【黒ウィズ】神都ピカレスク Story2
首飾りと都市伝説
アベニューDは共和F国行政区の目抜き通りである。
この街は20年前に起こったA連合との戦争をきっかけにして、本来所有していたE王朝の手を離れた。
そして、国際法的にはほとんど出鱈目な理論で、A連合を中心とした諸外国の分割自治が始まった。
南部の共和F国行政区、北部のA連合を中心とした共同行政区、そして、外国人の住みつこうとしない東部「N路街」。
それが、この街の大まかな構造である。
取材先の宝石店の一隅で、今久留主は手にした万年筆で頭を掻いた。
常用している野帳のページには、いくらかの走り書きがあるだけで、まとまったことは何も書かれていない。
ついさきほどまで、大通りで行っていた聞き込み調査の成果を整理しているのだが、目ぼしい情報はない。
むしろ、「赤いドレスの怪人」という話が、ドレスの女性と言われ、すぐに思い浮かぶアベニューDと結びついてしまった。
そういう可能性もありますね。我が国の民間伝承にもそういうことが良くあります。
人を経由すれば、真実と言うのはいつも曲がって伝えられるのですよ。
ケネスはギャスパーの傍に立つと、潜めた声で話した。
寄り添うように囁き合うふたりに今久留主がそっと視線を送る。
店のオーナーは年はとっていたが、感じのよい男であった。
店に現れると、すぐにギャスパーの下に来て、挨拶を始めた。
当たり前のこととして、ギャスパーが右手を差し出す。店主も応じるが、手袋をつけたままであった。
その店はアベニューDでもっとも話題の店であった。数ある宝石店の中でも、特に異彩を放っていた。
その店の商品の多くは皆美しく精巧なマネキンを使って展示されていた。
今久留主は巨大なショウケースの前に立ちしげしげとマネキンたちを眺めていた。
このマネキンたちはそれぞれ、髪の色や目の色に合わせた宝石をつけているわ。
女性からすれば、このマネキンを見るだけで、自分にどんな宝石が似合うか一目瞭然なの。
その言葉の本当の意味は、他国に支配されたE王朝人の弱い立場であった。
急いで、新しい人形を用意しないといけないですね。
ヴィッキーたちが話し込む間も、ケネスはマネキンを見つめていた。
けして宝石の美しさに見惚れていたわけではない。
彼がマネキンを見つめていた理由は、おぞましき妄念ともいうべきものだった。
その着飾った人形が、かつては人間だったのではないかという妄念であった。
いま自分が見ているものが、前夜わずかに見た、あの怪人に抱きかかえられた女なのではないか。
という、口にするのも恐ろしい妄念であった。
ショウケースのガラスに触れる。それ以上、人形には近づけない。
じかに触れて確かめることも出来ず、ケネスは首にかけた二眼レフカメラを構えた。
昼間の肩書は記者兼撮影担当である。とはいえ、記者としても、撮影担当としても、高度な技能はない。
ただ時折、カメラを手に取り、自分だけの写真を撮る癖ができた。
そんな時、ケネスは胸(ハート)の少し上にカメラを構える。ファインダーを覗き込むことはなく、露出やフォーカスも心の向くままである。
そして、シャッターを切る。
歯切れのいい金属音がケネスの胸の上で響いた。ようやく、何か心と現実が折りあえたように思えた。
ふと奇妙な声が聞こえることに気づく。自分の足元からだった。
ふたりに声がかかる。店主が国宝〈蛮尤の髪飾り〉の撮影をさせてくれるという。
目の前に置かれたのはE王朝の国宝である。瑠璃と金で作られた伝説上の怪物「蛮尤」を施した首飾り。
それが街の宝石店にある。普通に考えれば奇妙なことだった。
それがなぜこのような場にあるのかといえば、ギャスパーが嫌う戦争という美学のない泥棒の仕業である。
ギャスパーとケネスが首飾りの撮影を始めると、ヴィッキーはひとりぶらぶらと店内を見回した。
相変わらず、今久留主は奇妙な体勢でマネキンを眺めていたが、それは無視した。
右から左へと商品を眺めていき店の隅にたどり着く。
そこにはキンモクセイの花が飾られていた。
ヴィッキーは隠し持っていた桃の枝をキンモクセイの花瓶にそっと差した。
***
ケネスとギャスパーはカイエ社に戻り、アベニューDで得た情報について話し合っていた。
今久留主は帝政T国の大使館に用があるといい、途中で別れ、ヴィッキーは撮影所のレッスンに向かった。
ふたりきりで内緒話をするにはもってこいの時間だった。
「マネキンが昨日の女性だった?」
ケネスは宝石商で見たマネキンが、昨日、怪人に襲われていた女性だったのではないか。
という恐るべき妄念をギャスパーに伝えた。
半信半疑だったギャスパーも、現像室から出てきたケネスに渡された写真を見て絶句した。
そこには女の白い手が映っていた。いや、正しくは、近すぎて手だとはわからない。
ただ滑らかな肌。女のものとしか思えぬ肌。それがうっすらと光の反射が作る膜のようなものを纏っていた。
産毛であった。生なき人形には不必要なそれがわずかにあった。
「そんな、バカな……。」
ギャスパーは淡い眩皿を感じていた。ずいぶん前から感じていたが、いまはより一層強く感じる。
「あの店は、生きた女性をマネキンに変えて飾っていたというのか!」
出来事そのものの奇怪さよりも、それに全く気付かずに小ー時間もその肉人形に囲まれて過ごしていたことに驚嘆していた。
「バカげてるし、信じられないかもしれないが、事実だ。」
「だが、どうやって? お前が言っていることはあのブリオッシュを猫だというようなものだぞ!」
机の上のブリオッシュを指差し訴えるが、ギャスパー本人もその恐るべきことが現実に起きたことは認めていた。
耐え難い現実に抗うために声を上げただけだった。しかし、ケネスの反応は意外なものだった。
「あの猫、どこから入った?」
当然、そこには当たり前のようにブリオッシュが盛られた皿があった。
猫はいない。
「――何を言っている?」
「いや、あそこに猫が。」
「いない。」
と、否定したが、ギャスパーにもぼんやりとブリオッシュに猫の残像が被っているのが見えた。
「――いや、いるのか?」
「いるよ。ほら、ここに猫が……。」
ブリオッシュに手をやると、ケネスは意外そうな表情を浮かべた。
「なんだこりゃ? ブリオッシュじゃねえか……。」
「ケネス、私が抱いている白い猫が見えるか?」
呼ばれて、ケネスはギャスパーを見る。彼の腕には確かに白い猫が抱かれていた。
「ほら、受け取れ!」
「おわあ! 投げんじゃねえよ!」
慌ててギャスパーの投げた猫を受け取るが、それは手に取った瞬間、白い帽子に変わった。
「なんだよ、これ……どういうことだ?」
「恐らく、私が言った通りのモノに見せかけられるんだ……。ただ、触れば本当の姿がわかる。」
「何を言ってんだよ……。」
視界が揺れる。眩皿がさらに強くなってきた。
「わからない……自分でもわからない……。」
その波が収まるにつれ、徐々に自分の力に対して確信めいたものになる。
自分が立って歩けるのと同じくらい、当たり前のことのように感じられた。
「だが、わかる……。これは私の力だ。」
同時に奇妙な高揚感がギャスパーを捕らえ、離さなかった。
「もう一度、もう一度だ。もう一度、試そう。」
ドアが開いた。今久留主が帰って来たのだ。
「お待たせしました。引き続き、新連載の打ち合わせをしましょうか。」
「「……。」」
「今久留主先生、いま通りに裸の女性が歩いているんですよ。」
「そ、そんなバカな!!」
今久留主は窓辺に駆け寄り、身を乗り出して階下の通りを見回す。
「オウ! モ、モダンガーール! ファンタスティック!!」
さすが国際都市神都、このようなことが……!
「本物かよ。その力……。でも、一体何なんだ?」
「さあな。だが、これが自分の力だということはなぜかわかる。なぜか断言できるんだ……。」
そ
の言葉には、恐れと喜びが混ざっているようだと、ケネスは思った。
「女性が路地に消えて行ってしまいました。追いかけてもいいですか?」
「駄目だ。大人しくそこに座れ。」
荒ぶっていた今久留主が落ち着くのには、しばらくの時間を要した。
ようやく平常通りに戻った所で、今久留主は懐から封筒を取り出し、中の紙片を開いた。
ギャスパーがそれとなく今久留主の行動を問いただすのはいつものことだった。
この泥棒貴族が、わざわざ己の正体が判明する危険も顧みず、恐るべき子供を傍に置くのは、理由がある。
自分の懐に入れてその行動のすべてを監視することの方こそ、自らの大いなる危険を遠ざけると判断したからである。
ただその分、今久留主少年の変態的な性質に付き合わされることは多かった。
紙片には、無意味な文字が羅列されていた。
それを聞いて、ケネスたちも首を傾げる。手紙一枚にそんなに時間をかけていては、非効率的ではないかと。
帝政T国の文字に素養があるギャスパーが紙片に書かれた文字を凝視する。
「「………。
なんだそりゃ!!」」
ではちょっと失礼して……暗号解読に勤しませて頂きますね。ふむふむ、ふむふむふむ、ふむ!ふむ!
頬が緩んだ。それは新聞社の社主としての顔ではなく……また別の顔としてだった。
***
瞼に添えられた指が目尻へと走る。
走った後に鮮やかな赤い軌跡が残る。その瞬間にヴィッキー・ワンは〈桃花〉になる。
あたしにとって、盗むことは正義。
悪徳ではなく、悪徳だとしても、誉れ高い悪徳。
昨日の正義が、今夜悪になるかもしれない時代だからこそ、あたしは説明のいらない悪を貫く。
盗むという、純粋な悪を。それがあたしの、復讐。
街の夜。妖しい月の下に、艶めかしい肢体の女がいる。
体の線が露わになった衣装に包まれた女は、月が雲にかかる度に、闇に消えたり、現れたり。
「〈蛮尤の首飾り〉。それは他国の人間が持っていていいものじゃないのよ。
あたしがもらうわ。」
言うや否や、女の体はふわりと消えた。
女がいなくなると、月は興味を失ったように雲の向こうに顔を隠した。
夜の闇は、より深まった。
目当ての首飾りは、アベニューDにあるH宝石店の保管庫に眠っていた。
桃花と首飾りまでの距離はすでに手を伸ばせば届く距離だった。
そして、ここまでの道程には、鮮やかな手並みで路傍に眠らされた者。幽霊を見た者。
猫か野良犬が走り抜けるのを見た者がいるだけだった。桃花を見た者はいなかった。
彼女は首飾りと自分の距離を悠々と詰める。瑠璃の石に指先が触れかかった時、部屋の明かりが瞬いた。
「そこまでですよ!」
煌々とした光が部屋の隅々まで行きわたる。
名乗ったのは年若い少年である。その後ろには数名の工部局職員がいた。
出会ってしまったのは運命でしょう。探偵として、貴方を捕まえさせてもらいますよ。
すっと桃花が手を挙げる。その手を大きく水平に薙ぎ払った。
空気を切る音がいくつか聞こえたかと思うと、今久留主の背後で何かが崩れ落ちる音が聞こえた。
見返すと女は束ねた棒を握り、うっすらと笑っていた。
桃花が素早く縄を投げた。縄は今久留主の頭上でとどまったかと思えば、意思を持ったかの如く彼の体に巻きついた。
首飾りを月の光に照らし、ためつすがめつして、盗みの余韻に浸るのを終えると、桃花は首飾りをしまった。
すうっと背中に冷たい風が走った。
すぐさま振り返り、身構える。
驚きと混乱が治まる前に、放たれた一撃が桃花の顎を捉えた。
細い体がのけぞるように宙を舞う。空中で弧を描き、頭から落ちる。屋根瓦を砕く音が夜の中に響いた。
正体を失った女の体が、だらしなく横たわる様を見下ろし呟いた。
男は、一歩、猛烈な勝利の恍惚に震えながら、また一歩と女に近づいた。
「おい、バケモノ。」
光が詐裂する。閃光弾が顔面に直撃したのだ。眩しさで視界を失った男は身構えつつ、視覚が戻るのを待った。
「その女性には手を出すな。」
朧と見えていた像が焦点を結び始める。
ニヤリと歪む口元から白い歯が見えた。
息の合った動きで、躇を返すとふたりの盗賊は一目散に逃げ去っていった。
仮面の男もふたりに興味があったわけではない。興味は今夜の獲物にこそある。
男は気を失い、柔らかい肉の塊と化した女の肢体に手を伸ぱす。その指先が肌に触れた。
すると、女の姿は嘘のように消え、そこにあったのはただの人形だった。
頭をさすりながら半身を起こし、ふたりの会話を遮るのは桃花だった。
差し出された手を取り、桃花は立ち上がる。その視線は、鋭く、懐疑的である。
助けてもらったとはいえ、油断する気はない。それがたったひとりでこの夜の闇を生き抜いてきた女の衿持であった。
驚く彼女に、ふたりの男はさらに事実をさらす。その仮面を脱いでみせたのである。
単刀直入にいう。我々に協力しろ。そうすれば〈蛍尤の首飾り〉を譲ろう。
桃花――ヴィッキー・ワンは自分の細い顎に手をやった。じっくりと損と得とを精査する。
その言葉に、少女は願ってもない、とばかりに微笑んだ。
一方、後ろに佇むケネスの表情は、わずかに曇っていた。
***
ところでオーナー。事件の間、どちらへ? 何か火薬の臭いがしますね。私の気のせいでしょうか?
ただひとりとなった店内で、男は保管庫を開いた。
瑠璃の淡い光を見つめながら、呟く。
「首飾りが戻ったことよりも、あの女を逃したのが残念だ。もう少しで私のコレクションに加えられたのに。」
後悔の言葉が途切れ、驚きの息が漏れる。指先には瑠璃の滑らかな感触はなく、ざらついた紙の手触りがあった。
首飾りが無くなっている。
かわりに手にした紙片には新聞の文字を貼り付けられ、こう綴られていた。
『首飾ハ頂キマシタ 貴殿ト取引ヲ望ム』
それに、続くのは、犯人の交換条件であった。あの夜拾ったパンチカードのことだった。
文末には、署名がある。見事な筆致で「ポワカール」と記されていた。
神都ピカレスク | |
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02. ケネス&ギャスパー(GW2019) | 04/30 |
03. ピカレスク2 ~黒猫の魔術師~ 序章・1・2・3・4・5 | 2019 08/15 |
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