茶糕・エピソード
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茶糕のエピソード
講談師である茶糕の人生最大の趣味は、誰かに彼女の講談を聞いてもらうこと。しかし彼女はもったいぶるのが好きでわ一回で全てを離し終えることはない。彼女はこだわりがなく、机さえあれば、いつでもどこでも講談をすることができる。講談する時、彼女はいつも物語の登場人物を演じる、どのような人にもなれて、まるで目の前にいるように面白い。講談の腕前だけでなく、日常生活でもダジャレの達人であり、彼女の発言に対して、他の人は言葉に詰まることが多い。
Ⅰ.講談
「歳月は駆けるように早く過ぎる。百年の出来事は気付けば朧気になっているでしょう。富を積み重ねる夢、歴代君王が指す一局」
「北朔王朝と言えば人材が豊富だ。特にあの北朔の親王、八方美人だが隙がない……」
……
「パンッ!」
拍子木を机に叩きつけ、扇子を閉じようとしたら、力加減を間違えたのか、扇が閉じない上に、振り上げた袖によって拍子木がどこかへ飛んで、餌を啄んでいる小鳥たちを驚かせてしまった。
「はぁ……これで何回目だ……未だにコツが掴めないなんて……」
御侍はいつもバシッと決めているのに、どうしてあたしはこんなにもうまくいかないのかな。
やはり、見るのと実際にするのは違うな。
ため息をついていると、誰かが目の前にやってきた。そして、あたしよりも先に落ちた拍子木を拾い上げてくれた。
「おっ、御侍……茶屋に行ったはずじゃ……」
「北朔の親王に何が起こったんだ?講談はまだ終わっていないぞ」
どう答えていいかを戸惑いながら、机に戻された拍子木を見つめた。
すると、頭上から笑い声が聞こえてきた。
「どうした。急に講談に趣味が湧いたのか?」
「だって、御侍は旅の事ばかりで生活の事など全く考えていないじゃないですか。もしあたしが講談師になれば、稼いだお金で食事を改善して、いつか御侍にも珍味を味わわせて、栄養を取って欲しいと思ったのです……」
……まずい、全部言ってしまった……
御侍は、古今東西に精通していて、講談も堂に入っている。ただ、名声や金銭に興味がなく、いつも貧乏な暮らしを送っている……
こんな事を言ったら、まるで御侍の事を責めているみたいじゃないか……
「本気だな?」
なんと御侍は怒っていなかった。あたしはすかさず返事をする。
「もちろんです!儲けもそうですが、何よりカッコいいじゃないですか!拍子木を手にするだけで皆の注目を集められる。誰もが物語に夢中になる。なんて素晴らしいんでしょう!」
この機会をしっかり掴もうと、誠意を込めて御侍を褒めまくり、どうにか教授して貰おうとした。しかし彼は微笑むだけで何も言わず、あたしを連れて一緒に出かけた。
今日も市場は賑やかだ。いつもの茶屋が満員になっていて、壇上の講談師たちは活き活きと物語を披露していた。
でも、今のあたしは講談なんて聞く気にならない。
「何故急にここに連れてきたのですか?」
「まあそう急ぐな。見て聞くといい」
彼の性格からして、どうせ答えてくれないと思い、講談の続きを聞く事にした。
かつて王朝をひっくり返した北朔の親王が、壇上の講談師の改編によって敵に通じた国の裏切り者となっていた。更に、彼が食霊であるが故に、人間に災厄もたらしたとまで言われてしまっている。
デタラメだらけの講談に、観衆たちは拍手喝采を送った。あたしが思い描いていた講談とは大違いだ。
御侍の講談で聞いたあの賢明で勇敢な英雄を、このように台無しにされてたまったもんじゃない。
講談を大事にしている御侍は何も言わなかったが、あたしは聞いていられなかった!
なんとしても反論してやる。
立ち上がろうとした時、それまで黙っていた御侍が突然あたしを呼び止めた。彼の目には怒りはなく、どんな感情なのかあたしには読めない。
聞く間もなく彼は立ち上がり、あたしをそこから連れ出した。
Ⅱ.路地
その後、更にいくつかの茶屋を巡って、講談を見学した。
北朔王朝の歴史について、講談師たちは例外なく、事実とは異なる様々な改変をしていた。
疑問と腑に落ちない感情がいっぱいになり、痛くなった頭をさすった。御侍は何かを待っているかのように、黙ったままだ。
あたしはただついて行く事しか出来ない。
小さな邸宅に着くと、白髪の老人が嬉しそうにあたしたちを迎えてくれた。
盃を交わし、酒の香りが漂う中、老人は昔話を語り始めた。なんと、彼の一族は何代も北朔王宮に仕えていたという。そして、御侍とは偶然出会ったそう。
老人の物語を聞いていると、まるで千年もの時を越えた、当時の王宮にいるような臨場感を覚えた。人の盛衰も次第に御侍が語った事と重なっていった。
どうしてか、あたしの心は激しく波打ち、落ち着かなくなった。
一人でため息をついていると、ふと社交辞令のような言葉が耳に入ってきた。
「近頃、何でも知っている講談師がいると聞いた。貴方の事じゃろう。玉京で史官をやっていた頃と変わっていないようじゃな。むしろカッコよくなったんじゃ?」
「ありがとうございます」
史官……?通りで古今東西を知り尽くしている訳だ。蓄積があったのか。
「何故宮中に残らなかったのですか?御侍ほど有能な方なら、きっと衣食住に困らない生活を送れたはずですよ」
思わず口を挟んでしまった。すると、向かいの二人が困惑した顔を見せた……
しまった……余計な事を言ったのだろうか……
「あはは……あたしはただ、御侍は古今東西を知り尽くしているだけじゃなく、物事にも精通していると思いまして。あのまま史官を続ければ、きっと北朔の歴史はきちんと記録され正しく後世に伝わり、あの講談師たちが言うデタラメな内容にはならなかったはず……こう思っただけです」
すると御侍は、力なく首を横に振り、ゆっくりとこう言った。
「初版の北朔史は私が編集し、記録した物だ。それが民間に伝わり……貴方が見たような結果になっている」
……そういう事だったのか。
一人の史官として、彼は史実を求めて各地を旅してきたそうだ。しかし民間で講談を通して、金儲けや名声のためだけに嘘の歴史を作った人を数え切れない程目にしてきたという。誹謗中傷が加えられたものも数知れず。
どうしてそんな事になってしまったのか、理解出来ない上に失望したため、やがて職を辞して、栄光への道を手放したのだそう。
「農業や機織り、飲食経営など、生計を立てる方法はいくらでもある。講談が生計を立てるためだけのものなら、わざわざここで言葉を尽くす必要はないだろう」
彼のスッキリした顔を眺め、言葉を失った。
そうだ。彼は本来金銭などに欲はない。当然貧乏など気にしていないのだ。
「歴史は長い、一片の雲、一縷の風を掴んで書に記したのは、この頭上の青空と足元の山海を忘れないようにするためだ」
「古代から現代に至るまで、多くの人々がこの天地を守ってきた。私は民間に身を置き、真実に埃が被らぬよう微力ながら力を尽くしているに過ぎない」
窓の外を見ている彼の瞳には、風雲が舞っているように見えた。
そして再びあたしの方を見つめた時、その瞳は深く静かだった。
「もちろん、これはあくまで私個人の意見だ。先程、様々な講談を自分の目で確かめただろう?彼らにもそれぞれの野望があるだろう!貴方が最終的にどの道に進むとしても、目標と答えを常に心の中に置いておきなさい」
「すなわち、自分の心を問いかけるのだ」
これが旅の目的だったのか。そう思わずにはいられなかった。
しかし今まで感じたことがない程に感情が複雑に揺れ動いている。
目の前には確かに道はあるが、どこに続いているのかわからない。
御侍は扇子を煽いで、笑いながらため息をついた。
「まあ焦る必要はない。まだ先は長い。いずれわかる日が来るだろう。答えもな」
「明日から、私と一緒に練習をしようか」
Ⅲ.遊歴
「あら、お二人さん、本当に東の奥地へ行かれるんですか?これは冗談ではなく、そこの海はとても危険で、宝探しには向きませんよ」
「船頭は何か誤解しているようだな、宝探しに行く訳じゃない。東海の奥に鮫人がいるのを聞いた事はあるか?体は月のように白く、神に匹敵する強い霊力を持ち、しかし気性は荒いという……」
「おや、子どもの頃からここに住んでいるが、そんな不思議な噂を聞いた事がないな」
「なら船頭は今その話を聞いただろう?もっと話をしてもいいぞ。どうだ、半額にしてくれないか?ここにある本には、半額に値する程の話があるんだ……」
……
船はどんどん遠くへ進んだ、山河の間を行き来した痕跡を消す事は出来ない。
御侍と共に、無人の土地や危険な峰を越え。
何も見つからずに、堕神に襲われて死にそうになった事もあった。
しかし、辛い旅とは思えなかった。埋もれていた物語や伝説は、時が移り変わろうと、聞いた人々の心に響くだろう。
四季が移り変わる、多くの場所を旅し、多くのものを見てきた。
壇上に立つと、最初の頃のような青臭さはなく、どんどん熟練していった。
物語に感化される観客を見ると、たとえそれぞれ反応が違っても、正直な気持ちだった。
まるで心の中に光が差したかのように、炎が灯りあたたかく、明るくなった。
同時に、炎はあたしを催促してきた。もっと多くの場所へ行けと促してきた。
しかし、それでも心の中で何かが欠けているように感じる。
あたしが求めているのは、この程度のものなのか?
答えのない疑問は、何度も浮かんでは消えた。
あたしは……何のために講談をしている?
御侍のように真実を求めているのだと、自分を納得させようとした事もあった。
だが、これはあたしが求めていた最適解ではない。
偶然、あの村に辿り着くまでは……
「俸給を払えば、聖主がきっと子どもを救うための霊薬を授けてくれるでしょう」
「聖主の法力は強大です。我が教に入り、修行をし、聖主を崇めれば、不老不死になれるでしょう」
廟にいる黒装束の教徒は銅像のような気味の悪い笑顔を浮かべ、布教していた。
村人たちは、大雪の中でも昼夜問わず廟の前に跪いた。
供物台には食料や金品が山積みになっているのに、壁一枚隔てた所には餓死寸前の人々が倒れている。
ここに到着した時に見た光景だ。
記録によれば、聖教という悪党に違いない。
危険を感じながら、早く離れなければと自分に言い聞かせたが。
でもせっかくここまで辿り着いたのだ。自分の力で何かをしてやりたくなった。
Ⅳ.釈台
純朴な心はどうしても利用されてしまう。もちろん、無知もそうだ。
無実な村人たちが不当に欺かれ、傷つけられている。もしその盲信を晴らす事が出来れば、まだ救えるのではないかと考えた。
御侍はあたしを止めなかった。
この宗教について集めた事実を講談にまとめたが、観客たちの反応は予想外のものだった。
「小娘、どっから来たんだ?何デタラメを言ってるんだい!聖主様の名を気安く語るな!あんたは何もわかっちゃいない!」
「聖主様は我々に霊薬を授けてくれた。不老不死にもしてくれた。聖主様を侮辱するなんて……この罰当たりめ!」
「そうだ!彼女を追い出せ!追い出せ!」
皮肉、嫌味、罵倒され……最終的には誰もいなくなった。
その時の無力感は、深く冷たい湖に突き落とされたかのようだった。それでもあたしは拍子木を握り締め、壇上から降りない。
これ以上、誰も何も言わなければ、この厳冬が全てを飲み込んでしまうかもしれないから。
幸い、氷にも光が差し込む瞬間が必ずある。
そう、まるでこの子のように。
「茶糕(さこう)お姉ちゃん……あの黒い服着た人達が隣に住んでるおじさんを捕まえてたの……それに、おじさんを殴ってた!お姉ちゃんのお話と一緒」
ボロボロの服を着ているけれど、目は異様に透き通っていた。
「人を殴る事は悪い事だって知ってる、だから絶対悪い人だよ!でも父さんも母さんも信じてくれないの……」
そう言って、男の子はあたしの服の裾を引っ張った。その瞳には、勇気が宿っている。
「お姉ちゃん、悪者はみんな最後は英雄が追い払ってくれるって言ってたけど、その英雄がどこにいるか知らない?」
寒い夜の中、男の子の言葉はまるで小さな火花のようで、あたしの心をあたためた。
あたしの努力は……全部無駄じゃなかったんだ。あたしの言葉は届いているんだ。
「心配しないで、英雄はきっと来るさ」
自分が物語の中の英雄とはかけ離れた存在である事はわかっていたけど、それでも気持ちは揺るがなかった。
しかし、聖教はあたしが思っていたよりも手強くて、もっと狡猾だった。
腕の中で震える男の子を守るのに必死で、あたしは満身創痍になっていた。もうダメだと思ったその瞬間、事態は一転した。
燃え上がる炎の中、黒装束の者たちが逃げ惑っている。刀を携えてやってきた侠客が、長きにわたり苦しんでいた村に明りを取り戻したのだ。
あたしはやっと肩の荷が下りて、男の子に微笑みかけた。
「ほらね、噂をすれば……」
災いの後、ようやく正気に戻った村人たちから次々と感謝の言葉が寄せられた。
しかし、自分は彼らが言うような「英雄」でなく……本当は……
あたしはあたしの力で何かを変えたいんだ。
何か掴めた気がした。
以前、御侍が「歴史を埋もれさせてはいけない」と言った。でもあたしにとって……
どんな物語であれ、捏造されていても、実在した事実だとしても、そもそも伝えようとしているものが違う。世に送り届けた事で、新たな考えや意味が生まれ、状況を変える事もある。
これこそが言い伝えるという事だ。
あたしはただ自分の口で、本当に有用な物語だけを伝えたいんだ。名声のためでも、金儲けのためでもなく、その物語自体に価値があるから、世の人に広めたいんだ。
これこそ物語が本来持つべき意義、そしてあたしが貫こうとする信念。
もし、この世にこんな人がいないのであれば……
あたしがなればいい。
Ⅴ.茶糕
茶楼は満員御礼、人々で賑わっていた。
銅鑼や鼓が鳴り、扇子が開閉すると、観客は息を止め、首を長くして壇上の少女の動きに注目した。
「この世は危険が付き物。今日はあの聖教とやらの話をしよう……」
杏仁豆腐と臘八麺(ろうはちめん)は、お茶を載せた盆を手に、人ごみの間を往来したいた。
「茶糕姉さんはすごいですね……今日も彼女目当てのお客さんがこんなに、もしかすると茶菓子をもう少し用意しておかないとですね」
「そうですね……茶糕が来てから、この茶楼はいつも賑やかです」
一方。
「どうした、講談でそんなに興奮するのか?」
柿餅は突然机を叩き、袖を振って壇上を指差した。
「聞いたか!今、茶糕が言った、剣を抜いて黒装束の者たちを倒したのって俺の事だろ?!」
「……」
「……黒装束の者たちは剣気に揺さぶられ、立ち上がる事すら出来ない。黄衣の女傑の素早い動きで、瞬く間に、逃げようとした者たちは再び剣の下にひれ伏した」
一気に、茶楼は歓声に包まれた。柿餅だけは残念そうにしょげている。
「……なんだ……俺の事じゃなかったのか……」
次の瞬間、右腕を軽く突かれ、振り向くと、菊酒がわずかに眉を上げていた。
「ほら、これから君の出番だよ。」
「なっ!ははははっ!言っただろ!英雄は遅れてやってくるもんだ!ゴホッ!」
「……あっという間に、勝者が決まった。黄衣の女傑の助っ人が捕らえられた村人たちを連れて、彼女と合流した」
「はあ?!俺がいつあんたの助っ人になったんだよ?!」
菊酒は口角をわずかに上げた、そばで騒いでいる者の声は会場を満たす歓声にかき消されていく。
「……ではでは、ここから先は、また次回のお楽しみということで」
「パチッ!」
緑色の服の少女は、拍子木で机を叩き、まだ余韻に浸っている観客の歓声の中、退場していった。
ホッと一息ついた茶糕は、誰かに裾を引っ張られていると気づいた。
見てみると、そこには少女がいた。彼女は透き通った目をまばたかせ、興味津々な顔をしている
「茶糕お姉ちゃん!お話とても面白かった!でも……どうして面白いお話をたくさん知っているの?」
まさかこんな質問をされるとは、茶糕は少し呆気にとられたがすぐに我に返り、微笑みながら答えた。
「物語は生活や歴史から生まれる、それ自体はそれほど面白い物でないよ。聞き手が心で聞いて、話し手にその気があれば、意味が生まれる。あんたも実は、物語自体が面白いと思っている訳じゃないんだ。とても意味があると、思ったんじゃないかな?」
茶糕の言葉を聞いて少女は考え込んだが、しばらぬすると顔を上げた。
茶糕は、彼女の目が輝いているように見えた。
「なんだか……すごそう!私も将来茶糕お姉ちゃんみたいな人になりたい!」
少女に幼い声とワクワクした顔を見て、何故かかつての自分と重なり、思わず口角を上げた茶糕であった。
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