中華海草・エピソード
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中華海草のエピソード
戦闘の要領が悪く、自分を弱いと思っている天使のような少年。その見た目から、人間からは水鬼(すいき)と呼ばれ苛められていた過去がある。そんな自分を助けてくれたタコわさびを崇拝していて、自主的に彼のお世話をするようになった。髪が本体で、照れると自分の髪の中に潜り込んで草団子になる。
Ⅰ.庭
「テメェ!このクソタコ!今日こそ決着つけてやる!」
「ああ」
赤い火花と共に、八岐様は自分の手を上げて明太子様の赤い魚卵の攻撃を受け止めると、振り返った。
「もっとくれ」
八岐様は手に持っている串を指しながら、落ち着いた様子で僕に向かって言った。明らかに先程の爆発の影響を受けてはいなかった。
僕はぎこちなく笑いながら、串に刺した鹿肉をまた焼き始めた。
「あの、八岐様、明太子様……」
「チッ、ガキ」
「おいっ!誰がガキだって、もっぺん言ってみろ?!」
彼らを見てどうしたらいいかわからなくなっていた時、肩にずっしり重みを感じた。
振り返ると、興奮している雲丹先輩が見えた。
「海草、あの二人は無視すればいいんだよ!ああ、アタシの分もお願い!」
「はい、すぐ焼きますね」
「海草、アイツらは放っておいて、ほらアナタも食べて」
「大丈夫です、僕こういう事をやるのは好きなので」
鉄板に置かれた真っ赤な鹿肉は、ジューと音を出しながら茶色になっていった。庭中に広がる焼肉と酒の匂いのお陰で、この夜はそんなに寒く感じなかった。
急に下駄の音が響き渡り、大吟醸様は気だるい様子で庭まで歩いて来た。
「おいおい、あちきの極楽は酒を飲んだり、楽しいことをする場所よ。普段は一銭も落とさないのに、焼肉なんか始めちゃって……海草ちゃん、あちきにも頂戴――」
「はい、わかりました」
「ありがとうねえ~」
「おい、食べたいなら自分で焼け!海草はまだ一口も食べてないのよ!」
「大丈夫ですよ……」
雲丹先輩は相変わらず明るい様子で、大吟醸様をあしらった。顔が赤くいつもより興奮していて、誰から見ても明らかに飲み過ぎだ。
「ふん、ぬしらまさか主人のあちきを待たず、先に飲み始めるとは。でも今回良い酒をもらったから、許してあげる。海草はもっと良い子だから、後で酒を数本持ち帰るのを忘れないで」
大吟醸様は桜の木の下に腰を下ろした。どこからともなく現れた鯖の一夜干しは、皿を持って焼けた肉を数枚取り、大吟醸様の元へと運んで行った。
「あの――これは……」
「ああああ!ずるいよ大吟醸!それはアタシの物だわ!」
「クソガキ、早いもん勝ちでありんす」
皆さんが楽しそうにしている時、突然庭の中で狐火が灯りそよ風が吹いた。極楽の裏庭にある永遠に枯れる事のない桜が風に乗って舞っていた。
「はあ、いつも私を待ってくれない。もう油揚げを手土産に持って来ないよ」
狐の尻尾を揺らしている少女が軒の上に立っていた、ゆったりと地面に降りると美しい男性になった。
「そう言えば、海草はまだ会った事ないでしょ。この方は九尾、稲荷神社の首領。百鬼夜行を開催している時に結界を張ってくれているのは、稲荷神社のきつねうどんよ」
雲丹先輩は僕の疑問に気付いて、大吟醸様の隣に座った……男性を真面目に紹介してくれた。
「ハハハハハ!緊張しなんし!彼には身分が二つありんす。一つは稲荷神社で人々に崇め奉られている『稲荷神』、もう一つは百鬼の『九尾』。ここに来る時、彼は『九尾』としている事を好む」
「そうそう、九尾ん所の油揚げはとっても美味しいよ!さすが狐だと言うべきかしら!」
僕は頷いた。扇子で大吟醸様のあごを持ち上げて、彼の手元から焼肉を奪おうとしている九尾様をボーっと眺めていると、急に自分の口の中に油揚げを入れられた。
顔を上げると、無表情の八岐様がいた。
「九尾の油揚げは美味しいぞ」
「は、はい!しかし……八岐様……」
「ん?」
「明太子様は、重くないですか?」
「……まあ、チビだからな」
八岐様は触手で遠ざけた明太子様の方を見向きもしなかった。
「タコわさび!誰がチビだって?!」
「あの――!明太子様!八岐様の触手は食べ物じゃないですよ!」
僕はすぐ八岐大様の傍に駆け寄って、触手を噛んでいる明太子様を引き離そうと試みた。他の皆さんは笑顔を浮かべるだけで、仲裁するつもりはないように見えた。
皆さんの笑顔を見ていると、慌てていた僕も少し安心した。
Ⅱ.日が昇る
極楽は百鬼夜行の停戦区、首領の皆さんは些細な事なんて気にしない方ばかりだ。
百鬼夜行でどれだけ激しく争っても、極楽に来たらいつもの賑やかな雰囲気に戻って、戦闘時のような殺伐とした空気は一切感じられなくなる。
僕は争い事を好まない、でも今の楽しそうな雰囲気は好きだ。
何も気にする事なく、自由気ままに笑い合う感じが。
九尾様の狐火が灯り、明太子様の魚卵が空で破裂すると赤い稲妻が落ちた。月見様の稲穂は淡い銀色の輝きを帯びて……
皆さんは自分の力を思う存分に示して、夜空で様々な景色を作り出す。人間と異なる点を隠さなくて良くなったんだ。
これは僕が思いもしなかった現実。
夢を見ている時ですら、ここまで自由じゃなかった。
僕は皆さんの霊力で彩られた空を見上げた。
真っ暗な夜にこんなに美しい景色が見られるなんて。
「妖怪」として、僕たちは疲労を知らない。同族で争う時、「怪物」と戦う時しか傷を負う事はない。
僕たちは人間のように眠る必要はない。皆で絶えず笑って、騒いで……その時まで……
夜が明けるまで。
「日が昇る」
誰の声かはわからなかった。先程までホッキガイ様の三味線を聴いていた皆さんは突然静かになった。
全員が静かになって、すぐに、騒がしかった裏庭は落ち着きを取り戻した。
何もなかったかのように。
……空が明るくなった。明るくなると、この世界はもう僕たちの物ではなくなる。
八岐様が教えてくれた、これは人間との約束だと。人間と僕たちの関係はとうに壊れてしまっているけれど、この約束は、僕たちの御侍だった人間たちへの最後の敬意だ。
昼と夜、お互いに干渉をしない。
涼しい朝風に吹かれ身震いして我に返った、しかし八岐様の姿が見えない。
「八岐様?」
「朝ですよ、そろそろ帰らないといけません!」
長らく探していると、極楽の広間に飾られている巨大な磁器から、触手がうねうねと出ているのを見つけた。片づけをしに来た店員がそれに驚いて地面に座り込んでいた。
僕はため息を一つついて、磁器の縁に手を伸ばして中を覗き込んだ。
「八岐様、帰らなければ、日が昇りましたよ」
「……」
……皆さんが騒ぎすぎて、八岐様は煩わしくなってここに隠れたんだろう。
僕は髪をいじってから、また磁器の中に話しかけた。
「八岐様、皆帰りましたよ、もう騒ぐ人はいません、明太子様もきっともう帰りました!」
この言葉を聞いて、やっと磁器の中の影はビクリと動いた。彼はゆっくりと中から這い出てきて口を開いた。
「うるさすぎ」
「へへへ、この壺が心地よかったのですね。気付いたら中にいましたよ」
「……」
「……あれ?どうされました八岐様。早く帰らないといけませんよ」
Ⅲ.怪物
八岐様の本名はタコわさび、僕と同じく人間によって召喚された。
僕をあの地獄から救い出してくれたのが八岐様だった。
あの夜、僕が見た彼の目は冷静で、軽蔑、嫌悪、同情、どの感情もなく、ただただ淡々としていた。
「俺たちみたいな妖怪は、妖怪と一緒に居た方が良い。無理して人間と一緒に居る必要はない」
これが彼からの初めての言葉だった。
やっと、僕は居場所を見つけた。
だけど、僕は八岐様のために何が出来るんだろう……
「海草!海草何しているんです!」
穏やかな海面を眺めてボーっとしていた時、海苔が慌てて僕の方に向かって走ってきた。
「えっ、ごめんなさい。どうしたんですか?そんなに急いで……」
「気を付けてください。やつらが来ます!」
我に返った僕が海面に目を向けると、いつも穏やかな海面には気色の悪い赤色が広がっていて、多くの影が海底から小島に向かって押し寄せて来ていた。
とんでもない数の黒い影に脅かされている。
この「怪物」たちは僕たち「妖怪」と違って、強烈な本能だけしかない。破壊して、呑み込んで、全てを壊し尽くす事のみ。
暴れ狂う怪獣たちを眺めて、整えている僕の髪は束縛から解き放たれ勝手に動き始めた。今度こそ、きっと八岐様のために何かをしてみせる。
気付けば辺り一帯の海面は血の色に染まった、霊力の気配を辿ってより多くの「怪物」が誘き寄せられてきた。
敵は増え続けているけど、僕たちの霊力は底を尽きそうになっていた。
目の前の景色が霞んで見えてきた。なんとか体制を立て直したけれど、横を見ると、傍にいた海苔は弱っていてほぼ立てなくなっていた。
喉元から鉄錆の味が押し上げてきたけれど、飲み込む事すら難しい。もうどこが痛むのかもわからない。全身に痛みが走っている。そして、全身の脈絡は霊力の過剰摂取で破裂しそうになっていた。
唯一幸いなのは、強烈な痛みによってかえって頭が冴えてきた。
目の前で増え続ける「怪物」たちを見て、僕は舌先を噛みちぎって、目の前の「怪物」を凝視した。
僕には雲丹先輩のような鋭い髪も、八岐様のような強い霊力もない。
でも少なくとも、役に立たない僕は奴らを道連れに出来る。
僕の髪は見えている範囲の全ての「怪物」に絡まった。僕は奴らを引きずって、共に深い海底に沈んだ。
Ⅳ.目覚め
「いっーーー」
「あっ!やっと起きた!このバカ!」
暗闇の中から目を覚ますと、全身を貫く鈍痛によって息を呑んだ。澄み切った声が耳に入って来てもすぐに反応できないでいた。
無理やり目を開くと、目の前の景色はぼやけていて、ほとんど見えなくなっていた。
「このバカバカバカ!八岐が間に合ったから良かったもののそうじゃなかったらヤツらと一緒に海底に沈んでいたぞ!」
痛くも痒くもない衝撃を額に感じて、やっと焦点が合い、雲丹先輩の怒った顔が見えた。
……僕が役に立たないから怒らせたんだろう。
僕が項垂れると、雲丹先輩は手を伸ばして拳骨を食らわせてきた。
「このバカ!なんて教えたか覚えてないのか!」
「うぅ……ごめんなさい……役に立たなくて……」
「役に立つとか立たないとかじゃない!勝てないなら逃げろ!このバカ!」
「……」
顔を上げて、ボーッと雲丹先輩の方を見た。彼(彼女)の心配そうな目を見て心が温かくなっていく、気付けば口角が上がっていた。
「何笑ってんのよこのバカ!こんな重症を負って、皆心配してたぞ!」
彼は長い溜息をついて、また何回か僕の額をつついた。
「もう良い。怪我に免じて、説教の続きはまた治ってから。八岐のヤツを呼んでくる。アイツと月見が何日もかけて霊力を注いでやったんだ。さっき寝にいったばっか」
僕の返事を待たずに、雲丹先輩は扉を開いて部屋から出て行った。
僕は口を開いたけれど、声は出なかった。この時初めてこの部屋は……八岐島じゃないと気付いた……
スーッ
扉が開かれると同時に、八岐様が入口に現れた。彼はいつも通りの淡々とした冷たい表情を浮かべながら入ってきた。
「どうして?」
「……ごめんなさい、僕が使えないから……」
「……」
額の痛みで顔を上げた。僕は弾かれた額を抑えながら、八岐様の指を見て驚いていた。そして、彼の眉間には少しだけ皺が寄っていた、ほんの少しだけ。
しかしそれだけでも、普段無表情な彼にとっては大きな変化だった。
「どうして助けを呼ばなかった?」
「……こ、これ以上迷惑を掛けられません……」
「迷惑じゃない。当たり前の事だ」
八岐様は手を伸ばして、少しだけ躊躇うと、最終的に手を僕の頬に置いて、驚いている僕の顔を両側に向かってぐっと引っ張った。
「自分を見くびるな。皆心配してた」
「僕……皆?」
八岐様の言葉に驚いていると、入口に隠れていた人たちはこれ以上我慢できない様子で出てきた。
「そうでありんす。海草ちゃんに何かあったら、今後誰が肉を焼いてくれんだい?」
「安心しろ!あの怪物共の巣はオレ様が焼き払った!お前をいじめるなんてな!クソ!」
「ボス、八岐が敵だという事をお忘れですか?」
「フンッ、いじめて良いのはオレ様だけだ!」
頭を軽くさすられた。顔を上げて八岐様の冷たい表情を見た。
「自分を見くびるな。お前は良くやってる」
Ⅴ.中華海草
また「紅夜」がやってきた。混戦が終わった後、全ての人は「賭場」が始まるのを待っていた。
中華海草が自分の長髪を操って敵をぐるぐる巻きにしている様子を、雲丹は驚いた顔で見ていた。雲丹は肘で、隣で眠そうにしているタコわさびをつついた。
「ねぇ、海草最近どうしたの?急に手に負えないぐらい成長してるみたいだけど。自信もあって躊躇いがない……」
雲丹につつかれて起きたタコわさびは顔色一つ変えず雲丹から少し距離を置いた。表情に出ていないが、雲丹は彼の顔から嫌悪感を読み取った。
「おいっ、なんだその顔は!」
「うるさい」
二人が取っ組み合いになる寸前、「賭場」の方から聞こえた声によってそれは中断された。中華海草の向かいにいる敵は、自分の首に絡んでいる髪を掴んで、呼吸もままならない様子で命乞いをし始めた。
「負けを認める!負けを認める!」
這って逃げていく敵を見て、中華海草はホッと一息をついた。その時彼はやっと自分に向けられた皆の視線に気付いた。
「あら、海草ちゃん!やるじゃない!」
「よくやった!」
皆の歓声を背に、中華海草は恥ずかしそうに下唇を噛みしめながら、顔を真っ赤にしてタコわさびの傍に駆け寄った。
雲丹は手を伸ばして乱れてしまった彼の髪を整えてあげた。
「ねぇ、海草。どうしてタコわさびみたいな戦い方をやめたの?前より自信出てきたじゃん!」
からかってくる雲丹の表情を見た中華海草はつい後ずさってしまった。彼の照れ臭そうな表情を見て、余計雲丹の悪戯心に火がついてしまった。
「この野郎、あんなに教えてやって出来なかったのに、どうして急に出来るようになったんだ!吐けよ!」
「ち、違います。最近コツを掴んだだけです、雲丹姉さんうぇっ……まっ……くすぐらないでくだあはははっ!」
くすぐられすぎて丸まってしまった中華海草を見て、雲丹はようやく満足そうに手を引っ込めた。眉を上げて横で澄ました顔でお酒を飲んでいるタコわさびを見た。
「結局は先輩のアタシなんかよりアナタの言葉の方が効いたみたいね」
「羨ましいのか?」
「フンッ、どっからこんな子を拾ってきたの。アタシも拾ってくる!」
「はあ」
タコわさびは先程まで戦っていた中華海草が、すぐに皆のためにお酒を温め、料理を配り始めているのを見て、初めて出会った時の事を思い出していた。
同法を生贄として捧げてきた村落の周辺で駆逐できない水鬼が現れた。
タコわさびは暇つぶしに海辺に行くと、堕神によって生贄が海底に引きずり込まれないのを防ぐため、岸辺に隠れていた中華海草を見つけた。
少年は岸辺の大きな岩の下で可哀想な程身体を縮こまらせて、武器を持って彼を囲む村民を見ても言葉を発する事はなかった。
タコわさびは村民を制止して、少年を連れて行った。
それから、恩を忘れない少年はタコワサビのために何かをしたいと願った。
御侍の恩に報いるため、人間の醜さを顧みず、一人冷たい岩の下で縮こまって幾度の昼夜を過ごした。
人間らは彼が無害だと知った後も、悪運をもたらす水鬼として、悪意に満ちた石を投げつけた。それでも彼はそこから離れる事はなかった。
タコわさびはあの日の空を覚えていた。
明月を失った空は以前のような優しさはなかった。あるのは冷たい寒気。その寒気は夜の海面からだけではなく、背後に守っている人からも感じた。
彼は少年に手を差し伸べた。少年の手の平は温かく、微かに温度を帯びていた。彼の髪程冷たくはなかった。
「俺たちみたいな妖怪は、妖怪と一緒に居た方が良い。無理して人間と一緒に居る必要はない」
「だ、だけど……」
「無償の善意を理解してくれる人はいない。代価を支払って初めて、やつらは自分たちがどれだけ大切な物を持っていたかを知る」
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