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胡桃粥・エピソード

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作成者: 時雨
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胡桃粥のエピソード

虚弱体質、優しい、非常に聡明で頭が切れる。体が弱いため、薬ばかり飲んでいるが、東籬の中で瑪瑙つみれと本気で戦える食霊。普段は誰にでも優しく笑顔でいるが、瑪瑙つみれと一緒にいる時だけは怒りが爆発する。

Ⅰ.人として


「玉京に行くだと?死に急ぎたいのか?」

「玄武の補佐か?フンッ、あいつは自分のために無駄死する人が足りなくて困ってるだろうに。本当にやつの福の神だなお前は……」


「はぁ…若僧よ、悪いことは言わん……今の玉京は収拾がつかない状況だ。行くのはよした方がいい!」


これを聞いて私は思わずハッとした。仕方なく笑顔で私に道を尋ねられた農民に拱手の礼をした。


農民はただ首を振り、天秤棒を担いで家の方へ帰っていった。田舎の暖かい風景に包まれ、格段と平穏で心地よかった。


私の心の中は反って切なさに襲われた。


道中、玉京に対する避難と嫌悪は嫌というほど聞かされた。玉京に来たことはなかったが、千年に渡り存在する古城は、さぞ興隆した太平の地であろうことか、今となっては人々に容赦ない批判を受ける地獄と化していた。


したがって、私は自分の生まれ故郷が意外にも玉京周辺だったことを考えたこともなく、逆に背馳する結果となった。


突然、数ヶ月前に見た光景が頭をよぎった──


破損した色とりどりの旗は黄土の中に半分埋もれており、憔悴した母親はまだ襁褓の中の赤ん坊を抱きかかえて壁の隅に縮こまっていた。実家の屋舎戦の巻き添えになって長い時間をかけて灰と化すのを目の当たりにした。


泣き声が止むことはなく、人々が四方へ逃げ回る中、兵士だけが凶悪の形相で武器を振り回し、暴力をもってこの地を制したことを語っていた……


当時の私は弱い身体を引きずっても、ようやく一人の老婆を地面から起こせるほどだった。


「ありがとうございます……ですが私のような老いぼれは、既に棺おけに片足を突っ込んでいる状態な上、だんなが命がけで助ける価値はないのです……どうか夫の書籍だけは持って行ってくださいますか……」


「この中には史書がいくつかあり、近年の戦乱も記載されています。今となっては、収容できなくなりましたが……どうか、だんな、この書籍を大切にしてくれる人を見つけてくれないだろうか……」


無意識に書籍を受け取ると、彼女はホッとしたように微笑み、部屋の中へまた入り、扉を閉めた。数十年もの記憶が満載した孤独な部屋と共に死を迎える準備ができているようだった。


私は一層取留ないと感じた。これほど大きな光耀大陸に、一箱の本も収容できないというのか?


光耀大陸は光に眷顧された大陸だと言うのに、王宮や玉京がなければ、このような良心のかけらもないことは起きなかっただろう。


もし私が玉京で官につくことがあれば、絶対に光耀大陸のどこかでこのようなことは起こさせない!


これが……これが玉京だったのか……


まるで鬱結した気が胸元で盤踞し、私は思わず力が抜けてしまい、隣の石の腰掛けの上に尻もちをついた。もし玉京が泰平の世であるなら、私は自分なりの統治論を貫き、陰陽を燮理すだろう。だが、時まさに戦乱、この病弱な体では我が身さえ救えないのに、どうやって人を助けると言うんだ。


あの日の泣き叫ぶ声が再び耳元で鳴り響き、そしてこれまでに無いくらいはっきりと……気持ちとは裏腹に力不足で、無力な自分に腹を立てることしかできなかった。


……何ができるか、また何ができないのか、どちらにせよ何もせずにただ周りを咎め、感傷に浸っていては何も変わらない。


こうして考えると、私は再び立ち上がり、気を取り直して、来た道を辿り玉京に帰ることにした。


だが思いもよらない事態が……


「お、堕神だ!たすけてーー!!」


日は暮れていたが、田舎の小道には珍しく人跡があった。雷のような叫び声がした後、私は考えもせずに声がする方へ向かった。


鬱蒼とした絡み合った低木をかき分けると、やはり一人の婦人が逃げ遅れて、堕神に地面に押さえつけられていた。


食霊でありながら、堕神を前にして施すすべがないようでは話にもならない。


そうは言っても、私は石を使って堕神の気を引くことしかできなかった。堕神を自分の方へ引き寄せ、夫人が逃げる隙を作ることしか。


「はっ!こりゃあラッキーだぜ、人間10人分に相当する食霊のご馳走にありつけるとは!ふ〜ん、お前の霊力は少し弱いけど、あの老女よりはましか。でも頭は良くないみたいだな、俺に勝てないと分かっているのに、自らお出ましになるとは。ハハハーー」


私の胸元を踏みつける堕神の顔は憎たらしくて、横暴な様子には嫌悪感すら覚えた。私は不快そうに目をそらし、無意識に背後の本箱を守った。


「何を大事そうに隠してるんだ?どれ?……俺に見せてみろ。古本だと?もうすぐ俺に食べられるのに、こんなガラクタ守ってどうすんだ?」


「触るな!これはガラクタなんかじゃない!」


「ハハハーーならこれから本当のガラクタにしてやる!!」


そういうと、堕神は私の背後の本箱から半分飛び出た蔵書に鋭い爪を伸ばした。


彼は己の腹を満たすだけに殺戮を続けているわけではなく、人が大切にしている物を壊して、己の変態性を満たしているだけなのだ。


それは、百姓を侮辱する兵士どもと何ら変わりはなく……許しがたい。


カチャッ


私は堕神の驚愕と怒りに満ちた目を見つめ、手にはしっかりと隙を見計らい彼の口に差し込んだ筆を握りしめ、無理して笑顔を作った。


「人類の英知をかき集めた値のつけようのない宝を、このような未開な無骨者に隙にされてたまるか……」


「死んでも渡すもんか!」


Ⅱ.臣として


堕神の悲鳴は切れる斧のように、私の耳から頭までつんざいた。


私は一瞬眩暈に襲われ、持っていた筆がぽきんと割れる音と、体の上に血が滴り落ちてるような気がした……おそらく堕神が怒り狂って筆を噛みちぎったのだろう……


堕神を怒らせたのは明らかにいい作戦ではなかったが、他に思いつく方法もなかったため、駄目もとでやってみるしかなかった。


ただ、蔵書とあの老夫婦たちには申し訳ないことをした。最後の願いを叶えてやることができなかった……


ドン。


想像してた痛みがやって来ることはなく、代わりに何かが私の懐に落ちてきた。


眩暈がだんだん収まり、やっとのことで目の焦点を合わせることができた時、ようやく懐に落ちていた物が見えたーーそれは堕神の首だった。


私が気づく間もなく、一本の足が私の視界に入って来た。あの丸い物を鞠を蹴るように蹴り飛ばしていた。


「大丈夫か?」


ぼんやりと見上げると、そこには一人の白髪の女性が心配そうに私を見ていた。その血のような赤い瞳はとても艶めかしくて美しく、その上不気味でもなく、どこか懐かしい感じがした……


「本……」


「うん?」


「本に!血が着いてしまった……」


私はようやく気を取り戻すと、地面に散乱していた本に飛びついた。あんな汚い物の血で汚された本たちが本当に可哀そうだった……


悲鳴がなってしばらくして、驚いた私はようやく先ほど取った行動が不謹慎なことに気づき、急いで起き上がり、その女性にお礼を言った。


彼女の名前は瑪瑙つみれと言って、私と同じ食霊で、霊力がとても強かった。私が玉京に行くことを知った彼女は、道案内を買って出た。


これ以上彼女に迷惑はかけたくなかったが、今の体の状況ではのんびりもしていられなかったので、早く玉京に向かった方がいいと判断した。何と言っても、玉京では苦戦が待ち受けているかもしれなかったからだ……


こうして瑪瑙つみれに着いて行く道中は心配事が重なり、そのせいで見たことのない村に到着するまで気づかなかったーー彼女は私を玉京に連れていく気などないことに。


私の疑惑を前に、彼女は少しもソワソワした様子はなく、逆に堂々としていた……


「玉京に行ってどうする?位の高い大臣になって、栄耀栄華を極めたいのか?」


「そんなことなど思っていません!私はただ、光耀大陸を良くしようと……」


「ならばここにいるべきだ。」


私はすぐに彼女の言ってる意味が分かった。


確かに、ぬかるんだ土の上にれんがを敷きつめることも、光耀大陸を良くすることだ。玉京だけが壮図を実現できるとは限らない。だが……


「根本的に問題を解決しない限り、例え光耀大陸全体が平坦な道ばかりでも、百姓は依然として気楽な生活を送ることができない。事の根源を明らかにするには、急所を突くことが必要で、やはり玉京に行かなくてはならない……」

「高官になるには、名利をはかろうとせず、民のために尽くさなくてはならない。」


「世界を一つにするために、ここで出来ることをしよう。」


「これは……」


私は思わず辺りを見回した。目に及ぶ所は草木がしおれた物寂しい風景で、人は少なく、零落れていた。それゆえ「離郷」と呼ばれたこの地で、どうやって「天下」を統一すればいいのだろう?


瑪瑙つみれはとっくに私の考えを見透かしていたようだったが、それでも誠意をもって笑顔で私に手を差し伸べてくれた。


「お前が私の丞相になればよい!」


「……娘さん、さっき言ったことは聞かなかったことにして差し上げましょう……」


「女に二言はない!」


「……!娘さん!」


私がいつまでも彼女の伸ばした手を取らないのを見ると、瑪瑙つみれはいっそのこと私を引っ張った。


「お前のような頑固なやつを説得するには、もう少し時間がかかりそうだ。いくぞ、部屋の中について来い、ゆっくり話そう!」


瑪瑙つみれの力は凄まじく、私は抵抗すらできなかった。彼女に引っ張られるがままに部屋の中へ入り、扉を閉められ、そして一つの茶碗を渡された。


「……娘さん、無駄なことはおやめください。ここは光耀大陸の東南の辺境です。内憂外患の状態にあり、光耀大陸全体を治めるには位置的に不向きです……それに私の心は決まっています。」


「玉京の位置は良かったが、光耀大陸を治められてないぞ?」


「……」



彼女の一言で私は何も言い返せなくなった。特に、玉京の混沌した状況を目の当たりにしてからはなおさらだった。


「で、でもここはただの辺地の村落ですよ、丞相など必要ないのでは……」


「森羅万象は全て無から有が生まれた物だ。村落だって都市に生まれ変われる、都市も国家になりえる……時間と精力を費やすけどな。なんだ?お前は苦しみに耐えられない人なのか?」


「ここで国家を建設されるおつもりですか?それに玉京に代わって天下統一をするのですか?それは玉京に対抗するということですよ……戦争が、光耀大陸を良くできるとは思えません。」


「誰が戦争をするだって?例え玉京がそのつもりでも、私は一騎当千できるほどの力を持っている。兵力を消耗することはない。私たちは資金調達と難民救助にまわるまでだ。その時が来れば、財力も労働力も玉京を遥かに上回っているだろう。そして玉京は私に和解を申し出るしかなくなるのだ……」


瑪瑙つみれは片足でイスを踏みつけ、言葉遣いは少し荒く、若気の至りと活気に満ちていて、熱く語るその様子に私は驚かされた。


「辺境でもデメリットばかりではない、外国が絶対に災いをもたらすとも限らないだろ?彼らと手を組むこともできるんだ。これは玉京では受けられない待遇なんだぞ!」


「こうして時が経つと、玉京は小さな副都に変わっていくんだ!」


彼女の伝染力のある言葉を聞いて私は思わず服の袖を握りしめて、悔しそうに続けてこう聞いた。


「時がしばらく経つなんてレベルじゃない……大幅に時間を費やす必要がありますよ。」


「聞き捨てならんな、お前と私は食霊だ、時間はいくらでもあるだろ?」


瑪瑙つみれは眉を顰めた後、にっこり笑い、その姿は雨上がりの後のように麗しかった。


「他に疑問はないようだな……そうだろ、私の丞相?」


Ⅲ.臣の身


実際のところ、瑪瑙つみれの言ってることは奇想天外の幻想に過ぎなかった。よく考えれば分かることだが、そこにはいくつもの困難が立ちはばかり、そんな簡単に行くはずがないのだ。


誰がこの美しい夢物語を拒絶できるというのだろう?


「一箱の書物のために、命を投げ出すようなバカげたことはもうしなくなった。『菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る』、私の国は、民のためにある。」


「……分かりました。」


「私の丞相になることが光耀大陸を良くすることに繋がるのだ。私は他の皇帝とは違う。私は……うん?なんか言ったか?」


私が先ほど何かを言ったことに気づき、とどめなく喋っていた瑪瑙つみれは突然静かになった。


彼女は興奮しながら私を見ていて、その無邪気な表情に笑わされた。


「分かりましたと言ったのですよ。もちろん、陛下が後悔したのなら、それがしはここを離れるまでです。」


「同意をしたのなら、離れることは許さんぞ。」


彼女は朗らかな笑顔を見せ、満足そうに部屋に入ってからやっと一口目の水を飲んだ。私はやっと初めて会った命の恩人と、一晩中論駁していたことに気づいた。


「ふう……私が嫌というなら、陛下も無理に引き留められないでしょう。私に自らの意思で陛下の補佐を務めさせたいのであれば、一つだけ条件があります。」


「陛下陛下って連呼するでない、変だ……一つだけとは言わず、百千の条件も叶えてやろう。」


「分かりました……丞相に就任します。今後政治に関しては、すべて私の言う通りに進めてください。」


「もちろんだ!」


瑪瑙つみれの爽快な返事に私は驚いた。


本当は彼女を試したかっただけだったのに、まさか……本当に私に全部託してくるとは……


だが名君のフリをしているだけの可能性もある。

私を騙してこき使うまで……


時が久しくなれば人の心が分かる。


考えがまとまった私は、わざとしたり顔で瑪瑙つみれに微笑みかけた。


「それがしが受けた最初の使命は、『国名』の変更です。『離郷』は縁起が悪く、『郷』も陛下の遠大な偉業とは比になりません。私は陛下が先ほど吟じた詩がとても気にいりました。いっそのこと……国名を『東籬』と名付けてはいかがでしょうか?」


「東籬……葦垣の葦か?少し野暮ったくないか?」


「俗っぽさも極限まで行くと大雅なものになるのですよ。陛下がもとより望んでいる民のための政治が、この『俗』とまさに共通しているのではないでしょう?」


「うむ、確かに、ではお前に言うようにしよう!」


瑪瑙つみれの満足そうな表情を見て、私は思わず更に笑いを浮かべてしまった。


いずれにせよ、全てはまだ始まったばかりだった。


どこまでも続く草原は青々と茂り、その上には白い綿のようなものがたくさん点在していたーーそれは金髓煎が育てた羊の群れだった。


瑪瑙つみれは、悠々自適な牛と羊たちを見て、満足そうな笑みを浮かべた。私はわざと眉をひそめた。


「あなた一人でこれだけの牛と羊を育てるのは大変です。毎日の見回りの仕事もありますし、時間が長くなると手に負えなくなるかもしれないので、家畜飼育に興味がある百姓に分けてやってはどうですか。」


金髓煎は一瞬唖然として、瑪瑙つみれが反対する様子がないのを確認すると、拱手をしてこう答えた。


「……はい。」


彼が名残を惜しそうにしているのを見て、私は急いで付け加えた。


「これらの牛と羊は陛下があなたに託した物だということは知っています。下賜されたも同然です。ですが……これも東籬のためなので。」


「分かってる……」


そう言い残すと、金髓煎は送り出す牛と羊を選びに向かった。恨み言はないようだった。


彼の瑪瑙つみれに対する忠誠心がこうも強いとは……わざと彼を挑発し、二人の間にくさびを打ち込む方法は諦めて、他の方法を考えなくてはいけないな……


「今の東籬はまさに捲土重来を期する時であり、寺の再建は後回しにして、堤防の修理に回ることが最優先です。」


寺の再建に回っていた老若男女は、手を止めて顔を見合わせた。


「で、ですがこれは陛下のために作られたもので、既に工程の半分は終わっています。今停めてしまっては……」


「寺は本来、天と地、日と月、山と川、祖先と国を崇拝するためにあり、ご健在な陛下をわざわざ呪い急ぐ必要はないでしょう。」


「……」


全員が一瞬言葉を失った。彼らは当然、瑪瑙つみれが祖先ではないこと、そして東籬の天地日月であることを知っている。それがどうして彼女を呪うことになるのだろうか?


しかし……


「何ボーっとしてるんだ?丞相の言う通りにしないか。」


瑪瑙つみれが手を振りかざすと、皆は疑惑を胸に抱いたまま、声を挙げてそれぞれ散らばっていった。


彼女はそれを見てまた笑ったが、私は笑えなかった。


古来より王家は代々非情であると言われている……だが私の陛下には禁忌すらないというのか?彼女の逆鱗すら見つけられないのでは、どう反抗すればいいのだろうか。


「なあ、胡桃粥……」


私はただ頭を下げ、瑪瑙つみれが背後から私を呼び止めるまで、ずっと考えこんでいた。


フンっ、やはりな。大臣に好き勝手やられて黙っている皇帝などいるわけがない。彼女が少しでも嫌悪する様子を見せたら、私は丞相の位を返上して離れることができる。


内心ほくそ笑んでいたが、顔には出さなかった。私はわざとらしく不可解な面持ちで聞いた。


「どうしましたか、陛下もあの寺が東籬で今一番重要なことだと思いますか?」


「うん?何の寺だ?」


「……でなければどうして呼び止めたのです?」


「ああ、お前が奴らから不当な扱いを受けて、また気を失ってしまうのではないか心配で……安心しろ、今後皆には丞相の話は疑わずに従えと伝えておく。」


「あなた……あなたこそが東籬の主ですよ。私があなたの国にあれこれと口出しをしているのに、なんとも……思わないんですか?」


「気にするわけないだろ!むしろ、お前が反対を唱えれば唱えるほどよい。」


彼女の笑顔は、草原の風より自由気ままだった。


「お前が反対を唱えることで、東籬のために尽くしていることを証明できるからな。私のためではなく……これこそが心を一つにすることではないか!」


「………………陛下。」


「どうした?おい!私はまだ死んでいないぞ、何を跪いておるのだ?!」


「それがしは罪を犯してしまいました。ですが、この日を持って、生きている時は身を挺して朝廷に仕え、死ぬ時は草輪を結んで陛下のご恩に報い、そして東籬のためには命など惜しみませぬ……」


私はあの美しい血の色の瞳をのぞき込み、この誓いが強風に飛散されないよう、一字一句全力を尽くして発した。


「国に身を捧げ、命を投げ出す覚悟でいます。」


Ⅳ.君主の臣下


瑪瑙つみれがまたいなくなったのですか?どこに行ったのです?」


「えっと……あっ、多分、見回りだろ。」


金髄煎は鼻を触って、視線をそらした。


明らかに嘘をついてる。


少し不満だったが、私は笑顔を作って、とぼけてこう聞いた。


「今日はあなたが見回りをする番なのでは?」


「か、彼女が心配だからと言って、それに二人の方が速いって……」


でたらめに決まってる。瑪瑙つみれは数日前に、見回り程度の仕事を食霊二人にさせていては、示しがつかないと言っていた。


隠れてコソコソするとは、この二人は一体何を企んでるんだ……


ここまで考えると、私はわざと悩んだ様子でため息をついた。


「はぁ、どうしましょう……これらの上奏文を今すぐにでも目を通してもらわないといけないのに。早く決断をしてもらわなくては……」


「そんなに急いでるのか?」


「ええ、昨日の内には片付けておかなきゃいけなかったのに、私の体調不良のせいで……これは困りましたね。」


「そんなに急いでるのであれば、探してくるよ。」


「どこにいるか知っているんですね?」


「まあ、見回りの場所は数か所しかないからな……」


「なるほど、では私も一緒に連れて行って下さい。」


「えっ?」


予想もしなかった事態に、金髄煎は一瞬唖然として途方に暮れた。私もただ笑顔で彼を見つめ、一歩も譲ろうとはしなかった。


「いいだろう……」


金髄煎は仕方なく私を馬の上まで引っ張ると、東籬の郊外をブラブラし始めた。


「陛下はここにはいないようだ。」


「もしかしたら……先に戻っているのかもしれない。俺たちも戻ろう……」


彼が話し終わる前に、そう遠くない所から馬の足音が聞こえた。


「あれは確か東籬を出る方向ですね。」


「……」


金髄煎が言い訳を考える前に、馬に乗った瑪瑙つみれが私たちの前に現れた。


「お前ら何でここにいるんだ?」


「私は金髄煎と一緒に見回りをしていました。陛下こそどうして東籬を出られるのです?辺境で何かありましたか?」


「辺境?いや、外で張千を見たという情報が入ったから見に行ったが、結局違った。」


金髄煎瑪瑙つみれを見るなり、頭を下げて喋らなくなった。彼女はかえって急ぎよく、何も隠さず教えてくれた……


「そうか、お前はまだ張千を知らなかったな、彼は……」


「陶舞さんからお聞きしたことがあります。あなたたちは西荒時代からの旧友で、長い間行方不明になっていることも……」


私は笑顔を作っていたが、声は抑えきれないほど震えていた。


「ということは、陛下が私を東籬に留めておく理由は、政治をほったらかしにして、暇を持て余して張千を探しに行くためだったのですか?」


瑪瑙つみれは一見粗野奔放に見えて、実はよくできた人間で、すぐ私の気持ちを察し、顔色を変えて馬から飛び降りた。


だが彼女が私の前まで歩いてくる前に、馬に乗った人が慌てて駆け寄って来た。


「報告です!伏蛇関から伝書鳩が届きました!要塞は昨日より撃破されました!敵軍が更に東に向かってくる様子はないようですが……」


「どこから湧き出た兵だ?玉京か?それとも戍衛郡か?」


「ぜ、全部違います……弾丸という無名な小さな国です……」


その言葉を聞いただけで頭に血がのぼり、眩暈がして、何か言おうと口を開いたが、咳き込むだけだった。


「フンっ……いい度胸してるじゃないか、よくもまあ東籬まで攻めてくれたな……金髄煎、丞相を連れ帰って休ませておけ、私はちょっと行ってくる。」


「ひ、一人で向かってはなりませんゲホッゲホッゲホッ……少なくとも数十人を連れて……」


「わかった!」


そう言うと、瑪瑙つみれは馬に跨り、遠くなっていった。私はどんどん遠くなってゆく鉄色の影を見て、不安を募らせていた。


「先生、俺たちも戻ろう。」


「わかりました……」


住居に戻るなり、私は病気で倒れてしまった。


高熱により私は現実と夢の区別がつかなくなり、目の前には一時東籬の百姓の喜怒哀楽の姿が浮かんでは消え、次の瞬間には玉京の戦中で泣き叫び助けを求める百姓が浮かんでいた……


慌てふためく子供が山中に逃げ、見知らぬ少年は地面に倒れていて、死ぬまでひどい暴行を受けていた……


それから瑪瑙つみれの意気揚々と笑う姿が、炎のように熱く、風のように強く、その眩しい瞳が、次の瞬間、何者かに不意を突かれ、首が地面に落ちたのだった……


「瑪瑙……!」


「わっ!」


夢の中から驚いて目を覚ますと、見知らぬ女性が床の横に立っていて、彼女は先ほどの私の悲鳴に驚いて固まっていた。手には濡れた手ぬぐいを持っていて、私の額の汗を拭いてくれていたようだった。


「あなたは……どなたです?」


「あっ!あたしは荷葉鳳脯瑪瑙つみれからあなたの世話をするように頼まれてここにいるの……彼女を探しているの?もうすぐ帰ってくると思うから。」


「彼女……それより!敵軍ゲホッゲホッ……」


「ちょっと、そんなに慌てないで、ほら横になって……敵軍なんかいないよ、瑪瑙つみれが全部片付けたんだ!」


荷葉鳳脯はそういうと私を抑えて横にならせた。力加減は……瑪瑙つみれにも負けないほどだった。


「片付けたですと?彼女は無事なんですか?」


「ケガのこと?誰も彼女に傷一つすら付けられないよ!皆彼女を見ただけで怖気づいて動けなくなったんだから!」


「娘さん……どうしてそこまで知っているのですか?」


「私がその敵軍の将軍だからだよ!いや違う、今はもう東籬の人だよ!」


……瑪瑙つみれがこうも簡単に敵軍を圧制し、その大将をも仲間に取り入れるとは……私はというと、病床に伏すことしかできなかった。


「うん……この足音は……瑪瑙つみれが帰って来たに違いない!」


荷葉鳳脯が入り口を見渡すと、扉は足で蹴り開けられ、瑪瑙つみれが肩に一人の男性を担いで、慌ただしく駆け寄ってくるのが見えた。


「目を覚ましたのか?ちょうどよい、早く医者に脈を診ってもらえ!」


瑪瑙つみれは嬉しそうに言うと、彼女が「医者」と言っていた男性が雁字搦めに縛られた状態で、彼女の肩から床前の椅子に下ろされた。


男性は瑪瑙つみれを睨み付け、封じられた口では何かブツブツ言っていた。見て分かる通り、自分の意志でここに来ていなかった。


「これは……一体どういうことですか……」


「お前の病気を治すためだろ!お前は東籬の宝だからな、いつまでも病気に蝕まれていてはいけないだろ?こいつは最近東籬のあちこちで霊草を探し回っている香薷飲だ。毒を作ることに長けている。医術も少しは精通している。お前を治してもらうまでここにいてもらう。」


「私は……陛下がここまでするに値しません……」


これを聞いて、彼女も以前私との間に生じた不和を思い出し、態度を改めて言った。


「最近、お前が東籬を統治するようになってから確かに大変だったし、つらい思いもさせた。私も確かに手のつけようがない仕事をお前に放り投げていて、私情にとらわれて身勝手なふるまいをした……」


「でも私は心から、一国の主は、大局を念頭に置くことだけではなく、全ての民を守るべきだと思っている。全ての民だ!人一人守れないようでは、東籬の幾千幾万の百姓をどうやって守るというのだ。」


「張千がそうであるように、お前もそうだ。だからこそ、張千は絶対に見つけなくてはならないし、お前も治してもらわないといけないのだ。」


彼女はそう言って、縛られた男性の肩を叩いた後、私の手を握りしめた。半分脅しながら、半分笑っていた。


「お前の命はこれから私が決める、私の命令がなければ、お前に万一のことがあるなんてことは許さん!」


Ⅴ.胡桃粥


光耀大陸には四聖獣が存在する。中にも白虎は西昧族に推戴され、西部の辺境に座して擁する。


西疆の天候は悪く、長期にわたる干ばつと、民の困窮により塗炭の苦しみをなめる日々が続き、人々が神君信仰を放棄する西荒が出来上がった。


こんな時に玄武が民から資金を調達し山河陣を作ったため、民から嫌われた。西昧族は逸早く窮地から抜け出すため、神君交替前に軍を率いて玉京へ向かった。


糧秣と兵力を集めるためなら、西昧族は我が子さえも売り払い、背水の陣を敷いた。


売り出された子供の中には、両親がいないため、瑪瑙つみれに引き取られた張千がいた。


張千は瑪瑙つみれの耳に慣れ目に染まり、大義をわきまえ、勇気はあるが思慮に欠けていたため、同行していた子供を人さらいから救う際、死闘を繰り広げた挙句、命を落とした。


取っ組み合い中、一つの胡桃が彼の懐から落ちた。それは彼が生前最も大事にしていた物だった。ちょうどよく出来たばかりの山河陣の上に止まった。


その胡桃は張千が死に面した時、彼の平和を望む心を託した形として生まれ、周りにいる者に共鳴を引き起こした。


こうして、光耀大陸の泰平のために生涯を尽くす胡桃粥が誕生した。


香薷飲は縛られて痛くなった腕を揉み解し、不快そうに横になっている青白い顔の胡桃粥を睨んだ。


どう見ても病気がちなやつだ。でもまだ病膏肓(※病気がひどくなり、治療しようもない状態。)に入ってはいない。こんな大げさに誘拐しなくてもいいだろ?


彼は悪態をつかずにはいられないようで、胡桃粥を治療する気などなかった。結局のところ、彼には医者の心など持ち合わせていなかったからだ。


ただ背後でじっと自分のことを見つめる女が怖かったから、逃げるためには何としてでも彼女にどっかに行ってもらわないといけなかった……


香薷飲はとっさに機転を利かし、策を思いついた。


「ふむ、この病を治すのは難しい……」


「当たり前だろ、簡単に治せるならお前に用はない。」


「……治すのもそう難しくない。ただ必要な薬草の入手がとても困難で、どこにも売っていない品なんだ。」


「どんな薬草だ?どこで見つかるんだ?言ってくれ。」


「言えばどんな薬草か分かるとでも言うのか?紙と筆を持ってきな、描いてやるよ。」


胡桃粥の部屋の紙と筆が一番多かったため、瑪瑙つみれはその辺から取って彼に渡した。一つ一つの変な形をした薬草が紙から浮かび上がり、最後には一枚の紙を埋め尽くしていた。それを見て彼女はもう一束の紙を彼に渡した。


「ほら、薬草の識別方法と生長環境も横に書いておいたぞ。この薬草たちだ、一つも欠けてはならないぞ。」


「わかった……鳳脯、ここは任せたぞ!」


胡桃粥が止めに入る前に、瑪瑙つみれは薬草が描かれた紙を持って飛び出した。


「おい、そこの小娘、お前もぼーっとしてないで、水を沸かして来い。」


「えっ?水を沸かしてどうするの?」


「治療だろ、医者の言うことが聞けないのか?」


「でも、瑪瑙つみれがここに残れって……」


「ほう、俺の言う通りにしないで、治療が遅れても俺のせいにするなよ。」


荷葉鳳脯はしばらくその場に留まり、どうしていいか分からなかった。


胡桃粥はその様子見てため息をつき、荷葉鳳脯を慰め、水を沸かすには、鍋を火の上に置いて帰ってくればいいと教えた。


荷葉鳳脯はやっと重荷を下ろしてほっとしたように、急いで水を沸かしに行った。


「ゲホッ、これでもう二人きりになりましたよ。言いたいことがあれば……どうぞ。」


香薷飲は少し驚いたが、続けて笑った。


「お前いい度胸してるな、こんな弱い体で俺と二人きりになろうとするとは。俺の言いたいことが聞きたいだけか?」


「推測するよりも、あなたの出方を見てから判断します……さすれば、自ずとあなたが望んでいることが分かるのですよ。」


「俺が望んでること?へへっ……あのじゃじゃ馬を騙し、数年かかっても見つかるはずがない薬草を探させて、その隙にお前を殺すことしかないだろ。あいつに無駄足をさせて、俺が訳も分からず誘拐された気を晴らすんだ!」


香薷飲はそう言いながら陰険な態度で胡桃粥に近づき、珍しい香りが放たれると、胡桃粥は頭痛に襲われた。


「ゲホッ……今私を殺してしまったら、あなたの体の毒は解かれませんよ。」


「毒だと?」


香薷飲は一瞬驚いたが、すぐにまたニヤニヤしだした。「嘘つくな、毒を盛ることは俺が最も得意とすることだぜ、自分の体内に毒が回っていたらすぐに気づく。」


「ふふっ……私が毒を操れる人の前でこんな下手な嘘をつくと思いますか?ただこの毒は珍しい毒でして、あなたはまだ感じ取れないだけです。」


「……」


胡桃粥は笑っていて、その胸中成竹な様子は、香薷飲を少し不安にさせた。


胡桃粥が毒を盛ったのは全くのはったりだった。

香薷飲も簡単に罠に引っかかるような人ではない。自分が毒を盛られるとは思わないだろう。彼も慎重なタイプのはず、自分の命をかけるようなことはしない。


この行動は非常に危険だった。胡桃粥と香薷飲は初対面なため、お互いの気性を知らない。うまく立ち回ろうとしてかえってしくじる可能性が大いにある。相手を激怒させてしまい共倒れもあり得るのだ。


幸いにも、最後に勝利を掴んだのは胡桃粥だった。


香薷飲は息を荒くして椅子に座り、得意げな表情をした胡桃粥を睨みつけた。しばらくして釈然と笑った。


「俺をここに残しても意味はないぞ、紙に描いたのは全部危険な場所ばかりだ、あのじゃじゃ馬がどれだけすごい力を持っていたとしても、半月足らずで帰ってこれるわけがない。それにもしかしたら……これのせいで黄泉の国に旅立ってしまうかもな。」


「……」


胡桃粥はようやく顔色を変えた。青白い唇を噛んだばかりに黒ずんだ赤色が点々としていた。

前から抱いていた不吉な予感が当たりそうになり、胸に鈍い痛みが走った。


一日。二日。三日。


香薷飲はとっくに自分が毒にかかってないことを知っていた。そして更に瑪瑙つみれが生きて戻ってくる可能性が低くなったことを確信すると、大胆に東籬に居坐り、彼らをあざ笑うために待っていた。


胡桃粥が諦めかけたその時、窓の外から慌ただしい馬の足跡が聞こえた。


瑪瑙つみれが帰って来た!」


一瞬、香薷飲は驚きのあまり椅子から落ちそうになり、持っていたグアズを地面にこぼしてしまった。荷葉鳳脯は立ちあがる時に汁椀を地面に落としたまま外へ走っていったため、甘い薬草の匂いをまき散らしていた。


胡桃粥は無理して床から起き上がり、長旅で疲れ果てているにもかかわらず、休む暇のなくこちらへ向かってくる瑪瑙つみれの傷だらけの顔と手を見て、涙が目にあふれた。


誰にも傷つけられない戦場の女神が、今は彼のために、役に立つかもわからない薬草を探しに、傷だらけになりながら駆けずり回っていた。


瑪瑙つみれは彼に笑いかけると、ものすごい勢いで三十六種類の薬草を一つも欠けることなく香薷飲の前にぽんと置いた。



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