甘えび・エピソード
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甘えびのエピソード
龍宮城の小さき姫、賢くいたずら好きだが、限度を知っているので人を怒らせる事は無い。いつも自分の見た目を利用しては、周囲に甘えたりする。傍にはいつも護衛がついていて、護衛は彼女を守っているというより、無茶な事をさせないように制御していると言った方が良いだろう。
Ⅰ.遭難
桜の花びらは風に乗ってぐるぐると舞っていた、その可憐な桃色はまるであたしの気持ちの様で美しかった。
青く澄み切った空はないし、キラキラと輝く太陽もない。
だけど、それでも、あたしは目の前の全部が好きだ。
だって……
あの真っ暗な海底じゃないなら、どこでも最高だと思うわ!
久しぶりに外の澄んだ空気を吸いながら、あたしは背筋を伸ばした。骨がポキポキと鳴る音すら聞こえる。
頬に触れた風は干し草の匂いがした。葉っぱが擦れるカサカサとした音も心地いい。
そう思っていると、瞼も段々と重くなって……
「グルルルル――」
「うぅ……車海老……もう少し寝かせてよ……」
「グルルルル――」
「うぅぅ……うるさい!あとで兄さんに言いつけるわ!」
頭がすっごくだるい。
うっすらと目を開けると。
「グルルルガァァァァ――」
うわ……すっごく臭い!!!
車海老は薄っすらと海風の匂いしかない筈なのに……
こんな生臭い匂いがする筈ないわ。
まさか、野暮な怪物がこの姫の寝殿に勝手に入ってきたってこと?!
眉をひそめ、顔を上げると、そこには巨大な物凄く濃い血の匂いがする怪物の口があった。
生臭くて、腐った匂いはほぼあたしの顔の真ん前から漂って来ていた。
「見ろよ~こんな可愛い獲物ちゃんを見つけちゃった」
巨大な頭と、柔らかくて骨がないようだけど、力強そうな大きな触手。
「それ」は言葉に出来る程の形はなかった。だけど「それ」が目に入った瞬間、あたしは本能的に叫んだ。
逃げなきゃ!!!!!
足を動かそうとした時、あたしの足は既にあたしの思い通りに動かなくなっていた。
「こ……来ないで、近づかないで!!!あたし……あたしは……」
「ハハハハハハ!自分からやってきた霊力だからな、ありがたく頂くしかないじゃないか――」
「うわあああああー!!!!!」
Ⅱ.人間
「うわあああー!!!!!」
想像していた痛みはやってこなかった。ふと、あたしは謎の強い力によって遠くに投げ飛ばされた。
地面の石がゴツゴツしていて痛かった。目を開けて何かを言おうとしたけど、すぐに腕を掴まれて逆方向に強制的に走らされた。
「貴方は……」
「喋らないで!走るよ!!!!」
それは極普通の人間のようだった。普通の服を着ているし、しかもつぎはぎだらけだった、後ろ姿もカッコ良くない。
彼の足はとても速くて、あたしの足じゃ追いつけない。でもあたしが転びそうになった時、彼は私の腕を痛い程に握り締めて引き寄せてくれた。
いつの間にかあたしの下駄がなくなっていた、裸足になった足裏から今まで体験したことない痛みが伝わってくる。
うぅ……こんなことになると知ったら、兄さんの言う通りに龍宮城に大人しくするほうがいいのに。
気がつくと、足先が小さな石にぶつかった。本当に小さな石だったけど、あたしはそのまま躓いて転んでしまった。
……全身が痛い。
あたしを引っ張っていた人間も足を止めて、振り返ってあたしの方を見た。
……この人はこのまま逃げるだろうね……
そう思っていると、彼は突然こっちに走って来て、あたしとあたしを狙う怪物の間に入って来た。
彼の背中は恐怖で震えていた。
この人は、今すっごく怖がっているんだ。
「逃げてよ、あたしのことは放っておいて」
「ダ、ダメだ」
彼の声も本人と同じくらい普通で、そして微かに震えていた。
バカだな……こんなに怖がっているのに……あたしを守るって言うなんて。
この人が、兄さんが言っていた、自分の力量すらわからない普通の人間っていう奴かな。
あの怪物も賢いとは言えない動きで、あたしたちに向かってそのまま突進してきた。あと少しであたしたちに覆いかぶさって――
キーンッ――
寒気を帯びた一筋の光が閃き、あの人間に触れる寸前だった触手は半秒くらい制止した後、怪物自身の身体に落ち、周囲に濃く臭い黒い液体が飛び散った。
その液体は、両手で刀を持っている青年に飛び散ることはなく、あたしの前に立ち尽くしている普通の人間の方に全部飛び散った。
……ありえない!この人間があたしの前に立っていなかったら、その変な汁は絶対全部あたしの方に飛んでたじゃない!
車海老のバカ!!!!!絶対にわざとだ!!!!!
「車海老!!!!!貴方はわざと!!!!! いっ――ッ」
地面から起き上がろうとした時、足首に激しい痛みが襲って、あたしは息を吞んだ。
「…………」
振り返った車海老は、相変わらず表情が読めない。
「バカ!!!貴方は絶対にわざとだったよね!!!」
「帰りますよ」
「聞いてるの?!」
彼はあたしの言葉を無視して、自分が言いたいことだけ言っていた。
ここまでの恐怖と痛みは全て怒りと化した、あたしは頬を膨らまして押し黙って何も言わない奴を睨みつけた。
「帰らないっ!!!!!」
「帰りますよ」
うわああああああ――ヤダッ!!!
車海老のバカバカバカ――天下一の大バカ者――!!!!!
「あ、あの……」
すぐ近くの声によって考えが遮られた。この時、あたしは初めてこの人間の顔をしっかり確認した。
まさに兄さんが言っていた通りの普通の人間だった、容姿すら普通だった。
「あの、ありがとうございました。あと、お嬢ちゃん、大丈夫?」
その普通の人間は車海老に感謝の言葉を述べ、そして穏やかな笑みであたしの方を見た。ついでに手を伸ばしてあたしの乱れた髪を軽く整えてくれた。
「どうして、助けてくれたの?」
「……私の娘がね、ああいう怪物によって殺されたのさ。さっきは……体が勝手に動いてしまって……でも君が無事で良かった」
この普通の人間を改めて見てみた。普通としか言えない、兄さんほど綺麗な容姿はないし、着ている服も素朴で、悪く言えばダサかった。声にも特徴はない。この大バカ者の車海老の声でさえも彼のよりは聞き心地が良い。
でも、彼のその、あたしの髪を撫でる時の笑顔は……
「良い事を思いついたわ。この姫であるあたしと一緒に龍宮城に行かない?」
「……うん?」
「もう一度聞くわ。あたしと一緒に龍宮城に行かない?そこには怪物もいないし、美味しい物もいっぱいあるし、綺麗な服もたくさんあるよ」
「……ありがとう、でも大丈夫。私の家には妻と幼いもう一人の子どもが私の帰りを待っているんだ」
……
嘘でしょう……
このあたしの誘いを断るなんて……
「車海老!!!あたしのためにこの人を連れて帰って!!!」
「某は其方の護衛ですが、召使いではありません。そろそろ戻りましょう。そちらの殿方も、先に失礼させて頂きます」
「うわあああああ――放してよこのバカ!!!絶対にこの人を連れて戻すんだから!!!」
両足が突然宙に浮いた、車海老があたしを脇の下に抱えたんだ。
手や足を振ってもがいても、この野蛮人の束縛から逃れられないあたしは、力いっぱい彼を叩いた。
「何よ!言うことを聞かないだけじゃなくて!邪魔までするなんて!」
「あれはただの人間です、すぐに老いて死んでしまいますよ」
「…………」
……そうだね……
彼はただの人間だ……
すぐに老いて、誰だかわからない白骨になってしまうわ。
Ⅲ .龍宮城
「はぁぁぁぁ―疲れた―うわぁ?!!車海老のバカ!あたしに何するつもりなの!」
貝殻の寝台ですやすやと眠ろうとした時、車海老があたしの首根っこを掴んでひょいと持ち上げた。
「貝柱が貴殿に会いたいそうです」
「……えっ、兄さんがあたしに?」
「勝手に出て行ったことを知ったからな」
「……なんですって!!!あなたが言いつけたんだね!!!」
「ああ、某が報告した」
この大バカ者、いつか絶対に殺す!!!!!
視線でこの鉄仮面を殺そうとしていると、気付いたらあたしたちは兄さんが居る宮殿の前に辿り着いていた。
外見と内装が精巧で、立派な宮殿に見えるけど、温度はすごく低い。
氷で作られた巨大なる宮殿の中、兄さんいつも一人だった。
いや、違う……あのひともいる……
恐る恐るその中へ一歩踏み入れた。
宮殿に入った途端、大きな影があたしの方へと駆けつけ、気づくとそのひとの腕の中に抱かれていた。
「どこに行ってたんだ?心配していたぞ」
兄さんの細い体は小刻みに震えていて、あたしをぎゅっと逃がさないように抱き締めていた。
冷気こそ放つこの宮殿の中、兄さんの体だけは微かな温度を持っていた。
そっとあたしを抱きしめる兄さんの背中を撫でた。
「ごめんなさい……兄さん、勝手に出て行ってしまって……」
兄さんは力を緩めて、屈んで、あたしの目を真っすぐ見た。
「何度も言っただろう、外に出てはいけない、外はあまりにも危険だ」
「……うん……」
兄さんはあたしをくまなく観察した、そしてすぐにあたしの傷ついた両足に気付いた。
兄さんの顔立ちはとても綺麗だ、それは性別を超えた美しさだった。兄さんに真っすぐ見つめられると、まるでこの世界にはあたしたち二人しかいないよいな錯覚に陥ってしまう。
兄さんはいつも優しく笑いかけてくれる。
でもあたしは……少し怖い……
「怪我したのか?」
小さく眉をひそめた兄さんは、あたしを引っぱって横に会った氷の椅子に座らせた。
前に座った時、冷たさでブルブルと震えたけど、今は柔らかい敷き物が敷かれていた。
兄さんはあたしの前に座り、あたしの傷ついた足を慎重に持ち上げた。
兄さんの手から足を引き抜こうとしたら、足を強く握られた。
「……いたっ」
「小さな傷口がいっぱいだ、痛いのは当たり前だろう」
兄さんは細心の注意を払って傷口に薬を塗ってくれた。
その動きすら柔らかいままだった。
だけどその動きは反抗を許さない。
「はい。おてんば姫、もう勝手に外に行かないようにね?」
鼻を軽くこすられた。あたしは肩をすくめ、兄さんの方を見た。
「兄さん、傷薬を塗った手を洗わずにあたしの鼻をこすったわね」
「私は姫の足を嫌がらずに触ったのに、姫は私に触られるのを嫌がるのかい?」
「フンッ」
「はいはい、嫌な思いをしたのは聞いたから。でも今外は本当に危険なんだ、次に何か欲しい物があれば、車海老に頼んで買って来て貰いなさい」
「じゃあ、綺麗な服がたっっくさん欲しいわ!」
「ああ、良いよ。うちのお姫様にたくさんの綺麗な服を買ってあげよう」
大丈夫……
ほら……こんなに素敵な兄さんだよ……大丈夫……
あたしが彼の小さなお姫様でいる限り、思う存分彼に甘えられるんだ!
言われた通りに玉手箱を使っていれば、空に浮かぶお星様が欲しいって言い出しても、きっと怒ったりしないわ……
大丈夫……
絶対に……大丈夫だから……
Ⅳ.泡沫
「ああ!!!良かった!うちの村にも妖怪が!!!」
「本当に良かった!!!」
見慣れているようで見慣れない光景が目の前に広がっていた。あたし俯いて自分の格好を確認した。
……埃だらけの服と、雑草のように乱れた髪。
「お前は妖怪じゃだろう!!!早く怪物を殺して来いよ!!!」
「早く行け!!!泣くな!!!泣いてんじゃねーよ!!!」
目の前の怪物は牙をむき出し、その鋭利な爪先があたしの皮膚に一つ、また一つ傷跡を残していった。
泣き叫びながら耳を塞いでしゃがみ込んだ。
だけど誰も助けに来てくれない。
「お前は妖怪なんだ!食事なんかいらねぇだろう!」
「妖怪ごときが!服があるだけ十分だろう!新しい服だと?笑わせるな!」
「おもちゃも欲しい?自分を人間だと思っているのか?フンッ!」
色とりどりの服、綺麗なけん玉、人形、凧……色んな物が目の前を過って行く。
……知ってるわ……全部「お金」というものがないと手に入れられないってこと。
でも、あたしが倒したその怪物たちは、たくさんのお金に換えられるんでしょう……
あたしが唯一持っている物は、村の中、道端に捨てられていた絵本だった。
絵本には「姫」が描かれていた。姫は色々な経験をして、様々な苦難を乗り越え、やがて本当の家族が迎えに来て、自分の城へと連れ帰ってくれた。
あたしにも……こんな日が来るのかな……
「ここで間違いないな?」
聞き心地の良い声が聞こえてきた。
すぐにわかったわ、この人はあたしを迎えに来てくれたひとなんだって。
あたしは振り返って、入口に立っているそのひとを見た。
あんなに綺麗なひとを見たのは初めてだった。
彼の服には高価そうな貝殻や真珠がたくさんあった、その服もあたしが見たことのない美しい色をしていた。
彼はまるで光っているようだった。
彼は言った、彼のことを兄と呼んでもいいと。
彼は言った、これからはあたしを守ってくれると。
あの日彼らに付いて龍宮城に行ってけれど、あたしは躊躇して座ることも出来なかった。
あたしの汚い服が彼の美しい宮殿を汚してしまうのではないかと心配した。
でも彼はあたしを椅子に押し付け、丁寧にあたしの髪を空梳いて、更にあたしに世界一綺麗な服を贈ってくれた。
彼は言った、この龍宮城がこれからのあたしの家なんだと。
彼は言った、あたしには「車海老」という名前の護衛がいて、これからはあたし一人であの怪物たちと戦わなくて済むと。
彼は言った、あたしは世界で一番が綺麗な服とおもちゃ全部を手に入れられると。
あたしは、かつて自分が求めていた全てを手に入れた。
綺麗な服、キラキラした宝石、数え切れない程のおもちゃ、そしてあたしを溺愛してくれる兄さん。
全てが、絵本に描かれたおとぎ話が現実になったようだった。
海中の泡沫のように、美しい。
だけどあたしは知っていた、全ては本当に泡でしかないかもしれないということを。
でも、それでも、それらは壊したくない程に美しい泡だった。
じゃあ……気を付ければ……この泡は……割れないんじゃないのかな……?
Ⅴ.甘えび
眠りから目覚めた甘えびは自分の寝台に座っていた。
彼女の貝殻の寝台には、ほとんどのひとが想像することのできる最高の物で埋め尽くされていた。
彼女は黒真珠の目を持つ人形を強く抱きしめ、寝台の上で丸くなっていた。
静かな宮殿の中、彼女の息づかいだけが聞こえる。周りを泳いでいる小魚が珊瑚の陰に隠れ、彩り豊かな光が映し出された。
これは貝柱が彼女のために作った宮殿だった。
まるで伝説で語られている宮殿のように美しい。
最高に柔らかい寝台に、おもちゃのごとく床に乱雑に置かれた無数の宝石、拳程大きい真珠で出来たけん玉、そして珊瑚で彫られた黒真珠の目を持つ人形り
暗い場所が苦手な甘えびのため、特殊な材料で隔離された海底空間に、色とりどりに光る小魚や海底植物がいっぱい育っていた。
しかし、彼女はあまりにも簡単にこの全てを手に入れた。
怖くなるほど簡単だった。
甘えび、氷の宮殿の中一人きりでいる貝柱兄さんのことがとても好きだ。
それと同時に、彼に恐怖を感じていた。
少年と青年の中間に位置するその男は、いつも優しく彼女に微笑みかける。
彼女が何をしても責めたりはしない。
しかし甘えびも彼の普段の姿を見たことがあった。
以前、彼女が海底の真珠と珊瑚を集め、兄に似合う花冠を作り上げた時。それをこっそり貝柱に贈ろうとしたことがあった。
しかしその日彼女は、彼女の前で一度も笑顔を崩したことのなかった青年が、無表情で氷棺を見つめている姿を見た。
その冷たい視線に恐怖を覚えて、彼女は花冠を持ってそのまま宮殿から逃げ出した。
彼女は膝を抱えたまま、あれこれ思い出しながら、戸惑っていた。
影の中に立っていた護衛は、寝殿の上で体を小さく丸めている姿を眺め、ため息をつきながら影から出てきた。
「何故、まだ寝ないんですか?」
「……兄さんは、どうしてあの宮殿から離れないの」
「そこに用があるため、彼は離れられないのです」
「……じゃあ、どうしてこんなにあたしに良くしてくれるの」
「……彼なりの理由があるんです」
「うん……いつか……わかるよね」
本当に……わかる日が来るのかな……
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