スブラキ・エピソード
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スブラキのエピソード
いつも活発で、元気が有り余っている。単純で他人のことをすぐ信用してしまう、他人と交流する事が好き。心優しくて勇敢で、誰よりも正義の心を持っている。理想のためなら無邪気を装ったり、真面目な顔で嘘をついたり、破天荒なことをするのも厭わない。演技が上手い。思ったことをすぐ口に出すタイプ、素直すぎて他人に迷惑をかけることもある。
Ⅰ.嘘つき
「旦那様は今日機嫌が良いらしいわ、うまくアピールしなさい。メイドのままか、奥様になれるかは、今日の出来次第だからね」
メイド長の話を聞いて鳥肌が立ったけど、今は耐えないと。
そうじゃないと、元も子もなくなってしまう……
僕は精一杯の愛想笑いを浮かべ、ついでにベルトとスカートの裾を整えた。
「わかりました、アドバイスありがとうございます!」
メイド長は満足そうに僕の肩を叩き、ドアの前まで押し出した。そして、妙な笑みを浮かべてから、眩しくて見ていられない豪華な廊下から消えて行った。
僕は一息をつき、目の前のドアをノックする。
「入れ」
ドアの向こうから聞こえたのは傲慢さを隠す気もない声だった、初対面の時の印象とはまったく違う。
やっぱり……
ドアを開けると、一人の中年男性が鏡の前に立っていた。その太ったお腹が鏡いっぱいに映し出され、大きくて綺麗な鏡が可哀想に思えて来た。
彼の目には自分の新しいスーツしか映っていないようで、ノック音が聞こえてもスーツ姿の自分を夢中で見つめていた。しばらく眺めた後、彼はようやく振り向いた。
「遅いぞ。まったく、さっさとしろ、俺は疲れたから早く休みたいんだ」
「かしこまりました、旦那様」
スーツを脱ぐのを助け、注意を払いつつそのスーツをハンガーに掛けた。
「見ない顔だな、新入りか?」
「はい、今日からお世話になります」
「いくつだ?」
「十七歳です」
「そうか、悪くない」
男は満足そうに微笑み、今がまさに好機だと僕は気づいた。
「何か良い事でもありましたか?旦那様はとてもご機嫌に見えます」
「わかるか?まあ、大した事じゃないが、悩みのタネを1つ取り除けたのだ」
得意気な表情を一目見て、嫌悪感を我慢しながら男のネクタイを解いた。するとその瞬間、抑圧されていた首の贅肉が勢い良く開放された。
「ぷっ……」
「何が可笑しい?」
まずい、気を抜いたらつい……
眉を上げ、贅肉に嵌められた目玉も真ん丸になっているのを見て、僕は歯を食いしばってどうにか笑いを堪え、慌てて言い訳をした。
「その、旦那様のことでつい嬉しくなりまして……最近、郊外の土地を手に入れたそうですね?」
「小娘のくせによく知っているな」
「他の使用人から聞きました……」
「ああ、ずっと前からあの土地に目をつけていた。身の程しらずの下民共に占拠されなければ、とっくにそれを使って荒稼ぎしていたんだがな」
そう言いつつ、男の喜ぶ顔に少しだけ鬱憤が浮かんだ、大金を失ったような気分になっているのだろう。
しかし、彼の目からは無慈悲さと残酷さのがより多く滲み出ていた。
男のネクタイを握りしめ、怒りを表に出さないよう堪える。
「あのような僻地の民が一番手強いと言われていますし、あの者たちを片付けられたなんて流石旦那様ですね」
「簡単な話だ、俺が手を出すまでもない。その土地は元々俺のもので、あの村人たちが無理やり占拠したと言ったら、勇者と名乗るアホが全部やっつけてくれたんだぞ。ははっ、そう言えば報酬も払っていないな」
彼は腹を抱えながら僕が問うまでもなく、自分からすらすらと語り始めた。
「正義などを口にするヤツを見ると反吐が出る。下民のクセに、誇らしげな顔をしやがって。正義だと?正義なぞ何の役にも立たん!金こそが全てだ!」
「金儲けのためなら、騙そうが殺そうがどうってことはない。わかるよな!これこそがこの世の真理だ。金を持つ者だけが生き残る!正義の味方の夢を見るアホは、罪のない村人に手を上げただろう?」
「いや、罪はないとは言えんな。貧乏は罪だ、貧乏こそが死に値する罪だ!生まれた時から死罪を犯している!貧乏人は貧乏になる一方だ!」
「しかし俺は違う、俺は強運に恵まれた者だ、神でさえ俺の味方につく」
「つまりあの土地は元々貴方のものではなかった、と」
僕は彼の笑い声を遮った。
男は一瞬驚いたが、すぐに怪訝な顔を浮かべた。
「私のものになってこそ価値が出るんだ。あの下民共が持っていても、農作物や牛の糞を埋めることしかできん、私こそあの土地を有効活用できる!」
「村人たちが植えた農作物がなければ、貴方は牛の糞よりも価値はない」
「貴様……!無礼者、なんだその口の利き方は……」
「無礼?こんなのは序の口だ……」
カツラを外した僕を見て驚く男に向かって、僕はどんどん近づいていく。そして、彼は後ずさるしかできなかった、気付けば背中はもう鏡に触れていた。
「きっ、貴様は男なのか?何をしに来た?誰か……」
「シーッ……」
適当にテーブルから大きなリンゴを取って男の口に入れた、そして再びネクタイを彼の首に縛り付ける。
「神でさえ味方につくだと?違う、この世に……神など存在しない」
首を絞められた男は気絶し、体は地面に重く叩きつけられた。
Ⅱ.愚者
「……こいつが嘘つきだ、この土地は彼のものではなく貴方たちのものであることもわかった……彼はこの麻袋の中にいる、貴方たちの好きにすればいい」
村人たちは僕の足元にある大きな麻袋を見たが、想像していた笑顔を見せてはくれなかった。
「こんな事をしても、亡くなった人は帰って来ない、何の意味もない」
亡くなった村人の妻はこう言った。
僕の御侍の手によって命を落とした人の妻だ……
麻袋の中にいるこいつは確かに悪人だが、彼の話にも正しい部分はある。
僕の御侍は勇者だが、愚者と呼んだ方が正しいのかもしれない。
3日前──
「スブラキ!ペット探し以外の依頼が来たぞ!」
喜ぶ御侍を見て、僕は思わずため息を漏らし、ミルクがたっぷり入ったバケツを提げながら倉庫に向かった。
「老人の看病?それとも農業で忙しい村人の代わりに子守り?」
「違う違う、今回はちゃんとした依頼だ!勇者らしい依頼が来たんだ!」
「はいはい、どんな依頼?」
「悪人に占拠された土地を取り戻して欲しいそうだ!」
バケツを農場主に渡し、僕はようやく御侍の言っていることを理解した。
「悪人に占拠された土地?どんな悪人で、どこの土地のこと?」
「あー……その、詳しい話はまだ聞いていない、俺たちは相棒だろう?一緒に依頼を受けないと!早く行こうぜ!」
慌ててエプロンを脱ぎ、御侍に引っ張られるままに僕は農場を後にした。
豪華な屋敷を目にした瞬間、微かに嫌な予感がした。
「ここが……依頼人の家?こんなお金持ちでも悪人に土地を奪われるんだ……」
「お金持ちだって悩み事くらいあるさ。早く行こう、真の勇者になるための第一歩だ!」
御侍は、はしゃぎながらドアベルを鳴らした。笑顔の彼を見て、僕は野暮な口出しをする気になれなかったのだ。
事情はどうであれ、まずは依頼人の話を聞いてみないと。
老執事が僕たちを迎え入れてくれた。良い人そうに見えるが、何故か表情が乏しく、取り繕った笑顔以外に表情の変化がない。
その不気味な雰囲気の中、僕と御侍はあるドアの前まで案内される。ドアの向こうから許可が出て、僕たちは部屋に入った。
「善良なる勇者たちよ、よく来てくれた」
部屋にいる男は歓迎の意を表しつつ椅子から立ち上がる。テーブルと椅子の間の隙間から太った身体を何とか引きずり出し、僕たちの前に立った。
「スブラキ、この方が依頼人だ。詳しい話をお聞かせください……どこの悪人が、どこの土地を占拠したのでしょうか?」
男は念入りに僕たちと握手をしてから、顔を曇らせ、悩まし気に語り始めた。
「はぁ……郊外にある土地だ、あれは祖父が残してくれた遺産なんだ……祖父がまだ健在の頃、使用人をやめた人たちに居場所を与えるため、土地を彼らに貸したんだ。しかしあやつらは……」
「恩を仇で返す如く、祖父が亡くなった後、彼らは賃料を払わなくなり、土地は元々自分たちのもので、祖父とは関係がないと言い始めたんだ!祖父に任命され土地の管理を務める弁護士まで殴って傷つけた!」
「恩知らずの悪人共め!」
御侍はとても単純な人だ、話を聞くと顔を真っ赤にして拳を握りしめた。
「なんてひどいやつらだ!安心してください、必ずその悪人たちを懲らしめて土地を取り戻してみせます!」
「それは誠にありがたい!」
「コホッ……あの、この前受けた依頼も溜まっているから、順番にこなすのがルールなのでは……」
直感から、もう少し調査をしてから行動した方がいいと思ったが、僕の心の内はまったく御侍に伝わらなかった。
「悪をくじき弱きを救うことが最優先だ!溜まった依頼もどうせミルク絞りか果実の収穫とか誰にでもできる雑用だろう?悪を懲らしめることができるのは勇者だけだぞ!」
若気の至りと言うべきか、御侍は僕の反対を無視して依頼を受けその上報酬の話も断った。
正義のために金を取らないのは結構だけど、それにしても……
「その悪人たちをどうするつもりなの?僕からしたら彼らは普通の村人にしか見えないよ」
「まったく、人は外見じゃない。俺たちは勇者だ、外見に騙されてはいけないだろ!安心しろ、方法ならある!」
このようにして、彼は他の依頼を僕に押し付け、自分一人でこの依頼をこなしてみせると意気揚々と語った。
これこそが、僕が犯した最大の過ち──
村人たちは依頼人が言ったような悪人じゃないと思ったから、少なくとも御侍に危険は及ばないと踏んだのだ。
御侍がその土地に向かっても、せいぜい話し合いをする程度で大事にはならないはずだと。
しかし、知らせを聞いて急いで現場に駆けつけた時、烈火に呑み込まれた家屋と、その前に座り込む御侍を見て、全てが遅かったとようやく僕は理解したのだ。
Ⅲ.勇者
土地を取り返すというのは、村人たちを追い出せばいいだけの簡単な話だと御侍は甘く見積もっていたそうだ。そのため、彼は最初の標的を村長に決めた。
彼は火を放つフリをして、その家屋からあわよくば村からも村長を追い出そうとしたそうだ。
しかし、村長が自分の命よりも倉庫に備蓄された村の食料を守ろうとするとは、彼は思いもしなかったのだ──
食料は村人全員の血と涙の結晶で、この1年を過ごすための糧だったから。
村長はその家屋と共に、そのまま炎に呑み込まれてしまった。
本当にありえない、実に馬鹿げている、そんな訳のわからないことで人が死ぬなんて。
だが、それは起きてしまった。御侍の青ざめた顔を見て、僕は何も言えなかった。
僕たちは村人たちに追い出され、元々生活していた村もこの事で僕たちを受け入れなくなった。
僕は食霊だ、食料がなくても野宿でも構わない、でも御侍は違う。彼を養うために、僕は遠い村に行って仕事を探すほかなかった。
しかし、僕がいない間に、御侍は自ら命を絶ったのだ。
「スブラキ……これからは、人を容易く信じるな……」
「無知で軽率で、罪のない人を傷つける奴は……決して勇者じゃない……」
「よく覚えておいてくれ……証拠だ、証拠を手に入れなければ力を行使しちゃダメだ……」
「じゃなければ、俺の二の舞になる……」
これが御侍の遺言だった。
後で知った事だが、御侍が悔やんでいたのは他人の命を奪った事だけじゃないと。罪のない人を死なせた上に、自分が本物の悪人の思うままに働いた事だ。
そう、あの依頼人の事だ。
僕はメイドに変装してその豪邸に潜入し、彼が確かに嘘をついていたという言質を取り、御侍の人を助けようとする心をコケにしていた事も知った。
それから、彼を拉致して村に連れて行ったのだ。
だけど、村長の妻の言う通り、この罪人を八つ裂きにして、殺しても何の意味もない。
「でも、僕はせめての償いがしたい!なんらかの……罪滅ぼしをさせて欲しい!じゃないと……」
「御侍だって安らかに眠れない……」
村長の妻はため息をつき、振り返って家に戻った。
「……本当に俺たちの助けになりたいなら、この家を修繕する金を持ってきてくれ」
ある青年がこう言ってきた、彼は村長の息子だろう。
「でも、僕はお金を持っていない」
「勇者じゃなかったのか?」
「御侍が、勇者の人助けは金のためにあらずと言っていたから、だから……」
「じゃあ、宝探しでもすればいい。あの精霊遺跡に宝がたくさん隠されていると言われている、宝を持ち帰って償え」
「お宝……その精霊遺跡はどこにあるの?」
「地図を見ればわかるだろう?本気で償うつもりなら、自分で探せ」
僕はお宝を探すことに決めた。
でもその前に、この麻袋をなんとかしないと……
麻袋を豪邸まで引きずっていくと、奇遇にも老執事が門のそばに立っていて、僕を待っているようだった。
「ごめんなさい、貴方のご主人を拉致した、ネクタイで絞め落とした以外は傷つけていないはず……」
「いえ、お構いなく、私にお任せください」
「えっ?」
老執事は微笑んだ。それは初めて会った時の事務的な笑顔ではなく、心からの笑顔のように見えた。
「ふふっ、メイドに変装したくらいでこの屋敷に潜入できると思いましたか?」
あっ……そういう事か。
確かにこの世に神はいない、だって人々の運命は公平じゃないから。
でも、悪事を働いたら、必ずなんらかの罰が待っている。
神は誰の味方でもない。
でも、悪を懲らしめる人は必ず存在する。
老執事が微笑みながら麻袋を屋敷に引きずり込むのを見届け、僕も振り返って旅路についた。
一週間後ーー
「邪神?!」
「そうだ、精霊遺跡とやらに行くのは諦めた方がいい、あそこは邪神の巣だ」
村人がその話を口にした時、恐れを隠せないでいた。どうやら、邪神というのは悪人や堕神と比べものにならないような存在らしい。
「じゃあ、なおさら行かないと!実は僕は勇者なんだ!邪神を倒す冒険なら望むところだ!」
村人の目にある恐れが希望に変わっていく、彼の案内で村長のところに行き正式に依頼を受ける事になった。
御侍、これが勇者たる者が受けるべき依頼だ。
安心して、貴方の遺志は受け継いだ。
僕が、本当の勇者になってみせるよ。
Ⅳ.冒険
村人たちの話によると、森の中にいる邪神は赤ちゃんの肉を食らうらしい。だから邪神のために、村人は毎年赤ちゃんを生贄にしなければならないと。
長い時を経て、多くの村人は村を離れた、残りの村人たちも自分の子どもが生贄になることを恐れている。
生贄を捧げなければ、村は災難に見舞われる。
村長も村人も質素な服を着ていて、以前の件を思い出すと、受け入れてもらえているだけで感謝の気持ちが芽生えた。
彼らを疑いたくはないけれど……御侍の遺言も忘れてはいけない。
行動するにはまず証拠が必要だ。
「今年は僕が生贄になるよ、邪神は僕のことを赤ちゃんだと思って警戒が緩むはず。念には念を重ねないと、必ず仕留めてやる」
もし邪神が僕を食べようとしなかったら、村人たちが嘘をついたことになるし。
後半の言葉は飲み込んだ。
すぐに、僕は台車に乗せられ森の中へ運ばれた。その過程で少しごたごたもあったけど、なんとか無事祭壇まで辿り着いた。
さぁ、あとは邪神の出現を待つのみだ……
「君が今回の生贄か?」
自分の目に映るものが「邪神」だと信じられなかった。淡い金色の長い髪、清潔な白いローブ、神様と言われた方がしっくりくる……
だけど、その冷たい瞳には抗いがたい恐怖を覚える。
「うっ、うん!僕が村人たちに選ばれた生贄だよ!」
「君は……私に食べられたいのか?」
彼の冷淡で穏やかな口ぶりを聞くと、冷や汗が止まらない、もしかして気付かれたの?
だけど無理やりにでも、天真爛漫な子どもを演じきるしかない。
「うん、邪神様に食べられて、僕の価値を証明するの!だから邪神様、早く僕を食べて!」
そうすれば村人たちの話の真偽がわかる、そして安心して貴方を仕留められる……
「……私に食べられるより、君はもっと意味のある事をすべきだ」
なっ……
「日が暮れないうちに帰るといい」
「邪神」の目からまったく欲望を感じない。彼はその言葉を残し、この場を去ろうとした。
彼は本当に邪神ではないのか?村人たちに騙された?でも……僕を騙す理由なんてあるの?
思わずあの人でなしの依頼人の初対面時の偽善や、老執事が最後に浮かべた笑顔を思い出した。
僕が完璧にメイドに変装できるなら、邪神だって完璧な擬態ができるかもしれない。
容易く信じるな……証拠がないと……
「僕は帰れないんだ……僕はいらない子だから、村のみんなは僕が嫌いで、邪神様に食べられるしか道がないんだ……邪神様、頼むから僕を食べて!もうこれしかないの!」
「馬鹿なことを言うな」
「え?」
白い姿は引き返し、僕を見下ろす。しかしそれは軽蔑するような視線ではなく、むしろ……哀れみ?
「生きることだけが、最善の選択だ」
「……苦しくとも、生きていけば、いつかきっと良い事がある」
彼は少し俯いた、涼しい風が彼の髪を撫でると、花の香りがした。
それは元々枯れかけた無名の花で、冬の寒さで生気を失っている。
彼が花を僕に渡すと、萎れかけた命は奇跡のように再び咲き誇り、この灰色の森の中で一番鮮明な色となった。
「一つ一つの命は奇跡だ、君にとって“良い事”になる」
そう言い終えると、彼は祭壇を降りて、森の中に消えていった。
ここまで演技のできる邪神なんているの?
据え膳食わぬはまだしも、彼の家に僕を住まわせ、いくら僕が騒いで暴れても、彼は怒ったり僕を追い出したりはしなかった……
聖人だとしてもここまではしないはず。
だから……やっぱり僕を騙しているのか?
いっそのこと、彼の息の根を止めるのも……
村人が僕を騙す理由はない。彼らは弱者だ、強者の前では抗う力すらない。
金や権力のある豪族はもちろん、僕の御侍、いとも容易く騙されたおバカさんですら彼らの心血を壊すことができた。
そうだ、間違いない……村人たちは被害者だ、僕を騙すはずがない……
気がついたら、僕はもう「邪神」の体に跨っていた。
深夜、森の何もかもが眠りについている、「邪神」も含めて。
罪のない人を傷つけないために、僕の剣はずっと分厚い木製の鞘に収納されている、今こそそれを抜く時だ。
冷たい刃を彼の首に当て、少しでも力を入れれば「邪神」はこの世からいなくなるだろう。
これこそが勇者のなすべき事だ。
本当にこれが勇者のなすべき事なのか?
気付けば呼吸が乱れ、ずっと懐に隠していた物を落としてしまった。
それは花だった。真っ白で、芳醇な香りがして、生気も溢れている。
「邪神」に送られた花だ。
……
「生きることだけが、最善の選択だ」
冷たい声は脳に響き渡り、俯いて「邪神」を眺めると、彼の呼吸も感じ取れた。
そうだ、命は奇跡だ、このまま消すべきではない。
慌てて彼の体から離れて、その花も忘れずに持っていった。
御侍と同じ過ちを犯さないため、勇者の名誉のため。
僕は冒険することにした。
Ⅴ.スブラキ
もしスブラキの御侍もスブラキのような慎重さを持ち合わせていたら、あの悲劇は起きなかったかもしれない。
スブラキは何度も「邪神」に隙を見せ、誘ったが、相手は全く彼を傷つける事はなかった。彼が崖から落ちた時も、雪が吹き荒れる中「邪神」は彼を探しに来て、彼の傷を癒すために自身の霊力まで使い果たした。
何度も試して彼はようやく心から理解したのだ、「邪神」は邪神ではないことを。
しかし彼は彼の御侍に比べてあまりにも慎重すぎたのだ。
ムサカが邪神ではないと信じようとしても、御侍の言葉が呪いのように、彼に「証拠」を誅着するよう働きかけた。
勇者は直感や信頼のような不確かなもので善悪を判断してはならない。
だから彼は躊躇った、その躊躇いはまた過ちに繋がった。
「勇者様!見てください!これこそ証拠です!早くその邪神を殺して、可哀想な子どもたちの仇を取ってください!」
村人たちは松明を持ち、地面にあるおくるみに包まれた無惨な肉塊を指した。
スブラキは初めて死に直面した訳ではないが、以前と違って今回はどうしても自分の責任を感じてしまった……
彼は唐突に御侍の気持ちがわかったようだ。
しかし……
「私ではない」
「信じてくれないのか?」
ムサカはやっていないと言った。その瞳は誠実で助けを求めているように見えて、どう見ても嘘をついているようには見えなかった。
スブラキは彼を信じているが、「証拠」を手にした村人たちの怒りをどう鎮めればいい?
真相や勇者の名などもうどうでもいい。
命を消してはいけない、ムサカは死んではいけないと、彼は思ったのだ。
「もう信じられない」
何度も試していく内に、スブラキはムサカからの信頼を失ってしまったのだ。
しかし、ムサカはスブラキに失望しても、彼を傷つけることはなかった、彼のために進んで崖から飛び降りたのだ。
しかし、前者はムサカを「邪神」にするため、後者はスブラキを「勇者」にするために。
スブラキは自分に深い嫌悪感を覚えた。
こんなのが勇者なのか、と。
崖の下で丸一日をかけてムサカを探した。彼を探し出したいが、死体を見つけてしまうのではと恐れてもいた。
しかし意外なことに、見つけたムサカは……
「……本当にムサカじゃないの?」
「違う」
目の前の者はどう見てもムサカだが、本人は人違いだと言い張った。しかも……
このムサカはとても冷たくて距離を感じた。
ムサカがスブラキを見ている時、まるで命がない石でも眺めているようだと彼は感じたのだ。
「だけど、なんで貴方はムサカにそっくりなの?」
「まだわからないのですか、彼は貴方を騙しているのですよ」
「邪神」の噂の件で知り合ったクレームブリュレはスブラキにこう告げた、彼の鈍感さを嘆き彼の頭を叩きながら。
「騙す?なんで?」
「貴方が彼のことを信じていなかったから、彼はもう貴方と話したくないんですよ」
「えっ?じゃっ、じゃあどうすればいいの?」
「もうっ!いつもの悪知恵はどこに行ったんですか?ここぞという時は出て来ないのですか?」
「……」
「わかりましたよ、そんなしょんぼりした顔を見たらこっちまでモヤモヤする……彼が貴方を知らないフリをしているのなら、その演技に乗っかってもう一度知り合ってみたらどうですか?」
「良いアイデアだ!ブリュレ、貴方はとんでもない大天才だ!」
「……ちょっと、褒めてるようにはあまり聞こえないんですけど……」
クレームブリュレのアドバイスを受け、スブラキは恐れずムサカと同じシュメール探検隊に参加し、毎日「精霊さん」の呼び声を森に響かせた。
「小さき勇者よ、君の声で耳にタコができそうだ……」
探検隊の写真家パルマハムは仕方なく耳を揉んで、この二人に挟まれるくらいなら、墓穴に潜るほうがマシだと思っていた。
「君の精霊さんはまた祭壇の下に行ったよ、叫ぶのをやめてそこに行くといい……」
「ありがとう!」
スブラキは慣れた動きで穴に飛び降りた。実は祭壇の下の穴こそが、伝説のお宝が隠されている場所だ。
今の彼にとってはお宝なんてどうでもよかった。
彼は償いたかったが、それは被害者家族を経済的に支援するような簡単なことじゃない。
御侍の遺志を継ぎたいが、それも悪をくじき弱きを助けるように単純なことじゃない。
彼が勇者になるには、まずは自分の過ちと向き合い、ムサカに許してもらわなくてはならない。
彼はもっと勇敢になる必要がある、強い意志で己の正義を貫き通し、本当の勇者になるのだ。
彼は意気揚々と闇を駆け抜け、自信満々にムサカの後を追う。
この穴をスタート地点に、遠くない未来、またムサカと敵対することになることを、今の彼は知る由もなかった。
その時彼が直面する選択は、今よりもずっと難しいものであろう。
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