パフェ・エピソード
◀ エピソードまとめへ戻る
◀ パフェへ戻る
目次 (パフェ・エピソード)
パフェのエピソード
貴族出身の高貴な少女。上流階級の生活に飽き飽きしており、地位や権力には興味がない。もっと自分らしく自由気ままな生活を送りたいと望み、そうした状態になることこそ理想であり、完璧であると考えている。他人のお世辞には耳を貸さず、自身の思う完璧を基準に行動している。
Ⅰ.手はずを整えられた
「なんですって?」
デイジーの報告を聞いて、自分が難易度の高いヨガのポーズをしている事を忘れて振り返ってしまい、危うく腰を壊すところだった。
「パフェ様落ち着いてください……お嬢様?まず靴を履き替えてください──」
私はダンスシューズを履いたまま御侍の書斎のドアを押し開けた。
「御侍様、もう勝手に私の行き先を決めないで頂きたいですわ。他の人は眼中にありません──あら?」
書斎で、御侍様はまさに見知らぬ青年と仲良さげに握手をしていた。隣には髪の長い男性が座っていた。
三人は不思議そうに私の事を見た。
………………
…………
……
「バカデイジー、話を最後まで話さないなんて……御侍様とお客様はお話し中だなんて……慌ててやってきた私を止めもせず……」
私は御侍様のお傍の座り、ダンスシューズを履いた足をこそこそと隠した。内心荒れ狂っているにもかかわらず、表面上は落ち着いた様子を装ってティーカップを持ち上げ、胸を張って優雅にお茶を頂いた。
──数か月前、御侍様は「アルツハイマー病」であると診断された。この病を患った老人は、少しずつ自分の記憶を失い、意識も徐々に子どもの頃に戻っていくという。
帝国の困難、戦争、政権交代など数多くの重大事件を対応してきた教育学者の御侍様はこの事を知り慌てふためいた。ここ数か月はずっと私の未来をどうするか探り続けた。
そうでなければ、私も毎日のように張りつめていない。
「まず自己紹介をさせて頂こうか。私はロック、貴方の御侍とは同業だ。彼は私の食霊、ザッハトルテだ。」
向かいに座っている男性は笑顔で自己紹介をしてきた。
語り口は穏やかで、見た目も若い。オーラはあるが、普通の人間のそれでしかない。
彼の傍にいる普通そうな青年は、黒い服を身に纏って、長い髪で顔の半分が隠れていて、手にはおかしな木箱を持っていた。変わっているけれど、彼は確かに食霊だった。
今重要なのは彼らを観察することではないわ。
「御侍様、何のお話をされていたのですか?デイジーに私の荷物、生活用品を整理させ、馬車の用意までしたと聞いたのですが……」
「ああ、あれらは学校生活で必要な物を用意して貰ったんだ。今まで一人で宿舎に泊まった事はなかったろう」
御侍様は楽しそうに話していた。
「学校?宿舎?」
「そうです、私と貴方の御侍が共同で計画している事です、パフェさん」
ロックが手を伸ばすと、ザッハトルテはしっかりと握っていた箱を開け、その中から書類を出すとまたすぐに箱を閉じた。
素早い動きは、まるでその中から人にかみつく猛獣が出てくるように見えた。
ロックは書類を私に手渡した。
「『帝国教育課程改革実験申請書』……これはなんでしょうか?」
私は訳も分からずそれを読み進めた。数分後目を見開いたままその薄い書類を閉じた。
「食霊を学校に通わせる?私は最初の実験対象に選ばれているですって?」
「パフェさんは美しいだけでなく、帝国の食霊の中では有名です。貴方が手本となれば、きっとこの改革を推し進める事が出来ると思います」
傍にいる御侍様は笑顔で頷いているが、私は怪しいと思った。
「ロックさん、私たちは皆知っています。今の帝国で、食霊と人間の対立が激化している原因は教育にはありません……シャンパンが新しい君主になったからですわ。食霊によって帝国が統制されるのは初めての事ですので、人間が混乱するのは必至です」
「就任したばかりの国王陛下もこの教育草案を許可しました。彼は食霊として、人間との関係を改善したいと願っているようですよ?」
「本当に上手くいくとお思いですか?」そう言いながら、私は書類をロックに返した。
「もちろんです。食霊と人間は同じですよ、朱に交われば赤くなり墨に交われば黒くなる。全ての食霊が貴方と同じく、召喚された瞬間から正しい教育を受けていれば、食霊の犯罪率は大幅に下がるでしょう。そう思いませんか?」
「そうだな。もし成功すれば、良い事だ」
御侍さまは言い終えると、切実で真摯な視線で私を見た。
……やめて、やめてよ。可哀想な顔をしても、年配者であったとしても、その手には乗らないわ!
Ⅱ.強制的に共犯者に
馬車は石畳の上を揺れながら進んでいた。
「お嬢様、寝る時は蚊よけをアロマに入れてくださいね、そうすれば蚊に眠りを妨げられる事はなくなります」
「そうでした、どこにアロマがあるか覚えてますか?一番大きな赤い箱に入ってますよ」
「あと、アクセサリーは外したらきちんと金庫に入れてくださいね」
「宿舎に金庫ってありますよね?」
私はぐったりと座席に横たわっていた。デイジーのうるさい口をどうにか塞ぎたい気持ちでいっぱいだった。
デイジーは御侍様の優秀な助手。彼女は丁寧で用意周到、御侍様は色んな事を彼女に任せたがった。デイジーと比べると、私は助手としては役不足だった。だから御侍様は軽々しく私を学校に送り込んだんだわ。彼の命はもう短いというのに……
ここまで考えて、また憂鬱になってきた。
私がぼんやりしている内に、馬車は緩やかに止まった。
デイジーはカーテンを開けて声を掛けてきた。
「お嬢様、着きましたよ!」
私は深呼吸して、ドレスの裾を持ち上げながら、馬車を降りた。
長年わがままを言って来た。命が終わろうとしている時託してくれたこの任務を、今度こそ必ず完遂させるわ!
次の瞬間。
私の前に颯爽と黒い影が過った。驚いた後、目を凝らして去って行った黒い服の青年を見ると、その姿に見覚えがあった。
「ザッハトルテ?」
ロック先生が言っていた。ザッハトルテも学生として私と一緒に入学すると。そして私より何日か前に到着すると……違うわ!
歩き始めようとした瞬間、私は思い出した!
ロック先生はこんな事も言っていた。この学校の多くの教師そしてスタッフは普通の人間であるため、この食霊学校には一つ基本的な規則があった。学期内、学校の中でしか、更には食霊の先生の監督のもとでしか、霊力を使用してはいけないと。
学校以外の場所で霊力を使用した場合、バレたら厳しく処分される。
彼は大人しそうに見えて、まさか来て早々規則を破るとは。学校の見張り役の食霊たちに気付かれたら、食霊がせっかく勝ち取った微々たる信用に傷がついてしまう。
私は目を細めて、ザッハトルテが去って行った方向を見た。
「デイジー、私の荷物を宿舎に届けて頂戴」
「安心して、すぐに戻るわ」
言い終えると、すぐザッハトルテの後を追った。
「ふぅ……どうしてこんな所で突然霊力の気配が途切れてしまったの?」
周囲を見渡すと、ここは山の斜面に当たる場所だった。下の方には生い茂った林があった、その林の向こう側に見える建物の数々こそ学校だった。
「裏山?授業に出ないで、こんな所に来て何をしているのかしら?」
「どうしてついて来たんですか?」
「えっ?」
ザッハトルテはどこからともなく現れた。黒い服を身に纏って、黒いケースを持っていた。
「食霊は学校の外で霊力を使用してはいけない規則だわ。来て数日で、規則を忘れたのかしら?」
「では、あなたは先程何をされてました?」
「……何って何よ?」
「僕を尾行するのに霊力を使った筈ですよね?」
「……そ、それは。先に規則を破ったのは貴方だわ!」
「正規の方法で見張りに伝えれば良かったのではないですか?どうしてついて来たんですか?」
「私……」
言葉が出なくなり、ザッハトルテがどんどん近づいて来た。
「認めてください。追ってきた瞬間、あなたの好奇心が所謂校則に勝った。他は言い訳に過ぎませんよ」
「そんな事ないわ……」
私は無意識に胸元で拳を握り締めたけれど、彼は更に近づいて来た。
「僕について来ようとした瞬間、あなたも共犯になったのです」
「屁理屈はやめて頂戴!共犯なわけがないわ!」
「では、僕と共に見張りの所に行く勇気はあるのですか?共、犯、者、さん?」
「来ないで──」
また一歩近づいてきた彼を前に、私は崩れ落ちた。一歩後ずさって、地面に座り込んだ。
しばらくして、俯いた視界の中ゆっくりと手が伸びてくるのが見えた。
顔を上げると、ザッハトルテの片手は相変わらず黒いケースを持っていたが、視線からは先程の剣幕はなく、まるで別人のような穏やかな表情を浮かべていた。
Ⅲ.二位の話はしなくても良い
「はい、見て」
「おお!」
御侍様は予想通りの喜びの表情を見せてくれた。
「えっ、御侍様、それは私の成績表であって、紙飛行機を折るための紙ではありませんわ!」
大声で叫んでも、御侍様の耳には届かない。成績表はすぐに彼の新しいおもちゃになってしまった。
「良いわ、貴方が楽しければそれで良い」
私は仕方なく御侍様の肩を叩いた。車いすに座っていた彼は顔を上げて私に向けて子どものような笑顔を見せた。
全てを見ていたデイジーは私の肩を揉みながら慰めてくれた。
「お嬢様、落ち込まないでください。教授の意識がはっきりしている時に、きちんと今学期は全科目でA判定を貰った事をお伝え致しますので」
「学校のイメージキャラクターにもなりましたわ」
「はいはい、学年二位も取りましたものね!」
「一位ではないから、報告しなくていいわ」
「大丈夫ですよ、一位になれなかったのは、始業式に遅刻してしまったからでしょう?」
「……」
楽しい気持ちは一瞬で興覚めになった。
「お嬢様、あの日一体どこに行ってたんですか?もう大分経ちましたけど、まだ教えてくれないのですか?」
ダメ、絶対にダメだわ!
私の思考はあの日の記憶に飛ばされた──
ザッハトルテの激しい剣幕に気圧されて、私は後ずさって転んでしまった。
地べたに座り込んでいた所、ザッハトルテは冷静に手を差し伸べて来た。
「わざと驚かしていた訳ではありません」
「わざとではない?」
「先程学んだ尋問の方法を実践していただけです」
「なんですって?私を練習台にしたの?待って、学校にはこんな授業もあるの?」
「選択授業です、興味あるんですか?」
「そんな変な授業なんてごめんだわ!」
「では、今日の事はなかった事にしましょう。あなたは校外で僕を見ていない、良いですか?」
私は彼の手を払った。
「自分で立てるわ」
私は歯を食いしばって立ち上がり、ドレスの裾をはたいて、髪を整えて、顔を上げて帰路につこうとした。
「来た道を歩いて帰るつもりですか?こんなに遠い距離を?人の足で?」
ザッハトルテが聞いて来た。
私は固まった。
「下の林を迂回して行けば、学校のもう一つの門に着けます」
彼は淡々と告げてきた。
「……そんなわかりきった事、言わなくてもわかっているわ!元からそこを通って帰ろうとしたのよ」
強気で言い放ってから、方向を変えて林の方へと歩いて行った。
「その林では霊力が制限されます、野獣も多いですよ」
ザッハトルテはケースを持ってゆっくりと立ち止まった私に近づいて来た。
「僕は安全な道を知っています」
「お嬢様、お嬢様!手を緩めてください、扇子が折れてしまいますよ……他の話をしましょう、他の……あっ!」
隣のデイジーはポンと良いアイデアが浮かんだような顔をした。
「お嬢様、今回学年一位を取ったのは誰ですか?」
「……デイジー、貴方は本当にセンスあるわね」
「はははっ、気になっていたので」
暖炉の前の車いすに座ってる御侍様は、成績表で折った紙飛行機を持っていた。しかし、彼は意識がはっきりしたようで、にっこりと笑いながら私を見つめていた。
「御侍様!」
私は彼に抱き着いた。
「数か月会わないだけで、どうしてそんなメソメソしているんだい?まさか学校でいじめられたのかい?」
御侍様は優しく私の髪を撫でてくれた。私は首を横に振って、涙を引っ込めた。
「学校で楽しくやってますわ、先生方に良くしてもらってます。人間の先生も、食霊の先生も、皆さん私の事を好きになってくれていますわ」
「ああ、わかってる。うちのパフェは失望させたりはしないと」
御侍様は優しく私の頭を軽く叩いた。
「だけれど、一位を取ったのは一体どこの誰なんだ?」
「……御侍様!」
御侍様は大きな声で笑い始めた。彼の笑顔を見ていたら、恨みと恥ずかしさが入り混じった怒りが消え去っていった。
「ザッハトルテが一位を取りました……しかし、今回だけです!次の学期で必ずや彼を越えて見せると誓います!」
「期待しているよ。ただそれは次の学期での事だろう。帰って来たのなら、楽しく休暇を過ごそうじゃないか」
Ⅳ.必修の選択授業
「今日は授業はないのですか?」
「ああ。教務課から連絡があって、学校の裏山から妖しい霊力反応を見つけたらしい。人間の教師とスタッフ全員は安全な区域に退避しなければならない。学生諸君は宿舎に戻って自習してください。」
歴史を教えてくださってる人間の教師は、申し訳なさそうに説明した後、慌てて片づけをして去って行った。
離れる前の彼女のうろたえている表情を見て、少しだけ嫌な気持ちになった。
いくら私たちが人間の真似をして学校で大人しく勉強や生活をしていても、異常事態が発生すると、彼らは私たちを怖がる。
「二学期は始まったばかりなのに、こんな事に……しかも裏山……まさかまたザッハトルテなのかしら?」
私は考えあぐねて、結局荷物を片付けてから裏山の方へと走って行った。
冬はまだ過ぎたばかり、山の斜面は依然として冷たい風が吹いていた。しかし周りはとても静かで、学校の捜索隊も、人影も一切見当たらない。
怪訝に思っていたら、突然、林から物音が聞こえて来た。
私は慎重に物音がする方へと向かった。
「これはこれは、可愛らしいパフェさんではないですか」
「ロックさん?」
私は目の前でニコニコしている男性を訝し気に見ていた。隣にはどうしてか腕を抑えながら俯いたまま黙っているザッハトルテがいた。
「失礼、聞き分けのない食霊を教育していました。」ロックさんは説明してくれた。
「そうですか」私は内心少しだけホッっとした。
やはりこっそり霊力を使って、御侍に捕まったのでしょう?そう考えながら彼らに近づいた。
「来るな!」ザッハトルテは突然顔を上げて私に向かってゾッっとするような笑顔を見せた。この時、変わった香りを嗅いで、そして私は意識を失った……
「パフェ!パフェ!起きてください!」
私が目を開けると。
ザッハトルテが眉間に皺を寄せながら、心配そうに私を見ていた。
「ゲホゴホッ……先程のは……ううっ──」
話終える前に、ザッハトルテは低い声で呟いていた「彼はここから出て行ったばかりです。僕たちを縛る縄をようやく切る事が出来ました。早く僕について来てください、彼が戻って来てしまいます!」
「一体どういう事かしら?貴方の御侍はどうして私たちを誘拐しているの?」
「彼は僕の御侍なんかではありません」
「なんですって?」
ザッハトルテは振り返らず、私を連れて林の間を縫って走って行く。
「半年前、彼は僕の御侍を拉致しました。つまり本当のロック教授をです。彼を隠したあと、御侍の命をたてに、僕を脅して色んな事を命令してきました」
「半年前?つまり──」
「そうです、あなたの家に行ってあなたの御侍と話をしたのは偽物のロック教授です。彼はあなたの御侍が病を患い、人の顔が判別出来なくなっているのを狙って騙した。彼のつてを使って、僕をここに送り込んだ。目的はただ一つ、学生として僕に内情を調査させようとしていました」
私は驚いて息を呑んだ。
「内情調査?何をするつもり?」
「彼は"反霊主義者"です、今回の教育改革を乱そうとしています。この食霊学校で混乱を引き起こして、人間の教師を傷つけそれを食霊の仕業に仕向け、人間と食霊の関係を悪化させようとしています」ザッハトルテはこう答えた。
「これだけならまだしも、彼は僕が思っていた以上に狂っていた。僕にこの学校の地形を調査させただけでなく、暴動を起こした後に僕を口封じしようとしていた……」
彼の後ろについて、ここまで聞いて私は我慢できず足を止めた。
「ザッハトルテ」私は信じられないという顔で頭を横に振った「貴方は自分が何を言っているか、わかっているのかしら?」
ザッハトルテは足を止めて、解せない表情を見せた。
「考えた事はないのですか?私たちの御侍、彼らはどれだけの心血を注いだか?それなのに貴方は何をしているのですか?彼らに敵対する者に手を貸して、そして今、彼が教師陣を傷つけようとしているのを知っていながら、私を連れて逃げようとしているなんて」
「僕は時局を理解し状況を判断し、最善の選択をしているだけです。もし誘拐されたのがあなたの御侍だとしたら、あなたは僕と同じ選択をしたでしょう」
「貴方は私ではないのに、どうして私の気持ちがわかるのかしら?」
「あなたは御侍の安否を顧みず、彼の理想を掲げて犠牲にするつもりなのですか?」
私は一瞬固まり、拳を握り締めてから、背筋を伸ばして答えた。
「私なら、私の御侍様なら、きっと私の選択を支持してくれるわ」
私はこの言葉を言い捨て、振り返って歩き出した
「どこに行くつもりですか?」
ザッハトルテは私を引き留めた。
「学校に戻って、教師たちを守るわ」
「待て!僕の御侍はまだ彼の手に!」
「放して!」
「落ち着いてください!」
「……」
「僕も食霊です、パフェと同じ感情を人間に抱いています……」
ザッハトルテの口ぶりは少しだけ柔らかくなった。彼は躊躇した後、ため息をついて口を開いた。
「安心してください。学校へ向かう安全な道は一本しかありません、僕が以前あなたを連れて歩いた道です。彼には間違ったルートを教えています」
「……本当に?」
「もちろんです。僕は救助する時間を稼ごうとしただけです、本気で人間を危険に陥れるつもりはありません」
私はザッハトルテの言葉を半信半疑で聞いていた、何かがおかしい感じがした。
しかし、細かい事を考える余裕なんてなかった。
「本音を吐露しあうゲームは終わりだ、君たちは人間の真似をする事しか出来ない怪物だ」
陰険であくどい声が聴こえて来た。偽物のロック先生は特製の猟銃を持って私たちに前に現れ、その銃口を私たちに向けて定めた。
「ザッハトルテ、君は御侍の命を見捨てるつもりのようだな。私に間違ったルートを教えるなんて。やはり、君たち食霊は身勝手だな」
私は扇子を握り締めた。しかし、ここでは少しも霊力を発揮する事はできない。
「もう一度チャンスをやろう、正しいルートを教えろ」
「パフェ、早くここで起きた事を護衛チームに伝えに行ってください!」
ザッハトルテは突然前に飛び出し、猟銃を持った偽ロックと戦い始めた。
「早く行け──」彼の叫び声と二発の銃声が林に響き渡った。
行かなければ……行かなくちゃ!
まずここから離れなければ、さもないと……
私は下唇を噛みしめ、後ろを向いて走り出した。
茨と枝によって私のドレスは引き裂かれ、腕に傷がついて、髪が乱れたけど、私は走り続けた。
私の心の中には一つの信念しかなかった。ここから離れて、林を抜け出て、自分の霊力で……私の力で……私の力を取り戻さなければ──
「バンッ!」
打たれた瞬間、痛覚は他の感覚より遅くやってきた。
私は茂みに倒れ、陰険な狩人は狂った目で私を見据えていた。彼はゆっくりと近づいてきて、挑発的に怪我した私の足を踏みつけた。
痛い。
とても痛いわ。
痛みは弾が打たれた箇所から全身に向かって広がって行った。
これは特製の弾のようだった。元は堕神に対抗するために使われる弾だけれど、食霊にも効く代物だった。私の霊力は傷口からどんどん流れて行った。
しかし私は泣かなかった。
「パフェさん、全帝国にどれだけの人が貴方のひとたまりもなく弱っていく様子を見たがっているか知っていますか?」
私はかっとなって彼の靴に唾を吐いた。
「……フッ」
意外だったのは、彼は怒り狂う事はなかった。ゆっくりと私を踏みつけていた足を戻し、銃口で私の足の甲をつついた。
「交渉しましょう。私はただ学校から君たち食霊にとってあまり意味のない小道具を回収したいだけです、決して人間を傷つけたい訳ではありません」
「もしかしたらその小道具は、人間と食霊の関係に何かしらの影響を与えるかもしれませんが……しかし、パフェさん、君とは関係のない事が起きるだけだと保証は出来ます」
猟銃を掲げた背の高い人物は口を歪めた。
「私たちには既に身代わりがいるのです。何が起きても、全てザッハトルテのせいにすれば大丈夫、そうでしょう?」
「君は私を連れてこの林を抜ければ良い、誰も君がした事を知る由はない。君はこれからも人々に愛され、純潔無比のパフェ嬢として君の御侍の完璧な食霊のままだ」
偽ロックは屈んだ。優しかった表情が今は歪んでいた。
「もちろん、この提案を拒否するのなら、君もザッハトルテ同様ここで死んでもらう。まるでボロボロの人形みたいに、野獣に噛み千切られ、カラスに啄まれ、堕神によって少しずつ食べられていく」
「……」
私は草を握り締めて、耳元にはこの林の奥に潜む恐ろしい野獣の唸り声が聞こえて来た。
「起きろ、パフェ嬢」
狩人は私に向けて銃を差し伸べてきた。
「この程度の傷は君たち食霊にとってどうって事ないぐらいはわかっている」
「……」
私は俯いてしばらく考え込み、心の中で決心し、手を伸ばして冷たい銃を握った。
空は明るく、陽ざしが林に降り注いでいた。
柔らかな落ち葉を踏みながら、私はドレスを持ち上げながら歩いていた。初めて歩いた時よりも軽快に歩けている。
始業式の日、私は仕方なくザッハトルテの後をついて行っただけだったから。
あの日、彼は私の前を歩き、奇妙な黒いケースを持っていた。一言も会話することはなかった。
奇妙な野獣の唸り声が響いた事で、私は驚いて小石に躓きそうになった。
ザッハトルテは私を一目見た。彼の上がった口角は私の鋭い視線によって元に戻った
「どうしてこの林に、食霊が霊力を使えない禁制区域があるか疑問に思っているでしょう?」
この気まずいやり取りの後、私たちの間に流れる空気は少し和やかになった気がした。
ザッハトルテは何気なく私に話しかけてきた。
「この学校の前身は長い歴史があると聞いたわ。こんなに古い学校なら、禁制区域があったとしても不思議ではない、戦争の時の名残かもしれないし」
「多くの人はそう思っているでしょう」ザッハトルテは道を阻む蔦を避けながら進みながら言った「しかしこの学校ではもう一つ説があります」
「学校を囲む林は地獄の門の上に植えられた法陣だとされています。地獄から来た番犬を抑えているのだとか。もし正しいルートを歩かないと、その地獄犬によって骨の髄まで食べられてしまうらしいですよ」
「そんなデタラメな噂は子供だましに過ぎませんわ」
「そう思うのですか?」
「そうじゃないの?」
ザッハトルテは妖しげに頭を横に振った。
「僕は知りません。間違ったルートに踏み入れた人にしか、この世に地獄があるかどうかわかりませんよ」
そして今日、私はこの世に地獄がある事を知った。
記憶の中のザッハトルテは姿を消し、私の背後には偽ロック、そして目の前には息を荒くしている鋭い牙を持つ巨獣がいた。
身体が湿っているそれは水辺から這い上がって来たばかりのように見えた。しかし真っ赤な目はまるで地獄のマグマ、全てを焼き尽くせる炎を灯していた。
「チクショウ!なんだこれは!」
背後に偽ロックは猟銃を持ち上げながら震えた声で叫んでいた。
腰を抜かしている彼を見て、私の恐怖心は半減した。私は彼を嘲笑いながら言い放った「それが貴方を地獄まで連れて行ってくれるわ」
「貴様!」偽ロックはハッとして「わざと間違ったルートを教えたな!」
私は返事する事なく、彼の膝目掛けて飛び蹴りをかました。彼が地面に崩れる瞬間を狙って、腕で彼の首を締め始めた。
それと同時に、その地獄犬も口を大きく開いて私たちに向かって跳んで来た。
「一緒に地獄におちよう!」私は目をつぶって叫んだ。
──御侍様ごめんなさい、まさか私が先にこの世を去るなんて。だけど、貴方は病を患っているから、すぐに私の事を忘れてくれるよね?
しばらくして。
想像していた痛みは襲ってくる事はなかった。
耳元に低い笑い声と、その中にあと……犬の鳴き声も混ざっている?
私は目を開いた。
黒い巨大な犬は大きな赤い目を見開いて、興奮して私と偽ロックの周りを走り回っていた。尻尾を楽しそうに降っていて、喉からはゴロゴロと嬉しそうな声を出していた。
驚きのあまり、私は手を緩めてしまった。
これは……一体どういう事?
「もう良いよ、パフェ。私を放してくれ」
呆気に取られていた私はすぐに地面に落ちていた猟銃を拾い上げて、それを偽ロックに向けつつ後退した。
「動かないで!」
しかし偽ロックは私の警告を無視し、銃口を向けられていても笑顔を浮かべていた。更には彼の周りをうろついている地獄犬の相手までし始めていた。
次に、彼が右手を上げると──
待って……ザッハトルテ?
私は傷一つついていないザッハトルテが茂みから出てくるのを驚きながら見ていた。
彼の手には、またあの黒いケースを持っていた。先程までの焦りや慌てた様子はなく、落ち着いた様子でケースを開けて、書類を青年に渡していた。
半年前、初めてザッハトルテを見た時と同じ、落ち着いた様子に戻っていた。
これは一体どういう事?
この時、偽ロックは私に近づいてきて、その書類を私に渡してきた。
この時初めて気付いた──気配から、彼も食霊であると!
「選択科目のテスト合格おめでとう、これは合格証書だ。今後君は私の学生になる、私の事は鹿教官と呼ぶように」偽ロック、えっ、いや、鹿は私に向かってウィンクを飛ばした。
「せ、選択?選択って?」
私は状況が呑み込めず、目を見開いていた。
「シーッ」彼は人差し指を口元に置き「選択授業の内容は、秘密だよ」
Ⅴ.パフェ
ピンク色のハイヒールでカツカツと絨毯の上を歩いている人物がいる。
この靴の主は扇子を持って、舞い落ちる粉雪を遮りながら、ゆっくりと彼女の目的地へと向かって行った。
彼女が向かっている先はこの雪が舞う部屋の一番奥、「ギフトルーム
」と呼ばれている場所。通常は対外的に開かれる事のない部屋だ、
こういう時以外は──
「来たか、今日は一段と美しい」
白いギフトルームの中、鹿は入ってきたパフェに向かって言った。
彼はここで長らく待っていたようだった。
しかし雪が積もった床には彼の足跡はなかった、梅の花の形をした、動物のような足跡が絶え間なく現れていた。
まるでこのギフトが積まれた部屋の中に、この男の他に見えない動物が生活しているように見えた。
「馬車は入口で私を待っているわ、早く渡して頂戴」
パフェは扇子を閉じて、目の前の男性に向かって手を伸ばした。
「そんなに急いでいるのか?」
鹿は軽く頭を傾げ、悲しそうな表情を浮かべた。
「せっかく君のような学生に出会えたのに、まさか2年で卒業試験に合格するなんて……今日ここを離れたら、しばらく会えなくなる、君は寂しくないのか?」
「私が自主的にここにやって来たみたいに言わないで頂戴。貴方とザッハトルテがどうやって私を騙したか、ちゃんと覚えているは」パフェは真っすぐ彼を見つめながら「お喋りはもう良いから、早く渡して頂戴」
「わかった、根に持っているようだね」鹿は残念そうな表情をしながら、手招いた。それと同時に、部屋にあったピンク色のギフトボックスがひとりでに動き始め、宙に浮かんで彼の手元まで飛んで来た。
鹿は先程までの笑顔をおさめた。
「今回の任務での君の目的地はミドガルだ」
「君はクリスティーンと言う名の帝国富豪の娘となり、億万の財産を継いで各地を旅している。賑やかで活気のあるミドガルを気に入って、そこに居つくようになった。君は舞踏会が好きで、身分を問わず気が合うかどうかだけで自由気ままに友人を作っている」
「もう良いわ、ミドガルに着くまでに資料を全部読み込むから」パフェはピンク色のギフトボックスを持って行った。
「ああ、わかっている。君はいつだって優秀だから」
青年は頷いて、手を背に振り返って窓の外を見た。
「だけど一つだけ言わせてもらおう──今回のは長期任務だ、いつ終わりを迎えられるか私もそれを教える事はできない。君は冬眠している種として、帝国が君を求める時に目覚めなければならない。心の準備は出来ているか?」
「もちろんよ」
「いってらっしゃい」鹿は笑顔を浮かべ、頷きながらパフェに行った。
パフェは振り返ってその場を離れた。
シャンパンが王を名乗ってから、帝国の内部では、人間と食霊の間の種族問題は常に最重要案件であった。
例えシャンパンが神権を覆しても、腐敗した貴族を根絶しても、他国の侵犯者を退けても、人間は食霊が政治を司っている事に対して恐怖を覚えたままだ。
彼はわかっていた、種族間の問題は一日にして解決出来る者ではないと。解決するには、幾度にも渡って仲裁していかなければならない。
パフェの御侍はこの国の大教育家であった。晩年の彼は食霊教育計画を提案し、勉学の面から人間の食霊への畏怖を拭おうとした。それと同時に、道徳教育を通して、食霊自身の善悪を判断する能力を培おうとした。
パフェは最初の被験者として選ばれた。彼女は長年彼女の御侍によって育てられ、人間とほぼ同じ習性を持つ立派な社会の一員となり、帝国の優雅と高貴の代名詞となった。
しかし、彼女のこの優れた出身のせいで、他の帝国の神秘的な部門に選ばれる事となった。
天国と地獄は、往々にして紙一重だ。
彼女の御侍は事情を知らないまま、パフェの決められていた人生は、まったく別の方向へと進み始めた。
そしてこの道の方が、もしかしたら彼女の歩みに合っているのかもしれない。
馬車は南に進み、ミドガルへと向かっていた。
馬車の上で、パフェはギフトボックスに入っていた全ての資料を読み終え、深呼吸していた。
「初めて国境を越えての潜伏任務、連絡拠点のリーダーはどんな人かしら……着いたらまず彼を見つけなければ……」
それからすぐ、馬車は少し揺れて止まった。
二年の訓練成果によって、彼女は二年前のように慌てる事はなくなった。寝起きの様子を装って、ドアを開けると。
そこは墓地だった。
「ここはどこかしら?」彼女は少しだけ怒ったフリをしながら話し始めた「車夫、私たちの目的地を覚えてないのかしら?」
走っている最中一言も発さなかった車夫は、ゆっくりと帽子を取り、身体をパフェの方へと向けた。
「パフェ、"ホルスの眼"へようこそ」
「……ザッハトルテ?また貴方なの?」
◀ エピソードまとめへ戻る
◀ パフェへ戻る
Discord
御侍様同士で交流しましょう。管理人代理が管理するコミュニティサーバーです
参加する