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チェダーチーズ・エピソード

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作成者: 時雨
最終更新者: 時雨

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チェダーチーズのエピソード

子供のような無邪気さと悪魔のような残忍さを持ち、魔導学院での実験の成果として、優秀な頭脳と優れた戦闘力を持ち、彼に敵う者はなかなかいない。契約を破るために魔導学院から脱走し、自分で自分の脳を破壊し、自由な「狂人」となってしまった。その後、創造主の協力によって記憶と正気を取り戻したものの、その損傷は回復不可能で、再び正気を失う可能性がある。チェダーチーズは自らの目的を達成するために、危険人物の信頼を得るために狂人を偽装し続けなければならない。


Ⅰ.知識

「次のページ」


透明な檻の外にいる緑色の蝶が、俺の代わりに本のページをめくってくれた。


この前、髪で指を切って出た血がジェノベーゼの小説を全部台無しにして以来、彼は本を渡してくれなくなった。代わりに檻の外の床に本を広げ、蝶がめくってくれるようになったのだ。


蝶にどうやって指示を出しているのか、ましてや、何故そこまでして俺に本を読ませようとしているのかは、全く見当がつかない


このガラスハウスに住み着いた最初の日、つまり俺が召喚された日……この身も心も冷酷極まっている食霊、俺を創り出したこの野郎が、俺のことをこう呼んだ――


「実験品」と。


そうだ、やつは俺を、名前を持つのに値しないただのモノ扱いしているのだ。


だったらいっそのこと、もっと冷酷に残酷に俺を扱えばいいのに、どうしてわざわざ大量の小説を選び、最後のページまで読めと強制して来るんだ?


最近の刑罰はこういうのが流行っているのか?


腹立たしいとは言え、俺がちゃんと読書目標を達成しているかどうかを監視するため、彼は何も出来ずただぼんやりこの部屋に座ってなければならない。そんなやつを見られるのなら、同じような小説をひたすら読むのも悪くはない。


「次のページ」


「……読むの早すぎないか?」

表情は変わっていないが、その無関心な口調からは不満の色が伺えた。


「どうせ結末は想像ついてんだから、じっくり読まなくていいだろ?」

「これらの本を読めば、人間の心理を理解することができる。そのパターンを把握すれば、相手の行動を正確に予測することも不可能ではない」


「まさか、小説を何冊か読めば、人間の考えている事がわかると本気で思っているのか?」


「僕はまさにそれで人間のことを勉強してきた」


俺は、彼の真剣な顔を見て、思わず笑ってしまった。


「何を笑っているんだ?」


おっと、怒らせちまった……


「いや、何でもない」


俺は気付いていないフリをして、本を読み進めた。

こういう時に黙っていれば、彼は自分で答えを見つけようと必死になるはずだ。


「僕を紙上談兵しかできないガリ勉だと思っているのか?」


相変わらず、彼の顔から感情を読み取るのは難しい。しかし、腕を組んで、珍しくやや厳しめの口調になっているから、本当に怒らせてしまったようだ。


「ならば、後で研究員を連れてくる。どちらが彼の考えている事を正しく推測できるか試してみよう」


実は、ジェノベーゼは意外と子どもっぽいところがある。こんな事を知っている者は少ないだろうな。


やがて、一人の不運な男が、実験室に引きずり込まれた。彼はわずか16℃の部屋の中で冷や汗を流し続けている。


「怖がる必要はない、実験をするだけだ」


同族を実験品にする冷血者の言葉を聞いて、男は一層冷や汗が止まらなくなった。


「これから、僕がある場面を指示する。貴方はその場面についてどう思うか、僕が指示した時に考えを述べるだけでいい」


ジェノベーゼが真剣に説明すればするほど、愉快な光景が広がっていく。

この不運な男は、何一つも理解できていないだろうな。


「今は特に給与査定する時期ではない、華々しい成果を上げた訳でもない貴方は、毎日時計を見つめて一日の終わりを待つだけ……」


「しかし、僕は何の前提条件もなく、無償で貴方に大金を提供しようとしている……このような場面で、貴方は僕に何と言うんだ?」


彼は呆けた後、全身が震えどもりながら口を開いた。しかし、言葉を発しようとしたところ、ジェノベーゼに「黙れ」と指示されてしまう。


「まだだ、答えは我々が推測してから発表するように」


男は固く口を閉じ、必死な表情で頷いた、唇は真っ白になっている。


そしてジェノベーゼは彼の推測を述べた。


「貴方の最初の反応は間違いなく驚き喜ぶだろう。しかし、すぐに弱気になり、パニックになる。自分が何か悪い事でもしたのかと疑い始め、路上で酷い死に方をしないかと不安に駆られる……どんな真実であれ、貴方は自分の生死を決められる僕を喜ばせようとするだろう」


「それでも貴方は“貴方のために私はなんだってします”と言ってはいけない。何故なら、僕が“僕のために死んでくれ”と要求する可能性も存分にあるから。よって、貴方は――」


「“一生忠誠を尽くします、だからもう少しだけ、尽力させて下さい”こう言うだろう」


不運な男は、キツツキのように必死で頷いた。それを見て、ジェノベーゼはため息をつく。


「言ったはずだ、我々が推測を述べた後に答えを発表するように、と」


「ああっ、私……私は……」


「大丈夫だ、俺はもっと良い答えがある」


震える男の弱々しい声を聞いていられなくなったから、俺は笑顔で彼を安心させた。


ジェノベーゼも俺に好奇の視線を投げかける。

彼にこれほど期待される日が来るとは、興奮が抑えられない。


「お前は“ああああああああああっ!痛い!手が!私の手が!”と泣き叫ぶさだろうな」


俺が突然叫び出したからか、二人はその場に固まった。俺が述べた推測が何を意味するのかを考える間もなく……


本をめくる役をになっているあの緑色の蝶を呼び寄せた。


「蝶よ、この人間の指を噛みちぎって、俺によこせ」


「ああああああああああっ!痛い!手が!私の手が!」


ほーら、まるっきり一緒。


床でのたうち回っている不運な男を見て、俺は思わず「同情」のため息をついた。


ジェノベーゼの顔色は悪い。

「ルール違反だ、貴方は知識で人の心を推測していない、これは力技でしかない」


「ああ、そう言えば“知識は力なり”という言葉を聞いたことがある、だから……」


「大切なのはいつも力の方で、知識でないという事だ」


Ⅱ.虐待

「俺を十字架に縛り付け、左腕から血を抜き、右腕の血管に炭酸ドリンクを注入して……」


「そして長ったらしいクラシックの前奏と共に、この世で最悪の小説の結末を繰り返し繰り返し……俺の精神と肉体が崩壊するまで……」


「もういい」

彼はとうとう我慢できずに口を挟んで来た。


「どうしたのですか?お父様?」

得意気に笑えば怒らせることができると分かっているから、俺はわざと大声で笑った。


俺が何の目的で先程の言葉を言ったのか理解できていないからか、結局、彼の好奇心が、俺たちの間で始まったばかりの冷戦に打ち勝った。


5分前に、今日は一日口を聞かないと言ってきたばかりだ。

俺が男の指を切り落としただけで、このような厳しい仕打ちをしてくるとはな……


彼に背を向けて床に座り、首を限界まで後ろに反らす。逆さまの視界で、彼が実験台から離れ、俺の方へ歩いてくるのを見ていた。


彼を取り囲んでいた緑色の蝶は、俺を閉じ込めている透明な檻に降り立ち、俺のことをじっくりかんさつしているようだ。


「……貴方を創る時、“マゾヒスト”という性格の成分を入れなかったはずだ」


俺は足を汲み、ガラスに張り付いている蝶の黒い脚を見た。

「お父様、“後天性”という言葉を知らないのですか?」


「知っている。だが、“虐待”を受けたことのない貴方は、条件を満たしていないはずだ」


「だから必要なんだ……やっぱりこんな風に気持ち良く飼われることに慣れてしまったら、ペットみたいになるだろう?」


「貴方はペットではない、“実験品”だ」


ああ、まただ……


実験品とはいえ、週に一度、何の効果もない注射を打たれることを除けば、実験されている実感はない。


むしろ、俺が彼を実験していると言った方がいいんじゃないか。


最初に「お父様」と呼ばれた時、彼は砂でも食べたかのような顔をした。しかし、2回目、3回目となると慣れてきたのか、少し顔をしかめる程度になった。


どうやら彼の注意を引くには、淡々と不可解な事を言うのが一番のようだ。


それ以外は、自己破壊の傾向を見せるといいらしい。


彼の反応はどれも大差ないが、毎回微妙に違う。どうすれば彼の感情を思い通りにコントロールできるか、それを探るのが俺の趣味になった。


どうせ、それ以外にやる事はないのだからね。


「そう言えば、一体俺で何の実験をしてるんだ?始めた頃とあまり変わっていない気がするけど?」


「それは実験が成功したからだ」


「失敗したら、俺は内側から爆発して死ぬのか?」


「……いや。実験が失敗したら、貴方は本物の堕神になる」


「本物の堕神?」


「堕神が手強い理由がわかるか?」


「生で堕神を見たことがない俺にわかるわけがないだろ?」


俺の不満は彼にも届いたのか、ジェノベーゼは俺の向かいに座った。もちろん、ガラスハウスの外にだ。


前回彼をガラスに押し付け、その長い髪で彼を縛り上げて以来、彼はこの中に入ってくることはなくなった。特殊な状況でない場合、この檻を開けることもない。


たまにこうして床に座るのは、研究室に椅子なんか置いていないからだ。

ベッドもテーブルも、彼の目には同じ物のように映っている。


「食霊と堕神は、コインの裏表と同じ、もしくは同じ物事の優劣とも同じだ。ただ人間の立場から、食霊は自分たちに利益をもたらしくれるから、堕神より優れた存在だと認定しているのだろう。理論上は、食霊と堕神には大した差はない」


真剣とも無関心ともつかないその表情は、まさに小説で描かれているロボットのようだ。

ふと、少し退屈になった。


「食霊には“御侍”を守る義務があるんだろ?御侍という足手まといがいると、弱い堕神すら簡単に倒せない」


「いや、それだけじゃない」


なんだか嫌な予感がする……


何故なら、前回彼が会話中に熟考した後、「生物学的に、僕は貴方の母に近いが……しかし、そう呼んで欲しくはない、僕は女性ではないから」と平然と言い出したから。


案の定、嫌な予感は的中した。


ジェノベーゼは顎を触りながら、物思いに耽っている。その青く澄んだ瞳から冷気が漂っていて、古いマシンのマニュアルを読んでいるような口調で話し始めた。


「人間は極度の怒りを覚えると、痛みを感じないらしい……それと同じく、堕神は長い間極端な負の感情に晒されているため、痛覚を失っていることが多いらしい。加えてその無謀な行動様式と相まって、恐怖心を捨てた彼らは食霊よりも勇猛果敢だ」


「僕は堕神を原型に、貴方を創り出した。だから貴方は食霊のように考えると同時に、堕神のように痛みは感じないはずだ」


ベッドなのかテーブルなのか、これらのモノと何ら変わらない死物だとでも言いたげな表情を見せて来た。


「だから“虐待”は貴方にとっても、この僕にとっても、無意味なことだ」


「貴方は“実験品”、そして僕は“実験者”、僕たちは実験の参加者に過ぎない、ただそれだけだ」


ハッ、なんともイカれた話だ……


完全な食霊ではないのに、「契約」によって束縛されている。

しかし、堕神でもない俺は、早くから「堕神は敵だ」という考えを脳に植え付けられてもいる。


そして、俺が麻痺した心身を目覚めさせるために、虚しい世界から脱出するために、物理的な刺激を求めようとした時、自分には痛覚がないと告げられた。


これは、俺にとっての、一番残酷な虐待じゃないのか?


Ⅲ.報復

「虐待……?でもチェダーは健康そうだし、それに……変な耳も生えていないし……」


バニラマフィンは首を傾げながら、俺の表情観察しながら呟く。


「どうしてそんなに怖がるんだ?別にお前に酷いことはしてないだろ?」


「ええ、ごめんなさい……怖がっている訳じゃない……ただ……」


身を縮駒させている彼は、緊張で言葉が出なくなり、また泣きそうになった。


彼が俺を恐れていないことはわかっている。つい2日前、俺は彼を助けたから。

彼は、魔導学院の実験のせいで全てを恐れるようになったんだ。


俺の実験とは別に、多くの実験がジェノベーゼの指示によって同時に行われている事を知ったのは、ついこの間の事だ。

しかし、全ての実験が成功している訳ではない。


ほとんどが本物の堕神となり、誕生から間もなく「廃棄」されたらしい。

バニラマフィンのように失敗と成功の狭間にある実験品に対しては、絶え間なく実験が繰り返されているそうだ……


研究員たちは、人間に違う血液型の血液を輸血するように、堕神のエネルギーを実験品たちに強制的に注入している。


違いとしては、人間は高い確率で死ぬが、食霊はただひたすら苦しむだけだ。


この点から見ると、確かに俺は「虐待」されていないなろうな。


わからないのは、何故彼は同族にこんな虐待をするかな。


「例え僕がやらなくても、その内誰かがやるだろう……そんな愚かなやつらに失敗の確率を上げさせるくらいなら、僕がやった方がいい。成功率が高ければ高いほど、“廃棄”される実験品の数は少なくなる」


淡々とした感情の籠っていない声が、再び俺の耳に響いたような気がした。


彼の言う通りだ、反論のしようがない。


つまり、間違っているのは魔導学院の方だ。

自分の命を守れるなら、他の命を平気で踏みにじれる連中だ。より良い生活を送るために食霊を酷使する実験をいつか決行してもおかしくない……人間とはそういうものだ。


「チェダー……そろそろ帰った方がいいのでは?もし、こっそり外出していることがバレたら……」


哀れなバニラマフィン、こんな時でも俺のことを心配してくれている。


でも彼の言う通りだ、ジェノベーゼみたいな研究員ばかりじゃない。


ジェノベーゼはただ実験を完成させようとしているだけだが、ここにいる研究員の殆どは自分を持ち上げるために、実験品たちを踏みにじっているに過ぎない。


愚かな人間如きが好き勝手している現状は、実に不公平だ。


頭の中で一つの計画が形を見せ始めた。俺に耳をいじられるのを最初は抵抗していたバニラマフィンも、少し戸惑ったように俺を見た。


「心配するな、今回はこっそり抜け出したとかじゃない、ジェノベーゼがわざと出してくれたんだ」


「えっ?」


「前回見事に問題を解決してみせたからな。あいつのことだ、俺があいつを驚かせるのを待っているんだろう」


「なっ、何を言っているの?」


「大丈夫、すぐにわかるさ」


バニラマフィンを閉じ込めている研究室を出て、監視カメラの死角がある唯一の通路を通過し、順調にガラスハウスへと戻った。


俺よりジェノベーゼをよく知る者はいない。


彼は間違ってボタンを押したり、誤操作で檻を開けたりはしない。ましてや鉄壁と呼ばれるこの檻の開閉システムを、ちょうど一人が通れるぐらいの隙間が残るような不具合を出させる訳がない。

彼は蝶に男の指を千切らせた俺の答えが気に入ったから、わざと出してくれたんだ。


勝ち負けにこだわらない彼は、当然「実験品」を教育する気もないのだろう。


彼はただ驚きや予想外の事が好きなんだ。正しい道理に背くような小説が好きなのも、自分で邪悪な実験だと認めて俺をつくりだしたのもそのせいなんだ。


完全に囚われた俺が、どんな混乱を起こすのが、どんなトラブルに巻き込まれるのかを、見てみたいだけなんだろうな。


俺のためにこれほどまでしてくれるのだから、彼を満足させない訳にはいかない。


さて……魔導学院にとっての災厄とはどんなもんだ……


実験棟が爆破されること?学院長の死?実験品の大脱走?それとも、未完成の薬が漏れて、世界に害をなす化け物を誕生させてしまうこと?


いやいや……こういうのは全部小説に書かれている事だし、誰にでも思いつくもんだ……


俺がしようとしている事は、よく練られた、前例のないわ世界を揺るがすような……復讐……そう、復讐だ!


また髪で手を切らないように、またペンで体に穴を開けさせないように、この実験室には筆記用具は置かれていない。


息を吹きかけて曇ったガラスを紙の代わりに使えるけどすぐに消えてしまう……そう考えた末、俺は指を噛んで、血で作戦を書き留める事にした。


痛覚のない俺は、自分で創造した文字で計画を書いた。例えジェノベーゼが解読できたとしても、1日や2日は掛かるだろう。


ギシッ――


研究室のドアが押し開けられ、ジェノベーゼが入ってきた。


「おかえりー今日はどんな拷問をしてくれるんだ?」


返事が返って来ないから、手を止めずに彼を一目見た。珍しく小説を持っていない、いつもなら入ってすぐに実験台の前で薬を調合するのに、今日は何故かただ俺を静かに見ている。


そろそろこの血文字の意味を聞いてくるかと思いきや、そうでもない。

彼はただ軽く唇を動かしだけだった、まるでこの世の何もかもがどうでもよくなったかのように。


俺の創造した文字も、苦心して考えた復讐の計画も……俺本人も含めて。


「ここを出て行く」と彼は言った。


俺に他の選択肢を与えず、ただ冷酷に、ガラスを汚した子どもに報復しているかのように、淡々とそう言った。


Ⅳ.解脱

ジェノベーゼは出て行った。この実験室からも、魔導学院からも。

読みかけの小説の山と、俺宛ての鍵だけを残して行った。


「“自由”への“鍵”は、貴方自身にある」


この小さな鍵は少し力を入れれば折れてしまいそうだ、自由とはこんなにも脆いものだろうか?


寒々とした白熱灯の光に鍵をかざしてみると、やはり少し古びていて年代物なのだろう。


あいつ、俺が生まれる前から、こんな事を計画していたのか……


彼は食霊で、不老不死だ。この世界で最も知的な存在として、両手と頭脳だけで全てを創造する事ができる。この世に彼の出来ない事はない。

自由を除いては。


ティアラの地に初めて食霊という種族が現れた時から、彼は自由を奪われる運命にあったのだ。

しかし、彼は永遠に自分自身に自由を与えることはできないが、他者に自由を与えることはできる……


だから、彼は俺を創り出した、契約という束縛から脱却できる食霊を。


「何かを諦めれば、ここから離れられる。自分の好きな場所に行って、自分の好きな事ができる」


彼は去る前に俺の頭に手を置き、淡々と残酷で残忍に語り掛けてきた。

しかし、この時俺の脳裏に浮かんでいたのは――


彼の手は冷たくないのか、あたたかかったのか……


さて、そろそろ選択の時だ……


鍵を上着のポケットに入れ、ガラスハウスから出て、男の指を食べてくれた蝶を手に乗せた。


自由というのは、最初から存在しないものだということを、俺はよく知っていた。

俺も、彼も、いや、食霊だけじゃない、自由を得ることができる命なんてないんだ。



食霊は自分で御侍を選ぶことはできない、人間も自分の出自を選ぶことはできない。

小説の主人公がいくら強く、勇気があっても、彼の成功や死を決める作者にはかなわない。

ティアラ大陸歴代の王と高官たちは、人は天に勝る童話を語り人々を奮い立たせ、自分の運命を決定するよう促してきた。


しかし、全ては不可抗力であり、未来に何が起こるかは誰にもわからない、自分の未来を本当の意味で決定できる者はいないんだ。


わかっている、痛いほどわかっている。


だけど……


俺は「実験品」としてこの世に生まれ、自分の目的も叶えたい願いもない、虚しい自由なんかにも興味がない。


成功した実験者は、栄光と金銭を手に入れて、次の実験に進める。

しかし、成功を勝ち取った「実験品」は?


実験品としての意味を失くした俺は、自分のこれからを自ら選択しなければならない。


これこそが、ジェノベーゼの意図している事だろう。


選択とは自由だ、彼は俺に身分を選択する力を与えてくれた。


だけど俺は……


俺の出した答えを見て、彼がどんなに残念な表情をするのか、楽しみでならない。


蝶の羽はとても鋭い、指を切り落とせたんだから、頭蓋骨も楽勝だろうな。


痛覚のない俺にとっては、これからすることは簡単なことだ。


より視覚的にインパクトのあるものにするか、それとも芸術的に美しいものにするか……しばらく迷った後、俺は自分の頭を切り裂いた。


血まみれの蝶は痛みに悶えているのに、俺は何も感じられなかった。


契約はこれで終了したのか?俺は、食霊の悲惨な運命から解放されたのか?


出血はいつ止まる?頭蓋骨は自然に治る?脳は本当にもう生えてこない?それなら俺の頭の中は一生空っぽのままなのか?


次は何をすればいい?どんな奇想天外な形でここを去る?いつまでこうやって思考していられるんだ?


もう二度と小説を理解できなくなるのか?記憶は?俺は 記憶を失って、全てを忘れてしまうのか?


自由は救いなのか、それともある意味虐待?


思考は徐々に錆びていった、腐った歯車のようになり、記憶はぐちゃぐちゃになって、ぼやけた残像だけが浮かんでくる。


虚しい……虚しい……虚しいよ……


癒えない傷口から霊力がポタポタと漏れていく……


お腹空いた……お腹空いた……お腹空いたよ……


けたたましい警報音が聞こえる。


自分の笑い声が聞こえる。


人間の首を絞めている自分が見えたわすると周りにいるおかしな形をしている食霊たちが次々と部屋から逃げ出して行った。


精巧で危険な実験器具や可燃物と貼られた物に、アルコールランプに火を点け、投げつけている自分が見えた。


慟哭と悲鳴、爆発と破滅が聞こえる。


目の前にあるのは、燃えている空、飛び散る灰、泣き叫ぶ声、そして自由に舞う蝶々。


喜びを感じる、虚しい喜びを。


悲しみを感じる、安らぎのある悲しみを。


あの透明な牢獄、秘密だらけのガラスハウスから出て、淀んだ空気を大きく吸い込んだ。外の空気は思っていた通り、混濁していて苛立つ。

床に落ちた包帯を何本か拾った。恐らく誰かがこれで髪をむすんでいたのだろう。誰かを縛り上げるために俺が使っていたかもしれない……


これからは俺の頭に結ばれ、自由で虚しい人生を見届けてくれるだろう。


明るい廃墟の上に誰かが立っている、知っているようで知らない冷たい顔。


彼は烈火に燃やされていたが、口角を上げた次の瞬間、どこかへ消えてしまった。


Ⅴ.チェダーチーズ

「確かに、空っぽですね」


カイザーシュマーレンチェダーチーズの頭に巻かれていた包帯を巻き直し、彼の頭を優しく撫でながら、まだ信じられない気持ちでいた。


「理解しがたい言動をするが、基本的な認知機能はあるし、コミュニケーションも取れる……しかし、脳がないのに言語システムはどうなっているのでしょうか?」


「視覚中枢、聴覚中枢、嗅覚中枢、そして運動中枢も全て消滅しているはずです……不思議ですね」


頭に置かれた手からは優しさと温もりが感じられる、既に「感覚」が鈍くなっているチェダーチーズだったが、どうしてもこんな風に触られるのを嫌がっていた――


まるで、子犬や子猫でも撫でているようだからだ。


しかし、チェダーチーズは嫌悪感を示すことなく、本能的に食べ掛けの食べ物に飛びつき、カイザーシュマーレンの好奇心から逃れた。


これまで数え切れないほど人々から恐れられ、敬遠され、攻撃されてきたチェダーチーズ。初めて自分を恐れず、更には食べ物を与えてくれたのがカイザーシュマーレンだった。


まだ食べ足りないから、しばらくは彼と仲良くしようとチェダーチーズは考えた。


「魔導学院の実験棟が焼失し、多くのデータや研究成果が破壊されたと聞きました……貴方が着ている服、特殊な素材のようですね、魔導学院専用の服だったりするのでしょうか?」


「うぅ……難しいことは、わからない……」


カイザーシュマーレンの問いかけはチェダーチーズの食事を止めることはできなかった。体の中に大きな穴でも開いたかのように、彼は食べても物足りなく感じるているのだ。


食霊は食事をする必要がないにもかかわらず……


カイザーシュマーレンが考え込んでいると、突然空中に暗い影が現れ、そこから一人の青年が出て来た。


「……主はこいつをそばに置くつもりなのか?」


「幼児レベルの知能、怪物のような戦闘力……これほど完璧な護衛はいないでしょう?」


青年の目に微かな不満が浮かんでいるのを見ないフリして、カイザーシュマーレンチェダーチーズに近寄り、しゃがみこんだ。


「私のそばにいて、私にの言う事を聞いてくれませんか?」


「うっ……食べ物はあるのか?」


「ああ、満足させてあげます」


チェダーチーズは目を輝かせ、イチゴジャムが付いている手を伸ばし、カイザーシュマーレンの襟元を叩いた。


「じゃあそれで決まり!」


何回もの洗濯を経てようやくジャムの汚れが取れ、梅雨が明けて、そのコートは晴れた日の午後にようやく乾いた。


そして、その間にタイガーロールケーキフェタチーズバニラマフィンもメンバーに加わった。


人数が増えるにつれ、バスティラの表情はどんどん暗くなっていった。しかし実際のところ、カイザーシュマーレンの計画にはこの者たちが必要だった。いや、それ以上の人数が必要なのだ……


宿屋を出る前に、カイザーシュマーレンは一行を自分の部屋に集め、計画と野望を細かく、そして曖昧に説明した。


チェダーチーズは何も頭に入っていない。


偽りの世界から人々を救うことも、世直しのために悪の一族を根絶やしにすることも、全てデタラメで、カイザーシュマーレンが彼らを従わせるためにでっちあげた美談に過ぎないと本能が彼に告げていたのだ。


カイザーシュマーレンは非常に支配的な人物で、チェダーチーズが最初に食べ物以外のもの、――バイクを何も言わずに提供したが、すぐにチェダーチーズの危険な運転のためにそれを禁じた。


更に「バイクなんてここにないですよ」と嘘をついてまで、チェダーチーズを試そうともした。


そのため、チェダーチーズは丸一日彼を無視したのだ。皿いっぱいのデザートを渡されてようやく彼と口をきくようになった。


それ以来、カイザーシュマーレンチェダーチーズに対する警戒心はほとんどゼロになった。


彼の周りには、自分の感情、特に不快感を直接表現するような存在はほとんどいなかったからだ。

バスティラと、そしてチェダーチーズしかいない。


バスティラは普通の人間並みの知能を持ち、やがて独立したい欲望が芽生えるかもしれないが、チェダーチーズは食べ物を提供する限り、決して裏切ることはない。


チェダーチーズに「脳」がない限り、カイザーシュマーレンにとって最も信頼できる人物だ。


一方、ジェノベーゼは彼にとっての時限爆弾のようなもの。

初めてチェダーチーズに失望感を抱いたのも彼のせいだ。


チェダーチーズももちろんその事を知っていた。


彼はジェノベーゼの再会を果たせたことに感謝していた。自分のことをよく知っている彼が、狂気にまみれた日々を終わらせるために、あらかじめ新しい「鍵」を造っておいてくれたのだ。


だからこそ、カイザーシュマーレンの命令に従い、その場でジェノベーゼを捕らえることも、殺すこともしなかった。


蝶は牢獄から逃げ出したばかりだ。


復讐の計画も始まったばかり。


まだ、答案用紙も書き終えていない。


今度ばかりは、受け入れるという選択肢だけ与えられ、去って行かせない。


「世界」という名の巨大なガラスハウスを思い切りノミで割るまで。


体の中にある果てしないブラックホールを、本当の意味で埋められるようになるまで。


束縛から抜け出し、アイデンティティーと運命を選べるようになるまで。


その時まで、誰もこのゲームから離れる事はできない。



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タイトル FOOD FANTASY フードファンタジー
対応OS
    • iOS
    • リリース日:2018年10月11日
    • Android
    • リリース日:2018年10月11日
カテゴリ
  • カテゴリー
  • RPG(ロールプレイング)
ゲーム概要 美食擬人化RPG物語+経営シミュレーションゲーム

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