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瑪瑙つみれ・エピソード

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瑪瑙つみれのエピソード

白虎神君を祭る荒れ寺に生まれ、困苦の人々の疲弊かつ強烈な「希望の力」により召喚された。瑪瑙つみれの心は百姓と同じように天下泰平を望んでいるが、一方体内には白虎の暴虐な血が蠢いている。彼女の豪放磊落な外見の中に頑強な意志があるからこそ、血に飢えた好戦的な魂を押さえつけていられるのだ。千古一帝になることよりも、瑪瑙つみれは彼女の民を愛し、自身の領土を守るためには、東籬国だけでなく光耀大陸全体が戦場、そして唯一の故郷だということを彼女は深く理解している。

Ⅰ.白虎の残魂


「あぁ……あの『山鬼』のおかげで近頃堕神の痕跡も減りつつあったが、今年も……また収穫はなしか……」


「先日玉京で後任式典が行われたと聞いた。さぞ壮大だったろうに……なぜ……なぜ我ら白虎一族、我ら西昧はこの荒れ地で虫の息をつなぐことしかできないのだろうか……」


「白虎神君の力の衰えがあまりにも速いせいで……西昧族は没落の一途をたどっている。どうにかしなくては。おそらく……祈りを……神に祈りを捧げれば、色々な神様仏様に……我ら西昧が滅びぬようにと祈りを捧げれば……」


「祈るだけでは何も変わらないだろ?それより一か八か試してみるのも悪くない……今頃玄武が擁する玉京も我らの手に……」


「神君の後任は、四方を守るためにある。だが四方のうちの一つの西昧族が今ここまで落ちぶれているのにも関わらず、玄武神君は全く無関心でいる……白虎神君が直ちに神君の座に就くことだけが、西昧の助けとなるのだ……」


「だが白虎神君に……転世の兆しは全く見られないな……」


「ばか者!私たちがきっぱり宣言すれば、誰が神君の身分を疑うというのだ……」


「偽の神君を代わりに用意するのですか?まだ神君交代の時は来ていないというのに、どうやって玄武に神君の座を明け渡してもらうのですか……」


「神君継位により、その一族も同じように誉れを受けることができるのだ。玄武は自ら神君の座を明け渡さないだろう、だが……」


「戦……そう……あるのは戦のみ。」


ここまで聞くと、私は梁上から体を横に傾け、あの老いぼれどもの禿げ頭の方を見た。

老いぼれどもは談笑していたが、所詮おとぎ話に過ぎなかった。

樹木を切り落として武器とし、竹竿を掲げて旗とする。うわべだけでそう簡単に行くわけないだろ。


西荒は元々人口が少なく、若者はなおさらだ。

いたとしても各家の大黒柱で、終日働き疲れ果てている。戦を始めるとしても、誰が戦場に立てると言うのだ?

その上……


「災害が起これば天下は大乱する……ただ戦なんぞ起きなければいいと願う……」


「あの時父上が朝廷に徴兵されてから戻ってこなかったことがなければ……私のようなばあさんもここまで落ちぶれることはなかった……」


「はぁ…私にはこの子しかない。この子を主産した時は死に際に立たされたというのに、この子までが戦に行ってしまったら、私はどうやって生きていけばいいの……」


数日前、いや、この荒れ寺で一番耳にするのがこういった祈りだった。


戦の勝敗は、全て人心の向背で決まる。


生活が落ち着いたら性欲を満たしたくなる。百姓は衣食すらままならないというのに。彼らの願いはただ家族が元気でいてくれること。戦を望むのは一日中会合し陰謀に明け暮れた老いぼれどもだけだ。


いずれにせよ敗北は一死のみ。老い先短い彼らにとってさほど損はない。だがもし勝てば、夢にまで見た富と権勢が手に入る。


何が白虎一族の復興だ、全部私利私欲を隠すための見せかけに過ぎない。


西昧族が白虎に対する敬慕は、彼らが西荒にした第一声の嘆きの中で既に死している。


この荒れ寺が何よりいい証だ。


私は足元の崩れんばかりの白虎神像を見ては、珍しく同情を寄せていた。


普段は同族に忘却の彼方へ押しやられ、貢物がないのはさておき、今となっては謀逆の聞こえの良い理由として利用される羽目になるとは……惨めだな。


梁上から飛び降り、私はあの老いぼれどもが地面に残したキセルの灰を嫌そうに蹴り、趙のおばさんが朝持ってきた貢物の果物を一口かじった。


あの老いぼれどもは確かに嫌いだが、極悪非道なわけでもない。害を避け利に走るのは人情の常であり、時運が悪かったのとあの四方を守ると言われている神君が助けようとしなかっただけだ。


「あいつらの肩を持つのか?さっきまで責めて今は擁護に回るのか?忙しいやつだな。」


4本の柱と貢台以外何もない荒れ寺にふと耳がつんざくようなと言っていいほどの音が鳴り響いた。


私はのらりくらりと貢物の果物が最後の数個になるまでかじり続けた。


「フンッ、何が貢物がないのはさておきだ、全部お前に食べられたら私は何を食べればいいんだ?」


話し終わると、白虎像はまるで生命が宿ったように怒った顔つきになった。


私は思わず笑いながら像の肩に腕を回した。


「どうした?貢物が食べれる立場であるとでも思っているのか?今の西荒の守護神はこの私だ。皆は私がこの僻地でほっつき回っている山鬼だと勘違いしているようだが……」


「皆が私をここへ召喚したからには、皆の願いが私の使命となる……私が皆を守らなければ、誰が彼らに構うというのだね?」


Ⅱ.西荒旧事


白虎像はあの日から怒っているらしく、二度と姿を現さなかった。


器の小さいやつだな、貢物を少し食べただけだろ?私がいなきゃあいつは家すら残らないのに。


でも、あいつが姿を現さないのにはもう一つに理由が……


「魚ちゃん!何でまた他の貢ぎ物は食べて桃だけ残すのよ!」


私は梁上で足を組みながら休んでいた。声がしたので仕方なく下の方を横目で見た。


陶舞がまた腰に手を添え、筋が通っていなくても堂々たる態度で私を睨み付けてくる――数日前私に現行犯を捕まえられて以来、彼女は以前のように頻繁にこっそり桃を持って来ることはなくなり、反って堂々と寺に居着くようになった。


へっ、白虎像がこんなにシャイだったなんて、見知らぬおなごに会うのが怖いのか。


「魚ちゃん何で私が持ってきた桃は食べないのさ、好き嫌いしてはいけませんよ。」


「私は本来食事を摂る必要はない。貢物を食べたのは、その中に宿る希望の力を欲したに過ぎない。お前が私に何かを祈り求めた訳でもないのに、私はなぜお前の物を食べるのだ?それに……」


私は貢台の上に並べられた桃を一瞥し、気分悪そうに眉間にしわを寄せた。


「お前が持ってきた桃はどうも怪しい、匂いから色まで……こんなに赤い桃があるのか?」


「あなた、もしかしたら私があなたに危害を加えるために桃に何か仕込んだんじゃないかって思ってるんじゃないよね!」


「へっ、その度胸があってもそんな力などないだろ。」


「私があなたに危害を加えるわけないでしょ!この桃に希望の力がなくても、あなたが食べれば為になるんだから!」


「止しな、私には必要ない、それより西荒の百姓にあげた方がよい。」


「あなたが食べないなら、そうするしかないわね……」


陶舞はブツブツ言いながら貢台の上の桃を一つ一つ絹袋の中へ入れた。可哀そうに見えた。


……彼女は時々やかましくはあるが、本当にいなくなったら私は毎日堕神と連むようになり、いくらもしないうちにあの混沌した妖になりゆくのだろう。


多かれ少なかれ彼女はこの荒れ寺に生気をもたらしてくれたことに免じてやるか。


すると私は梁上から飛び降り、彼女の手から桃を一つ奪い取り一口かじった。


……変な食感だ、柔らかくて、生肉を食べているようだ。


でも、あの娘の笑顔が取り戻せればそれでいい、まずくても我慢するしかない。


こうして陶舞は寺に住み着いたのだ。数日後、私は堕神の手からまた張千という若僧を救った。

もとより不毛の地が死灰復燃ゆのごとくにぎやかになった。


「やめだやめだ!きつすぎるよ……」


張千はこう言うと木剣を捨て、地面に座り込んだ。


「あなたがいれば堕神なんて来るわけないでしょ?何で僕にこういうことばかり習わせるんだよ……それに、何で陶舞は習わなくていいんだよ!」


「クソガキが、陶舞ねえさんと呼びなさい!」


しっかりと陶舞の肘打ちを食らった張千は今にも泣き出しそうで文句を言わなくなった。


私は思わず笑った。


「お前が陶舞に勝てた時にまたその話を聞いてやろう。堕神がいなくとも渡る世間は鬼ばかり、私はいつでもお前を守ってやれるわけでもない。少しでも護身術を身に付けることは悪い事じゃない。」


木剣を彎刀で拾い上げ、張千の懐に投げた。私は更に一束の縄を持ち出した。


「剣の稽古で疲れたのなら、縛られた時の縄抜けの方法を教えてやろう。中間休息としよう。」


「そんな休憩の仕方ありかよ……うわっ!本当に縛るのかよ!」


「お前の遊びに付き合ってるとでも思ってるのか?私から直々に教わるなんて滅多にないことなんだぞ。感謝の意を表してほしいくらいだね。」


「イテテテッ……絞め殺される!」


こうした口論がほぼ毎日のように鳴り渡り、荒れ果てた寺だけではなくなっていった。


西荒の数千万の百姓が今私の庇護下にある。堕神の脅威が消えてからというもの、人々はここへ富や一家団欒の祈りをしに来るようになった。

数えきれない欲望が絶え間なく浮き出てくる……だが陶舞と張千だけは私に何かを求めることはなかった。むしろ与えてくれた物の方が大きい。


この子たちと一緒にいる時、私は度々錯覚に陥ってしまう。自分が皆から求められる万能である以上余すところなくこの肉体の神を貢献すべき存在ではなく、


普通の食霊、または、人間であるように思える。


この二人は私が「人の心」を保つ良薬であり、私が求めた物でもある。


それゆえ、張千が玄武の手下にさらわれ、くだらない山河陣に献じられると知った時は一瞬取り乱してしまい、あの憎き妖に隙をつかれてしまったのだ……


「玄武帝が何だと言うんだ。玄武神君であろうと、あなたとは対等な立場であろうに。取るに足らない俗物があなたのことを苛めることができるとでも思ってるの?」


万物は寂滅し、唯一白虎像の目だけが松明のごとくギラギラと強烈な光を放ち、凶悪な形相は鬼のようであった。


「お前はこのただ西荒を守っていてはいけない、行くがよい、あいつに目に物を見せてやれ、上には上がいるってことを思い知らせてやるのだ、お前こそがこの光耀大陸の主だということをな……」


あのかすかな言葉は寺内にこだまし、さながらこの時をもって兀然と蘇った古の魔術のごとし。


「玄武を殺して玉京を奪還するのだ。これこそがお前が張千、そして西荒の百姓にしてやれる偉業だ。さあ……行くのだ!!」


Ⅲ.東籬今朝


目の前は天地ともに暗く、殺戮に切望した血が滖るも、肉体に縛られ塞がれている。


血の波に掻き立てられた私はもどかしくて仕方なかった。目がくらみ唖然として、ただ彎刀を掲げ、勢いよく……


瑪瑙つみれ!」


突然空から舞い降りた切迫感の中に優しさが溢れる声が、湧き出る怒涛の怒り一瞬にして鎮めた。


私は勢いよく目を開くと、心配そうな表情をした胡桃粥と彼の背後で堅陣を敷いて各自の武器を構えた金髄煎荷葉鳳脯が見えた。


「…………なんだ?反逆でも起こすつもりか?」


この言葉を聞くなり、荷葉鳳脯はやっと警戒の表情を緩め、深くため息を付いた。


「何よ、瑪瑙が玉京に殺しに行くって騒いでたじゃない!ほら、あんた刀まで持ち上げて!」


私は顔色一つ変えずに灣刀を下ろした。「何を言ってるんだ。私はどう見ても寝ていただけだろう。」


「この前もそう言ってたじゃないか。俺たちが止めてなかったら、お前は牧場の牛の首を全部切ろうとしてたんだぞ。」


金髄煎はこもった声で言った。まだあのことをまだ根に持っているようだった。


「ちぇっ、あの時は寝ぼけてたんだ。それに謝ったではないか……近頃平穏過ぎてどうも腕が鳴る……」


「腕が鳴っても殺すなどよく口にするもんじゃないでしょ!東籬は昔ほど良くないし、あんたが殺戮を始めたら、どれだけ迷惑がかかると思ってるの?」


……小娘が、自分こそ少し前までは毎日戦場を駆ける狂人だったくせに、今頃私に説教かよ。


私は我慢できず心の中で毒づいた。彼らの前では不本意ながらも手を振った。


時は東籬三年、私の手によって築かれたこの国で棚上げにされていた事業は復興され、勢いよく発展し繁栄していた。光耀大陸の中でも少し名が知れていた。


聞くところによると白虎の転世は昨年見つかり、あの偽神君とこっそりすり替えられ、災難を経験した玉京は落ち着きを取り戻せた。


しかし四海を平定した裏では、依然として多くの勢力が玉京に歯向かっており、我が東籬でさえ虎視眈々と機会伺っていた。私がもし先に戦をしかけたら、どれほどの人がこの機に乗じて天下大乱を引き起こしたのだろうか。


幸いにも、この三人が適時に私を止めてくれた……


張千の失踪後、私は西昧族に協力し……正確にはダシにされて玉京へ向かい、玄武の帝座を奪取した。


それから私は玉京に留まることが嫌になり、陶舞と共に戦の迫害が最も酷い他郷東籬にやって来た。


西荒、そして玉京とすら異なる安楽の地を築き上げるため、私は他郷に全力を注いだ……陶舞もまた然り。


他郷が東籬に改名されてからまもなくした頃、大干ばつに襲われ、まるで西荒の旧事が再演するかのように思えた。


水火の苦しみから東籬の百姓を救うため、陶舞は霊族本来の再生能力で肉体を削り、百姓に食を提供し、また霊族の血を余すことなく分け与え、東籬に大雨を降らせた。


彼女の血肉と引き換えに得た平和と喜びは、私の不注意やあの罰当たりの畜生の野心に壊されてはならない。


ただ……


あの声は昔私が激怒した時にだけしか聞こえない。例えば張千が失踪した時……なぜ今となってまた……


考えただけで頭が痛い……私は頭を振り、目の前の未だに心配そうな三人を見た。


「もうよい、私はまだ健在だ。お前らがここに立っていては最後を見届けられているみたいだ……ここに来たということは、何かあるんだろうな?」


「忘れてしまうところでした……東籬に特別なお客様が2人お越しくださいました。貴方に会いたいとおっしゃっています。」


「特別な客人だと?」


「……お会いすれば分かります。」


胡桃粥の何かを言いかけてためらう様子から見ると、招かざる客だと察した。


いつでも開戦できる準備を取り、私は身を起こし胡桃粥と共に広間へと向かった。


広間内の中心には四角いテーブルがあり、両隣には肘掛け椅子があった。この時は空いていた。

東と西の両側にはそれぞれ官帽椅が置いてあり、西側に二人座っていた。


一人は異彩を放っていたが、病弱であることを隠しきれず、体の片半身がぐったりと椅子にもたれかかっていた。もう片方はもう一人に慎重に支えられていた。


そしてもう一人は仙人と呼ぶにふさわしい風貌だった。精神と気質が共に高く計り知れなかった。加えて額に二本の角を生やしていることから見て、青龍以外の誰だと言うんだ……それゆえ白虎の残魂が騒ぎ立てていたのか。


「あなたが東籬の主だな。」


「なんだ?お前も領土を奪いに来たのか?」


「…………いや、私は友人を診てもらうために来た。」


「は?天下をも治める青龍に治せない病気を私にお願いするのか?」


「私は既に天を作り、山河陣を促したゆえ、これ以上『変動』を起こすわけには行かない。ましてや彼がかかったのは毒。東籬に毒師が一人いると聞き参ったのだが……」


「薬師だ。」


「?」


「私によって改心させられたのだ。」


「……呼んでもらえるか。」


青龍の振る舞いを他人に置き換えたらとても恭しいとは言えなかったが……これは青龍だからできること。


私はしばらくの間、怒った方がいいのかそれとも笑った方がいいのか分からなかった。ただ一歩前へ歩き、二人の前へ座ると胡桃粥の方へ手招きした。


金髄煎に伝えろ、薬師をもう一度攫って来いとな。」


Ⅳ.愛は無限


それから間もなくして、金髓煎は香薷飲を担いで来た。


香薷飲は地面に降りた途端罵倒し始めたが、仙宿――つまり青龍の友人を見た時、顔色を変えた。


「なんて猛毒だ……既に五つの内蔵まで回っている。もう助からないよ。」


「……でしたら、私に残された日はあとどれくらいありますか?」


仙宿は香薷飲の言葉を聞くなり驚きや感傷の情を表すことはなく、釈然とした安らかな面構えをしていた。


香薷飲は指折り数えて、彼に手を向けた。


「……ありがとうございます。」


「まぁ…どこから来たのか分からないが、長旅で疲れただろう……よければ東籬にしばらく泊まってこれからどうするかゆっくり考えてみないか。」


私は話を逸らそうとして青龍に問いかけた。彼は仙宿の方を見て、意義がないことを確認すると私の方を向いてうなずいた。


ちぇっ、さすがだな、まるで私が泊まるように頼んでるみたいだ……


心の中は気が晴れないが、先ほど決めたように鳳脯に二人を客室まで案内するように仕向けた。 


その後二人は客室で一日中籠もり、何を話したかは分からないが、青龍に再び会った時彼も釈然としていた。


また一日が過ぎた頃、聞くところによると香薷飲が仙宿の薬を2回替えたと言う。あいつは前科があるから、他の人に毒を盛ることがないと言い切れない……


……


「クソ龍!お前が東籬を見捨てなかったら、俺の父ちゃんは死ななかったんだ……出ていけ!出て行けよ!」


二人の客室へ行く途中、遠くから幼い子供の喚き声が聞こえた。どんよりした音に伴い、私は心臓が縮み上がった。


青龍が子供一人を相手取るのは容易である。手を上げる必要もなく息を吹きかけるだけでよいのだ。どこから湧いてきた大胆不敵のガキか知らんが、青龍の客室の門を叩くなんて……


私は速歩で向かい、あの小童の服の襟を掴んで人ごと持ち上げた。


「小僧、命が惜しくないのか?」


「離せ……うっ!へっ陛下!僕……」


「お前の親父が亡くなったのは朝廷に兵役を課せられたからだ。朝廷が人を捕えるのは国の経営よくなく、災害が次々に起こったからだ……誰もこんな結果を望んでいない。恨むなら天を恨め、青龍を恨むでない。」


私は話しながら小僧のぷくぷくした頬をつついた。あの絶妙な感触に堪らず笑ってしまった。


「天はお前に新たな罰を与えるだろう。この部屋の中の堂々たる神君青龍のように、お前みたいな小童に冒涜されても黙って見過ごすことはない。」


「フンっ……こいつが何も言わないのは、後ろめたいことがあるからだ。」


「何の後ろめたさがあると言うんだ?彼は光耀大陸全体を救った大局的な人なんだぞ。自然と同時に枝葉末節に拘っていられない。世の中に完璧なことはなく、全てに配慮を行き届かせるのは容易なことではない……お前はどうなんだ?亡き親父さんの霊が、お前をいじめないと決めた人をお前がいじめることを誇りに思うだろうか?」


「でも、でも光耀大陸の前に青龍は東極の神君なんだぞ……もしずっと東極を守ってくれてたら、僕らもいじめられずに済んだのに……」


「チッ、お前は何でずっと人に庇ってもらおうとするんだ?南離も毎日朱雀に守られてるわけじゃないけど、あの一族は負けん気でうまくやっているではないか?それに……青龍がずっと東極を守っていたら、お前らも私のようないい君主に巡り会えなかっただろう。」


「……」


「クソガキ、今のは何の顔だ?私がいい君主じゃないと言うのか?」


「陛下はもちろんいい君主だよ!ただ……ただナルシストなだけだよ!」


「お前な……!」


あの若僧は私が油断したから束縛を振り解けられたのだと思っていて、得意げに逃げ去った。しばらくしてまた振り返り私に向かってこう叫んだ。


「ご安心ください陛下!僕はもうどうするべきか分かってますから!」


……本当に分かったのかどうかは知らないが、まあよい、どうせまだ先は長い。


カチャッ――


手前の扉が開き、青龍が中から出てきた。彼の表情だけからは、先程の会話がどれくらい聞かれていたかは読み取れなかった。


「あの子の言う通りだ。私は確かに東極に心疚しいことがある。」


全部聞かれていたようだ……


「もうよい、青龍であるあなたまで心疚しいことがるなら、光耀大陸の一大事にまったく顧みず何もしなかった食霊は野山に屍を晒す羽目となるだろう。」


「……あなたの心に込められた愛は、私よりも『神君』らしい。」


「私は神君がどうあるべきかは知らないが、心に込められた愛については……私の誕生が特殊だったからに過ぎない。愛の他にも私にはたくさんの『大悪』がある。」


「ほう、あなたに東極を任せれば私は安心だ。」


よくは分からないが、この言葉を聞いた私は良い気分になれず、意地になって怒鳴り返した。「お前がこうして報いを受けたのを見たら、私も安心したぞ。」


これを聞いた青龍は怒りもせずにただうっすら笑みを浮かべた。


「どれくらいの時がたっただろうか、私は移山の仙人として常人には成し得ないことをしていた。けれど……身の周りの埃でさえキレイにできない者が、一つの重苦しい山を守る意味などなるのだろうか。」


「もし運良くまた『輪廻』できれば、一度砂を掃く人になろうではないか。」


また一日が過ぎた頃、青龍は仙宿を連れて東籬を後にした。


2つのゆったりとした影を見て、私は珍しくもため息を漏らした。


「唯一無傷なまま今日まで生き残った神君の青龍にもできないことがあるとはな。」


「天命は、例え神君でさえ背けないようですね……ゴホッゴホッ……」


胡桃粥がまた咳込み出したので、私は眉間にしわを寄せながら彼の背中を擦った。


「また有ること無いこと考えてたのか?私は天命などに囚われない。この東籬も天に守られて今に至るわけじゃない。たくさんの人の血と涙によって養われ、私によって守られている。お前も同じだ……」


張千と陶舞は相次いで亡くなると、胡桃粥は私の唯一の霊薬となった。


彼が精力と思慮を尽くし統治をしてくれなかったら、今頃東籬は今日のような繁栄に辿り着けなかっただろう。


私は全ての人々を守ることができ、人々は私を頼ってくる。だが彼だけは違った……


私は笑いながらあの病弱なやつの肩を組み、凶悪な形相を装って威嚇した。


「私は青龍みたいに簡単に諦めきれないぞ、私が一日でも生きていればお前もそうであれ、私達は……運命共同体なんだ!」


Ⅴ.瑪瑙つみれ


青龍と仙宿を見送った後、瑪瑙つみれは東籬に戻るなり、胡桃粥が育てた花に薬湯をあげる香薷飲を見て、怒りが込み上げてきた。


「なんだ、自分じゃ何も治せないことが分かってるから今度は動けない草木をいじめてるのか?」


「誰が何も治せないだと?何日か早く送って来てくれたら絶対に治せた。」


「ほう?なら胡桃粥の病気はどう説明するんだ?」


「あれは……薬が合わなかった。」


「お前殴られたいのか?あれら薬は一つ一つお前の言う通りに私が探してきたやつだぞ。」


「ゲホッ、それはもう過ぎたことじゃないか……もういいだろ。またあの薬草が混じった匂いがする……」


香薷飲は話しながら口と鼻を抑えて、こっそり瑪瑙つみれの表情を伺った。


相手がまだ自分のことを凝視しているのを確認すると、今日は仮病でやり過ごす事ができないと悟り、白目をむいた。腕を組むと煮るなり焼くなり好きにしろと言わんばかりの態度を取った。


「あれはあんたがもし薬を見つけられなかったら、君主としての顔をつぶすことになるのを心配してやったんだ。聖教に蠱医が一人いる。色々宝を隠し持ってて、中には胡桃粥の病気に効く薬がある。やれるもんなら奪って来いよ。」


「その情報は確かか?」


「まあ、今更嘘つく必要もないだろ。東籬にいる限りあんたの言うことは絶対だろ……陛下がご不満なら、俺が言ったことは無かったことにしてもらって構わないぞ。」


「言ってることがめちゃくちゃだぞ、私はその蠱医が本当に病気に効く薬を持っているのかと聞いているのだ。」


「おっ?おお、確かだ……」


「くっ、もっと早く言え、こんなのお安い御用だ。」


こうして……


白酒は地面の膨れ上がった袋から溢れ出た色とりどりの何本かの薬草を見て、ぼそぼそと話した。


「聖教の梁と、必然と結ばれた。」


瑪瑙つみれは他人が結んだ縄が信用できず、自ら聖教から攫った食霊に枷をかけていた。この言葉を聞くなり、動きを止めしぶしぶ彼の方を向いた。


「なんだ、聖教と手を組むつもりでもあるのか?」


「とんでもない……俺はただあなたが自らの手で東籬に災いを引き寄せている気がしただけです。」


「はぁ…何を言おう提案したのは私の手下だ。こいつは私が自ら捕まえたやつで、こんな手の焼けることをいつまでも放っておくことはできないだろ」


ようやく枷をかけおえ、瑪瑙つみれは立ち上がり、手の上に有るはずのない埃をはたいた。


「それに東籬と玉京の距離は長い。聖教が人助けに駆けつけたとしても何日もかかる。私達がじっくり検討するには十分な時間がある。もし突撃されても、私とお前がいるというのに何を恐れる必要があるのか?」


「とは言っても……いいだろう、こうなったからには何を言ってもしょうがない。」


白酒と意見が一致し、胡桃粥の病気を治す薬草が手に入ったこともあり、瑪瑙つみれは一瞬にして気分が軽くなった。いい気分に浸っていると、白酒が掌を広げて自分の方へ向けてきた。


「なんだ?」


「忘れたのですか?先日一緒に玉京から東籬へ帰る途中で、ある講談師が玄武は長生きなだけの愚君で、白虎一族だけが正道と言っただけで、あなたは人の茶館を原型が分からなくなるほどに潰したことを。」


白酒は真面目な顔でまるで国の一大事を言っているみたいだった。


「その時あなたは癇癪を起こしている最中だったので、また白虎怨魂に隙をつかれ乗っ取られるのではないかと心配し、代わりに弁償したのです。そのお金をまだ返してもらってません。」


「………………その緊張ぶりを自分で見てみるがいい、れっきとした一国の主がお前の金を騙し取ろうとでも言うのか。後で国庫で取るがよい。」


瑪瑙つみれが気まずそうにしているのを見ると、白酒は思わず笑った。そしてこう続けた。


「本当に聞きたかったのは、初めてあった時あれだけ玄武が嫌いだったのに、またもや何で急に肩を持つようになったのですか?」


「嫌いなことに変わりはないが、事実を捻じ曲げ、是非を転倒することはもっと嫌いだ。玄武を罵っていいのは、彼のために出陣し命を落とした者だけだ。生き残ったやつは全て玄武の恩恵を受けた者だけで、そんな奴らに恩を仇で返すようなことをさせてたまるか。」


「おっ?俺の記憶が正しければ、誰かさんは玄武をこれでもかと言うほどに罵っていましたが?」


「あれは事実を述べたまでだ。罵りではない……どういう意味だ、昔のことを蒸し返すつもりか?」


「フフっ……冗談ですよ。余談はさておき本題に戻りましょう。」


白酒は横目できつく縛られた食霊を見た。彼の2匹の蛇までが縄に縛りついていて、翼を動かすのも困難であろう。だが彼は他のことが心配だった。


「当初は何も思わなかったが、今になって思い出すと、あの日一人で聖教に侵入できたのはおろか、その後あなた達と一緒に食霊を持ち帰って出られた……」

「聖教の狡猾さといったら、内部にあなたと胡桃粥のような不審者が二人もいる時にしては、見張りがあまりにも疎かではありませんでしたか?」


このことを聞くなり、瑪瑙つみれも眉間にしわを寄せ始めた。


「お前が言いたいのは、聖教はわざと私達を逃したということか?」


「その可能性は無くもないですよ。」


「だが聖教にとって何のメリットがあると言うんだ?……まさかこの小僧の身に何か仕掛けられているのか?」


「あなたが離れた後、俺は冥土の人と一緒に彼の身体調査を行ったが、何も出てこなかった。ですが……冥土の忘川司がそれとなく探ったところ、聖教の聖主は聖女と不仲であることが分かったのです。」


「そうか……この小僧はどうやら聖主の食霊らしい。私達があの日うまく逃げれたのが聖女の手配なら辻褄も合う。」


ここまで言うと、瑪瑙つみれの眉間のしわがほぐれた。彼女は笑いながら白酒の肩を叩くと、彼を押しながらこの一時的な牢屋を後にした。


「構うもんか、敵が来れば迎え撃つまで、相手の計略を逆手に取るのだ。何も事が起きる前から取り越し苦労する必要はない。」


「これは……」


「分かっている。これは転ばぬ先の杖だ。私が東籬にいれば、雨は言うまでもなく、例え青龍が来たとしても、荒波に揉まれることはない。」


白酒は聞くなり、はっとしてたちまち思わず微笑んだ。


彼は瑪瑙つみれの目にはいつだって無意味な悲しみが無いことをよく分かっていた。例え自分が守った人に裏切られたとしても、例え至る所破壊の跡ばかりの他郷の前に立たされたとしても、気力で劣勢を挽回する自信を持ち、安楽だけを追求した東籬を難攻不落な地に仕立て上げるのだと。


彼女は正しく日出の地のごとく、常に確固たる希望を持っていた。


彼女は東籬の日差しである。


「ほう、それなら、お前の東籬でもう少し世話になるとするか。」


「ええ――東籬は来る者を拒みませんので、ゆっくりして行って下さい!」



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