さんまの塩焼き・エピソード
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さんまの塩焼きのエピソード
いつも寡黙な少年。
野良猫をたくさん拾ってきては、飼っている。
人と関わるより、猫たちと一緒にいることを好む。
Ⅰ 春のおとずれ
明け方、窓を開ければ風が吹き込んでくる。
「さんまの塩焼き!起きて、もう朝だよ!」
いつも風と共に僕の耳をなでたあの声は今となってはあの黒髪と共にただの思い出になっている。
「ニャオ――――」
聞きなれた猫の鳴き声が聞こえた。
「おはよう、小夜(さよ)。」
僕は小さな声でささやくと、小夜を胸に抱いた。
小夜というのがこの子の名前だ。
十年前の満月の夜、小夜はここに現れた。
彼女は全身が真っ白な毛に覆われ、しっぽと爪と頭のてっぺんだけが黒かった。
当然、名前を持つのは小夜だけじゃない。
この私塾にいる全ての猫が自分の名前を持っている。
僕はたぶん、猫に名前を付けるのが好きなんだ。
かつて彼女がそうしたように。
いつも小夜の鳴き声で、部屋にいる他のニャンたちが目を覚ます。
でもみんな、うるさくしたりはしない。
甘えるように僕の方へ近寄ってくるだけだ。
毎日、こんな心休まる暖かなひとときに浸っている。
一昨年ここへ来た茶トラのミカンは臆病で人見知り。
いつも小夜の後をついて回ってる。
誰かがここにやって来ると、最初に気づくのはいつもミカンだ。
そして、今みたいに小夜の後ろに隠れて震えながら、ニャアニャア鳴くんだ。
「はあ~、今日も気持ちのいい日だなあ!」
天ぷらはいつも乱暴にずかずか入ってくる。
ニャンたちが怖がってるっていうのに。
「しっ……何度も言っただろう。そんなに大きな声を出すなって」
「あ、ごめんごめん、また忘れてた。へへへ……」
天ぷらはいつもこうしてヘラヘラしている。
今度来たときもまた同じことを繰り返すに違いない。
「今日は塾が休みだってどら焼きたちに聞いたんだ。それで俺たちここへ来たってわけ。」
ここは私塾。僕はここの教師だ。
生徒たちとは仲良くやっている。
唯一苦手なのは講義が嫌いなどら焼きくらいだ。
「俺たち?」
そう訊いた後、天ぷらが『俺たち』と口にした理由はすぐに分かった。
「気にしない気にしない。天ぷらの記憶が悪いのなんて放っておけばいい。」
天ぷらと一緒にやってきた僧侶が言った。
そして後ろを振り返って訊いた。
「あなたもそう思うでしょ?」
「もう慣れたとはいえ、さんまの塩焼きのことが嫌いにならないのは自分でも意外だと思うよ。」
扇子を開いたり閉じたりする音がして、すき焼きが笑いながら中へ入ってきた。
「さて今日は何をしようか?」
Ⅱ 桜の出会い
桜の花が散る春先はまさに花見の季節だ。
「この季節の一番の楽しみといえばやっぱりお酒でしょ。ああ極楽、極楽」
味噌汁はそう言って手にした酒をまた一口あおった。
「ははは~もしかして自分が僧侶だということ忘れてるんじゃないのか?」
すき焼きは扇子を開いたり閉じたりしながら、口を隠して笑った。
「楽しめる時に楽しまなきゃ。反省なんていつでもできるんですから」
味噌汁の表情に後悔はまったく感じられない。
「何を見ているのですか?」
突然近付いてきたすき焼きの甘い声に、僕は少しうろたえてしまった。
「うん、ちょっと考えてただけ。天ぷらと子どもたちはとても仲がいいなあって」
僕はすき焼きの顔も見ず、膝の上の小夜をなでながら生徒たちに囲まれている天ぷらの姿を眺めた。
「おい、お前らこんなところで何やってんだ!」
近くにいるのは分かっているくせに、天ぷらの声はいつも大きすぎる。
「それなら、あなたと小夜の関係も特別でしょ」
すき焼きの言葉に含みがあることは分かった。だけど、静かに流れる時間の中で僕はただ黙っていた。
満開の桜が色を持たない風に吹かれて散っている、あの時も今と同じように春の気配に満ちていた。
彼女はこの景色がとても好きだった。この季節が来るたび、いつも彼女は満面の笑みを浮かべて僕に言うのだった。
「雪はもう降らないね」
彼女は僕の御侍だった。黒くて長い髪をした女の子で白い着物と猫、暖かい季節、そして人間が大好きだった。
彼女はいつも鳥居の上に座って遠くを眺めるのも好きで、そんな時は何か楽しいことを思い出しているようだった。
しかし、最後には虚しそうな顔になる。
「もう遅いよ、降りてきなよ」
僕には、どうすれば彼女を喜ばせることができるのか分からなかった。でも彼女は僕を見るといつも目に不思議な笑みをたたえるのだった。
「うん!しっかり抱きとめてよ!」
言い終わらないうちに彼女は飛び降りた。僕は両手を広げ、彼女がふわりと胸に飛び込んでくるのを迎え入れた。
何か…どこか…これまでと違うような…
「危ないよ」
「しっかり受け止めてくれたじゃない」
「次は受け止められないかも…」
「次はないわ」
彼女は突然そうつぶやくと、また笑顔に戻って僕に言った。
「あはは~さんまの塩焼きは意外と子供を教える先生に向いてるかもね~」
「騒がしいのは嫌いだから無理だよ」
この話題を続けたくなかった僕は、さっき感じた違和感も深く考えないことにした。
今思えば、あの時僕には分かるべきだった、彼女が言った言葉の意味を。
「絶対、いい先生になるよ!だってさんまの塩焼きはとっても優しいんだもん」
彼女は満面の笑みで僕を見た。あの時は月の光がどんな風だったか覚えていないけど、彼女のあの顔はずっと忘れられない。
「何を考えてぼうっとしているんですか?」
僕の目の前で扇子を動かしながらすき焼きが訊いた。
「やっぱり誰かのことを思ってたんですね。あなたのような朴念仁でも恋に目覚めることがあるんだね」
ずいぶん飲んで酔っ払った味噌汁が近付いてきて僕の肩を引き寄せた。
「そんなことはどうでもいい…」
僕はもう二人のお遊びに付き合うことを止めてうつむき、膝の上で気持ちよさそうに寝ている小夜を眺めた。
と突然、桜の花びらが一枚、小夜の頭に落ちてきて、その黒い毛の上に雪のように乗った。
「そうだな。たぶんもう雪は降らないだろうなあ、小夜…」
Ⅲ 夏の花火
春が過ぎ、夏がやってきた。
僕の知る限り、夏が来るたびに御侍はぐったりする。
そういうときの御侍は、家の中でここで起こったことを僕に話して聞かせる。
御侍が言うには、ここは元々たくさんの人がお参りに来ていたそうだ。
特に今みたいな真夏には、たくさんの人がここでお祭りをした。
お祭りの夜は、小さな夜空が鮮やかな花火で明るくなる。
そのとき、ここには笑いと幸せがあふれる。
彼女はそういう夜が大好きで、だから彼女の名前は小夜という。
「先生、花火だよ。見て!」
たい焼きは手に線香花火を持ち、うれしそうに僕に駆け寄ってきた。
僕の膝で丸くなっている小夜を驚かさないよう、たい焼きは花火を高く持ち上げた。
その静かな花火は夜空に映え、しばらくの間輝いていた。
きらめく光は僕をあの夏に引き戻そうとしているようで、僕はまた過去に沈んでいった。
「今頃は、本当はお祭りの準備を始める頃だわ。」
御侍は退屈そうに床の上をごろごろしている。
「でも…見られないの…」
「今の季節、暑くて出かけたくないって言っていませんでした?」
「お祭りは夜でしょう!小夜は音が聞こえると、すぐ高いところに跳び上がって見るの!」
「跳ぶ?」
その頃、僕は御侍のこういう話を変だとは思わなくなっていた。御侍の話はいつでも少し現実離れしている。
しかし、御侍は私の質問を聞いていなかったようだ。
「ピューーって音がして、空にたくさん、たくさん花が咲くのよ!」
御侍は身振りで示しながら笑って僕に話す。
彼女はきっと一番好きな光景を話しているのだとわかっている。
「その景色は、絶対忘れられないの!」
「うん、僕も見てみたい。」
僕は無意識に同意したが、この言葉の意味を最初は考えなかった。
「じゃあ…さんまの塩焼きは何が一番好き!」
御侍のきらきらした目がまっすぐ僕を見つめた。
「秋の紅葉かな。」
僕は淡々と答えた。
「じゃあ、あとで紅葉を見に連れて行ってよ、私が花火を見に連れて行くから!約束よ~」
御侍は突然近づき、顔を僕の前に寄せてきた。
「ん。」
僕は答えた。
「よかった、ね、団子。」
御侍はこれがとってもうれしかったようで、部屋に入り込んできた白いニャンにこう言った。
話は続かなかったが、僕がもう一度御侍を見ると、彼女は団子を抱えて寝そべり、眠っているいるようだった。
そのときまで、僕は、何かが静かに変わっていることに気づかなかった。
Ⅳ 夢花火
いつからかわからないが、夏に軒下で涼む御侍を見ることが少なくなっていった。
その日、御侍はなかなか帰ってこなかった。
僕は御侍がどこかの桜の木の上に隠れているのかと思ったが、彼女は現れない。
そこで僕は御侍が現れそうな場所を全部見回ったが、形跡を見つけることはできなかった。
心に小さなさざ波が立ち、僕はそれが良い予感ではないと思った。
「ドンッ――――」
扉が重々しく開かれ、暗鬱な音をたてた。
「御侍!」
突然帰ってきた御侍を見て、僕は思わず駆け寄った。言いたいことはたくさんあったが、何も口から出てこない。
僕は静かに彼女を見つめるだけだった。
「ごめんなさい、心配かけて。怒らないで。」
御侍はこんなときにも、明るく笑った。
実は、僕は彼女がなぜいつも笑っているのかわからなかったし、なぜ彼女の目には僕がいつも怒っているように映るのかわからなかった。
しかし、僕がそれを考える間もなく、右手をつかまれた。
「始まるの。走って行こう!」
御侍は僕を引っ張って走りながら言った。
「何が始まるの?」
御侍はたぶん僕の質問が聞こえなかったんだろう、何も言わずに走り続けた。
僕はこのとき初めて鳥居のそばの小屋を離れ、人の群れを縫って知らない世界にやってきた。
どれくらい御侍について走ったかわからない。空は黄昏から闇夜へ変わっていた。
「もうすぐ上がるの!花火!」
「え?」
「あのね…花!火!」
走ってる御侍の声は震え、僕ははっきり聞き取れなかった。
でも、僕には御侍が今なぜこんなにうれしそうなのか、わかっていた。
「ピュ――――」
御侍がかつて僕に教えてくれたのと同じ音で、上る花火が流星のように空に弧を描いた。
続いて、耳をつんざくような音がした。
火花が四方に広がり、空に開いた花はまるで闇夜を引き裂くようだった。
「花火!」
僕と御侍は足を止め、肩を並べて立った。御侍は空を指さし、小躍りした。
「花…火…」
御侍の感情に感化されたのか、僕は空を見て、思わずおうむ返しに答えた。
それから立て続けにあまり遠くない平地から色とりどりの花火が上がり、湖に映って僕の視界をさまざまな色に染めた。
「こんないい場所なのに、誰も来ないのね…残念…」
御侍の気持ちは少し落ち込んだようで、僕とつないでいた手が緩んだ。
「でも、さんまの塩焼きとここに来られて、本当によかった」
御侍の声はなぜかすすり泣いているようで、僕は無意識に薄明りの中、そばにいる御侍を見た。
錯覚か?そばにいる御侍はなんとなく、これまでとは違う光があるように思った。
きっとそれは、小夜にとってきらびやかすぎる花火に染まったせいだろう…
そう自分を納得させたが、身体は納得できず、正反対のことをした。
その瞬間、僕は自分の目を疑った。御侍の細い指がだんだん透き通っていく。
「御侍…あなたの手…」
「時間が来たみたい…」
御侍は次第に透明になる自分の指を見ながら、独り言のように言った。
「どういう…意味…」
僕は、御侍の言ってることが理解できなかった。
「これで、私に仕えた最後の人も死んじゃった、ふふ…」
御侍はやはり自分と関係のないことを言っている。
「仕える?」
僕の御侍は人間じゃないのか?
頭の中で考えがぐちゃぐちゃになり、僕は自分のコミュ障を恨んだ。
「…人間…じゃ…ない?」
「そんな顔をしないで、さんまの塩焼き、小夜は人間よ…だって小夜は人間に創られたんだもの。」
御侍の身体は光の中でどんどん消えて行き、あとは笑顔とうっすらした輪郭が残るだけになっていたが、彼女はやはりいつものように笑っていた。
「この様子だと…いっしょに紅葉を見に行く約束は守れないね…」
「あやまらなきゃならないことがあって、よかった…」
このとき、御侍の最後の笑顔が消えた…
花火の響きが次第に弱くなり、夜の風が闇を連れてきて、花火でいっぱいだった空は再び静まりかえった。
僕は目を見開いて御侍が消えていくのを見ていたが、何もできなかった…
もっと早く気づくべきだった。
御侍は僕と同じ、成長もしないし、年も取らない。
もっと早く気づくべきだった
あの日、僕の腕の中に落ちてきた御侍の軽すぎる身体に。
もっと早く気づくべきだった
あのとき僕に言った『次はないわ』の意味を。
もっと早く気づくべきだった。
御侍と僕のあの約束は、彼女の一時の気まぐれではなかったことに。
あんなにもたくさん、いつもと違うことがあったのに、なぜ僕は気づかなかったのだろう?
闇夜が完全に世界を包み込んだ。
ただ、僕が見えていたのは御侍が消えたあと、静かに草むらに寝ているしっぽが2本あるニャンだった。
あの夏の夜、何が起こったか知る人はいない。この世に、かつて小夜という人がいたことを知る人がいないように。
「悪夢だったのか?」
聞き覚えのある声が、こういうときいつも僕の耳元に現れる。
「いや、すこし寝ただけだよ。」
僕はすき焼きに答えた。
すき焼きは僕を見て、何も言わず笑った。
「待て!」
天ぷらは誰かを追いかけているようだ。
「つかまらないぞ!ハハハハ!」
どら焼きがまた人を怒らせるようなことをしたみたいだ。
僕は思わずため息をついた。
「先生、うるさかったですか?私たち、別の場所に行って遊びます。」
僕のさっきのため息に気づいたのだろう、たい焼きが心配そうに僕を見て聞いた。
「大丈夫だよ。」
「以前、彼女は…君たちみんなを合わせたよりうるさかった…」
僕は言った。
Ⅴ さんまの塩焼き
ずっと以前、ここには鳥居があった。
ここの暮らしは天候に恵まれ、肥沃な土地と豊かな水があった。
人々は自給自足しながら幸せに働いていた。
いつからかわからないが、幸せに暮らす人々は鳥居を「神聖な場所の入口」として祭り始めた。
ここに住む人たちは、鳥居のある神聖な場所の神様を祭り、翌年の豊作を祈るようになった。
しかし誰も、自分の祭っている神様を見たことがない。
だから、人々は鳥居の脇の木を『神様のいる場所』にした。
人々が『神様』を創りだしたのだ。
毎日、ここへお供えをする人がいる。
水から掬った魚やエビ、とれたばかりの米、人々はさまざまなやり方でここを飾った。
間もなく『神様の住む場所』と呼ばれるところにある部屋はさまざまなものであふれた。
誰も気づかなかったが、いつからか、鳥居の上に2本のしっぽを持つ猫又が現れた。
その猫又は、頭のてっぺんと爪としっぽの先だけが黒く、身体は雪のように白く、なめらかに輝いている。
猫又は人間と、人間の作った食べ物が大好きだ。
それは時々鳥居から飛び降り、部屋に入って大好きな魚がないかどうか探す。
人々は、これを見て見ぬふりをした。
その後、猫又は、人々が自分のことを気にかけていないのに気づいた。
そこで、いたずら好きな猫又は時々、白い服をきた黒髪の少女に化けてその辺で遊んでいた。
その頃から、人々は鳥居の中には神様が住んでいるという言い伝えを伝え始めた。
あの日も同様に、猫又は暗闇にまぎれて好きな魚を探し、人々がこの部屋に供えた幻晶石を見つけた。
猫又はもちろんそれが何かわからなかったが、こういう輝く石は奇妙なかまどに置かれていると思った。
かまどのそばには紙が貼られ、こう書いてある。
「この世の汚れを払い清めよ。」
やはりその夜、堕神の到来がこの場所の静けさを打ち破った。
人々は取るものも取りあえず四方へ逃げるしかなかった。
突然絶望に突き落とされた人間を見て、猫又は、これは自分がずっと『聖域』のお供えを食べてきたためのバチがあたったと思った。
その時、彼女は心の中で堕神を追い払ってここの人を救いたいと思った。
そのために、すべてを代償として払ってもよいと思った。
ひょんなことから、彼女の願いは叶った。
彼女はさんまの塩焼きという名の食霊を召喚した。
この御侍様の願いを聞き、さんまの塩焼きは荒れ狂う堕神を殺した。
しかし、逃げた人々は戻ってこなかった。
ここにはただ鳥居だけが残されたのだ。
誰もお参りに来ず『神様』はこにこに捨てられた。
長い歳月の後。
言い伝えによると、よその人がここを通りかかると、たくさんの野良猫が集まっているのを見る。
その猫の群れの中に、黒髪と白い服の少女とグレーの髪に青い服の少年がいる。
もちろんこれが、物語の伝えられる理由ではない。
その食霊がまだ知られていない時代、そこには『鳥居の中に神様が住んでいる』という言い伝えがあった。
人々が不思議に思ったのは、かつて聖域だった鳥居の奥にいた少女と、伝説の少女の風貌がそっくりだったこと、本当の『神様』のように不老不死だったことだ。
また日が過ぎ、ここにはもうあの鳥居は見られない。
少女も鳥居とともに消えてしまった。
今では、ここに鳥居私塾という名の学校がある。
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