トックック・エピソード
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トックックのエピソード
人当たりは温厚で、しきたりや礼節を重んじる。一挙手一投足から上品さがにじみ出ている。
Ⅰ 終わり
騒音が鳴り響く。
目に映る廃墟の残骸と燃え盛る炎。
前方の怪物は弱々しく鳴き、力つき、その場に倒れこんで細かな埃を立てた。
「はあ……はあ……」
膝を抱えて、荒く息をつく。手に持った匕首は、炎に照らされ明滅していた。
空気を吸い込むと、燃えるような痛みがある。
体の震えは止まず、流れる汗が目を覆う。
周りを見渡せば、鮮明に見えたり、朦朧としたりしている。
体から、力が抜けていくようだった。
この感覚、このような経験を何度してきただろうか?
冷静な思考ができず、いつも思考が回復すると、頭には人々が幾度となく口にしていた言葉が浮かぶ。
“堕神を倒せ”
“手伝え……”
“行け!食霊だろ。”
もがくように頭を振り、それらの言葉を払拭しようと試みる。
だが、その動きが私の平衡感覚を無くさせ、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
「疲れたな……」
淡く光る刀剣を一目見て、私は目を閉じた。
喉奥にいくつもの言葉がこみ上げる、それは怒りか、嘆きか、それとも憎しみか。
しかし、こみ上げた言葉を発する力は残されていなかった。
次の瞬間、馴染みのある暗闇が私を覆った。
* * *
朦朧とする意識の中、体が上下に揺れるのを感じている。
起き上がろうとするが、疲れがそれを妨げる。
もう一度眠りにつこうとしたとき、耳元で囁く声が聞こえた。
「もう大丈夫、ゆっくり休んで」
ゆっくり……休む?
それは、今までにない休息だった。
生まれてから、御侍の命令のもと、ただひたすらに戦いつづけた。
人類のため、平和のため、救いのため。
私の存在意義は人間を守ることだけだった。
この思想は私の脳裏に刷り込まれていた。
食霊とはこういうものだ。
戦いこそ食霊の本質なんだ。
何度も自分に言い聞かせた。
いつからだろう、それを繰り返すうちに疲れ果て、やがて考える事を諦めた。
存在意義を見失い、ただの道具のように生きていた。
勝利にさえも、喜びを感じることはなくなっていた。
ただただ馬車に牽かれ、次の戦場へ向かうのみ。
彼らは言う、もっと多くの人々が苦しんでいるから、もっと多くの人々が救いを求めているから。
では私は?
私は、誰が救ってくれるのだろう?
Ⅱ 違和感
「もう、戦う必要はないと?」
私は医療所のベッドの上で、硬貨ほどの大きさの、ギルド司令部から手渡された勲章を掌で転がしながら、部屋の整理をする御侍様を呆然と見ていた。
「そうだよ」
御侍様は手元の資料を私に手渡した。
「東部防衛線は完成したし、対堕神防衛線も配置した。もう戦わなくていいんだよ」
御侍様は、今度は暖かいお茶を私に手渡し、感慨深そうに私に言った。
「これは、君のおかげだよ」
私の……おかげ。
手渡されたお茶に目を落とし、漠然とつぶやいた。
窓の外から伝わる、羽の羽ばたく音が私の注意を引いた。
そちらに目をやると、白い鳩が窓を横切った。その下には笑顔で働く人々の姿がある。
終わった……のですか?
新しい生活に期待を膨らませている人々を眺めた。
本来望んでいたはずの美しい光景だが、私の両手は強張っていた。
何か見たくないものを見たかのように。
手に持った湯飲みがひしひしと音を立てる。
それにひびが入ったその時、御侍様の声が私を制止した。
「終わったんだよ」
御侍様は優しく私の頭を撫でた。
「ゆっくりおやすみ、トックック」
戦いは終結した。
周りには堕神が到底超えられない防衛線が引かれている。
その情報を耳にした人々は家庭を作り、安心して暮らすことだろう。
なんと美しい光景だろう。
平和な未来が目前の手が届く場所にある。
私も英雄のように人々から慕われる。
これが、救いだろうか?
自分に問いかける。
笑顔の絶えない人々の中を歩く。しかし私はそこに安寧を感じることはない。ただあるのは……
距離。
私と彼ら……
相容れない距離があった。
* * *
退院から三日、ぼんやりと思考を巡らせながら街を歩く。
戦いは存在せず、望んだ光景が目の前にある。
なのにどうして、どうして……こんなにも心が晴れないのだろう?
不安な感情が私を疲弊させる。戦いのそれとは、また違った感情だ。
我慢できなくなった私は御侍様を訪ね、自身の思いを打ち明けた。
「何か、私にできることはありませんか?」
御侍様の手を握り、少しだけ恐怖を感じていた。
「君は……何もしなくても大丈夫だよ?」
御侍様は意味を理解できず、困惑した顔でこちらを見る。
「今の生活に慣れない?」
と御侍様は尋ねてくる。
「そうですね……少し」
「それなら、みんなの手伝いをしてみる?」
「手伝い、ですか」
「うん、おいで、トックック」
Ⅲ 旅立ち
「すみませんね、御侍さん。」
レストランのオーナーが、御侍様を前に申し訳なさそうに謝っている。
「うちのような小さなレストランじゃ、トックックさんには合わないかと……」
「そうですか……」
御侍様はどうしたものかと首を振り、残念そうに店長を送った。
これは私が働いた12店舗目だった。
御侍様が振り向いて私を見る。
想像していたようなお叱りはなかった。
逆に優しく私に上着を着せてくれた。
「行こう、お医者さんに診てもらおう」
* * *
私と御侍様は、医者に渡された診断書を見た。そこには幾つもの症状が記載されていた。
主な症状として悪夢、性格の変化、感情の分離、体の痺れ、失眠等。
怒りやすくなる、過度な警戒行動、記憶喪失と驚きやすくなるなどの症状が書き連ねられ、戦争神経症という文字まで目で追ったところで私は耐えきれず目を閉じた。
「ごめん。こんなに辛い状態だったなんて」
御侍様は大きく息を吐き、私の頭を撫でながら医者の話を聞いていた。
「では、私たちはどうすればいいんでしょうか?」
「それが……」
予想外の回答が医者の口から出た。
「この病の症状はわかるのですが、治療法はまだ……」
医者は少し考えるように黙り込むと、何か思いついたようで、笑顔で私たちに言った。
「大陸に行ってみてはどうでしょう。もっとも医療が進んでいる大陸であれば、あるいは……」
「決めた?光耀大陸に行く事」
門の外に立ち、御侍様は何かを言いたげだったが、少し迷って、結局その言葉は口に出せなかった。
「わかってると思うけど、ついて行く事ができないんだ。こっちにはあまりに多くの……」
「わかっています」
私は御侍様の言葉を途中で遮った。
御侍様はしばらくただただ私を見ていた。
「ごめんね」
「大丈夫です」
「……待ってるからね」
Ⅳ 分析
結局、私の存在意義はなんだろう。
旅の途中、人々の姿を見ながら、何度も自分に問いかけた。
もともと私の中には戦いしかなかったはずだ。
“何もしなくていい、ゆっくり休むといいよ"なんて……
私は勲章を触りながら考えた。
そして……
力強くそれを砕いた。
“違う……私の存在意義、それは戦いであるはずだ。”
“何も考えず、道具として戦い続ければいい。”
自分にそう言い聞かせた。
こんな状態のまま、私は医者からもらった住所に着いた。
「太雲観」と大きく書かれた看板の前に立つ。道教における一派であるという。
道主は、私の経緯を知らされていたようで、私と同じ場所から来たと言う女性と作業するように言った。
「安心してくださいね。あなたのどんな問題も、彼女が解決してくれますから」
到底信用できなかったが、ひとまずビビンバと名乗る女性について行く事にした。
彼女と作業を共にする中で、少しずつ彼女のことも知った。
だからと言って……
こんなことに何の意味が……
毎日日々の仕事をこなし、平和で穏やかな生活を送っているようだった。
ある時、木の下で本を読むビビンバを見つけた。木の枝を傾けて彼女の顔を見る。
「私は、こんな毎日を繰り返していて、一体何の意味があるのでしょうか」
ついにその疑問を口にすると、ビビンバは本を閉じた。
「あなたの病を癒すのです」
「病?」
言葉にならないモヤモヤとした感情が込み上げ、顔を強張らせる。
「戦争神経症、という病なのでしょう?」
「それは私を人間として見た場合です」
私は手を伸ばし、彼女の本をつかんだ。
「そもそも、食霊は病気になんてならないはずです。そんな話は聞いたことがない。あなたもでしょう。食霊は、霊力の供給さえあれば消えはしない。人間と食霊は異なるなら、食霊も人間であるはずがないんだ」
熱くなった私を遮るように、ビビンバの手が私の手に被さった。
「私たちは何のために存在していると思いますか?」
「……」
「戦いだけが全て?ひたすらに戦い続け、人類を守ることだけが、食霊の存在意義でしょうか?」
「トックックさん」
「……」
「食霊は、人間の道具ではありません」
私は目を見開いた。思いがけないものを見るかのように。
「あなたに何があったか、知る由はありません。ただ私の知る限り、ほとんどの食霊は、戦いの中で生きてきました」
ビビンバは手を伸ばし私の頬を撫でる。
「でも、戦いを経て戦争神経症にかかった食霊なんて、聞いたことがない」
「苦労したことでしょう」
「ずっと戦いの中に身を置いて、大変だったでしょう?」
「でもね、戦いだけに意義があるわけじゃないの」
話しながら手元の本を開き、真剣な顔で私に言った。
「読書は迷いを払う。そのために私は本を読む」
「あなたが普段している作業は、道主たちの修行の助けになります。だからこそ働く」
話しながら、彼女は手を私の頭に置く。
「私たちは、毎日を楽しく生きるために努力し、その努力が、誰かの助けになっていく。そんな生活が、戦争の影を照らしてくれる。これも一つの生きる意義と言えるでしょ」
そう言って彼女は立ち上がった。ゆっくりとその場から立ち去り、少しこちらを見て微笑んだ。
「理解が難しいなら、あまり考えすぎないことですよ」
“どんな事にも意義はある。誰にとっても、いついかなる時も、それを決めるのは私たちだ”
離れて行く彼女の背中を見送ると、私は彼女が置いていった本の開かれた頁を、小さく声を上げて読んだ。
Ⅴ トックック
それは昔々、桜の島での物語。
それは堕神が暴れ周り、食霊が生まれたばかりの頃。
多くの人々が脅威に晒されていた。
一人の御侍が立ち上がり、食霊を連れて各地で戦っていた。
戦いの日々は永遠のようにも思えた。
傷ついた人々は恐怖に追われ、自身の命を守る事に精一杯だった。
ただ生まれたばかりのその食霊が感じる事ができたのは、戦いと、 それに慌てふためく人間の一面だけだった。
我に返った人々が、感謝の気持ちを表そうとしても、食霊にはそれに応える時間すらない。
なぜならすぐさま次の戦場へ向かわなければならないから。
だが食霊は道具ではない。彼らも疲弊する。
御侍様はそれに気付いていても、それを労う時間もない。
なぜなら時間は人を待たないから。堕神は人を待たないから。
彼はただ少しでも早くこの状況を終わらせたかった。
次こそ、次こそは。
毎回慌ただしい旅の最中に、眠っている食霊を見て、御侍様は言い聞かせるように自分に言う。
もうすぐ終わるのだと。
幸か不幸か、現実はその通りに全てが終わった。
だがそれでも、食霊の心は元には戻らなかった。
戦いが終わり、御侍とその食霊は相応の勲章を手に入れた。
料理御侍はそのようなものの価値など分からなかった、ただ自分が持ち得る全てを食霊に与えた。
平和な生活、高い地位。
だがそれでも問題は解決を見なかった。
挙句に食霊自身でさえ自信が望む事がわからなくなり、彼はただ戦いの衝動にかられ、埋まらない虚無感が残っていた。
その答えを求めて旅に出るまでは。
光耀大陸の道教の寺院。
食霊は彼に暖かさを与えるもう一人の食霊と出会う。
彼女は心が傷付いた原因と、その治し方を説いてくれた。
彼女から生活の美しさ、生きる意味、追い求めるべきものを教わった。
そして最も大切なことは、彼女は彼に共にいる温もりを与えた。
分からせてくれた、どんなものでもその意義が死であるはずがない、変わらない意義などないと。
無理をする必要なんてない、過ごしてきた日々が自ずと自身に良き定義と意義を与える。
ただ何かをなせば、 ただ誰かに変化をもたらせたなら、それがどんなことだろうと、どんな生活だろうと意義がある。
彼女の手助けもあり、食霊は太雲観での生活に慣れ始めた。
彼は以前にはできなかった多くのことを学んだ。
そして、ひとつの憧れが芽生えた。
彼が太雲観を出るときー
彼はもう生きる意味を見出せず、憤怒にくれていた“病人”ではなく、愛を知り、愛を与え合うことのできる穏やかな食霊になれただろうか。
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