ピザ・エピソード
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ピザのエピソード
一日中笑顔を絶やさない明るい青年。
他人を丸め込むのがうまく、旅と自由を愛する。
争いを好まず、よほどのこだわりがなければ早々と投降する主義。チーズの悪戯にも寛容で、よく自分の護衛であるカッサータにからかわれている。まるで悩み事一つないように見えるけど、本当は言えない悩みもあるらしい。
Ⅰ 始まりの約束
「カッサータ!ほら!」
「ピザ、早く来いよ!!」
「二人とも早く~!」
オレが住んでいる国は小さい。けれど肥沃な土地と、あくせく働かなくても食べていけるぐらいの資源はある。
そしてオレの御侍サマは、この国の国王陛下。
親切で、優しい国民。
民を愛する国王。
それに、善良で美しい王女殿下。
豊かな日光に照らされて、すべての命が輝いている。
木の葉がそよ風に揺らされてさらさらと鳴り、オレは流れていく白雲を見上げて思わず目を細めた。
「ピザ!早く!!果樹園の親父さんが!」
「まずいぞ!」
彼らの声でオレは我に返り、塀まで駆けていって、手をかけて飛び越える。
チーズは阿吽の呼吸でカッサータの手を踏みつけ、ひらりと塀を乗り越えた。
オレはまだ塀の下にいるカッサータに手を伸ばし、その体を引き上げる。
飛び上がって虚空に吠える猟犬を見て、オレたち三人は思わず笑いだした。
塀の向こうから、予想通り果樹園の主人の苛立った声が聞こえてきた。
オレたちは肩をすくめてちらりと互いを見やり、舌を出して遠くへ逃げる。
ともかく果樹園を逃げ出したのだ。
オレは塀にもたれかかり、膝を抱えて荒い息を吐くチーズを見て、思わずその頬を撫でてやった。
「チーズ!なまってるぞ!毎日王宮の中でぬくぬく暮らしてるんだろ!?」
「そんなの仕方ないでしょ。御侍様のおそばにいるんだから!で、リンゴは?」
「俺が持ってる」
「お代もちゃんと払ったよね?」
「大丈夫だ。リンゴの枝に掛けておいた。親父さんもわかってくれるだろう!金貨だもんな!」
オレたちは一緒に王宮に戻ると、一番きれいなリンゴを王女殿下にあげた。
王女とチーズに暇乞いをして、オレとカッサータは王宮内をぶらつくことにした。天井に寝転び、星一杯の夜空を眺めると、気持ちの良いそよ風がまだ少し暑い空気の中を吹き抜けていく。
オレは午後に摘んだリンゴをひと齧り、そして傍に座ったカッサータを見やった。
「カッサータ」
「ん?」
「前言ってたよな。この国の外にも、面白い場所はたくさんあるって。行商人が言ってたけど、王都だけでオレたちの国より大きい国もあるらしいな」
「うん、そうかもな。俺も行ったことはないが」
カッサータは黙って寝転び、目を閉じてそう言った。
「じゃ……王女殿下の病気が治って、大切な人との間にお世継ぎが生まれたら、チーズを連れて一緒に見に行こうぜ!」
オレは両手を地面につき、カッサータに自分の意気込みを見せてやった。
「……いいな」
カッサータは微かに目を開け、笑って言った。
「よし約束だぞ!いつか三人で旅に出るって!」
「……よし。約束だ」
この約束が、すぐに思いもよらなかった形で実現するとは、この時のオレには知るよしもなかった。
Ⅱ 運命の歯車
王女は幼いころから体が弱かった。
だが最近はそれもますますひどくなるばかり。
オレたちがふざけて笑いあってる間に、王女はよく喀血するようになった。
王女はどうにかそれを隠していたが、血の付いたハンカチがすべてを物語っていた。
無理して笑顔を作っていたオレの御侍サマは、憂いにふけるようになった。
王妃に似てきた王女を見て、まるで何かにとり憑かれたように正気を失ってしまわれていた。
愛する人を再び失うかもしれないという恐れは、賢明な君主からも冷静な思考を奪っていった。
焦りの中で、弱っていく娘を何とかして救おうとしたのだ。
オレたちももちろん、王女の友人として心が痛んだ。
チーズの顔からいつもの笑顔が消え、カッサータまでもが辛そうな顔をした。
重苦しい雰囲気、オレが冗談を言っても、もはや誰も笑わない。
逆に病床の王女の方が、オレたちを慰めていた。
ある日、行商をしていたという男が、御侍サマのもとへやってきた。
何でも、王女の病気に治療法があるのだという。
オレたちは呑気にも、これは奇跡かと思った。
神はこの美しい女の子が夭折してしまうのを惜しんで、救いの手を差し伸べてくださったのかと。
その日、オレは御侍サマの隣で、初めてそいつに会った。
第一印象が悪くなかったことは否めない。
礼儀正しくきちんとした身なりの青年で、振る舞いも上品、オレなんかよりよほど王宮勤めに向くんじゃないかと思ったぐらいだ。
だからおかしな印がついた箱を持っていたのも、それほど気にならなかった。
オレが入ってきたのを見て、そいつは立ち上がりお辞儀をした。
オレは御侍サマの傍に立ち、御侍サマから紹介を受けた。
「ウェッテ先生は行商人で、今まで多くの国を遊歴なさってきた。そこで学んだ神通力の技術で王女を治せるとおっしゃるのだよ。まさに、神が王女のために遣わしたお方だ」
オレは言葉遣いや一挙一動に至るまで上品なその男を見て、よくわからない不安がこみ上げてきた。
突然冷ややかな息苦しさを感じ、思わず胸を押さえる。
ふと、その「ウェッテ先生」が顔を上げてオレに柔らかな笑みを向けてくるのが見えた。
錯覚だろう。
この人は、オレたちを助けてくれるはずだ。
「国王陛下、このお方は?」
「私の食霊、ピザだ」
「美しい旗をお持ちだ……」
そんなことを言いながら、ウェッテ先生はずっとオレを見ている。不自然な感じ。
「あ……ありがとう」
オレは居心地の悪さを感じながらも礼を言った。
それから、ウェッテ先生は御侍サマによって、王宮内に住むことを許された。
御侍サマの言いつけ通り、オレは何度もウェッテ先生のところへ行って王女に飲ませる薬を調合した。
「最近は王女の具合はいかがで?」
「以前よりずっといいよ。ところで、ウェッテ先生はお医者様なのかい?」
「医者?」
ウェッテ先生はオレの言ったことを繰り返し、軽く笑った。
「私はただの商人ですよ」
この笑顔にどう対応すればいいのかオレはよくわからない。気まずい。何かで気を紛らわせよう。
オレは傍らにあった本棚の本を手に取り、ぱらぱらとめくった。よくわからないものばかりだったが、面白い記録も見つかった。
例えば、ある実験の時に発見された"Aqua Vitae"と呼ばれる液体が、その後人気のある酒になったとか。
「Aqua Vite……生命の水か……」
オレがその続きを読もうとした時、長い腕がオレから本を奪った。
「今日の王女殿下のお薬ですよ」
穏やかな笑顔だったが、近寄りがたいものがあった。
オレはその薬を受け取ると、すぐにその場を離れた。
徐々に、王女の病気はよくなっていった。
御侍サマの喜びようを見ていたら、オレもこのウェッテ先生を信じてやってもいい気がしてきた。
それだけだったらよかったのに。
だが、御侍サマのウェッテ先生に対する信頼は度を越してきた。この男がどんなことを考えていようが、その要求を呑むようになってしまったのだ。
Ⅲ 情に溺れて
雷が鳴っていたその晩、いつも夜は寝かせておいてくれる御侍サマが、突然オレを書斎に呼びつけた。
ウェッテ先生が来てから、オレは御侍サマに呼ばれることがなくなっていた。
御侍サマはきっと忙しくて、こんな時間にしかオレを呼べないに違いない。そう思って、オレは大した考えもなく書斎に向かった。
御侍サマは、文机の後ろに座っていた。雷の光に照らされたその姿はまるで骸骨のようだった。
「ピザ、王女殿下は普段、どんな態度でお前さんに接しているかな?」
「……よくしていただいています。まるで姉弟のように」
「私は?」
「もちろん、御侍サマはオレにとって何より大事な人ですよ」
「では、私と王女のためなら……何でもしてくれるね」
御侍サマはなぜかそんなことを言いながらオレに歩み寄り、かつてのように優しくオレの頭を撫でたが、その瞳には光がなかった。
「御侍サマ…どういう意味で?」
突然全身にわけのわからない恐怖が走り、オレが反応するまでもなく、二匹の真っ黒な大蛇が暗闇から飛び出してきて、
オレの体をぐるぐる巻きに縛った。
「では、ここから先は私から説明を」
いつも恭しい笑いを浮かべていた男が、どこからか歩み出てきた。
「頼むよ、ウェッテ先生」
御侍サマはオレのことなど気にする様子もなく、そのまま書斎を離れた。
「あんた、食霊かい?」
「食霊?言ったでしょう。ただの商人だって」
二匹の大蛇はまるで怒ったかのように、オレの体をさらにきつく縛る。
「御侍サマに何をするつもりだ!?」
「元気ですね。国王陛下のご決定には私は口を挟めませんよ……まぁ、後はあなた次第ですね」
「オレ?」
ウェッテ先生は「錬金術」というものを説明したが、オレには大まかにしかわからなかった。
だがともかく、オレは「種」であるらしい。
「生命」を得るための「種」。
食霊であるオレには純粋な夢の力がある。
それはこの世界の始まりで、すべての命の始まりであるらしい。ウェッテ先生は食霊の、いや正確には夢の力で、王女を治療するのだと。
それだけなら、オレはためらうことなく同意しただろう。
だが、その「種」はオレが想像するよりずっとおっかないものだった。
人間一人の命が必要とするエネルギーはオレ一人で賄えるものではない。「種」には他人の夢の力を絶えず吸収し、王女の生命を維持するだけの力しかない。
それじゃ堕神と同じじゃないか?
その時オレは、得意の冗談にできたらどれだけいいだろうと思った。
王女のためとはいえ、誰かを傷つけるなんて、オレにはとてもできない。
「あなたがいいと言ってくだされば、王女殿下の命は守られるんですよ?」
「そ、そんなこと!」
「あーあ、そんなに騒がなくても、すぐ終わりますよ……」
蛇のような真っ赤な目がだんだんと近付いてくる。オレの瞼が、ゆっくりと重くなる。
「間違いなく」
見慣れた日差し、見慣れた笑顔。
御侍サマは王座に座り、オレに慈悲深い笑みを向けた。王女殿下も傍に立ち、優しい笑顔でオレに手を振っている。
オレは御侍サマから授かった平和の象徴である旗を持ち、二人に駆け寄った。
突然、闇がすべてを包み込む。
オレは突然現れた黒蛇に絡まれ、噛まれ、身動きもとれない。御侍サマと王女はまるで糸が切れた操り人形のように、王座の上にぐったりと倒れている。
暗がりに立っていた人が歩み出てきた。
今までと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。
そいつは御侍サマに近寄って、手をその肩に当てた。
オレは手を伸ばし、近付こうとするが、黒蛇が体をぎゅっと縛り付ける。
その痛みも、御侍サマと王女が目の前で死んでいく悲しみには及ばない。
やめろ!二人に近づくな!
早く逃げて!早く!!
早く!
オレは叫び声を上げようとしたが、まるで喉を絞められているみたいに声が出ない。
すべては完全な暗闇に包まれ、窒息しそうな感覚だけが、自分がまだ死んでいないことを教えてくれる。
御侍サマはかつて、オレのこの旗は、この国の平和の象徴だとおっしゃった。
オレは食霊で長生きだから、この国の平和も続くだろうと。
オレは思わず、陽光が降り注ぐ果樹園のカッサータとチーズの笑顔を思い出した。
あの星空の下の約束……
負けてたまるもんか、絶対に。
オレの旗は、誰かを傷つけるためにあるんじゃないんだ。
王女殿下だって、そんなことは許さないだろう。
意識がまるで深海に沈んでいくようだ。
オレは何とか浮き上がろうとしたが、体が重くて動かない。
なぜか、手に持った旗がオレの気持ちをわかってくれたかのように、暖かい光を放ち始めた。
深い暗闇を脱出すると、オレの意識も徐々に戻り始めた。
Ⅳ 定められた結末
夢から醒めても、オレは自分がなぜ意識を失ったのかすら覚えていない。
空気に触れている肌に、刺さるような寒さを感じる。縛られていたせいか体に力が入らず、全身に鈍い痛みだけがある。
オレは微かに目を開けて、自分が堅い岩の台の上に寝ていることに気が付いた。
逃げなければと思ったが、相変わらず体は拘束されている。
オレは頭を動かそうとしたが、あたりがぼんやりと見えるだけだった。
ここは御侍サマの書斎でも、御侍サマが用意された住まいでもない。
一番驚いたのは、オレの体の下にごちゃごちゃしたわけのわからない陣が白い塗料で描かれていたことだった。
鼻を刺す薬剤の臭い。近くにある机の上に並べられたおかしな器具類とメス。
ここはどこだ?
王宮に住んで久しいが、見たこともない場所だ。
耳もとで微かな泡の蠢く音が聞こえ、さらにブーツで床をこすって歩く音が、だんだん近付いてくる。
まずい、意識を取り戻したことに気付かれては。
オレは静かにまた目を閉じた。
そいつはオレの頭を持ち上げると、じっと観察し、だがすぐに傍らに投げ捨てた。
後頭部が岩にぶち当たり、突然の痛みにオレは声を上げた。
「目が醒めたようですね」
悪魔のようなか細い声が耳元でする。
「まだ意識があるとは、予想していたより手こずらせてくれますよ……」
ばれていたのか。オレはそうとなったらと、薄ら笑いを向けてくるそいつを睨みつけた。
「おや、その目はお怒りですか?」
突然、強烈な振動があって、陰気臭い実験室の上から埃が落ちてきた。
男は軽く眉をしかめ、顔にいくらかのやるせない笑いを浮かべた。
「どうやら、ネズミが忍び込んだみたいですね」
「そーんな可愛い呼び方好きになれないね。ウェッテ先生」
すぐにカッサータが隣の部屋から壁を破って入ってきた。
埃を立ち上らせ、ウェッテはカッサータの攻撃を軽々とかわした。
カッサータが隙を見てオレの傍に回り込んだその瞬間、ウェッテの傍から二つの影が飛び出した。オレを縛ってきた黒蛇だ。真っ赤な目をした黒蛇が襲い掛かるのにも構わずカッサータは逃げないで、オレにかかった鎖を外そうとしていた。
突然、顔に温かい液体が落ちてくるのを感じた。
その時ようやくオレは、カッサータが蛇にやられて目と鼻に深手を負っており、顔中血だらけであることに気が付いた。
「カッサータ、だ…大丈夫?」
「大丈夫だ」
カッサータはオレを抱きしめ、いつも通りの飄々とした口調でそう言った。
「お前こそ、この旗をやすやすとあいつに引き渡すんじゃないぞ」
言いながらカッサータは旗をオレに渡した。
カッサータが怪我をしてしまったのはオレを助けるためだ。
「すまないカッサータ、オレのせいで…」
「大丈夫。まったく、俺はお前の護衛だぞ?」
「うん、頼もしい」
黒蛇はすぐにウェッテのそばに引き返し、ウェッテを守る地獄の黒炎のようにとぐろを巻いた。
「しかし、私の蛇に噛まれた傷はそんなに簡単に治りませんよ」
ウェッテの立ち振る舞いは相変わらず優雅だ。
それに、先ほどの攻撃をかわす動作はとても人間にできるものではない。
「あんた…食霊か?」
オレは少し訝し気に聞いた。
食霊がこんなことをするなんてオレには信じられなかった。
「そう言えば、正式な自己紹介がまだでしたね。私はウェッテ、アクア・ウェッテ、もうお分かりでしょう?」
オレの質問に、直接の答えはない。
「ア……アクア・ウェッテ【Aqua Vitae】……せ……生命の水!?」
オレは突然、あの日書斎にあった本で読んだことを思い出した。
「おや、ようやくお分かりのようで。『ウィスキー』と呼んだ方がお馴染みかも知れませんが」
その言葉とともに、ウェッテの手から金色の絡みつく蛇がシュルシュルと現れた。
「食霊なら、なぜこんなことを!」
自分でも信じられないぐらい怒りに満ちた声が出た。
「私は何か悪いことをしたのでしょうか?あなたの御侍様を助けたまでですよ?」
ウィスキーの口調はまるで変わらない。
「幻を真実に、苦痛を喜びに、終結を再生に…」
「もちろん危ないとはお伝えしてありますよ。だが国王陛下はあなたと引き換えに王女殿下を救うことを決定なさった。ただあなたは失敗作でしたがね」
顔いっぱいに広がる笑みを見ながら、オレはなぜか抑えられない内心の衝動を感じた。
手探りで旗を掴むと、オレの気持ちを感じとったのか、旗は突然オレの手の中で勝手に動き始めた。
旗はすぐに黒蛇のような炎を上げ、絶望的な復讐欲もまるでその炎のようにものすごい速さでオレの心を蝕んでいく。
恐ろしいことに、動かなかったオレの体も旗に引きずられるようにしてウィスキーに襲い掛かった。
ウィスキーはオレに黒蛇を叩き斬られて驚いたらしい。オレ自身も知らなかったが、この旗は鋭利な鎌だったのだ。
さらに驚いたことに、ウィスキーの動作が少し鈍くなってきた。かすり傷一つ負わせることができなかったが、上着に軽く穴が開いた。
疲れ切ったオレはすぐにふにゃふにゃとなり、地面に倒れ込んだ。
オレの目の前に、絡み合った二匹の蛇を象ったペンダントの石が落ちた。
オレは知っていた。それは、ウィスキーの印だ。
「面白い『失敗作』ですね」
ウィスキーはますます深い笑いを言葉の中に込めた。
「目標は達成できましたが、あなたにはとても驚かされましたよ。ピザ」
「では、また会いましょう!」
ウィスキーはそう言って、王国から姿を消した。
どこへ行ったのかは、誰も知らなぃ。
ほの暗い部屋に、オレとその後ろのカッサータだけが残された。オレは蛇のペンダントをしっかり握りしめ、鋭い石に手を突き刺されても、手放さなかった。
平和の終わりを宣言するかのように。
カッサータに助け出されたオレは、突然王国の兵士に追われる身となった。
王女殿下が亡くなり、御侍サマは自害なさって…
すべてはオレたちの仕業ということにされた。
すべては破壊された。
運命の歯車が、あの悪魔のような男が現れた瞬間に狂い始めたことを、知っているのはオレだけだった。
Ⅴ ピザ
ピザには元々悩みなどなかった。
御侍がこの国の王だったので、彼は恵まれた生活を送っており、それに優しい妹と、頼れる兄弟もいた。
国王の娘は料理御侍で、その食霊はチーズという可愛い女の子だった。
さらに御侍と礼拝に行った際に、教会の片隅で全身傷だらけの状態で見つけた食霊もいた。
彼の名はカッサータ。
御侍を持たない彼は極度に弱りきって、帰る場所もなく、堕神の手下からようやく逃げてきたものの、体が消えそうになっていた。
ピザは彼を国王のもとに連れ帰り、国王もカッサータを受け入れた。
ピザは今まで、自分は自分の功労があったからこれほどよい生活ができるのだと思っていた。
だが、王女殿下の病がまるで引き金のように、すべての不幸を引き起こしてしまった。
国王が娘の病により絶望の淵に立たされていた時、一人の男が一縷の望みを持ってきた。
行商人として各地を遊学してきたというその男は『錬金術』という技術を持っていた。
それは、国王の娘を治療できるものだという。
国王はそれを信じて疑わなかった。
当初、王女の容体は確かにいくらか好転した。
だがすぐに、また元に戻ってしまった。
そこで男は、ピザを錬金術の転化媒質として、人間を殺してその夢の力を吸収し、王女を救うことを提案した。
国民を愛する慈悲深い国王が、国民を犠牲にすることを厭わないなんて!
実の父親のような御侍の頼みだったとしても、ピザにはそんなことはできなかった。
だが最初から彼らは、ピザの意見を聞こうとはしなかった。
ウィスキーは実験のため、ピザを強制的に連れ去った。
そしてピザの意識を完全に殺し、ただの夢のカの集合体としようとした。
ピザに堕神のように限りなく夢の力を吸収・融合させ、自分の望み通りの「生命」を生み出すことが目的だった。
だが、実験は失敗した。
食霊の意識はウィスキーが思っていたほど簡単に消えるものではなかったのだ。
ウィスキーが実験室を遺棄しようとしたその時、奇跡が起きた。ピザの旗が鎌となって、ウィスキーを守っていた二匹の蛇を叩き斬ったのだ。
ウィスキーは興味を持ったものの、自分はこれ以上ここに留まる必要はないと考えた。
彼の予想通り、王女殿下の病状は悪化していき、その日、ついに命が尽きてしまった。
娘を失った悲しみから国王は取り乱し、ついには自害した。
そしてそれこそが、ウィスキーがここに来た目的。
「では、また会いましょう」
ウィスキーはそう言うと、二匹の蛇で周囲を破壊し、新しい道を切り開いた。
辺りに埃が舞い上がったその時、ウィスキーは再びピザの耳元に近づき、低い笑いを含んだ声でこう言った。
「これは序章に過ぎません。あなたとは、これからも長い付き合いになりそうです」
その息の余韻が消えぬうちに、ピザは後ろにいたカッサータを連れて危険な場所から逃げ出した。
ピザにはウィスキーの言わんとすることがまだわからなかった。
ウィスキーが消え、恐ろしい場所を抜け出したピザとカッサータは、自分たちが王国の兵士に追われていることに気が付いた。
王国に大変なことが起きていることを、この時の彼らはまだ知らなかった。人目を避けて、二人はついに王宮に戻った。
王女の部屋近くまで通じている秘密の抜け道で、彼らは膝を抱えて泣いているチーズを見つけた。
二人はチーズと再会できて安心したが、そのロからもたらされた報せに言葉を失った。
王女が亡くなり、親王である実の弟に反乱を起こされた国王が王宮の前で自害したこと。
そして、カッサータはすべての罪をなすり付けられたこと。
チーズはカッサータの怪我や、彼ら二人に起こったことについて聞きたそうにしていたが、三人はひとまず王宮から逃げ出した。
食霊を疎んじていた親王は、王女と年老いた国王はピザたちに殺害されたのだと宣言した。
だが反乱に成功したその日、彼はまるで猛獣に噛みちぎられたような無残な死体として邸宅で発見された。
全国民の前から逃げ出したピザとカッサータは再び国中のお尋ね者となった。
彼らは罪人。
それが、王国中の兵士が彼らを探す理由だった。
君主を失った国で、すぐに貴族の権力闘争が始まった。
王国中は混乱に陥った。
ある日。
崖際でピザは風を受け、既に遠くなった王宮の方を眺めた。手には蛇の石が握られている。
ピザは永遠に忘れない。
ウィスキーという男は、姿を消す前にすべてを予想していたようだった。
「二人ともどうしたの?チーちゃんを置いていかないで!」
チーズはついに、すべてを聞くことができた。
ピザは心苦しそうな顔を浮かべた。
「俺とピザはたまたまその場にいて誤解されただけだよ」
カッサータは動揺するピザを落ち着かせようと、その肩を抱いた。
「ああ、誤解だ」
チーズを目の前にしたら、ピザもなぜか本当のことを言えなくなった。チーズの澄んだ目を、恐ろしいもので穢したくなかったから。
ピザは二度と悲劇が起きないよう、ウィスキーを倒すことを自分に誓った。
だから、この記憶は自分一人だけで充分だ。
そうして、チーズが今まで通りの笑顔で自分に怒りをぶつけてくれればいい。
そうして、カッサータが自分のために再び傷つかなければいい。
うん、それでいい。
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