草加煎餅・エピソード
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草加煎餅のエピソード
冷静で落ち着いている。
淡泊で物事に対しては淡然たる態度を取っているが、隠し切れない天然ボケでもある。
とある原因によって、かつての記憶を失っているため、物事に対する反応が鈍いところがある。
Ⅰ.目眩
どこからかご飯を炊く匂いがした。この時、既に日没の時間になっている事に気付いた。
部屋は夕暮れ色に染まり、斜陽はまだ乾いていない墨の上に注がれた。
私は机の上の筆と硯を片付けた。
子どもは自分の席を立ち、両手で今日書いた習字を持って、軽やかな足取りで入口にいる女性の元へと向かった。
「お母さん見て!これは煎餅先生が教えてくれたんだ!」
女性は優しく彼の頭を撫で、顔を上げて私に向かって微笑んだ。
「今日もありがとうございました、煎餅先生」
「いいえ、また明日」
いつも通り、簡単な挨拶の後、女性は子どもを連れて探偵社を離れた。
二人は日暮探偵社の常連客だ。
昼間、子どもはいつもここに預けられ、私たちが面倒を見ている。
この子が字を書くのが好きだと知り、私は彼に教える事にした。
気付けばまさか「先生」と呼ばれるようになるとは。
しばらくしたら、かき氷、りんご飴、カツ丼までもが私の事を先生と呼ぶように。
しかし、私は彼らに何かを教えた訳ではないのに、どうして彼らに「先生」と呼ばれる事になったのだろうか?
何かを学びたいのなら、私が知っている範囲を必ず全て教授します。しかし誰も私に聞きにきたりしてこない……
カツ丼にこの悩みを打ち明けたのですが、彼はお腹を抱えて大笑いし、気にするなと言ってきた。
りんご飴の反応も大差ありませんでした。ついでに「外の悪い人に騙されないように」とも言われた。
……?
よくわかりませんが、まあ……好きにさせる事にした。
「煎餅先生、お疲れ様です」
事務作業がひと段落し、白く綺麗な手が熱いお茶を机に置いてくれた。
かき氷は着物の袖を整え、私の傍に座った。
「ありがとうございます。貴方もお疲れ様です」
湯呑を持ち上げ一口啜った。お茶の淡い香りが広がり、まるで彼女みたいだった。
「煎餅先生は大人気だね」
かき氷は机に広げた未処理の書類を見て笑った。
「探偵社の皆さんも人気ですよ」
「そうだね……環境のせいかな。この町は少し特殊で、食霊と人間が平等に共同生活を送れるから」
「そうなのですか?」
「はい。警視庁を筆頭に、食霊と人間は共に町を守っていった。時間が経つにつれ、皆仲良くなっていったの」
なるほど。
それで来る途中、食霊に親しみを持った人間を見ていなかったのか。
「昔は、こんな事はなかった」
「昔……」
「はい、遥か昔……煎餅先生が、記憶が無いって言っていた戦乱の時代、食霊は戦争の武器として人間を虐殺していた。だから人間は食霊を怖がって、食霊もコントロールされるのを嫌がった」
戦争……武器……?
彼女の描写から、吐き気を催す血生臭さを感じ取り――
私は突然眩暈に襲われた。
「煎餅先生?顔色が悪いよ、どこか気分が悪いの?」
錯覚だったかのように、眩暈は瞬時に消え去った。何も異常はない。
「あぁ……少し疲れたのでしょう」
Ⅱ.正月
氷雪三十一日、もうすぐ正月がやってくる。
窓の外を覗くと、多くの通行人が新鮮な野菜や総菜を持って町を歩いていた。
体を制す冷たい風ですら町の賑やかさを吹き消せない。
大晦日を迎えるため、ここ数日「日暮」の店じまいは早かった。大掃除をし、年賀状を書き、食材の調達……やる事が多く、皆で忙しなく動いていた。
年賀状は全て書き終え、りんご飴によって隣近所に配られた。「日暮」の皆はまだ忙しそうにしていたため、日頃良くしてもらっていたから座っていられず、抹茶さんに何かできる事はないかと尋ねた。
「では、煎餅さん、今晩使う食材の買い出しをお願いできますか?」
「えっ?いや、社長、煎餅先生一人に行かせて大丈夫か?俺が付き添おうか?」
「カツ丼に付き添わせよう!抹茶さん覚えてる?前に煎餅先生が買い出しに行った時、半日も失踪してたんだよ!かき氷が百貨店の裏手で先生を見つけ出したじゃない――」
ああ……あの時、迷子になった子どもと共に母親を探していたら、母親を見付けた後に自分が迷子になってしまった……
「あと前に、煎餅先生が出掛けてすぐに野良猫たちに囲まれた事も、その時もかき氷が助けに行ってた……!」
あの時は、にゃんこたちが私と遊びたがっていたので、付き合っていたら、時間を見るのを忘れて、気付けば夕方になってしまった……
「エースの言う通りだ、万が一悪徳商人なんかに会ったら、絶対ぼったくられる!」
「あ、あと詐欺師も……煎餅先生は狙われやすいと思う!」
「ふふっ……彼を先生と呼んでおいて、まるで保護者じゃないですか」
抹茶は笑いながら言った。
「うっ……煎餅先生が心配だったから……」
「巡査の血がざわついて……」
「わかりました、二人は一度落ち着いて、自分の仕事を終えられるかという事を考えてください……煎餅さん、どう思いますか?」
「それぞれ仕事があるみたいなので、私一人で大丈夫ですよ。今回はかき氷に地図を書いて頂いたので、もう迷子になったりしません」
私は袖口から地図を出し、彼らに見せた。
カツ丼とりんご飴は依然として心配そうな顔をしていたが……以前不安にさせてしまった事は、きちんと反省させなければいけませんね。
「……任せてください。問題は起こしませんよ」
Ⅲ.お礼
商店街はいつもと比べて賑やかだ。
私は正月というのをまだ体験した事がないため、このような盛大な記念日であるとは知らなかった。
蠢く人波を眺めていると、どの商店に入れば良いか一瞬わからなくなった。これは心配を掛けさせるのも当然だ、このような場面に遭遇し、私は確かにどう対処したら良いかわからない……
うっ……?!
戸惑っていると、目の前が突然真っ暗になった。
甲冑を着た兵士が氷原の上に立ち、寒風が吹き荒れる中、旗が揺らめく音が鳴っていた。
この情景は目の間の人波に重なり、気付けば消え失せた。まるで錯覚のようだった。
以前も同じような事に遭ったが……あれはかき氷と話していた時でしょうか?
……
これは一体どういう事なのか……
「きゃあああ!これは何?!」
悲鳴によって、思考から意識が戻された。
人々は店内から外へ押し寄せていた、この時初めて店にある悪意に満ちた力に気付いた。
「どうして、堕神だ……堕神だ!早く巡査を呼べ!」
堕神……
堕神は残虐だ、怪我人が出てしまうのは良くない。
横目で傘があるのを確認し、一本取り出してそれを構えた。
「失礼、拝借します」
何千何百回も同じ動作をしてきたかのように、身体は自然と滑らかに動いた。
斬る。
堕神の体は数個に切り刻まれ、塵となり消えていった。
……
掌から汗が滲み出て、傘の柄がしっとりしてきた、心の中では不快感が広がった。
しかし、この不快感は背後にいた人々の声によってかき消された。
「すげぇ!どこの食霊だ?彼がいなかったら大事になってたよ……」
「日暮探偵社の草加煎餅だろ?見た事あるぞ!」
「すみません、通してください」
この時、一つの人影が人波の間を縫ってやってきた。周りを観察し息を整える前に口を開いた。
「堕神が出たとの通報を受けました」
「あ!玉子焼きか!安心しろ、堕神はもう死んだよ!そこの綺麗な兄ちゃんが倒したんだ!」
「なるほど」
玉子焼きと呼ばれた女性は町民の言葉に頷き、身体を私に向けて深くお辞儀をし、透き通る声で真摯に謝罪の言葉を述べた。
「申し訳ございません!私の失態です!ご協力感謝致します!」
「……大した事はしていません」
「謙遜しないでくれ、あんたがいたから俺たちは助かったんだ!玉子焼きも気に病むな、あんたもすぐ駆け付けてくれただろう、いつもありがとな!よしっ、ちょっとこっち来な――」
カゴ一杯の果物を渡された。
「……?」
「ほらほら!これやるよ、お礼だ」
次は野菜がたっぷり入った袋を渡された。
「えっ……ん?」
その後、私は親切なお礼によって埋もれていった。
Ⅳ.新雪
「煎餅先生やっと帰ってきたのか――えっ?」
「どうしたの?」
上に上がって扉を開いた瞬間、カツ丼の声が聞こえてきた、りんご飴も彼の声を聞きつけて玄関にやってきた。
「多くない?!」
「煎餅先生に持たせたお金は私たち数人分の量しか買えないはずよ?」
彼らは私が持っていた大量の荷物を下ろしてくれた。私もようやく買い出し用に貰ったお金を袖口から出し、抹茶の机に戻す事が出来た。
「これらは買った物ではない、皆さんからのお礼です」
「お礼?」
「はい」
事の顛末を説明して、二人はようやくホッとした表情を見せた。
「堕神タイミングわりぃな、年越しの時期にやってくるなんて。あいつはまたしばらく落ち込むだろうな……」
カツ丼はお礼の野菜や肉を見て小声でつぶやいていたが、何かを思いついたかのように手を叩いた。
「そうだ!こんな量は俺たちだけじゃ食い切れねぇだろ、皆も呼んで鍋にしようぜ!玉子焼き、たこ焼き、ラムネ……おでんとお好み焼きたちも呼んで、盛大にやろう!」
「私も呼ぼうとしてたわ、賛成!」
「はい、私も良いと思います」
「良い提案ですが、煎餅さんはどうでしょうか?これらは貴方へのお礼なので、どうするかは貴方に従います」
抹茶は笑いながら私を見ていた、それと同時に他の三つの視線も私の体に集中した。どうしてか心が温かくなった。
勿論、私にも拒否する理由はない。
「やりましょう」
鍋は美味しかった。
思いっきり楽しんだ後、皆疲れたのか、こたつで眠っていた。
私も少し仮眠をした。
どれぐらい経っていたのだろうか、目が醒めると既に日が昇っていた。穏やかな寝息の中、朝の淡い陽光が静かに降り注いだ。
抹茶は既に目覚めており、窓の前に立っていた。熱いお茶を持って、舞い散る元日の雪を眺めていた。
私の身動きに気付いたからか、彼は振り返った。
「あぁ……煎餅さん、明けましておめでとうございます」
「抹茶さん、明けましておめでとうございます」
「ちょうど……」
彼は開いた口をつぐんだ、何か迷っている様子だった。少し申し訳なさそうに笑ってから、また口を開いた。
「すみません、新年の始まりにこのような事を話して……ただ、早く伝えたかったのです」
「以前頼まれていた件の調査ですが、進展があったそうです」
Ⅴ.草加煎餅
桜の島はかつて戦乱の時代を送っていた。
天地を席捲する戦火の中、食霊たちが活躍していた。
生まれつき強い力を持つ彼らは、戦争中は最も抑止力のある兵器として使用された。
草加煎餅、彼もどこかの勢力の「兵器」だった。
戦に出て、敵を斬る。
彼は刀を持って戦場に立っていた。記憶と生活の中には、敵を斬る以外、何もなかった。
彼は次々と命を奪っていった。相対する敵の目から、少しずつ自身が長年してきた事は一体どういう事だったのかについてわかるようになっていった。
彼は気付いた……数千回、数万回、数えきれない命が彼の刀によって亡霊になっている事に。
瀕死の人の目に絶望と憤怒、悲痛と悔しさが含まれているのを見て、それらは彼の指先を痺れさせた。
命は掌から消えていく恐ろしさから、彼は自分の御侍に反抗するようになった。しかし、抑圧と禁固しか得る事が出来なかった。
その後また何千回、何万回。
目を閉じていても、真っ赤な液体に染まった土は依然として脳裏にこびりついていた。
彼は自分の力を憎んだ、指令を下す御侍を憎んだ、争いを止めない人間を憎んだ、鮮血の赤と匂いを憎んだ……
しかし、彼に抗う余地はなかった、尽きる事のない自己嫌悪の中で絶望を迎える事しかできなかった。
彼は自分の命は永遠に絶望から解放されないと思っていたが、ある食霊の出現によって、全てが変わった。
「うっ……お前……」
「……」
「お前……うっ……ううう……ぐあっ……あっ!」
彼が召喚した雨が身体に降り注がれるが痛くはなかった、むしろ少しむず痒い暖かさを感じた。
恍惚とした中、視線の中にいる食霊は化け物を見たかのように、服の胸元を掴み、目を見開いて草加煎餅の方を見ていた。その食霊は口を開いて閉じる動作を繰り返していた。
(彼は何を言っているのだろうか?)
草加煎餅にはわからなかった。
しかし彼は耐えきれない痛みを受けたかのように地面に倒れ、指先は泥を掻いて、砂が爪の間に挟まれていく。彼は傷みによって昏倒しそうになっていた、しかし誰も彼の引き裂くような悲鳴が聞こえない。
草加煎餅は湧き上がる眠気に従って目を閉じた。
全てが、雨音に包まれ遠ざかっていく。
「煎餅先生、煎餅先生?」
かき氷は草加煎餅の肩を押した。彼の睫毛が揺れ、眉間に寄った皺が広がり、ゆっくりと両目を開いた。
「っ……ん?」
「その傘を強く握っていたよ、何か悪い夢でも見ていたと思う……列車はもうすぐ駅に到着するよ。順調にいけば、今日中にあの村に着けるはずよ」
「……はい」
草加煎餅は握っていた傘の柄を手放し、赤くなった掌を見て、首を傾げた。
(何か夢を見ていたような、しかし、内容は……うっ……思い出せません……)
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