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オペラ・エピソード

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オペラのエピソード

歌劇以外に興味がなく、それ以外のものはすべてどうでもいい。そのため、性格は非常にクール。喉の傷を恐れて大声で話すのが苦手。歌劇を歌っている時だけが彼の笑顔が見られる。心から歌劇を愛しており、確かな演技力と美しい声を持っている。本人はまだ努力を要しているが、実力ある歌劇役者である。

Ⅰ.出会い


オペラ、これはあなたのために作った人形です。けれど、この子はまだ私のそばにはおらず、ヴィヴィアンやリリアのようにあなたと話すことができないのです」

 私はスフレと言う名が書かれたカードを、テーブルの横に置かれた丸椅子に座り、静かに独唱する。

 観客は舞台の上の私が語る内容を理解しようと身を乗り出して耳を傾ける。

 私は手元のカードに視線を落とし、続きを語り始める。

「その話を聞いて私は、彼にその人形を返しました。すると彼は微かに笑んだ後、再びその人形を私に差し出した」

 手にした人形を掲げて私はその人形に目線を落とす。

「貴方は必要ないと思ったようですが、わたくしはやはりこの子はあなたと一緒にいるべきだと思います」

 私は手にした人形を舞台に置かれたテーブルの上にあった箱の中へとそっと置いた。

「ただ、ひとつ問題が。この人形にはまだ名前がありません。ずっと考えていましたが、良い名が思いつきません。オペラ、貴方なら何とこの子を名付けますか?」

 そして私は手を大きく広げて天を仰ぐ。

「私は他にもティーナと言う人形も作ったんです。彼女もオペラのように美しい子ですよ。

ティーナが生まれたとき、オペラに会えていたらよかったんですけど」

 観客にぐるりと一周視線を送り、私は再び丸椅子に腰を下ろした。

 そして、テーブルの上の箱に眠った人形を見つめ、そっとため息をついた。



 舞台が暗転する。

 私は既に立ち上がった状態で、胸元に手を置いて、観客に向かって語り出す。


「私がスフレという厄介な男とどのようにして知り合ったのか……それを説明するには、この劇団に来るまでのことをお話しなくてはなりません」


 私は舞台をゆっくりと歩き出す。カツカツと、靴の音が会場に響き渡った。


 その音が静寂を脅かす中で、私は再び役者の顔に戻った……。



***



 この歌劇団に来る前、私は別の劇団の公演に参加していました。


 入団当初、皆はすぐに私を受け入れてくれました。そして、私の歌を賞賛しました。


 ですが、それも時間が経つにつれ、違ったまなざしを向けられるようになりました。


 私の普段の態度には問題がありました。

 冷淡な目つき、冷たい態度、加えて普段から言葉が少ないこともあって、次第に団員たちは、私の演技を批判し始めました。


 私は他の人よりも才能があるわけではありません。


 最初は努力では補えない部分を批判されているのだろうと思いました。


 だが次第にそうではなく、自分には何か重要なものが欠けているのではないかと思うようになりました。


 私は、舞台劇以外に興味が持てず、ただただ目の前の舞台が最高の評価を受けられるように努めました。


 その結果、私は多くの人物を演じ、たくさんの観客から賞賛されました。


 そうした結果を得たというのに、私の心は落ち着くどころか余計に不安を募らせていきました。


『私は何が欠けていて、劇団の皆と仲良くなれないのか?』


 しかし、どれだけ思案しても答えは見つからない。


 仕方なく私は、他者からどのように見られようと、ステージで演技のできる機会を大切にしようと考えました。


 そうこうしているうちに、私にはまともな役がまわってこなくなってしまいました。


 そうなってはもう仕方がないです。文句を言ったところで、状況は変わらないでしょうしね。


 ですので私は、新たなチャンスを得るために新天地へと赴きました。



 そして新たな劇団にお世話になることになった私は、どれだけチャンスを掴めるかわからず、戦々恐々としていました。


 そんな私にできることは、一つ一つの公演を大切にこなすことです。


 その劇団で初めて演じたのは、ティナというお姫様の役です。


 私がこれまでに演じた他のキャラクターとは異なり、このお姫様は双子の姫でした。


 難役とは思いましたが、私は自分の技術を伸ばす役だと確信し、懸命に取り組みます。


 この双子の姫は、最初は仲良しの可愛らしい姉妹でした。


 けれど、妹はその王国の伝説となっていた魔獣と同じ兆候を見せた為、あるときから、皆の前に姿を現さなくなりました。


 そして、妹姫は悪魔の囁きに耳を傾けてしまい、真実を知る両親を殺め、彼女を愛した姉を投獄し、王位継承者としての身分を奪いました。


 玉座を手にした妹だったが、過度な振る舞いのために民の反感をかってしまいます。


 しかしそんな魔女の汚名を着せられ、裁かれたのは姉の方でした。


 この姉の死をきっかけに、悪魔に利用されたとわかった妹はその悪魔を殺します。


 ですが、最後に悪魔の血を浴びてしまった妹は悪魔の呪いを受けてしまうのでした。


 こうして不老不死となり、妹は時間にとらわれない永遠の孤独を得ました。

 その後、時間によって支配されてしまった本当の魔女になりました――



 この『時間罪歌』は珍しい話ではありませんでした。


 だから、かなりのお金をかけて公演されるには何か裏があるのだろう、とすぐに察しがつきました。


 実はこの劇団に対して権威のある公爵が、彼の妻のために作成した脚本とのことで、上映するために、多額の出資していると聞き及んでいます。


 更にそこにはひとつ、大きな嘘があったのです。


 それはこの脚本を書いたのが、公爵ではなかったという事実です。


 ――では一体誰が書いたのか?


 それもすぐわかりました。公爵に囲われていた公爵夫人が書かれた話でした。


 そんな曰く付きの公演でしたが――いや、だからこそ?この舞台の衣装、小道具、そして舞台装置まで、すべてが華美の極致を極めていました。


 世の中で人生は芝居のようなものだと言われています。しかし私は、どうしてかこの荒唐無稽な脚本に現実味を感じたのです。


 これが、私がこの双子姫を演じてみようと思った理由かもしれません。


 しかし、豪華なステージを要望し、お金に糸目をつけない公爵主催の舞台には、多くの人が歌劇の主役になりたがりました。


 その結果、私は劇場の裏路地で、嫉妬に駆られた人々に取り囲まれてしまいました。


「どいてください、君たちに手を出したくありません」

「ハッ!これだけの人数相手に何ができるよ?」


 彼らは私が食霊であることに気づいていないようでした。


 しかし、私は夜遅くまでリハーサルをしていたこともあり、疲労した状態でこんな無駄なことに時間を使いたくないと思いました。


 だから一秒も早くこの事態から逃れるために、私は身構える。彼らに怪我を負わせずにここから逃げ出せば――


「え?」


 そのときだった。路地の上から突然人影が舞い降りた。そして、周りの者たちを一瞥する。


「ええ?」


 一瞬の出来事だった。

 私を囲んでいた人たちが、次々と地面に倒れていく。


「貴方は――いったい」


 そしていよいよ最後の一人ものしてしまった。私はその場で呆けてしまう。


「……ん?誰だ、お前。何見てやがる!ぶちのめされてぇのかぁ!?」


 身なりの整った紳士然とした男だったが、その目は赤く光り、異様な雰囲気を醸し出している。


(この者は、いったい誰だ……?)


 唐突に現れた赤い瞳を剥き出しにしている人相の悪い男をゆっくりと見上げることしかできなかった。


Ⅱ.再会


「こんなとこでうろちょろしてる奴がいるとはなぁ……ククッ!まぁ俺の前に現れたのが運のツキだったな!」


 唐突に現れて、私の周りを取り囲んで詰め寄ってきていた男たちをのしてしまったこの青年――いったい誰なのだろうか?


 私は唖然としたまま、改めて青年をじっくり観察する。一見礼節を弁えているだろうと思わせる品の良い身なりをした男だが、口を開けばまるで違う、荒々しい口調で下卑た笑いを浮かべている。


「あ……」


 私は彼にいろいろ聞きたいと思い、声をあげる。だが、その言葉は最後まで言うことができなかった。


「あ~、悪いが、今は立て込んでてゆっくり話せねぇんだ」


 私を見て青年は含み笑いをして、スッと私に身を寄せて、耳元で静かに呟く。

「また近いうち会えるだろうぜ、ククッ!」



 彼の吐息と声が、私の耳にねっとりと残って、私は嫌な予感に掻き立てられる。身震いがして、慌てて私は彼を見上げる。


 するとその青年は、微かに口端を上げて、昂然と笑った。それと同時にクルリと背を向け、壁を蹴って塀の上へ飛び乗る。


 そのまま消えていく背中を見ながら、何故か私に奇妙な感覚を生み出した。それは興味か、はたまた恐怖か――わからないが、彼の軽快な動きと僅かに触れ合った瞬間に、私は暫くその場を動くことができなかった。



 私は普段、舞台に関係ない、こうした日常の出来事をあまり気に留めないようにしている。しかし、この日のことは、どうにも忘れることができなかった。


 それは、私の首の中心にある金色のト音記号の形に似ている紋様が関係している。


 その記号はまるで水が流れるかのように、私に様々な予感を知らしてくるが、それ以上のことは何もわからなかった。


 日常生活には影響しないが、他の人が気にかけないよう、普段は包帯で覆い、劇を演じる時だけ取り外していた。


 彼と会ったときはその部位が痛み、息が詰まってしまった。今も僅かな痛みであるが、継続的に痛みを発している。


 リハーサル時間が長すぎたことからくる疲れだろうか?

 そんなことを思いつつ、私は稽古に精を出した。



 その後、劇団の一部の人々に悩まされることもあったが、日常は比較的穏やかに過ごすことができた。

 だが、そんな日々が長く続くわけはない。その予感は的中し、一座の元に、公爵とその夫人がやってきた。


 私が彼らについて知っている情報は僅かしかない。

 公爵が歌劇を愛していること、普段はあまり外出しない公爵夫人も、彼女を題材とした今回の脚本に関心があるらしいことだ。


(誰が来ようが、私は全力で演じるのみ)


 私はいつも通り、舞台へと上がった。



「生と死のサイクルから、

 また貴方の夢を見た。

 塔には捕らえられた貴方はおらず、

 私は蝶でいっぱいの庭で

 アフタヌーンティーを飲むのです。

 夢の中で、私たちは笑い合い、

 夢の中で、私は蝶を捕まえ、

 そしてあなたを捕まえた……」


 これは、不老不死の呪縛にかかったティナ姫の最後のセリフです。

 言い終わる少し前に、ステージの最前席に座っている老いた男性と、その隣に青いドレスを着た金髪の女性の姿が目に入りました。

 これが今回のゲストである公爵とその夫人であることはすぐにわかったのです……。



 しかし、私が本当に気になっていたのは、豪華な公爵夫妻ではなく、公爵夫人の後ろに立っている、熱心な表情で私を見つめている者の存在でした。


 その青年の外観は、昨夜遅くに路地に現れた者と瓜二つだったのです……!


 そしてなぜだか、私が彼を見ると、フイと視線を逸らしました。


 ――同一人物なのでしょうか?


 あの時、青年の目は妖しく残酷な笑みを浮かべていました。けれど、今目の前にいる者はとても穏やかに見えています。昨晩の彼と関連付けることは難しいと思いました。


 これがもし別の者であったら、双子でしょう。いや、どう見ても、同一人物……そうとしか思えないほどそっくりでした。


 色々思案したものの、私はあまり考えすぎないように自分に言い聞かせた。


(今はお芝居の最中です。気を取られてはいけません……)



***




 リハーサルが終わり、団長が私の傍にやってきて、様子を伺っている。


「何か?」

「うむ……」


 団長は暫く考える仕草をしてから、私についてくるようにと促した。


 そうして団長に連れてこられた先は、公爵夫妻のところだった。



「ガゼット公爵、ようこそいらっしゃいました!」


 団長は公爵に深々とお辞儀をしている。その様子を見ながら、私は頭を下げた。

 公爵と公爵夫人を前に、寒くなりそうなお世辞を浴びせる団長を、私は舞台でも見るように眺めた。ひどく現実味を帯びない光景だと、私は眩暈を覚えた。


 そんなとき、団長が振り返り、大きく私に向かって手を振った。

 何事かと私は顔をあげた。


「彼が、今回の舞台で主演を務めるオペラです。おふたりにお楽しみいただけたなら良いのですが」

「ふむ」


 公爵は舐めるように私を上から下までまじまじと見つめる。


「主演が新人だと聞いた時はどうなることかと思ったが、過ぎた心配だったようだな」


 公爵が低く笑って目を細める。胸を張り、眉を吊り上げて、フン、と鼻を鳴らしたのを見て、どうしようもない嫌悪感を覚えた。


(嫌だ……今すぐここから去りたい)


 息苦しくなったのを感じ、私は顔を背け、公爵を視界から追い出した。


「どうだ君、私の屋敷で一つ劇をしては。君の芝居を、もっと見てみたくなった。妻も、そうだと言っている」


 公爵の言葉に、隣に立っている夫人はフッと笑って軽く頷いた。


オペラ!これは光栄なことだぞ!」


 団長が大喜びでそう叫ぶ。

 そんな団長とは裏腹に、私はもう一秒もここにはいられないと、グッと息を呑んだ。


「ありがとうございます。そのお気持ちだけいただきます」


 まだ動けるうちに、ここを去らなければ。

 これ以上、彼らの毒に晒されたくない。


「では、私はこれで。お先に失礼します」


 深々とお辞儀をし、そのまま踵を返す。


「おい、オペラ……!まったくあいつは!公爵様、どうかお許しを。彼はまだ礼儀を知らぬ新人でして、後ほどしっかりと言い聞かせておきます」


 団長の言葉を背に、私は歩みを速めた。

 この時はただ、できるだけ早くこの場所を離れたいと思った。


(どうして……世界は広いというのに、自由なステージがどこにもないのだろう?)


 私は早くひとりになって、大好きな歌劇に身を投じたいと願った。


Ⅲ.相織


夜は私がオペラに没頭する最高の時間だ。


幼稚な干渉や妬みの声が消え、世界が静寂に包まれる。


ちょうどアリアを歌っている時、突然、劇場の窓の外から優雅なピアノの音色が聞こえてきた。


この温かいメロディーは、氷のように澄んだ音符と共に漂い、心を癒す魔力を帯びていた。


半開きの窓を押し開け、音源を探す。


気配を察したのか、ヴァイオリンを弾く青年が演奏を止め、笑いかけた。


「運がいい。僕の演奏が君に届くか試してたんだ」


「君は?」

「ああ、失礼。怪しい者じゃないよ。僕はブルーチーズ。幻楽歌劇団の団員だ。君の歌声を聴いて、こうすれば会えるかと思ってね」

「私の歌声?」

「そう。君の声は特別だと思わないか?」


私の声に特別な点などない。ただ「聴衆を物語に没入させる力がある」と褒められたことはある。


だがそれは社交辞令だと決めつけていた。


「首を隠すのはなぜ?」

ブルーチーズの指摘で、無意識に首の金色の紋様を隠していたことに気づいた。

「緊張しないで。ただ幻楽歌劇団へ勧誘に来ただけだ」


「…私…」

彼の言葉に偽りはない。先ほどの音楽にも悪意は感じられなかった。


幻楽歌劇団の名は知っている。移動式劇団で団員の素性は謎に包まれている。だから突然現れた自称団員には警戒していた。


「すぐに答えなくていい。ここに一ヶ月滞在する。公演が終わる頃に返事をくれれば」

一ヶ月?ちょうど私の公演終了時期だ。


「ところで君の名前は?」

オペラ

「ふむ、君の歌声にぴったりの名前だね」

「ありがとう」


彼は単純なのか?不思議と自然体な人だ。


突然、あの夜に出会った男を思い出した。


ブルーチーズが自然と融和する清らかな存在なら、あの男は世界を歪めるブラックホールだ。


忘れられない笑みの奥には、欲望の深淵が広がっていた。


***


あの日から世界が変わった。


公爵夫人の影のように、毎日歌劇場の隅で私を見つめる男が現れるようになった。


話しかけも奇妙な行動もせず、ただ遠くから見つめている。


それだけでも気分が悪い。


「公爵の頼みは断る。ついて来ないでくれ」

最後通告をした。


「い、違うんです」

男は震える声で言った。

「公爵様のためじゃ…ありません」


欲望の深淵どころか、かすかな息すら危うい様子だ。


「用件は?」

「私…スフレと申します。貴方のオペラが…美しいものが好きで」

「ただ歌劇を聴きに来たのか?」


「はい。リリアとヴィヴィアンもお会いしたいと…」

人形を抱きしめ、期待に満ちた目で見つめてくる。すぐに俯いてしまった。


「なぜだ?」

ブルーチーズに出会うまで、考えたこともない疑問が湧いた。


「リリアと同じことをおっしゃったからです」

「リリア?」

人形と同じことを私が言ったと?


「『守るべき人を守れるなら…全てを失っても構わない』」

スフレが小声で呟いた。歌劇『双生姫』の台詞だ。


「それがどうした?」

「昔、リリアが私に言った言葉です。舞台の貴方の表情が…あの時の彼女にそっくりで」


他人には演技でしかないこの台詞が、彼にとっては真実だった。

スフレの顔が珍しく輝いたが、その意味はわからない。


同じ顔を持つ二人が、全くの別人であることは確かだ。

でなければ、これほどの演技で本性を隠せるはずがない。


「お怒りではありませんか?」

「歌劇を愛してくれるなら、怒る理由はない」

「では…また観に来ても?」

「今ほど頻繁でなければ、観客席でどうぞ」


「ありがとうございます」

こんなに簡単に感謝されるとは思わなかった。

これほど私の歌劇を愛する者も。


その後スフレは約束通り、他の公演時に観客席で鑑賞するだけだった。


公演後は楽屋へ現れ、自作の人形を渡してくれる。

どれも私が演じた役の精巧な人形で、自分と重ねるのが憚られるほど美しい。


それでも彼は満足せず「もっと美しい人形を」と言い続ける。


これが彼の見る私なのか?

鏡台に置かれた人形を見ながら、なぜかまたあの残忍な笑みが鏡に浮かんだ。


幻か?

なぜまた…あの男を思い出す?


Ⅳ.別れ


スフレの他に、時々ブルーチーズも観に来ていた。


だが彼はスフレほど長居せず、幕が下りると去っていく。


月日は流れ、「時間罪歌」公演の日が来た。


嫌がらせをしてくる連中も疲れたのか、ここ数日は大人しい。


初日公演のため早めに劇場入りしたが、楽屋のティナ姫衣装が何者かに切り裂かれていた。


諦めたかと思ったが、甘かったようだ。


劇団員が発見し騒然となる。

この衣装は大公が高級生地と装飾で特注した品。問題になれば劇団全員が罪に問われる。


「あの…何かあったんですか?」


楽屋の入り口でスフレが怯えたように尋ねる。


「なぜ来た?」

「開演まで時間があるのに不安で…衣装に何か?」


スフレがうつむくと、抱えていた人形がふわりと肩へ舞い、軽く頭を叩いた。


「公爵から借りた衣装が破られた。修復できる者を探している」

意外にも私の声は冷静だった。


「それなら…私に任せてくれませんか?」

スフレは顔を上げないが、リリアとヴィヴィアンが自信ありげにうなずく。

「完璧には直せないかもしれませんが…」


「試してみて」

私の言葉にスフレが顔を上げた。認められた子供のように。




だが修復は難航した。


スフレが衣装に手を伸ばした瞬間、劇団の嫌われ者が衣装を奪い彼を押し倒した。

「お前誰だ!勝手に触るな!」


不意を突かれたスフレは床に転がる。


「大丈夫か?」

小心な彼なら怖がっているだろう。


返事はなかったが、体が震えている。

違った。震えではなく、笑いをこらえているのだ。


「どうした?」

「おいおい、この臆病者を心配するとは?」


息詰まるような重圧が漂い、見覚えのある残忍な笑みが浮かんだ。


やはり同一人物だったか。

だがすぐに違うと気づく。あのスフレも本物だ。

別人であるべきなのに。


「お前は誰だ?」

「つまらん質問だな。俺はスフレさ、愛しいオペラよ~」


スフレは素早く立ち上がり、衣装を奪還した。

同時に嫌われ者がふわりと浮き、無重力状態に陥る。


「死にたくなきゃ大人しくしろ。この腰抜けが唯一得意なことだ」

「やめろ…」

止めようとすると、スフレが口に指を当てた。

「安心しろ、殺さない。俺も彼も君の舞台を見たいからな」


「劇団員諸君、俺は公爵夫人の執事だ。この件を処理に来た。命が惜しけりゃ指示に従え」


「お前…」

「ほら、解決だ~」


スフレが手を叩くと、重圧が消えた。無重力の男も床に落下した。

「じゃあ彼を戻すとするか」




オペラ…どうかしました?」

「いや、君は?」

「ええ、大丈夫です」


スフレは自身の変化に気づかない。なぜこうなるのか?

答えは見当たらない。


だが彼の手で衣装は見事に修復され、「▫▫罪歌」は成功裏に終わった。

(※「時間罪歌」)


衣装事件で劇団内に疑心暗鬼が蔓延る。見慣れた光景だ。


公演後、団長に説明もせず劇場を出た。

ブルーチーズとの約束の時間だ。


待ち合わせ場所に着くと、彼は既に待っていた。

「決心は?」

「ええ、ここが幻楽歌劇団?」

「仮の宿に過ぎない」

「そうか…君が来るまで劇団の実在すら疑ってた」

「今ここにあるだろう?」

「ああ。自由な舞台を追い求めてきた。歌劇に欠けた何かを探すため…」


「自由な舞台なら、必ず叶えてみせる」


突然割り込んだ声にブルーチーズが飛び上がる。

「団、団長!」


「迷ってる場合か~早くみんなを呼んで新入団員を迎えようぜ!」


Ⅴ.オペラ


幻楽歌劇団への加入を決めたオペラは、団長に願い出た。

「『時間罪歌』の残り公演を終えてから旅立ちたい」


団長は快諾した。「責任ある役者として舞台を見届けるのは当然だ」


公演期間中、スフレは毎日劇場に通った。


前回の衣装事件以来、劇団員は一見弱々しいスフレを恐れるようになっていた。

公爵夫人の後ろ盾があると知り、オペラに嫌がらせしていた者さえ声を潜めた。


この国では昔から囁かれている。

大公が権力を掌握できたのは、夫人の交渉術によるものだと。


公爵夫人リリアは貴族間で「血を嗜む蝶夫人」と呼ばれる。

他人の秘密や罪を握り金をゆすり、要求を飲まないと敵に情報を流すと言われている。

吸血鬼のように他者の絶望で富を蓄える恐ろしい女──


貴族と関わる劇団では暗黙の了解だった。

「公爵本人より夫人を刺激するな」と。




そのお陰でオペラは平穏な日々を得た。


オペラ、新しい人形を作ったよ」

スフレが差し出した人形は、舞台衣装ではないオペラの姿だった。


「今回は役柄じゃないのか?」

「うん…考えたけど、オペラそのものが一番美しいから。だから名前もオペラにしたんだ」

「私の…名前を?」

「リリアは大切な友達の名前。オペラも大切だから…」


スフレ、明日ここを去る」

嬉しそうなスフレを見て、オペラは真実を告げた。


「明…明日?なぜ?僕の何か間違えた?人形が気に入らなかった?」

「違う。私が行くべき場所を見つけただけだ」

「行くべき場所?」

「そう。私の舞台を探す。君は何も悪くない」


スフレは俯かず、オペラを見つめ続けた。引き留められるかと。


だがオペラの瞳に迷いがないと悟る。

舞台のオペラを毎日見つめてきたスフレは、彼の心を読み取る術を身につけていた。

危険な公爵夫人に仕える中で培った感覚だ。


引き留められないなら──

オペラを困らせたくない。


スフレは無理に笑顔を作り、目尻を潤ませながら言った。

「行きたい場所に行けるなんて…本当に良かった」


オペラは返す言葉がなく、人形をスフレの手に戻した。

「この子は君が持っていてくれ」

「え?」

「ティナと名付けてほしい。君が初めて私を見た時の役名だ」


スフレは静かにうなずいた。

ティナ──オペラの歌劇に恋したあの日を刻む名前。




翌日、最終公演を終えたオペラは団長に辞意を伝えた。


だがスフレは現れなかった。代わりにオペラの楽屋に人形の包みが置かれていた。


「僕が受け取らないと…また泣くだろう」

忘れていた台本を取りに戻ったオペラは苦笑し、劇場を後にした。


静かな楽屋で、オペラの机だけが

何も残されていなかった



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