梅酒・エピソード
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梅酒のエピソード
しとやかで、優しい少女。
他人に迷惑をかけたくないと思っており、会話をするときは、疑問形で相手の気持をはかる。
Ⅰ.居場所
すぐ近くの小屋から小さな灯りが漏れています。
(日が暮れてしまったので、これ以上進むのはどのみち無理ですね……)
そう考え、私は小屋に向かいました。
小屋に着くと、私は窓の下の壁に寄りかかって座り込みました。
今夜はいい天気です。季節は秋ですから夜空が高く見えます。
散らばる幾千の星が見える夜空の下で、少し冷たい風が木々を揺らし、カサカサと葉音が聞こえてきました。
人の気配を感じると私は落ち着けるのですが、屋内の方に迷惑をかけないかと心配でもあります。
目を閉じて休もうとしたそのとき、頭上の窓が開く音がしました。
見上げると、僧侶の格好をした少年と目が合いました。
「あ、あの、ごめんなさい!……すぐに行きますので」
私はその場を立ち去ろうと、慌てて荷物を持ち上げました。
すると、少年から呼び止められました。
「良ければ中に入って下さい。今宵の風は寒いですから」
「えっ?でもご迷惑じゃ?」
「元々ここは廃小屋です。僕も一晩ここを借りて休んでいるだけですよ」
私は安心して、正門まで回り、小屋の中に入りました。
猟師さんが使っていた小屋のようで、南側の床に少し汚れている動物の皮が絨毯代わりに置いてあるだけで、寝床の一つもありません。
地面は平坦ではなくでこぼこしており、壁もひどく黄ばんでいて、挙げ句に天井には茶盆ほどの大きな穴が空いています。
幸い変な匂いはしないし、外よりは暖かい。
少し休むにはもってこいだと少年は思ったのでしょう。
今夜、私の寝床になるスペースも十分にありました。
部屋の真ん中にランプがあって、灯りがちらちらと点滅していました。
少年はランプの近くに座って、何かを書いています。
私は少年と向かい合って座りました。
「ああ、ごめんね……灯りがついてたら休めないですよね。すぐに消します」
私の視線に気が付いて、少年は筆を置いた。
そして恥ずかしそうに顔をあげて後ろ頭を掻いた。
「いいえ、そういうわけではなくて……」
慌てて手を振って私は言った。
「ただ、あなたが何を書いているのか、少し気になってしまったんです」
すると一瞬少年はきょとんとするも、すぐに真面目な表情で私に言いました。
「ああ、今日起きた出来事を書いていました」
「日記、ですか?」
私の御侍さまである承さんのことが思い出されます。御侍さまは幼い頃に日記と呼ばれるものを毎日のように書いていました。
「似たようなものです。僕は見たもの、聞いたことの全てを記録する癖が……あっ、そういえば!」
少年は大事なことを思い出したかのように背筋を正した。
「僕は納豆と言います。食霊で、今は旅の途中です……よろしければ、貴方様のことを聞かせてもらえませんか?」
「私のこと……ですか?」
急な質問に私は驚いてしまう。何か、彼に語って聞かせるような話はあっただろうか?
「そんな構えないでください。まずは貴方の名前を知りたいです」
そう頷いた少年に、私は「あっ」と声をあげた。
「そうでした。私、自己紹介もまだだったんだ……」
その事実に思わず笑ってしまい、私は笑顔になって自分のことを語り始めた。
Ⅱ.過去の出来事
自分自身の事をお話しするのであれば、承さんとの事を抜きには語り切れません。それは、とても長いお話になります。
彼は唯一の後継者として、生まれながらに道場を建て直す使命がありました。
でも、彼の子供の頃からの夢は料理人になる事、確かにその才能もあったように思います。
残念ながら、彼は一人息子で唯一の跡取りでした。
彼は道場に留まる運命しかありませんでした。
そんな時、私は承さんに召喚されました。
道場を継ぐ事への反発であるかのように、私は彼の前に現れたのです。
しかし、この小さな反抗も意味はなかったようです。
跡取りとしての重荷に耐え切れず、承さんは十四歳の時、いきなり道場を飛び出しました。
私が彼を見つけた時には、彼は堕神に攻撃されて、右手に傷を負っていました。彼の服は真っ赤な血に染まっていて……
堕神は私の存在に気がつき、攻撃の的を私に移しました。承さんもまた私に気がついたようです。
彼は堕神に向かって棒を投げつけた。
効いていないのを見て、必死にやつの尻尾を掴んで、私を守ろうとしていました。
なぜこんな状況に?私の心の中に疑問が生じたのですが、考える余裕はありませんでした。
私が承さんを守らなければならない!
――冷静になればわかることでした。
人間にとって堕神は戦える相手ではないですし、承さんは剣術の訓練もしていません。
それでも彼は私を守ろうと食い下がっているのです。
承さんを助けようにも、私は堕神の攻撃を避けるだけで手一杯でした。
私ではこの堕神に手も足も出ないのだと、絶望し諦めかけていました。
そうして、堕神に呑まれそうになったとき、どこからか飛んできた刀が敵の頭に突き刺さりました。
「ふん、弱すぎる」
その青年は颯爽と私たちの前に現れて、横たわる堕神から自分の刀を抜き取りました。
彼の名は紹興酒。甘酒団子という人見知りの女の子と一緒にいて、彼女の御侍さまを探していたようです。
たまたま桜の島を通りかかり、私たちを助けてくれました。
紹興酒と甘酒団子が離れたあと、私は脱力して立ち上がれませんでした。
まさに間一髪でした。
もし一瞬でも助けが来るのが遅かったら……
私と承さんはここで命を落としていた事でしょう。
Ⅲ.行くべき所
「……どうかしましたか?」
私は少しの間黙り込んでしまいました。
私が急に話さなくなったので、納豆は戸惑ったようでした。
これからのお話は私にとっても、承さんにとってもとても大事な転機なため、息が詰まってしまいます。
私は深呼吸をしました。
長い間この事について話してこなかったからか、私は最後まで話しきりたい気持ちでいっぱいでした。
紹興酒に命を助けてもらいましたが、承さんは重傷を負っていたので、私は彼を背負ってお医者さまの元へ行きました。
「骨が折れていますね」
お医者さまははっきりと仰いました。
「それって……治りますか?後遺症とかも……わ、私に何かできることはありますか?」
とても心配で不安でした。承さんにとって、右手は何よりも大切です。
道場の練習にも料理を作るにも、右手がないと……
「治りはしますが……」
お医者さまは少しためらいつつ仰いました。
「元通りになる事は……ありません」
私は承さんを見つめた。お医者さまの言葉は「もうあなたに未来はありません」と言っているのと同じ意味でした。
でも、承さんは落ち着いていました。
彼はいつもの調子で「わかった」と静かに頷きました。
長い月日が流れ――
承さんが道場の跡を継ぎ、独自の流派を築き上げ、有名な剣術家になった頃です。
再びあの事件の事について聞くと、髪が白くなった彼は落ち着いた様子でこう言いました。
「梅酒に出会う前、私は親戚とグルイラオに行った事があってな。あそこで食べた料理は全て桜の島では見た事のない料理だった」
「若い私は広い世界に憧れていた。各地の料理を堪能したいと思ったものだ」
「自分には才能があると信じ、それに固執していたが……その結果――」
「後悔もあるが、そう悪くはない」
「人は何かを得るためには、何か対価を払わなければならない」
「私は剣を構えるための右手を失ったから、今ここにいるのだと思う」
「私はこの家に生まれたから自分の夢を諦めなければならなかったが、梅酒に出会う事ができた」
「死に直面したあの時、私はようやくわかったのだ」
「……梅酒、あなたはどこへ行くべきか、これから何をすべきか、わかっているか?」
どこへ?何を?
私にはわかりません、ただ承さんのそばにいたい。
その時の私はそう答えようとしましたが、結局何も言えませんでした。
そして、また月日は流れ今から半月前に、承さんが亡くなりました。
彼の遺言通り全てを手配して、道場は彼の一番弟子にお任せしました。
私と承さんの契約はこれでおしまいです。
一人で賑やかな道場を眺めていた時、突然承さんが言っていた事がわかった気がしました。
人は何かを得るためには、何か対価を払わなければならない。
私は承さんを失ったけれど、彼が生涯手にする事ができなかった自由を与えられました。
自分がしたいと思う事をして、行きたい所へ行ける。もう何も私を縛り付ける物なんかない。
彼はそう私に伝えようとしたのではないかと思います。
だから、私は旅に出る事にしました。
承さんが憧れた場所へ行きたい。見たことのない場所に行ってみたい。この広い世界をもっと、もっと知りたい。
自分の行くべき場所がどこなのか、わかった気がします。
Ⅳ.名残惜しい場所
「それで、梅酒は今ここにいるのですか?」
真剣に記録している納豆の姿を見て、私は恥ずかしくなった。
「は、はい。承さんが望んでいた生き方……って、これ思い込みでしょうか……?」
「そんなことはありません。少し僕に似ている気がします」
彼は頭を横に振った。
「梅酒は光耀大陸へ行こうとしているのですか?」
「はい。でも、その前にもっと桜の島の風景を見ておこうと思っています。だから歩いて旅をしているんです」
「それなら……」
納豆は紙を取り、地図のような物を描いた。
彼は隅に字を書きこみ、自分の描いた地図を見て満足げに頷いた。
そして、その紙を私に渡した。
「いい所を知っています」
「紅葉……小舎?」
納豆は鞄からある本を手に取り、パラパラとめくった。
「あっ、ありました、ほら」
それは旅行記だった。
納豆の目に映る期待を読み取れたからか、私は思わず微笑んだ。
「紅葉小舎という名前ですが、夏の景色も見る価値があります」
彼ははきはきと言いました。
紅葉小舎。
私はそこに三日間滞在しました。そこが長い旅の始まりであり、一番印象に残っている場所です。
その後、様々な風景を見ましたが、今でもあそこの静かで穏やかな風景、そして楽しそうな人々の姿は、はっきりと私の頭の中に残されています。
味噌汁は天ぷらとじゃれあいながらお酒を持ってきて、すき焼きは近くの木の下で酒を飲み、梅茶漬けは笑いながら誰かを探しているようでした。
「ねぇ、あなたが梅酒でしょ?」
うどんはボーッとしていた私を見ながら言った。
「納豆がここを教えてくれたの?」
「はい。納豆がこの地図を描いてくれました」
私は納豆からもらった紙を取り出しました。
私はそれを大切にしまっています。時が経っても、もらった時のままのように。
「地図?あの子が描いた絵をよく理解できたね。裏に何か書いてあるみたい……」
うどんが紙の裏を見つめて言いました。
「あれ?」
紙の裏を見てみると、それは招待状だったのです。
「記録者の……茶会?」
Ⅴ.梅酒
昔から、梅酒はさまざまな鎖で自分自身を束縛してきた。
彼女は全ての人に丁寧に接し、相手の機嫌を損ねないようにとても気を使っていた。
自分に自信がないが、他人の良い所には鋭いため、「いつも自分は誰かの世話になっているのだから、恩返しをしなくては」と考えてしまう。
食霊が人間の生活に入り込んでから、人間は食霊に守ってもらっているので、自分自身を鍛える必要がなくなってしまった。
そのため、彼女の御侍の道場の経営は悪化の一途をたどった。
言い換えると、こういった道場は食霊のせいで人が集まらなくなってしまったのだ。
彼女は自分のような食霊は人間の元を離れた方がいいと思っていた。追い出される覚悟だってあった。
だが、彼女の御侍の家族は優しく梅酒を受け入れて、自分の子供のように大切にしてくれた。
恩返ししたくても、梅酒はどうやって自分の感謝の気持ちを伝えたらいいのかわからなかった。
無力感が募り、辛さが増していく。
昔の自分だったら、永遠の忠誠を誓って恩返ししていただろう。しかし、御侍は彼女を自由にさせた。
今回、梅酒は初めて自由という物に触れた。
彼女は旅に出て、「記録者」の一員となった。
彼女の御侍にとって、自由という物は自分自身がしたい事をし、行きたい所へ行き、言いたい事を言う事だ。
自分ができなかった事を、全て梅酒に託した。
――しかし彼女はなかなか理解できなかった。
彼女は自由を求めた事などないから。
彼女が旅に出たのは、御侍の願いを叶えたいその一心だけかもしれない。
だから光耀大陸に来た時、彼女は紹興酒と甘酒団子を探していた。
そこに例え綺麗な景色があったとしても、彼女は紅葉小舎の風景や、そこに集まる者たちの方が気になっていた。
彼女は新しい枷を探しているのだろうか?
それとも新しい居場所を探しているのだろうか?
梅酒自身にもわからない。しかし、未来の御侍に出会った時、彼女はようやく気がついた……
自己表現するのが苦手な自分の心が、静かに変わり始めているかもしれない事に。
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