【黒ウィズ】神都ピカレスク Story3
story3 盗賊たちの準備
次の日。朝刊各紙の一面は、帝政T国から来た少年探偵と女賊との対決が紙面を飾った。
新聞の傍にはカフェオレの入ったボウル、半分に切られたバケットと、バター、いくつかのジャムが机の上に並んでいる。
バケットにバター、塗り付けながらも、それから毎のジャムを各紙の記事を流し読む。
やはり、〈蚩尤の首飾り〉は盗まれていないことになっている。
それはつまり、秘密にしておく必要があったからに他ならない。
工部局に何らかの被害届が出されていないか配下に調べさせたが、それもない。
間違いなく、相手はこちらの提案を受けたのだ。
ギャスパーのバターナイフの動きがピタリと止まり、カチンと音をたてて、皿の上に置かれた。
屈辱を受けた相手には復讐しなければならない。それが我々の掟だ。
ギャスパーはすぐには答えなかった。
手持無沙汰な時間を埋めるため、新聞を取り上げ、記事を読む。東部の消火栓工事の記事だった。
まだ工事中で、不安定な状態だという。
ただ新聞が知らせる事実を眺めおわると、ギャスパーはケネスを見た。
つまらないこだわりのせいで危険を冒そうとしている。あの夜だって俺がいなきゃ死んでたぜ?冷静になれよ。
いつの間にか握られていたバターナイフがボウルの縁を叩いた。
ギャスパーの視線は朝食時とは思えないほどの鋭さがあった。
沈黙がー滴の水のようにふたりの間に落ちた。波紋が部屋中に広がっていく。
上着とカメラを取り上げ、ケネスは出口へ向かった。
出て行くケネスを追いかけようとはしなかった。
ただ、ケネスのデスクにあるボウルを一瞥し、バターナイフを自分のボウルに投げ捨てた。
金と陶器のぶつかる音、水に落ちる音が一緒くたに響き渡った。
自責の言葉が思わず出た。それは誰もいない部屋をより寂しく思わせるだけだった。
盗むこと。それは生きることと同じ。俺の権利だ。
物心ついた時から、この街に生きていた。親の顔も知らず育った俺は、気づけば悪党の真似事をしていた。
俺に与えてくれる人間は誰もいなかった。与えてくれないのなら、盗むだけだ。
ズルして、騙して、いただく。文句あるか?
ケネスはぶらぶらと往来を歩いていた。
歩きながら、猛スピードで外ラチにぶつかっていったハートプレイカーという名の犬のことを考えていた。
うきうきと浮ついたことを考えていたわけじゃない。
コースも覚えられない哀れな犬と、その犬に全財産を賭けた自分とを天秤にかけていただけだった。
なぜ、そんなバカな犬とバカな自分がいるのか。
そして、なぜそんなふたりが出会い、ふたりして真っ逆さまに落ちて行くのか。
長い散歩の時間が答えに近づけてくれた。
そうだ。秤はきっちりとつり合いが取れている。バカとバカの見事な調和。自然界の破たんの無さが偉大に思えてくる。
思考がそこに至って、いま自分がなぜ外をほっつき歩いているのかを思い出しそうになる。
ちょっとしたビビッとくる天啓と呼びうるものも頭のてっぺんに落ちてきそうだった。
ところがそれを阻害したのが、とりわけ下品な声だった。見やると工部局の下級職員が、E王朝の少女を詰問している。
少女はただの行商といったところである。
この街の元々の住民であるE王朝の人々が、いまは犬の如き扱いを受けている。
ただその場にいるだけで問い詰められ、追い立てられる。いまやそれは日常茶飯事となった光景である。
ケネスは黙然と考えていた。自分自身どこの国の人間かわからなかった。
だが、最初に自分の身分を買い受けたのはこの国の〈幇〉の人間だった。仲間意識はあった。
彼が言うべき言葉を継いだのは、彼自身ではなかった。
ギャスパーだった。
工部局の職員は一瞬、亜麻色の髪の青年を睨みつけた。
彼の胸についた工部局参事にのみ与えられるバッジを見ると、荒々しい労働者風の肉体の男は背中を丸めた。
職員は少女が商いをしていたことを報告するが、それは何の罪にも当たらない。
「ですが……」と抗議する職員に、ギャスパーは首を横に振るだけだった。
観念した職員もその手を離し、少女に自由を与えた。
その言葉には、職員も隠していた爪を出すように反発した。犬には頭を下げられないということだった。
ギャスパーの方ヘケネスはちらりと目をやる。同意を伝えるつもりだった。
次の行動に移ろうとする時、ケネスは少しだけ眩暈を感じた。
裏なら、俺の財布を中身ごとやるぜ。
と、懐から財布を取り出して、示してみせた。逡巡する男の担った荷を軽くしてやろうと、ケネスが続ける。
ケネスは自分から現実が遊離したような気がした。別の言い方をすれば眩暈を覚えた。
まるで白昼夢のように目の前が廻転している。
男は頷いた。考えてみれば、自分には全<損のない提案だった。うまくいけば、金の入った財布が手に入る。下手を打っても無視すればいいだけだ。
こちらを見ずにケネスが言った。
水郷特有の湿った空気を震わせて、コインを弾く音が高鳴った。目の前で開かれる拳。掌の上には「表」を向いたコインがあった。
男は苦虫を噛み潰したような表情を見せたが、頭を下げることなく、立ち去ろうとした。
ケネスもあえて、彼を追い詰めなかった。わざわざ鼠に戦う気概を持たせる必要は無い。
ケネスはイタズラっぽい笑いを浮かべて、コインを投げた。
受け取ったコインはまたもや「表」を向いていた。ひっくり返しても、「表」だった。
笑い合うふたり。すぐにケネスから笑顔が消える。ギャスパーをじっと見つめている。なぜ助けた?という意味を込めて。
バカとバカの見事な調和。秤はきっちりとつり合いが取れていなければいけない。
昼間のドッグレース場で啓示された崇高な哲学をケネスは実践することにした。
授業料は財布の中身のほとんどだったが、気にすることはない。また誰かから「いただけ」ばいいのだ。
帰りかかるふたりの耳に声が聞こえた。振り向くと、立ち去ろうとしていた職員の足が止まっていた。
狼狽する男の足が一歩また一歩と行商の少女の方へと進む。後ろ歩きのまま。
そのまま少女の前に来た男は、不気味にのけぞり、頭を下げていく。
男の悲鳴が途切れたのは、足が踏ん張り切れずに、仰向けに倒れ込んだ時だった。
往来の誰もが、何が起こっているかは理解していなかった。だが、ギャスパーだけは本能的に理解した。
自分と同じようにケネスにも不思議な力が発現したのではないか。
そう考えてしまうと、もはやそのようにしか考えられなくなっていた。当の本人も同様だった。
ケネスの耳に耳鳴りが聞こえた。遊離した現実がさらに自分の傍から遠ざかっていった。
それは眩暈に似ていた。
いくつかの実験の結果、ケネスの能力には条件があることがわかった。
まず、宣言する。
勝てば、強制力が発揮されるが、負ければ当然、自分に返ってくる。
効力は恐らく、ケネスが賭けた代償や確率に関係しているようだった。
ギャスパーの盗賊として訓練された思考は、目的を達成したいならば、手段を作ればいいという哲学である。
すぐさま彼のシンジケートを使い、自分たちに合わせた道具を作り上げた。
それはただの薄い板のようなものが何枚もあるように見えた。
だが、それは折り目に合わせて折ることで3角形の形状となる。
言いながら、ギャスパーの手元でパズルは羽を持った鳥のような形状に形作られた。
言った瞬間、ギャスパーの手元のパズルは鳩となった。いや、そのように見えた。
ケネスが手渡されたのは奇妙な銃だった。ルーレットのような機構があり、何かの目盛りがあった。
とりあえず、目盛りを2分の1にしてみろ。そうすれば、その確率で発砲できるようになる。
だが、言われた通り、ケネスは引き金を引いた。弾は運よく発射されると、その木に大きな風穴を開けた。
これで、より能動的に自分たちの能力を使える。少しは戦えるようにはなったはずだ。
カイエ社に戻ったふたりを待っていたのは、ヴィッキーだった。
あたしの方は問題ないわ。えと、若先生は? 最近見ないけど?
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