タラバガニ・エピソード
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タラバガニのエピソード
龍宮城の真の主。黄泉の毒の影響で堕化が進行している。完全に堕化する前に、自分を消す任務を自分が育て上げた貝柱と車海老に託した。しかし二人はその命令に背き、玉手箱の力を使って、彼を海底に封印した。
Ⅰ.子ども
何故奴らを救う?
自業自得だろう、どうしてお前たちが結果を背負わなければならないのだ?
諦めろ、このままじゃお前も呑み込まれてしまう。
人間は卑怯な生き物だ、お前が何をしようと覚えてくれたりはしない。
諦めろ……
諦めろ……
「主上?主上!」
突然耳元で呼ぶ声がした、ぼやけた視界は少しずつ鮮明になっていく。
青年の目には心配の色が浮かんでいる。余は手を動かそうとしたが、肩に刺すような痛みを感じ、動きがぎこちない。
ほんの一瞬の間だったが、その鋭い青年が気付くには十分だった。
「主上……その手は……」
「問題ない、貝柱はどこにいる」
「……」
「連れ戻せ」
「承知いたしました」
車海老はまだ心配そうに見つめてくるが、彼はいつも通り余の命令を最優先していた。
遠ざかっていく背中を見送りながら、思わず考え込んでしまう。
車海老はこれ程余の命令に忠実なのは、良いことだ。しかし完全に良いことだとは言い切れない。
たまには貝柱の小童を見習うことができれば、少し成長は出来るだろう。
何せ、余がいなくなった後は……
「早くはなせこの鉄仮面ーー!!!!!」
「……」
「兄様、兄様、見てください!!!奴は兄様がくださった服を破きました!!!」
愛嬌たっぷりな声が飛んできて、我に返った。
嫌悪感を隠す様子のない車海老と首根っこを掴まれている貝柱、二人が揃った時のそれぞれの反応は実に面白い……そしてこの二人のおかげで、先程まで心の奥底にあった苛立ちが薄れていった。
しかし……
「……貝柱、何故また血まみれになっている?」
「主上、この小僧はまた自我がなくなるまで暴れていました」
「この鉄仮面野郎――!!!に、兄様……もうしません、怒らないでください――」
海面に視線を向け、その海と繋がっている黒い空を眺めた。その空に活気はなく、どんよりとした暗流が流れている。
じゃれ合っている二人の声は波の音によってかき消されていく、まるで海面の赤黒い波によって洗い流されていくようだった。
「兄様――」
「主上」
「兄様早く来てください!家に帰りましょう!」
手を振ると海が切り開かれた、波で出来た階段が目の前に広がる。
余の方を振り返る二人を見つめていると、胸にはまた致し方ない感情が浮かんで来た。
……二人ともまだ子どもだ。
この様子では、安心して重大な任務を任せられない……
だから……余は自分の責任を果たし、もう少し耐えてみせよう。
彼らの、ために。
もう少しの辛抱だ……
Ⅱ.親友
奴らを殺せ――
諦めろ――
もう大分疲れただろう?
その身体はもう疲れ切っているだろう?
もういつ怪物になってもおかしくないだろう?
でもそれでも構わないだろう?
我らこそ本当の自由を持っているのだ!
さあ!
自由を享受せよ!
暗闇を享受せよ!
狂気を享受せよ!
四六時中、自分にしか聞こえない声が誘惑してくる。
目を開けると、氷面に映るのは疲れに満ちた自分の顔だった。
烙印のような不気味な紋様は、気付かないうちに余の身体と理性を吞み込んでいく。
あとどれ程持つのだろうか?
余にはわからぬ……
最初はただからかうような誘惑に過ぎなかった。
今に至っては四六時中耳元で蠱惑が響き続けている……
この声は別段怖くはないが……
しかし、段々とこの声を認めていく自分がいることに気付いて、怖くなった……
身体の疲労、修復できない損傷、四六時中聞こえる声。
自分でも保証ができないのなら、何の約束もしてはいけない。
……もう……潮時かもしれない。
「綿津見、久方ぶりだな」
恵比寿の顔に驚きの色が浮かぶ。彼はしばらく余の顔を見ていたが、やがていつもの笑顔に戻った。
「恵比寿、久方ぶりだ」
妖怪、神明。
人間に冠された色んな名がある。我々を虚空から生まれし、偉大なる力を持つ異類として認識しているからだ。
現在、目の前で自分を「綿津見」と呼ぶ男も、自分と同じく、人間から「神格」を与えられた異類の一人だ。
余の名が「タラバガニ」であるように、彼も最初から「恵比寿」として呼ばれた訳ではない、「鯛のお造り」という名があった。
「その二人は……」
「余が選定した後継者だ」
鯛のお造りは余の後ろで騒ぐ小童らを見ながら、一瞬だけ悲しみを目に浮かべた。
その悲しみの意味を余は知っている。
「後継者」という言葉の意味も彼は知っているようだ。
我らは共に重い責任を背負っている。
限りのない命を持つ我らは、自分の命が尽きようとするその時でしか、自分の責任を「後継者」に渡そうと考えない。
「……兄様?彼が、兄様が言っていた友達でしょうか?」
微かに不満が滲み出ている声が背後から聞こえてきた、やれやれと煉獄の境から救い出した小童の方を見た。
「……貝柱、礼儀を欠いてはならない」
「フンッ、パッとしないな!」
「……車海老、見張っておけ、物を壊させるな」
「……承知いたしました」
遠ざかっていく二人の背中を見届け、痛むこめかみを抑えながら申し訳なさそうにいつもの笑顔を取り戻した鯛のお造りの方を見た」
「……すまない」
「ふふっ、貴方の後継者がまさか……こんな性格だとは、どっちにするつもりだい?」
「二人ともだ。車海老は落ち着いてはいるが、大事な場面での決断力がない。貝柱は決断力こそあるが、冷静さに欠けている」
話せば話すほど、鯛のお造りの顔色は暗くなっていく。
「折角の再会だ、そんな顔をするな」
珍しく余がからかっているのに、鯛のお造りはまだ眉をひそめたままだった。
「貴方から私を探しに来たということは、つまり……」
「侵蝕が想像よりも遥かに早く進んでいる。すまないが、あの小童共を頼みたい。彼らは合格な王者としてまだ成長出来ていない、あの広い海を守るにはまだ……」
「私が言いたいのはそういうことではない!!!」
……
鯛のお造りは大きな声で話す者ではない。
彼の性分はむしろ、他人をイラつかせる程のんびりとしていた。
しかし、今自分の目の前で感情を露わにしている彼は、聞いたことのない声量で心の声を叫んでいた。
「…………ごめんなさい。私は……貴方を責めるつもりはないんだ」
「知っておる、気にするな。何しろこれから余はより酷いことを其方に頼むつもりだ」
「……」
久しぶりに会ったとしても、鯛のお造りは全てを託せる程の友人だ。どうしてか心の中にあった焦燥や苛立ちが、あたたかい陽ざしに触れた霧のように消えていった。
これからの彼の反応を想像して、思わず笑ってしまうくらいには清々しい気分だ。
「その日が来たら、余を殺せ」
Ⅲ .兄弟
むかし、むかし。
この空にまだ月が懸かっていた頃の、遠いむかし。
人間は、突然現れた我らのような存在がなんなのかわからなかった。
ある者たちは人間に「妖怪」にされ、ある者たちは人間によって「神格」を「贈与」された。
力を持つ存在ならこの地にたくさんいる、その中に人間を守る意思のある者はほんの一握りしかいない。
この一握りの存在こそ、人間にとっての「神明」になったのだ。
其の頃の桜の島は混沌が広がっていた。
凄まじい悲鳴が地獄からの炎の中で捻じれ、人々は地獄から這い出た怪物に立ち向かうことが出来なかった。
そんなある日、ある声が桜の島の各地域の主人を召喚した。
それはとても優しい声だった。
声の主は「輝夜」と名乗った。
彼女の傍には一人の神使がいた、そして代々彼女に仕えてきた陰陽家も。
この天地はもうすぐ堕ちる、彼女の神使はそう告げてきた。
堕ちる前、彼女は自分の全ての力を桜の島の各地域の主人に贈ると言った。
しかし、その力は災厄と壊滅をもたらすものでもあったそうだ。
そんな中、最も危険なのはこの「千引石」という名の石だった。
「恵比寿……私がこれを……」
「輝夜様、この石は余にお任せを」
「……綿津見。しかし……この石は貴方を侵蝕し続ける……これは貴方が背負うべき責任ではない」
「恵比寿こそ、湧き続ける怪物を絶え間なく消すことは出来ないだろう、あれは黄泉の門だ」
「……」
偶然いつも笑顔の青年と知り合い、すぐに友人となった我らはお互いの実力をよく知っていた。
「それに、海はもともと余の領地だ。余が倒れる前に、誰かに守ってもらう訳にはいかないし、義理もない」
あの時の空には、涙がこぼれてしまう程に美しい明月が懸かっていた。
明月のない夜、傍で飲んでいる相手は相変わらず昔からの友人だった。
彼は苦笑いを浮かべていた。
「……この任務は、随分重いな。あの二人は知っているのかい?」
「ふふ……」
「貴方のその表情からすると……彼らにも同じことを話したのだろうな」
「ああ、しかし彼らはきっと余の言う通りに行動しないだろう、余の教育が行き届かなかった」
「……悪趣味な人だ、一番面倒くさい事を私に押し付けて」
ぶつくさと言う声に思わず笑ってしまった。
杯の中を見つめる青年を見つめた。
「彼らは小童だが、其方は兄弟だ」
「……この野郎」
「余がいなくなった後、二人のことは其方に任せた……人生の先輩として、正しい未来を見つけてあげて欲しい」
肩に小さな衝撃を感じた。
鯛のお造りは見たこともないくらい真剣になった。
「彼らだけでなく、貴方にも正しい未来がある筈だ。そう約束しよう」
「……わかった。ならば余も……期待しておこう」
Ⅳ.変化
暗闇の中目を開けると、そこに広がっていたのは長い歳月を経ても何の変化もない海底だった。
ただ余の身体は指先すら動かせなくなっていた。
強固な氷が余の身体を包んでいた、余の意識の全てを蝕むような暗闇も、その氷のおかげで動きが止まっているようだ。
「クソッ!!消えろ!!!!!消え失せろ!!!!!誰が貴様らみたいになるか!!!!!とっとと消えろ!!!!!」
少年のしゃがれた声が聞こえてきた、その声は空っぽな部屋の中やけに響いていた。
無意識にため息をつきたくなったが、少しも声は出せなかった。
貝柱の身体にはかつての余と同じ不気味な紋様が浮かび上がっていた、その妖しい赤色は彼の身体に徐々に広がっている。
余が無意識に甘やかしていたからか、この少年は昔から痛みに弱かった……
怪物の群れの中心で暴れている時は血眼になって、全身が血で染まっていても気にすることはなかった。だが、どんなに小さな傷が出来ても誇張しては余に慰めてもらおうと訴えてきた小僧が、今や余も耐え難い程の痛みに耐えていた。
貝柱は歯を強く食いしばり、青筋が痛みで浮かんでいた。
他の者にはわからないが、身を持って体験した痛みだ、彼の気持ちは痛い程わかる。
余はすぐに目を閉じることはなかった、ただいつも子ども扱いしてきた少年の悲鳴に近い咆哮を聞いていた。やがて咆哮は止み、荒い呼吸音が残った。
「……はぁ……はぁ……大丈夫……兄様の侵蝕は……私のより遥かに重い、それでも……彼は耐えてきたから……」
自分を慰めているのか、小童は繰り返し同じ言葉を呟いた。やがて力が尽き、そのまま倒れ込んで眠ってしまった。
彼が眠った後、閉じられていた扉が開けられた。
「……馬鹿なガキだ」
貝柱とは犬猿の仲である筈の車海老は、嫌味を言いながらも、慎重に貝柱を休息をとるための氷で出来た寝台に運んだ。
寝台で横になった貝柱の、強張って丸まっていた身体が解れていくのがわかる。
それはかつて余が侵蝕を遅らせるために使っていた道具だ。寝心地は決して良くないことは知っている。
貝柱のような甘えん坊が好きな感触ではない筈だ。
寝台のそばに腰を掛け、刀をしっかりと抱えている車海老を見た。
もしかしたらこの二人は鯛のお造りの言った通り、或いはそれ以上に強いのかもしれないことに、ふと気が付いた。
なら、いつかまた会える日を、期待しても良いのだろうか?
Ⅴ.タラバガニ
もし、生まれながらの王者がいるとすれば。
人間遥かに超える力を持っていて、数え切れない程の暗闇を経験してきたが。
それでも王者としての責任を持ち、怨むことなく民を守ってきた。
友人である鯛のお造りも、いつも彼に守られていた。
定められた悲運に直面した時も、彼は動揺しなかった。
自分が死んでからの全てを、妙に落ち着いた様子で手配していた。
彼にとって、自分が守る存在のために全てを捧げるということは、何の躊躇も必要ないことのようだった。
このようなタラバガニだからこそ、親友の目には優しさの塊に映った。
人間の子どもの祈りを聞き届け、海面に法螺貝を置いたり。
自分とは違う理念を持った「妖怪」と友達になったり。
帰る場所をなくした「仲間」のために居場所を与えたり。
王者が背負わなければならない硬い殻を脱ぎ捨てた時のの彼は、友人をからかったりする青年に過ぎない。
親友と共に月の光の下で桜を見るのが好きで、大声を出すことのない青年だった。
そしてたまに、自分の「弟たち」を甘やかしすぎてしまう弟バカでもあった。
しかしこのような青年は、「王者」としての責務を果たすために、悲劇への道を辿ることを余儀なくされてしまった。
これはタラバガニを知っている誰しもが、彼に進んで欲しい道ではない。
「悔しいんです、どうして貴方様なんですか、どうして……」
彼が最も溺愛していた少年は、目を真っ赤にして彼に問いつめた。
「余はこの海の王者だがら。余には強い力があるから。余が龍宮城の主だから」
青年の声は穏やかで、怒りの感情はなかった。怒りで龍宮城の大半を壊し走り去っていく少年を見て、かえって申し訳なさそうな目をしていた。
「……車海老、すまない、責任を押し付けてしまった」
「主上、きっと他の方法があります、そうでしょう?」
「あるかもしれん……しかし確実な方法が見つかっていない内は、桜の島の安否を最優先に考えなければならない。これは命令だ」
最も穏やかな口調で最も冷酷な言葉が発せられた。この者は、誰に対しても万全の準備をして来たのだ。
「その日が来たら、余を殺してくれ」
鯛のお造りは穏やかで、笑みさえ浮かべているタラバガニを見て、眉をひそめた。いつものゆったりとした口調が乱れてしまう程に取り乱した。
「……タラバガニ、何を言っているんだ?」
「ああ」
「じゃあ……あの二人も……」
「余はあの二人を甘やかし過ぎた。余が去った後、奴らは狂って何をするかわからない。だから、余が去った後に、二人が生きていく理由を見つけてやってくれ。例え其方を殺して、余の復讐を果たす、という理由でも良い」
タラバガニの声は決して大きくはなかった、微かに笑みを浮かべながら、鯛のお造りの提灯を穏やかに見ていた。その提灯の中で泳いでいる赤い遊漁は彼の顔に赤い光を映していたが、それが妙に鯛のお造りに寒さを感じさせた。
「守る」ためなら手段を選ばないタラバガニだった。
「怒ったか?」
「……いや、ただ……タラバガニ、貴方はどうしてそこまで?」
「余のした事は、余が守りたい全てを守るためにした事に過ぎない、例え何を利用したとしても」
「……」
「余の死ですら、厭わない」
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