おでん・エピソード
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おでんのエピソード
とても優しい食霊。
些細なことにも気を配り、とても用心深い。
桜の島の本格的なおでんを売りとした店を経営している。
彼自身と作るおでんには、人の心を癒やす不思議な力がある。
Ⅰ.おでん屋
街中から灯りがポツポツと静かに消えて、喧々囂々たる人混みも散らばっていく。
時を知らせる鐘の音が真夜中に響き渡り、賑やかだった街中もあっという間に静まり返る。
この音は人々にとっては休息の挨拶だが、あたしにとっちゃ店を開ける合図だ。
扉を開け、両側の灯龍を立てる。
あたしのとこの食堂の新しい一日が始まる。
日が沈む頃に店を開け、日が昇る頃に閉めるってのがあたしが決めたやり方。
夜ってのは、実に静かだが実にわずらわしい。
夜はいとも簡単に人々の負の感情を解き放ち、煩悩に陥れ、心身を休めることを許さねえ。
あたしにゃあ、そういう負の感情に飲み込まれる苦しみがわかっちまう。肉体の苦痛より感じづれえが、遥かにダメージがでけえ。
そんな傷ついた人たちを何とかしてやりてえから、あたしはこの店を始めたってわけさ。
別に金欲しさにやってるわけじゃない。夜中に眠れねえ、眠らねぇ人々に憩いの場と、愚痴をこぼすのに最適な場所が必要だって思ってね。
のれんが何度もはためき、客が続々と店に入ってくる。
あたしはみなさんに挨拶をして、料理の用意を始めた。
(全員常連さんで、見ねぇ顔はいないねぇ)
あたしはここにいる全員をよ〜く知っている。
隅っこに座る青年は目玉焼きが好き。
ポニーテールの女の子の好物は店の看板味噌汁。
髪がバッサバサなおやじさんはメシを注文する前に焼き鳥を二本頼む。
(全部お見通しってわけさね)
ついでと言っちゃなんだが 彼らの人に知られざる悦びと悲しみもあたしにゃわかっていた。
だから、彼らの話に耳を傾ける。
戸惑うことなく話を聞けた。もしあたしが優れてることがあるとしたら、その程度のことさ。
「で、何かあったのかい?あたしでよかったら聞くからさ、話してごらんよ」
Ⅱ.父子
風鈴が揺れて、チリンと響いた。
見知らぬ二人組みのお客が入ってくる。
あたしは笑顔で迎える。
「へい、いらっしゃい!」
若い方は派手な服を着ていて、ネックレスをジャラジャラつけている。彼は機嫌の悪そうな表情をしている。それにあの格好ときたら。まるでチンピラみてえだ。
だが目つきはそう悪くない。
中年の男は服が少し古く見えるが、わりときちんとしている。彼は若い方へため息をついて、目尻にしわを寄せる。
おもしれぇ親子だ。
あたしの想像は当たったようだ。
「で、何が食べたいんだ?」
中年の男は若い男を見る。
「……別に。」
若い男は目を逸らす。
「父さんにそんな言い方をするもんじゃない!」
「ちっ」
「……」
目の前にいる二人が喧嘩をおっぱじめる前に、あたしは割って入った。
「うちの定番料理なんてどうだい?」
「……それでいい。」
「……」
あたしは料理を用意しながら、親子の会話に耳を傾けた。
案の定、二人は腰をかけたあと、口喧嘩を始めた。
「そんな話はやめろよ。金くらい自分で稼げるから、ほっといてくれよ」
「どうして父さんにそんな言い方をするんだ?私の忙しさもわかっているだろう!」
「そうやって自分の都合ばっかり!どんなに苦労してグルイラオに合格したかわかってんのかよ?よくやっただろ?どうせ父さんは俺のことなんてどうでもいいと思ってるんだろ」
「お前……」
「俺は何も欲しくない。飯を食ったらもうここを離れる。クソ親父はサビついた原稿と一緒に暮らしていればいいんだ!」
「……」
口を開けば喧嘩になる。親子にはよくある話っちゃそうだが……
あたしはふっとため息がもれる。
あたしは隣にいる納豆に呟いた。
「納豆、ちょいといいかい?」
「はい」
納豆は二人の方へ行って少し話してから、中年の男を連れていった。
隅にいる若い男はぽつんと座っている。
口喧嘩の相手がいなくなると、自分の頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。
あたしは彼のもとに行った。
あたしが望んでいるのは人々の心の安らぎだ。
Ⅲ.心結び
「ご注文の定番お味噌汁です」
青年の前に味噌汁を置いたあと、彼の対面側に腰をかけた。
「……?なんですか?」
青年は鬱陶しそうにあたしを見た。
「何か用ですか?」
「料理を作っているとき、お前さんたちの会話が聞こえちまってねぇ、ちょっと話したくなったってわけよ」
あたしは淡々と答える。
彼は黙ったままだ。
彼の考えはわかっている。家族と口喧嘩の理由なんてむやみに他人にしゃべることじゃねぇ。
大丈夫だ。こいつはそんなに頭は悪くねぇ。だから本筋を避けて話をすれば、必ず答えるってもんよ。
「お前さんはグルイラオに合格したんだねぇ?あの名門校に。そりゃあ大変なこった」
「どうも」
青年は相変わらず無言のままだ。
「グルイラオってのは遠いんじゃねぇのかい?」
「……はい」
「そりゃあ金もかかるよなぁ?」
「はい」
「お前の親父さんにそいつは払えるもんなのかね?」
「……」
あたしはだんだん自分の話したい方向へ持っていく。
可愛さ余って憎さ百倍、家族たちの隔たりってのは面倒なもんだねぇ。
頭の中に怒りの感情が渦巻いている限り、彼らは他人の意見なんざ聞く耳をもたねぇ。だから、まずこの感情をひっぺがしてやるってわけさ。
負の感情はそう簡単に変えられねぇ。だが……
「親父さんの力じゃ、お前さんの学費なんてとうてい払えっこないってわけか」
負の感情の方向を変えるのは意外に簡単だ。
彼らの感情の根っこを掘り下げる必要なんてない。
「だから」
あたしは頭を上げた青年を見つめて言い放った。
「お前さんのクソ親父の稼ぎが悪いせいで、脚を引っ張られちまってるってとこか?」
自分の父親が他人に馬鹿にされれば大抵の人は必ず怒る。
箸が置かれた。
青年は父親に対する不満をあたしに対する怒りにすり替えた。
「それ、どういう意味だよ?」
青年はいきなり立った。
「誰がクソ親父だって?」
隔たりは壁に見えて、その中は愛を蓄えている。
怒りで自分の家族を守るとき、壁が崩れる。
彼が自分の父親を守ろうとすると、愛がすべて解決してくれる。
あたしは微笑んだ。
「お前さん自分でそう言ってたんじゃねぇのかい?」
淡々とした口調で彼が言っていた言葉を繰り返し言った。
「俺は何も欲しくない。飯を食ったらもうここを離れるクソ親父はサビついた原稿と一緒に暮らしていればいいんだ!ってな」
青年は固まって、何も話さなくなった。
感情が高ぶっているときは自分の感情を整理できず、正確な判断ができなくなる。
だから青年の注意力を引き寄せれば、ここからはわりと簡単だ。
壁を砕いて、海に流させる。
彼を落ち着かせればいい。
「飯はしっかり食ってから旅立って欲しいねぇ」
あたしは柔らかい表情で言った。
「グルイラオってのは桜の島から本当に遠いぞ」
「一年に何回往復するつもりだい?」
「グルイラオで働いた日にゃあ、一年に何回帰ってこられると思ってんだい?」
「父親と暮らす時間も長かねぇだろ?」
……
長年積んできた隔たりは簡単に崩すことはできない。しかし、愛があればすべての矛盾がなくなっていく。
恨みや愛は道理が通じない。
無言の青年を置いて、あたしは父親の方へ行った。
Ⅳ.お礼
あたしは厨房に戻り、あの親子をほうっておいて料理に専念する。
この食事が終わる頃には仲直りするだろう。
「終わりましたか?」
納豆が料理の手伝いをしながらあたしに聞いてくる。
「おう」
「どうやって解決したのですか?」
「彼らに一番大切なものを教えてやっただけさ」
「一番大切なものって?」
「あとで教えてやるからちょっと待ってな」
あたしは笑顔で言った。
「わかりました」
納豆は思い出したように、エプロンで手をさっと拭いた。
「これは記録をしないと。紙とペンを取りに行くので、少しお待ちください!」
朝を告げる鶏が鳴いて、太陽がひょっこり顔を出す。
そろそろ閉店の時間だな。
予想通り、仲直りした親子を見送り、彼らの後姿を見つめているとある思い出が甦った。
考えないように頭を振って、閉店作業を始める。
続けなきゃいけねぇ。
ずいぶんと時間が経った。
とある日の夜明け、あたしは店の前に小包があることに気がついた。
「それなんでしょう?」
納豆はあたしが箱を抱えている姿を見て聞いてくる。
「なんだろうなぁ……」
「えーっと」
納豆は箱を開けた。中には手紙が一通入っていて、彼はあたしに手紙を渡した。
「親愛なるおでんさん、あなたは私を覚えていないかもしれませんが、謝礼を贈らせていただきます」
「先日父親との間に入ってくださり、ありがとうございました。今、父親とグルイラオで暮らしています。すべて順調です」
「箱の中には長年にわたり研究してきたレシピが入っています。それらに関する本も何冊か同封しました。よろしければ、お受け取り下さい」
手紙の内容は短かった。納豆は顔を上げた。
「また謝礼ですね。最近こういうの多いですね」
「うれしいねぇ。いい兆候じゃねぇか?」
笑って手紙を持って、箱をどこに置こうか考えた。
Ⅴ.おでん
桜の島の住民たちに根付いた食文化の中で、居酒屋文化は独特だ。
夜になると、仕事終わりの人々は居酒屋へ行き酒を飲み、友人やそこで出会った人と話し、ストレスを発散する。
夜は居酒屋が一番にぎわう時間だ。
しかし、そんな桜の島でも夜中まで営業している居酒屋はほとんどなかった。
おでんという食霊が現れるまでは。
彼は遅くまで仕事がある人のため、深夜に営業を開始した。
ある夜、彼の店に僧侶の格好をした食霊がやってきた。彼の名は納豆。
彼がこの居酒屋に来た特別な理由はないようだが、ただ人々の物語を記録したいらしい。
それらの物語を知るために、ここにやってきたと言った。
夕日は別れの色をしている。納豆は店の掃除に専念していた。
そばにある机の上には元々部屋の中にしまってあるものが置いてあった。
おでんは目をこすりながら出てきて、机の上の荷物を見た。
「そろそろ行くってのかい?」
彼は寂しそうな表情をしたが、驚いている様子はない。
「はい」
納豆は振り返りおでんを見ながら、小声で答えた。窓を拭いている手は止まっている。
「お前さん、この居酒屋は好きかい?」
「好きです。みんなとても親切だし、それぞれの物語もとても暖かいです」
「暖かいねぇ……」
「……はい、きっとおでんさんが暖かいものをくれるからです」
納豆はやさしく微笑んだ。
「このお店は深夜に輝く小さな光のようです」
あっという間に夜になった。納豆がはじめてここにきた日と同じだ。
「これからどうするってんだ?」
納豆が言った。
「……別の場所へ行って、より多くの物語を記録します」
「そうか、気をつけてな。いってらっしゃい!」
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