流しそうめん・エピソード
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流しそうめんのエピソード
明朗快活、率直で正義感あふれる。
行動力がある。
たまに意味深っぽい言動をするけど、実はそこまで考えていない。
有言実行、嘘はすぐに気付く。
嘘だとわかると態度が一変する。
Ⅰ 蕎麦屋にて
「注文入りました!温泉卵のせそうめんひとつ!」
「はいよ!」
「お婆さん、よく見つけてきたねぇ!こんな元気でよく働く男を」
「そうだろう、そうだろう!私は運がいいさね!」
そんな会話をしながら、お婆さんは手際よく注文を作っていく。
俺はお婆さんが入れてくれた麺の器を受け取り、お客さんのもとへ届けた。
「温泉卵のせそうめんになります!」
「どうもありがとう、いただくよ!」
元気よく答えた客に、俺は笑顔で頷いた。そのとき、額に汗が伝っていることに気が付いた。一息ついて、その汗を拭う。そのとき、お婆さんが注文品を提供している姿が目に入った。
「あっ!運ぶのは俺の仕事だろ!注文を作り終えたなら、中で休んでいてくれ!」
「いいから、いいから!それよりさっき器をひっくり返したところ、大丈夫かい?」
お婆さんはそう言って、厨房から冷やしたタオルを持ってきてくれる。
「ほら、赤くなってるよ。冷やしておかなくっちゃ……痕になったら大変だ」
「……すみません」
「謝ることなんて、何もないよ!ほら、これで大丈夫だ!」
お婆さんはポンと優しく俺の背中を叩いた。その笑顔で、俺はお婆さんに会った日のことを思い出した。
あの日——彼女は笹籠を背負ってひとりで林までやってきた。山の道は決して険しい訳ではなかったが。老人にとっては大変なものだっただろう。
最初は興味本位で観察をしていた。何故年老いた彼女が、ひとりで山菜集めに精を出しているのかわからなかったから。
料理御侍を雇うなり臨時で食霊を雇うなりすればいいのに、彼女は黙々と作業を続ける。それが当たり前のように……日々の日課だと言うように。
そんなことが数日も続くと、だんだんと俺は焦ってくる。ここは山のふもとで、比較的安全な場所だ。堕神に遭遇することは少ないだろう。だが、もっと先に進めば、その被害は免れない。気まぐれで山を下りてくる堕神がいないとも限らないーー
そんな時、彼女が足元の枯れ木で足を滑らせる。声をあげるより先に体が動いていた。俺は転びかけたそのお婆さんを、慌てて支えた。
お婆さんは驚いて、呆然と俺を見上げていた。何故か俺はひとりペラペラと喋る。お婆さんが数日前からここに来ていたことを見ていたこと、何故ひとりでこんなところで山菜集めをしているのか、食霊は雇わないのか、なんなら俺が雇われてやる……と。
今思えば、何故そんなことを口にしたのかわからない。だが、それが自然な気がして、まるで『そう決まっていた』かのように、妙にしっくりときていた。
そうして連れてこられたこの蕎麦屋で、俺は働くことになった。
「他に誰もいないのか?」と尋ねると、お婆さんは「息子がひとりいる」とボソリと答えた。
だが、息子は基本的に家を空けており、お婆さんは家には大概ひとりでいるらしい。そうして、細々と経営している蕎麦屋の材料集めに林に来ていたことを教えてくれた。
俺は特に目的もなく、林に住み着いてこの辺りを駆け回っている。特に目的がある訳でもなかった俺を、お婆さんはもうひとりの息子として、快く迎え入れてくれた。
そうして俺はこの蕎麦屋にやってきた。まるでそうするのが天命だったかのように。自然と、ここで彼女の息子の代わりとして働き始めたのだ。
「あなたって子はちょっとせっかちだね。私は心配だよ」
「違うぞ、俺はお婆さんを心配してるんだぜ?だから、慌ててしまって……」
「そうかい、優しい子だね。それで、手は大丈夫かい?」
「大丈夫さ!ほら、新しいお客さんが来た。待たせたら悪い!」
店に入ってきたのは、よく知った常連客のひとりだった。彼は顎に手を当ててこちらの様子を微笑ましく見つめていた。
「仲が良いねぇ。昔を思い出すよ」
「昔?」
きょとんとして俺が尋ねると「あぁ」とその男は頷いた。
「あんたはさ、お婆さんの息子にそっくりだ。彼もね、よくお婆さんの手伝いをしていた」
「お婆さんの息子さんって、輝兄さんですよね?彼はどんな人だったんですか?」
「元気なヤツだったよ。少しおっちょこちょいで、あんたみたいによく笑っていた」
俺はその言葉に嬉しくなる。お婆さんの大好きな息子と似ているというのは、まるで自分もお婆さんの子どもになった気がして。
「流しそうめんのどこがあの子に似てるって?あんな放蕩息子とこの子を一緒にしたら失礼さね!」
「そうかな?料理も上手だったし、お婆さんの手伝いも良くしていたし、できた息子さんだったと思うけどねぇ」
常連客の男は男は、チラリと俺を見て肩をすくめて苦笑した。その後、静かに椅子に座ってお品書きを見始める。
俺はそんな彼に水を出した。少し怒った口調だったお婆さんだが、見ると彼女の顔からは笑顔がこぼれている。そんな彼女を見ていると、俺も自然と嬉しくなった。
「さ、流しそうめん!もう少しで営業時間が終わるよ!最後まで、手伝っておくれね!」
「ああ、勿論だぜ!そのために俺はここにいるんだからな」
***
店仕舞のため、俺は暖簾を室内へと片付ける。お婆さんは黙々と洗い物をしている。これが今の俺にとっての『日常』だ。
この蕎麦屋は、この村で唯一の蕎麦屋だった。そのせいか常連客も多い。
輝兄さんが家を空ける日々が続いていたとき、それでも店を閉めずにいたお婆さん。どうやってひとりで切り盛りしていたのだろうか。
そんなことを不思議に思いながら、俺は店の掃除をする。流しで洗い物をしたお婆さんは、いつものように多めに打った蕎麦を手に厨房から出てきた。
「今日も孤児院に届けるのですか?」
「ああ。私はこの程度のことしかできないからね」
そうしてお婆さんは笑顔を浮かべる。
この蕎麦を、お婆さんはいつも村の孤児たちに恵んでいた。 誰かに頼まれた訳でもなく、お婆さんは善意からそうしていた。
輝兄さんが医学の道を目指したのは、やはり恵まれない者たちを救いたいという願いからだったと聞いた。お婆さんと同じように優しい彼は、一日でも早く医師として活躍できるよう、師の元にいるのだという。だから、なかなか家に戻れないのだ。
彼らはとても優しい。決して弱音を吐くことはなく、笑顔で謝意を与え続ける。それがどんなに素晴らしいことか、ここにいれば聞かずともわかった。
俺はこの村での生活が好きだ。同じようにこの蕎麦屋と、お婆さんがめったに会えない輝兄さんのことが好きだった。
輝兄さんは、いつか医者として一人前になったら、この蕎麦屋に戻ってきて、恵まれない子たちを癒やしてあげるのだろう。俺は、そう信じていた。
Ⅱ 後悔
お婆さんはもう隠居しても良い年齢であったが、それでもまだ元気に蕎麦屋を経営していた。
お婆さんはいつも笑って言っている。輝兄さんが戻って来たら、美味しいお蕎麦を打って食べさせてやるんだと。
お婆さんはよく輝兄さんの話を聞かせてくれた。親の欲目だと笑うが、俺はそんな風には思わない。輝兄さんは強く、勇敢で美徳を兼ね備えた人だ。だからこそここぞというときは、我が身も顧みない。数えるほどしか会っていない俺にも、それは十分に理解できた。
そして、久しぶりに輝兄さんがこの蕎麦屋に戻ってきた。とうとう三人で一緒に過ごせる日が来たのか、と喜んだが、そうではなかった。
輝兄さんは戦地に赴くという。勿論、医者としてだ。
お婆さんは、輝兄さんの助けを必要としている人たちがいることを理解していた。彼が医者として何人の命を救えるか――そのために、少しだけ自分が我慢をすればよいのだ。だから、お婆さんは笑顔で輝兄さんを送り出した。
本当は引き止めたかっただろうに……それがわかって、俺は心が痛かった。
だから俺はお婆さんの目を盗み、こっそりと輝兄さんに聞いた。
「本当に行くのか?お婆さんはもう高齢だ。元気にしていてもいつ何があるかわからないぞ?」
「……お前も私が間違っていると思うか?行くべきではないと、そう言うか?」
「俺以外に、誰かに言われたのか?」
「いや。私が、自分でそう思っているだけだ」
「だったら、どうして行くんだ?」
「私を必要としている者の傍に行くべきだと思ったからだ。母の傍には、お前がいる」
「だが……!」
(俺では、輝兄さんの代わりにはなれない)
俺は、その言葉を飲み込んだ。もう覚悟を決めている男にこんなことを言っても響かない。それ以上に、その事実を自分の口から言いたくなかったからだ。
だが俺は、お婆さんが必要としているのは輝兄さんだ、と言おうとした。それは悲しいが事実だ。
お婆さんの部屋にはいつも夜遅くまで明かりがついており、朝も暗いうちから開店準備をしている。
それは、いつ輝兄さんが戻ってきても出迎えられるように、だ。いつでもここで、彼女は輝兄さんを待っている。俺なんかじゃ、代わりになれる筈がないのだ……
輝兄さんはそのことを知らないのだろうか?
(いや、きっと知っている筈だ。俺ですら気づくことを、彼が気づかない筈がない)
でなければ、こんな悲しそうな目で俺を見つめる訳がない。そんなすべてを飲み込んで、彼はもう旅立つことを決めたのだ。
「安心してくれ。手紙を送るよ。だからさ、そんな表情をするな。私は軍医になるだけだ」
輝兄さんは、ポンと俺の方を叩く。
「母さんを――頼む」
そう告げて、輝兄さんは背を向けて歩き出す。笑顔で告げられたその言葉は、思いの外重く、俺に伸し掛ってきた。
(今すぐにでも、世界から戦争がなくなったらいい……)
これもすべて戦争のせいだ。
だから、大切な家族が引き離されなくてはならない。
――母さんを、頼む。
そんな彼の悲痛な呟きが、俺の心にしっかりと刻まれる。
「輝兄さ……ん!」
このまま行かせていいのか?
離れて行く後ろ姿に、何故か恐怖を感じた。
(息苦しい。これは何だ?)
どうしてだろう?数えるほどしか顔を合わせていない人の筈なのに、こんなにも胸が痛い。
引き止めたいのに、引き止められない。突然体が石のようになって動かなかった。何故かはわからない。
わかっていることは、彼の願いを叶えるためには、俺はここで彼を見送らなければならないということだ。
(たとえ、もう二度と輝兄さんに会えなくなるとしても……!)
俺は強く手を握り締めて、立ち去る彼を見送った。
***
「流しそうめん、どうかしたのかい?顔色が悪いよ」
お婆さんは濡れた手をエプロンで拭い、心配そうに俺に歩み寄ってくる。
「……いや、大丈夫、少し疲れただけだ」
懸命に笑みを作り、俺はそう答えた。
輝兄さんが去ってから半年ほど経った。いつもなら数か月に一度は戻ってきていたから、こんなに長く会わないのは初めてのことだ。
これはもう日常となり、今更輝兄さんがいないことに悲しんでもいられなかった。日々、蕎麦屋で働いているだけで夜となる。
だが、輝兄さんがいないことは間違いなく、俺やお婆さんを蝕んでいた。笑顔で誤魔化していても、その膿は確実に広がっていく。それくらい、俺とお婆さんにとって、輝兄さんは特別な存在だった。
「今日も輝兄さんからの便りはないのか?」
「あの子はいつもこんな感じだからねぇ。仕事にかまけて私たちのことなんて忘れてるんだろ」
お婆さんは笑いながらそう言った。
「そうだ、今日は早めに店仕舞いにしようか。夕飯は、あなたの好きなご飯作ってあげるさ!」
「ありがとうございます!」
俺は大げさに喜んだ。そうやって空元気を出すことで、俺たちは悲しみを紛らわせていたのだ。
毎日のように、俺もお婆さんも輝兄さんからの手紙を待っていた。だが、結局その後も便りは来なかった。
明日は届く。明後日には来る――一週間後にはきっと手紙を読んでいる……そんな希望を胸に、俺とお婆さんは日々を過ごしていた。
だが、現実とは無常だ。俺たちの希望は、身体中傷だらけの男に無残にも打ち砕かれた。
後に俺はその日のことを『後悔』として、胸に刻んだ。
Ⅲ 嘘
ある日、店に全身が傷だらけの男がやってきた。
その男を俺は訝しく思いながらも、黙って水を出した。男は品書きを見ることもなく、水を飲むでもなく、ただ黙って俯いていた。
俺は痺れを切らし、男に話しかけた。すると、男は覚悟を決めた様子で、顔をゆっくりと上げた。
「客じゃないんだ……俺は、これを渡しにきた」
そうして男は懐から白い封筒を差し出す。更にもうひとつ包みを俺の手に押し付けた。
「これは?」
「俺のせいだ。俺が……いなければ、彼は――」
その言葉に、俺は耳を疑った。
(まさか、いや……そんなはずは、ない)
俺は手に伸し掛かる重みから意識を逸らしたくなる。そのとき、僅かに袋が動き、金が擦れる音がする。男に渡された袋には、金貨が詰まっていた。
「私を守るために彼は――輝は、堕神の手に……!」
そこでその逞しい男は、体を震わせ、声を押し殺して呻く。 この状況はただ事ではない。この男が嘘をついているようにはとても見えなかった。
俺は激しい眩暈に襲われる。『堕神』と言う単語を聞いて呆けてしまった。信じたくない――まさか、輝兄さんが堕神にやられた、なんて。
その想像を現実にしたくなくて、俺は低い声で呟いた。
「今、堕神と言ったな……?輝兄さんは、軍医として戦地に行っただけの筈だ!その彼がどうして堕神の手に落ちる? 料理御侍や食霊はいなかったのか!?」
「居たよ!だが!堕神の数はそれより大分多くて……輝は、現場にいた料理御侍の誰より強く……!それが災いして――彼は前線に出て行かざる得なくなってっ!」
そこで彼はまた俯いてしまう。震える彼を、俺はそれ以上責めることはできなかった。
輝兄さんが戦地へと向かったのだ。いくら軍医だからって、その命になんら保障などない。危険な場所に行けば、命の危険は免れない――それが、戦争だ。
俺は、そんなことは十分理解していたにも関わらず、彼を止めずに行かせてしまった。あのとき引き止められていたら、輝兄さんは思い留まってくれたかもしれないのに……!
彼を救うチャンスを易々と見過ごした俺に、目の前で震える男に、何か言える権利があるとは思えなかった。
(輝兄さんは、お婆さんに挨拶をせずに去っていった。お婆さんは、また会えるから、と悲しみを耐えている……)
お婆さんは理知的で聡明な方だ。たとえ事実を知ったとしても、目の前の男を責めるようなことはしないだろう。
(だが、お婆さんはきっと悲しむ……!きっと笑顔のまま、ひとり涙に咽ぶだろう――)
俺は息を吸って、冷静さを取り戻す。まずは話を聞かなければならない。お婆さんを不用意に悲しませないためにも。
俺は男に話を聞かせてほしいと言った。彼は頷いて、詳細を話し始めた。
男の話を聞いて、改めて知る事実がいくつもあった。
輝兄さんは、一般の駐屯軍医などではなかった。前線の戦場。いつ堕神と遭遇してもおかしくない場所であった。
きっとお婆さんや俺が心配するだろうと、彼は敢えて嘘をついたのだ。俺にお婆さんを託して。
お婆さんのことは大切ではあっただろうが、彼女にはもう一人の息子と呼んだ『俺』の存在があった。
だから、輝兄さんは、遠くの地でより多くの命を救おうと考えたのだ。
そして目の前の男は、俺の存在について、輝兄さんから聞いていたと言った。自分の代わりになる食霊がいるから、村を離れる決意ができたのだと。
俺が彼の代わりにお婆さんの面倒を見てくれると思った上での台詞だろうが――お婆さんからしたら、俺と輝兄さんでは、まるで同じではないだろう。
輝兄さんがこの土地を離れてから、私は何度となく他にもっといい選択肢はなかったのか、と考えた。
いまだ、その答えは見つけられないまま、俺は輝兄さんの帰りを待っていたのだ。
「私が輝の最後を看取ったのだが。奴は、堕神と遭遇した事件について、お婆さんに知らせないでほしいと望んだ。だが私は、このまま事実を隠しておいてよいのか悩み……ここに来た」
男の震えは止まっていた。真摯な瞳で俺を見つめている。俺は頭を押さえて長い息を吐いた。
「待ってくれ……!頼むから、まだお婆さんには言わないで欲しい。この話は、俺が責任もってお婆さんに伝える。だから、今は引いてくれ」
男は俺の言葉に、小さく頷いて立ち上がった。そして一度深くお辞儀をし、店から去っていった。
その後ろ姿を見送って、俺は強くこぶしを握り締めた。
(お婆さんを傷つけないで、この事実を伝えられる方法はないか……?)
きっとある筈だ。考えれば、きっと良い案が出てくる筈だ。今ここで真実を告げるのは、彼女にはあまりに酷だ――
いつか必ず自分の口から真実を伝えよう、と俺は心に決めた。
「流しそうめん?」
そのときお婆さんが厨房から出てくる。
「どうかしたの?今帰った人、お客さんじゃなかったの?」
「ああ。道を尋ねられただけだよ」
俺は慌てて手渡された封筒を胸元にしまい、笑顔で答えた。
「そうかい?でもこんな暑い日なんだから、また同じような人が来たら、少し休んでもらおうね!」
お婆さんは俺が嘘をついているとは思っていないようで、いつもの柔らかな笑顔でそう言った。
俺はホッとして、仕事へと戻った。お婆さんはいつも通りの笑顔だ。
(これで……いいんだ、よな?)
迷いつつも、俺はそう思い込むことにした。だが、その時の俺は知らなかったのだ。
――一つの嘘が、さらなる嘘を呼び寄せることを。
Ⅳ 呪いのように
あれから一か月が過ぎたが、変わらない日々を過ごしていた。
お婆さんも、輝兄さんのことはまだ知らないようだった。
お婆さんの朝は変わらず早い。いつ輝兄さんが帰ってきても良いように今朝も日が昇る前から蕎麦の仕込みを始めた。
そして店を開け、常連客や一見客をもてなして、最後のお客を見送る。そして俺と一緒に店を閉じるのだ。
そんなことをしていると、まるであの日の男の話が嘘のようで――ひょっこり輝兄さんが帰ってくるんじゃないかと錯覚を起こす。
(だが、それは幻だ)
そんな奇跡は起こらない。今も懐に入れたままになっている金貨の詰まった袋と輝兄さんの死亡を告げる封書。どうしたってこのまやかしの日々はそう長くは続かないのだ。
結局、真実を告げる以外に、俺は良い方法を思いつかなかった。けれど、まだ気づいていないだけできっと答えはあるのだと――俺は、事実から目を逸らし続けたのだ。
お婆さんはいつでも笑顔でお客の疲れを癒している。だが輝兄さんの死を知ったら、きっとその笑顔は消えてしまう。
(真実を知らせるのは、もう少し先に……!)
――俺の選択は、間違っていない……だろうか?
それから一週間ほど経ったある日。
お婆さんは体調を少し崩していた。だから、いつもなら一緒に行く食材の調達を俺が引き受けた。
必要なものを揃えて帰ってくると、店の前には常連の客が立っていた。
「流しそうめん!やっと戻ったか!」
彼は慌てて俺の元へ駆け寄ってきた。
「お婆さんに便りが届いてな。それを見たら、家中の金をかき集めて出て行ってしまった!」
俺は話を聞いてすぐ、店に食材を置いて、お婆さんが向かったという村はずれの店へと向かった。
店に着くと、兵士の恰好をした男たちが数名目に入る。その向かいに、お婆さんの姿を見つけた。彼女は、必死になって、その兵士たちに向かって叫んでいる。
「家中のお金を集めてきました……!これで私の持っているお金は全部です。どうか、どうか……息子を許してやってください……っ!!」
「ダメだな。少しでも足りなければ息子の命はないものと思え!」
「そんな……!どうかお願いします!あの子は……私のたった一人の息子なんです……!」
お婆さんはその場に泣き崩れた。驚いた俺は、すぐにお婆さんの元へと駆け寄る。
「お婆さん!」
「流しそうめん!輝が……輝が、軍規違反をしたらしいんだ!それで……罰金を払わないと、処罰を受けるって……!」
鳴き呻くお婆さんを支えながら、俺は茫然として呟いた。
「そんなことはありえない……!」
俺は軍規がどんなものか知らなかった。それはお婆さんも同じだろう。ただ、彼らが嘘をついていることはわかった。
今も懐に入っている軍からの手紙とお金――あのときの男の話はどうやっても嘘だと思えなかった。
(何より輝兄さんが軍規違反をするなど、考えられない!)
真実を話そうと思った。こんな男たちに、大切なお婆さんのお金を渡してはならない……!
だが、どう話して良いかわからない。
また、息苦しくなる。
――母さんを、頼む。
脳裏にこびりついた、輝兄さんが立ち去る日に聞いた言葉。なんとかしなければと思うのに……どうしても、言葉が出てこない。
(これ以上、嘘はダメだ!)
けれど、混乱は止められず、俺はただお婆さんを抱きとめていることしかできない。
そんな俺たちを横目に、目の前の男たちは下卑た笑いを浮かべ、お婆さんが差し出したお金を数え始める。
「返せよ!」
「ダメだよ、流しそうめん!それがなければ、輝は罰を受けてしまう……!」
俺は強くこぶしを作り、大きく息を吸った。
「聞いてくれ、お婆さん!輝兄さんは、もう――」
そう言いかけたとき、目の前の男のひとりが呟いた。
「へへっ!既に死んだ男の名前を出しただけでこんな大金が手に入るなんてな!」
その言葉に、お婆さんは顔を上げた。
「今、何と言いましたか?」
「あん?」
「輝が死んだと……そう言いましたか!」
お婆さんが愕然としてそう叫んだ。
「ああ。もう何か月も前の話だ。けどあの軍医、自分の母親には言うなと頼み込んでいたからな」
「これは使えると思ったのさ。信じられないっていうなら、隣にいる食霊に聞いてみたらどうだ?一か月前に軍の男がひとりこの村にやってきていただろう?」
「そのときにそこの食霊が金と手紙を受け取ってるはずだ」
驚いたお婆さんは、俺に詰め寄って叫ぶ。
「流しそうめん!今の話は本当なの!?」
「……それは」
それ以上、俺は何も言えない。お婆さんのためだと思ってのことではあるが、隠していたのは事実だったからだ。
「はははははっ!残念だったな、あんたの息子は堕神の犠牲になって死んだんだよ」
「その食霊は軍医が死んだ通知も、弔慰金もあんたに渡してないのか。息子の代わりと思って傍に置いていた食霊に、まさか裏切られるとはなぁ……!」
「違う!俺は……!」
そう叫ぶも、その先は何も言えない。裏切ったつもりはなかったが、結果的に騙していたのと変わらなかった。
(俺が、お婆さんに隠し事をしていたことに変わりはない)
「おばさん、早くその食霊を一日でも早く手放すことを進めるよ。そいつは嘘つき者だ。本当のことを知っていたのに、ずっと隠してたんだからな」
「じゃあ、俺たちはもう行くぜ。この金は情報料ってことで頂いておくよ!じゃあな!」
高笑いで店を出て行く男たちの声を聞きながら、お婆さんは絶望した表情で俺を見上げた。
「流しそうめん……輝は死んだのかい?そしてお前は――そのことを知っていたのかい!?」
「申し訳なかった……」
力なく、俺はそう答えた。
「いつお婆さんに言うべきか、ずっと考えていた。お婆さんの悲しむ顔が見たくなくて……弔慰金は手を付けずに持っている。言いだすきっかけが、どうしても見つけられなかったんだ……!」
そう訴えながらも、その言葉がお婆さんに響いていないのは一目瞭然だった。
一度ついた嘘は、そう簡単には拭えない。
失った信用を取り戻すのは並大抵のことではない。
お婆さんはもうこれから先、俺を信用することが難しいと言った。それほどに、息子の死を黙っていた俺の罪は――重い。
(自分なら、なんとかできると……お婆さんを悲しませない方法が見つけられると、そんな自惚れた思い上がりをしてしまった)
俺は、そこでやっと自分がどれほどの過ちを犯したかを、強く思い知らされた。
その日は、会話もなく蕎麦屋へと戻った。
俺はお婆さんに謝罪をしたかったが、お婆さんは部屋にこもってしまった。
仕方なく俺は翌日まで待つことにした。
「きっと、あんたにも何か事情があったんだろう。人を騙して楽しむような子ではないことを私は知っている……だが今はどうしてもあんたを信用することができない」
翌日、お婆さんは俺の話を聞くまでもなく、そう告げた。
お婆さんの言うことはわかる。これは仕方のないことだ。自分が同じ立場だったら、もっとひどく取り乱していたかもしれない。
俺はせめてものお詫びと、手を付けずにおいた金貨の詰まった袋と手紙を差し出した。
だが、お婆さんは受け取りを拒否した。
「昨日のことは、なかったことにしよう。だから、これはお前の懐に戻しておくれ。輝の死とお前の裏切り……そんな辛い現実を、私はとてもじゃないが受け止めきれないよ」
そしてお婆さんは俺にここから出て行くことを望んだ。
俺は、黙ってその望みを聞き入れるしかなかった。
そしてお婆さんに見送られ、俺は蕎麦屋を後にする。
お婆さんはずっと見送っていてくれた。
これは、俺が嘘をついた罰だ。
あんな嘘をつかなければ、俺は今もお婆さんの傍に居られたはずだ。
そうしたら、輝兄さんの願いも叶えられたのに。
そう思った瞬間、頭に響く声……
――母さんを、頼む。
呪いのようにこびりついて離れないあの日の輝兄さんの声。
そんな些細な願いすら叶えられなかった自分の無力に、俺は咽び泣いた。
もう二度と、嘘はつきたくない……そう強く思った。
Ⅴ 流しそうめん
流しそうめんは、蕎麦屋で働く食霊だ。
彼は、留守にしがちな店主の息子・輝の代わりに、一生懸命働いた。
しかし、戦争が起こり、医師免許を持っていた輝は軍医として戦地へ行くことになった。
輝は、年老いた母親が心配だと、流しそうめんに母親を任せ、より多くの人を救うために出て行ってしまった。
いつか戻ってくるであろう輝をお婆さんと共に蕎麦屋を経営しながら待った。
しかし、輝は戻ってくることはなかった。ある日屈強な兵士が店に訪れ、自分を庇い、死亡したと告げられる。
流しそうめんは、そのことをお婆さんに告げることはできなかった。輝からお婆さんを任されていた責任と、どうやって告げるべきか悩んでしまったから。
その結果、流しそうめんは『嘘』をつくことにした。
これは善意の『嘘』だ。いつか良きタイミングでお婆さんに伝えることで、彼女にショックを与えないために必要な『嘘』だと――そう思い込むことにした。
しかし、その『嘘』はすぐに暴かれた。
いつまでも息子を待ち続けるお婆さんと食霊……そんな彼らのことは、自然と真実を知る兵士たちやその周りに知れてしまった。
そんな人たちの中に悪者がおり、お婆さんを騙してお金を巻き上げようとした。
そのことで、お婆さんは流しそうめんが嘘をついていたことを知ってしまう。
聡明なお婆さんは流しそうめんを責めなかった。
しかし、もう以前のように流しそうめんに接することはできなくなっており、まるで親子のようであったふたりの関係は崩壊した。
そのことから流しそうめんは深い反省をした。
嘘は、どんな嘘でもやはり悪いことなのだ、と。
もう二度と嘘はつかない、と――
***
流しそうめんはどこに行くこともできず、元いた林を彷徨っていた。
そもそも自分はどこから来たのだろう?
蕎麦屋のお婆さんのところで働くことになった経緯から、自分のことはてっきりお婆さんが召喚したのだと思っていた。
だが、真実は違った。
それは突然訪れた、ある男によって知らされた。
いつものように流しそうめんは、お婆さんが林に食材調達をしに来るのを待っていた。
だが、勿論声はかけられない。ただ今日も彼女は元気であった、とそんなことを確認していただけだった。
しかし、その日はいつまで経ってもお婆さんはやってこない。どうしたのかと心配になって、林を出ようとしたとき、見知らぬ男に声を掛けられた。
彼は、輝と知り合いだと言う。
輝は村を出るとき、その後のことを心配して、彼に手紙を送っていたのだという。自分の食霊である、流しそうめんのことをどうか頼む、と。
そんな男が自分の何の用かと流しそうめんは疑問を抱いた。彼は、お婆さんが倒れたとにべもなく言った。
流しそうめんはショックを受けるも、お婆さんのところに行くことはできない。ただ俯くしかできなかった。
そんな流しそうめんの手を引き、男はお婆さんの家まで導く。困惑しつつ、流しそうめんは自分のしでかした、取り返しのつかぬ『嘘』について説明する。
男は静かに「知っている」と言った。その上で、流しそうめんをお婆さんの元へ連れて行くと言った。
合わせる顔がない、と拒絶する流しそうめんに「今会わなければ、もう一生彼女に会うことはないだろう」と告げる。
それは、お婆さんの危篤を意味していた。
もう事情は話してある、と男は床に臥しているお婆さんの前に流しそうめんを強引に押し出した。
お婆さんの呼吸は荒い。流しそうめんは拙い言葉で懸命に告げた。
これまで良くしてくれてありがとう、と。
嘘をついてしまって、本当にすまない、と。
お婆さんは、うっすらと目を開け、そんな流しそうめんの頭に手を伸ばし、弱々しい力で撫でた。
「彼から、聞いたよ」
だから、もういい、と彼女は言った。感情の整理がつかず追い出してしまってすまない、とも告げる。
もう最期は近いのだ、と悟った流しそうめんは「召喚してくれてありがとう」とお婆さんに言った。
何も返せなかったけれど、感謝していることをとにかく繰り返し呟く。するとお婆さんは、力なく笑った。
「そうか、あんたは知らなかったんだね。あんたの御侍は輝だよ」
そうして、お婆さんは息を引き取った。
困惑する流しそうめんに、詳しい話はあとだ、とその男はその後のことを取り仕切ってくれた。
内々で葬儀を済ませ、もう誰も戻ってこない家と店は、僅かな金銭へと変えた。そして、それを流しそうめんに渡した。
「受け取れない」
「これは、輝とお婆さんの意志だ。お前がいらないなら、その辺に捨ておけばよい」
結局、流しそうめんはどうすることもできず、もらったお金を懐に仕舞った。
「さて、この後はどうする?良かったら、少しの間うちに来ないか?」
特にあてもない流しそうめんは、言われるままその男についていった。
男の家は流しそうめんがいた村から半時ほど歩いた先にあった。
男は、車椅子に乗った『水信玄餅』と言う名の食霊と共に生活をしていた。
人見知りなのか、水信玄餅は流しそうめんとは本当に限られた会話しか交わそうとはしない。だが、それは男に対してもそうだった。
男は料理御侍として、家を空けることが多い。誰かいてくれたら安心だから、と流しそうめんに水信玄餅と共に家にいてくれることを望んだ。
そんなことで良いのなら、と流しそうめんはその男の願いを受け入れた。
そうして、流しそうめんは水信玄餅とふたりだけで、その男の家で過ごすことが増えた。
最初はほとんど話すことはなかったが、次第にふたりの間で会話が増えていく。
流しそうめんは、自分がここに来た経緯を水信玄餅に話す。すると水信玄餅は「知っている」と答えた。この家の主であるあの男から、聞かされていたようだ。
「きっと、辛いのだろうな」
そんなことをポソリと呟き、それ以上水信玄餅は何も言わなかった。
どこか寂し気な水信玄餅は、責めるでもなく、慰めるでもなく、流しそうめんの話を聞いてくれた。
「御侍が言っていた。生きていたらどうしようもないこともある、と」
その言葉に、流しそうめんは悩んだ。どうしようもないことだったのか甚だ疑問だったからだ。
それでももう、その関係をやり直したい相手はこの世にはいない。残っているのは、想い出だけだ。
そうして流しそうめんは、水信玄餅と共に、男の仕事を手伝うことになった。
流しそうめんは料理御侍である男の仕事を、さほど苦労もなく手伝うことができた。それは、お婆さんの元で、僅かな間だが働いていた経験によるものだろう。
そんな風に忙しく働きながら、流しそうめんは少しずつ元気を取り戻した。
そして、彼は鋭気を取り戻し、お婆さんと輝の住んでいた村へと戻って、林に住み出した。そうして、この村を見守ることを決めたからだ。
たまに流しそうめんは、水信玄餅の御侍の元へと顔を出した。そこで、彼らはまるで兄弟のように語り合った。
男はそんな流しそうめんに、彼の御侍について語ってくれた。
もともと輝は、料理御侍としての才に溢れていた。だが、たったひとりの老いた母親を置いて、料理御侍として働いていくことを望まなかった。
その結果、軍医として資格を取って働く道を選んだのだ。
輝の母親はいつだって輝の理解者だった。自分のしたいようにすれば良い、と全力で応援してくれていたようだ。
だが、輝はそんな母親を置いてでも、やはり一人でも多くの人を救いたいと望んでしまった。
だからこそ、そんな自分の代わりになる流しそうめんを召喚したのだ。
だからこそお婆さんは、そんな息子の心情を察して、流しそうめんを息子のように受け入れてくれたようだ。
「輝は、君のことを後悔していたようだ。御侍として発した彼の言葉は、君を縛り付ける結果になってしまったようだとね」
――母さんを、頼む。
それは輝にとって、命令ではなく心からのお願いだった。
だが、想いが強すぎたために、契約の力で有無も言わさず流しそうめんを従わせることとなってしまった。
「悪気があってやったことではない。騙そうとした訳でもない――それくらい、料理御侍と食霊の関係は難しいのだろうな」
「俺、は……!」
流しそうめんは息を止める。だが、溢れる涙は止められない。
「お婆さんが好きだった。輝兄さんのことだって好きだった。そんな、契約だからって彼らの傍にいた訳ではない……!」
「君がそう思ってくれているなら、輝もお婆さんも救われるだろうな」
そんな話をしたすぐあとのことだった。
料理御侍としての仕事の無理が祟り、水信玄餅の御侍は疲弊していった。
「俺は大丈夫だ。お前も元気を取り戻し、水信玄餅も少しずつ明るくなってきている」
すべてが良い方向へと向かっている――そう水信玄餅の御侍は言った。彼が言うなら間違いないのだろう、と流しそうめんは信じることにした。
彼が嘘をつく理由がない。
もう悲しいことは全て終わった。これ以上もう、悲しいことが起こるはずがない……!
「そうだ、俺たちは大丈夫だ。まぁ……もし俺に何かあったときは、お前に水信玄餅を託すよ」
「そんなの何十年も先のことだ。まだ言うには早いよ」
そう言って流しそうめんが笑うと、つられるように水信玄餅の御侍も笑った。
――俺たちは、大丈夫だ。
彼の言葉通り、この平和な日常がずっと続くと信じようと流しそうめんは思った。
だが、その願いは脆くも崩れてしまうこととなる。
***
その日は雨が降っていた。
流しそうめんは赤い油紙傘を手に、長い間会えなかった旧友に会いに行くようなワクワクした気持ちで、樹海の奥にある、桜が咲き乱れる小さな村に赴いた。
するとそこは、彼の知っている村ではなかった。堕神の襲撃に遭い、村はぼろぼろになっていた。流しそうめんは、水信玄餅と彼の御侍が心配になり、急いで彼らの家へと走った。
そして辿り着いた場所には、ぽつんと車椅子に座る少年の姿があった。更に少年の目線の先に倒れている男がいる――水信玄餅の御侍だ。
その目は絶望に満ちていた。一瞬で、お婆さんの顔が重なる。その衝撃で、流しそうめんは動きを止めた。
「水信玄餅、彼はどうしたんだ……?」
「……私のせいで御侍様が――死んだ……」
そこで、流しそうめんの硬直は解かれ、慌てて水信玄餅の元へと駆け寄る。
「嘘をつくな!どうしてお前が御侍様を殺すんだ!?一体何があった!教えろ!」
「私は……」
言いかけるも彼はそのまま項垂れてしまう。その様子に『何かがあった』ことを否が応でも流しそうめんは受け入れずにいられない。
彼は、他人と距離を取りすぎるところがあった。
それは、自分とだけではない、彼の御侍ともそうだった。
それを『人見知り』などという言葉で流していたが、本当にそうだったのだろうか?
自分が知らないことがあり、その結果、水信玄餅の御侍は死んでしまったのだ。
「わかった。今は、何も言うな」
傷つき絶望に塗れた彼に、今これ以上何かを語らせる気には、到底なれなかった。
言葉にできない、様々な負の感情が心の奥から流れ出す。これまでのこと、そしてこれからのこと――自分は、何ができるだろう?
――母さんを、頼む。
――水信玄餅を、託すよ。
そのときだった。そんな、ふたつの言葉が重なって、流しそうめんの中で繰り返し響いたのは。
(……同じ過ちを、犯さぬように)
これは、言霊だ。
強い想いで発せられた言葉が、流しそうめんに強く残っている。
もし水信玄餅を託されていただけだったら、その想いに、きっと流しそうめんの気持ちは折れていただろう。
だが、もうひとつ――水信玄餅の御侍からは、心強い言葉を授けられていた。
――俺たちは、大丈夫だ。
その言葉を胸に、流しそうめんは顔を上げた。
(彼に、自分と同じ後悔を与えないように……!)
流しそうめんは、これを御侍であった輝と、彼の友人であった水信玄餅の御侍がくれたチャンスだと思った。
長い時間生きていれば、後悔と無念が連続でやってくる。
だがそこで立ち止まっていてはダメだ。経験から何かを学び、前に進んでいかねば、悲しみからは抜け出せない。ずっと、苦悩の中で呻くことになる。
(もう一度、考えよう。自分のために……水信玄餅のために!)
そうしてこの苦難に打ち勝てたら、自分を救ってくれた、水信玄餅の御侍への恩返しになると思えた。
――雨の中、一面の瓦礫。
水信玄餅を前に、流しそうめんはきっと彼を救うのだ、と強い誓いを立てたのだった。
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