シフォンケーキ・エピソード
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シフォンケーキのエピソード
シフォンケーキは賢く明るい、少し口数が多く、ややツンデレな青年。貴族出身の彼は単純で、他人から賞賛される事を享受している。賞賛を得るために頑張るが、褒められると調子に乗る欠点もある。
Ⅰ.美醜
頭上にある水晶のシャンデリアを数秒じっと見つめていたら、くらくらして、危うく女性のスカートのフリルを踏むところだった。
「フゥ、危なかった......」
慌てて三角形のケーキを持ち直した。チョコレートクリームとココナッツが俺の白い襟元につかなくて良かった。 後ろを急ぎ足で歩いていた紳士が俺の腰にあるケーキナイフにぶつかって、バランスを崩してしまった。
俺は芸術品のように縞麗なケーキが倒れていくのを見ているしかなかった。
「あっ!俺が苦労して見つけたココナッツとサクランボとホワイトチョコレートのケーキ......」
「シフォン」
俺の前を歩いていたボランは俺の声を聞いて振り返った。その目はまるで甘い物で大騒ぎする子どもを見ているような目つきだった。
俺は悔しくて口を尖らせたけど、 声を抑えて、もう片方の手で持っているケーキを頬張った。
ボランは礼服を着た貴族の間を縫って歩いた、まるで海神の手にあるトライデントのように、人波は彼を避けて左右に縞麗に分かれた。
この舞踏会は、彼が史上最年少の侯爵爵位獲得者となったことをお祝いするために行われたもので、その場にいた人々は彼に熱い視線、祝福と羨望を送っていた。彼は驕ることも卑屈になる事もなく、ただ自然に煌びやかなダンスホールを歩いていた。まるで自分の家の浴室から寝室に向かって歩いているかのよう。
彼が所調愛情のためにヘラヘラと笑っている様子を見ていなかったら、俺でも今の落ち着いている彼に編されていただろう。
俺がボランの呼びかけに応じて召喚された時、彼は姫様、つまり彼の婚約者との初対面を終えたばかりだった。
俺は窓辺に座って、暖かい黄色の光で覆われた彼の後ろ姿を見つめて、呼び出されたのに徹底的に無視されている事に対して腕を組んで拗ねていた。
俺の御侍様は、姫様のドレスから落ちてきた小さなリボンを手に持っていた。まるで階段でガラスの靴を拾ったかのように、口角を上げていた。
アホみたい。
両手で頬杖をついて、彼の手の中にあるピンクの装飾をじっと見つめていると、なんだか胸がざわついた。
「姫様のように身分の高い人が、どうしてそんなに壊れやすいドレスを着ているんだ?」
「例え服の作りが粗くても、姫の高貴な身分には影響しない。それに、これこそが彼女と花園にある艶やかだが実のない花たちとの違いだ」
ボランはそのリボンを精巧で締麗な木箱に入れ、その木箱を更に堅固な箱入れ鍵を掛けた。
ああ、知らない人が見たら、この中には一体どんな高価な物が入っているのかと思われるだろう。
「彼女は礼服や宝石などで装飾する必要はない、そこに立っているだけで良い」
神よ、彼の話からすると、姫様はなんと美しいのだろうな!
フォークをくわえて、姫様の姿を想像しながら、ボランについて人の群れの中を歩いた。
「ほら、ボラン侯爵が主催する舞踏会でも姫様は呼べない」
「呼べないのではなく、姫様は一生人前に出られないのかもしれませんね」
「姫様はそんなにも醜いのですか?」
「どこで聞いたんだ?」
舞踏会が終わって、ボランがコートを脱いでる途中、急に手を止めて俺に聞いてきた。
彼の口調は少し不快感がこもっていた。気立てが良く優しいボランがこのように感情を出す事は少ない。そのため、 俺はすぐに反応ができず、ぼんやりと舞踏会で聞いた噂をもう一度彼に伝えた。
彼らは姫様が生まれながらに醜いと言っていた、だから人前で顔を出さないと。国家レベルの大きな催しだとしても、 ベールを被って出席する。
だけど、ボランは姫様は美人だと言っていた。
「だから、姫様は本当は美しいのか?それとも醜いのか?俺はもうわからなくなった......」
「シフォン、美醜などの乏しい形容詞で女性を決めつけるのは、卑劣な行為であると覚えておきなさい」
「えっ?はい、わかった、ごめんなさい......でも、俺はまだ姫様を見たことがないから、本当に気になっちゃって......」
「美醜に対する定義は人それぞれだ、しかも人間そのものは視覚情報に編されやすい。マッハバンド、ヘリング錯視が一番良い例だ」
「何?何?マッハ、ヘリング?何の事?」
ボランの言葉は難し過ぎて、訳が分からなくて俺にとっては言っていないと同じだった。
「焦るな、後からゆっくり勉強すればいい、今はただ......」
彼は笑いながら俺に近づき、手を伸ばして俺の髪を撫でた。
「姫様は深窓の令嬢だ。しかし天下を心に抱いていて、そんな彼女を私は慕っている。だから、彼女は私の心の中で一番美しい」
Ⅱ.和戦
ぐるぐる巻きにされた将軍を見て、俺は急に怖くなった。
初めて戦場に行った。ボランの口車に乗せられて調子に乗らなかったら、きっと夜中に敵軍に潜り込んで、将軍を捕まえて帰ってくる発想なんて思いつかなかった。
ボランの奴もホント、この歳で侯爵になっただけでもう凄いのに、どうして爵位を上げたいがために、戦場に来て自分の面倒を増やしてるんだ……いや俺に迷惑をかけてまで!
「彼をどうするつもり?これが戦争だってのはわかってるけど、まさかまだ開戦初日なのに、もう殺しをしようと……」
ボランは俺の近くに来て、肩を優しく叩いた。その優雅な姿は舞踏会で歩いている時と何ら変わりはなかった。
「これは王室特製の美酒です。外部には出回らない物ですが、貴方のような豪傑のためなら、前例を破っておかなければ」
彼は箱から酒を一本出して、瓶の栓をこじ開けるためのオープナーを手のひらに載せて、将軍の目の前に差し出した。
「万物には二つの面があります。鋭い面は外部や敵に向け、柔らかな面は内部や友達に向ける。どの面を使うのかは貴方次第ですよ」
「降伏して欲しいのか?」
「いや」
彼はオープナーを握って将軍に向かって振った。
「握手して講和を結びましょう」
鋭い刃でロープが切られた。将軍は解放された両手を見てから、無防備で顔色ひとつ変えないボランを見て、突然大きな声で笑い出した。
耳をつんざくその笑い声、俺は手を上げて耳を押さえようとしたが、彼にぐっと腕を引っ張られた。
「俺を縛ってくれたこいつと飲ませろ!お前の言う"和"とやらで俺が納得するかどうか聞いてやろうじゃないか!」
「えっ?!」
その大きな手は蟹のハサミみたいで、そこから抜ける事は出来なかった。俺は仕方なく彼に引っ張られて汚い床に座って、貴重な美酒を白湯のように飲んでいるのを眺めた。
グラスを持って戦々恐々としていた俺は、床に座るボランの方を見た。口を開こうとしたが、あの将軍にグラスの底を支えられて酒を飲まされた。
そして、寝た。
別にお酒に弱い訳じゃない、ただ敵地に乗り込んで将軍を捕まえるのは簡単な事じゃないから、疲れて眠ってしまったんだ、決して酔ったからではない!
「はいはい、貴方は帝国一の酒量を誇る食霊だ!今回戦わずに勝てたのは、貴方のおかげだ!」
目をこすってから、獣皮のコートを受け取って肩に掛けたあと、不思議そうにボランを見た。
「彼は撤退に同意したのか?そんなまさか、彼は明らかに好戦的なタイプだった、彼が持っていたナイフは見た?柄の模様は全部擦れてほぼなくなってた。何回抜いたらそうなるのかわからない……」
「兵を引いたのは、彼が戦争に参加するのは他人のためであって、自分のためではないからだ」
ボランがテント張っている一角から、祭りの時のように賑やかな景色が見えた。
ボランは、敵軍が侵攻してきたのは、異常気象のせいで食糧が足りなかった事が原因だと言った。帝国と貿易するつもりだったが、悪徳な官僚によって高い関税を言い渡された上に、国民から敬愛されている大使を侮辱されたと言う。
これが戦争の引き金となった。全て調べがついているボランは昨夜将軍に約束した。彼が撤退すれば、必ず関税を半分減らし、その悪徳官僚の頭を抑えて、大使に謝罪させると。
将軍も国民が戦争で苦しんで欲しくなかったから、ボランの人となりを信じてそれに同意した。
戦争が中止になった今、昨日まで真っ向から対立していた両軍は、肩を組んでパーティーの準備をしている、なんだか夢のようだ。
この夢のような現実の中、ボランの優雅で優しい声が聴こえてきた。
「シフォン、貴方もあの将軍のように、自分のためではなく、他人のために戦うべきだ」
「あなたのお姫様のためにしているように?」
「私の半分さえ出来ていれば十分だ」
どうしてか、急にボランの笑顔が少し苦しそうに見えた。
深く追究する前に、酒と肉を楽しんでいた兵士たちによって俺はテントから引っ張り出されてしまった。
彼らの輪の中に押し込まれて、烈火を囲んで滑稽なステップを踏んだ。美しさに欠けた笑い声の中、額の汗は髪の毛を伝って火の中に飛んだ、寒い辺境で騒がしい音を響かせた。
空に焦がすような炎の中、俺は遠く満天の星が広がる方を見て、そして座っているボランを見た。
「ボラン、どうして一緒に踊らないの?」
「体力を残して、後で酔って倒れた貴方をテントに連れて帰らないといけないから」
クソッ、また俺をからかって!
顔が焼けるように赤くなっているのを感じて、俺は怒りながら顔を背け、俺の顔の汗を拭こうとしている彼を止めた。
「わかった、もうからかわない。はい、これは姫様からのプレゼントだ」
「アコーディオン、簡単には演奏できない代物だ」
「これぐらい、どうって事ないぜ!」
俺は興奮してアコーディオンを抱きしめた。鍵盤を押しながら、試しに演奏してみた。宏大な音が冷たい金属を突き破って耳に飛び込んできて、光明を呼び覚ますまで演奏した。
「素敵な音!姫様世界一!世界で一番美しい!」
Ⅲ.苦楽
「おかしい!」
テーブルの上に突っ伏して、あの時の自分の天真爛漫な発言を反芻しながら、目の前の分厚い本や楽譜を睨んだ。頬はまるでリスのようにパンパンになろうとしていた。
「シフォンーー」
ボランはわざと語尾を伸ばして俺を呼んだが、俺は彼を容赦なく振り切った。
「彼女がアコーディオンをくれたのは、俺になんかの食霊大会に出て欲しいからだ!こんなにいっぱい先生を呼んできて、毎日授業授業授業!俺は授業が嫌いだ、遊びに行きたい!」
興奮しすぎて、俺はうっかり足元に重ねてあった楽譜を蹴ってしまった。その瞬間、白紙は冬の雪のように部屋に舞い散った。俺はしゃがんで一枚の楽譜の下に隠れて、後でボランにそんなに怒られない事を祈った。
だけど、全部俺のせいではない。戦場から帰ると、家の中には白ひげのおじいさんがいっぱいいて、お菓子を食べる時間さえない。授業が次から次へと続いて、このままだと、素敵な音楽さえも聴くに堪えない物になってしまう。
俺も姫様は俺のためを思ってこんな手配をしてくれた事を知ってる。あのなんちゃら大会で良い順位を取るのも誇らしい事だし、俺もボコボコにされて帰りたくない。
でも、俺は賢いし、授業をこんなにいっぱい受ける必要はない!
考えれば考えるほど悔しくなってきて、唇を噛み締めて拳を握った。
ダメだ、今回こそ何があっても抵抗してやろう!例えボランに嫌われても、家を追い出されて路頭に迷って、野良猫と食事を取り合っても、このまま妥協しちゃいけない!
「わかった、遊びに連れて行ってあげよう」
「フンッ、大丈夫、俺は一人でも生きていける……あれ?ちょっと待って、今なんて?遊びに行く?授業は?受けなくていいのか?」
「問題ない」
ボランは俺の頭の上にあった楽譜を取ってくれた。
「他人のためだけでなく、自分の事も考えないと」
彼が軍営で話していた事と違った。
つもり、ボランは今やっと気づいたのだ、姫様の事ばかり考えてはいけないと。
という事は、彼はそこまで姫様が好きじゃないって事?
戦場から凱旋した後、姫様に会いに行った帰り、表情はいつもなんだか晴れないでいた。
彼らは、俺のせいで喧嘩してないよね?
「でも、姫様にはどう……」
「私が彼女に説明する」
ボランは俺の後ろに回って、俺を押して家から出た。
彼は、今の俺は彼の子どもの頃と同じで、一日中部屋に閉じこもって勉強したり、剣の練習をしたり、自由がなくて、楽しみがないと言った。
彼は俺に楽しそうにして欲しい。
ボランが買ってくれたアイスクリームを食べながら、こんな事で姫様を嫌いにならないと、これからはなるべく真面目に授業を受けると約束した。
本当の事を言うと、ボランが俺を連れ出さなくても、アイスクリームを奢らなくても、俺は姫様の事を嫌いになったりしない。何しろボランの婚約者だから、そして彼女は俺にアコーディオンをプレゼントしてくれた。
それに、嫌な授業は全部逃げられるし、何ら問題はない。
満足げにシュークリームを頬張りながら応接室に入ると、そこにいるべき筈の白ひげのおじいさんはなんと白髪の青年になっていた。
「魔、魔法?」
「えっ?えっと……こんにちは、ムースケーキと申します。これからは毎日貴方と共に勉強する事になりました。はい、毎日です。待ってください、どこに行くんですか?」
「ボラン!前言撤回する!シュークリームは返す、俺をここから出して!」
Ⅳ.赤黒
「行こうぜ!」
「しかし、今日の授業はまだ……」
ムースを馬車に押し込んで、勉強しようという彼の小言を阻止するため、俺は生涯で一番速いスピードで放送を剥がして、棒付きの飴を彼の口の中に突っ込んだ。
「俺が授業を受けているかを監督するのは任務だ、だけど姫様の代わりに晩餐会に参加するのもあなたの役目だろう!」
「うっ!いえ……僕は貴方を監督しに来たのではなく、僕は……」
「俺の監督じゃなかったら誰の?もしかしてボランを監督しに来たのか?」
ムースは突然黙り込んだ。彼は飴をくわえているのに眉をひそめていた。自分が隠し持っていた飴が劣化してまずくなったんじゃないかと疑った。
急いで自分の分を用意して口に入れたけど、うん、結構美味しい。
「姫様は僕にこういった物を食べさせてくれません、歯を悪くするので」
「一つぐらいなら食べても問題ないだろ!何でもかんでも姫様の言うことを聞いちゃダメだ、自分のために生きろ!」
「自分のため?」
ムースは飴をくわえながら、ぶつぶつと俺の言葉を何度も繰り返した。このボーッとした様子から、食霊大会十連勝した人物だとは思えない。
「ところで、どうして姫様は自分で晩餐会に参加しないで、あなたに代わりに出席させるんだ?」
「姫様は、彼女は、少し体が不自由なので」
人が多いところに着くと、ムースは黙り込んだ。
彼が俯いているから、襟にはめ込まれたルビーは光が当たらず輝きを失い、憂鬱そうに見えた。
これはムースが話を続けたくないという合図なのはわかっていた、だからそれ以上聞かず、皿を取ってケーキを取りに行った。
「またムースケーキが姫の代わりに出席していますわ」
「まったく、はぁ、私も姫の顔がどれぐらい醜いのか気になってきましたわ」
「残念、ボラン公爵のような素敵な殿方が娘の婚約者だったら良かったのに」
「残念だなんて、権勢のために醜い女を娶ろうとしている偽善者なんて、こちらからお断りするわ」
「デタラメ言うな!ボランはあなたたちが言うような人じゃない!ボランの地位は全部自分で勝ち取った物!彼の姫様への思いは本物だ!姫も醜くない、彼女はとても綺麗、とても綺麗だ!」
ケーキを飲み込む暇もなく、急いで女性二人の話に反論した。
彼女たちはまったくボランと姫様の事を知らないのに、どうしてデタラメを言って、中傷する事が出来るんだ?
酷すぎる!
「酷すぎるわ!公爵夫人に向かってなんという無礼を!」
「神よ、公爵夫人、貴方様のドレス!」
怒りのピークが過ぎ、クリームとケーキの屑まみれになった公爵夫人を見て、俺は自分がやっちゃっている事に気付いた。
「ごめんなさい……」
「謝るべき相手は私ではない」
何日ぶりに会ったボランは馬車の中に座っていて、笑顔はまったくなかった。
彼のこんな態度が一番堪える。
「でも、あなたと姫様の事をあんなに言われて、本当に腹が立ったんだ……」
「尚更謝る必要はないよ」
「謝るなら、まず彼女が先にあなたと姫様に謝るべきだ、その後に俺が……えっ?謝らなくて、いいの?」
ボランは馬車を軽く叩いて、外の車夫に公爵の荘園に行く必要がないと言い、引き返した。
わからない。公爵夫人に謝りに行くために彼は仕事を放り出してわざわざ帰ってきたのに。
ちらっと彼を盗み見したら、まだ厳しい顔をしていたけど、今はとても機嫌が良さそうだった。
「シフォン、ありがとう」
どういう意味だ?
「私の代わりに姫様の名誉を守ってくれて、ありがとう」
「えっ?えへへ、これぐらいどうってことないぜ!あなたたちの悪口を言う奴がいたら、またやっつけてやる!」
「でも、これからはもう二度とこんな事は起きないよ」
「えっ?どうして?」
「秘密だ」
「なんで!ずるい!ダメだ!教えてよ!俺にも教えて!」
「わかったわかった、揺らさないで……」
「魔法だ」
ボランは窓の外を眺めながら、自分の恋人を見ているような温かい表情を浮かべた。
「私は愛する人のために、魔法を勉強している」
Ⅴ.シフォンケーキ
chiffon、シフォン、ふわっとした柔らかいもの、または絹モスリンを意味する。
この名前のせいか分からないが、シフォンケーキは長い間、貴族や庶民からは顔が良いだけの人だと思われていた。
華やかな舞踏会を彩る以外、何の役にも立たない。
しかし、シフォンケーキは嫉妬から軽蔑へと変化した視線に気付く事はなかった。彼には立派な御侍がいて、常に彼の半歩先を歩き、彼のために流言や中傷を遮ってあげていた。シフォンケーキはこのように守られながら憂いなく成長してきた。
広いダンスホールで何の理由もなく後ろからぶつかってくる訳がない事を彼も知っている、ただ相手も急いでケーキを取りに行っているから周りが見えていないんだと彼は認識している。
彼は無邪気で単純だが、バカではない。
戦場や本で学んだ経験と知識を全て食霊大会で駆使し、彼は友人のムースケーキの後ろを追いかけるように、各試合で上位に食い込んでいた。
彼は拍手を勝ち取って、ボランに花を持たせたかった。
「パエリア!俺にダンスを教える度胸はあるか?次の試合で絶対勝ってやるぜ!」
「偉そうに。あたしみたいに脚を開いて、腰を反らして。そう、そうよ」
「フンッ、これぐらいどうって事ない……えっ、待って!腰!俺の腰!死んじゃう死んじゃう、助けて!ムース、動けない!」
このようなハプニングもたまにあるが。
でも、シフォンケーキはボランが望んでいるように、他人のために、自分のために、楽しく生きていた。
ある日までは。
その日、最初の授業が始まる前、シフォンケーキはこっそりと館を抜け出した。
授業をサボる事にはもう慣れていた彼は、いつものように舞踏会にお邪魔してケーキを食べに行かず、昨夜急にいなくなったムースケーキを探しに行った。
ムースケーキは彼の一番仲のいい友人だ。友人を助けるためなら、シフォンケーキはどんな代償も厭わない。
ムースケーキを見つける過程は、彼が思っていた程大変なものではなかった。一先ず見つける事が出来て良かった。ムースケーキを見つけただけでなく、パエリアの疑問に答えてくれるロックさんも見つける事が出来た。
シフォンケーキは嬉しそうにムースケーキを連れてお酒を飲みに行ったが、酒場で寝落ちてしまい、目覚めたら既に次の日になっていた。
彼はムースケーキによってホテルの部屋に置いて行かれて、靴下を穿きながら、口を尖らせて親友が最後まで付き合ってくれなかった事への文句をぶつぶつと言っていた。
彼が旅館を後にし、名もない歌を口ずさみながら帰宅した。バタバタと跳ねながら静かな廊下を走り、ボランの書斎のドアを開けた。
しかし、ボランはもう優しい笑顔で彼を迎えたりできなかった。
彼は床に横たわっており、心臓にはルビーがはめ込まれているナイフが刺さっていた。
シフォンケーキはその宝石を知っていた。とても貴重な天然ルビー、またの名をピジョンブラッドと言う。王室の貴族以外、世には滅多に出回らない代物だった。
彼もムースケーキの襟元でしか見たことがなかった。
大丈夫、シフォンケーキ。
彼は自分の目を抑え、体の震えと痙攣を和らげようとして大きく息を吸った。
ムースケーキはボランが自分にとってどれほど重要なのかを知っているのに、何らかの馬鹿げた理由で彼を殺した。
ムースケーキはもう自分の友達ではない。
ボランの仇を討つ。
シフォンケーキは唇を噛み、血の混じった苦しい嗚咽を飲み込んだ。
これぐらい、どうって事ないぜ。
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