度も泣きそうになりながら乗り越えた地獄の特訓。
やりがいを感じていたウェイトレスの仕事。
気さくな客たちとの楽しいやりとり。
二人で作ったオムライスの味――。
幼い時分だったため、ティリーは自分を捨てた両親との記憶は残っていない。兄との暮らしも、劣悪な環境の中で生きるのに必死だった。だからこの日々は、ティリーにとってかけがえない大切な温もりとなっていた。
――オーナー……怒ると怖いし、特訓も仕事も厳しいし、自分のことは何にも教えてくれないけど……
でも……寒い夜の焚き火の炎みたいな……誰よりも優しくて暖かい人……
ティリーの目の前を流れ続ける光景は、やがて“決戦”の日を映し出し始めた。
K.O.B予選会場。夢を抱える若手ミュージシャンとファンで満員になったスタジアム。
そして――会場に姿を現したギーゼグール。
まさに夢心地でぼんやりと白濁していたティリーの思考が、冴え渡っていく。
夢。これが本当に夢を見ているのだとしたら、肉体の管理を手放している状態に他ならない。
眠っているのか、気絶しているのか。
いずれにせよ、こんなことをしている場合ではない。
目を覚まさなくては。
ティリーがアクションを起こす前に、それはすぐに叶うこととなった。
トレブルを上げすぎた耳をつん裂くようなディストーションサウンド。
モーガンの教えなどまったく生かされていない、闇雲にかき鳴らしたかのような暴力的な音の塊は、スタジアムを破壊し尽くしていく。
照明はすでに機能を失っているはずだが、何かが会場全体を煌々と赤く照らしている。
それは炎。
その温もりで恩恵をもたらす優しい炎ではない。全ての命を燃やし尽くす、邪悪で残忍な光。
操っているのは他でもない――ティリー・キャクストン、彼女であった。
――私……どうして!?
なんでこんなこと……っ!!
破壊のライブは終わらない。
逃げ惑う人々の悲鳴も、次のストロークで掻き消えていく。
明晰夢のような世界から帰ってきたティリーは、今確かに自分の肉体の中でその光景を見つめていた。
彼女には演奏を止めることはできない。
まるで自分の中に自分じゃない誰かがいるように、肉体のコントロール権を奪われているからだ。
音楽は希望。音楽は救い。
そう信じ続けるティリー自身が奏でる音色が、全てを破壊していく。
ステージを、客席を、スタジアムを燃やし尽くしたら、その破壊衝動はどこまで広がってしまうのだろうか。
そう考え、ティリーは身震いするような寒気を感じた。
だが、依然肉体の制御は効かない。
――私の身体なのに、どうして言うことを聞いてくれないのっ!!
このままじゃ……とても悲しいことが街中に……!
絶望が心の核に触れたのを合図にしたように、残されたティリーの“自我”が薄らぎ始める。
消えるのではなく、混ざり合うように。
肉体の中にいる“自分じゃない誰か”とひとつになるように。
そうなってしまったら、おそらく2度と元には戻れないだろうと本能的に感じ、ティリーは恐怖する。
だがその恐ろしさ以上に、音楽が悲しみをもたらすことを一番に憂う。
――こんなもの……音楽じゃない……
誰か……誰か私を止めて……
“誰か”、と祈りつつ、ティリーははっきりと具体的な人物を思い描いていた。
彼女にとっての“太陽”。兄、テディ。
そして、彼女にとっての“導く光”。モーガン。
暗い穴蔵を照らす陽のような、正しき道を示す松明の灯りのような。
劣悪な環境で育ち、都合のいい神などいないことはよく分かっている。
それでもティリーは祈った。
ヒーローの救いを。
――小娘! アタシの言うことが聞けないの!?
微かに、だが確かに聞こえた。
混濁していく意識の沼。その沼の中から砂粒を拾いあげるように、僅かに残った自我が言葉を紡ぐ。
「オー……ナー……たす、けて……」
――来てくれた……
オーナー……モーガン・フェール……
もうひとりの、私のヒーロー……
誰かのギターの音が鳴り響く。
それは一瞬で会場を、そしてティリーをも吹き飛ばしていく。
ティリーのもの以上の爆発力で、全てを圧倒する音。
だがその音色は暴力性と相反して、誰よりも優しく暖かいものであった。
「う……うぅっ………」
目を覚ましたティリーは、身体に強い倦怠感を覚える。
もう夢の世界ではない。
背中で感じる柔らかなシーツと、嗅ぎ慣れたキャンドルフレグランスの香り。
五感に感じる全てが強烈なリアリティを持っており、現実ということを嫌でも示している。
ここはナスティ・フェールの上階にある住居スペースの一室。
モーガンに与えられた“ティリーの部屋”の中だった。
「……ヤダ。目ェ覚ましたわ、この子」
声がした方へティリーが顔を向けると、そこには口を抑えて驚く仕草のモーガンがいた。
「オーナー……私……」
「ちょーっとちょっと! 無理しなくていーの! 今食べるもの持ってくるから!」
重い身体を起こそうとしたティリーを慌てて止めたモーガンが、腰を振りながらパタパタとキッチンへ向かっていく。
その姿を見て安堵したティリーは再びベッドに身を預けると、「私、生きてる……」そう一言だけ呟いた――。
――ほどなくしてモーガンが持ってきたトマトリゾットを、ティリーはあっという間に平らげる。
「ゆっくり食べなさいよ」とは言われたものの、体力は順調に回復していたようで、ティリーの食は進んだ。
どことなく心配そうに見ていたモーガンも、それを見て多少安心した様子を見せた。
「ごちそうさまでした」
「あーあ。若いってイイわねェ。こっちは年々食欲減退してるってのにサ」
「オーナーは若いですよ」
「おべんちゃらなんておよし! 歳と真っ直ぐ向き合ってこそ真の美容なのっ!」
プリプリ怒るモーガンを見て笑っていたティリーであったが、このままのうのうと日常に戻ることなどできない。
問題はさらに増え、何も解決していない。
ティリーには聞かなくてはならないことが山ほどあるのだ。
「私、どれくらい眠っていたんですか?」
「丸二日ね。医者は眠ってるだけだって言ってたからとりあえず寝かせてたけど、これ以上長引くようなら病院に連れていくところだったわ。ま、思ったより早くてよかったケド」
「そうでしたか……迷惑かけちゃって、ごめんなさい」
「ほんとにアンタは……もっとガキらしくしてな。あれだけのことがあったんだもの、仕方ないわ」
「……途切れ途切れだけど、微かに記憶はあるんです……どうしてあんなこと……」
「いっておくケド、アンタが気に病むことなんてこれっぽっちもないんだからね。被害に遭った人たちはラッキーなことにみーんな軽症。オシャカになったスタジアムは……こっちが知ったことじゃないでしょ」
「よかった……みんなケガで済んだんだ……」
ティリーは決して聖人ではない。
路上で生きていくために、犯罪に手を染めた経験だって少なからずある。
ただ、“自分の手で奏でた音楽”が他人を殺めることだけは耐えられなかった。
「報道では『舞台演出の設計ミス』ですって。そんなレベルじゃないだろって笑っちゃうとこだけど、なぜかそれでまかり通ってる。おおかたK.O.B側があちこちに金をばら撒いたんでしょうね」
「え……でもそれって、おかしいですよ」
「そ、おかしいの。そんな事実はないから。ということは、K.O.B……つまりギーゼグールは確実に何か知っている」
「ギーゼグール……」
「まあ、隠蔽してくれたおかげでアンタのツラがほとんど割れずに済んだ、ってのは助かったわ。ド新人だったことが幸いしたわね」
無関係であれば被害を受けた側であるはずのK.O.B。そんな立場の組織が事実を隠した。
それは何よりも、真実を知られることに不利益があることを意味している。
だとしても、ティリー自身に起きたあの現象はなんだったのか。K.O.B出場のため家を出た兄に何が起こったのか。
パズルのピースはまだまだ足りていない。
答えが出るはずもない思考の坩堝にティリーが陥っていると、モーガンは聞き慣れぬ単語を口にする。
「“煉獄の炎”、って聞いたことある?」
「れんごく……? いえ、聞いたことないです」
「ある情報筋から耳にしたことがあるのよ。ミュージシャンにまつわる都市伝説なんだけど。なんでも“煉獄の炎”とかいう悪魔と契約すると、自分の中の秘めた力が顕現して、とんでもない破壊力を持つ演奏ができるようになる、って」
「悪魔……」
「まーおもしろくもないお伽話ね。いつだって伸び悩んだミュージシャンはこの手の話に夢みちゃうワケよ。力を得る代わりに“ヒトじゃいられなくなる”っていうオチもありがち。ただね……」
モーガンは少し言い淀んでみせたが、一度肩を竦めてから続ける。
「“炎”ってトコが気になるのよねェ。アンタを包んだイヤーな感じの……この世のものじゃないみたいな炎……あれを思い出すと、やけにお伽話と通じるとこがあって……ねえアンタ、あの時ギーゼグールになんて言われたの?」
「思い……だせません……ギーゼグールが近づいてきたのは覚えてるんですけど……」
「あーあー、いいのいいの。無理に思い出そうとしなくて。お伽話なんて変なこと言っちゃったわね。忘れてちょうだい」
「はい……」
だが、ティリーには覚えがあった。
制御不能な肉体が暴走をし続ける中、自分じゃない何かと融合し始めるような感覚。
あの時、もしもモーガンに救い出してもらえなかったら。
自分は一体どうなっていただろうか。
“力を得る代わりに、ヒトじゃいられなくなる”。
モーガンの言った言葉が、ティリーの頭を延々と駆け巡る。
――ジリリリリリ。
ふいに階下にある古い営業用の電話が鳴る。
ティリーが思い耽ってしまったことに気づいていたモーガンは、あわてて取り繕ってティリーを無理やり寝かしつけると、ブランケットを掛け直しながら言う。
「と・に・か・く! アンタは何も考えず、今は休みなさい! これはオーナー命令よ!」
それだけ言うと、「はいはいはい」と意味もなく呼び出しベルに相槌を打ちながら、部屋を出ていくモーガン。
ティリーは彼の気遣いをありがたく受け取り、横向きに寝返りをうって眠りにつこうとする。
だが彼女は覚醒したまま。
気づけば、その瞳からはとめどなく涙が溢れていた。
(私は……何も残せなかった……!)
兄も、行方不明者の手がかりも。
何より熱心に自分を鍛え上げてくれたモーガンの期待にも。
ひとつとして報いることができなかった。
そんな己の未熟さに、無力さに、ティリーが涙していたその時。
ドスドスと遠慮なく床を踏み鳴らしながら、先ほど部屋を出て行ったはずのモーガンが駆け足で階段を上がると、勢いよく扉を開けて言った。
「アンタの兄さん、見つかったわよ!!」
モーガンの運転で車を走らせること約1時間半。
電話は、ティリー達兄妹とは縁もゆかりもない郊外の病院からだった。
面会の受付を済ませロビーで待っていると、ひとりの医者がティリーとモーガンの元へとやってくる。
逸る気持ちを抑えられないティリーは、思わず掴みかかるように詰め寄ってしまう。
「兄は……! テディ・キャクストンはここにいるんですね!?」
「お、落ち着いてください! 確かにキャクストンさんはこちらで保護させていただいてます!」
「無事なんですか!?」
「命に別状はありません。ただ……」
「……ただ?」
「いえ……お会いになったほうが早いでしょう」
不安が募るも、医者に促されたティリーは大人しく移動することにした。
渡り廊下を越えて入院棟に入り、さらに一番奥の部屋。
依然煮え切らない態度の医者が、ゆっくりと扉を引く。
「……兄さん」
個室の端に置かれたベッド。
そこに腰掛けた入院服姿のテディ・キャクストンが、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「兄さん!!」
思わず駆け出したティリーは、兄の首元へと思い切り抱きついた。
姿を消してからゆうに半年以上。共に寄り添いながら生きてきた兄妹が、これほどの時を離れて過ごすのは初めてのことだ。
だからといって、半年程度で忘れるはずはない。
確かに幼い頃おぶってもらった時とは互いに体格は違う。それでも、腕に感じる骨張った感触と慣れ親しんだ香りは、まさしく探し求めていた兄であると証明していた。
涙を浮かべて喜ぶティリーを眺めながら、わざとらしい仏頂面を繕っていたモーガンが指先で目尻を拭ったかと思うと、「はーこの部屋あっつい」などと言いながら手のひらで顔をパタパタ仰いでいる。
こうして、兄を探し出すというティリーの望みが叶った。ひとつの団円を迎えた。二人はそう思っていた。
最初に異変に気がついたのは、ティリー。
「……兄さん? どうしたの? 何か言ってよ」
問いかけに反応はない。
それどころか、首元にぶら下がるティリーの存在にも気づいていないように、テディの視線は窓の外に向けられたままだった。
かつての太陽のような笑顔も、野心に燃える表情もない。
抜け殻と表現するにふさわしい、生気のない虚ろな瞳がただ空を映していた。
「……ドクター。どういうことなのか説明してちょうだい」
「行き倒れていたキャクストンさんを警察から引き渡されてひと月ほど経つのですが、ずっと眠ったままでして。それが4日前、突然意識を取り戻したんです」
(4日前……ちょうどK.O.B予選の日ね……)
ただの偶然だろうか。
モーガンは何か符牒めいたものを感じていた。
「身体に見られる怪我は軽症だったのですが、このような状態で……身分を証明する物もないので、身元を探すのに苦労したそうです。ご連絡が遅れてすみません」
「いえ……探してくれてありがとうございます……」
自分を落ち着かせながら、ティリーが答える。
孤児として“塵の街”で育ち、なんとか借りたアパートも又貸しを重ねた違法契約だった。足取りを掴むのに苦労するのも無理はないだろう。
だが、今それは大きな問題ではない。
「治る見込みはあるんですか?」
「ええ。限りなくその可能性は高いかと。目覚めて間もないですが、問いかけに反応する回数も日に日に増えています」
「そうなんですね……! ああ、よかった……」
絶望的な状況ではない。その事実だけで、ティリーは深く胸を撫で下ろす。
「おそらく肉体ではなく、何か心に大きなショックを受けたのが原因かと。ですが、ご家族とお会いできたことですしこれからもっとよくなることでしょう。たくさん話しかけてあげてください」
医者のその言葉で何か思い出したような顔をしたモーガンが、握り締めていた取っ手を持ったままティリーに向けて差し出した。
それは真っ黒なハードタイプのギターケース。中にはアコースティックギターが入っている。
「アンタ、兄さんに聴かせてやるんだ、ってアタシに荷物持ちまでさせてたの忘れてないでしょうね。腕前、見せてやりなさいよ」
「はい!」
受け取ったティリーはギターを取り出して背負うと、テディの隣に座り直した。
6弦から順にざっくりとチューニングを直しながら、優しく語りかける。
「ねえ、兄さん。私もビックリしてるんだけど、ギターが弾けるようになったんだよ。オーナー……モーガンさんに教えてもらったんだ」
そして、いくつかコードを鳴らして調整具合を確認すると、テディに改めて向き合い、こう言った。
「兄さんに比べたら笑われるかもしれないけど、聴いて」
まずはゆったりとした古い定番ナンバー。モーガンとの特訓で最初の課題曲として選ばれたものだ。
それからアップテンポなロック、テクニカルなブルースと続く。
まるでこれまでの成長過程を報告するように順を追って披露される演奏は、次第に熱を帯びはじめる。だがティリーの思いがこもった演奏とは裏腹に、未だテディは反応を見せることはなかった。
やがて、最後の曲が鳴り響き始める。
テディからの反応が欲しいティリーはまだまだ演奏を続けたいが、これで終わりにしなくてはいけない理由がある。
短期間で実践重視の特訓を受けていたため、“曲”として弾き切ることができるのはこれが最後だったからだ。
ラストナンバーは、K.O.B予選大会のために用意していたもの。
ティリーの意見を取り入れながら、モーガンが特別に書き下ろした曲だった。
(兄さん……練習は難しくて大変だったけど、気づいたこともあるんだ。もっともっと子供の頃から練習して、評価されて、お金を稼いでた兄さんは本当にすごかったんだなぁって。だからお願い。ゆっくりでいいから、元気になって……)
ティリーの演奏に、初めてテディが僅かな反応を見せた。
指を震わせながらゆっくりと腕を上げ、何か伝えたいかのようにティリーへと伸ばす。
確実にこちらを認識していることに喜びを交えながら、兄の名を呼ぼうとしたその瞬間。
「うわああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
突如テディは絶叫したかと思うと、頭を掻き毟りながらベッドの上をのたうち回り始めた。
さらには、驚きながらも手を差し出すティリーに明らかな恐怖の表情を浮かべながら、子供のように身を丸くして怯え喚きだす。
「どうしたの兄さん……大丈夫、怖くないよ……」
「うわぁぁーー!! ああーーー!!!!」
「そこをどいて!」
慌てて駆け寄った医者がティリーを押し除け、錯乱するテディを拘束すると、手慣れた動作で注射器を突き刺す。
鎮痛剤か何かだったのだろう。数秒後、電池の切れたオモチャのように脱力したテディは、静かな寝息を立て始めた。
居心地の悪い静寂の中、ティリーの嘆く声が響く。
「一体、兄さんに何があったの……!」
動揺を隠しきれず震えるティリーの肩に手を置くモーガン。
寂しそうに、だが確実に強い意思を瞳に浮かべながら言う。
「小娘……アンタも悪者退治する理由ができちゃったのねェ……」
「K.O.B……ギーゼ、グール……あいつの仕業なんですね……?」
「絡んでるのは間違いないでしょうね」
「許せない……」
「ギーゼグールだけじゃない。もっともっと恐ろしいものが後ろにいるかもしれない。それでもやるの?」
「私は……絶対許さない! 兄さんを苦しめたヤツを、絶対にぶっ飛ばす!!」
「……そう」
震えの理由は気づけば怒りへと変わり、決意の拳を握るティリー。
その背中に踵を返し、ひとり病室を後にしながらモーガンは呟く。
「やるってんなら、もう少し付き合ってやろうじゃないの……小娘」
虚を突くか、罠に嵌めるか。
相手はあのギーゼグールである。小細工が通用するような相手ではない。
消去法ではあるがティリーとモーガンがとった選択は、今まで以上に力をつけることであった。
先日のような予選レベルではない。本戦でさえも制することができるほどの確かな実力。
K.O.Bを勝ち進むことが、最も現実的なギーゼグールに近づく方法だと判断したのだ。
仮初であったはずの日常が戻ってきた。
ナスティ・フェールのウェイトレスとして働きながら、生活に必要な時間以外は全て特訓に当てる日々。
目的のため、履き違えてはいけない。そう自分に言い聞かせるも、ティリーは胸の高揚を隠せない。
もしも全てが解決した後、奇跡のような“理由”が生まれたとしたら――兄の元を巣立ち、こうしてウェイトレスとして住み込みで働き続けたい。以前から、そんな淡い願いを持っていたからだ。
だが、そんな浮ついた気持ちはものの数日で霧散する。
“圧倒的な力”を手に入れる。その志を持ってギターを弾き始めた途端、ティリーの指は思い通りに動かなくなってしまっていたのだ。
「ストップストーップ……やっぱりダメね」
「ごめんなさい……」
「アンタ、ビビってるでしょ」
「そんなことないです! 絶対に倒すって、誓いました!」
「そーじゃなくて。自分によ、自分に」
「…………」
「アタシに隠し事なんてできると思って? ほら、言ってみな」
「オーナーの言う通り、怖いです……倒そう、とか……許せない、って思いながら弾くと……身体が、あの日の私になっちゃうような気がして……」
「……ふうん。まあそんなとこだろうと思ったわよ」
モーガンは、この現象自体はそう悪くないと考えていた。
もしも“例のお伽話”が真実ならば。暴走するほどの凶悪な力は、本人の潜在能力の一部だと考えられる。
何かをきっかけにそれを意のままにコントロールすることができたら――。
だが、ティリーは演奏すること自体に怯えている。こうなってはそれ以前の問題だ。
「小娘、今日からしばらく練習禁止。ってゆーか、ギターに触らないコト」
「えっ」
見捨てられたと思ったティリーが、落胆を越えて絶望の表情を浮かべる。
弁解の言葉を述べようと前のめりになる彼女を手のひらで制して、モーガンは続けた。
「誰でもあんのよ、そんな時期が。こういう時は無闇に足掻かないのがダ・イ・ジ。離れてみてこそ見えてくるもんがあるんだから。恋愛と一緒でね」
「そう……ですか……」
納得いかないような素振りだが、これ以上の抵抗も無駄だと分かっているティリーは、しぶしぶ従うことにする。
地獄の特訓もない、本当にありふれた普通の“日常”。
ティリー目当ての客が増えたこともあって、多くはないが給金も出している。仕事の時間以外は年相応の少女のように映画を観たり、ショッピングに出かけたり、良いリフレッシュをしてくれればいい。それがモーガンの思惑だった。
だが、モーガンのティリーという人物に対する見立ては、まだまだ甘かった。
「たまには出かけなさいよ」と促してもことごとく躱され、日がなバルコニーで物思いに耽るティリー。
それだけならまだしも、リフレッシュどころか日に日に気力が失われていくのが目に見えて分かる始末。
ティリーは、モーガンが思っている以上にストイックな少女であった。
ズブの素人からたった3ヶ月でK.O.B予選に出場するほどの特訓に耐えられたのは、事情や熱意以上に、ティリー自身の気質によるものだったことが大きい。
モーガンは、それに気づけなかった。
「マスター。なーんか最近元気ないよねー、ティリーちゃん」
「そうねぇ……」
今日のナスティ・フェールは、客もまばら。
あらかたの雑務も終え、手持ち無沙汰でぼんやりしているティリーを遠くに眺めながら、カウンターの常連客が言う。
「冷たくあしらわれるにしてもさ、こう……ズバッ! って言われるのが良かったわけよ。でもあんなにしょぼくれてちゃ張り合いないわー」
「そうねぇ……」
聞いているのかいないのか。モーガンは気の抜けた返事を繰り返す。
「なになに、マスターまでどうしちゃったわけ?」
「……え? ああ、ごめんなさァい。ちょっと考えゴト」
「おっ、マスターが悩んでるなんて珍しい。どしたの?」
「そうねェ……分かったつもりで何も分かってなかったんだなー、って」
「いや思ったより重そうな話! もー勘弁してよー! バカになって騒げるナスティ・フェールが好きなのに――」
常連客は言いかけて、再びティリーと同じようにぼんやりしているマスターを見て肩を竦めた。
「……こりゃ重症だわ」
思惑は裏目となり、なんとも噛み合わない毎日。
だがモーガンは早くも気持ちを切り替え、事態をどう打開すればいいか考えていた。
練習を再開するのは簡単だ。しかし、恐らく以前の二の舞に終わるだろう。もし再びそうなってしまった時、ティリーの自信が大きく失われるのは火を見るより明らかだ。
(何かあの子に良い刺激があればいいんだけど……)
そう考えながらも手をこまねいていたある日。
開店前の準備をしていたナスティ・フェールに、電話のベルが鳴り響く。
「ちょっと小娘ー! 出てちょうだいー!」
「はーい!」
倉庫で酒瓶の整理をしていたモーガンからの指示に、慌ててティリーが電話へと駆け寄る。
「はい、ナスティ・フェールです。営業は午後6時からとなっておりま――」
「ティリー……かい?」
絞り出すような掠れた声が受話器から聞こえる。
名乗りもない、短い言葉。
それでもティリーは、電話の主が誰なのかが一瞬で分かった。
「兄さん……!?」
「心配かけたな……やっとまともに話せるようになったんだ……」
「そう……よかった……本当によかった……」
目を瞑り、受話器を握り締めながら、ティリーは何度も呟く。
「積もる話はあるけれど……まっさきにティリーに伝えたいことがあって、電話させてもらったよ……」
「なあに? どうしたの?」
「俺……自分が間違ってたって気づいたよ……“幸せになる”なんて言って……本当は見返したかっただけなんだ……俺たちを捨てて……馬鹿にした連中に……ざまあみろ、って……」
「うん、知ってたよ……」
「はは……そっかぁ……やっぱりティリーには敵わないな……」
過去の自分を悔い、心中を吐露するテディ。
まだ声に痛々しさは残るものの、その声は間違いなくティリーの愛する兄のものだった。
「あと……俺がいない間のこと……それに今のこと……モーガンさんから色々聞いたよ」
「オーナーから?」
驚いたティリーが思わず振り返ると、視線の先には変わらず倉庫で作業をしているモーガンの背中があった。
覚悟を決めた日。気持ちに迷いが生じないように、しばらくテディの見舞いに行くのは控えようと二人で決めていた。
だがモーガンは兄妹を思い、近況報告のため病院へ足を運んでいたのだと、ティリーは理解する。
「悩んでるんだろ……?」
「うん……私の音楽が、また誰かを傷つけちゃうんじゃないかって不安で……弾きたくても弾けないんだ……」
「なんだ……そんなことか」
闘う。そう決めた。
なのに闘う準備さえできない。
ティリーにとって最大級のフラストレーションを、テディは「そんなこと」だと一蹴する。
「教えたはずだよ……“音楽を楽しめば聴いてくれる人は勝手に増えてくる”……“誰かを楽しませるには楽しまなきゃダメだ”って。忘れちゃったのかい……?」
「――――っ!」
それは、まだ幼い頃兄から聞かされた言葉。
たくさんのことを教えてくれた兄の言葉の中でも、一番好きなものだった。
「俺たちは、観客がいないと生きていけない生き物だ……楽しませるには、自分が楽しむ……演奏……パフォーマンス……ステージでの高揚感……全てを楽しむんだ……誰かをぶっ飛ばさなきゃいけないなら、楽しみながらぶっ飛ばせばいい……」
「楽しみながら……」
「ああ……俺たち、そうやって生きてきただろう……?」
「……そうだね。兄さんのおかげで、思い出せたよ。私やってみせる。他の誰でもない、私たちのやり方で」
「ティリーらしくなってきたじゃないか……頼んだぞ……これ以上俺のようなミュージシャンを生ませないようにしてくれ……」
「任せて。楽しみながらぶっ飛ばしてくる」
「全部終わったら……俺とも闘ってくれよ……ティリーの演奏、あらためて聴きたいんだ……」
「約束する。兄さんもそれまでにまた弾けるようになっておいてね」
受話器を置いたティリーが再び振り返る。
そこにはカウンターに頬杖をついたモーガンが笑みを浮かべていた。
「ふふ。完全復活~、ってカンジ?」
「特訓再開、お願いします!」
「今まで以上にシゴいてあげるワ! でも、その前に今日の営業! 看板出してらっしゃい!」
「はい!」
立て看板を抱えて、元気よく飛び出していくティリー。
それを見送ったモーガンは、ぽつりとこぼす。
「楽しく……か」
それはひとりの例外もなく、ミュージシャンが音楽に目覚める原動力。
時に迷い、時に学びながら、若者がひとり、またひとりとこの店を巣立っていった。
モーガンは目を細めて懐かしむ。
「バーニッシュや虎之助……あのクソガキたちは今も楽しくやれてんのかしらね……」
そして、そんな若者は今――ここにも。
「小娘……私が見てきた中でも、誰よりも優しい熱を秘めてる……あの子ならきっと、この世界の闇をぶっ壊してくれるのかもしれない……」
柄にもないことを考えてしまったと自ら鼻で笑うと、モーガンは準備作業に戻りながらこぼすように呟いた。
「真実を話す日は近い……か」
見抜けなかったティリーの本質はまだあったのだと、モーガンはすぐに理解することとなる。
“自分の音楽とは何か”。それを理解したティリーはかつて以上の凄まじい成長を見せ、彼女の顕在化したポテンシャルにはモーガンでさえ畏怖するほどであった。
――私、やれる! もっともっとやれる! もう怖くなんかない!
もし、あの日みたいになっても……私が私を塗り替えてやるんだ! 自分の音で!!
いつしか特訓中にモーガンが口を挟む回数は減り続け、ついには一度もない日が増えていく。
それは、裏を返せば“教えることがなくなった”ことを意味していた。
目標は“モーガンのコピー”になることではない。
基礎や技法はもう十分。ここから先は、ティリー自身が開拓する音楽を鳴らさなくてはならないからだ。
そして、特訓の日々がいよいよ実を結ぶ時――K.O.B地区予選大会。本戦出場者を決める選抜フェスの開催日がやってきた。
あれから1年。辛酸を舐めたあの日のリベンジマッチは、もう明日に迫っている。
そんな中、ナスティ・フェールではいつものように閉店後の洗い物をするモーガンと、床のモップがけをしているティリーの姿があった。
床を拭きながら、ティリーはモーガンに尋ねる。
「そういえば明日はお店がお休みってこと、常連さんたちに伝えなくてよかったんですか?」
フェスの開催時間は営業時間と被っている。
モーガンとティリー以外のスタッフがいないこの店は、必然的に休業するしかない。
当たり前のことを当たり前に尋ねた、という風なティリーであったが、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「必要ないわー。だって休まないもの」
「ええっ!?」
「ええって何よ。当たり前でしょォ? これが仕事なんだから」
「で、でも……それじゃあ大会が……」
「行くのは小娘、アンタだけ。アタシはいつも通りここでお酒を作ってるわ」
あまりに予想外な返答に、目を白黒させながらティリーは思わず声を上げる。
「そんな! オーナーも一緒に闘うはずじゃないですか! どっちかが勝ち残れば、それだけギーゼグールに近付けるチャンスなのに!」
ティリーからの猛抗議にモーガンは苦笑しながら、おもむろに蛇口の水を止めて手を拭いた。
そしてティリーのいるフロアまでやってくると、まっすぐ目を見据えて言う。
「アタシ、アンタに謝らなくちゃいけないことがあるの」
「オーナーが……私に……?」
「アタシが元々表舞台にいた人間だってのは、なんとなく知ってるでしょ?」
「は、はい……そういう噂を聞いたことが……それに、あんなにギターが上手い人ならそういうことなんだろうな、って思ってました」
「そう。かつてハイパー・ブリリアント・アメイジング・超ゴージャス・アンド・ファビュラスギタリストと呼ばれたのは、このア・タ・シ。そーんなアタシがなんで第一線を退いたか分かる?」
「どうして……ですか?」
その問いかけにすぐには答えず、モーガンは手のひらを見せるように腕を上げてから言う。
「事故ってケガ。ちょーマヌケな理由でしょォ? 腱だか神経だか忘れちゃったケド、場所が悪かったらしくてね。長時間の演奏ができなくなっちゃった」
「そんな……そんなことが……」
「昔の話よ。だからね、大会で勝ったとしても先に進むことはできないの。もって1戦が限界ね」
「……なんで今まで黙ってたんですか」
「ホントなんで、ってカンジよね。まあ……ギリギリまで夢見たかったのかもしれないわ。アンタを見てて、もしかしたらアタシも昔みたいに……って。そんな魔法みたいなことありゃしないのに」
そう寂しそうに話すモーガンの顔。それは今までに見たことのないものだった。
途端に胸が締め付けられるような気持ちになって、ティリーは返す言葉を失ってしまう。
「だから、“ごめんなさい”。アンタを騙すみたいになって、悪いと思ってるわ」
「謝る必要なんかないです……オーナーには、感謝してもしきれないくらい……」
「あーあー、湿っぽいの禁止!」
そう笑うと、モーガンはティリーを抱き寄せた。
大柄なモーガンの逞しい腕の中にすっぽり埋まったティリーは、声を殺して涙を流す。
「今のアンタなら大丈夫。アタシが保証するわ。アタシの分までぶちかましてきなさいな」
「はい……」
ティリーが落ち着くまで待っていたモーガン。
一度だけ小さな頭を撫でると、まるで何事もなかったかのようにいつもの調子で尋ねる。
「そういえば、アンタってもうお酒飲めるトシなんだっけ?」
「あ、はい。ついこのあいだから……」
「ちょっとそういうのは言いなさいよー!」
文句を言いつつ、カウンターの中からショットグラスをふたつとボトルを取り出すと、トン、と小気味良い音を立てて並べた。
「あの……?」
「察しが悪いわねェ。前祝いよ、前祝い。とはいえ明日は本番だから、今日のところはジュースでね」
「前祝い……ふふっ、いいですね! オーナーらしいです!」
「ふん、アンタも分かってきたじゃない。でも乾杯の前に、約束して」
「なんですか?」
「アタシはいつだってここでアンタを待ってる。だから、必ず帰ってきなさい。そしてアタシと本チャンの祝勝会をあげるコト。いいわね?」
「……はい! 約束します!」
二人はそれぞれグラスを持つと、互いに顔を見合わせる。
そこには迷いなどどこにもない。
互いを、そして自分を信じる、希望に満ち溢れた顔があるだけだ。
師弟のようで、親子のようで、恋人のようで、友達のような。
不思議な関係のティリーとモーガンは、タイミングを合わせて高らかに声を上げる。
「乾杯――!!」
――翌日。
会場に向かうバスの中に、ティリーの姿があった。
隣には誰もいない。大きなケースがひとつだけ。
だが、その両肩には二人分の想いを確かに背負っている。
“音楽を、ミュージシャンを食い物にする者を打ち倒す”。
信念の元に磨かれた、清廉で高貴なふたつの想いが――。