西湖龍井・エピソード
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西湖龍井のエピソード
光燿大陸のお茶の名産地にある湖の底に眠る食霊。
何事にも冷淡で、人々には湖の底に眠る龍神だと勘違いされていた。
涼しい場所を好み、賑やかな場所や、休息を邪魔されるのを嫌う。
だが、とある匿名希望の食霊の話によると「龍井はただの食って寝るのが好きな、社交下手なオタク」らしい。
Ⅰパーティー
「おーいーー龍井!話があるんだが」
ロンフォンフイは手近にある石をいくつか、小舎にある湖の中へと放つ。
――バシャ!
私はその音に、ゆっくりと目を開く。そして投げられた石がゆらゆらと水の底に沈んでいく様子を眺めた。
――バシャバシャ!ドボンッ!
更に石が投げつけられ、激しく水面が波打つ。石から逃れた魚たちの姿が目に入る。
私は小さく嘆息する。
天衣無縫な男がまたも私の平穏な時間を打ち砕いたのだ。
「うーむ、出てこないな。じゃあ次は、この大きな石を......」
先ほど投げた石よりも何倍も大きい、当たったら確実に怪我をするであろう大きさの石を持つ姿が揺らめく水面から見える。
このままでは危険だ......私は仕方なく、今にも石を投げ下ろしそうな男に向かい、泳いでいった。
「......ロンフォンフイ、私の棲み処に石を投げるのはやめてもらいたいのですが......」
湖から顔を覗かせ、あからさまに不愉快な顔を見せる。しかし、彼にはまるで効果がないようだ。
「よお、龍井!酒屋でいい酒が手に入ったんだ!」
屈託のない笑顔を浮かべたロンフォンフイが、手にした酒瓶を揺らしながら話し出す。
「この土地の人間たちは、娘が生まれたら紹興酒を仕込んで庭に埋めといて、娘の嫁入りのときに、その酒を祝いと称して掘り出して周りの者たちに振る舞うらしいな。さっき町に出て、その酒を分けてもらってきた。そういう訳で、今夜はみんなで月見酒をする。オメェも参加するだろ?」
一気に捲し立てるロンフォンフイの言葉を目を細めて聞きながら私は頭上の太陽を眺めた。
「......まだ夜には随分と早いようですが?」
「そうだな!子推饅とロンシュ―スーは吞気にスヤスヤ寝てやがる!雄黄酒は薬の研究だって取り付く島もなくてなぁ......それで、ここにやってきた!」
私はその陰りのない笑顔を見て、顔を顰めて、眉間をつまんだ。そんな私にまるで気づくことなく、湖から上がるように急かす。
言い争いは面倒だ。私は諦めて、大人しく彼に従うことにした。そんな心情にまるで気づくことはなく、彼は荒々しく私の肩を引き寄せ、そのまま小舎へと引っ張っていった。
* * *
ロンフォンフイが来てから、ここは騒がしくなった。
だが、その騒ぎ自体に不満はなく、むしろ賑やかでいいと思った。偏に彼の態度だけが問題なのである。
小舎に行くと、ロンシュ―スーと子推饅が寝起きとは思えない清々しさで、龍井に笑顔を向けた。
「おはようございます、龍井。ロンフォンフイに無理矢理起こされてしまいましたか?」
「思うところはありますでしょうが、どうぞ機嫌を直してください。もうすぐ宴の用意ができますから」
彼らはそんなことを口にして、料理や食器の準備をしている。どうやら二人は、ロンフォンフイがお酒を持って帰ることを知っていたようだ。
「今日は龍神生誕祭ですよ。やはりお忘れでしたか」
「ロンフォンフイが龍井の誕生日を祝うって、雄黄酒に貴方の好きなお菓子を買いに行かせました。もうすぐ帰ってくるかと......」
私の様子を見ながらそれと察したふたりは柔らかな笑みを浮かべる。
「私の誕生日を祝う?食霊に誕生日などありませんよ」
「まぁ良いではありませんか。せっかくのお祝い事ですし」
ロンシュースーが朗らかな表情で言った。
「......先日雄黄酒の引っ越し一周年記念を祝ったばかりですよ?」
「祝い事がたくさんあるのはよいことでしょう?私はそう思いますよ」
彼らの邪気のない顔に、私は小さくため息をついた。
「それにしても急に宴をするなんて、わたくしは予定のない出来事はあまり好みませぬ。もっと早く言ってくだされば良いのに......龍井の不満、わたくしにはわかります。ロンフォンフイにはいつも困らされていますから」
ロンシュ―スーは肩を竦めて、首を横に振った。そうは言いつつも、彼女はこの現状を楽しんでいる様子が伺える。
「龍井、おはようございます。今日は貴方の誕生日だと聞きました。とてもおめでたい日ですね」
雄黄酒が練丹部屋から出てきて、そう私に挨拶をした後、子推饅たちの手伝いをし始める。
(......確かに不満はあります。けれど、こうして彼らと過ごす時間は決して悪いものではありません)
目の前の光景に、私は自然と笑みがこぼれた。
ロンフォンフイの唐突な行動は、今に始まったことではなかった。
彼は、毎日のようお祝い事をしようと言い出す。さすがに妙だと感じつつも、だんだんそれが当たり前となってきている。
これまでもこれからも、彼がここにいる限りこうした『日常』が当たり前のように流れていくのだろう。
「よーし、龍井。今夜は潰れるまで飲むぞ。オレが用意した酒、すべて飲み切るまで寝かせねぇからな覚悟しておけ!」
唐突にロンフォンフイから発せられた言葉に、私は顔を顰める。
(けれどやはり彼のこうした身勝手な行動は受け入れがたいです)
――いつか、こうして心をざわつかせずに済むようになるのだろうか?
わからず、龍井は眉を寄せて苦い顔でため息を零すのだった。
Ⅱ 背負う
彼らは意気込んで宴を用意したが、喜びとは裏腹に空は灰色の雨雲で埋め尽くされて風もかすかに湿り気を帯びている。
もう宴会に夢中になっている彼らはそのかすかな変化に気づいていない。驚くことに、彼らは竹煙質屋の者も誘ったようだ。
北京ダックは粋なお菓子を持ってきた。魚香肉絲と子推饅は知られざる歴史風俗について話している。タンフールーと焼餅もすぐ彼らと仲良くなった。
私は徐々に暗くなる空を見上げる。
霧のような小雨の影響で、町一帯は朦朧としている。
暗い天気の雰囲気が広がる前に、私は薄い青色の光で庭中を包みシトシトと降る雨を遮った。
彼らの輝く目を見て、私は視線を逸らした。
「オレたちがこんなに盛り上がってどうする?龍井のお祝いじゃなかったのか?」
彼らは歓声をあげてそのまま晩餐の支度を進めた。私の傍にいた子推饅がちょっと意地の悪い笑みを私に送る。
「ありがとう、龍神さま」
「.....子推饅、あなたも......」
「ん?」
その曲がった眉と目を見て、私は首を横に振った。ロンフォンフイがここに来てから、優雅な子推饅と物静かなロンシュースーも彼の影響を受けてお調子者になったようだ。
ロンフォンフイが美酒を開封し、庭中に濃厚な香りが漂っている。ロンシュースーが琴を弾き、その美しい音色に伴って全員が盃をあげた。
そのうち雨は止み、酒の香りに酔った人々は騒ぎ疲れてしまった。
散らかった庭に立って空にかかる障壁を消すと、辺りは雨上がりの清々しい空気に包まれて、私は目を閉じ思う存分そよ風の優しさを感じた。
「龍井、彼らを見つけました」
私は目を開いた。酔いつぶれたはずの北京ダックは私の後ろで雲間に明るく冴える月をじっと見上げている。その釈然たる目からは死をも恐れないような意志が感じられる。
「もし吾が帰ってこなければ、竹煙の......」
「一緒に行きます」
その怪訝な顔を見て、庭の影に目をやった。
「人間のためだけではない。彼らのためでもある」
北京ダックは我に返って、薄い笑みを浮かべ仲間の方を振り返った。
「重い荷物を背負っているようですね?」
「皆は私の仲間です。重荷ではないですよ」
Ⅲ
私はいつしか「龍神」と呼ばれるようになった。
些細に思える願い事でも、彼らにとっては大事な願いであり、私はいつもそれらを聞いていた。
そうしているうちに、私はいつの間にか彼らが畏敬する「龍神」になっていた。
ひとりきり、のんびりと湖の底で静かな時間を過ごすことが好きだった。
こうした静かな日々は終わりを迎える。静かな水面の上に絶えず石が落とされて、さざなみは広まっていく。
気負い立つ少年は水辺に佇み、平たい石ころで何度も水切りした。その傍では雪肌に花のような美しい顔をした晴れ着の少女が、顔を真っ赤にして彼を見つめている。
少年少女の恋は甘いと言われているが、私にとって重要なことではない。むしろ私の注意を引いたのは、彼らの近くにいる赤ずくめの男。
その者は私と同じ匂いがする。
彼は私の視線に気づき、温かい笑顔を見せ近づいてくる。
「あなたが噂の龍神様でしょう」
少年と少女はその言葉に気づいて、すぐ珍しそうに私に近づいて龍神についてあれこれと言い出した。
その話を聞くと、私の何気ない行動がこんなにも多くの人を助けていたことに驚いた。
無邪気な姫がそっと私の袖を引き、その目には私には理解できない可憐さと言われるものがある。
「湖底で寝るなんて龍神さまは本当に我慢強いんですね。湖底の寝心地はさぞ冷たくて硬いでしょう。」
「.....私はそれなりに気に入っています。」
彼女は眉を顰めたかと思うと、何かを思いついたように目を光らせこう言った。
「父に屋敷を造ってもらいましょう!私のお給料と賦ちゃんの俸禄で造ります!」
「いえ、もったいない.......」
「心配無用です!賦ちゃんは状元郎です!俸禄はそれなりにもらってますから!そしたら、龍神さまは帰る場所をなくした人を屋敷に暫く泊めて、みんなを助けることもできます!」
「 ......」
「ずっとじゃないの!賦ちゃんは戦乱を治めることができるし、私は父に慈善事業をしてもらうから。そうしたらきっと、この世に帰る場所のない者なんていなくなるでしょう!龍神さま、そのために力を貸してください!」
赤ずくめの男は袖で口を隠して笑いを押し殺しながら、笑顔で私を慰めてくれた。
「お受け取りください。これも彼らの気持ちですから」
Ⅳ 前夜
私が子推饅を救ったのはただの偶然で、あの原因不明の火事は凄まじい勢いで広がり、突然の雨によって消火された。
地面に倒れた子推饅と混乱の中で逃げ惑う人たちを見ると、ある考えが私の脳裏をよぎったが、目の前のことに忙殺されすぐに忘れてしまった。
武夷大紅袍の優れた医術のおかげで、重傷を負った子推饅はなんとか一命を取り留めた。
子推饅は誰とも仲良くなれる性質の持ち主であったが、よく呆然と画仙紙に描いた絵柄を見つめていた。
私はその絵柄を、意識不明のロンシュースーが檻の中に閉じ込められようとした時に、もう一度見ることになる。
ロンシュースーが加わった後、私の中で様々な謎や疑問が浮かび上がり、答えを見つけようと自問自答を繰り返した。
子推饅の絵柄、黒装束、突然襲いかかる疫病、絶望的な災い。
これらの要素は別々に記された無関係な点の集まりに見えるが、仲間が増えるにしたがって徐々に点が線に繋がっていく。
そして、線が交差する場所で、満身創痍のロンフォンフイを見つけた。
ロンフォンフイが雄黄酒を連れて帰ったときに、私は彼の正体を知る事になる。
例の絵柄の出所を調査していると、黒袍を着た彼がその者たちと一緒にいるのを見かけたのだ。
ロンフォンフイの考えている通りに、すべてが上手くいくことを願った。
長きに渡る捜索を経て、我々はついに彼らの尻尾を掴んだ。
北京ダックが彼らの位置情報を教えてくれた。
これは確実に苦戦を強いられるだろう。
彼らがどんな手を使うか我々はまだ知らない。
北京ダックでさえ彼らを全滅させるには至らないだろう。
だがこんな危険な状況に直面しても、誰も背を向けることはない。
盃の衝突で揺れる甘い酒を仰向けで飲み干す。
言葉にすることはない魂の誓いは、酒と共にみんなの血と骨に刻まれていく。
手に持つ盃に、空にかかった白銀の月が逆さまに映っている。聞こえてくる美しい調べとロンフォンフイの酔いどれた歌声は、艶やかな音楽となり夜を彩る。
すべてが終わるその時。この小さな庭に戻り、みんなで月を肴に呑むことができたなら
.....龍神と呼ばれたこの私が、まるで祈るように願っていた。
Ⅴ 西湖龍井
西湖龍井には思いもよらなかった。どれほど皆に大切にされているかということを。
些細な行動が、どれだけの人を助けているか自分で気づかなかったように。
彼は龍神ではないが、本物の神様のように、畏怖の念と共に愛されていた。
湖の屋敷にいる仲間たちからすれば、この寡黙な彼がいるだけで楽しく過ごすことができるのだ。
淡々としていて、氷のように冷たい湖の底を好んでいるが、龍井はとても心の温かい存在だとみんなは知っている。
龍井にとって誰かを救うのに理由なんて必要ない。まるで彼の体に刻み込まれた本能のようなもの。
なんでもない行いが、絶望の底にいたたくさんの人々を助けることができる。
彼は困っている人々を無条件に受け入れ、行く場のない彼らに「場所」を与えた。
外で遊ぶのが大好きなロンフォンフイですら湖の屋敷に来るとこう言うのだ。
「やっぱり、実家は最高!ただいま!」
辛い思いをしてきた者が多いせいか、この湖の屋敷に暮らす者たちは祝い事が好きだ。
裏庭の蘭草に花が二つ咲いただの、町に有名な料理人が現れただの、毎日祝宴を催し賑やかにしている。
祝うほどの事ではなくとも、毎日少しずつ愉快なことが起これば、過去にあった嫌な思い出は薄れていくだろう。そして過去の傷は癒やされていく。
だけど、みんなは決して忘れない。この小さな幸せは、彼らを見守ってくれる龍井のおかげであることを。
誰も過去について口にしようとはしなかった。これ以上龍井に何も背負わせたくないからだ。
本来なら彼は本当の神様のように、湖の底で悠々と暮らし散歩でもしながら静かな生活を送るはずだった。今のように危険な目に遭う必要などない。
龍井を巻き込んだのは、彼ら自身が背負うべき困難であり誰かに押し付けるものではない。
でも、この一見ぼんやりした神様のような男は、押し付けられたなんて思ったこともなかった。
北京ダックはみんながずっと聞きたかった質問を口にした。
——「龍井、皆は重荷ではないか?」
静かな暮らしを好む龍井にとって、彼らを救ってしまったために毎日が慌しくなり、ぼんやりと空を見上げたり、毎日大忙しで大好きな湖の底へ行ったりする時間はなくなってしまった。
面倒事は嫌いなはずなのに、面倒が服を着て歩いているような連中と関わりを持ってしまった。
疲れてはいないか?後悔してはいないか?
物陰でみんな聞き耳を立て、拳をぎゅっと握った。彼らは龍井の口から答えが欲しいのやら、欲しくないのやら、こんがらがっていた。
龍井は逆に驚いた様子でこう言った。
「皆は私の仲間です。特に肩も凝りませんし、重くはないのでは?」
隠れていたロンフォンフイが飛び出し龍井の首に抱きついた。そして、龍井がいつもきっちりと整えている長髪をわしゃわしゃと撫でた。
みんなの笑い声が龍井の怒号と共に庭に響いた。
龍井は知らなかったかもしれない。実はみんな暗闇に隠れている敵を少なからず恐れている。
でも、西湖龍井さえいれば、かつて恐れていたものに向き合うことができることを。
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