アールグレイ・エピソード
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アールグレイのエピソード
アールグレイは現在世界で最も飲まれているフレーバーティーの一種である。イギリス式アフタヌーンティーの定番でもある。ベルガモットの柑橘系の香りを付けた紅茶。名前の由来は1830年代のイギリス首相チャールズ・グレイに由来すると言われている。
Ⅰ.神恩軍
法典程に分厚い書類が長いテーブルの上に叩きつけられた。広い刑務所の中、カビの匂いと鈍い音が広がった。
潔くサインした事で、その不器用な指揮者が徹慢な笑みを見せる前に口角は下げられてしまった。
「ちゃんと考えたのか?」
「いつまでも亡霊の声が響く荒れ果てた土地を指しているのでしたら......私の答えは勿論です」
「よく考えろ。あの土地を差し出すという事は、お前が自分の爵位を差し出す事に同意し、庶民に成り下がるという事だ」
「それは......喜ばしい事ではないのですか?」
兵士は少しガッカリしているように見えた。勝利の甘美を噛みしめようとした寸前、神が手を振るって、瞬く間に世界に美しい平和をもたらしたかのように。
「賛沢な生活を捨てて、わざわざ貧乏人になろうとするなんてな......間抜けだ」
拳で私の顔を殴ろうとしている恨めしい表情を見て、私は思わず静かな刑務所に響き渡るような笑い声を上げそうになった。
ハエは手元にある銅のコップに落ち、冷たい水の中で死んだ。虚無の魂が地獄の天井に飛んだ後、ジメジメとした石壁にくっつき動けなくなっている様子を見ていたら、どうしてか温かく澄んだ紅茶が恋しくなった。
「あらぬ罪を哀れなハバード伯爵に着せる事は、出来なくはないですが......」
山のようにどっしりとした兵士は、 大きな体を異常な速度で動かし私の方に振り向いた。戦場で鍛えられた冷たい視線はまるで私の魂を刺す程に鋭かった。
「条件は?好きに言え」
「では、紅茶を一杯お願い出来ますか?」
「この野郎!俺をバカにしてんのか!」
「バレてしまいましたか?」
荒っぽい拳は激しい風を伴って襲ってきて、軍靴を履いた足はテーブルを蹴り飛ばし、水と書類をひっくり返した。
私はそれらを避け、兵士の眉間に杖を当てた。
「本日より伯爵の身分ではなくなるが、依然として私は紳士です。どうか礼節を持って私に接してください......」
氷のような目に私の顔が映っていた。 私は急いで杖を下ろし、自分の乱れた髪を整えた。その後目を細め、彼の眉間に目立つ赤い印をつけてしまった事に対し、 申し訳なさそうに微笑んだ。
「おや、大変失礼致しました」
「アールグレイ」
「これはこれは、聖女様ではないですか」
久しぶりに太陽の下に立った私は聖女に向かって一礼をした。まるで彼女の目に浮かぶ不満に気付いていないかのように。
「ハバード伯爵の事は、 申し訳ありませんでした」
「謝罪は必要ありませんよ、 先程紅茶一杯のために私は彼を売ろうとしていましたし......」
「もし本当にその気があるのでしたら、そんなに長く牢屋にいる必要はなかったでしょう......ハバード伯爵が迫害された証拠を集める以外に、あなたが大人しく逮捕された理由が浮かびません」
彼女は私に向かって左手を差し出した、 指の間からオリーブの香りが微かに香ってきた。
「アールグレイ、あなたはわたしよりもよく知っているはずです。 たった一人で神恩理会を崩すのは難しいと......わたしたちの仲間になってください。 神恩軍全てがあなたの後ろ盾になる事を保証します」
はあ......
聖女の純粋で強初な眼差しを前にして、投降する以外他に出来る事なんてあるのだろうか?
私は少しだけ身を屈め、舞踏会での冷たくも親し過ぎてもいない姿勢で、彼女の指先を手で取った。
「貴方の望むままに」
Ⅱ.黒霧
「うー今日は寒すぎます!」
「おや、雪が降るのを毎日楽しみにして、雪だるまを作ろうとしていたのはどこの誰ですか?今は小動物のように縮こまっているとは」
「だって、この雪が突然すぎたんですよ!」
窓を閉めて、ストーブの前にうずくまっているメープルシロップを見た。前髪が焦げて彼女が涙目になるところが見れないかと密かに期待した。
「以前に比べて、邪教徒の数や活動頻度はかなり減っています。わたしたちの抑制はきちんと効いているようです」
「これは偉大なる聖女様のおかげです」
「お世辞はいりません……これを見てください」
「光栄です」
報告を受けて——この弱そうな女の子は確かに感心させられる行動様式と能力を持っています。
しかしわたしがそう褒めていると、彼女はいつも眉をひそめて、少し嫌な目つきで私の誠実な微笑を掃きました。
せっかくの真心なのに。
案の定、次の秒、ドーナツが眉をひそめた。
「ですが最近グルイラオの境で、またその動きを見つけました」
それは……
この冬は落ち着かないかもしれません。
「現場で確認する必要があると思います。アールグレイ、どう思いますか?」
「英知、さすが神恩軍の頼もしい軍長様」
「……今から人手を手配します」
「えっと――?私も行きます」
「あら、これは残念です」
「もったいない?アールグレイ、また何か悪知恵を考えていますか?」
「ふふ、ストーブのことを残念に思っているだけです」
イヴァンカスの森。
日暮れ近くになると、雪はますます深くなり、目の前の深い森を見て、私たちは慎重に厚い雪の中を歩いていた。
遠くから突然何度か甲高い雁の鳴き声がして、空には十字の光が見えた。
混乱した殴り合いの声が響き、その間には懐かしい邪悪な雰囲気が入り混じっていた。
遠くに黒い霧が立ちこめていて、その中に人影が見えた。
堕神の気配はより強くなり、混沌とした黒い霧の中に血生臭い匂いが入り混じっていた。怪我をした人がいるようだ。
この時、あの黒い霧は急に何かを察知したように、意識的にもっと深い場所へと逃げて行った。素早い動作で冷たい風を巻き起こした。
寒風が吹きすさぶ枯れ枝と落葉の中で、司教服を着た人が雪の上に満身創痍で倒れているのが見えた。霊力が彼の傷口からゆっくりと流れ出ていた。
「ねぇ!目を覚ましてください、大丈夫ですか?わー!ひどい怪我です!」
「周りを見に行ってきます」
「行かないでください……危ないです……」
ドーナツが話し終えた途端、その人は弱弱しい声で口を開いた。
「貴方たちはそれに対処できません」
「このまま逃がしてはいけません、これは良いチャンスです」
「ドーナツ、人を救う方が大事です。先に撤退しましょう」
私もこのチャンスを逃したくありませんが、目の前の男性こそ警告そのものだった。
深入りし続けるのは危険しかないと。
黒い霧は広々とした雪の中に存在していて、極めて場違いだった。しかし、向かうところ敵なし、誰もそれを遮る事が出来ず、吹雪と共に、最後には暗い森の深いところに消えてしまった。
Ⅲ.思い出
私たちが偶然助けたのは、プレッツェルという食霊だった。
彼はオルト帝国の法王庁から、任務を遂行するために邪神を追跡してここまでやってきて、怪我をしたそうだ。
「つまり、それはグルイラオにだけ出現している訳ではないという事ですね。つまり消えている間は、他の地域に逃げ込んでいるという事ですか……」
「この可能性は否定できません。法王庁の調査によると、それは実体を持たない可能性もあるそうです」
「実体を持たない……ということは、それはより意識に近い存在ということでしょうか?」
「聡明ですね」
「お褒めの言葉感謝致します。プレッツェルさん、それに侵食されなかった貴方も、私が思っていたより強いですね。数えきれない程の食霊と人間が、それに侵食された後堕化していますからね」
「貴方たちがすぐ来てくれたからです。しかも、それは今弱っています。さもなくば、私はまったく歯が立たなかったでしょう」
「弱っている状態でこのような威力があるのなら、回復したとしたら……」
これは、想像もできない。
部屋を出ると、道端の雪を照らす淡い金色を見ながら、疲れたように笑顔を収めた。
大理石の広々とした廊下は、ロウソクが立ったシャンデリアに照らされ、真っすぐ先まで伸びていた。
精巧な神像は静かに中央に立っていて、神聖で厳かだ。
懐かしいこの場所に帰って来て、心の中に突然
神恩は、最初に二人の創始者が一緒に合意して作り上げたものだ。彼らはティアラ神を信奉していた。食霊は神から与えられた福音と信じていた。
しかし全ての人に福音を得る資格があるというわけではない。
例えば神恩の中の平凡で無為な貴族らは、高級な休憩室でたった一杯のワインを掲げるだけで、一日中議論することが出来る。
彼らは親切で友好を装い、ただ偽りの言葉をお互い交わしているだけ。
私も一杯のアフタヌーンティーの時間を犠牲にして、彼らが自分の可哀相な学識をひけらかすのを聞きに行きたくない。
ハバードのように、ドーナツの御侍と共に「神恩」という名前を決めるだけで一晩中議論した幼稚な行動を面白がる方がましだ。
少し疲れた目をこすって、気を取り直して最後の巻物を開けた。
「ミサ聖堂児童失踪事件」
この大きな字が突然目の前に飛び込んできて、私はしばらく意識が飛んだ。
ミサ教会。
そこは私とシュトレンが知り合った場所です。
雨夜の中で恐怖に震えていた、善良で意志の強いシュトレン。
邪道の書籍、毒を盛った器具、子どもの死体を隠した地下室、生贄を捧げるための聖堂。
場面の一つ一つが脳裏に浮かんだ。
生贄を捧げるための聖堂……この場面が過ぎった瞬間、何かの記憶がよみがえった……
司教の行いが見破られた時、聖堂の中も淡い黒い霧が漂っていた……
まさか……
壊れたミサ教会は冷たい月光の下黙然と立っていた。
粉塵に覆われた門を押し開け、私はこの聖堂を観察し始めた。最後に宣教台の下で、秘密のスイッチを見つけた。
地面の下には、底の見えない深い黒い穴が隠されていた。
間違いなく、他の邪教徒の儀式に出てくる穴と同じ物だった。
あの主教が信奉していた神は邪神だったのか。
主教は子どもたちを生贄にして、更には食霊の力を利用し次第に強くさせた。
事件が露見した後、それはあちこち逃げ回り、更に多くの信徒と力を吸収した。
この戦いは長く続きそうだ……
敵は堕神だけではない。
「神恩理会の人を信じてはいけません。彼らはもう買収されています。彼らは自分の地位と金銭にしか興味はありません」
「神恩理会の最初の理念を貫いて欲しい。この身分の制限を受けずにやりたいことをしてくれ」
ハバードの言葉はまた耳に響いた。
これが、私が離れる事を選んだ理由です。
例えかつて持っていた地位と権力を失う事になったとしても。
私は後悔しない、この身分が既にある種の束縛になった以上、この茨の束縛を切り裂かなければならない。
勝者は、王冠でしか証明できない訳ではない。
Ⅳ.訪問
目の前にオリーブの枝を差し出され、手に取らない理由はない。
強い仲間を持つことは、悪いことではない。
まして今の神恩軍には神恩理会からの見えない弾圧があり、外部の力を借りる必要があった。
羽ばたいて飛ぶ鳥のように、追い風があればもっと遠くまで飛べる。
だから、プレッツェルの紹介と私の誘導のもとで、神恩軍と法王庁の関係は密接になってきた。
私たちの協力は神様の指示を守るだけではなく、堕神が蔓延る世界にあるべき平和と安定をもたらすためでもある。
「食霊の存在はティアラが人間に与えた福音です、共に善と愛を人間に伝えましょう」
突然止まった馬車によって、私は我に返った。
眼前に広がるまったく違った景色によって目的地の帝国連邦に着いた事に気付きました。
「ここは綺麗ですね!シュトレン、あそこはとても楽しそうです!早く行ってみましょう!」
「メープルシロップ走らないで。転ばないように気をつけてください」
「……騒ぎすぎです」
車を降りて興奮して叫ぶメープルシロップと彼女に引っ張られて遠くに走っていくシュトレンを見て、私は笑顔でドーナツに向かって手を差し出した。
「なんですか?」
「彼女たちと遊びに行きたいなら、手荷物を私に預けてください」
「そんな事は……」
「そうですか?貴方の目には子どものような純粋さと渇望が見え隠れしていますよ……うっ!」
「あなたの目は節穴ですか!」
幸いにも雪が積もっていて、ドーナツに足蹴にされても、私の膝の上には雪がつくだけだった。
すぐにドーナツの歩みに追いついた、軍団長様が手を焼くような社交場は私のホームだ。
濃厚で芳しい酒の香りが広がり、まるで形のない繊細な手のように、私を揺らした。
「アールグレイ、お前が少し羨ましい。そんなに自由に過ごす事が出来て」
「俺は少しでも怠けると、どっかの怖い女に叱られる……爵位を捨てたのは賢明な選択だ」
その食霊帝王は伝説で言われている程恐ろしい人ではなかった。むしろ……予想よりだらしない。
彼はソファーに横になって、全く酔っていない目を開けて、意味不明の視線を私に投げた。
勿論、噂で言われているように無知で愚かでもない。
「陛下は誤解しております」
私は笑いながら彼に向かってグラスを持ち上げた。彼が美酒を飲み干した後、口元のお酒をグッと拭うのを待った。
「果てのない自由は、虚妄に過ぎません。今の私は神恩軍の中にいる、職責もあり、何にも縛られていないとは言えません」
「爵位を捨てたのも、思慮深い謀略からではなく、私の御侍の名誉を守る点を除けば、この世の中でほんの少しの楽しみを求めようとしたからです」
「ほお?楽しみとな?」
「陛下に興味があれば……いつかお話いたしましょう」
「なら、とりあえずその日が来るのを楽しみにしていよう」
Ⅴ.アールグレイ
馬車は穏やかに走っている。両側の景色は少しずつ遠ざかっていく。
「ああ……どうしてこんなに早く出発するんですか……まだ遊び足りてないです……離れがたいですよううう……」
メープルシロップは名残惜しそうに出窓に張り付き、外を見ていた。
「心配しないでください。また来る機会はありますよ」
「うぅ!」
メープルシロップは思い切ってシュトレンの懐に飛び込み、『悲しくてたまらない』という表情を浮かべていた。
「ローストターキー殿下の王宮の蔵書まだ読み切っていないのが残念だ……」
両腕を組んでいたモンブランは、珍しくボソッと声を漏らした。
「なんだか、全員ここが気に入ったみたいですね。協力するという道を選んで正解でした」
アールグレイは気だるげに柔らかな座席に寄りかかり、微笑みながら彼らを見ていた。
メープルシロップは頬を膨らませ、目には失望が浮かんでいた。
突然彼女は何かで頭を軽く叩かれたと感じた、顔を上げるとアールグレイの手には一通の精巧な手紙があった。
「これは何だと思いますか?」
「うっ……ティアラ創世日祭典の……招待状?!」
「ま、まさか――またすぐに来られるんですか!?」
「勿論です」
「やったー!」
「メープルシロップ落ち着いてください。馬車がひっくり返されそうです」
笑い声が遠くなるにつれて、旅路の疲れと眠気が一気に一行を襲った。
「ダダダダーー」
馬の蹄の音が小道について、軽快で穏やか。
アールグレイは無言でメープルシロップから落ちた毛布を掛け直し、静かにカーテンを開けた。
遠くの静かな山脈を眺めながら、飛鳥は夕陽の中で翼を振るって、アールグレイの思考を連れていった。
彼は突然、あの時自分の全てを捨て、神恩理会から離れた事を幸いだと思った。もしそうしなかったら、彼は永遠に今に値する何かを得る事が出来なかったかもしれない。
先に未知なる危険があっても、共に戦う仲間が傍にいれば恐れる必要はない。
そして、彼には十分な自信もあった。
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