ジンジャーブレッド・エピソード
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ジンジャーブレッドのエピソード
か弱く見えても、想像を超える実力を持っているジンジャーブレッド。彼女にとっては、大事なものを守ることこそがすべてであり、その目的を達成するためなら善悪の境界線をまたぐことも気にしない。堅盾ですべての危険を受け止め、利剣ですべての邪魔者を切り裂く。
Ⅰいい人
あたしが生まれた町には、冬一番の寒い日に祭りをあげるという伝統が長く続いてきた。
若い男女は祭りのために用意されたジンジャークッキーを目印にして、好きな相手を祭りの後のダンスパーティーに誘うことができる。
「好きな人とダンスパーティーで踊りたいな!そうだそうだジンジャーブレッド、『マイゲレ広場で待っている』って知ってる?超ロマンチックなストーリーよ!」
あたしが主人と呼ぶ少女はあたしの目の前で軽やかにくるっと回った。
「そのストーリーは去年も聞いた。祭りの準備は済んだの?御侍は今夜帰ってくるんでしょ」
「まだお父さんのプレゼント選んでない――あ!ジンジャーブレッド、見て見て!早くあの人たちを止めて!」
彼女が指した方向を見ると、チンピラたちが花売りの少女を囲んでいる。彼女の花篭を奪って、路地に引きずっていこうとしている。
「あたしが持ってる荷物の量を見てくれ。助けたいならご自分でどうぞ」
「そんなのはいいから!私の食霊なら早く行きなさい!」
「誰があんたの食霊なんだよ……はいはい。言う通りにしてやる」
普通の人間があたしの相手になるはずもなく、追い払うのはわけもなかった。花売りの少女は恐怖から地面にぴったりと座り込んでいる。少女を無視して、あたしはあのお節介野郎に文句を言ってやった。
「お人好しすぎるんだよ!こんな面倒事にいくら首を突っ込んだって、報われたりなんか――」
話が終わらないうちに、花売りの少女があたしに飛びかかってきた。あたしは素早く避けた。
「助けてくれてありがとうございます。お名前を教えていただけませんか?」
興奮した面持ちでジンジャーブレッドを見つめている。
「彼女はジンジャーブレッド。私の父の食霊よ」
「プレスさんの食霊でしたか!どうりで小さなお体なのに、こんなに強いわけです!私達はみんなプレスさんの助けを受けたことがあります。彼にふさわしい食霊ですね」
「へへん。これからも任せたわよ、ジンジャーブレッド!」
周りの村人たちは次から次へと群がってきてあたしと外で商いをしている御侍を褒め倒す。
あたしはそんなとき、どんな顔をして聞いていればいいのかわからなかった。
人ごみが散ったあと、主人はニヤニヤとあたしを見ている。
「みんなに認められて嬉しいんでしょ?あなたの助けが必要な人はたくさんいるの。私がいなくても、彼らを助けてあげるのよ!」
「……嫌です」
あたしが守るのはあんただけでいいです。
Ⅱ暴力
あたしの主人はあたしの御侍ではない。
「お前のジンジャークッキーで召喚した食霊だから、お前のそばに置こう」
こうして、あたしは御侍の娘のもとに送られた。
御侍が他の国に商いに行ったとき、あたしは彼の代わりに彼女の面倒を見る。あたしは彼女に付き添って、最も楽しい十年間を過ごした。
御侍はその後、商いに失敗して多くの借金を背負った。
裕福な商人の家が没落した。御侍は酒に逃げ、借金取りは彼の娘を追い回すようになった。
「失せろ。また来たらぶっ殺す……」
あたしは独り、地面に這いつくばる借金取りの目の前に剣を突き立て、最後の警告を出した。
「調子乗ってんじゃねえ!あんな意気地なしについてんだ。おめえもタダで済むと思うな!」
あたしに打ち負かされたやつらは罵りながら逃げて行った。
部屋に戻ると、半分開いているドアから男の罵りと女の許しを乞う声が聞こえてきた。
「へへ……お前も私が意気地なしだと思ってるのだろう?」
「なんだその顔は……早く嫁に行っておけばよかったと後悔してるのか?結局お前も離れていくんだな!」
「違う、私はそんなこと考えてないよ!お父さん!」
「黙れ!そんな目で私を見るな、かわいそうな表情を作れば私が騙されると思ってるのか?お前は私を見下してるんだ、私から離れたいと思ってるんだ!」
「お前を産んで、養って、最もいいものを食わせて、すべての愛をお前に注いだ、まだ足りないというのか?犬を飼った方がお前よりマシだな!」
優しい父親はもう存在しない。アルコールに逃げた男はいつも娘で憂さ晴らしをしていた。
あたしは以前それを止めようとしたが、それが原因で御侍は彼女に暴力を振るった。
誰も彼を拒絶することはできない。
「あんたはいつも困ってる人を助けようって、正義を守ろうって言ってたじゃんか!あたしに、助けさせてよ……ここを離れよう。御侍はもう――」
「違うの。これは私の選択よ、ジンジャーブレッド」
あたしを見て微笑もうとした彼女の口もとが、傷のために歪んだ。しばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた。
「お父さんを責めないで、彼のせいじゃない……」
「誰と話しているのかな?我が可愛い娘よ」
背後に重苦しい声がした。あたしははっきりと、彼女の目に隠しきれない恐れを見た。
聞かれた……あたしの背中を冷や汗が流れていくのを感じた。この男は眠っていたはずなのに。
契約の束縛を突き破って、剣を抜いてこの男を刺し、彼女とこのまま遠くに行こう。
あたしの両手は我慢できず震えた。
しかし、あたしは彼に背くことはできない。
「出て行け、ジンジャーブレッド」
扉は勢いよく閉められ、鍵をかける音がした。
まもなく男が行うすべての事が、はっきりとあたしの耳に伝わってきた。
「ごめんなさい!お父さん……」
あたしはこんなに契約の力を恨んだことはなかった。
Ⅲ契約
「この手紙を聖剣騎士団のビーフステーキに渡すように言われました」
あたしは詰所の一室の扉を叩き、手紙を角の生えた食霊に渡した。
返事を待つ間、私は壁に寄りかかって考え込んでいた、彼女があたしに手紙を託したときに言った言葉。
「すべてが終わる」って、どういうことだろう。
食霊は手紙を読み終えると、まっすぐにあたしを見た。その視線に悪意はなかったが、少し不安を感じた。
「なに見てんの。返事がないなら帰るけど」
「貴女がジンジャーブレッドだな?まあ待ってくれ、貴女の御侍は、貴女にしばらくここに残るようにと――あっ!この野郎」
話し終わる前にもう一人の食霊が突然現れて、手紙を奪って彼を部屋に押し込み、扉をバンと閉めると、中で言い争いが始まった。
なんなの……ムカつく。あたしを無視するなんて。
あいつらの言い争いに興味はないけど、断片的に聞こえてくる言葉、「目的」「仕方ない」「信用」「愚か」、から何となく想像してみた。
でも、どうして彼女は御侍のふりをしてこんな手紙を書いたんだろう?
あーあ、ムカついてきちゃった……
あたしの意見も聞かずに、あたしの身の振り方まで決めちゃうとか。
いったいあたしをなんだと思ってるんだ……
……
……なに?
「契約が終了……」
口論は続いていたが、その一言だけがやけに大きく聞こえた。その瞬間、あたしは感じた。
あたしは走り始めた。すべての景色が後退していく。耳を掠る風の音しか聞こえない。
契約が消えた……
きっと家に……何か起こったんだ。
駆けつけると、家はまるで死んだように静かだった。
どこだ?
彼らはどこに居る?
御侍の部屋からガラスが割れる音が地面に伝わってきた、あたしは上の階に駆け上がって、かつて最も近寄りたくなかった部屋に走っていった。彼女は酒瓶を抱えて、涙目でもう息をしていない御侍のそばに座ってる。
「ごめんね、ジンジャーブレッド」
彼女のかすれた声が聞こえた。
「お父さんにも、私にも……あなたを縛る資格なんてない。早く行って……」
彼女は咳をして、酒瓶を抱いて煽るように飲むと、あたしに最後の笑顔を見せた。
Ⅳ自我
あたしは彼女を守ることができなかった。
彼女の死を止めることができなかった。
彼女が抱えていた酒瓶に、毒が混ざっていると気づいた頃には遅かった。
彼女の体を抱いて、見ていることしかできなかった。彼女の弱々しい笑い声が、あたしの心をえぐった。
気がつくと、彼女の息は止まっていた。
あたしのいる町は、御侍親子の葬式を終えた二日後に変わった。
あたしは称賛される食霊から、不幸をもたらす不吉な食霊だと言われるようになった。
あたしが思い知らせてやったチンピラだけでなく、あたしとまともに目を合わせようとする村人は一人もいなくなった。
あたしがしてきたことは、すべて忘れ去られた。
あたしは必要とされていない。
「ふん、何が不吉だ。ただの傷ついた子猫じゃないか」
日が落ちた頃、あのビーフステーキと一緒に居た食霊がやってきた。傲慢な態度が気に食わない。
あたしは暖炉のそばに座り込んだまま、冷たい目で彼を見る。
「勝手に家に入るな。一分だけやるから自分で出て行くか投げ飛ばされるか選べ」
「全く、野蛮なやつだ……俺様は迦南傭兵団の赤ワインだ。ある者の頼みにより、貴様を我が傭兵団に招聘する。独りでこんな場所に居続けるよりかは、ずっとマシなはずだ」
「……同情ってこと?だいたい、あんたはあの何とか騎士団の団員でしょ」
「ふん。『騎士団』は角アホが勝手に決めた名だ。俺様は価値のないことにはこだわらない……貴様はどうする?同情と思うのは勝手だが、貴様にこの好意は拒めそうもない」
「……」
「可愛くないやつだな。貴様の御侍、いや、あの女がここに残した唯一の宝物を引き取ってほしいと言うから、我が傭兵団に相応しいか確かめに来たのだ」
宝物……
うそだ。もしあたしのことが本当に大事なら、どうしてあたしを残して死んだの。
赤ワインは意味ありげに笑った。
「『彼女は自分のために、自分の信念のために生きるべき』と、彼女は言っていたぞ」
信念?
あたしの信念……
あたしはいつからか、心から彼女を守りたいと思っていた。あたしは、彼女の意志そのもので、彼女の言う「いい人」になろうとした。
彼女の言葉を思い出していると、ふいに言葉が口をついて出た。
「あたしって、いい人なのかな……」
「いい人?ふん。俗世に認められた者の称号に過ぎん。俺様は、俺様のルールを貫くのみ」
「……」
「来るがいい」
あたしは、彼が差し伸べた手を握り、立ち上がった。
Ⅴジンジャ―ブレッド
あの年の冬、女の子の父親は幻晶石という名の宝石を、堕神すらやってくることのない町に持ち帰り、彼女の手作りジンジャークッキーで町初めての食霊を召喚して、彼女のお守りにつけた。
ジンジャーブレッドの御侍は料理御侍より、一人の成功を収めた商人と言えた。当然、優しい父親だった。
妻が難産で亡くなり、彼は娘と共に暮らし、もう一度は結婚せず、そして娘にとても甘かった。
父親に依存しすぎたことを除いて、女の子はよく教育されていた。
召喚された日から、ジンジャーブレッドはずっと女の子と一緒に居た。御侍が商いに出れば、女の子の面倒を看た。
彼女は女の子が彼女と同じ身長の少女からすらりとした美人に成長したのを見守ってきた。女の子の考えている事も少しずつわかってきた。この世でジンジャーブレッドと最も堅固な関係は契約で結ばれていた御侍だけど、ジンジャーブレッドの心の中では、希にしか帰ってこない御侍より女の子のほうが大事だった。
ジンジャーブレッドの御侍は町で有名な慈善家だった。女の子も同じように善良だった、町で不平が起きれば、いつもジンジャーブレッドに弱い方を助けさせる。
ジンジャーブレッドは毎回抗議するが、本気で拒んだことは一度もなかった。
ジンジャーブレッドはこんな生活が彼女の命のように変わらなく続いていくと思った、しかし現実は人の思い通りに動かない、幸せな時間はたった十年しか続かなかった。
先に変わったのは御侍だった。
御侍が商いに失敗したあと、彼はかつての優しさを失い、家族に暴力を振るう飲んだくれになった。
彼はいつもいろんな理由で女の子に「お仕置き」をする。女の子の話し声が大きいからという理由で暴力を振るわれることもあった。
そういう時、彼はいつもジンジャーブレッドに離れるように命じて、女の子を部屋に引きずって「教育」を施す。
それから変わったのは女の子だった。
「ジンジャーブレッド、もう私を助けようとしなくていいのお父さんを怒らせるだけだから」
「黙って見ていろって?たとえ彼があたしの御侍でも――」
「彼はあなたの御侍よ!彼こそがあなたの本当の主人よ!ジンジャーブレッド……全員が、あなたの助けを求めているわけではないの」
二人はしばらく沈黙した。
ジンジャーブレッドは胸につっかえている言葉があるように感じたが、何も口にすることはできなかった。
「お父さんのそばにいるのは私自身の選択だから。私は彼を拒まない。たとえ……終わらせるときがきても」
一ヵ月後、女の子は死を計画した。
彼女は父を殺し、ジンジャーブレッドの目の前で毒を飲んで自殺した。
プレス一家の心中は町中に広まった。ジンジャーブレッドに恨みを持っているごろつきたちは、ここぞとばかりに噂に尾ひれをつけ、彼女を街から追い出そうとした。
街を歩くジンジャーブレッドは、転んだ子供を支えることすらできなかった。
「うちの子に近づかないで!」
「……どうして?」
「この町で、家族同士が殺し合う事なんて一度もなかった!全部あんたのような食霊がもたらした不幸よ!うちの子に不幸を持ってこないで!」
「あんた、自分がどういうこと言ってるかわかってる?」
「もちろんわかってます!早くこの街から出て行けって言ってるの!」
「そうだ!早く出て行け!」
「お前のような食霊は消え去れ!」
怒っている者、悲しんでいる者、人の不幸を喜んでいる者、得意げな者……
みんなの表情を呆然と見ていると強いめまいがやってきた。
ジンジャーブレッドは張り詰めた糸がぷっつりと切れたように、剣を抜いて村人の眼前に突き付けた。
「それ以上言ったら……ぶっ殺すぞ」
人は変わる。
優しい父親は残忍な飲んだくれになる。善良な娘は愛する父親を殺す。親切な村人はあたしを追い出す。
ジンジャーブレッドは、はっきりと思った。いい人も、悪い人も、みんな変わってしまう。
でもなぜ?
ジンジャーブレッドは納得がいかない。
彼女の疑問に対し、赤ワインは鼻で笑って「くだらん」と言った。
「善悪がそんなに大切か」
ジンジャーブレッドはしばらく考えたのち、頭を振った。
「大切でないなら、何を葛藤している?」
今、彼女は知っている、大事な物を守るとき、善や悪や正しさに価値はない。
たとえ禁忌を破っても、彼女はその人のため、戦い抜くだろう。
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