枝豆・エピソード
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枝豆のエピソード
純米大吟醸に恩返しをするため、彼の元で働いている。しかし、恥ずかしがり屋のため、最初は掃除の仕事しかできなかった。客の姿を見るとすぐに隠れてしまい、手毬だけをその場に残す。実は普段の彼女はとてもお喋り。
Ⅰ.極楽哀歌
桜の島は春になると、いつも桜が咲く。
花びらが風に吹かれて落ち、まるで降りしきる雪のようだ。
「そうか、また春がやって来たのか……」
そよ風が吹き込んで縁側の風鈴を揺らし、澄んだ鈴の音がする。
彼女は手を伸ばして、窓の外で舞う花びらをそっと一枚手に乗せた。その動きは柔らかくて緩やかで、絵のように美しい。
だけど、彼女の目を見つめていると、美しさ以外の何かもっと複雑なものが見えるような気がする……
それは何だろう?
「枝豆?何を見ているの?」
視線に気づいたのか、彼女は振り返ってそっと枝豆を呼んだ。
枝豆は首を横に振って「何でもないです、御侍さま……」と答えた。
枝豆は桜の季節に召喚された。
あの時、御侍さまはしっかりと枝豆を抱きしめてくれた、まるで大事な家族を抱きしめているかのように。
そして、枝豆に笑いかけてくれた時、彼女の目尻の涙に気づいた。
あの日以来、ああいう笑顔は見なくなった。
心からの笑顔を。
……庭にいる奇妙な従者のせいかもしれない。
食霊の誕生意義は御侍の守護、彼らの安全を守る事にある。
だからその奇妙な従者たちを、枝豆はいつも警戒している。彼らは庭のあちこちを歩き回っていたが、御侍さまが彼らと話すところを一度も見たことがない。
彼らが怖い。枝豆を見る視線に複雑な感情が宿っているから。
それは……嫌悪、かもしれない。
どうして……御侍さまはここを離れないの……
枝豆にとって一番楽しい時間は、夏の夜、御侍さまの膝の上で、途切れることのないセミの鳴き声を聞きながら、ゆっくりと眠りに入る時かもしれないーー
御侍さまさえいれば、どんなに長い夜でも寂しくはない。
でも……
「もし機会があったら、枝豆はどこに遊びに行きたい?」
ある夜、いつものように御侍さまの膝の上で寝ようとしていたら、突然こんな事を聞かれた。
「枝豆は……どこにも行きたくないです、御侍さまのそばにいられるだけでいいです」
「外の世界は素晴らしいから、枝豆だっていつか私から離れるわ……」
「御侍さまはどうしてそう思うのですか?枝豆のことをもう見たくないのですか、嫌いになってしまったのですか?」
「馬鹿な子ね、そうではないわ……」
枝豆の疑問に対して、彼女は答えず、ただ頭を軽くなでてくれた。
彼女はいつもこのように枝豆の目を外に向けさせようとする。外の話をするたび、彼女の目はいつになく輝く。
こんなにも外の世界に憧れているのに、どうして……自分はここを離れないの?
「カーンカーン」
壁掛け時計の鈍い音はいつも通り、部屋に長く響いた。
「枝豆、もう行っていいよ」
まただ……
夜になると、御侍さまはいつも鮮やかな紅と白粉を塗り、時にはジャスミンのお香を焚き空気中に漂わせる。
でも、枝豆を部屋にはいさせてくれない。
御侍さまは何か隠しているのかな?
彼女の目の底に宿る、枝豆にはわからない事と関係があるの?
「御侍さま、枝豆は……今日は行かなくてもいいですか?」
「でも……枝豆、これからやる事があるの……」
「それは……どんな事ですか?」
「えっと……」
御侍さまが口ごもっている様子を見て、ますます不審に思った。
「枝豆はここにいたい……御侍さまと一緒にいたいです」
「枝豆、言うことを聞いて……」
「コンコンッ」
襖を叩く音が聞こえた。
「間に合わなくなる……早く」
枝豆が反応するようも先に、御侍さまが屋根裏部屋の扉を開けて、枝豆をそこに押し込んだ。
「この部屋は屋根にも通じているわ……約束して。軒先の風鈴の音が聞こえるまで降りて来ないでね。わかった?」
御侍さまは震えながら枝豆の手を握ってくれた。彼女の手はあまりにも冷たくて、そして懇願するように枝豆を見ていた。
「……はい、わかりました」
御侍さまが扉を閉める前に、見覚えのない男が威勢よく御侍さまの寝室に入って来るのが見えた、それからすぐにカランコロンと音がした。
彼は誰?何が……起きているの?
屋根裏部屋から出ようとしたけど、御侍さまの言葉を思い出した。
ダメ、言うことを聞かない子になってはいけない……約束したから……
考えた末、結局一人で屋根の上に登るしかなかった。
夜風が体を通り過ぎ、さっきまで纏わりついていたジャスミンの匂いが消えて、気持ちが少し楽になった。
巷の賑やかな灯りを眺める。それは桜の島の賑わいを灯しているけど、星月の輝きを消してしまっている。
「花魁を独り占め……」
微かに、近くの街角から美しい歌声が聞こえてきた。
「花街の 籠中の鳥 君と別れて……」
彼女の歌声はこんなにも美しいのに、どうして……悲しく聞こえるのだろう。
Ⅱ.籠中の鳥
歌声が聞こえる街角に目をやると、そこは笑いが溢れ、楽器の音や歌が絶え間なく流れていた。人々は楽しそうに遊んでいて、全ての悩みを忘れているようだった。
御侍さまがこんな場面を見たら、少しは気分が良くなるのかな?
「チリンチリン」
下から風鈴の音が聞こえた。それと同時に襖を強く閉める音もしたけど、今見た光景を御侍さまと分かち合いたくて、全く気にならなかった。
「御侍さま!」
「枝豆……」
でも御侍さまを見た瞬間、枝豆の笑顔は凍り付いた。
彼女は畳の上に腰を下ろし、首筋には目立つ赤い跡がいくつもあった。
枝豆の声を聞くと、彼女はすぐに服で首を覆い、無理した笑顔を浮かべた。
「御侍さま、ケガをしたのですか?」
「ううん、私は大丈夫よ。枝豆こそなんだか楽しそう。何か良い事があった?」
「枝豆は……さっき面白いものを見つけたのです、よかったら……御侍さまと一緒に行きたいです」
「あら、そうなの?どんなところなのかしら?」
屋根の上で見た事を御侍さまに話した。だけど、彼女はいつもと違って、枝豆を励ますどころか、恐怖の表情を浮かべた。
「シーッ」
御侍さまは枝豆の手を取って、人差し指を枝豆の唇に当てて、話を続けるなと警告してきたのだ。
「その場所やそこの事を口にしてはダメよ。もし誰かに聞かれたら……」
「でも……」
「枝豆!」
彼女は低い声で厳しく言って来た。
枝豆は何か間違っていたの?
それとも、御侍さまはもっと大事な事を隠しているの?
さっき聞いた曲を思い出して、「籠中の鳥……」と呟いた。
「いっ、今、なんて言ったの……どうして極楽の歌を知っているの?」
極楽?それは何?枝豆がさっき見ていた所?
どうして御侍さまは緊張しているの?彼女は何を言っているの?それにさっきまで御侍さまの部屋にいた男は……
いつもとは違う御侍さまに、戸惑う。
「シャー」
襖がいきなり開け放たれた。そこには華奢な身なりの男が立っている、彼は怒りを宿した目で御侍さまを睨んでいた。
この男を枝豆は見たことがある。
御侍さまが枝豆に会わせたくない人だ……
Ⅲ.灯火絢爛
「どうして帰ってきたのですか?」
震える声で御侍さまが問いかける。
「俺が帰ってきて何が悪い?ここは俺の家だ、俺に指図する資格はお前にはない」
男の刺すような鋭い視線は、まるで虫ケラでも見るように枝豆を見下している。
「話を聞いてください……あっ!」
男は問答無用で御侍さまのか弱い体を蹴り上げた。
一回、二回、三回……
慌てて男を引っ張ったが、振り払われた。そして、彼の言葉が枝豆を硬直させた。
「話?俺の耳が聞こえないと思っているのか!全部聞こえたぞ!大金を払ってお前を身請けして、美味いもんや良い服をやったのに、まだ満足していないのか?まだ極楽に戻りたいのか?」
彼は……何を言っているの?
極楽?御侍さまと極楽はどんな関係があるの?
「違う……違います……」
「こんなガキを召喚して偉そうにすんな!お前が今こうして生活していられるのは、俺のおかげだぞ?どうやらこのガキのせいでお前の気が狂ってしまったようだな!」
そう言って、彼は振り向いて枝豆の方に向かって歩いて来た。
「枝豆、気をつけて!」
冷たい畳にぶつかった瞬間、強烈な眩暈に襲われた。視界はぼやけて、御侍さまの泣き声と男の怒鳴り声がしか聞こえない。
痛い。
……何かできないの?
「いいか、一生俺から逃げ出せると思うなよ、お前は俺の人形にすぎないんだ!」
一生懸命起き上がると、男がまた御侍さまの方へ歩いて行くのが見えた。
ダメ……
御侍を守りたい食霊の本能からか、枝豆は男に飛び掛かりその手を力強く噛んだ。彼は痛みで大声を上げる。
「このガキ、噛みやがったな!」
その拳が枝豆に落ちようとした時、御侍さまは必死になって男の手を引っ張った。
「枝豆!行きなさい!」
「枝豆は……」
「行きなさい、枝豆!ここから出て!極楽へ!純米大吟醸という者を探して!彼が何をすべきかを教えてくれるから!」
「一人もここから出さん!クソッ!よくも俺の顔を掴んだな!おいっ!クソガキ、逃げるな!」
いつもの優雅で優しい姿とは違って、必死で男と争っている御侍さまを見て、枝豆は歯を食いしばって家を飛び出した。
枝豆は食霊だけど弱すぎる、わかっているんだ……
枝豆じゃ彼女を守れない。
だから、大吟醸……純米大吟醸さん……お願い……お願い……
真っ赤な灯りが闇を追い払い、歌舞伎町と呼ばれる場所は白昼のように明るく、そこで行き交う男女が怖い。
でも、枝豆の御侍さま、枝豆のお母さまを思うと、恐ろしさが消えていく。
今の枝豆は一つの事しか考えられない……彼女を守る事だけ。
涙で目がかすみ、足の力が抜けそうだった。今にも倒れそうになった時、知らない手が枝豆を受け止めてくれた。
「ぬしは何故あちきの名を呼んでいるのだ?」
「えっ?」
顔が上げると、妖艶な顔をした、誰にも負けないほどの貫禄を持つ男が見えた。
もし……彼のように強くなれば……
涙がこぼら、藁にもすがるように純米大吟醸の袖を握りしめた。
力の限り叫んだ。今まで出した事のない……大きな声だった。
歌舞伎町全体に声が響いたかもしれない、でもその瞬間、自分の耳には激しい心音しか聞こえなかった。
今思い出して、やっとわかったーー
御侍さま、枝豆の勇気は、あなたが与えてくれたものなんだって。
Ⅳ.波瀾の半生
数日後、御侍さまの件はもう片付いたと大吟醸さまが教えてくれた。彼は御侍さまを歌舞伎町の近くにある小屋に住まわせた。あの男に関しては、一生彼女に迷惑をかけることはないと言っていた。
御侍さまは助かって、やっと自由になれたんだ。
「そうだ、おチビちゃん。ぬしの母はぬしをあちきに売ったから、これからは極楽で働いてもらうよ」と、大吟醸さまはからかってきた。
「……」
「なんだい?自分が売られたと知って、言葉をなくしちまったのかい?」
「いいえ、冗談だとわかっていますから。御侍さまは……そんな事しません……」
御侍さまは優しい方だ。
自分のために枝豆を犠牲にするはずがない。
「……なんだい」
期待していた表情を見られなかったからか、大吟醸さまは枝豆をからかうのをやめた。
「本当に彼女にそっくりでありんす」
「えっ?」
御侍さまは極楽の花魁だったけど、ある豪商が大金を払って身請けしたと大吟醸さまが教えてくれた。
しかし、身請けされた後、彼女は望んでいた愛と自由を得ることができず、豪商の庭に閉じ込められることになったのだ。
寂しさからか、御侍さまは枝豆を召喚した。
御侍さまは庭から出られないから、枝豆に外の世界に行って欲しいと願った。
彼女の目に映る枝豆には、無限の可能性があり、自由があった。
彼女のような人生を繰り返して欲しくないと思っていたらしい。
だから豪商が帰ってくるたびに、御侍さまは枝豆を追い出した。しかし、あの日、豪商がちょうど忘れ物を取りに帰ってきた時、枝豆たちの会話を盗み聞きして、それから……
「そうだ、これを忘れていた」
大吟醸さまの声が、不快な思い出を止めた。
彼は枝豆に手紙を投げてきた。それは薄いけれど、まだ温もりが残っているように感じた。
「あの女に頼まれた、読むといい」
御侍さま……
枝豆は少し緊張しながら封筒を開けたけど、そこには一行しか書かれていなかった。
「枝豆、自分のやりたい事をやりなさいーー」
やりたい事……
「大吟醸さま!」枝豆は勇気を出して叫んだ。
「大吟醸さまが御侍さまを助けてくださったので……大吟醸さまに恩返しがしたいです……極楽に残らせてください」
「食霊として御侍のそばにいたいんじゃないかい?」
大吟醸さまは少し驚いた表情をしている。
「御侍さまは、自分のやりたい事をやるべきだと教えてくれました」
枝豆は……大吟醸さまと同じくらい強くなりたい。
自分が守りたい人を守れるほど強く。
Ⅴ.枝豆
その日から、極楽の常連客たちは、店に小さな女の子が一人増えている事に気付く。
彼女はめったに裏庭から出て来ないが、時折扉から体を半分だけ乗り出して、用心深く店内の様子を窺う事がある。
「……あれは?」
鯖の一夜干しが裏庭の方を指したが、視線を投げた途端、女の子は猫のように逃げてしまった。
その場には手毬が一つだけ残され、怪談のように床で弾んでいる。
「ククッ……彼女はあちきが最近入れた助手でありんす、心配する必要はない」
純米大吟醸がは口角を上げ、手にした酒壺を揺らし、鯖の一夜干しのために酒を注いだ。
光陰矢の如し。時が経ち、いつのまにかもう一年が過ぎた。
「おいっ!お嬢ちゃん!イカ焼き二つ追加で!」
「わっ、わかりました……すぐにお持ちします……」
今夜の極楽もいつものように、賑わっている。
料理長の指示を受けた彼女は、奥からイカ焼きを二つ運んで、店内へと向かった。
「よっ、お嬢ちゃん、今日は出てきてくれたのか!」
「久しぶりだな枝豆、前より可愛くなったんじゃねぇのか?」
酔っ払った客たちが楽しそうに声をかけると、枝豆の顔は真っ赤になった。
「うぅ……そういう冗談はやめてください……」
枝豆の恥ずかしがって照れる姿は、今や極楽のおなじみの光景だ。
「ちょいとお客様がた、枝豆はまだガキでありんす、何か御用があればあちきに言っておくれ」
しかし――
「うぅ……枝豆は子どもじゃないです、毎日枝豆をガキって呼ばないでください……」
閉店後、枝豆は目をトロンとさせながら、机に突っ伏してこう愚痴った。
「酒の匂いを嗅いだだけでこんなに酔っているのに、ガキじゃないと言われてもねぇ……」と、純米大吟醸はどこか困ったように笑った。
「大吟醸さま、何か言ってください、なんで枝豆を無視するのですか……」彼女は隣の植木に向かって、支離滅裂な言葉をかける。
「大吟醸さま……」
「ん?」
「大吟醸さまは毎日お酒を飲んだりフラフラしたりしているだけじゃないですか……枝豆はわからないのです、こんな事で強くなれるのですか……」
枝豆の話を聞いた純米大吟醸は、手を伸ばして彼女の顔を思い切りつねろうとしたが、彼女は立ち上がって姿勢を変えてまだ突っ伏した。
「それに仕事は疲れます……どうして毎日こんなにたくさん仕事があるのですか、厨房も接客も勘定も毎日忙しくて……」
「でも、枝豆は今の生活が大好きです……」
純米大吟醸は彼女をつねろうとした手を引っ込め、軽く彼女の頭をたたいて、口元を緩めた。
「ククッ……やはりガキでありんす」
「強くなりたい」という願いが叶うのは、まだ先の話かもしれない。
でも大丈夫だ、その日は必ずやって来るだろう。
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