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ようこそ ティアラワンダーランドへ・ストーリー

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作成者: Mayusagi
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メインストーリー

創世の日


創世の日はティアラ大陸の住民に最も愛されている祝日である。

だが、各国の王にとっては、厄介な祝日でもある。

この盛大な祝日は主催国側が他国に魅力をアピールする場でもあり、普段は簡単に越えられない国境をまたぎ、多くの要人たちが行き来をする。

ローストターキーは教廷の「七戒律」や、憧れのあの方ーーシャンパンを創世の日の賓客として迎えるため、ここ数日ずっと焦っていた。

忙しさで思わず頭をわしゃわしゃしてしまい、彼のふんわりとしたショートヘアはボサボサだ。ドアの外でデザートを持っているエッグノッグが何回ノックしても、返事は返ってこない。


エッグノッグローストターキー


ローストターキーは、大臣が提示した創世の日の会場準備案と、教廷とシャンパンに確認する文書を眺めながら、また頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。


ローストターキー:ああっ!


こっそりと背後から近寄り驚かせようとしたエッグノッグは逆に驚き、持っていたケーキも危うく落としそうになる。エッグノッグローストターキーの手からしわくちゃになった文書を取りあげる。


エッグノッグ:はいはい、十分良い文書になっていますから、もう確認しなくていいですよ。


ローストターキー:うう…あのシャンパンさんもいらっしゃるのだぞ…うわーーだめだ!やはり間違いがないかもう一度確認せんと!創世の日まであと二日しかないのだぞ! どうしたらよいのだ、余はどうしたらよいのだーー!


エッグノッグ:(ははは…教廷陣より、シャンパンに緊張しているのか…恐るべきシャンパン…)


取り出した文書を片付けて、エッグノッグは彼の肩を軽く叩いて気の毒そうに伝える。


エッグノッグ:忘れていないとは思いますが、彼らは今日到着いたしますよ?


ローストターキーは固まり目が点になった。彼はしばらくすると、ようやく先日シャンパンから届いた手紙のことを思い出した。

「教廷施設の状況を拝見したいとフォンダントケーキが希望している。よって混雑するであろう創世の日は避け、二日前倒して伺うことにする。--シャンパンより」

とても簡素な手紙で、むしろメモのようだ。創世の日への準備に没頭していたローストターキーは、手紙の下部にある綺麗な飾り文字風のサインが誰のモノなのかさえ確認していなかった。


ローストターキー:うわ――なんとしたことだ!まだ宿の手配すらしておらんのに! ま、まだ着いてはおらんよな?!


スイーツをローストターキーの前に置き、彼の悲鳴を聞きながら、エッグノッグは肩をすくめた。


エッグノッグ:どうやらシャンパンフォンダントケーキと喧嘩をして、ひとりで先に来るとのことです。先ほど君からなかなか返事をもらえないと、外の衛兵から聞きました。それで直接伝えにきたのですよ。


ローストターキー:……………………


エッグノッグ:客室はすでに片付いております。どうやら待ちきれずに外に出かけたようですね。ついでに言うと、恐らくフォンダントケーキのために教廷施設に事前調査をしに行ったんでしょう…案外ちゃんとしてる人なんですね…


ローストターキー:……


エッグノッグ:ちなみに「七戒律」の代表もすでに到着しています。彼らは施設の子どもたちにプレゼントを持ってきたようで、今そちらに向かっていると思います。


ローストターキーエッグノッグ! どうしてそれを先に言わんのだ!


悲鳴を上げながらローストターキーの姿は瞬く間に消え去った。まるでその場面を味わうかのように、エッグノッグは机の前にゆっくり腰かけ、微笑みながらケーキをつまんだ。


近侍A:宿と案内人の手配はすでに終わっているのに、なぜエッグノッグ様は若君に言わないんですかね…


近侍B:オマエはまだ新人だから、わからなくても無理ないな。エッグノッグ様は若君の慌てた様子が大好きでね。毎日からかわないと眠れないみたいだぜ。大丈夫、大丈夫。すぐに見慣れるよ。


近侍A:ふふふ…若君もなかなかかわいそうですね。


宮殿の扉から飛び出したローストターキーはピタッと足を止めた。彼は何かを考えながら、顔をしかめた。

思い返してみれば、昨日もエッグノッグと喧嘩をしたな。ああいう言い方は流石にまずい。やはり謝るべきか…と思ったが、ふーとため息をついて、自分を励ますようにパンパンと顔を叩いた後、急いで施設に向かった。


ローストターキー:…まぁいい、まずは用事を済ませんと。


創世の日の児童施設はおとぎ話をテーマにし、可愛いオブジェが施設のあちこちに飾られている。施設の屋敷を見たとたん、ローストターキーの顔にも笑みがこぼれた。その時急に、バタバタと慌ただしく人が現れた。


???:まずい、やつが暴走するーー

ワンダーランドのドリームⅠ


ローストターキーは困惑した様子で首を傾げて後ろ姿を眺めていたが、そのうちに見覚えある人物の姿が見えた。

ビーフステーキの腕には何人かの子供がぶら下がっていて、グルグルと回っている。彼の背中にぶら下がって、角についているルビーを触っているやんちゃな子もいた。


ビーフステーキ:おいおいおい! 角に触るな!


ビーフステーキは険しい顔をしていたが、子供たちは全く気にする様子も無く、彼にぶら下がったまま、楽しそうに遊んでいる。

その隣で子どもたちにプレゼントを配っている見慣れない人たちがいた。


フィッシュアンドチップス:さあ、ちゃんと並んで、ちゃんとみんなの分もあるからね。


女の子:お兄さんありがとう!!


フィッシュアンドチップスは眩しい笑顔で盛りだくさんのプレゼントを子どもたちに配っていった。子どもたちは嬉しそうにプレゼントを持ったまま歓喜の声を上げている。そのうち、ひとりの女の子がフィッシュアンドチップスをじっと見つめている。

フィッシュアンドチップスは女の子に気づき、優しい笑顔でしゃがみこみ、女の子の頭をなでる。


フィッシュアンドチップス:どうした? このプレゼント、好きじゃなかった?


女の子は頭を上げてフィッシュアンドチップスの笑顔を見た。そして彼女は顔を真っ赤にして、フィッシュアンドチップスの手を取って自分の頭上に持ってくる。


フィッシュアンドチップス:……?


フィッシュアンドチップスがもう少ししゃがみこもうとした時、女の子は掴んでいた手をパッと放して、彼の懐に抱きつき、頬にチュッとキスをした。

隣で子供たちの身体検査をしていたヴァイスヴルストはその光景を目にして、長い溜息をつく。一方、マティーニの膝にすら届かない背丈の女の子たちは幸せそうな表情でマティーニの腰に抱きついていた。


テキーラ:児童誘拐は極刑だぞ。


マティーニ:わ、私が望んでいるわけではないぞ! この小さなレディーたちの猛烈なアプローチだ! クロワッサンの所にも子どもがたくさんいるではないか! なぜクロワッサンはよくてこの私はダメなのだ!



マティーニが指さした方向に目をやると、クロワッサンの周りにはたくさんの子どもがいた。彼のクールな表情で、子どもたちにおとぎ話を読んであげている。淡い太陽の光が羽根に注ぎ込み、まるで絵画のように静かにたたずんでいる。

テキーラは気にくわない様子でマティーニを見た後、そっぽを向いてしまった。


マティーニ:なっ! テキーラ! なぜ私から目をそらす!? な、なんだその目は!?


そこにいた者たちとは面識がなかったが、どこからどう見ても幸せそうな光景にローストターキーは微笑んだ。


ジンジャーブレッドローストターキー、来てたのか?


聴き慣れた声が、ローストターキーを更に笑顔にする。


ローストターキージンジャーブレッド! どうしたんだ君まで! 赤ワインは?

ジンジャーブレッドエッグノッグから教廷の人の相手をして欲しいって依頼があったんだ。赤ワインならシャンパンを迎えに行ってる。エッグノッグから聞いてない?


ローストターキーは先ほど自分が激しく取り乱して悲鳴を上げながら宮殿から走り出た様子を思い出して、眉間の青筋をピクピクさせた。心のノートにエッグノッグへの恨みがまたひとつ追記された。


ローストターキー:……えっと。


ジンジャーブレッド:さあ、ここで突っ立ってるのもなんだし行こうよ!


ローストターキーは施設にグイグイと押し込まれた。皆の視線が一斉にローストターキーに集まる。ビーフステーキも自分の体にぶら下がっている子供たちにお構いなしで手を上げて挨拶をした。


ビーフステーキ:よぉ! 久しぶりだなチビッ子。まだ背は伸びねぇのか!


ローストターキー:なにを!


ビーフステーキ:ははは! そう怒るな! そうだエッグノッグは? いつも一緒にいるだろ?


ローストターキー:ふん、あの者の話なぞしたくない。


ビーフステーキ:ははは、また喧嘩か? そうだ、来いよ、紹介する。こいつらが教廷の「七戒律」だ。


ローストターキービーフステーキの突然の紹介に緊張してしまい、ぎこちなく背筋をピンと伸ばして硬いお辞儀をした。


ローストターキー:ごきげんよう。余の名はローストターキー、この国の国王である。


フィッシュアンドチップス:君がビーフステーキが言ってた若君ですね! そう緊張しなくていいですよ。俺はフィッシュアンドチップス。よろしくどうぞ!


ローストターキー:あ、ああ!


ワンダーランドのドリームⅡ


教廷から来た者たちは想像していたよりずっと親切だった。ローストターキーも落ち着きを取り戻す。その隣で子どもたちに物語を語り終えたクロワッサンが立ち上がり、ローストターキーの方へやって来た。クロワッサンのクールな様子をみたローストターキーは慌てて彼の方へ手を伸ばした。


ローストターキー:始めまして。あなたも七戒律の一員ですね……今回は教皇もいらっしゃるとお聞きしておりますーー


クロワッサン:私は七戒律の一員ではありません。初めまして、私はクロワッサンです。現教皇の代理です。


クロワッサンの淡々とした口調と、人違いをしてしまった恥ずかしさでローストターキーの顔は真っ赤になった。ビーフステーキが力を込めて彼の肩を叩き、ローストターキーは我に返った。以前似たようなことがあった時はエッグノッグが対応してくれたが、今はひとりだ。この気まずさにどう対応すればいいのだろう……

その時突然、不気味な気配を感じた。一同から笑顔が消え、施設の中にある小さな建物に視線をうつす。

悪しき霊力がその小さな建物から溢れ出し、不穏な気配が外へと流れてきている。

みんなが反応するよりも早く、クロワッサンは真剣な眼差しで、武器を取ると建物の方向へと走り出した。クロワッサンの早すぎる反応に周囲は驚く。


クロワッサン:子どもたちのことは頼むぞ。


ヴァイスヴルストフィッシュアンドチップス、追いなさい! なんでひとりで……


フィッシュアンドチップス:うん!


教廷の者たちは素早く子どもたちを安全な場所へ誘導する。秩序ある行動にローストターキーは心底感心した。だがーー


ローストターキー:……あの……


ヴァイスヴルスト:心配はご無用、こういったことには慣れています。


ローストターキー:……その……


マティーニ:安心してよいぞ! 恐ろしければ俺の背中に隠れておけ。


ローストターキー:……


テキーラ:陛下?


ローストターキーは子供たちと同じ部屋に押し込まれ、屈辱で肩を震わせながら教廷の者たちに叫んだ。


ローストターキー:余を子ども扱いするでない!


ビーフステーキ:あはは、チビッ子、子どもに間違われちゃったか! あははは!


ローストターキージンジャーブレッドも背丈は変わらんのに!


ジンジャーブレッド:私の方が頼り甲斐がありそうに見えるからじゃない?


ローストターキー:うーー!


ローストターキーは失意のあまり肩を落とす。自分は子どもと見なされていた。


ローストターキー:(……そんなに頼りなさそうなのか……)


彼は気持ちを切り替えて包囲網から外に出ると、自分の武器を持って建物の方向へ向かう。クロワッサンフィッシュアンドチップスはなかなか戻ってこない。良い予兆とは言いがたい。


ビーフステーキローストターキー、危ないぞ。お前は一国の主だ、気安く戦闘に飛び込むな。


ローストターキー:余が一国の主であるなら、尋ねてきた友たちを危険な目にさらすなど許されん。


そう言い終える前に、ビーフステーキの顔色が突然変わった。


ビーフステーキ:気をつけろよ! 行け!


甘い香りと共に紫色の煙が例の建物から溢れ出し、恐ろしいほどのスピードで拡散している。

分厚い煙に包まれたローストターキーは煙に飲まれてしまった。意識がだんだんと遠のくなか、見慣れた影がこっちに走ってくるのが見える。


ローストターキー:く……来るな……


Ⅲ綺麗な景色、一体どういうこと?


 目眩を覚えたローストターキーは額を擦り地面に座り込んだ。ふらつきながら力を込めて頭を振ってみる。目の前の光景には全く見覚えがない。頭の中も、真っ白だ……


ローストターキー(……ここは……どこだ……さっき、誰かに呼ばれた気が……)


 依然として目眩はやまず、彼はゆっくりと立ち上がった。周囲の不気味な光景を見た彼は怪訝な顔をする。


ローストターキー(……余の名前は……ローストターキー?)


 ローストターキーは手の中にある武器をじっと見る。淡い金属の光沢がある武器の端の方を……いや、武器というより、鍵? 自分の武器はこのようなものだったろうか? もっと鋭い刃物だったような……


ローストターキー(……これはいったいどういうことだ?)

???「来い。」

ローストターキー「誰だ!?」


 突然脳裏に響いた声にローストターキーは驚き、警戒しながら武器を構えて声がした方向を確認しようとした。


???「余は宮殿で待っておる。」

ローストターキー「誰だ! 出てこい!」


 彼は半ばパニック状態に陥っていたが、その時、突然誰かが彼の肩を叩いた。パッと振り向くと、そこには見慣れた顔が。


エッグノッグローストターキー、なぜあなたがここに?」


 ローストターキーは、頭上からヘンテコな耳を生やしたエッグノッグを怪訝そうに見つめる。腰にはヒラヒラと揺れている尻尾までついている。


 彼の視線に気づいたのか、エッグノッグは背後の尻尾を軽やかに振った後、頭をヒョコっとさせた。ローストターキーは、呆気に取られたまま揺れる尻尾を見つめていた。


ローストターキーエッグノッグのやつ、気でも触れたのか?)

ローストターキー(ん? なぜ余はこいつがエッグノッグだと知っているのだ……えっと……こいつ、前もこんな感じだったっけ? なぜさきほど気が触れたと思ったんだ……


 パニクりながら、ある光景が脳裏によぎる。エッグノッグの周りには目がハートになった少女たちがたくさんいた。自分の視線に気づいたのか、エッグノッグらしき青年は振り向いて、こちらに向け手にしたグラスを掲げた。


 その時のエッグノッグの頭上には、今あるような手触りがよさそうな耳もなかったし、お尻にモフモフの尻尾なんて生えていなかった。


 ローストターキーは自分の頭を叩いてみた。目の前には奇妙な景色が広がっている。キャンディカラーの巨大植物が生い茂り、色とりどりの動物が駆け巡る。いったい何がどうなっているのだろうか。


クロワッサン「ダメだダメだ。間に合いません、間に合いません!」


 ローストターキーは声がする方向を見た。頭の上に二つの長い耳を生やしたクロワッサンが、懐中時計に目をやりながら道を急いでいる。口では間に合わない間に合わないとぶつぶつ呟いているが、表情はいつも通りクールだ。


ローストターキー「ク、クロワッサン!?」


 名前を呼ばれたクロワッサンは振り向いた。彼は懐中時計を確認する。頭の上の長い耳が少しだけ揺れた。そしてまた、間に合わないとつぶやきながら、その場から去って行った。


ローストターキー「間に合わない? 何が間に合わないんだ?」


 ローストターキーが呼び止めようとするも、クロワッサンは足を速めて、驚くべきスピードで去って行った。


ローストターキー(なんて早さ……流石兎と言うべきか……)

エッグノッグローストターキー、大丈夫ですか?」

ローストターキー「えっと……」

エッグノッグ「……いいでしょう。まずはあなたの王宮に帰りましょう。外は危険です。」

ローストターキー「貴様は何者だ?」


 ローストターキーエッグノッグの手をほどいた。彼はエッグノッグの険しい表情を見つめながら、違和感を覚えた。


エッグノッグ「僕は絶対にあなたをダマしたりはしません……どうか信じてください……ね?」


 二人の間に妙な雰囲気が漂う中、騒がしい物音がして、数人のポーンが二人を包囲した。


侍衛C「指名手配犯、エッグノッグ。首をちょん切れ!」

トランプ兵A「指名手配犯、首をちょん切れ!」

Ⅳ出逢うは、奇跡か、あるいは必然。

侍衛C「罪人だ!」

トランプ兵A「罪人だ!」

侍衛C「罪人は首をちょん切れ!」

トランプ兵A「ちょん切れ!」

ローストターキーエッグノッグ?」

侍衛C「こいつはハートの国王の掟を破った!」

トランプ兵A「掟を破った!」

ローストターキー「ハートの国王?」

侍衛C「エッグノッグは陛下に逆らった!」

トランプ兵A「陛下に逆らった!」

ローストターキー「いったい何をしてたのだ? 断頭台に上がるとなると最も重い罪であるぞ?」


 エッグノッグローストターキーの口を手で塞ぎ、彼を連れてポーンたちに見つからない所へと逃げた。二人は柵の中に隠れてポーンたちが遠ざかっていくのを確認すると、立ち上がる。


ローストターキー「貴様、本当に何かやらかしたのか? なぜ隠れる?」


 ローストターキーには、目の前にいる者が大罪を犯した悪党には見えない。エッグノッグは奇妙な眼差しでローストターキーをじっと見つめる。彼の強い視線は、本来気性の荒いローストターキーをも尻込みさせた。


ローストターキー「な……なんだ!?」

エッグノッグ「覚えていないのですか?」

ローストターキー「何を!?」


 エッグノッグは重々しい表情で自分の指先を噛む。ローストターキーもどうしていいのかわからなくなる。

 突然、エッグノッグは少しかがんで、ローストターキーの頬を両手で包み込んだ。


エッグノッグ「自分が誰なのか、覚えていますか?」

ローストターキー「……」

エッグノッグ「……ついて来てください。」

ローストターキー「おい! 今、自分がどんなに危険な状況かわかっているのか! なんで余に構うのだ!?」

エッグノッグ「そんなことはどうでもいい。まずはあなたのことを解決しましょう。」


 エッグノッグの顔から笑顔が消え去り、厳かで重々しい表情になっている。彼はしっかりとローストターキーの手を握ると走り出した。しっかりと握られた手はビクともせず、緊張のせいか少し震えている。


ローストターキー「おい! どこに連れて行くつもりだ!」


 ローストターキーの声で、エッグノッグは足を止めた。そして振り向くとキラキラする笑顔を見せた。


エッグノッグ「安心して、僕に任せてください。」


 その瞬間、笑顔がローストターキーの記憶の映像と重なり合う。ただその映像のエッグノッグは、今みたいに大げさな飾り物を身につけていなかったし、長い尻尾もついていなかった。


???「ヤツは君をダマそうとしている。君のことを操りたいだけだ……」


 突然脳裏に響いた声にローストターキーは目眩を感じた。彼は頭を押さえ周囲を見回す。たが静かな森の中にはポツポツと点在する蛍の光や、奇妙な動物がいるのみだ。


 角が生えた兎、虹色のキリン、鳥の背中に座っているミニサイズのカバ……ローストターキーはその全てに頭がくらくらする。


ローストターキー「うっ!」


 強烈な目眩にローストターキーは足を止めた。異常に気づいたエッグノッグが振り返ると、顔面蒼白で頭を抱え地面に座り込んでいる。


エッグノッグローストターキー! 大丈夫ですか?」


***


 それは巨大な宮殿だった。宮殿では二つの聞き覚えのある声が響く。


エッグノッグローストターキー! ダメです!」

ローストターキー「なぜだ! 他の国にできて、余の国にできぬはずがない!」

エッグノッグ「我々には、厳しすぎます。」

ローストターキー「余のことを甘過ぎる、弱すぎると言っていたのはお前たちであろう。あの者たちが規律を恐れないと言うのなら、規律の意味などない。」

エッグノッグ「それは違います!」

ローストターキー「余がこの国の王だ! お前に従う筋合いはない!」

エッグノッグ「なっ!」


***


 場面は代わり、窓の外の花は枯れ落ち、枝の上を白い雪がこんもりと積もっている。やがて雪は重さに耐えられず、枝から崩れ落ち、地面には小さな雪の山が作られる。


臣下B「陛下の法令のお陰で、わが国の犯罪率は著しく減少いたしました。」

ローストターキー(ふぅ。よかった……)

ローストターキー「それでは引き続きよろしく頼む。ご苦労だった。」

???(ほら見ろ……ヤツはただ、君を自分の手で操りたいだけだ。何が君のだめだ……何が任せろだ……全部嘘だ……もし本当に君のためなら、なぜ理由を教えようとしないんだ?)

Ⅴ魔女のティーパーティー

エッグノッグ「目を覚まして――」

エッグノッグローストターキー! 大丈夫ですか? 目を覚まして下さい!」

ローストターキー「う……」


 ローストターキーはゆっくりと地面に座り込んだ。さっき脳裏に浮かんだ声と光景にまだ困惑していた。ドクドクと脈を打つこめかみをなでながら、心配そうに見ているエッグノッグに目をやった。


エッグノッグローストターキー? 大丈夫ですか……」


 あの声が言っていたことが頭から離れない。


 彼は君をダマしている。


 ローストターキーエッグノッグの心配そうな視線から目をそらし、彼の手は借りず自分の力で立ち上がった。


 エッグノッグは自分の手を見つつ、少し寂しい表情を浮かべたが、笑顔のままだった。


エッグノッグ「あなたは自分が誰なのかを忘れているのです。胡蝶夫人に会いに行きましょう。」

ローストターキー「胡蝶夫人?」


 ローストターキーエッグノッグと共にひとつまたひとつと、どこかで見たことがあるようで少し違う森を越えていく。森の中の奇妙な動物たちは、好奇心に満ちた目で二人の来客を見ている。


 森を越えると、綺麗に装飾されたほのかに甘い匂いが漂う長テーブルが目に映る。その両端にはオシャレなレースの傘が何本か立てかけてある。透き通ったルビーの色をした蝶が、赤いシルエットをした人物の指先に止まり、羽根を重ねる。


フルーツタルト「ほう? 客人か……」


 森に隠れていたエッグノッグローストターキーは気まずいと思った。エッグノッグが指で鼻先に触れながら前へ出て自己紹介をしようとした時、身の回りに赤い蝶々を引き連れたフルーツタルトが微笑みながら彼の質問に答えた。


フルーツタルト「チェシャ猫、おぬしの陛下に何かあったのかい?」

ローストターキー「ん?」

エッグノッグ「ご夫人は相変わらず情報通ですね。ならば……何かいい方法はございますか?」

フルーツタルト「この時間に訪れたのであれば、アフタヌーンティーの客人であろう。お座り、お茶をしようじゃないか。」

エッグノッグ「夫人……」

フルーツタルト「わらわを夫人と呼ぶのなら、掟を知っているのであろう。」


 ローストターキーエッグノッグの反応を見ても状況がよく掴めなかった。どうしていいかわからず、隣に立ちつくす。


???「ほら、言っただろう。ヤツはずっと君をダマしている。君には何も教えてくれないのだよ……」


 目の前の光景がまた歪みはじめる。ただ今回の目眩はこらえられないものではなく、ローストターキーは手を長テーブルの角に置いた。


***


 突然、目の前の光景がまたあの見慣れた宮殿に変わった。ただ、今度はローストターキーはなぜか壁の後ろに隠れている。近くで、エッグノッグシャンパンと談笑しながら客間に入っていくのが見えた。


エッグノッグ「今回はわざわざお疲れさまでした。」

シャンパン「大したことではない。流石に過保護ではないか? 子どもみたいに見えるが、食霊は人間ではない。」

エッグノッグ「……」

シャンパン「どうだ、俺の提案に乗る気はないか?」

エッグノッグ「……」

シャンパン「そうかたくなるな。冗談だ、じゃあな。」

エッグノッグ「いえ、お送りします。」


???「ほら…‥余の言った通りだ……ヤツはずっと君をダマしてる。君に利用価値がなくなれば、他の者と同じように君から離れていく。」


***


 突然我に返ったローストターキーは、前のようには倒れない。彼は胡蝶夫人と談笑しているエッグノッグを見て、思わず拳を握った。遠くにいる二人は、彼に聞き取れないくらいの小さな声で何かを話している。


フルーツタルト「おぬしはなかなかよき従者よ。わらわの臆病なナイチンゲールとは違って面白い。どうだ、わらわと共にこの地から離れぬか? おぬしは今や国王に追放された身、わらわの傍にいるのもよいのではないか?」

エッグノッグ「……申し訳ございません。僕の君主は、陛下ただひとりだけでございます。」

フルーツタルト「その王がおぬしを捨てたとしても?」

エッグノッグ「……」

フルーツタルト「もうよい、わらわも強引に事を進めたくはない。これから話すことは、おぬしがアフタヌーンティーにつきおうてくれた褒美と思え。」

エッグノッグ「ありがとうございます。」

フルーツタルト「赤き薔薇が満開に咲き誇る場所で、青き王は迷いを捨て去るだろう。だが気をつけろ、そこはおぬしが深き眠りにつく場所かも知れぬ。」


 詩のような言葉にエッグノッグは考え込むと、フルーツタルトローストターキーに人差し指を立てた。彼女の声がローストターキーの頭の中で響く。


フルーツタルト(陛下、あなたのすぐ傍にいる者に気をつけるのだぞ。)

Ⅵ魔法の呪い

 お互い相手に伝えたくないことがあり、場の雰囲気は重苦しい沈黙で満たされている。エッグノッグはここに長居したくないようだ。フルーツタルトの言葉は彼に何かしら解決の糸口になりそうだが、そのことをローストターキーに伝えようとはしなかった。


エッグノッグ「……早く宮殿へ戻りましょう。」


 エッグノッグは顎をなでながら胡蝶夫人の予言について考えており、背後にいるローストターキーの目線には気づいていない。エッグノッグは予言の最後にあった『深き眠り』に不安を感じた。


 ローストターキーは武器を握りしめる。目の前で揺れている長い尻尾が彼の焦りを感じ取ったかのように、肩に軽くポンポンと触れた。


エッグノッグ「大丈夫、僕はずっと傍にいますよ。」

エッグノッグ「予言では……あなたを宮殿に連れ戻せば、全てを思い出すと……」


 予言の言葉はローストターキーをやきもきさせた。胡蝶夫人がエッグノッグに伝えたのは、絶対それだけではないはずだ。突然、草むらからザワザワとした物音がして、ローストターキーエッグノッグは身を構える。すると突然、赤いマントを来た人物が飛び出して来た。


ブラッディマリー「た、助けて!」

ローストターキー「……な、なにごとか?」


 地面につまづいた青年を受け止めたローストターキーは傷だらけの体に触れると心配そうに見つめる。エッグノッグは警戒したまま、ローストターキーを青年からひきはがした。


エッグノッグ「……何者だ。なぜここにいる?」

ブラッディマリー「た、助けてください! 追われているんです! 僕のことを狼男だと。ぼ……僕は狼男なんかじゃありません。ごく普通の医者です。他の村へ怪我人を治療しに行く途中なのです。」

プレッツェル「他の者を惑わすな、呪文を渡せ。」

ブラッディマリー「呪文とはなんのことですか? 僕は狼男じゃない! 執拗に追ってこないでください……僕の薬を待っている人たちがいるんです。」


 弱っている青年を見たローストターキーは前へ出ようとしたが、エッグノッグにガッシリと腕を掴まれた。


 目の前にいるこのか弱そうな青年は、やせ細っていて、不健康そうな青白い顔をしている。身体的にも狼男らしきものはない。狼の耳もなければ、危険な牙も生えておらず、医者がよく持ち歩く手術箱を手にしている。逆に彼を森の中まで追ってきた者からは冷酷な気配がして、ローストターキーは危険を感じた。


エッグノッグ「近づかないでください……危険です。」

ローストターキー「でも……」

エッグノッグ「信じてください。」

???「また、ヤツはいつも君がやりたいことを止めるけど、理由を教えようとしない。」


 プレッツェルは二人の観客には目もくれず、猟銃の狙いをか弱い青年に定める。脳裏の声がローストターキーの思考を取り乱していく。突然、ローストターキーエッグノッグをふりほどいて青年の前に出た。


ローストターキー「おい! な、なぜこの男が狼男だという? 彼……彼には牙も、鋭い爪もないではないか……」


 青年の背後に立っていたローストターキーは、先ほどまで慌てた様子だったその青年が、今は不気味に微笑んでいることに気がついていない。


エッグノッグローストターキー!」


 ローストターキーは目の前の二人の慌てた表情を見せた時、すでに鋭い針先がエッグノッグの体に刺さっていた。


ブラッディマリー「ちっ、無駄にしたか。でも大丈夫、まだひとつ残ってる。」


 ローストターキーは自分の身を投げ出して守ってくれたエッグノッグを、大きく開いた目で見た。目の前の青年はすでに演技をやめて、口元に妖しげな笑みを浮かべている。その姿は先ほどとはまるで別人だ。プレッツェルローストターキーエッグノッグを自分の背後に囲み、手にした猟銃で青年を狙う。


プレッツェル「これが海魔女から貰ってきた呪文か。どうやったら解けるのだ、ブラッディマリー。」

ブラッディマリー「わざわざ貰ってきた呪文の解き方を教えるわけないだろ? プレッツェル、世の中はそんなにあ、ま、く、な、い、よ……♡」


 ブラッディマリーは満面の笑みを浮かべながら、頑張って目を開けようとしているエッグノッグを見た。


ローストターキー「いったい何をしたんだ?!」

ブラッディマリー「ただの眠りの呪文さ。いい夢が見られるよ、ただ、親愛なるハートの陛下に命中しなかったのは残念。」

ローストターキー「……ハートの……陛下様?」


 ブラッディマリーローストターキーの困惑した表情に眉毛を上げた。そして興味深げに彼を見つめる。ブラッディマリーの口元から離れない妖しげな笑みに、ローストターキーの背筋は凍りつく。


ブラッディマリー「ふーん? ふふ……おもしろくなってきた。」


 ブラッディマリーは優雅な動きでお辞儀をした後、暗闇に包まれた深い森の中へと消えていく。ローストターキーエッグノッグを背後にかばっていたプレッツェルは手の中の猟銃を地面に置くとしゃがみこみ、エッグノッグの容態を確認した。そして安心したのかふっと溜め息をつく。


プレッツェル「確かに彼が言った通り、これは眠りの呪文だ。命に支障はないが、そう簡単には解けんな。お前が自分の宮殿に戻ればこの呪文を解けるフェアリーに会えるかもしれない……宮殿はそう遠くない。」

ローストターキー「待ってくれ、自分の宮殿だと!?」

プレッツェル「ん? どうした陛下?」

ローストターキー「ちょっと待ってくれ……さっきの者も余をハート…陛下って呼んでいた……この道はハートの国王の宮殿に繋がっているのではないのか、なぜ……」

プレッツェル「あなたはハートのキングだろう? 何を言っている?」

ローストターキー「?!」

プレッツェル「早く彼を連れて戻るんだ。ここは危険すぎる。俺はブラッディマリーを追う。このまま彼を伸ばしにしてはいけない、呪文を解く方法が見つかるまで宮殿で待っていてくれ!」

ローストターキー「え、待って、おい! ちゃんと説明してくれ! 余がハートの国の王だって? おい……」


 ローストターキーは遠ざかっていくプレッツェルを見つめ立ちつくす。どうしていいのかわからず、力ずくで目を開けようとしているエッグノッグを見つめる。


Ⅶキング・オブ・ハーツのパレス

ローストターキーエッグノッグ……いったいどうなっているんだ……」

エッグノッグ「……どうやら……もう隠しきれないようですね。」

エッグノッグ「僕も何がどうなったのか、詳しくはわかりません。なぜあなたが自分の事を忘れてしまったのか……」

ローストターキー「余は……やはり……」

エッグノッグ「ハートの国王陛下です。」

ローストターキー「そ…そんな……」


 ローストターキーは反論しようとしたが、エッグノッグの表情を見て、口をつぐんだ。


エッグノッグ「いつからだったでしょうか、あなたは日に日に厳しくなってしまった。国民に対してだけではなく、ご自分にも……

 僕はあなたを止めようとして、シャンパンたちにも相談もしました。でもあなたは固執した考えに囚われてしまって……

 どうしたら昔のようなあなたに戻ってもらえるのか、途方に暮れていました……そしてあなたと大喧嘩してしまい、王国から追放されました。それでやっとわかったのです……

 僕がよかれと思って、あなたに隠してきたことがあなたの鎖になってしまうとは……こうして戻って来たのは、あなたに謝りたいと思ったからです……

 ただ、あなたが記憶を失ってしまうとは思いませんでした……

 ……そして僕はまた同じ過ちを犯してしまった……あなたの信頼をなくしてしまうのも当然ですね……」


 ペチッ――


 ローストターキーは両手でエッグノッグの頬を包んだ。エッグノッグの顔は変な感じになる。ローストターキーはかまわずに歯を食いしばって、自分の額をエッグノッグの額にぶつけた。その瞬間、二人は痛さのあまり目から涙があふれた。激痛のお陰か、眠気も散っていく。


エッグノッグ「ううーー」

ローストターキーエッグノッグ、この愚か者!」

エッグノッグ「……えー!?」

ローストターキー「余がどう間違っているのかを言わないと! どう訂正していいのかなんてわからないであろう!? 理由を教えてくれないと、もっと良くなれないであろう!?」

エッグノッグ「でも……彼らがあなたをいいように使っていることを知ったら……あなたは……」

ローストターキー「そうやって余を子ども扱いしおって! 何から何まで人に頼ってばかりでは、余も成長できないであろう! エッグノッグのバカ! 超大バカ! いつになったらわかるんだ! 余はもう、人に守ってもらわないと何もできない王子さまじゃないんだ! 余は国を背負う国王だぞ! 貴様を守る友でもある!」


 ――ドンッ!


 また力を込めた頭突きを数発、エッグノッグはおでこを手で押さえ込んで悶絶した。同じくおでこに赤いたんこぶを作ったローストターキーは怒りのあまり涙ぐんで、大きく呼吸をしながら両手で腰を支えている。そして、声を震わせながら言った。


ローストターキー「貴様はいつもそうだ、何も言わずに陰でコソコソと全部片付けてしまう。余だって頑張って追いつこうとしていると、考えたことはあるか? 余はもう、貴様の背後で何も知らない王子のままでいるのに嫌気が差した。」


 ローストターキーは袖で涙をふいて、自信に満ちた笑顔を見せ、地面に座り込んでいるエッグノッグに手を差し伸べた。


ローストターキー「過保護なバカ者め、ずっと信じろしか言わないのだから。今度はこちらの番だ、余を信じろ。」


 エッグノッグは逆光を背にした少年を見ている。その瞬間、目の前にいる小さい少年がとても大きく頼もしく見えた。彼は自信にあふれた満面の笑みを浮かべ、目元にはまだ大粒の涙を零していたが、その姿にはなんとも大きく輝いている。


 目の前の笑顔が彼の記憶を呼び起こす。ただあの時の笑顔は今より無邪気で、幼かった。かつて温室の花のようだった王子は、悪竜と月日の洗練の末、一人前の王者に成長したのだ。あの時と変わらぬ笑顔で。


 記憶の中のぼやけたフィルターが取り除かれ、目の前の少年は平民の身なりだったが、彼がずっと慕ってきた王のままだった。


ローストターキー「過去のことはもうよい。だが今後はもうこのような理由で余に隠し事はするな。しすて余も、貴様を無条件で信頼する。余を信じろ、自分が仕える王を信じろ。余は貴様を守り、そしてみんなを守る。いいな?」


 エッグノッグはやはり呪文がもたらした眠気に勝てないまま、深い眠りについてしまう。ローストターキーは彼の静かな寝顔を見て、拳を握りしめる。


ローストターキー「おい! 貴様! いるんだろう!」

???「ふふふ、どうした……」

ローストターキー「彼を目覚めさせろ!」

???「ふっ、勿論。だがなぜ呼び覚ます必要があるのだ? そうやって静かに眠っている方が、余に逆らっている時よりずっと可愛いではないか。」

ローストターキー「貴様!」

???「そんなに彼を救いたいのなら、我々の宮殿に来るがいい。待っているぞ……」


 ローストターキーエッグノッグを担いで森を越えると、厳重な警備を備えた宮殿が目に映った。至るところに施されたハートの装飾、赤と白の屋根、赤い薔薇でいっぱいの花園、その全ての光景がローストターキーをイラつかせる。


ローストターキー(うぇ……いったい何があったらこんなセンスになるんだ……)


 ローストターキーは身震いした後、昏睡状態のエッグノッグを木の下に寝かせると、武器を握りしめ、周囲に注意を払いながら柵を越えて宮殿の花園に侵入する。こんな泥棒なようなことをするのは初めてだったので、柵から着地した際に物音を立てポーンに気づかれてしまう。


侍衛C「人だ!」

トランプ兵A「誰だ!」

侍衛C「うわあぁっ! 陛下、失礼しました!」

トランプ兵A「失礼しました!」

ローストターキー「……」


 悲鳴を上げながら逃げていく様子を見て、ローストターキーは何か話そうと思ったが、彼らを止めはしなかった。


 宮殿に通じる道中で何人ものポーンと従者に遭遇したが、全員彼の顔を恐れうやうやしく頭を下げる。ローストターキーは両手を握りしめたまま、やっと宮殿の前に辿り着く。


 真っ赤な扉には金色で複雑な装飾が施されている。扉はきっちりと閉まっており、ローストターキーは扉を押し開こうとしたが、扉はビクともしなかった。


ローストターキー(……ん? この鍵の穴は…スッ――)


 ローストターキーは見慣れた鍵の穴を見ながら眉間にしわを寄せるう。その時突然手に燃えるような熱さを感じ、本能的に手を離す。


 ずっと手にしていた武器はだんだん小さく縮み、眩しい光を放った後に小さな鍵に変化した。


ローストターキー(こ……これは……)


Ⅷドリームランドの終わり


 ガチャ――


 ローストターキーの予想通り、閉じられていた扉が開く。壁に無数の絵画がかけられた大広間、クネクネと歪み先の見えない螺旋階段、宙にぶら下がったチェス盤が目に映る。


 目の前に広がるカオスな光景。


 コツッ、カツッ!


 ヒールが地面を叩く音がどんどんと近づいてくる。どこへ通じているのかわからない長い螺旋階段の上に、ひとつの人影が現れた。


ハートの国王「やっと来たな。」


 ローストターキーは目の前にいる、自分と瓜二つの存在と対面する。なんとなくそんな気はしていたが、目の当たりにすると驚きのあまりどうしたらいいのかわからない。


ローストターキー「き……」

ハートの国王「もう余が誰なのかわかっているのだろう。なぜそんなに驚くのだ?」

ローストターキー「……貴様……」

ハートの国王「余は長い間ここに閉じ込められていた。貴様のお陰でやっと扉が開いた。」

ローストターキー「閉じ込められていただと?」

ハートの国王「そうだ。余をここに閉じ込めたのは貴様だ。覚えていないのか?」


***


 目の前の光景がぼやけてくる。ローストターキーはいつの間にか、彼が見慣れた宮殿の中にいる。大臣たちの議論の声や、エッグノッグの隠し事、全てがローストターキーの居心地を悪くしていく。


 彼は耳をふさいでその物音から逃げようとしたが、耳を貫いても直接脳に聞こえてくる。


臣下B「食霊だと? そんなものが人間の国王になれるはずがない!」

エッグノッグローストターキー、もっとうまくできるはずですよ。」

臣下A「我々はこの者を利用すればいいだけのこと! どうせ何もわかってないガキだ。我々に有利な法律を公布させればいい!」

エッグノッグローストターキー、これではダメです。」


 重なり合う声がローストターキーを混乱させる。ただ耳をふさいだまま、しゃがみこむことしかできない。目の前の光景は揺れて歪みだし、天地が逆さまになり、チェスの駒が宙に浮かんでいるのが見えた。


ハートの国王「ほらな、ヤツらは我らをいいように操りたいだけなんだ。」

ローストターキー「……いや……違う……確かにそう思っている者もいるが、エッグノッグはそうじゃない……ずっと余のことを支えてくれると言った。」

ハートの国王「本当か? 本当にずっと傍に居てくれるのか?」


 相手の疑問を裏付けるかのように、エッグノッグは珍しく怒りの表情を見せている。エッグノッグは怒った様子でデスクを叩きながら何か言っている。その場から離れたエッグノッグは、他の者の傍に立った。


エッグノッグローストターキーは身勝手すぎです!」

エッグノッグローストターキー! あなたって人は!」


***


 『ハートのキング』はローストターキーが辛い記憶の中に堕ちていくのを眺め、軽く微笑んで目をそらした。ローストターキーは頭を強く抱えて地面にしゃがみこむ。するとその空間は彼の混乱と共に歪みだしたが、悠々とお茶を嗜んでいる国王は何ら気にしていない様子だ。


 ローストターキーの目の前の記憶は少しずつ画面が変わっていく。彼は大臣たちとエッグノッグシャンパンビーフステーキ赤ワインたちの失望した目を見て、ますます取り乱す。『ハートのキング』の表情も、得意げとは言えない様子だ。


ハートの国王「ヤツらは最初から君に希望など抱いていない。なぜエッグノッグがずっと弱い君の傍にいると思ったんだ? どうせヤツだって、君との国王ごっこにとっくに飽きていたのさ。」


 目の前の光景はだんだん暗闇に呑み込まれていった。その暗闇はローストターキーの全ての意識まで呑み込もうとしている。まるで漆黒の沼のように、少しずつ最後の光まで消し去ろうとして。その時、突然小さな光が現れた。


 『余を信じろ、自分が仕える王を信じろ。余は貴様のことを守り、そしてみんなを守る。』


 目の前の全てがその一言で崩れ落ちていく。深く重たい暗闇は光に覆われ、混沌とした光景は徐々に秩序を取り戻す。ローストターキーが正気を取り戻して大きく呼吸している様子は、すぐ隣でお茶を嗜んでいた者を驚かせた。


ハートの国王「そ…そんな……」


 もう一度目を開けたローストターキーの表情にもう不安はない。目の前で驚愕している『自分』が、かわいそうに思えてきた。


ローストターキー「……貴様はただ不安なだけだろう?」

ハートの国王「……ふ、不安だと? 余は王だぞ! 全ての人は余の命令に従う! 不安など何一つ感じるわけがあるまい!」

ローストターキー「誰かに利用されていないか、周りが自分に対して不満を持っていないか、自分が無能でないか、大事な仲間たちが自分から離れて行かないか……」

ハートの国王「くだらん!」

ローストターキー「だから貴様は自分自身をこの宮殿に閉じ込めたのだ。自分の大事な仲間たちを追い出し、めちゃくちゃな法律で自分の権力を見せしめ、力を証明しようとするなど……愚かだな?」

ハートの国王「なっ!」

ローストターキー「どうだ! 図星ではないか?」


 突然強気になったローストターキーに対して『ハートのキング』は下唇を噛んで悔しそうな表情を見せる。頭に血が上ったその顔は、虚勢を張っているようだ。ローストターキーは、以前エッグノッグの言葉に逆上した自分の姿を思い出す。


ローストターキー(昔の余もこんなに弱い姿だったのか……だからエッグノッグたちはいつも余のことを不器用だと言うのか……こんなに自信のない顔をしていれば、真実など語れぬのも理解できるな……)

ハートの国王「な、何をするつもりだ! 来るな!」


 抵抗をものともせず、ローストターキーは目の前の『自分』を強く抱きしめる。エッグノッグがいつも自分の頭を撫でるように『自分』の綺麗に整った髪をくしゃくしゃと撫でた。


ローストターキー「自分さえ信じることができないのに、他人を信じることができるわけがない。最高の仲間がいるのに、どうして大切にできなかったのか……」

ハートの国王「……自分を……信じていない……」

ローストターキー「そうだ、知っているか。貴様のそばにはこんなにもたくさんの大切な人がいる。誰かが貴様の悪口を言っても、どれだけ貴様のとばっちりや八つ当たりを受けても、余を見捨てなかった……そんな人が居るのだから、貴様はもっと自分を信じろ……」


 彼は抵抗をやめ、徐々に落ち着きを取り戻していく。力が抜けた彼はローストターキーの懐で温かくて白い光の粒になった。


ハートの国王「……ありがとう。」


 温かい光の粒はゆっくりローストターキーの体に入り込んだ。その熱を感じたローストターキーは微笑んで、胸を軽く叩く。


ローストターキー「ありがとう。貴様がいなければ、余も大切なことに気づくことはできなかった……」


 『ハートのキング』が体に入り込んだと同時に、ローストターキーは自分の混乱した感情を整理し目を覚ました。目の前のこの奇妙で美しい世界は、自分たちの世界ではないことがわかった。


 ローストターキーは樹の下で眠っているエッグノッグを見て思う。彼は自分と違って、とっくに気づいていたが、あんなカオスな世界の中でも、いつものように自分のそばにいてくれたのだ。


ローストターキー(それにしても……どうやってエッグノッグを起こしたらいいのかな……アイツの頭の中はまだフェアリーテールの世界の中だ……)


 そのフェアリーテールの中で呪いを解く方法を思い出したローストターキーは、イライラして髪を掻きむしった。木にもたれながら、微笑むような表情を浮かべているエッグノッグを見て更にイライラが増してくる。ローストターキーは少し躊躇した後、恥ずかしさで真っ赤になった顔をエッグノッグの顔に近づけると、首を傾け、エッグノッグの落ち着いている寝顔をじっと眺めた。突然――


エッグノッグ「ここはちゃんとキスしてくれるのではないのですか?」

ローストターキー「うわぁーエッグノッグのバカ! 近づくな!」


 この赤い薔薇の宮殿の隅で起こったことは、誰も知らない。ひとつ白い光が閃き、黒の人影は消えた。そこにはただ舞い散る赤い花びらが残されていた。


***


シャンパン「ほぉ、どうやらいい夢でも見ていたようだな。」


 シャンパンの声がまだくらくらしてたローストターキーを一気に目覚めさせた。姿勢を整え、見慣れたいつもの服を見て、彼はほっとする。


ローストターキー「ふぅ……やっと戻ってこられたか……シャンパン! こ、これはどういうことだ!」


 シャンパンは平然と手を伸ばし、ローストターキーを立たせてやる。ローストターキーは振り向くと、後ろに倒れている人々に気づいた。


シャンパン「俺は結界の封鎖を破って、お前らが結界から出られるようにすることはできる。しかし、お前らがフェアリーテイルをパーフェクトエンドできるように導くことも、そこが現実ではないことを気づかせるなどは流石にできん。」

エッグノッグ「スッー」


 後ろで聞こえた声がまだ少し混乱しているローストターキーを正気に戻し、彼は急いでエッグノッグのもとに駆け寄る。その真摯な心遣いがエッグノッグを驚かせ、彼は後ろに倒れた。


エッグノッグ「ロ、ローストターキー……何をするんですか?!」

ローストターキー「……無事でよかった。」


 エッグノッグは額の痛みを指でほぐしている。彼はまだ夢か現実かわからずぼんやりしたまま、最後の記憶に残っていたのは、あの幻の森の中にいたことだが……


エッグノッグ「うっ……ローストターキー……」


 一気に正気を取り戻したエッグノッグは、シャンパンの目を見て、まだ少し混乱している頭を抱えた。


エッグノッグ「……うん?」


 ローストターキーが見せた笑顔には、エッグノッグが長い間見ることができなかった誠実さがあった。エッグノッグは逆光に背を向けて立っているローストターキーを見つめ、次の瞬間には彼の手はローストターキーにぎゅっと握られ、立ち上がっていた。


ローストターキー「これからも……よろしく……ただ、もう隠し事はやめてくれ。」

聖臨夜話Ⅰ

数日前

法王庁本部

ヴァイスヴルストクロワッサン、帝国連邦からの情報です。彼らの勢力範囲内で教廷の支援スポットを設立できるとのことです。

ヴァイスヴルストクロワッサンの書斎に入った。決して大きいとは言えないこの書斎は、昼夜問わず灯りが点いている。みんなクロワッサンが休息を取っているところを見かけたことがない。だが珍しく、クロワッサンは書斎の窓辺に座って、外の月を見ながらぼーっとしている。

ヴァイスブルスト:クロワッサン

クロワッサン:……ああ、すみません。少し気が遠くなってしまって。なんの話でしたか?

ヴァイスヴルスト:……帝国連邦からの情報で、彼らは教廷と提携することに同意してくれました。ただ、具体的な話はシャンパンローストターキー陛下と議論することになりましょう。

クロワッサン:具体的な日程は、決まっているのですか?

ヴァイスヴルスト:創世の日から。今回の創世の日は帝国連邦が主催しています。シャンパン陛下と我々がその場に現れたとしても、騒ぎを起こそうとする者はいないでしょう。

クロワッサン:……創世の日ですか。

クロワッサンはデスクの前に戻り、デスクの上のカレンダーを指でなぞる。創世の日は赤いペンで何重もの丸と、大きさが違う花びらがマークされており、隣の日付すら読み取れなくなっている。


???:毎日忙しくしているようだな? ハッ! これだけは心に刻んで置け。創世の日は必ず休みを取って俺様と観劇をし、ナイトマーケットをまわるんだ! ここに誓え!


クロワッサン:……えぇ、約束します。




教廷の中庭。

キャンディケインイースターエッグは巨大な包みをフィッシュアンドチップスに渡した。二人は真剣そうに指で包みを指しながら指示を出している。

キャンディケイン:これはエリーナのでしょ、その車のおもちゃは、えっと、えっと、ニューマンの。それと……それと……えっと……

イースターエッグは、友だちが離れていくことに落ち込んでいるキャンディケインの肩をポンと叩いた。彼は手の中にあるリストをフィッシュアンドチップスに渡す。

イースターエッグ:これは今年の創世の日にみんなに配るプレゼントリストです。あんな事が……起こるなんて。帝国連邦の方がもっと安全ですよね! そこに行けば……、みんなもっといい暮らしができますよね…!

フィッシュアンドチップスはプレゼントリストを懐にしまい、キャンディケインを抱き上げてクルクルと回っている。だが、ヴァイスヴルストが楽しげな時間を中断してしまう。

ヴァイスヴルストフィッシュアンドチップス。ちょっとよろしいですか。

ヴァイスヴルストの声を聞いたフィッシュアンドチップスは、くらくらしているキャンディケインを降ろして、彼女のやわらかい髪の毛をくしゃっとなでると、ヴァイスヴルストの方へ急ぐ。

フィッシュアンドチップス:なんだい先生?

ヴァイスヴルスト:……キャンディケインはどうしたのですか? フラフラしているようですが。

フィッシュアンドチップス:大丈夫だよ。施設の友だちと離れ離れになり少し落ち込んでいるね。だから、慰めてあげていたところです。ところで何の御用?

ヴァイスヴルスト:今回は、クロワッサンから目を離さないようお願いします。

フィッシュアンドチップス:ん? クロワッサンが? なぜ?

ヴァイスヴルスト:……創世の日、あの者はきっと来ます。

フィッシュアンドチップス:でも……あの者はクロワッサンを傷つけたりしないだろう……

ヴァイスヴルスト:だといいんですが、それでも万全の注意が必要です。

フィッシュアンドチップス:わかりました! おまかせを!



少し前

王都の外

ひとりの赤毛の青年が、何枚かの似顔絵を握りしめて施設の前でキョロキョロしている。誰かを待っているようだ。突然、彼の傍にいた小さな女の子が談笑しながら馬車を引いた人たちを指さす。

ジンジャーブレッドビーフステーキ! 来たよ!

ビーフステーキ:おっ! フィッシュアンドチップス! 兄弟! 久しぶりだな!

フィッシュアンドチップスは施設の前で待っていたビーフステーキを見つけ、驚きながらも嬉しそうに駆け寄ると、熱いハグをした。なぜだろう、この二人の笑顔はどことなくほのぼのとしている。

フィッシュアンドチップスビーフステーキ、なぜここに?

ビーフステーキ:俺たちの陛下が最近忙しくてな。お前らは恐らく今日到着するって補佐官が予想したから、俺が迎えに来ることになったんだ。それに俺の方が適役だしな。プレッツェルはどうした?

フィッシュアンドチップス:道中で用事ができたみたいで、急いで出かけていったよ。

ビーフステーキ:一緒に飲もうって思ってたのによ。まぁいい、行こうぜ。施設でお前たちが送ってきた子どもたちが待ってる。

フィッシュアンドチップス:なぜ施設に行きたいってわかったんだ?

ビーフステーキ:そりゃ我らの全知全能、なんでもお見通しの補佐官に聞いてくれ。ジンジャーブレッド! 行くぞ!

ジンジャーブレッドキャンディケインは来てないのか。一緒に遊ぼうと思ってたのに……


聖臨夜話Ⅱ

先ほど

聖音施設

フィッシュアンドチップス:これは君の。あっ、それはダメ!

女の子:お兄ちゃん、絵本読んで欲しい……

女の子:えぇ……お兄ちゃん、キスしてくれないの!

少し騒然としているが、決して不快ではない。施設のみんなの笑顔は、温かい歓迎のムードに包まれている。

ジンジャーブレッドビーフステーキ――あれを見て!

子どもたちと遊んでいたビーフステーキが頭を上げると、急いでやって来たローストターキーがいた。ビーフステーキはすぐ迎えに行ってローストターキーの髪をくしゃくしゃしてやる。ローストターキーはどこか焦っている感じだ。

ビーフステーキ:よぉ! 久しぶりだなチビっ子。まだ背は伸びねぇのか!

ローストターキー:なにを!

簡単な挨拶の後、子どもたちに絵本を読んでいたクロワッサンローストターキーの隣にやって来た。ローストターキーが緊張している様子に、クロワッサンは優しい笑顔を浮かべる。

ローストターキー:初めまして。あなたも七戒律の一員ですね……今回は教皇もいらっしゃるとお聞きしております――

クロワッサン:私は七戒律の一員ではありません。初めまして、私はクロワッサンです。現教皇の代理です。

クロワッサンローストターキーの緊張を和らげようとした時、突然記憶にある霊力が施設内にある新築の小さな建物から溢れ出るのを感じた。もはや実体に近い不穏で強力な気配に、クロワッサンの顔色が変わる。

クロワッサン:(この霊力は……もしかして本当に彼が……)

ヴァイスヴルスト:(まずい、この霊力は!)

ヴァイスヴルストは間に合わず、クロワッサンは一言指示を出した後、その建物に突入した。

クロワッサンはこんな焦りを感じたことはない。衝動的な行動は全て押さえ込むことはできる。だがクロワッサンにとって、この状況で冷静を保つことができなかった。再びあの者の気配を感じて、クロワッサンは思うより早く動きだす。

可愛い装飾の小さな建物は、激しい戦闘の後のように散らかっていた。地面には装飾品や物品が散乱しており、周囲には衝撃で崩れた建物の破片や埃でめちゃくちゃだ。それらの表面には不気味なネバネバとした液体が飛び散り、暗い室内に怪しい色を反射している。

クロワッサン:(これは……)

突然、すぐそばから物音と小声での会話が聞こえる。

???:おい、なんだこれは!

???:わ、私にもわかりませんわ!

???:お前のじゃないのか!?

???:私がずっと使わなかった理由、おわかりになって!?

???:なんとかできないのか……いかん……抑えきれない……

???:ちょっとぉ! あなたも抑えきれないなんて、どうしましょう!?

???:お前のものだろう? クソババアが!

???:誰がクソババアですって!? ラムチョップ、訂正なさい――きゃあっ――手を離さないでよ!

ラムチョップ:俺様だって――離したくはねぇ――くそ、お前少しは霊力使えよ!

聴き慣れた声がクロワッサンをナーバスにさせる。彼は恐る恐る隠れていた隅から出て行こうとした。だが彼を追ってきたフィッシュアンドチップスが追いついてしまった。

フィッシュアンドチップスクロワッサン――

ラムチョップ:ん!? クロワッサンだと!?

マドレーヌ:ちょっと、手を離さないでってば!

どうやら彼はクロワッサンを見て呆然としている。フィッシュアンドチップスに押し出されるように明るみに出たクロワッサンを見つめながら、手に集中させていた霊力は突然制御不能になり、貝殻の形をした箱が地面に叩き落とされた。次の瞬間、ラムチョップマドレーヌの顔色は恐ろしく歪んだ。

彼らはクロワッサンフィッシュアンドチップスに説明もせず、二人を連れて外の方へと走り出した。

ラムチョップクロワッサン、行くぞ!


聖臨夜話Ⅲ

間に合わない。

それがクロワッサンが目を覚ました時、脳裏に浮かんできた言葉だった。彼を不安にする焦燥感が襲ってくる。もしこのタイミングを見逃してしまえば、後悔する気がする。

クロワッサン:(でも……何が……間に合わないのだろう?)

クロワッサンは自分の手の平を見た。白い手袋、そして頭にはユラユラ揺れる長い耳……

クロワッサン:(ん? 耳?)

クロワッサンにあまり深く考える時間はなかった。手の中にある招待状がどんどん熱くなっていき、腰についている懐中時計もクロワッサンをとある方向へと導いている。招待状の時間はもうすぐだ。クロワッサンは本能的にこう口にした。

クロワッサン:間に合わない。

クロワッサン:(……ん? これはいったいどういうことだ?)

クロワッサンは、手の中にある熱くなった招待状を見た。招待状の上にある花模様は、徐々に宝石の蝶になり羽ばたきはじめる。透き通った羽根は空中でヒラヒラと舞い、彼をどこかへと導いているようだ。

ローストターキー:ク、クロワッサン!?

背後からの声はクロワッサンの耳には届かない。彼の頭はひとつの考えでいっぱいだった。

クロワッサン:間に合わない……ダメだ……絶対間に合わないと……


無防備な状態で巨大な森に入り込んだ時、クロワッサンはやっと我に返り、足を止めてると、一緒に動きが止まった赤い蝶を見る。

いったい何が起こっているのか。なぜ自分がここにいるのか。ここに来る前、自分が誰だったのか思い出そうとしたが、何も出てこない。

侍衛C:追え! あっちに行ったぞ!

トランプ兵A:行ったぞ!

侍衛C:真似をするな!

トランプ兵A:するな!

クロワッサンは自分の傍を通っていった幾つかのポーンを見て、思わず険しい表情を浮かべる。どこからか漂ってきた血なまぐさい匂い。ひとつの手が暗闇から伸びてきて、クロワッサンに触れようとした時、クロワッサンはその手の主を地面に叩き倒した。

ラムチョップ:うっ!

手から伝わってきたネバネバとした触感にクロワッサンは思わず手を引っ込める。クロワッサンは目の前にいる、人差し指で彼の口を閉ざしている青年を睨んだ。ポーンが遠ざかっていくにつれて、木漏れ日に照らされた青年の正体が見えはじめる。

ラムチョップクロワッサン? なんでここに? 胡蝶夫人の茶会じゃなかったのか?

クロワッサンラムチョップ……? なんでここに? さっきのポーンはあなたを追っていたのですか?

ラムチョップ:……ああ。

ラムチョップは恐る恐る周囲を確認して、ポーンは完全に見えなくなった。微かな光が、ラムチョップの体中にある傷跡を映し出す。

クロワッサン:いったいどうしたのですか!

ラムチョップ:ちっ、離せ。

ラムチョップが離れようとした時、クロワッサンは彼の血がにじんでいる腕を掴んだ。自分のハンカチでラムチョップの深い傷口の手当を始める。

クロワッサン:これで大丈夫。霊力の消耗には気をつけてください。


クロワッサン:これで大丈夫。霊力の消耗には気をつけてください。


自分は過去に同じことを言った気がする。その瞬間にクロワッサンの手が止まった。ラムチョップは傷口の上のハンカチを見て、手を引っ込め顔をそらした。

クロワッサン:なぜ追われているのですか?

ラムチョップはアイロニックな表情を浮かべてクロワッサンの方を見た。

ラムチョップ:言っても信じないだろう?


ラムチョップ:俺の話など……

目の前にいるその者が、記憶の中の面影と重なる。野蛮な炎の柱が、空全体を赤く染めた。目の前の者は今のように余裕はなく、両目が赤く染まり血管が浮き出ている。顔には黒く恐ろしい模様があり、怪しげな目でこちらを見ている。


ラムチョップ:……クロワッサン? クロワッサン

クロワッサン:はっ…………

ラムチョップ:……ついてこい、置いていくぞ。


聖臨夜話Ⅳ

クロワッサンラムチョップが離れていくのを止めようとはしなかった。目の前にある全てが、謎だらけだ。

なぜ自分が追われる身の彼を信じ、本能的にその者の味方だと感じるのかわからない。ただ、もし彼を信じなければ、きっと自分が後悔する。

全ての謎は深い濃霧のようにクロワッサンを包み込んでいく。思い出そうと記憶の棚をかき回しても、何も浮かんでこない。混乱した情報の中で唯一の手掛かりは、手の中にあるお茶会の招待状だけ。依然としてルビー色の蝶は、クロワッサンの傍をヒラヒラと舞っている。

クロワッサン:(……やはりお茶会に行かなくては。)

赤い蝶はクロワッサンをヒラヒラと導いていく。七色キノコの林を抜けると、小さな水たまりの中から魚が飛び上がっている。きっとこれはありふれた光景なのだと自分に言い聞かせるが、心には異常という言葉が木霊する。

緑色のリスやピンク色のカバがいる森を越えると、目の前にはキャンディカラーのお茶会場があった。クリームとフルーツの甘い匂いがして、まるで世界がピンク色に覆われているようだ。赤い蝶は空中で金色と赤色の弧線を描き、しとやかに長テーブルの端にいる女の指先に止まった。

フルーツタルト:兎よ、遅いではないか。道中で友と遭遇でもしたのか?

クロワッサン:……

フルーツタルト:わらわは警戒されているようだな?

クロワッサン:ここが魔女たちの集いだとは聞いておりませんでした。

クッキー:あら、私はフルーツタルトとお茶を楽しんでいるだけですわ。お気に召さないかしら?

マドレーヌ:そこの殿方、ご興味ありましたら是非……

フルーツタルト:ゴホンッ……マドレーヌ

マドレーヌ:あら、ごめんあそばせ。だってクロワッサンさんがとても素敵なもので。

いつの間にかクロワッサンの背後に立っていたマドレーヌは近づけていた指を引いた。しなやかな指先は綺麗なチョコレート色で染まっている。マドレーヌは自分の胸元のリボンから青色の宝石をひとつ外して、目にも留まらぬ速さでクロワッサンの口に放り込んだ。

マドレーヌ:驚かせてしまったお詫びですわ。いかがかしら? キャンディハウスの魔女キャンディは甘いでしょう?

サファイアのようなキャンディはすぐに口の中で溶けて、淡いミントの香りが広がった。マドレーヌの爛漫な笑顔を、淡くて爽やかな甘さのキャンディが、クロワッサンの緊張をほぐす。

マドレーヌ:そう緊張なさらないで。私たちは魔女といえばそうですけれど、魔法の薬を使ったりはしませんわ。こんな素敵な殿方に無礼など言語道断!

マドレーヌはテーブルからマカロンをひとつつまんで、クロワッサンの口元に運ぼうとしたが、クロワッサンは嫌そうに後ずさりをする。その動きの可愛さに、女性たちはキュンとなる。

フルーツタルト:もうよい、マドレーヌ。兎さんが驚いて逃げては困る。

マドレーヌ:…承知しました。

マドレーヌは少し残念そうに、キャンディの甘い匂いを放つドレスを持ち上げ、テーブルの向こう側に戻ると、満面の笑みでクロワッサンを見つめている。

フルーツタルト:さて、クロワッサン殿、招待状は送ったはずだが、なぜ遅刻したのだ?

フルーツタルトはティーカップをゆっくり口に運ぶ。彼女は、手元の水晶玉であらゆるものを見ることができる。彼女が振り向くと、大量の同じ顔をしたポーンたちが隊列を作り森の中から出てきて、この小さなお茶会を囲んだ。だが誰も気にしている様子はない。

クッキー:他の者はいいとして、なぜ海魔女が来ていないのかしら?

マドレーヌフルーツタルトから運命の王子さまが宮殿に来ると言われ、嬉しそうに向かいましたわ。

侍衛C:魔女の方々、ラムチョップ公爵を見かけませんでしたか?

フルーツタルト:わらわのお茶会にあつかましくも入り込んでくるとは。くだらない用事であれば、お前たちをデザートにしてしまうぞ。

侍衛C:わ、わ、わ、我々は……

フルーツタルト:早く何があったのか申してみろ。

侍衛C:こここ……

フルーツタルト:チャンスは一回だけ、はっきりと言え。

侍衛C:我々は少女殺しの最大の容疑者である、公爵を指名手配中なのです!

フルーツタルト:ほら、ちゃんと言えたではないか。だがわらわは見なかったぞ。屋敷に行くべきではないのか?

クロワッサン:待ってください、ラムチョップが……少女を殺したんですか?

侍衛C:左様です、クロワッサン公爵。

クロワッサン:証拠はあるのですか? 彼がやったとは思えません。

侍衛C:これは偉大なる審判長様のご指示です!

クロワッサンが話す間もなく、ポーンたちは長槍を持ち上げ、号令と共に行進しながらその場から離れた。悠々とお茶を嗜んでいたマドレーヌは首を傾げて、舌の先でハードキャンディでできた小さなスプーンを舐め、満足そうな笑みを浮かべた。

マドレーヌ:素敵な殿方、追わないのですか? あのポーンたちは容疑を確認すると、その場で処刑してしまいますわ。

クロワッサン:……その場で!?

マドレーヌ:えぇ。

フルーツタルトクロワッサンが焦っているのを見ながら、指先をパチンと揺らした。髪につけた蝶の飾りが金色の光をまとい、目覚めたように羽ばたきはじめ、フルーツタルトの指先の周りを旋回する。

フルーツタルト:どうやら、兎さんはもうお茶会を楽しむ気分ではないようだ。この蝶と共に行くがよい。おぬしが一番行きたい場所へと導いてくれる。

クロワッサンは、突然助け舟を出してくれたフルーツタルトを見てしばらくの間躊躇していたが、ゆっくりと口を開いた。

クロワッサン:なぜ私を助けるのです?

フルーツタルト:これはただ、お茶会の客人への手土産と思え。

クロワッサン:……なにか隠しておいでですか、夫人。

フルーツタルト:ふふ、わらわはお茶会に少しばかりの余興が欲しかっただけだ。このような楽しい時間に、お茶とデザートだけでは少し物足りんであろう?

クロワッサンはテーブルの上に置かれた、虹色の光を反射している丸い水晶玉を見た。飾りだと思っていた水晶玉には、いつしかクロワッサンの知人プレッツェルが映っている。彼はゆっくりと花畑を歩いている。その背後には赤い影が。

クロワッサンは、口元に笑みを浮かべているフルーツタルトを見た。

クロワッサン:彼に何をするつもりですか!?

フルーツタルト:魔女の命は耐え難いほどに長い。その長い命の中で、これらの余興はわらわの唯一の楽しみ。虚しさを埋めてくれる。

水晶玉の中で、赤い人影は少しずつプレッツェルの背後に近づいていく。だがプレッツェルは全く気づいていない。そして赤いケープを着た者は両手を上げた……その緊迫したタイミングで、水晶玉のビジョンは煙のように散ってしまった。

フルーツタルト:これは出演者が見てよいシーンではない。では、兎さん、今度はおぬしが選ぶ時だ……わらわと同じように、観劇する側になるか、それともかわいそうにも、結末が決められている役者になるか?

クロワッサンは迷うことなく、金と赤色をまとった蝶と共に暗闇に包まれた森の中へと入っていった。

優雅な女性たちはまた明るさを取り戻した水晶玉を眺めながら、彼女たちに相応しい、魔女そのものの笑顔になった。

フルーツタルト:それでは見届けようではないか。悔いのある役者が、今回も同じ演技を繰り返すかどうか……


聖臨夜話Ⅴ

クロワッサンが着いた時、ポーンたちはすでに暗い屋敷を包囲している。屋敷の周りにある鉄の柵の上には色とりどりのカラスがいて、頭の上には小さく精巧ではあるが、不気味な鳥のくちばしのお面がついていた。カァカァと鳴くと、それを聞いた者を不安にさせる妙な雰囲気がある。

屋敷の前に立っているラムチョップは平然としている。腕に巻いてあるハンカチからは血が滲み出ていたが、自信が感じられる。それとは対照的に、長槍を手にして彼と対峙しているポーンたちはとても緊張している様子だ。

侍衛C:お前は自分の客人たちを殺した! なんて罪深いヤツ!

トランプ兵A:罪深い!

ラムチョップ:俺様が自分の客を殺した? ハッ……それはヤツらが俺様の忠告を聞こうとしなかったからだ。

侍衛C:嘘だ!

トランプ兵A:嘘だ!

今にも戦いが勃発しようとした時、クロワッサンは急いでその争いに介入する。彼の指は本能的に楽器を弾く動きをしたが、そこにあるのは空気だけだった。緊迫した状況で、その奇妙な動きがなんなのか考える時間はない。

クロワッサン:やめなさい!

侍衛C:クロワッサン公爵!

トランプ兵A:公爵!

クロワッサン:証拠はあるのですか? 彼が客人を殺したという?

侍衛C:証拠はいりません! 客人は全て死んだのですから!

トランプ兵A:死んだのですから!

ラムチョップは両側の拳を握りしめる。クロワッサンの背中を見て、なぜか不安を覚える。

侍衛C:クロワッサン様、これはあなたには関係のないことです。どうかひとりの食霊のために、ご自分のお役目を忘れないでください。

ポーンの言葉にはっきりとしたロジックなどない。子どものようにぎこちなく言葉を並べているだけだ。だが先ほどのはっきりとした口調は、クロワッサンを驚かせた。以前、他の誰かからもこのように言われた気がしてならない。



???:クロワッサン様、これはあなたには関係のないことです。どうかひとりの食霊のために、ご自分のお役目を忘れないでください。



クロワッサンの脳裏に、はっきりとその時の光景が甦る。記憶の中の自分は、拳を血が滲み出るまでぐっと握りしめ、やがては頷くのだ。

クロワッサンは目の前にいる長槍たちが自分へと駆け寄って来るのを呆然と見ている。ぼやけた視界で、ポーンたちは白いローブを身にまとった者たちの映像と重なりはじめる。冷たい視線で、ラムチョップの前の自分を見ている。

ラムチョップが舌打ちをしてクロワッサンを押しどけようとした時、いつも冷静で落ち着きのあるクロワッサンが突如取り乱したように声を荒げる。

クロワッサン:なにが私の役目ですか! 責任が何だと言うのですか!

背後の翼が開き、巨大なストームが鋭い風の刃を含みながら吹き出した刹那、庭の前にある色とりどりのキャンディの草むらは土へと化す。ポーチたちは転がりはいつくばって庭から逃げだし、屋敷のゲートの外から驚いた様子でクロワッサンを見ていた。

侍衛C:クロワッサン様、お気は確かですか!?

トランプ兵A:お気は確かですか!?

クロワッサン:(このポーンたち、本当に大丈夫なのだろうか? まぁいい……)

クロワッサンラムチョップ、行きましょう。

ラムチョップは驚きながら自分の腕を掴んでその場から離れようとするクロワッサンを見た。

ラムチョップ:ク、クロワッサン? ほ……本当に大丈夫なのか?

クロワッサン:……どうしたのですかあなたまで。行きますよ! まず隠れる場所を探して、これからのことを考えましょう。

少し落ち着きを取り戻したラムチョップは、吹っ切れた表情のクロワッサンを見て、思わず口元を歪める。

ラムチョップ:来い。屋敷に地下室がある。


聖臨夜話Ⅵ

屋敷の下には巨大な地下室があった。ラムチョップはぎこちない動作でドアの傍にある細い紐を引っ張ると、ホーホーと、低い鳴き声と共に壁の上についたフクロウの両目が、地下室全体を明るく照らした。

クロワッサンは突然暗闇から明るい場所に移ったので、目を慣らす必要があった。彼は目を擦ってみると、そこは書斎のようだ。

クロワッサンは何か言いたげなラムチョップを見て、ふーっと長い溜め息をつく。

クロワッサン:どうしたのです? なぜそんな目で私を見るんですか?

ラムチョップ:……貴様……

ラムチョップは頭の後ろを掻きながら、迷いに迷った末に心の中にある疑問を口にする。

ラムチョップ:……なんでだ?

クロワッサン:……なんでとは?

ラムチョップ:……

お互い知り尽くした仲、余計な言葉は必要ない。クロワッサンラムチョップの複雑な表情を見て、軽い溜め息を漏らす。

クロワッサン:……なぜあなたを助けたのか、ですか?

ラムチョップ:……

ラムチョップは答えない。でもクロワッサンには答えがわかっている。彼は自分の帽子を取った。表情はあまり変わらなかったが、頭の上にある長い耳が焦っているように揺れる。彼の手は帽子の縁に触れながらそれをクルクルと回している。

クロワッサン:私は絶対にみんなを守ります。

ごく自然に、その言葉が口から出た。クロワッサンはなぜ自分がそう言ったのかがわからない。困惑した様子で頭をポリポリしてしまう。ラムチョップクロワッサンのまっすぐな表情を眺めながら、夢の中で見た真実味のない記憶を思い出す。


それは、混乱した戦場。こちらを警戒する者たちに取り囲まれている。

人間たちは興奮しており、とても獰猛な表情を浮かべている。混沌とした意識の中、なんとあの決して許すことのできぬ男がクロワッサンの背後に立っているではないか。ぼうっとした意識のせいか体に制御が効かず、口を開いても言葉が出ない。内から湧き上がる焦燥感が、ラムチョップクロワッサンの方へと向かわせる。

ラムチョップ:(クロワッサン……そいつは貴様をダマしている……早く離れるんだ……)

観客:クロワッサン様! ラムチョップはすでに堕化し、あんなにも多くの人間を殺しました! もはや逃がすわけにはいきません!

ラムチョップ:(なぜだ……何もやってはおらん……)

観客:クロワッサン様、これはあなたには関係のないことです。どうかひとりの食霊のために、ご自分のお役目を忘れないでください。

ラムチョップ:(クロワッサン……そいつらは貴様が守るに値しない……早く離れろ……)

クロワッサン:……今日より、ラムチョップを教廷から除名します。教廷は全力を尽くして背教者ラムチョップを捕らえ、審判を下しなさい。

ラムチョップ:(……クロワッサン?)


目の前は一面の血の赤で覆われ、次に何が起こったのかは思い出せない。ラムチョップは同じく押し黙っているクロワッサンを見て、こう言った。

ラムチョップクロワッサン。どういった状況なら、貴様は俺の敵になるんだ?

クロワッサン:敵? 敵…ですか?

ラムチョップ:ああ。敵だ。

クロワッサン:……でも、あの人たちを殺したのはあなたではないんでしょう?

ラムチョップ:わかっているだろう、俺様が言っているのはそういう話じゃない。

クロワッサンラムチョップの真剣な顔を見て、長い溜め息をついた後、真剣に考えてみた。

クロワッサン:……私は永遠にあなたの敵にはなりません。しばらくあなたの敵になった方が、あなたを守れる……そんな状況にでもならない限りは。

ラムチョップ:俺様の信頼を失ってでもか?

クロワッサンは好んで自分の感情を表すタイプではない。こんなにも正直に自分の考えを口にしたことはない。この世界が彼の記憶の一部を失わせたせいか、現在の彼は本当の世界にいる時よりもずっと素直になっていた。彼の頬は淡い朱色になり、稀に見る無邪気な笑顔を見せる。

クロワッサン:私にとって、あなたより大事なものはありません。あなたは私の初めての友であり、一番の友、兄弟のような。あなたは私のためにならなんでもしてくれる、それは私も同じです。


聖臨夜話Ⅶ

クロワッサン:はい、じゃあ今度はあなたの番ですよ。あの来客たちはいったいどういうことだったんですか?

ラムチョップは先ほどのクロワッサンを見て、珍しく後ろめたいような様子を見せた。彼は自分の鼻の先をつまんで、視線をクロワッサンからそらす。

ラムチョップ:……殺したのは殺したんだ。それだけのことだ。

クロワッサン:……ふんっ。

広々とした地下室の中で、軽い鼻音が空気を静かにした。やがてラムチョップは沈黙に耐えきれず、クロワッサンの凍りついたような視線の中で、ポケットから鍵を取り出す。

ラムチョップ:ブロンズの鍵はひとつ目の扉。開ければ天国を丸ごと買えるほどの財宝が手に入る。シルバーの鍵は二つ目の扉。ハートの国王に匹敵するような権力が手に入る。そしてゴールドの鍵は……永遠の命が手に入る。

クロワッサン:永遠の命?

ラムチョップは自嘲するような笑顔でその鍵をクロワッサンに渡した。彼は二つの扉の比べ、ずっと豪華な金色の扉を見つめながら、なんとも言えない表情を浮かべる。

ラムチョップ:あのお方は、この屋敷に来た客人全員にこの鍵を渡して、とある警告をしろと言ったんだ。

ラムチョップ:――私がいない時に、決してこの扉を開けるな、と。

まばゆい宝石が散りばめられた鍵は小さな鍵穴に差し込まれ、ラムチョップの前でカチャッという軽快な音を響かせる。

ラムチョップ:来客は全員、ここにいる……

金色の扉の向こうにあったのは、目まぐるしいほどの豪華さなどではなく、恐ろしい光景――

数の知れない人形たちが、歪んだ姿勢で樹木と一体になっている。彼らの恐ろしい形は、暗闇の中でうごめき、不気味な美しさすら感じさせた。彼らの胸元が呼吸で動いているのがわかる。

衝撃的な光景に、クロワッサンは後ずさりし、背後にいたラムチョップの靴の先を踏んでしまう。

クロワッサン:こ……これはいったい!?

ラムチョップ:これが永遠の命の代価だ……

この光景によってクロワッサンは眩暈を覚える。先ほどまで閉ざされていた記憶も、この刺激によって完全に甦り、映像が堰を切ったように脳裏に流れ込んでくる。眩暈のせいでクロワッサンは倒れそうになり、金色の扉を支えになんとか立つことができた。

だが、それを見たラムチョップは手を差し伸べない。クロワッサンは肩を後ろから押され、なんとか保っていたバランスを崩す。軽くつまずき、その恐ろしい部屋の中に入り込んだと思いきや、重たい金色の扉が背後で閉まる音がした。

ラムチョップ:俺様は全てを許すつもりじゃないし、貴様に許してもらいたいとも思わない。だから。俺様を敵だと思ってくれ……

扉が閉まる瞬間に見えた一筋の光。その向こうにいるラムチョップが、力のない笑みを浮かべているのが見えた。

クロワッサンは、その笑顔こそ全てが終わった合図だと感じた。その笑顔に隠された苦さが、重く閉ざされた扉からクロワッサンの口に滲み込んでいく。

全ての記憶がだんだんと集まってくる。その中には、クロワッサン自身の記憶ではないものも含まれている。瞬きのような瞬間たちと、胸元に襲いかかる窒息感で、呼吸が荒くなっていく。


クロワッサン:(こ……この記憶は……私のものではない……これはいったい……)

???:ほぉ、ヤツが本当に貴様をここまで連れて来るとはな? 貴様たちの仲というのも、その程度のものだったということか。

クロワッサンは視線をそらすことができなかった。目の前には鉄の牢が層を成している。見慣れた装飾品。これはラムチョップが反逆した時に崩壊したあの地下牢だ。聞こえてくる声はとても弱っている。聞き慣れた声が、これはラムチョップの記憶だと語っているようだ。

ラムチョップ:……なぜ貴様が……ここに……

???:ふふふ、クロワッサンに、私こそが貴様の御侍だと言いさえすれば、貴様の処置は私の思うままになった。どうやらあの者にとって、地位の方が貴様なんぞより大事らしいな。

ラムチョップ:な! 貴様……いったい何をしようとしている?

???:私が何を欲しがっているのかなど、知っているであろう?


聖臨夜話Ⅷ

クロワッサンは、自分の記憶の中にいるあの親切な老人がこれほど残酷な表情をするとは思わなかった。老人は不気味な笑みを浮かべ、渇望とも呼べる表情でこちらを見ている。背筋が凍りつくような悪寒がした。

???:貴様たち食霊は、本来人間の道具であり、武器なのだ。道具として武器として、貴様たちが人間のために自らを捧げるというのは、幸福なことであるべきだ――

ラムチョップ:……

???:来い、坊や。私に長年仕えてきたのだ、私と共に行こう。もうお前を使ってこのような実験はしないと誓おう……見ろ、ヤツらももうお前を見放してしまったのだ……ヤツらに重傷を負わされることがなければ、このような惨めな思いなどせずに済んだだろう?

体から伝わってくる絶望感が、クロワッサンを無力にしていく。脳裏にラムチョップの声が響く。

ラムチョップ:(俺様はあいつに……見放されたのか……)

???:考えてみろ、お前の助けがあれば、他の者をこの偉大な実験へと招くことができる。クロワッサン。次のターゲットはあの者にしないか? 大人数でお前を捕えようとしたあの者。どうだ? ラムチョップ

ラムチョップ:貴様!

背後の鎖が、衝撃によって金属音を鳴らす。突然暴れ出したラムチョップに驚いた司教は、後ずさりをして地面に座り込んだ。ラムチョップが自らに危害を加えられないのを確認するや、耳障りな笑い声を出す。

???:ははは! ラムチョップ――! 自分のその惨めな姿を見てみろ! 貴様はあの者に売られたんだ。あの者は貴様が言っていた言葉をちゃんと耳にしたのであろう? それでも貴様を私に渡した。それでもまだあの者をかばおうとするのか、はっはっはっ――

司教の耳をつんざくような笑い声が狭い地下牢に響き渡り、視界が真っ赤に染まる。クロワッサンは、ふと記憶の中から我に返った。心の中はまだ先ほどの記憶のせいで混乱したままだ。彼はなんとか意識をはっきりさせる。そして、目の前に広がる光景は、もうあの不気味な部屋ではなかった。



フィッシュアンドチップスクロワッサン! クロワッサン大丈夫ですか!

フィッシュアンドチップスクロワッサン、早く起きてください!

クロワッサン:う……

クロワッサンがゆっくりと起き上がったのを確認したフィッシュアンドチップスは、ほっと胸をなでおろし、クロワッサンの腕を自分の肩に乗せて立たせた。

フィッシュアンドチップス:はぁ…さっきの場所、いったいなんだったんでしょう。皆がヘンテコな格好になっていて……戻ってこられてよかったです。大丈夫ですか、クロワッサン

クロワッサン:……

クロワッサンの青い顔を見て、フィッシュアンドチップスは心配そうにしている。

フィッシュアンドチップスクロワッサン、大丈夫かい?

クロワッサン:……フィッシュアンドチップス。あなたが目を覚ました時、すぐさっきまでここにいた者たちはどこへ?

フィッシュアンドチップスは、クロワッサンが指さした何もない片隅を見た。そして困惑した顔で振り返った。

フィッシュアンドチップス:何を言っているのです、クロワッサン? あそこには誰もいません。俺たちは入った瞬間に強い光に照らされて、あのヘンテコな場所に飛ばされたのです。

クロワッサンフィッシュアンドチップスの困惑した表情を見て、先ほど自分が見たものについて考え込んだ。もしやあれは、執念の深さゆえに見た錯覚なのだろうか。

クロワッサンが、まだわずかに眩暈が取れないこめかみを手で押さえていた時、フィッシュアンドチップスが誰かがいた痕跡もないあの片隅から、一枚の紙切れを拾い上げた。

「そばにいる者に気をつろ。」

紙切れに宛先や捺印などはなかった。フィッシュアンドチップスはその美しい花文字に見覚えがあり、嬉しそうにその紙切れを持ってクロワッサンに渡した。

フィッシュアンドチップスクロワッサン! これを! こ、この文字は!

クロワッサン:(やっぱり……錯覚ではなかった。)

フィッシュアンドチップス:やっぱり無事だったんです! 戻って皆に知らせましょう!

クロワッサン:ダメです!

フィッシュアンドチップス:えっ?

クロワッサン:……まだそのタイミングではありません。


ここはそう遠くない場所。二つの人影が建物の屋根の上から、フィッシュアンドチップスクロワッサンが遠ざかっていく様子を見ている。ゴージャスなドレスを着た魔女は、両手で頬をついたまま。

マドレーヌ:はぁ……あの世界から離れても、素敵ですわ。彼がキャンディを食べている時の姿なんて、とっても可愛らしかったもの。

ラムチョップ:変な企みをするなよ。あの貴様のクズみたいな箱! あれはなんだったんだ!?

マドレーヌ:きゃ、怖い、怖いですわ。私にもどうしようもなかったんですもの。あの薬のせいで、制御が効かなくなって。

ラムチョップ:ハッ、貴様が変なおとぎ話の本を読んでいたせいであんなことになったのだ。

マドレーヌ:あら? もしかして、心の奥底にしまっていた秘密がバレちゃって怒っているのかしら?

ラムチョップは傍にいる魔女との会話をやめ、屋上から飛び降りた。

マドレーヌ:ちょっと! お待ちになってくださいな! なぜ先に行くの? もしや、私のドレスの中を見るおつもり? いやらしい人!

ラムチョップ:さっさとしろ、大事な客が待っている。

マドレーヌ:ちょっと待ってくださいってば。

真実中の偽Ⅰ

 どこまでも続く国道の上で、きらびやかな飾りが施された馬車の列が太陽の光で眩しい輝きを放っている。

 ただ──


フォンダントケーキシャンパンのバカァー!!


 ──ドンッ!


 馬車のドアが力強く閉じられた。もうその光景にすっかり慣れている近衛兵は、窓から中の様子を覗き込む。


副官:陛下、ご無事ですか?

シャンパン:はぁ……なんて野蛮な女なんだ。いてて。

副官:(痛いと思うなら、お嬢さんにちょっかいを出さないでくださいよ……)

シャンパン:なんだその顔は?ん?

副官:いえいえ、陛下がご無事でなによりです。お嬢さんは……

シャンパン:放っておけ、どうせもうすぐ着く。彼女に危険などない……というか……そんじょそこらのチンピラが手を出したとしても、心配すべきはチンピラの方だろうな。うっ、腫れないといいんだが。いてて。

副官:座席の下に薬を置いてあります。この前、光耀大陸の大使からいただいたプレゼントでして、腫れに効くらしいですよ。

シャンパン:…ふん!


 近衛兵はシャンパンを見ながら、仕方なさそうに座席に座り込み、先程のプチトラブルで進行が止まった車体を再び進めようとした。


シャンパン:待て。


(背景:川辺)


 普段から訓練を受けている兵士たちは、シャンパンの急な下車の理由を聞くこともせず、全員が国道に沿って休憩している。シャンパンは木陰に向かって歩いていく。


シャンパン:出てきていいぞ。もう彼女はいない。

???:ふふ、お嬢さんを怒らせてしまいましたね。相変わらず仲が悪いですねぇ。でも、この情報は教廷に関係があるにもかかわらず、彼女には黙っておくつもりなんですね。本当にいいのですか?

シャンパン:だまれ。彼女が特に知る必要はない。彼女は神の子としての務めをきっちり行い、神にちゃんと仕えていればいいんだ。

???:ふふふ、この件で彼女に責められても知りませんよ。

シャンパン:小娘の世話で、お前まで口うるさくなったのか? 例のものはどこだ!

???:陛下はせっかちですね。


 シャンパンは後ろを向いたまま、影の人物から渡されたものを受け取る。冷たく固い食感に、シャンパンは額にしわを寄せる。


???:どうした?

シャンパン:……これは?

???:誰もいないところで見てください。文字で記されたものよりは詳しいですよ。

シャンパン:ホルスの目の賞金首ともあろう者が、いつの間に民と国の心配をするようになったんだ?

???:陛下も同じことを考えているでしょう、もう無理して隠さなくてもいいんですよ。

シャンパン:……


 後ろにいる黒い影は長いため息をついた後、立ち上がって森の奥へと向かおうとした。が、急に足を止める。


???:我が陛下よ。私たちもそろそろ、選択をしなければならない時が来ましたね。


 馬車に戻ってきたシャンパンの顔色の悪さに近衛兵は気付いたが、シャンパンはそのまま黙って馬車に乗り込む。


シャンパン:出発しろ。

副官:…陛下?あの……

シャンパン:出発だ。

副官:はっ!


真実中の偽Ⅱ

少し前

王城の城門外


 行き交う者たちは、城門にもたれかかっている高貴な装いの青年をよく知っているかのように、皆口々に挨拶をしている。


おばあさん:赤ワイン、なぜあなたがここに? ジンジャーブレッドビーフステーキは?

赤ワイン:ターキーのやつがここで客人を待てと。ジンジャーブレッドビーフステーキは、他の客人を迎えに行っている。

おばあさん:他国からの大使さんだね! ご苦労様。ほら、おばあちゃんが今朝採ったリンゴだよ。持って帰ってみんなで食べな!

赤ワイン:婆さん、これは売り物だろ……

おばあさん:いいんだよ、ありがたく受け取れば。そうだ、チビ陛下にたくさん食べなと伝えておくれ。うちの孫の方が身長が高くなっちゃうからねぇ……

赤ワイン:(ははは、あいつはいくら食べても高くならないんだがな…)


 やれやれという笑顔も気にせず、おばあさんが赤ワインの腕を掴んだ。


おばあさん:ん?あんたもだね、たくさん食べないと。ほらほら、お前さんたちの中じゃビーフステーキだけが丈夫そうだねぇ。こんなに細っちいのに、どうやってあいつらと戦うんだい? ええと…なんて言ったっけかねぇ…

赤ワイン:……堕神。

おばあさん:そうそう、堕神というヤツら。


 赤ワインは仕方なさそうな目で、心配してくれているおばあさんを見ている。その時、聞き慣れた声が聞こえてきた。振り向くと、そこには部下を連れたシャンパン赤ワインの目の前にいるではないか。


シャンパン赤ワイン、ご老人の話はちゃんと聞け。嫌いなものをビーフステーキにばかり食べさせてはダメだぞ。

赤ワイン:…シャンパン、お前か。

おばあさん:あら、このイケメンのお兄さん、赤ワインのお友達かい?

赤ワイン:婆さん、こちらは隣国の王だ。俺様たちと同じように食霊だがな。

おばあさん:あらら、これはとんだ失礼を。お兄さん、気にしないでね。


 微笑みながらおばあさんと別れたシャンパンを見て、赤ワインは指先で鼻先を触りながら、笑いをこらえるように咳払いをする。


赤ワイン:お前、随分と遅いじゃないか? うん? フォンダントケーキは?

シャンパン:ああ、あの女はまた怒っている。そのうち自分で来るだろう。

赤ワイン:最近の堕神はますます危険になっている。よく放っておけるな。

シャンパン:彼女に遭遇した堕神のことを心配するべきでは?


 シャンパンの手首のあざを見た赤ワインは、それ以上我慢できす笑い出した。やっと笑いが止まった赤ワインは、笑い疲れたほっぺたをなでながら長いため息をつく。


シャンパン:行こう。これ以上待たせるのもな。


 王城に入った赤ワインシャンパンを待っていたのは、賑やかな街の風景ではなかった。路地には生活の跡があり、テーブルにおいてある朝ごはんからは湯気が立っている。

 赤ワインシャンパンは先を急いだ。すると、ついさきほど話かけてくれたおばあさんが、幸せそうな微笑みを浮かべながら地面に倒れていた。


おばあさん:ゾーイ…やっと帰ってきたんだね…

シャンパン:ゾーイ?


 赤ワインの表情が険しくなる。状況が不明な中では、倒れた人の搬送すらままならない。


赤ワイン:ゾ ーイは婆さんの息子で、堕神に殺された。近所のものは、ばあさんを悲しませたくないー心で息子の死を隠し、出稼ぎに行ったとしか伝えていなかったのに……

シャンパン:待て!


 人影のようなものが一瞬視界に映り、シャンパンはそれに気づくとすぐに追いかける。あの怪しい人影が、もしかしたら全ての元凶なのかもしれない。

 あっという間に、人影は狭い路地裏で追いつかれた。


赤ワイン:貴様は何者だ? いったい何をした?

???:ふん。お前らには関係ないだろう?

赤ワイン:なっ!

???:食霊の分際で生意気言ってんじゃねえよ、お前らは俺たちの道具でしかないんだ。そしていずれは、 俺たちの餌になるのさ。 はっはっはっ!


 人影の狂ったような笑い声に、 赤ワインの表情はみるみるうちに険しさを増す。剣を抜いて追いかけようとした瞬間、 シャンパンが止めに入る。


赤ワイン:どうした?

シャンパン:待て!施設に行くぞ! こいつの仲間は必ずあそこにいる! 教廷の連中や、ターキーたちもいるはずだ!


 なぜ止められたのかわからなかったが、とりあえず赤ワインシャンパンとともに施設へと向かった。


 シャンパンが人影の手に怪しい光の薬剤を目にしていたことを、赤ワインは知らなかった……

真実中の偽Ⅲ

先ほど

聖音施設

 二人は息を切らして敷地に駆け込んだ。よく知っている顔たちが、全員その場に倒れ込んでいる。赤ワインジンジャーブレッドを支えようとした時、何者かの声が響いた。


マドレーヌ:触らないで!


 シャンパン赤ワインは、 汗まみれの少女を見た。暑いわけでもないのに、少女の額からは汗が流れている。必死に体を起こしたせいかもしれない。


マドレーヌ:…触っちゃうと…夢の世界の邪魔をしてしまうから…

シャンパン:お前は何者だ? なぜここに?


 目の前の少女から強い力と霊力を感じたシャンパン赤ワインは、警戒態勢をとる。

 しかし、彼女の霊力は他の食霊のようにコントロールされているようなものではなかった。霊力が勝手に放出されているようで、彼女の体は徐々に弱っている。


マドレーヌ:もう時間がないの、話を聞いてちょうだい!!


 マドレーヌは強い口調で、 赤ワインシャンパンを見ながら気を失わないよう懸命に頭を振った。


マドレーヌ:私の力が暴走してしまったの。 もはや、私も夢の中に連れ去られてしまうかもしれないわ。

赤ワイン:夢の中!?

シャンパン赤ワイン、まずは彼女の話を聞け。

マドレーヌ:夢の中で死んでしまえば、現実の世界には帰ってこられなくなるわ。 それに、現実の世界で何かが起きると、それは夢の中にも影響してしまうの。

シャンパン:だから、触るなと言ったのか?

マドレーヌ:夢の中で何をしているのかは誰にもわからない。 現実の世界で危険な目に遭ってしまえば、大変なことになる…

シャンパン:…これはお前の力で起きているんだろう。なんでお前まで夢の中に入ってしまうんだ?


 シャンパンの疑問に、マドレーヌは口元に皮肉そうな笑みを浮かべた。


マドレーヌ:コントロールができないから、使わないようにしてきたんだけど。でなきゃ、魔女と呼ばれることなんて……まあ、いいわ。 このことは後ね。まず大事なことから話しましょう。


 マドレーヌは再び首を振り、 先ほどの正気を保つための動きと違い、今度は過去のことを頭の中から絞り出そうとしているようだ。


マドレーヌ:このままだと、私が霊力の枯渇によって死ぬだけでなく、夢の中に落ちてしまった人たちも戻れなく……

赤ワイン:危ない!


 赤ワインは倒れかかったマドレーヌを支える。


マドレーヌ:夢の中から…解放したければ…霊力で…私の箱を…閉じて……


 マドレーヌの途切れ途切れの言葉を、赤ワインシャンパンは理解できない。マドレーヌのまぶたはますます重たくなり、華麗なレースをあしらった長袖の下で自らの手をいくらつねったところで、眠気を飛ばすことは叶わなかった。


シャンパン:箱を閉じたとして、夢の中に落ちた者たちはどうやって解放するんだ?


シャンパン赤ワインの方に顔を向け、ふらつきながら前へと歩み出たマドレーヌは、心細い笑顔を見せ、 指でシャンパンの類に触れ、首を傾げてみせる。


マドレーヌ:お姫様が王子さまを見つける時、真実が虚妄を打ち破る時……彼らは…あなたのそばに戻ってくるわ……私の陛下……


 力を失い、自らの目の前で無防備に倒れかかったマドレーヌをシャンバンは受け止める。眉をひそめながら死体のように倒れている人たちへと視線を移し、しばらくの間立ちつくす。


赤ワイン:うむ………………

シャンパン赤ワイン

赤ワイン:変だとは思わないのか?

シャンパン:…何がだ?


赤ワイン:俺様が彼女を支えて、こちらの方が近かったのに、お前に向かって話していた……これは、何かのヒントでは?

シャンパン:…変って、そのことか?俺の方が明らかに美男ではあるが? そういうことじゃなさそうだな。


(夢の中で)

マドレーヌ:へくちっ……


赤ワイン:…寒い冗談だな。

シャンパン:…うむ、それよりどうしたらいいか考えねば。

真実中の偽Ⅳ

 すると、戸惑っていた二人の後ろから懐かしい声が聞こえてきた。シャンパン赤ワインは、やれやれと後ろへと振り返る。


ビール:おやおや、まだ随分早い時間なのに、みんな寝ているのか?  よいしょっと……


赤ワイン:…待てビール、お前も一緒に寝る気か?!こんな場面で寝るなどという発想、いったいどこから来るんだ?!

シャンパン:……


 寝ようと床に座り込んだビールを見て、 赤ワインシャンパンは耐えきれずにロをひくひくとさせた。ビールを引っ張り起こしてから、 簡単に状況を説明した。

 教廷の連中も来ていると聞いて、ビールは警戒するような目で辺りを見渡す。 まるで、誰かの行方を確認しているかのような感じだ。そして安心したのか、ほっと胸をなでおろした。


ビール:あの箱を勝手に開けるなって、 あの小娘には何度も言ったのに。まいったなぁ。

赤ワイン:小娘?

ビール:そう。マドレーヌの箱は、 以前にも暴走したことがあるんだ。 ラムチョップと僕が力を合わせてなんとか止めたんだけどね。 あれ、 そういえば、ラムチョップは?

シャンパン:(この様子だと、彼女が言っていたことは本当だったようだな…夢の世界を開けるのは、彼女の本意ではなかったということか……)

赤ワインラムチョップ?俺様と同じ食霊か?

ビール:そう。見た目がかっこ良くて、黒髪に目が赤いヤツだよ。

赤ワイン:お前が言う、マドレーヌというヤツ以外の食霊は現れなかったぞ。

シャンパン:待て、さっき暴走を止めたと?

ビール:そうだね。前回は、夢の中で全員の性別が入れ替わったんだ。 夢の中で見た目が現実世界と違うわねって、 彼女は言ってたけど……

赤ワイン:(……くそ、俺様としたことがつい見てみたいと思ってしまった。)

シャンパン:(ふむ……なんだか面白そうだな。)

ビール:その顔はなに?面白そうに聞こえるかもしれないけどさ、夢の中じゃ本当に危なかったんだよ。

シャンパン:夢の中で死ぬと、現実世界でも死ぬというのは本当か?

ビール:それだけじゃない。 夢の中では霊力がどんどん吸い取られていってしまうんだ。僕たち食霊だったらまだいいけど……人間は……


 三人の目線が、ほぼ同時に地面に倒れている子どもたちに向き、そして眉をひそめた。


シャンパン:待て、お前の言った通りなら、 早く起こさないとまずい。だがどうすれば?

ビール:うーん……前回の経験からすると、 夢の中で目標を達成するか、 夢の中にいることに気づけさえすれば、目が覚めるよ。


 一瞬、三人の間に沈黙が流れる。 力を持つ食霊である彼らでさえ自分の状況を素早く認識することができないというのに、霊力のない子どもたちとなればなおさらだ。


赤ワイン:あの箱を閉じる前に、誰かが夢に中に入る必要があるな。 そうすれば、 箱が閉じられた後に彼らを起こすことができる……ビール、俺様たちが夢の中に入った後も、うまく意識を保つことはできるか?

ビール:できるけど、お手伝いさんが必要だな。ミスを起こさないように箱を閉じるのを手伝ってもらわないと。それに、夢の中は……とんでもなく危険だ。夢は、自分の餌を外に出そうとするヤツを排除しに来るから……


 シャンパン赤ワインは目と目を合わせて、ほぼ同時に言った。


赤ワイン:俺が行く!

シャンパン:俺が行く!


 そばにいたビールは道化のような笑顔を浮かべ、喧嘩を始めた赤ワインシャンパンをにこにこと眺めた。


ビール:若いっていいですねー。どっちも友だち思いのいい子だなー。

真実中の偽Ⅴ

赤ワイン:危険すぎる! ここはやはり俺様が行くべきだ。

シャンパン:この俺に危険などあると思っているのか?

赤ワインシャンパン、俺様の言っている意味はわかっているはずだ。


 背負うものが多くあるシャンパンは言い返せず、拳を強く握った。


赤ワイン:いくら敵が強くとも、 お前なら絶対に負けないのはわかっている。だがな、これは罠ではないとは誰にも言い切れない。 お前だけは行かせるわけにはいかないんだ。

シャンパン:……

赤ワイン:お前は一国の王、民心の中における戦いの神だ。お前にもしものことがあったら、皆はどうするんだ?


赤ワインに肩をトンと叩かれ、シャンパンは言い返せないまま肩の力を抜く。

シャンパンは危険を避けるのを好まないが、重大な責任は彼の両肩に絡みついている。


赤ワイン:お前に何かあっては国民に顔が立たない。 俺様があいつらをきっちりと見ていればいいんだ。なに、こういう場面は背負うものもない俺様が適任だ。

シャンパン:ふんっ。好きにしろ。


 シャンパンの背中には、 大きな責任があった。陛下と呼ばれ、ひとつの国を統べなければならない。

 虎視耽々と侵略を狙う隣国や王の権力を狙う卑しい者たちは、今でこそしっかりと抑えられているが、自分がいなくなった場合にどうなるのかなど、 知るよしもないのだ。

 少し前まで、人間に対する備えが、堕神に対するそれをはるかに超えていたほどだ。シャンパンは頭を下げ、苛立つ気持ちは握られている両の拳にギシギシと音を立てさせた。すると突然──


赤ワイン:それに、お前がここにいた方が安心できるしな。

シャンパン:え?

赤ワイン:だって、そうだろ?俺様まで出られなくなった時に、頼りになるのはお前しかいないんだ。無敵のシャンパン陛下? ビールのヤツは全くアテにならん。強いが、頼りにならん。

ビール:ちょっとー、僕そんなに頼れない?

赤ワイン:事実だろう。中の状況を制御できなくなった場合、皆を救えるのはお前しかいない。


 シャンパンは自分の肩に置かれた手をおろしつつ、重々しい表情は赤ワインの話を経て少し和らいだ。そばで静かに見ていたビールは、思わず微笑みを浮かべた。


シャンパン:…お前というヤツは、ペラペラとよく回る舌だ。

赤ワイン:ははは、これだけお世辞を言ったんだ。うまくいったら報酬は弾んでもらうぞ?

シャンパン:それはない。だが完壁に任務を完遂できたら、秘蔵の酒で乾杯でもするか。

赤ワイン:そりゃ楽しみだな。

シャンパン:では。皆のことを、頼む。


 シャンパンは顔を上げて、からかうような笑顔を浮かべながら赤ワインを見た。すっかりやわらかくなり、思わず笑みを浮かべながら、手を上げて赤ワインと拳を突き合わせた。


赤ワイン:安心しろ、陛下。カナン傭兵団はお前の期待を裏切らないさ。


 あぐらをかきながら地面に座っていたビールは、目の前の眩しい男たちを見て、思わず笑った。


ビール:あららら、みんな大人になったなぁー

赤ワイン:……そのじいさんみたいな発言、聞くたびに殴りたくなる。

ビール:えぇ、お年寄りは大切にだぞ。

真実中の偽Ⅵ

 怪しげな煙の中、剣を握ったまま赤ワインはゆっくりと倒れ、 シャンパンはその体を受け止めると、そっと床に寝かせる。 シャンパンビールは、マドレーヌの横にある不気味な煙を漂わせている宝石箱に視線を向けた。


ビール:よーし、次は僕の番だ。 シャンパン、君は下がっていい。 前回の経験から考えるに、僕ひとりでできるはずだ。

シャンパン:やはりそういうことか。

ビール:あははは、バレたか……僕も、君を危険な目に遭わせたくないからね……


 ビールは気まずい雰囲気を紛らわせるためか、頭をポリポリしている。お手伝いさんが必要だと言ったのも、 重い責任を背負っているシャンパンに危険を冒させないためだ。申し訳ない気持ちを覚えながらも、ビールは厳かな視線でシャンパンを見た。


ビール:世の中はいつだってこうだよ。たとえ嫌でも、 選択しないといけない。君が王になることを選択した以上、 これは受け入れなければならないことなんだ。

シャンパン:お前と同じように、か?

ビール:……なんのことかわからないな。


 話題をそらすためか、ビールはずっと霊力を放っている箱の横まで移動した。箱の中からは甘い香りがする霧が途切れることなく漂っている。

 霊力で自らを守っていなければ、濃い煙に包まれているビールはすでに夢の中に入ってしまっていただろう。ビールの手から放たれる優しい霊力に包まれ、甘い香りをまとった紫の煙は少しずつ箱の中へと戻っていく。貝の形をした箱も徐々に閉じられていったが、完全に閉じることはなかった。


ビール:(…この霊力? まさか?! ダメだ、シャンパンをここから離れさせないと!)

シャンパン:どうした?


 ビールの重苦しい表情を見て、シャンパンは先ほどの言葉通り簡単ではないことに気づく。ためらうことなく前へと躍り出ると、ビールの動きを真似するように閉じかかった箱の上に手を軽く置いた。


ビールシャンパン?!

シャンパン:もういい、俺はお前の可愛い生徒じゃない。 お前に守られる必要もない。 お前も赤ワインも、勘違いをしている。

ビール:……うん?


 激しい霊力が、シャンパンの手から降り注がれていく。再び開きそうになっていた貝の形をした箱は静かになり、ゆっくりと閉じていった。


シャンパン:俺は王だ。こんな状況で王が何もしないのならば、さっさとやめてしまえばいい。そして……

ビール:でも……


 霊力が大量に流れ出ていくせいか、シャンパンの額は汗でぐっしょりとなっている。ビールは何か言いたげに心配そうに彼を見たが、シャンパンによって口を閉ざされる。


シャンパン:そして、忘れたか? 俺を誰だと思っている。罠だろうと、危険な目に遭おうとどうでもいい。俺の辞書に不可能という文字はない。 絶対に失敗などしないのがこのシャンパンだ。


 シャンパンの自信たっぷりな笑みに、ビールは呆気に取られる。

 シャンパンを見ていると、全ての人は彼の負っている責任とは何かを忘れてしまう。その大きさゆえか、人々は意図せず見落としてしまう。 国という責任を背負う者の名はシャンパン──これが負け知らずの、シャンパンなのだ。


シャンパン:お前たちは、この俺を見ているだけでよい! 俺は絶対に勝つということを、信じるだけでよい!


 あふれる霊力とともに、薄い金色の長い髪が舞い上がっていくシャンパンの横顔を、ビールは呆気にとられながら見ている。この時、「シャンパン」という名前ほど、安心できる言葉は他にない。

 ビールの隣にいるのは、この世界で最も頼り甲斐のある友だ。

 心の中の不安も、彼の口元の笑みで消えていく。それ以上はシャンパンの方を見ることなく、ビールは全ての集中力を再び目の前にある箱に注ぎ込んだ。


ビール:そうだね、忘れていてごめん……君は、人から守られているような王じゃない。 君は、僕たちの……負け知らずの 「シャンパン」!

真実中の偽Ⅶ

 箱が、シャンパンビールの力によってとうとう閉じられた。霊力のほとんどを吸い込まれた二人は、どっと床に倒れ込む。


シャンパン:ふー……ビール、よくこれを小娘のおもちゃだと言えたものだな。

ビール:以前にも何回か暴走したけれど、ここまで激しいのは初めてだ。いったい、あの小娘に何があったんだ?

シャンパン:ふん、俺がいてよかったろ?お前だけでどうするつもりだったんだ?

ビール:あはははっ、なんとかしたさ!


 二人は汗まみれのまま地面に横たわりながら、オレンジ色の夕日を見上げている。眩暈がするのか、シャンパンは手を上げて敗しい日差しを遮った。


シャンパン:…救いようのない楽観主義だな。

ビール:それだけが僕の長所だよ、あははっ!

シャンパン:……クスッ……

ビールシャンパン……君も成長したなあ。あ! ヴァイスヴルストだ! おーい、久しぶり!


 喜び勇んだビールは、ころりと起き上がって地面に倒れているヴァイスヴルストのそばまでやって来た。彼の類をつつきながら、一方的に話しかけはじめる。


ビール:あらら、しばらく会ってないうちに大人になったなぁ……

シャンパン:……おい、ビール

ビール:え?


 シャンパンも起き上がり、服についた挨を叩き落とした後、ヴァイスヴルストに向かってぶつぶつ喋っているビールを眺めた。


シャンパン:彼らと教廷、どちらが大事だと思う?

ビール:…なんでそんな質問を? 何かあったの?

シャンパン:俺をダマしたことはいちいち気になどしていない。だからまずは、質問に答えたらどうだ?

ビール:…僕にとっては、一緒だな。 誰も彼もが大事。比べられないものだ。

シャンパン:そうだな……なら教廷のおえらいさんと一般の民だと、どちらが大事だ?

ビールシャンパン

シャンパン:え?

ビール:君が並べている要素は、 同じ天秤にかけて比べられるものじゃない。 ねえシャンパン、何かあった?

シャンパン:……では、人類と食霊、お前にとってはどっちが大事だ?

ビール:…シャンパン? 本当に、 いったい何があったのさ? まさか君は……

シャンパン:もしこの両方から選べ、と言われたら、お前はどうする。

ビール:……

シャンパンビール、お前は言ったな。 嫌だとしても、 選ばないといけない時があると。俺たちと人間の間で……

ビール:僕が、そうはさせない。

シャンパン:……お前がいくら頑張ったところで、 ひとりの力で変えられるものではない。 お前を信頼する人々のためにも、 ビール、選択の時なんだ。

ローストターキー:う……


 シャンパンはすでに答えを得ていた。彼は立ち上がり、ローストターキーのそばへと向かう。誰にも気づかれずに笑顔を浮かべながら、座っているローストターキーに向けて手を差し伸べた。


ローストターキー:ふう……やっと戻ってこられたか……シャンパン

こ、これはどういうことだ!


 シャンパンが無意識に振り返ると、ビールはすでにいなくなっていた。彼はそのままローストターキーの手を握り、引っ張りあげる。


シャンパン:何でもない。

真実中の偽Ⅷ

 シャンパンローストターキーに状況を簡単に説明した。 彼は衝動的な性格だから怒りに任せて姿を消したマドレーヌを追いかけるのではと予想していたが、ローストターキーは落ち着いていた。


ローストターキー:まあ……わざとでないなら、別によい。彼女じゃなければ……

シャンパン:何だ? よく聞こえなかった。

ローストターキー:何でもない! 貴様たちが出くわしたヤツらのことだが、とことん調べるよう申し付けておかねば!


 ローストターキーの軽快な足取りを見送りながら、 シャンパンは意味がわからなさそうにしていたところ、 トンッと軽く肩を叩かれた。 振り向くと、慰めるような笑みを浮かべているエッグノッグがそこにいる。その表情を目にして、ふっと「成長した息子が隠し事を覚えた」かのようなショックを覚えた。

 ダダダダーッ!

 慌ただしい足音とともに、 誰かが慌ただしくやって来る。次の瞬間、シャンパンは息を切らしたフォンダントケーキを視界に捉えた。


フォンダントケーキシャンパン、大丈夫ですか!

シャンパン:え?


 少しぼうっとしているシャンパンを見ながら、 彼女はシャンパンの類を両手で持って軽く揺らし、異常があるかどうかチェックしはじめた。すぐさま、 彼女の手の平から伝わる温度に温められてくのを覚えていく。


フォンダントケーキビールが、あなたが霊力を取られすぎたと言っていましたが……大丈夫ですか?

シャンパン:……おい、近すぎるぞ。

フォンダントケーキ:あっ!


 今気づいたと言わんばかりに、ばっと手を離したフォンダントケーキはやっとニ人の間の距離を自覚する。彼女はみるみるうちに顔を赤くして手を引っ込め、胸を叩いた。目の前の人が無事なのを確認すると、彼女は次々と目を覚ましていく子どもたちの方に視線を向けた。


フォンダントケーキ:こ、子供たちの様子を見てきますね!


 シャンパンは慌てて消えていくフォンダントケ - キの後ろ姿を見て、鼻の先を軽く触る。振り返れば、手でロ元を覆って笑うエッグノッグローストターキーがそこにいた。


シャンパン:…お前たち、その顔はなんだ?

エッグノッグ:あはは、シャンパン、大丈夫ですか!

ローストターキー:おい近すぎるぞ…

エッグノッグシャンパン、随分と心配されてますね? あの慌てようは……ひえっ怖い! ローストターキー、逃げましょう!

シャンパン:チッ


 シャンパンの面白くなさそうな様子を見ると、彼をよく知っているエッグノッグローストターキーシャンパンが嫌がりそうな笑顔を浮かべ走って逃げていった。

 そんな二人の姿を見ながら、 シャンパンも思わず失笑しやれやれと首を振る。そうして霧が消えた光のない空を見上げ、少し乱れた前髪を後ろへと整えた。

 周りの人々は次から次へと目を覚ましていき、何かあったのかというの様子でキョロキョロしていた。それを見たシャンパンは仕方なさそうに肩を揺らす。 その時、よく知った声が聞こえてきた。


フォンダントケーキ:なにをそんなに笑っているのですか? 何か、いいことでもありました?

シャンパン:…何でもない。そういえば、お前も夢の世界に入ったんだったな。

フォンダントケーキ:はい? そ、そうですね……

シャンパン:何になっていたんだ?


 フォンダントケ- キは何かを思い出した様子で、 次の瞬間には顔を真っ赤にし、思いきりシャンパンの足を踏むと再び遠くへ行ってしまった。


シャンパン:ぐっ────あの野郎! 今日という今日は許さん!


エンディング-終わった後。


夜。創世の日のために集まった各国首脳や貴族たちは、ローストターキーが用意した華やかな宴会に出席した。宴が進むにつれ、お互いの間に合ったわだかまりが消え、パーティーは盛り上がっていく。

社交辞令に疲れはじめたローストターキーは、ようやく全ての対応をエッグノッグに放り投げるタイミングを見つけた。彼からの文句をよそに、重いカーテンに遮られたベランダに潜り込む。

しかし、一息つく間もなく、そばから聞こえた声に驚き飛び跳ねてしまう。


シャンパン:またエッグノッグに押し付けて自分だけ抜け出したのか?


ローストターキーは驚きでぱくぱくと鳴り続ける胸をなでながら、ため息を漏らした。


ローストターキーシャンパンか。驚かせるでない。貴様こそ、自分だけ抜け出してきているではないか。


シャンパン:ははは。月を見に来ただけだ。


ローストターキー:ふん……シャンパン、きさま、何か悩み事でもあるのか?


シャンパン:うん? なぜだ?


ローストターキーエッグノッグに教えてもらったぞ。今日はフォンダントケーキと喧嘩をしなかったとな。


シャンパン:あいつの勘の鋭さは変っていないな。


ローストターキー:今のうちに吐き出したらどうだ?


シャンパン:…ローストターキー。もし、いつか人類と食霊のどちらかを選べと言われたら、お前はどうする?


ローストターキーは眉をひそめた。んーと、音を伸ばしているが、答えは返ってこない。もしや話題を変えたいのかとシャンパンが思ったその時、ローストターキーはようやく顔を上げ、真面目な様子でシャンパンを見つめた。


ローストターキー:余がその時にどうするかはわからぬ。だが、そんな日が来ないことを祈っておる。


シャンパン:それを望まぬ者はいないと思うがな……


ローストターキー:今日はここにいる全ての者と同盟を結んだのも、選択をしなくてもよいようにするため……そうではないのか?


ローストターキー:この目的を達成するためにも、シャンパン、貴様がいないと成立しないのだぞ!元気を出せ! 絶対に解決できる! 貴様はシャンパンだぞ!


シャンパンは背中をローストターキーに強く叩かれた。彼の目は、月の光に照らされた星のように輝いている。信頼を浮かべたシャンパンにも伝わり、彼はシャンパン酒を一気に飲んだ。


シャンパン:そうだな、俺はシャンパンだ。


二人が再び宴の場に戻ると、取るに足らない貴族たちはとっくにその場を後にしていた。エッグノッグビーフステーキたちだけが残り、教廷が連れてきた施設の子どもたちもいた。

子どもたちは宴会場の真ん中の清掃された空きスペースに集まり、椅子に座って歌うビールの歌を聞きながら、膝を抱えて歌を歌っている。

飲み過ぎたクロワッサンビールの服を掴みながら、何かを恐れるように離れたくなさそうにしている。同じく飲みすぎた赤ワインビーフステーキの背に立ちながら、剣をブンブン振っている。


フィッシュアンドチップス:ああ! 陛下! 小さな陛下! よくぞお戻りになりました! 俺ではもう彼らを止められません!


ジンジャーブレッドは剛毅な振る舞いで空っぽの容器をテーブルの上でドンドン鳴らしている。テキーラマティーニは酔いつぶれ、床に倒れたまま失神した状態だ。……失神したまま、口元を拭っている。


ジンジャーブレッド:きゃはははは! もう一杯! フィッシュアンドチップス! 早くおいでぇ! この人たちもうダメですぅ!


フィッシュアンドチップス:うわあぁっ! もうだめだぁ!


すると突然、シャンパンの肩が重くなった。細い腕が彼の肩にかかり、指先で彼のほほを勢いよく突いている。


フォンダントケーキ:うっ、ひっく……こんのシャンパン! いっつも私に怒ってばかりですけど! わ、私は……その顔にラクガキしちゃおっかなあ……ひっく!


エッグノッグでさえもかなり酔った様子だ。彼はテーブルの上でぐったりしており、ローストターキーがそばまで行って自らのマントを解いて彼の肩にかけようとしたが、そのマントをもたずしてローストターキーを抱きしめるという有様だ。


エッグノッグ:うう……アンナ! マドリン! 信じてください! 僕の心の中では、あなたたち二人は同じくらい可愛らしいんです…ウッ…ウウッ!


ローストターキーは額の青筋を押さえながらエッグノッグを蹴りつけた振り返ると同じようにフォンダントケーキにちょっかいを出されているシャンパンが目に映った。シャンパンも彼の視線に気づき、とうとう笑いをこらえきれず、二人とも思う存分に笑い出した。

たとえ暗闇が多い未来や、幸い選択が待ち受けている未来であろうと、少なくとも、今この瞬間、そばに大好きな仲間がいる。皆が心から笑い、騒いでいる。このひとときこそが、長い運命の中において、忘れられぬ温もりになるのだ。

ドリームランドの真実

魔女のティーパーティー

果物と焙煎物の甘い香りが溢れている。クッキーはキャンディ色のビスケットをひとつ摘んで口に入れると、生地が砕ける時の軽快な音とともにビスケットが小さな悲鳴を漏らした。そのやかましい声で、クッキーは思わずその綺麗な眉に皺を寄せる。

クッキー:もう、うるさい子ね。

フルーツタルト:可愛らしかろう? 苦労してようやく見つけたビスケットだ。

クッキー:確かに面白いわね。そういえば、あのナイチンゲールは?

フルーツタルト:人魚を探しに行ったと聞いておる。ナイチンゲールだというのに、よその歌が好きだとは、おかしなことよ。

クッキー:人魚の歌だからじゃないかしら? そういえば、ターダッキンはどこに行ったのかな。まだ戻ってきていないなんて……

マドレーヌ:それなら、さきほど見かけましたわ。でも、声をかけても返事はしませんし、ケープばかり編んでいますの。ジェスチャーで私たちへのプレゼントですと、言っていましたが。

クッキー:ジェスチャー?

マドレーヌ:あまり話したくないような感じでしたわ。

クッキー:(ふーん? 後で聞いてみようかな。)

マドレーヌ:そういえば、フルーツタルト。あなたのナイチンゲールが近頃、あの綺麗な人魚さんにつきまとっているそうじゃない。この前なんか、「一番美しい薔薇はどこにあるんだい?」と。このまま放っておいてよろしくて?

フルーツタルト:なぜわらわに申すのだ?

マドレーヌ:あら、一応下僕ですもの。他の人のことばかりにうつつを抜かして、あなたのことを忘れてしまうのは良くないと思いますけど?

フルーツタルト:奴にちょっかいを出されるのは、良いことばかりではないのだがな。

マドレーヌ:え?

フルーツタルト:なにも。ところで、おぬしの服に飾られておるサファイア、味見しても良いか?

マドレーヌ:いけません! もう後三、四個しかないのです! 同じ味の宝石キャンディは、なかなか見つかりませんの!

フルーツタルト:つい先程、クロワッサンにひとつあげたではないか。

マドレーヌ:わかりましたわ! はい、あーん……


三月兎茶会

エッグノッグを見送ってから、フルーツタルトクッキーたちの意味深な眼差しを前にティーカップを置いた。

フルーツタルト:わらわをそんなに見つめておるのは、なにゆえだ?

マドレーヌ:あなたが自分の誘いを断った者を見逃すことが、信じられないだけですわ。

フルーツタルトは軽く眉をあげ、口元に小さな弧を描く。

フルーツタルト:わらわは優しいからのう。

マドレーヌ:じーー

フルーツタルト:え?

マドレーヌ:信じられませんわね。まさか、本物の予言を差し上げていないのかしら?

フルーツタルト:些細なことのために嘘をつくのは好かぬ。

マドレーヌ:あなたが優しくするなんて……

フルーツタルトマドレーヌを見る。マドレーヌはその美しい瞳を細め、少し顎を上げ、まるで彼女のことはよく知っているとでも言いたげに視線を向けている。フルーツタルトは思わず失笑し、指先でキャンディ色のティーカップの端をわずかになぞる。

力を少し込めただけで、華やかな模様のティーカップがすっぱりと紙切れのように切り裂かれ、フルーツタルトの柔らかな指をも裂いた。しかし、傷口からは赤い液体の代わりに、ルビー色の蝶が繭から羽化するように羽を広げて舞い踊っている。

フルーツタルトは指先の赤い蝶を見て、子供のように甘く純粋な笑顔を浮かべる。

フルーツタルト:確かにわらわを拒む者は好かぬが、予言は別に間違えてはおらん。

マドレーヌ:え?

フルーツタルト:結局のところ…あやつを待っているのは、目を覚ますことすら叶わぬ永遠の悪夢だ。全てがこの決められた舞台の上での悪足掻き……これこそが、なによりもわらわの心を躍らせる劇ぞ。自らのために未熟な王を諦めるのか、それとも忠義のために自らを犠牲にするのか。このような劇は、永遠に飽きることがない。


甘い空気は、お茶会にやって来た者の警戒心を解いていく。微笑を浮かべ優しい声で談笑をするその者たちには、ひとつの秘密がある。

このお茶会に参加する客人たちはみな、自分だけの魔女の名があるのだ。

伝説によると、魔女たちには自分たちだけの集会があり、ひとつの趣味を共有する。

長くつまらぬ生涯の中で、彼女たちは異なる人生の中で織りなされる、面白い「劇」を観ることを楽しみとしている。

よりいっそう物語を楽しくするために、彼女たちはこの「劇」にスパイスを入れることもいとわない。

彼女たち自身もその「劇」に影響されるかもしれないが、それも全て承知のうえでのこと。

胡蝶夫人のお茶会は、永久に終わらない。

しかし、同じ「劇」を、同じお茶会で鑑賞する仲間たちが、互いに友好的だとは限らない。

国のことから家のこと、挙句の果てには小さなデザートにまで広がりかねないのが女たちの戦いだ。先程までお互いにデザートを食べさせあっていた二人の間に、かつてどんなことがあったのか、知る者などいるはずもない。


マドレーヌ:ねぇ、ラムチョップ。見て見て、この服はどうかしら? このクリームペースト、くるくる回ると雪が降っているみたいで綺麗でしょう! フルーツタルトが選んでくれたのよ、素敵でしょ?

側で本を読んでいたラムチョップは、思わず眉間に皺を寄せた。彼は本に落ちたクリームを振り落とすと、立ち上がって彼女から離れた場所に移動した。

ラムチョップ:……フルーツタルト

マドレーヌ:ええ、胡蝶夫人のことよ。覚えていないのかしら? あの占いはすごいのよ。

ラムチョップ:……あの城を奪い合った挙句、喧嘩したんじゃなかったのか?

マドレーヌ:お黙りなさい! 喧嘩とはなんのことですの! 淑女の間に、喧嘩なんて物騒なことは起きませんわ! あれは論争ですの。論争がなんなのかご存知でして? まあいいわ、あなたたち殿方に話しても、おわかりにならないでしょうし。

ラムチョップは口元を動かそうとしたが、マドレーヌはもうあの時の、全身くたびれた様子で戻ってくるやいなや、お茶を飲む時に塩しか見つからない呪いにかかれだの、乗ろうとしたかぼちゃの馬車をネズミに食われてしまえだのと呪詛のように罵っていた様子とは違っていた。そうしてそのまま、彼は言いたかった言葉を呑み込んだ。

ラムチョップ:(ハッ……まあいい……初めてのことじゃない。)

マドレーヌ:次のお茶会がまもなく始まりますわ、もっと綺麗なキャンディを探してスカートを飾らなくちゃ!

ラムチョップ:……友人の集まりだろ? 毎回毎回ド派手に装う必要がどこにある?

マドレーヌ:あなたはなにもわかっていませんわ! ドレスだけは! 彼女たちに負けるわけにはいきませんの!

ラムチョップ:…………

マドレーヌ:いいわ、どうせあなたに言っても意味などありませんし。

ラムチョップは高々と威張ってスカートの裾を持ち上げ、新しいドレスを試着しに行くマドレーヌの後ろ姿を見ながら、自分の目頭を押さえる。


優雅な男の手の平には、血が付いた黒いガチョウの羽が数本ある。どうやら、一番綺麗な羽を数本無理やり抜いたようだ。

ウイスキー:呪われた羽、か……ふっ、あの魔女にぴったりです……

ここは、薄暗く気味の悪い城。外は晴天にもかかわらず、どうしてか骨まで冷えるほどの寒さを感じる。壁に付着した正体不明の黒い痕と、どこか陰湿な空気は恐ろしい感じがする。

ブラッディマリー:ウィットさんが選んだ場所って……ちょっと……

ウイスキー:ちょっと、なんですか?

ブラッディマリー:風変わり、だよね。

ウイスキー:おや、いつの間にムードなんてものにこだわりはじめたのですか?

ブラッディマリー:そういう言い方はダメ。僕にだって、会う以上がムードにこだわりたい人が何人かいるんだよ?

ウイスキー:貴方が言うムードとやらに、普通の方はついていけるのでしょうかね。

ブラッディマリー:そう言われると悲しいね、ウィットさん。

ウイスキー:もう海魔女から眠りの呪文をもらったのではないですか? まだ何かご用で?

ブラッディマリー:ご存知のとおり、魔法の呪文は良質の媒介がないと、効果は完全に発揮されないんだ。

ウイスキー:つまり?

ブラッディマリー:つまり、ウィットさんが持っている糸車を借りたいなあと思いまして。

ウイスキー:どうして、僕ならきっと貸してくれると思うんですか?

ブラッディマリー:言い伝えではイラクサで金の糸を織ることさえできるという糸車が、ウィットさんの魔力によって保管されている。さぞ上質な媒介なんだろうねえ。

ウイスキー:……

ブラッディマリー:だよね? ウィスキーさん。

ブラッディマリーは怪しく笑うと、自分の医療箱を開け、ウィスキーの名前を呼んだ。その刹那、いつも余裕のある彼も少し驚き、思わず目を大きく見開いた。次の瞬間、彼は医療箱に隠されていた一枚の鏡の中へと吸い込まれていく。

鏡の中で、落ち着き払うウィスキーの様子をそばで見ていたブラッディマリーは、堪えきれずに笑い声を上げた。

ブラッディマリー:さすがはウィットさん、本名を呼ばれても落ち着いていますね。ただまあ、君は今、僕の魔法の鏡に閉じ込められちゃってるんだ。出たくても出られないよねえ?

ウイスキー:…誰の差し金ですか?

人差し指を唇に当て、ブラッディマリーは妖しげな表情で微笑んだ。

ブラッディマリー:シーーッ、みんなが見てるから、ね?

寒気がする声が消えた後、彼は何もない空の方を指す。彼からは見えない隅の方で、血のように赤い夕日が織りなす、赤みのある金色の胡蝶が一匹、そっと止まっている。


机の上に置かれた水晶玉に、閉じ込められたウィスキーの姿がはっきりと映っている。クッキーは少し眉毛を上げ、紅茶を一口飲んでいるフルーツタルトの方へと視線を移した。

クッキー:しょぼい鏡ね。いつまで閉じ込める気かしら?

フルーツタルト:ほんの数日だけで構わぬ。奴の機嫌を損ねられれば十分だ。

クッキー:あなたって人はホントにわからないわね。そうだ、フルーツタルト。見て。ターダッキンの奴、ここ最近縫製に没頭しているらしくて、話を聞いても何も喋らないのよ。

フルーツタルト:ほう? 縫製?

クッキー:ええ、一体どこで金の糸を手に入れたのやら。ちらっと見たところ、魔力を増幅できる材料のようよ。珍しいでしょう。

フルーツタルト:どれどれ……

ターダッキン:…………

フルーツタルト:あやつは問題ない。ただ……この金の糸は、どこで手に入れた?

マドレーヌ:こっちを見ないでちょうだい。あの日、戻ってきてから彼女はずっとこうよ。

ごちゃごちゃ騒いでいる仲間たちと異なり、ターダッキンは完全に自分の世界に浸り、ひたすら作業を進めている。ようやく、淡い金色に光る金の糸で織った一着のショールが出来上がった。

長々と息を吐いた彼女はショールをテーブルの上に置いた後、その下の箱からもう数着のショールを取り出し、まだ討論をしている仲間たちの手の中に次々と添えていった。

ターダッキン:プレゼント。

クッキー:私たちへの?

ターダッキン:ええ、魔力と防御を増強できますわ。私自身の念も織り込みましたので、作業に入ると喋れなくなりますの。他のみんなの分も、ありますからね。

一瞬、その場がしんと静まり返る。次の瞬間、クッキーは真っ先に彼女を自分の胸元へぎゅっと抱き寄せ、彼女の赤い髪をボサボサになるまでさすった。

クッキー:ありがとう。嬉しいわ。

マドレーヌ:ええ……でもこれ、私のドレスには合わな……あら? ちょっと、じーっと見ないでくださらないかしら、クッキー。使います、使いますから。

フルーツタルト:うむ、わらわも使わせてもらおう。感謝するぞ、ターダッキン

変わらず笑みを浮かべているターダッキンの瞳の中に、一瞬両頭の蛇の姿が現れたことを、その時はまだ、誰も気づいていなかった。


小さな大陸の上には、数え切れない国々がある。噂によると、その中のひとつには、この大陸で最も美しい女王さまがいるらしい。その美しい姿とは異なり、彼女の性格はとても残虐だった。

その国にはひとりの可愛らしいお姫さまがいて、雪のように白い肌と、血と同じくらいに赤い唇、そして黒檀を思わせる黒い髪をもっていた。

巨大な王宮の前にたどり着いたヴァイスヴルストは、服の隠しポケットから絵を取り出し、もう一度確認を取る。

近侍A:おい! 貴様、何者だ!

ヴァイスヴルスト:僕は女王陛下に招待され、森から参った客人です。

近侍A:おむ、お客様でしたか。どうぞお入りください。

王宮に入ることを許されたヴァイスヴルストは、手の中のナイフを固く握りしめ、長々と息を吐く。

ヴァイスヴルスト:(今度こそ、絶対に成功させる……)

これまでも、女王を刺殺しようとやって来た殺し屋は何人もいた。しかし、結果は女王の従者になるか、行方不明になるかのどちらかである。

長い長い客間に沿って歩くと、その先にあるのは宮殿の扉だ。輝く宮殿の一番奥に、一見、決して悪事などと程遠いほど美しい容貌の少女が、王座に腰をかけていた。

ブラッドソーセージ:このわたしに自ら忠誠を尽くしに来るなんて……実に驚きですわ……はわ?!

間髪入れず、ヴァイスヴルストの袖の中に収められていた鋭利なナイフが王座へと飛んでいく。が、次の瞬間、ナイフは全て命中せず、王座の上の少女はニヤリと邪悪な笑顔を浮かべている。

ブラッドソーセージ:ふふっ…やはりね。あなたのような方がそう簡単にわたしに忠誠を尽くすなんてありえないって、最初から知っていましたから……

ヴァイスヴルスト:同情してあなたの命を助けるべきではありませんでした。陛下はあなたのことを災いと言い、あなたの心臓を取れと命じられましたが、僕はあなたを逃した。しかし、あなたは……

ブラッドソーセージ:わたしはただの被害者です。みーんな、わたしのことを殺したいと思っているのなら、全員わたしの同類にしちゃいます。それのどこが悪いの?

ヴァイスヴルスト:陛下に復讐したいというのは当然の摂理ですが、他の者たちは無実でしょう!

ブラッドソーセージ:そうね。でも、これはわたしの国で、みんなわたしの所有物なんですよ。どう処分するのかなんて、わたしの勝手。どうして他人の意見を聞く必要があるんです?

ヴァイスヴルスト:僕は過去に犯した過ちを正しにきました。あの時、遂行できなかった任務を、今度こそ遂行してみせます。

ブラッドソーセージ:ふふっ、ハンターさん。わたしが全く無防備なまま、あなたを待っていたと本当に思っているのかしら?


なにか来る。とっさに避けようと身を屈めたヴァイスヴルストは、巨大な動きによって危うく転がりそうになった。彼は手を地面に伸ばして体を支えると、擦り傷で血が流れている膝と両手にかまうことなく、がむしゃらに前方へと疾走をはじめる。

巨大な斧が、空を切って彼の頭上を掠めた。そのまま落ちる気配が微塵にも感じられないほど、深く深く目の前の木の幹にくい込んでいる。

ヴァイスヴルスト:(もう追いついてきたのか?!)

スターゲイジーパイ:もーいーかーい……? じゃあ、行きますね~

ヴァイスヴルスト:(…………こいつ……)

目の前の木の幹にしっかりとくい込んだ斧を見て、ヴァイスヴルストは唾を飲んだ後、再び走り出した。

ヴァイスヴルスト:(女王が得た援助というのは…もしや、生まれてすぐ森に送られたという王女のことか……?)

スターゲイジーパイ:みーつけたー!

徐々に近づいてくる声に、足を怪我しているヴァイスヴルストはますます神経を強ばらせた。ちょうどその時、飴色の一軒家が彼の前にぴょこんと現れた。

ヴァイスヴルスト:(キャンディハウスの魔女の小屋?!)

魔女たちの間には、暗黙のルールがある。彼女たちはお互いがやっていることに手を出さないし、他の魔女の領地にいる獲物にも手を出してはいけない。

落ち着いて考えることもできないまま、ヴァイスヴルストはその甘い匂いがする小屋に向かって、まっすぐ走り出した。

――ドンッ!

小屋に入り、扉が閉じた途端、斧が飛んできた。その斧は、ジンジャーブレッドで作られた扉にぶつかった。

スターゲイジーパイ:いやあっ、逃げられた!! ずるい!! ひどいわっ!!

キャンディハウスの外にたどり着いたスターゲイジーパイは、しっかりと閉じられた扉へと睨みつけ、頬を膨らませた。次の瞬間、巨大な音が何回も響き出した。どうやら、彼女が近くの木に八つ当たりをしているようだ。

枝が折れる音と足音は少しずつ遠ざかっていく。ヴァイスヴルストは恐る恐る彼女が去ったことを確認した後、ようやくほっとして、地面へと座り込んだ。すると突然、目の前にキラキラとした二つの目が現れた。

綿あめ:ねぇ、あなたって白雪姫!? 本当に真っ白なのね! でも、どうして髪は白くないの?


王様と猫

ポーンたちが勢いよく人混みを押しのけ、巨大な掲示板に張り紙をした。

「懸賞」

「万死に値する狼どもが、またも我ら善良なる市民の生活を脅かしにきた! それに応じ、みごと狼を退治した者には、慈悲深い我らが陛下より十万本の赤い薔薇を授けることを約束する!」

勢いよくやって来たポーンたちは用事を済ませると、すぐにまた勢いよく次の掲示板に向けて出発した。

ウサギさん:狼たちめ、ますますひどくなってきたな! 前までは森の中で好き勝手やっている程度だったのに、今じゃハートの陛下の領地にまで手を伸ばそうとしていやがる!

ジェントルマン:まったくだ。このままでは、みんな気軽に外に出られなくなってしまう。一体どうしたらいいんだ!

ウサギさん:それにしても、陛下はお金持ちだなあ! 十万本の薔薇なんて!

ジェントルマン:ああ、陛下は本当にお金持ちだな。ただ…以前は確か、白い薔薇の方がお好みだったような……

ウサギさん:うんうん! 昔、王宮の中にはそれはそれは綺麗な白い薔薇があり…

ジェントルマン:隣に住んでいるポーンの話によると、陛下が「白い薔薇を赤く塗るように」と、命令したらしい。

ウサギさん:なんで? 白い薔薇だって綺麗じゃないか?

ジェントルマン:わからない。噂だと、チェシャ猫殿さえも陛下のもとから追い出されたらしい……

ウサギさん:ええ……そいつは一体、どういうことなんだ……


プレッツェルが去った後、ローストターキーはすでに昏睡状態になっているエッグノッグを見て、苛立ちのあまり自らの髪の毛をかきむしる。

ローストターキー:ああもう、貴様という奴は! なんで余を助けたのだ!

ローストターキーはぶつぶつ言いながら、エッグノッグを自らの肩に担いだ。

ローストターキーにとって、自分よりも明らかに背が高いエッグノッグを担ぐことはかなり辛い。ローストターキーは彼の腕を肩にかけ、よろよろとした足取りで歩く。

ローストターキー:余を害する気がないことは知っておったが、余の代わりにあの針を食い止めなくてもよいだろうが……この馬鹿者が……

ローストターキーは体の重さにむしゃくしゃするあまり、手でエッグノッグの顔を思いっきり突いてみる。

エッグノッグ:う……

ローストターキーエッグノッグの突然の反応にびっくりし、寝言を呟くエッグノッグの方へと急いで顔を向けた。

ローストターキーエッグノッグ、貴様、目が覚めたのか?!

エッグノッグ:う……

ローストターキー:なんだ……寝言か……ぬか喜びさせおって……

エッグノッグローストターキーの馬鹿!

突然の大声に、元よりふらついていたローストターキーはさらによろけてしまう。彼は、思わず自分が支えている人物に向かって目を丸くする。

ローストターキー:んなっ……?! ……待っていろよ、貴様が目を覚ましたら、ただでは済まさんぞ!

エッグノッグ:このどうしようもないお馬鹿! 僕を追い出すなんて! ……僕がいないと……貴方を陥れようとする奴らが誰かすら見当もつかない貴方は……いったい……どうすれば……

エッグノッグの寝言にローストターキーはイライラをつのらせる。プレッツェルブラッディマリーが去ってから、彼は少し考えることがあった……エッグノッグの自らを案じるような言葉を聞いて拳を握りしめる。

ローストターキー:……余が必ず貴様を目覚めさせてやる。その時は、やめるなんて二度と許さんからな!


創世の日の数ヶ月前

宮殿議事堂

エッグノッグ:あの老いぼれどもの話には耳を傾けなくてもいいんですよ、ローストターキー。奴らは貴族としての権威を維持するために、貴方を利用しているだけなんですから!

ローストターキー:……

エッグノッグ:その、この数ヶ月は確かに犯罪率こそ下がりましたが、それは王都から日々の食事もままならない貧民を大勢追い出したからです。もうすぐ冬が来ます……

ローストターキー:じゃあ、どうしろというのだ?

エッグノッグ:僕の意見ですか? 以前のように食堂を用意し、各地の教会と協力して冬の寒さを凌ぐための基本施設をあらかじめ設け、一時的に難民を収容し……

ローストターキー:だが……このままではいけないだろう。人間は、我々の優しさに慣れてしまえばますます欲深くなる。そう、貴様が以前教えてくれたではないか! だから余は、貴様の言うとおりにしたのだ! なぜ今さら余を咎めるのだ?!

エッグノッグ:……あ、貴方を咎めてるわけではないんですよ! ただ今回の一歩は……急すぎました! 我々には、一歩一歩着実に過程を踏んでいくことが必要なんです……

ローストターキー:もうよい! あの老いぼれどもが余を利用して自らの権力を維持しようとしていると言ったな。ならば貴様はどうなんだ? まさに今、余を利用して自らの権力を維持しようとしているではないか?!

エッグノッグローストターキー! 貴方って人は……!

ローストターキー:なんなんだ?! 余と貴様、果たしてどちらが国王なのだ!? どいつもこいつも、自分たちの言うとおりにしろと! それとも余は、貴様たちの人形か?! もうよい! 二度と余の前に姿を見せるな!!

エッグノッグ:……ローストターキーの馬鹿!

彼らの喧嘩に慣れきった衛兵によってエッグノッグが宮殿から出た後、ローストターキーは玉座に座り、少し落ち込んだ様子で俯いて自らの手を見つめている。

この子どものように決して大きくない手で握れるのは、自らの小さな短刀くらいだ。

なにをしようと、誰かが評価し、誰かが彼の失敗を非難する。

彼は髪の毛をかきむしり、最後には顔を両膝の中に埋める。大きな宮殿の中で、きつく自分の膝を抱きしめている。

ローストターキーエッグノッグ……ごめん……余は……どうすればいい……


創世の日の数ヶ月前

宮殿の一隅

買ったばかりの甘い匂いを漂わせたお菓子をぶら下げながら、エッグノッグは鼻歌を歌いつつ、先日自分に怒られて花瓶を何個も割ったローストターキーのところへと軽い足取りで向かっている。たぶん、彼の怒りで逆立った髪を撫でてあげるつもりなのだろう。

すると、曲がり角から急に聞き慣れた声が聞こえてきた。彼は無意識に足音を抑え、壁の角に隠れた。

臣下B:ふん、やっぱりあいつはまだまだ甘いな。

臣下A:まったくだ! 食霊如きが、人間の国を司るなんて。人間の道具はちゃんと道具らしくしていろというんだ。人間になりたいだと?! 笑止千万だな。

臣下B:その通りだ。あの頭のおかしな年寄り国王が「兄弟」に執政を委ねなけりゃ、誰があいつの話を聞くってんだ? なんにもできねぇくせによ。

角っこに隠れているエッグノッグは、指の骨がミシミシと言うのが聞こえるほど拳を強く握りしめている。今すぐ飛び出してあの二人をぶん殴り、人間の道具として食霊力を見せつけてやりたい。エッグノッグはその衝動を人知れず抑える。

臣下B:でも、たぶらかす相手としては上々だな。ふんっ、難民たちをなんとかしろと伝えたらあいつは少し迷ったが、結局こっちの言う通りにやってくれたよ。

臣下A:あんたの仕業だろ。難民たちに仕事を探しておいただの、よくもまあ上手く騙したもんだ。ま、実際はお前らの奴隷にされちまったんだがよお、あははは!

臣下B:そりゃちがうだろ? オレたちの奴隷も立派は仕事だぜ? 明日の飯のあてもないあいつらと一緒にするなよ! はっはっはっ!

二人が大笑いしてその場を去った後、エッグノッグもようやくずっと止めていた息を大きく吐いた。怒りのあまり呼吸が乱れ、常に笑みをこぼしていた顔も怒りに染まっている。

二人の話で頭に血が上ったエッグノッグは、歯を食いしばって決意した。

エッグノッグ:(いや……このことはローストターキーに知られてはダメだ。でないと、あの時と同じように迷い始めてしまうはず。少なくとも今は……どうしよう……どうしたらいい……この件を、どう解決すれば……)


シーバブルのドリーム

貝で飾られた城は、森の向こう側の、誰もが恐れるグレートバリアリーフのところに建っている。あそこは、伝説の海魔女の宮殿なのだ。

他のお城と違い、サンゴと真珠で溢れたお城の中には、美しい庭園がない。白は海と隣接し、雪のような白い砂浜には、ひとつの人影があった。彼女は青い空を見つめ、銀色のフィッシュテールはゆらゆらと輝いている。

蒼白の足は、音も立てずに柔らかい砂を踏んでいく。彼の手は足と同じく、病気ではないかと疑うほどに白い。

鋭く白い光を放ったのは、青白くひ弱な手元からだった。手の中のメスを見せるよりも早く、ビーチで悠然と足を振る人影が振り向く。

シュールストレミング:なぜ、私のところに来たの? 今日は満月ではありませんよ?

逆光のせいか、海魔女は儚く見える。彼女は優しく微笑みながら客人を見ているが、夜闇の中に輝く瞳が、笑顔を怪しく染めていく。

ブラッディマリー:なんですか? 満月じゃないと、海魔女さんと会ってはいけないのかな?

シュールストレミング:別に構わないけれど…でも私の心はとっくに、王子様に捧げたの。狼が奪えるもはありませんよ。

ブラッディマリー:そう言われると傷つくね……まあ、好きな人ができたのなら、僕としても手を出そうなんてしないさ。ただ、買い物でもしようかとね。

シュールストレミング:買い物? 知っているとは思うけれど、私との取り引きは、ただのお金では成立しないわ。

ブラッディマリー:魔女さんが扱う魔法は、世界中でもトップクラスだと聞いていてね。ひとつ買ってみようかと。

シュールストレミング:あら……貴方の手に負えない人でもいるの? 私の魔法を使いたいほどの?

ブラッディマリー:そうだね、ただ……あまり会いたくない旧知の仲ってだけだよ。

シュールストレミング:どんな魔法がご希望ですの?

ブラッディマリー:眠りの呪いが欲しいんだ。

シュールストレミング:そう? 他にもっと強力な魔法はたくさんあるけれど……? 敵を虫さんに変える呪文、愛する人を失う呪文、石に変える呪文……どうして、眠りの呪文ですの?

ブラッディマリー:うん、そうだなあ……簡単には見逃せない相手、だからかな。

シュールストレミング:ふふ。……それで、この魔法の対価は?

月光の下、魔女と客人の血を吸うような笑顔は恐ろしいほど似ていた。誰も知らないまま、この取り引きは闇に隠されていく……


フィッシュアンドチップスは森を越え、海岸線に沿って前へ前へと進んでいる。

想像していたような深い暗闇に包まれている海辺のお城とは違い、目の前にあるのは淡いピンク色と青色、そして周囲を虹色の泡で包まれたファンシーなお城だった。

フィッシュアンドチップスは目の前にある、まるでおとぎ話に出てくるクリスタルの城のようなお城を見ながら、これが噂の凶悪な海魔女が住む場所だとはにわかに信じられなかった。

お城の外は、薄い泡で囲まれている。彼が気をつけながらその泡に近づこうとしたその時、泡は両側へと避け、ちょうど人ひとりが通れるほどの道幅になった。

フィッシュアンドチップス:(ん? これは……招待されているのか……)

シュールストレミング:…珍しいお客さんですね。私と遊びに来たのですか?

空中から響いてくる美しい声に、フィッシュアンドチップスはびっくりした。人魚のように透き通ったその声は、優雅で優しそうな印象を彼に与える。

フィッシュアンドチップス:(こ……これが……海魔女、なのか?)

フィッシュアンドチップスは、城に入ってからやっと気がつく。城の城壁にあった可愛らしい装飾は、全て城で休息を取っている海の生き物たちだったのだ。かなりの数の小さな魚たちが、空中で泳いでいる。彼はヒトデや海藻たちの道しるべに沿って、先へと進んだ。

優しそうな、どことなく憂鬱そうなオーラをまとった少女がハーフオープンのバルコニーに座っていた。その姿勢のまま、屋上の外に広がっている空を見上げている。

フィッシュアンドチップス:……あ……あなたが、海魔女ですか?

シュールストレミング:え? 海魔女?

フィッシュアンドチップス:えっと…ここに、あなた以外の者は?

シュールストレミング:いませんわ、ここには私とあの子たちだけです。

フィッシュアンドチップスは少女が指差す方向へと目をやった。空中でうごめく小さな魚たちは、どうやら今しがたやってきた客人に興味津々のようで、揃ってじっと彼を見つめている。

フィッシュアンドチップス:(……か……彼女が、海魔女なのか? とてもそうだとは思えないんだが……)

シュールストレミング:私と遊びに来たのですか?

フィッシュアンドチップス:えっと


フィッシュアンドチップスは、シュールストレミングからの熱い歓迎を断ることができないままだ。彼は忙しくお茶やお菓子などを用意するシュールストレミングを見ながら、なんて話しかければいいものが躊躇している。

フィッシュアンドチップス:その……

シュールストレミング:こちらは、最も新鮮な食物です!

フィッシュアンドチップス:うっ。

シュールストレミング:あっ! ありました! フルーツタルトからの紅茶

フィッシュアンドチップス:あの、こんなに用意されずとも構いませんので……俺はただ……うわぁ! なんだこれ!

フィッシュアンドチップスシュールストレミングから受けとった料理のフタをうやうやしく開ける。だが、彼を迎えたのは、美味しい料理ではなく――タコの触手だった。幸いなことに、彼はその触手が顔にぶつかってくる前にそれを避けることができた。

フィッシュアンドチップスがまだ動転している間に、シュールストレミングは優しい笑顔を浮かべながら、タコを再び茶碗に入れた。

シュールストレミング:大丈夫ですよ。この子、とっても美味しいんですよ? ただちょっと…暴れんぼうなだけです。

フィッシュアンドチップス:け、結構です……

シュールストレミング:……でしたら! このお茶を飲んでみてください。

フィッシュアンドチップス:で、ではいただきま……ブッ――お茶に何を入れたんだ?!

シュールストレミング:あ、イカスミを入れてみました。体にいいんですよ。

フィッシュアンドチップスシュールストレミングのキラキラとした目を見て、作り笑いをしながらカップをテーブルに置く。彼は咳払いをした後、目の前の人物を見た。

フィッシュアンドチップス:お嬢さん、あなたに聞きたいことがあります。どうか、正直に答えてくださいませんか。

シュールストレミング:はい! どうぞ!

フィッシュアンドチップス:あなたは海魔女ですか? あるいは……言葉を換えるならば、人を眠らせる呪文は、あなたが作ったものでしょうか?

先程とは打って変わり、シュールストレミングの笑顔は徐々に消え、彼女は頭を下げる。しかし、彼女が顔を上げた時、再び笑顔が浮かんでいる。けれども、その笑顔は不気味な感じがする。フィッシュアンドチップスは無意識に剣の柄に手をかけた。

シュールストレミング:もし私が……それは私の呪文だと言ったら……貴方は私に、何をするつもりなのかしら? 私の騎士様。


フィッシュアンドチップスは、目の前の少女が突然出した気迫に全身を引き締める。彼は、シュールストレミングから目を離さずに剣を抜く。

少し緊張したせいか、彼は生唾を飲み込んで半歩後ずさりをする。

フィッシュアンドチップス:何がしたいんだ! どうすれば、あの深い眠りの呪文を解く薬を渡してくれるんだ?!

シュールストレミング:騎士様なら知っているでしょう? 私のところから何かを得るためには、それ相応の代価が必要なんですよ。

フィッシュアンドチップス:何が欲しいんだ?!

シュールストレミングは首を少しかしげ、その綺麗な目でフィッシュアンドチップスを長い時間見つめた後、突然、意味不明な笑みを浮かべた。

フィッシュアンドチップス:何を笑っている?

シュールストレミングは両手で自らの赤い顔を包みながら、フィッシュアンドチップスをじっと見つめている。

シュールストレミング:私、騎士様の花嫁になりたいわ。

フィッシュアンドチップス:……

フィッシュアンドチップス:…………

フィッシュアンドチップス:……えっ?!

シュールストレミング:ふふっ。

フィッシュアンドチップスシュールストレミングの優しい笑みを見て、思わずたじろいだ。

フィッシュアンドチップス:えっと……その……

シュールストレミング:もしかして騎士様は、私は貴方にふさわしくないと思っていらっしゃるの……? 私、自分の城だってあるのよ! それに、専属の騎獣もいますし、ときどき一緒に海底に行って、休暇を過ごすことだって……

フィッシュアンドチップスシュールストレミングの少し可哀想な顔を見て、一瞬どう答えたらいいのかがわからなかった。すると、シュールストレミングは逆にぐいぐい迫ってくる。

シュールストレミング:私、顔もいいと思いますし、声だって綺麗なのよ……ねぇ騎士様……私を、貴方の花嫁にしてくださいますか?

フィッシュアンドチップス:俺は今、結婚するつもりはないんだ、というか、俺たちは合わないと思うというか、お、俺は……

シュールストレミングは首をかしげて、混乱中のフィッシュアンドチップスを優しい目で見ていた。彼女はフィッシュアンドチップスの落ち着きを失っている隙に、彼にそっと近づき……

フィッシュアンドチップス:お、俺は一介の騎士であり、兄も何人かいるし、王位などを継承することが出来な………………ちょっ、待っ……!? 一体なにを?!

フィッシュアンドチップスは口付けされた頬を押さえながら、何歩か後ずさりをして地面に倒れた。彼は驚いた顔をしながらシュールストレミングの微笑みを目にし、声が出ない。シュールストレミングは口元に手を当てて笑いながら、フィッシュアンドチップスの前にしゃがみこむ。そして、ピンク色の薬を彼に手渡してきた。

シュールストレミング:冗談よ。ほら、これがあの呪文を解く薬です。

フィッシュアンドチップス:……………………

シュールストレミング:貴方の願い事なら、なんでも叶えてあげるわ。たとえ貴方の願いが、私が泡になることだったとしても……。もちろん、代価など要りませんわ。

赤い帽子

ローストターキーエッグノッグと別れた後、プレッツェルはその場にしゃがみこむ。地面にある足跡はまだ新しい。まるで追跡してほしいとでも言いたげな引っかき痕が、いくつかの木々の幹に残っている。

鋭い爪のマークは、間違いなく彼を陥れるためのものだ。眉をひそめながらも、彼は意を決し、示された道の先へと急ぐ。

プレッツェルは誰よりも知っている。あの時、自分が彼を見逃してしまったからこそ、今たくさんの人が苦しんでいることを。

プレッツェルブラッディマリー、出てこい。

暗い森の中で、そよ風が小さき音と共に懐かしさをもたらす。獲物を追い詰める方法を熟知しているプレッツェルは足音を軽くし、散弾銃を強く握り、ゆっくりと前へ歩き始める。

ブラッディマリー:ハンターさん、どうして僕を追いかけているの?

突然降ってきた声が、プレッツェルの足を止める。しかし、彼はすぐには振り返らない。目の前の獲物は愚かな獣ではなく、狡猾な獣だからだ。

ブラッディマリー:ハンターさん、お肉食べる?

プレッツェル:……

ブラッドソーセージ:あの人たちにやったことは、君たちが肉を食べるのと同じように、本能にすぎないよ……どうして、僕が間違っているって言うんだい? 君は僕のことをわかってくれているよね? だってあんなにも長い間、一緒に遊んでくれたじゃないか?

プレッツェル:でたらめを。

深い林の中から、少し辛そうな、それでいて美しい声が響く。強い意志で固めているプレッツェルでなければ、恐らく彼の声によって心は乱されていただろう。

ブラッディマリー:どうして信じてくれないの……本当に悪気があったわけじゃ……

プレッツェル:その言葉はお前が殺した者たちに言ったらどうだ? お前のそのレッドケープは、死んだ者たちの血で染まったんだろう。

ブラッディマリー:……本当に悪い子だね。

プレッツェル:必ず裁いてやる。

ブラッディマリー:この先にあるお城で待ってるよ。もし遅れて来たら、城の中の食べ物たちは、僕のものにしちゃうから。

プレッツェル:なっ!


ブラッディマリーの後を追って、プレッツェルは急いで城に向かった。

それはとても静かな城壁。壁に伸びている蔓や枯れた木の枝、名のない寄生植物によって覆われ、まるで活力を全て吸い取られているようだ。

プレッツェル:(人の気配はないみたいだな……良かった……)

プレッツェルが誰もブラッディマリーに襲われていないことに安堵した瞬間、城の最上階から悲鳴が聞こえてくる。

???:キャーッ!

プレッツェル:(しまった!)

ダダダッ――

プレッツェルは足を止めることなく駆け寄り、閉じられている古い城の扉を蹴破る。

???:嫌……来ないで…だ、だれか、助けて――

プレッツェル:(この声……どこかで聞いたような……くっ、そんなことより、とにかく助けないと!)

プレッツェルは急いで城の最上階に駆け込み、ホコリとクモの巣だらけの暗い部屋に入る。

ブラッディマリー:た、助けて!

彼女の顔を見たプレッツェルは、目を見開いて驚いた。背の高いその女性は裸足で、見覚えのある顔だった。

プレッツェル:(……どこかで……会ったことがあるような?)

ブラッディマリー:ハンターさん! 気を付けて!

プレッツェルはその「女の子」の声に振り向き、後ろから飛んできた注射器をなんとか回避することはできたが、その拍子に部屋の中央にある糸車の針に指を刺してしまった。

プレッツェル:う?!

ブラッディマリー:ハンターさん、つかまえた。今度は、僕の番だよ?

プレッツェルはようやく気づいた。目の前にいる、丁寧に化粧を施しているこの人物こそが、彼が探している張本人だということに。彼が手を伸ばした時には、すでに目の前は暗い闇に染まっていた……


晴れた爽やかな朝。フィッシュアンドチップスの白馬は、なぜか機嫌が悪く、前へ進むことを拒んでいる。フィッシュアンドチップスはこの闇の深い林にわけいらなくてはならない。

フィッシュアンドチップス:(うーん……困った、急がないと。)

フィッシュアンドチップスは、どこから出たのかわからないSOS信号を受け旅に出た。たとえどんな困難や危険が待ち受けていようとも、彼はひたむきに旅を続けている。

彼は仕方なく、ずっと自分についていた白馬を放し、歩いて灰色の狼が住んでいるという噂の森へと向かう。

森の中には人が通ってできた獣道があり、どうやら、昔からある通路のようだ。彼は倒れている気を跨ぎながら道を進んだ。

空がだんだん暗くなってくる。まったく光が入ってこない闇の森には不快な風が吹き、怪しい音が響いている。

フィッシュアンドチップス:(あれは?)

突然、スポットライトのような光の束が森の中央を指した。そこには小さな白い花が咲いている。そして芝生の中央には――

……水晶の棺桶が、視界に入る。その中では誰かが静かに眠っている。その人の顔を見ると、フィッシュアンドチップスはなぜか懐かしさを覚えた。

フィッシュアンドチップス:(うーん……なんでだろう……どこかで見たことがあるような……)

フィッシュアンドチップスは腰にある剣を握り、ゆっくりとその棺桶に近づいていった。

プレッツェルの顔を見た瞬間、なんだか妙な感情が湧いてくる。

フィッシュアンドチップス:(もしかして、どこかで彼に会ったことがあるのか?)

必死に思い出そうとしたその時、突然、彼の後ろに人影が現れた。

フィッシュアンドチップス:誰だ!?

後方の人影に驚いたフィッシュアンドチップスはとっさに剣を抜いたが、目の前の光景に動きを止める。

赤いケープを着た女の子はその動きに驚き、後ろに半歩下がって地面にへたりこんだ。恐らく彼の手元の武器に驚いたのだろう、可愛らしい顔からは血の気が引いている。

フィッシュアンドチップス:お嬢さん、大丈夫ですか!

ブラッディマリー:だ、大丈夫です……彼のこと……助けてもらえませんか?

少女の頼みを聞き、フィッシュアンドチップスは握っていた剣をさらに強く握る。頭の中では複雑な気分だったが、しかし他人を助けたいという思いが、彼をうなずかせた。

フィッシュアンドチップス:お任せください!


フィッシュアンドチップス:騎士の名誉にかけて!

地面に正座している「少女」は、約束の言葉に安心したようだ。ゆっくりと地面から立ち上がろうとした時、目の前に彼の手が伸びてくる。

フィッシュアンドチップス:先ほどは失礼致しました。驚かれましたか?

ブラッディマリー:……

フィッシュアンドチップスが目の前の少女を立ち上がらせると、驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。

目の前の「少女」が、彼よりも身長が高かったからだ。

フィッシュアンドチップス:(?! さ、さては高いヒールを履いているんだな! そう高いヒールのせいだ、うん、今年の流行だったな!)

慰めるように自らの胸をポンポンと叩くフィッシュアンドチップスを見て、少女は不思議そうに首をかしげる。

ブラッディマリー:騎士様?

フィッシュアンドチップス:ああ! いえなんでも! そうです、彼を助けてとおっしゃいましたが……一体どうやって?

ブラッディマリー:彼は……

すると急に、森から灰色の狼が襲って来る。フィッシュアンドチップスは少女を抱きしめ、攻撃を避けた。

フィッシュアンドチップス:失礼! さっき突然……えっと、お嬢さん……?

フィッシュアンドチップスが庇った衝撃で、少女が被っていた帽子がずれ落ち、長い髪を覗かせた。その瞬間、フィッシュアンドチップスは少女の瞳が獣の目に変化したような錯覚を覚えたが、彼女がすばやく帽子をかぶりなおすと、目は正常に戻った。

フィッシュアンドチップス:(えっ……見間違いかな……)

後方では、灰色の狼が次から次へと威嚇するように吠えてくる。フィッシュアンドチップスはさきほど見たものが錯覚なのかを考える暇もなく、剣を握って少女の前に立つ。

少女は彼からは見えない角度で口を開けると、鋭い牙を現した。そして、獣にしか聞こえない声を上げる。

すると、先程まで勢いのあった狼たちが、瞬く間に尻尾を巻いて森の中へと逃げていった。

フィッシュアンドチップス:(ん? あれ……こうも簡単に逃げていくなんて…? 本当に狼なのか……)


襲いかかってきた狼を退け、フィッシュアンドチップスは胸をなでおろす。そして、少女の方へと顔を向ける。あの水晶の棺桶に眠っている人物の正体を、なぜ自分が懐かしい感覚を覚えたのか、問うために。

ブラッディマリー:助けてくれて、ありがとうございます!

フィッシュアンドチップス:いえ、あの狼たちは何もしてないのに逃げ出したんです。おかしいですね……村人から、ここの狼は凶暴だと聞いたんですが……

ブラッディマリー:あなたの覇気が狼を撃退したに違いありません! 本当にすごい……もしかして、あなたなら……あなたなら……

フィッシュアンドチップス:はは、それは言いすぎですよ。そんなにすごくはないですけど……って、僕なら?

ブラッディマリー:あなたなら! 絶対にできると思います!

フィッシュアンドチップス:え?

ブラッディマリー:あなたなら、絶対に海魔女を倒せます! この方は私を助けるために……海魔女に眠りの呪いをかけられたんです……

フィッシュアンドチップス:……海魔女? 海辺の宮殿に住んでいて、望みを叶える代わりに代価を支払うっていう……あの伝説の魔女ですか?

ブラッディマリー:そう……その魔女が……

フィッシュアンドチップス:その魔女が……なぜ君を傷つけようとするのですか?

ブラッディマリー:私は……私につきまとっている人を遠ざけるために、魔女にお願いをしに行ったんですが……その代価が高すぎて……

フィッシュアンドチップス:どんな代価だったんですか?

ブラッディマリー:私の命です!

フィッシュアンドチップス:……それは確かにひどすぎますね。

ブラッディマリー:はい。そして、その方は私を守るために……本来、私がかかるはずの魔法にかかってしまったのです。

落ち込んでいる少女の姿を見て、フィッシュアンドチップスは自分よりも背の高い少女の肩を叩く。

フィッシュアンドチップス:ご安心ください、僕が必ずや海魔女を倒してみせます! 魔法を解く薬を持って帰りますから!

ブラッディマリー:ありがとうございます! あなたなら、絶対に助けてくださると思いました……!

おだてられて恥ずかしくなったフィッシュアンドチップスは、自らの鼻先をさすって赤くなった顔を隠そうとしている。

フィッシュアンドチップス:よし。その海魔女ですが、今はどこにいるんですか? すぐに彼女のところに向かいましょう。

ブラッディマリー:この小道を通って、森から出て海岸線に沿ってまっすぐ行くと、昼と夜の境目があります。そこが海魔女の宮殿の入り口です。

話を一通り聞いた後、フィッシュアンドチップスは少女をこの危険な森から送り出した。同行しようとする彼女の申し出を断り、フィッシュアンドチップスは海岸線の方へと進んでいく。

彼の後ろでは、赤色のマントを外し、暗闇の中でかすかに光る緑色の獣の瞳を現した少女が笑みを浮かべていた。

ブラッディマリーシュールストレミング。君の王子様は、僕が送ったよ。僕って本当に、約束を守るタイプだよね……ふふっ……


魔女の悩み

事件発生の数日前

王城

マドレーヌはアイスを舐めながら、はっきりとは言わなかったものの、どう見ても創世の日に行く気満々のラムチョップを横目に、目を細める。

マドレーヌ:(ふん、この人、最近ずっと上の空ですわね……)

ラムチョップ:ん? なぜ俺様をずっと見ている?

マドレーヌ:白状なさい! あなたの愛しい人が、ここにいるのでしょう?!

マドレーヌの突拍子もない質問に一瞬どう返事をすべきか困ったラムチョップは、頭を掻いてこの破天荒なお嬢様を見る。

ラムチョップ:城下町に行き新しいドレスと宝石を買いたいだのと言い出したのは貴様だろうが? 俺様になんの関係がある?

マドレーヌ:ふん、私の目は誤魔化せないわよ。あなたがここに来たかったのでしょう? 言ってちょうだい、あなたの想い人がここにいるのではなくて?

ラムチョップ:ハッ! なにをバカなことを?

マドレーヌは、後ろの屋台に向かって商品をチェックしているラムチョップをちらっと見て鼻で笑ったが、それ以上問い詰めることはしなかった。

相手の過去について聞かないのは、彼らが友達でいるうえでの守るべき一線だ。マドレーヌは自らの好奇心のせいで、社交の場のマダムたちに自慢できる「友達」を失いたくはない。

マドレーヌ:(ふん、あの羽が生えている綺麗な殿方もここにいるに違いないわ。こんなに美しい私が毎日そばにいるのに、ちっとも目を向けてくれないなんてどうかと思いますわ……)

マドレーヌ:ねぇ、ラムチョップ! ブティックに行きたいわ、付き合ってくださって!

マドレーヌの話を聞いて、ラムチョップは一瞬足を止めた後、逆に歩く速度をはやめた。

マドレーヌ:ちょっと! あなたね! はっきり聞こえたでしょう! 歩くのを速くしてどうするの!

マドレーヌ:聞いてるの! ラムチョップ! 逃がさないわよ!


心の中で文句を言いながら、マドレーヌはすぐにブティックのことは忘れてしまう。

創世の日が近づいてきたためか、城下町の市場にはたくさんの主工芸品などを扱う屋台が増え、

その中には使わなくなった良い装飾品と、書物などの中古品を物々交換する店もある。


マドレーヌ

「あっ!これは――」


マドレーヌは驚き、喜びながら一冊の本を持ち上げ、懐に抱きしめた。

そして後ろへと振り向き、まだ飾りを見ているラムチョップに当たり前のように声をかける。


マ「ラムチョップ!これが欲しいわ!お金を貸してちょうだい!」


ラムチョップ

「……金くらい持ってるだろう?」


マ「ふん、とっくに使い切りましたわ!」


ラ「貴様に貢ぎたい追っかけなど列ができるほどいるだろうが。ハッ!俺様を頼るな。」


マ「これだけは自分で買いたいの。」


ラ「……なら俺様に金をねだるな。」


マ「嫌ですわ!これが欲しい!」


周りで微笑んでいる人々の視線を感じたラムチョップは、仕方なく財布を出し、

マドレーヌに金貨を渡した。マドレーヌは満面の笑みでそれを店主に渡す。


その本を大事そうにしているマドレーヌの姿を見て、

他人のことなどどうでもいいと思っているラムチョップですら、好奇心をそそられる。


ラ「何を買ったんだ?」


マドレーヌは手にっもった本を開いてラムチョップに見せる。

それは非常に作りの良い童話の本で、どのページを開いても立体になり動く絵となる仕掛けだ。


マ「不思議の国、ですわ。」


ラ「子どもっぽいな。」


マ「そうね……もしずっと子どものままでいられたなら。

  これは私が、一番好きな童話で、全てのキャラクターに結末が書かれているの。

  たとえそれが良い結末でなくてもね。これをバカにすることは許さないわよ!」


ラ「ハッ、帰ったら俺様に金を返すことを忘れるなよ。」


マ「ケチッ!」


ドレスを二十着くらい試着し終えた後、マドレーヌは指を鳴らした。


マドレーヌ

「これを全部包んでちょうだい!」


そばで待っていた店員は、喜びながら値が張る洋服の山を抱えて梱包する。

ようやく試着し終えたマドレーヌは、ラムチョップの隣に座っている。


ラムチョップの側には、買い物の袋がすでに山積みになっている。

彼は暗い顔をして質問した。


ラムチョップ

「……誰が持つんだ、これ。」


マ「はあー?あなたね、淑女に荷物を持たせるつもりですの?」


ラ「………………」


マ「ちょっと!行かないでちょうだい!もう怒らないでったら……

  あ、ごめんあそばせ、後で服をこの宿に送ってちょうだい?送料なら払いますわ!」


急に立ち上がって店を出たラムチョップを見て、

自分がふざけすぎたせいで怒らせたんじゃないかと焦ったマドレーヌは、

いたずらっぽくちらっと舌を出し、ラムチョップの後をついて店を出た。

だが、ラムチョップの表情は普段の怒った顔ではない。

ラムチョップはある方向をじっと見つめながら、重苦しい顔をしている。


マ「……どうしましたの?」


ラ「奴らの姿を見た。やはり……来ていたようだ。

  奴らが創世の日のような機会を逃すはずがない。」


マ「……またあの人たちを追うつもりですの?」


ラ「わかっているだろ、俺様が奴らを許さないことくらいは。」


マ「はぁ…いいわ、一緒に行ってあげる。」


ラ「ん?」


マ「私のお財布に、単独で危険なところに行かせるわけにはいきませんもの?」


ラ「……さっきの金は?」


マ「それなんですけど!さきほどの分が最後でしたの、また全部使いきりましたわ!」


ラ「……」


ラムチョップマドレーヌは、慎重に黒ずくめの者たちを尾行していた。

彼らは何かを確認するかのように互いに耳打ちをして、そしてまた別行動を再開した。


こそこそと行動する連中を尾行していくうちに、彼らは福祉施設にどんどんと近づいていく。


ラムチョップ

(こいつら……福祉施設に何をしに来た?食霊にしか手を出さないんじゃなかったのか……?)


マドレーヌ

「見て、ラムチョップ。」


マドレーヌが指差した方向に目をやると、

奴らは用心深くいくつかの蛍光色の薬剤を人目につきづらい隅っこに噴射している。

その怪しい色のきらめきは、あっという間に消えていく。


マ「あいつら、なにをするつもりでしょう?」


ラムチョップはわけがわからずに首を横に傾けると、

続々とやってきた教廷の人々の姿がすぐ目に入った。その中には久しぶりに見る……


ラ(あいつらがなぜここに?!)


ラムチョップは突如やってきた驚きによって警戒心を解いてしまう。

久しぶりに会う人物の姿を見つめながら、一瞬にして無数の感情が胸の中でフラッシュバックする。


二人が再開する時のシチュエーションを、彼は何度も想像してきた。

敵対するのか、はたまた知らないふりを装うのか。けれども……本当に会うその瞬間まで、

彼を許す準備も彼の口から「真相」を知る準備も、なにもできていない。


突然、何かを塗っていた連中のうちのひとりが、首にかけているネックレスを引っ張り出し、

キラキラした赤い光に顔をしかめた。そしてほぼ一瞬にして、彼はポケットから試薬を

ばらばらと取り出し、ラムチョップたちが隠れている方向にばら撒いた。


???「誰だ!?」


マ「まずい!」


マドレーヌは旧友に会ったことでわれを忘れているラムチョップをぐっと引っ張り、

薬をなんとか避けることができた。


怪しげな試薬がマドレーヌに降りかかろうとした刹那、

マドレーヌがずっと持っていた宝石箱が突如浮かび、その怪しげな液体を吸収しはじめた。


マ「私の箱が!」


ラ「マドレーヌ?!無事か!」


マ「奴らが…!こ……これはなんですの?!

  なぜ箱が急に暴走を……私の霊力を吸い始めましたの?!」


ラ「……ハッ、俺様が奴らを追いかける!」


マ「ちょっと!早く霊力を注ぎ込んでちょうだい!私の箱の暴走を見たことがあるでしょう?!

  これは何なのですか、私の箱をいきなり暴走させてしまうなんて!」


ラムチョップは下唇を噛み締めながら、怪しい人影が去っていく方向を見つめる。

彼は顔をしかめ、それでもなお振り向き、マドレーヌのように貝の形をした箱を手で覆った。


サンアリアノクターン

数年前の創世の日

法王庁

ひとつの黒い影と白い影が、小さな福祉施設から出ていく。

先を歩いている者はあくびをしながら身体を伸ばし、

首をストレッチしながら後ろを歩いているクロワッサンの首に腕をかけた。


ラムチョップ

「あのちびっこども、いい演技だったな。」


クロワッサン

「彼らは私たちに恩返しをするため、かなり工夫をされたようですね。」


二人は広くこそないが、暖かい雰囲気の施設の庭へとゆっくり歩き、くつろいでいる。

クロワッサンはその場にある廊下の階段に座り、空を見上げながら笑みをこぼす。

ラムチョップは手を伸ばしてクロワッサンの頬をつついた。


ラ「なにバカみたいにニヤニヤしてるんだ?」


ク「そうですね……これからもずっと、こういう日々が続けばいいなと……

  全ての子供たちが静かに暮らすことができて、何もかも良くなっていけば――

  いたっ、いきなりデコピンしないでください……」


ラ「なにを当たり前のことを言っているんだ!全てが良くなるに決まっているだろう!」


ク「うん!」


ラ「はぁ……」


ク「ん?どうかされましたか?」


ラ「俺は明日から出発する。貴様と一緒に飲む時間すらなくなるな……」


ク「ぷっ…学園に行きたくないと言っていたあの時と、全く同じことを言っていますね。」


ラ「じーー」


ク「いいですか、これもみんなのためなんですから。」


ラ「はぁ。俺たちは……離れ離れになるのか?」


ク「なりませんよ。私と、あなたが共に頑張っていけば、決してそうはなりません。

  いいえ、そうはさせません!」


ラ「ハッ。クロワッサン、貴様の口からそういうセリフが聞けるとは珍しいな。」


ク「……」


ラ「なんで目をそらした?ん?照れているのか?」


ク「……行きましょう!まもなく夕飯の時間です!」


ラ「クロワッサン。これから先、創世の日は毎年、一緒にいられるよな?」


ク「……ええ。必ず。」


月が眩しすぎて、星が隠れてしまうくらいに晴れ渡った夜。

すでに寝ていたフォンダントケーキは、なぜか急に眠気がなくなり、

ぱちりと目を開け、自分の部屋から出ていった。


シャンパンと彼女はローストターキーからの誘いを受け、

王宮にて年に一度の創世の日の祭りに参加する予定だ。そんな中……


まだ数歩も廊下を進んでいないうちに、ひとりで庭に座っているシャンパンの姿が、

窓越しにフォンダントケーキの目に入る。


彼は少しだけ顔を上げて、明るい月を眺めている。

今夜は雲がなく、まるで弓を引いたような三日月が空手まばゆい光を放っている。

その光に照らされたシャンパンの姿は、淡い銀色の輝きに彩られていた。


フォンダントケーキは、手を少し冷たいガラスに添えながら、庭の中にいるシャンパンを眺める。

彼は、彼女が見たことのないような表情を浮かべている。


シャンパンは、常に自信に溢れている。むしろ、自負とも言えるだろう。


彼は太陽のように輝いていて眩しいほどだけど、

その人を惹きつける輝きが、この時ばかりは失われている。


フォンダントケーキ

(……彼……どうしたのでしょうか……そうだわ、聞いてみましょう。)


フォンダントケーキが庭に来たことに気づくと、

シャンパンの顔にあった憂いの色はすっかり見えなくなっていた。


シャンパン

「ほう、何をしにきたのだ?毎日、子豚と同じように昼間は馬車で寝ているからな、

 さては夜になって眠れなくなったのか。」


フ「……どうかなさいましたか?」


シ「……なんのことだ?」


フ「なにか、あったのですか?

  もしなにかあったのでしたら、私に言ってください。相談になら乗りますから。

  なんと言っても、私の主たる仕事は、みんなの悩みに耳を傾けることなのですし。」


シ「俺はシャンパンだぞ。悩みなんかあるわけがないだろう?」


フ「……じーー」


シ「……わかった、そんな目で見つめないでくれ。」


フ「それでいいのよ。さあ、この神の子があなたの悩みを全部聞いてあげましょう。」


シャンパンフォンダントケーキのわざとらしい演技を見て、思わず吹き出してしまう。

彼は首を横に振り、こう言った。


シ「ずっとこのままの日々が続くのならば……

  ローストターキーエッグノッグがいつか決別する日が来るのが、目に見える。」


フ「え?どうしてですか?」


シ「ローストターキーは強がりがすぎる。あいつにはまだ自信が足りない。

  そしてエッグノッグは、優しすぎる。」


フ「そうよ、だからこそエッグノッグローストターキーは仲良くできるんじゃないですか。」


シ「だが、あの二人は互いに相手のことばかり考えるあまり、相手に任せようとせん。」


簡単な会話の後、フォンダントケーキシャンパンの頭を軽く叩く。


フ「あなたが……こんなに、思いやりがある人だとは思いませんでした!

  ご褒美として、その件は私から二人に伝えてあげます!私に任せてください!」


シ「は?」


フ「私は神の子ですよ。私に願いを伝えればいいのです!

  願い事は全て、私が叶えてあげますから!」


シャンパンは手を背中で組みながらスキップして離れていくフォンダントケーキの姿を見て、

和らいだ笑顔になった。そして、その笑顔にもすぐさま苦い表情がじわりと広がっていく。


シ「だが……全ての願いをお前に伝えることはできない……

  もし叶うのならば、お前にはこのままずっと、幸せに……」


創世の日前夜

法王庁

教廷で留守番をしているキャンディケインは、庭に座り、まんまるな太陽を見上げている。

するとすぐに、小さな雪の花が空からヒラヒラと舞い落ちてきた。

彼女は手を伸ばして、一枚の雪の花を手の平に載せる。


イースターエッグ

キャンディケインキャンディケイン、どこにいるんですか?」


キャンディケイン

「あっ!イースターエッグ!ここだよーっ!」


我に返ったキャンディケインは振り向き、

廊下の方で彼女を探しているイースターエッグに向かって笑顔で手を振る。


キ「こっちに来て!ほら!雪が降ってる!」


イ「わぁっ!綺麗です!」


キ「だよねっ!クロワッサンさまやフィッシュアンドチップスがいるところからは見えるかな……」


イ「きっと見えます!どこにいたって、同じ空の下だから!」


キ「うん!みんな、元気だといいなぁ。」


イ「キャンディケイン、心配しすぎですよ。みんな強いんだから、きっと無事です!」


キ「うん……でも、なんでだろう。

  ここ最近のクロワッサンさま、なにか悩んでいる気がしてならないんです。」


イ「え?」


キ「夕飯を届けに行った時、ランチを食べ終えていないことがよくあって。

  ずっと窓の外を見ながら、ぼーっとしていたんです。想い人でもいるみたいに……」


イ「……ふーん……」


キ「それに今回、みんなと一緒に城に行くって決めたのも突然だったし……はぁ……」


イ「そう心配しないで、キャンディケイン。きっと大丈夫。」


キ「うん、わかってます。でもわたし、ずっと、思っているんだけど……

  もっと、みんなの役に立てる存在になりたいな……

  そうしたらもっと、みんなを助けることだってできるのに……」


イ「なら、一緒に頑張りましょう!で、も、今はご飯の時間ですよ?みーんな待っているからね!」


キ「……うん!行こう!」


コンコン――


シャンパン

「どうぞ。ん?これは?」


近侍A

「陛下、これはナイフラストから緊急で送られてきた手紙です。

 直接、陛下にお渡しするようにとのことでした。」


シ(ん?ホルスの目……)


シ「わかった。ご苦労。」


衛兵がその場を離れた後、シャンパンは何層もの蝋とリボンで封をされている文書入れを開き、

中にある紙を取り出した。一枚の、どこにでもあるような新聞紙が入っている。


シャンパンは驚いた様子もなく、

立ち上がって本棚の一角に少しだけ霊力を注ぎ、秘密の引き出しを開く。


彼は引き出しの中から、淡い赤色の液体が入った瓶を取り出す。

それを先程の新聞に注ぐと、新聞紙は瞬く間に形を変えていく。


「我々が調べた情報によると、彼らはある薬剤を作り出したようです。

 その薬剤は、食霊たちの霊力を一時的に制御不能になるほど暴走させることができる代物。

 ですが、その暴走は食霊の生命力から成るものであります。

 空気中で蒸発したものを吸い込んだだけでも、霊力を短時間暴走させることができるほど

 効果は絶大です。何卒、お気を付けください。」


「その薬剤はとびきり鮮やかな蛍光色の液体で、大量に生産することはできません。

 彼らが、何かを企んでいることは明らかです。」


シ(……霊力が暴走して制御不能になる、か。だが食霊ですら制御不能ならば、

  彼らにコントロールなど……狙いは一体なんなんだ?)


フォンダントケーキシャンパンの書斎にやって来た時、紙が焦げる匂いがした。

彼女は手を鼻の前でヒラヒラさせ、そのきつい匂いを和らげようとした。

暖炉の中では、目の形をしたマークが炎に呑み込まれている。

彼女はデスクの前で考え込んでいるシャンパンを見て、こう言った。


フォンダントケーキ

シャンパン、出発の時間ですよ!」


シ「出発?」


フ「そう!そろそろ創世の日じゃないですか、忘れたとは言わせませんよ。

  ローストターキーを泣かせる気ですか?」


シ「しまった、創世の日か!」


フォンダントケーキシャンパンが慌てて出かけようとする背中を見て、

不思議そうに首をかしげる。


街の中央にある噴水は、日の光の下で虹をひとつ、またひとつと作り出している。

子どもたちが嬉しそうに走り回る姿がそこにあり、白い鳩がひとりの男の子の指先に止まる。


小さな女の子は、彼女の前を走るお兄さんやお姉さんたちに追いつくことができず、

ゆっくりと走っている。すると、道を歩いていた通行人にぶつかってしまう。

彼女は地面にぺたんと座ったまま、まるで神話の中から出て来た天使のような男を見上げた。


女の子

「お兄さん……天使なの?」


クールな表情をした男は口元を緩め、その優しそうな笑顔に、

女の子は人生で初めてのときめきを感じた。

女の子はただぼーっとその男に見とれている。


クロワッサン

「私は天使ではありません。大丈夫ですか?お怪我は?」


子「うん、だいじょうぶ!」


クロワッサンは地面に座り込んだ女の子を抱き上げ、スカートの皺を整えてあげた。


子「ありがとう、お兄ちゃん!」


ク「次からは気をつけるんですよ、ちゃんと前を見ながら渡るように。」


子「うん!」


淡い微笑みで女の子を送り出したクロワッサンは、その後姿を見つめていた。

すると突然、背後からにゅっと手が伸びてきて彼の肩を叩く。


ク「誰だ!?」


ビール

「ハハハハ。クロワッサン、やっぱり背は伸びていないみたいだな!」


ク「……先生、何度も言っていますが、食霊は背が伸びません。

  それを教えてくれたのは先生でしょう。」


クロワッサンは仕方がなさそうに振り向いた。手はぎゅっとビールの襟を掴んだままだ。

ビールはその動きに気づき、ぐわっとクロワッサンの肩を鷲掴みにして彼の髪型を乱した。


ビ「おやおや!甘えているつもりかな?君もラムチョップも、本当に手が焼ける子たちだなぁ!

  初めて会った日から、先生に甘えてきたことなんかなかったのに!」


ク「……やめてください!私はただ、あなたに逃げられたくないだけです!

  先生!そろそろ役職を誰かに継がせるべきじゃないんですか!」


ビ「おや、今日は本当に天気がいいなぁ……そうだクロワッサン

  わざわざビーフステーキたちに伝言役をさせるなんて、なにか重要なことでもあるのかな?」


ク「先生……私は知りたいんです。

  永生、蘇生……これらについて、あなたが知っていることを……」


ビールの表情からは先程の笑顔が消え、厳しいものになった。

彼は険しい顔でクロワッサンを見つめた。長いケープの下に隠された手には、拳が握られている。


ビ「もしかして……また誰かが……」


ク「うん……」

モンスターのリトルプリンス

伝説によると、村の後ろには巨大な城があり、

その中には一匹の凶悪で恐ろしい野獣が住んでいるらしい。

村人たちはその野獣のことを恐れ、わざわざ遠回りをして市場に行くそうだ。

その恐ろしい野獣が住んでいるという噂の城の中で、今、まさに……



ピザ

カッサータ……最後のひとつ、くれよ……」


カッサータ

「……ピザ、もう食べちゃいけねぇって。虫歯になってるじゃねぇか。」


ピ「え……そういえば、今日はまだチーズを見かけてないよね?」


カ「だな。うちのお姫さま、まだ出てこないな。まさかまた寝てるのか?」


ピザカッサータが考えている隙を利用し、伸び上がって

カッサータが高く持ち上げている飴をひったくると、すぐさま城の広間へと走った。


ピ「チーズ、飴を持ってきたぞーー!」


ピ「え……チーズは?」


城の中心にある水晶の幕の中には、白い薔薇でできたひとつのベッドがある。

そのベッドの上にいるはずの、小さい姿がそこにはなかった。


ピ「カッサータ!大変だ!チーズがいない!」


カ「うん?この城に来る奴なんていないはずだろ。

  チーズがさらわれるだのなんだのはありえねえよ。」


ピ「もしチーズがいなくなったら、ここにあるたっくさんのデザート、

  全部オレひとりで食べなくちゃいけないのか?!それは困る!」


カ「……そこじゃねーだろ?」


ピ「あ、そうだね!まずはチーズを取り戻さないと。」


カ(もしチーズが知ったら、たぶんまた喧嘩になるな。)


ピザ

カッサーター行こうよー大丈夫だって、みんなに嫌われたりなんかしないからさ。」


カッサータ

「本当に大丈夫なのか……野獣になったのに?」


ピ「おう、大丈夫だって!安心しろよ、オレが守るからさ。早く早く!」


カ「わかった、お前を信じるよ。」


ピザはとうとうカッサータを恐ろしい城の中から引っ張り出し、

足の速い二人は、瞬く間に市場へと到着した。


チーズを見失ったうえに、手掛かりもない。

ピザは市場の人混みを見ながら、どうやって探せばいいのかしばらく考えが浮かばない。

カッサータは行き来する人々の間を通り抜ける、

香ばしい匂いをプンプンさせた食べ物に視線を移し、こう思った……


カ(しまった……)


ピ「あああ!!ドードー鳥の卵だ!」


カッサータは片手で頭を抱えながら、

人の群れへと突っ走っていくピザを見て何を言えばいいのかがわからない。



そして、その一方で、食べ物をがっついていたチーズは、突然顔を上げた。


チーズ

「ん?なんか今、ピザの声がしたような?

 ……ま、いいや!このローストローズ、ちょーおいしい!」


オペラブルーチーズは、苦笑いをしながら首を横に振る。

ブルーチーズは額に冷や汗を一筋流しながら、財布をいじっている。


オペラ

ブルーチーズ、彼女のこの様子……本当に仲間を探しているのか?」


チ「カッサータってば、超ケチなのよ!いっつもお腹いっぱいに

  なるまで食べさせてくれないの!やっとお腹いっぱい食べられるわ!」


ブルーチーズ

「えっと……その件についてはわからないけど、彼女がこのまま食べ続けると、

 僕たちのご飯代がなくなっちゃうのは確実ですね……」


オ「…………いいさ。私の願いを叶えてくれたお礼だと思おう。」


大昔の言い伝えによると、ひとりの悪者が、

偉大な魔法使いから心優しい王子さまを奪い取ったという。


同時に、魔法使いはその悪者の体に闇の印を付け、彼を野獣に変えてしまったのだ。


本当に彼に掛けられている呪いを解きたいと思うものが現れるまで、

彼は永遠に獣の姿で暮らすしかなくなったのである。


その後、姿を消した獣の行方は、誰も知るよしもなかった。


女の子

「ええっ……こわーい!じゃあ、その王子様は?」


ピザ

「その王子様はな……野獣と友達になったんだぜ!」

 

子「へ?!」


ピ「だってその野獣は、実はこの世で一番優しい人だったからさ。

  それは、野獣の姿になってもだ。」


元々、彼にかかるはずだった醜い印は、カッサータがかばったことで彼の体に付くこととなった。

あの瞬間のことを、ピザはいつまでも忘れるはずがない。


子「へえ……じゃあ、野獣はどうすればいいの?

  みんな彼のことを怖がっているんだよね。呪いはどうするの?」


ピ「王子さまが、絶対に呪いの解き方を見つけ出すから大丈夫!」


子「うん!」


カッサータ

ピザ、市場でチーズを見たっていう人が見つかったぞ、行こう!」


ピ「もう行くね、それじゃ!」


子「お兄ちゃん、バイバーイ!」


偽りの中の真実

後数日で、王国最大の舞踏会が始まる。

国王陛下自ら、彼の愛しい妹のために、ひとりの健気で賢く、麗しい王子を選ぶのだ。


王国内のとある立派な屋敷の中に、華やかな服を着た太い青年と痩せた青年がいる。

彼らは自分たちが持たれているイメージなど気にも留めず、

怖い顔でとある貧弱な赤い髪の少年をいじめていた。


デブな人

「おいお前、部屋の掃除が終わったら、厨房に行け。腹が減ったぞ!」


細い人

「魚を料理する時、小骨を抜くことを忘れるなよ!

 もし小骨が一本でもあったら!今日の晩ごはんはナシだ!」


傲慢な二人と違って、少々やつれて見える少年はこくりと返事をすると、

自分よりも重い衣服が入ったタルを持ち上げて、ふらふらと揺れながら部屋から歩き出した。


庭に座っていた赤髪の青年は眉をひそめて、少年の持っているタルを持ってやる。


パスタ

「どうしてまた……だからあいつは、そういう奴らだと言っただろう。」


???

「はは、これぐらい大丈夫だよ。僕を引き取ってくれただけで、もう十分だ。」


パ「……君は。」


少年はパスタよりずっと背が高いが、そこからさらに背伸びしてパスタの髪を軽く揉んだ。


?「はいはい、僕のために不平を漏らしてくれているのはわかっているさ。

  とりあえず服を洗おう。舞踏会の時に、お兄さんたちはそれを着るんだから。」


パ「君は行きたくないのか?姫がいるんだぞ。」


?「それは、もちろん行きたいよ。でも僕が行っても……お姫さまに選ばれるはずないし。」


まだパスタの返事を聞いていないまま少年が振り返ると、

そこにはいつもと違って考え事をしているパスタがいた。


パ「……方法はある。きっとな。」


?「……あまり無理はしないでよね。」


パ「ああ。心配するな。」


家に帰ったパスタは、とても嬉しそうな顔をしている。

彼は妖精たちと契約を交わし、妖精が舞踏会当日の夜に服と馬車を用意すると約束したのだ。


しかし、どこを探しても少年の姿が見つからない。

ただ、部屋の後ろに深い色をした跡が地面に残されている。


パスタの心の奥底から、焦る気持ちが突然湧いてくる。

周りを見渡し、ちょうどそばにいた使用人を捕まえる。


パスタ

「彼はどこだ?」


ボーイ

「えっと……坊ちゃんのことですか?」


パ「そうだ。彼はどこだ?」


ボ「えっと……」


パ「言え!」


ボ「……」


細い人

「おや、誰かと思ったら、あの負け犬が飼っている子犬じゃないか。」


パ「……彼はどこだ?」


デブな人

「ふん、あんなによく食べるのに体が弱いなんてな。お陰で、靴も汚れちゃったじゃないか。」


パ「……」


目の前の人物は、軽蔑した態度でそう言いながら顔をそらした。

パスタは一瞬で事情を把握し、そのまま俯いてあの深い色をした跡を見つめている。


公爵

「何を騒いでいるのだ。もうすぐ姫の舞踏会だぞ。急いで準備をしろ。」


細「わかりました、父上。」


デ「はい、わかりました。」


パ「しかし公爵様……彼らは!」


公「おお、あの卑しい使用人が死んだのか。ならば、私生児をもうひとり呼んでくるがいい。

  貧乏人というのは使い勝手がいいものだな。」


パスタは公爵の後ろ姿をじっと見つめた。しかし、公爵は嫌そうに眉をひそめこう話した。


公「汚いな。早く片付けろ。誰かに見られでもしたら恥をかくだろうが。」


パ「……」


公「早く!」


パ「……はい。」


パスタはあの痩せた少年の代わりに、豪華な屋敷の中における彼らの新しい「下僕」となった。

奇妙な笑顔を浮かべながら、彼らがお姫さまの舞踏会に行くのを見送る。


パスタ

「……」


B-52

「君は、舞踏会に行きたいというあの子ですか?」


パスタが振り返ると、突然、翼を振りながら上下に浮いている人影にぶつかった。

彼は驚き、一歩後ずさりをする。


パ「誰だ!?」


B「君は、舞踏会に行きたいというあの子ですか?」


何の感情もこもっていない、機械のような言葉を聞いて、パスタは怪訝な表情を浮かべる。


パ「……君は誰だ?」


カクテルB-52は翼を振りながらその問いを考え、真面目に返事をする。


B「僕は君のフェアリーゴットマザーです。舞踏会に参加させるため、助けにきました。」


パ「……その件はもう結構だ。」


B「僕は君のフェアリーゴットマザーです。舞踏会に参加させるため、助けに来ました。」


B-52は無表情のまま、機械のようにその言葉を繰り返ししている。

パスタは長く息を吐いた後、そのフェアリーゴットマザーとやらに返事をせず、

背を向けて自分の用事に専念し始める。


B「君は、お姫さまの舞踏会に参加するのです。」


パスタは後ろの人物に腕を捕まれ振り返る。一応、冷静さと最低限の礼儀はまだ保ている。


パ「ありがとう。だが、今はもう結構だ。もうお姫さまの舞踏会に行く気はないのだからな。」


B「お姫さまの舞踏会は、もうすぐ始まります。」


パ「…………」


パスタはわずかに痛みを覚え始めた額を押さえながら

捕まった腕を振り払おうとしたが、その相手は全く放す気がない。

彼はやっと、歯を食いしばりながらその「フェアリーゴットマザー」を見つめる。


パ「一体何をする気だ。」


B「約束通り、舞踏会に参加させます。」


パ「もう行かぬ!その約束は、もう無しだ。」


B「しかし君は、僕たちに湖妖の目をくれました。

  そのおかげで、フェアリースプリングが生き返ったのです。

  だから、恩返しをしなければならないのです。」


パ「もういい。舞踏会に参加しても意味などない。湖妖の目は、もう君たちのものだ。

  今からすることは、君たち妖精には受け入れがたい。」


B「ダメです。それは約束です。」


反論する余地すらなく、B-52は手に持っている魔法の杖を軽く振る。

金色に輝く光の粉はパスタを包み、縛られている彼をこの小さい部屋から庭まで連れ出した。


B-52

「「フェアリーゴッドマザー」見習い説明。

 願いを叶える時は、相手がサプライズだと感じるタイミングと場所を選ぶべし。

 たとえば、相手が暗い庭の中で洗濯をしている時などがそうである。」


カクテルB-52は、タルをパスタの目の前に持ってきた。

中にはすでに洗濯した服がいっぱい入っている。パスタの口元が、一瞬びくっとする。


パ「これは、なんのつもりだ?」


B「洗濯をするのです。」


パ「は?」


B「君、服を洗うのです。そして僕が、願いを叶えてあげます。」


パ「なぜ洗濯をしなければならぬのだ!?」


B「でないと、願いを叶えてあげられないです。」


パ「願いなんぞもういい!」


B-52は頑固なパスタを見て溜め息を漏らし、

そのやれやれとでも言いたげな顔が、パスタの神経を逆撫でする。


パ「どうして君が溜め息をする!?困っているのはこちらの方だろう!?」


小さな庭から見える月は雲の後ろに隠れ、ときどきそっと顔を出しながら、二人を見つめている。


パ「私はもう行く。まだ用事が山ほどあるのだ。って、うわっ、離れろ……!」


離れようとしても、離れられないパスタは青筋を立てながら、

彼をかぼちゃの馬車に投げ込んだ犯人を睨みつけた。


パ「何度も言ったはずだ。舞踏会なんぞにもう行く気はない。

  元々参加すべきだった者は、もう死んだのだ。」


B「死んだ?」


パ「だからもう帰ってくれ……ええい離れろ!まだ用事が山積みだと言ってるだろう!」


ちょうどパスタが暴れている時、B-52は怪訝な顔をしている。

この世界に存在するはずのない記憶が、彼の頭の中から沸いてくる。

気がついた時には、目の前で縛られているパスタは少し表情を変え、最初の冷たい顔に戻っていた。


B「願いが変わりました。君を見て、危ないと感じました。君は間違った道に進んでいる。」


パ「え?」


B「君から、黒い力を感じる。」


パ「……」


B「「フェアリーゴッドマザー」見習い説明。話を聞かない子に対しては、お尻を叩くべし。

  一回叩いてまだダメだった場合は、二回目に移るべし。」


パ「なっ……?!*&&%¥やめろーー!」


ヌエドリの薔薇

美しい歌声が流れてきた。

とある者がおどおどと木の後ろに隠れ、砂浜に座ってオペラを眺めている。


ブルーチーズ

「あなたは?」


スフレ

「うわあっ!」


ブ「……安心してください。もし歌声を聞きたいならば、そばに行っても大丈夫ですよ。」


ス「ううっ……!」


ブ「え、逃げちゃった。」


オペラ

ブルーチーズ?何を見ているんだ?」


ブ「ついさっき……君のファンの子がいましてね。もし僕の見間違いじゃなければ、

  恐らく胡蝶夫人が飼い慣らしているナイチンゲールちゃんかな……」


オ「……まあ、もしなにか重要なことがあったら、またあっちから来るだろう。

  新作が完成したのか?」


ブ「ええ!できましたよ!今から演奏しますね。」


日陰に隠れている人物は、親密そうな二人を見ながらぐっと手に力を入れる。

先日降った雨によって、小さな森の中には水溜りがいくつかできていた。

彼は頭を下げ、水面に映る自分の顔を目にする。その顔は……醜い。


ス「この腰抜けめ、近づいて歌声を聴くこともできないのか?」


ス「でも……わたくし……」


ス「でも、じゃないだろーが!好きなんだろ?」


ス「か……彼の歌声は、わたくしよりずっと上手でしたし……わたくしはただの鶯で……」


スフレの今の様子を見れば、誰もがおかしいと思うだろう。

彼は少し落ち込んだようにうなだれ、全く自信がない顔をしている。

すると突然、水面に映し出されている顔に少し怪しい微笑みが浮かんだ。


ス「いいか?」


ス「え?」


ス「あの噂の猛獣はな、一輪の白い薔薇を守っていたらしい。

  あの薔薇が咲く時、そばで守っている奴の願いをひとつ叶ってくれるそうだ。」


ス「願いをひとつ叶えてくれる……」


ス「そう、願いが叶うんだぜ……つまり……オペラは海から出られるようになり……

  陸に、お前のそばまで来ることができるんだよ……」


ひとつの影が、海辺に座っているオペラを覆った。

オペラがそれに気づき、顔を上げると、途惑うあまり近づけないスフレがそこにいた。


オペラ

「ん?どうかされましたか?」


スフレ

「こ……これをあなたに差し上げたいのですが……」


オペラはその綺麗な装飾を施されている箱を見て、気になって首を傾けた。


オ「……?」


ス「ば、薔薇……です!」


スフレの本意を理解できないまま、オペラは疑わしげにプレゼントを受け取る。

隣でずっと存在を無視されていたブルーチーズも覗き込む。


ブルーチーズ

「うん?なんです、これ?あの鶯ちゃんからのプレゼントですか?」


オ「……薔薇だと言っていた。開けてみようか。」


オペラが波のように連なっているリボンの花を解いて箱を開けると、

水晶のケースの中に一輪の赤い薔薇が置かれていた。

ただ……その赤色からは、少し禍々しい匂いがする。


薔薇は水晶のケースの中でゆっくりと回り、徐々に上品な香りが広がっていく。

オペラがそれを嗅ぎ、なんともいえない表情を浮かべる。

上品さの中には、甘くて生臭い匂いも混じっている。

その匂いを感じると、オペラは自らの胸元を掴んで倒れた。

胸元から広がっていく激痛に、彼は我慢できず声を漏らす。


オ「うっ。」


ブ「オペラ!どうしたんですか!」


ブルーチーズが驚いた様子で見ていると、

オペラの体にあった魚の尾はみるみるうちに細長い足になっていく。


ブ「オペラ――その脚は!」


オペラがまだ激痛から回復していないうちに、その薔薇の水晶のケースは真ん中からヒビ割れた。

すると元々の赤色が消え、真っ白で無垢な白い薔薇へと変わっていた。

突如発せられた眩しい光と共に、薔薇は徐々に大きくなっていき……


チーズ

「うっ……あら……?ピザたち、ようやく願い事をする決心をしたのね……あれ?

 あなたちは誰なの?」


オペラブルーチーズは、木の後ろからもじもじとしながら

こちらを見ているチーズに視線を向け、しばらくの間何が起きたのか把握できずにいた。


オペラ

「あ……あなたは……?」


チーズ

「あなたたちは誰?!ピザカッサータは……」


オ「ピザカッサータ?」


ブルーチーズ

「君は……さっきの薔薇なのか?」


チ「うん……つまり、今願い事を叶えたのは……あなたたち?」


ブ「願いを叶える?」


チ「……あらら、ピザと約束してカッサータの呪いを

  解いてあげるはずだったのに、これじゃどうしよう……」


その場で歩き回り始めたチーズを見て、ブルーチーズオペラはお互いの顔を見合わせた。


オ「待ってくれ……あなたの名前は?」


チ「私はチーズ!三つの願いを叶える白い薔薇よ!」


オ(つまり……私の陸に上がれる脚が欲しいという願いは……

  彼女が叶えてくれたということか……)


ブ「願いを叶える?でもどうやってです?」


チ「まずはね、本気で誰かの願いを叶えてあげたいっていう気持ちを持つ人が必要なの。

  後は代償として、自分の心臓の血も要るわ。」


ブ「心臓の血?!」


チ「そうよっ!お花の茎の尖った部分をね、直接胸に刺すの……

  失敗しちゃうと、命はないけど……」


オ(……アイツ……)


チーズがきつくスカートの裾を握る様子を見て、

ブルーチーズは割れた水晶のケースを見ながら、考え事をしているオペラへと向き直った。

 

チ「そうだ!ピザカッサータの居場所はわかる?!

  チーちゃんの姿が見えないって、きっと焦っているに決まってるもの!」


ブ「それは、知りませんが……彼らがどこにいるのか、知っていますか?

  もしそうなら、送ってあげますよ。」


チ「うーん…………あ!そうだ!近くにある市場に行きましょ!

  市場ならきっと、わかる人がいるはずだもの!」


オペラブルーチーズはちらっと視線を交わせた後、

チーズのその興奮した様子に少し怪しいとは思いつつ、それでもうなずく。


セレナーデ

王国宮殿

舞踏会

今夜は、王国のお姫さまのための舞踏会が開かれる日だ。

国王は全国の男性を、この盛大な舞踏会に招いた。


お姫さまは舞踏会の注目として視線を浴びる中、大きく口を開いてあくびをしている。


ジンジャーブレット

「ふわー……もうほんっとに、つまんないな。チーズはまだ来ないのかな……」


ビーフステーキ

「もうそれくらいにしておけ。赤ワイン曰く、物語の完璧な結末にたどり着かなった場合、

 俺たちはここから出られないし以前のことを思い出せなくなるんだぞ。

 誰でもいいから男とダンスしろ。そうしたら私が結婚を宣告してやる。

 そうすれば、この物語も終わるだろう。」


ジ「ええ……、この人たちとダンスなんて嫌!」


赤ワイン

「だがな、お前はこの王国のお姫さまなのだぞ。もし姫と王子のダンスパーティーが

 無事に完結しなかったら、色んな者たちの夢に影響が出てしまう。」


ジンジャーブレッドは、赤ワインビーフステーキのからかいの笑顔を見ながら、

呆れて目をキョロキョロさせている。


彼女はウズウズしながらダンスに誘いたがっている男たちを見渡すと、

体の前にある盾を手でくるくる回した後地面に重々しく置く。


――ドンッ!


その音と共に大理石が砕き散り、歩み寄ろうとしていた男たちは尻込みをする。


ジ「私と踊りたいものはどちらに!?」


ビ「……赤ワイン。私が思うに、ジンジャーブレットはお嫁に行けないんじゃないか。

  うっ――いででで!」


ジンジャーブレットの眼力を見た赤ワインは、冷静にビーフステーキから半歩離れていった。


赤「自業自得だ。でもなジンジャーブレット、ラストダンスはやっぱりしなければならない。

  あくまでも、形式上のことだ。」


ジ「うう……でもあたし、やっぱりこいつらとは踊りたくないもん。」


そう話しながら、ジンジャーブレッド

また鋭い目つきで足を踏み出そうとしていた男を引っ込ませた。

その時、彼女は人の群れの中からゆらゆら揺れている長い尻尾を見かけた。


ジ(うーん……なんか見覚えがあるような。)


ジンジャーブレットが歩みを進めると、人々は次々に下がって道を空けていく。

そしてその道の奥にいたのは、爪先立ちで野次馬をしているチーズだった。


ジ「チーズ!」


チーズ

ジンジャーブレット!やっと見つけた!」


ジ「さっきはビーフステーキたちに無理やり着替えさせられてたんだ……面倒くさかったよ。」


チ「そうだね……でも君の舞踏会のデザート、すっごくおいしいね。」


ジンジャーブレットはうなずいた後、突然いいアイデアが閃いた。

彼女はニコニコしているチーズに意味深な笑顔を見せた。


人々の驚愕した視線を浴びながら、ジンジャーブレットはチーズに手を伸ばした。


ジ「チーズ、あたしとラストダンスを踊ってくれるかな?」


ビーフステーキ

「逃げるなーー!!」


ジンジャーブレット

「どいて、どいて!みんなどいてぇ~!」


ドタドタという足音と共に、街の人々は道の両脇に寄って道を空ける。

小さな少女が体の大きさとは不釣合いな武器を掲げながら、急いだ様子で走ってくる。

その背後には、ものすごい勢いで怒っているビーフステーキがみえる……。


ちょうど楽しく食事をしていたチーズの、頭上にある丸い耳が動く。

すると、その少女が怖い顔をした人物に追いかけられていることに気づく。

チーズは思わずムカムカとしながら頬を膨らませ、

走っていたジンジャーブレットを鷲掴みにして、彼女を背後にかばった。


チーズ

「ちょっと!なんなのよあなた!なんで女の子をいじめるの!」


ビ「――どけ!ジンジャーブレット、こっちに来い!」


ジ「来いって言われていくもんですか!?なんであんたの言いなりにならないといけないのよ!」


チ「ちょっと!あなたたち、人の話聞いてる?」


ビ「チッ!ドレスを試着してみろと言っただけだろうが!何も逃げなくてもいいだろう!」


ジ「だぁれがあんなの!みっともない!盾もちゃんと持てないし!」


ビ「ダンスパーティーに盾がいるか!?」


チ「……あなたたち……」


ビ「お嬢さんどいてくれ、こいつを連れ戻してドレスを試着させなければ!

  うっ――いてて!!この、私の足の指を踏んだな!?」


ビーフステーキが痛さのあまり足を持ち上げてピョンピョンと跳ねている隙に、

チーズジンジャーブレットを連れて小道へと走り込んだ。

ビーフステーキの叫び声が遠ざかっていくのを確認したチーズは、

安心したように振り返って自分のことをキョトンと見つめているジンジャーブレットを見た。


チ「やったね!もう彼を撒いたよ!さあ、行きたいところに行きなさい!」


ジ「ぷっ、あんたおもしろいね!アイツの話を聞いたら、アイツを助けるかと思ってたのに。

  あんた、名前は?」


チ「チーズだよ~!あの人って誰なの?」


ジ「アイツ?あたしのバカ兄貴。ずっとあたしのために

  ダンスパーティーを開くんだって言って、人の話に耳を貸してくれないんだ。」


チ「へえー、そうなんだ。いるよね、そういう奴って。女の子だから守ってやるとか、

  話を聞けとかさ。ケーキを食べるのにも許可をもらわないといけないの。嫌だよねー。

  でも……ダンスパーティーかあ……私も行きたいな……」


ジ「え……あんた、行きたいの?じゃあさ、一緒に行かない?ひとりじゃつまんなくてさぁ!」


チ「行く行く!……でも……」


ジ「でも?」


チ「私、まだ仲間を二人、探さないといけないんだ。うるさくて鬱陶しい存在だけど、

  私の一番の友達だから。私の姿が見つからないって、きっと心配してる。」


ジ「じゃあこうしよ、私が男どもを全員ダンスパーティーに招待する。

  そしたら、そこでそいつらに会えるんじゃないかな?」


チ「本当にいいの?!」


ジ「もちろん!任せて!」



オペラ

チーズ!」


ブルーチーズ

チーズ!どこですか!?」



チ「あ!仲間が探しにきた!それじゃあね、舞踏会でまた会いましょ!」


ジンジャーブレットはこくっとうなずいて、自分の頭飾りをチーズの手の中にそっと置いた。


ジ「うん!舞踏会で待ってるから!」


「国王の公文」


「まもなく、王国の城にて王女主催の最も盛大な舞踏会が開かれる。この度は

 未婚の男性全てに参加権を与える。条件を満たす者は、定刻通りに参加されたし。

 ――ビーフステーキ国王陛下より」



ビーフステーキ

「毎回毎回、舞踏会と聞くたびにキレているお前が、

 自分から舞踏会を仕切ると言い出すとはな……一体どういう風の吹き回しだ?」


ジンジャーブレット

「べっつに!広告はもう貼ったの?」


ビ「貼ったぞ、あちらこちらでな。

  それより、突然こんなにも大勢の客を招待するなぞ、一体どういうつもりだ。」


ジ「ふん。」


近侍A

「――失礼します。」


ビ「どうした?」


A「陛下!自称、赤ワインという不審な人物が突然城に現れまして、

  なんと陛下を尋ねにきたと申しているのです!」


ビ「赤ワイン……?なんだか聞き覚えが……?」


A「そ…それと……」


ビ「それと、なんだ?」



赤ワイン

「おい、ブーツを履いても俺様より一センチ背が低い馬鹿野郎!!

 夢の世界に記憶を呑み込まれたのか?!情けないにも程があるな!」


ビ「誰の背が低いだって?!」


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タイトル FOOD FANTASY フードファンタジー
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  • RPG(ロールプレイング)
ゲーム概要 美食擬人化RPG物語+経営シミュレーションゲーム

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