きつねうどん・エピソード
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きつねうどんのエピソード
神社の神官の特殊な陣法によって彼は閉じ込められていた。いなり寿司が彼を発見し、あの地獄から救い出すまで、彼の意識はずっと混沌の中にあった。そのため、彼はいなり寿司に対し、雛鳥が親鳥に抱いているような感情を持っている。いなり寿司の前では大人しくしているが、他の人の前では凶悪な顔つきになる。
Ⅰ 混沌
どんよりとした暗闇が広がっている。
少し離れた所には、手の届く光があった。
だけど、俺はどうしてもその僅かな光に触れられなかった。
形が出来て来ていた身体は霊力の流出によって崩れていく。俺は慌てて手を伸ばした……
ダメ……流れていかないで……
霊力がないと……
実体が作れない……
それだと……俺は俺の守るべき人を守れなくなる……
霊力が身体からどんどん流れていく感じが気持ち悪い。全ての力が四肢から抜けていく。
幻覚のような冷たさが、意識の中に広がっていく。
視線を移して、自分の手を見てみた……
だけど俺は忘れていた、手はもちろん、頭すら実体化出来ていない事に……
時間は少しずつ経っていく、どれぐらい経ったのかわからない。
目がないせいか、目を閉じることさえ出来ない。
目の前には、いつもと変わらない灰色しか見えない。
長い時間が俺を朦朧とさせた。
俺は一体、何のために存在しているんだ……
俺は本当に存在しているのか……
俺は……一体……何なんだ……
「良かったです神官様!私たちは本当に成功しました!守護神器の結界は本当に力を取り戻すことが出来ました!」
「しかし神官様……このままですと……神使いの彼は……」
「守護神器のために力をささげられることは栄誉な事だ!彼は守護神器のためにその身を捧げられる事を誇りに思うべきだ!」
「その通りです!」
静けさの中、その微かに聴こえる会話だけが際立っていた。
頭にはノリが詰まっているかのように、動かない。
俺にもわからない……
実体のない俺なんかに……頭があるのかどうか……
だけど、徐々に思考が鈍くなっていくのを感じた……
もうすぐ……完全に意識を失ってしまう……
自分が独立した個体であることを……
自分が、存在していた、事を……
Ⅱ 神様
「ゴロゴロ――」
大きな音が響いて来た事で、辛うじて意識を取り戻した。
しかしすぐに、世界は再び静けさを取り戻した。
再び意識が消散していく前、久しぶりに暑い何かを感じた。
これは……?
体に力が注がれる感覚?
もうどれぐらいこんな感覚を味わってこなかったのだろう。
金色の暖流が灰色の向こうからゆっくりと流れて来た。
指を動かして、その金色の光に触れてみようと思った。
……あれ?俺……に……指がある……
体は少しずつその温かな霊力で満たされていった。俺は初めて体が動く感覚を知った。
冷たい指先まで温められていく。
体は貪欲にその力を吸収した。俺の気づかないうちに銀色の力も呑み込んだ。
この力を覚えている。この力が俺自身の霊力を絶えず吸い取っていったんだ。
まだ完全に制御出来ない指は微かに震えていたけど、躊躇いながらも俺は振り返った。最初の頃みたいに、振り返らなくても全てが見えるわけじゃなくなって来た。
俺の視界は狭まってきた。そっとまばたきをすると、まばたきした瞬間、俺は完全な暗闇を感じ取れた。
どんよりとした灰色とは違って、安心できる暗闇だった。
再び目を開くと、目の前の灰色はなんと徐々に消えていった。
その灰色の奥にある光の中、俺を見上げて見ていた……神様がいた。
「主」の指先から流れて来ているものこそ、果てしない暗闇から俺を救ってくれた力だ。
気が付くと、俺は地上にいた。
長い間霊力を抜かれていた体はふらついていたから、彼の前で座り込むことしか出来なかった。
「うー」
「あら、本当に召喚できた」
神様はセンスで自分の唇を隠したけれど、弧を描く両目だけで美しい笑みを浮かべている事がわかる。
俺は踏ん張って、どうにか立ち上がろうとした。
だけど力が抜けた四肢は言うことを聞いてくれなかった。
この時、腕に感じた力によって体が支えられた。
「私が提供した霊力は実体を作り出す事しか出来ない。だけど、その結界から出れば、君は自分で霊力を練ることができるよね?」
ボーっと俺を支えてくれた神様を見て、頷いた。
「ふふっ、頷いてないで、試してみなさい」
彼の笑顔を見て、俺は我に返って、慌てて試し始めた。
濃厚な霊力が充満していた混沌とは違って、空気の中から吸い取れる霊力はとても薄かった。
だけど……
身体の中に取り込んだ霊力は……もうあの銀色の力に持っていかれなくなった。
俺は目を丸くして、目の前でニコニコしている神様の方を見た。
「ふふっ、正常に霊力を取り入れられたようね。自分の名前はわかるかな?」
「きつね……うどん……」
「あら、私と同じ、狐のようね」
神様の手は大きいとは言えないけど、温かくて、頭の上に置かれた時は、今までに一度も感じたことのない温かさを感じた。俺は目を細めずにはいられなかった。
「あら尻尾振っちゃって、犬みたいね」
「グルル……」
……クソッ、俺のしっぽはどうしてそんなに意気地なしだ!
グルル……でも、本当に気持ち良い……
Ⅲ 結界
いつも服をちゃんと着ないだらしないアイツから、俺の神様の名前は「いなり寿司」だって聞いた。
俺たちというのは、かつては「食霊」、今は「妖怪」と呼ばれている存在だって聞いた。
そして、俺たちを呼び出したヤツらは「人間」と呼ばれている。
まさに「人間」が、あんな忌々しい結界を作って、長い間俺を閉じ込めた。
ヤツらがいなかったら、俺はもっと早くいなり様にあえていたんだ。
いつも服をちゃんと着ない男は、俺もいなり様と同じ狐で、「主」は稲荷神で、俺の姿は「主」の神使だと言った。
「そうだ、きつねちゃん、どこに行きたい?大吟醸が送ってくれるらしいよ」
「どこも行かねぇ!貴方様の傍にいたい!貴方様の神使になる!」
いなり様は俺の話を聞いて呆気に取られたようだが、すぐに我に返った。
いなり様は扇子で俺のあごを持ち上げ、顔を近づけてきた。こんなに近くにいても、いなり様の顔から何か欠点を見付ける事は出来なかった。
いなり様は本当に完璧だ……
「本当に私の傍にいるつもり?稲荷山はつまらないよ」
「……うん!必ず貴方様を守る!」
「ええーーあちきの店にひとり増やそうと思っていたのに!」
「離れろ!!!いなり様の前でそんなだらしない恰好をするな!!!」
純米大吟醸が半歩下がったのを見てちょっと満足したけど、ヤツはわざとらしく自分の胸を抑えて怯えた顔をしていたからぶん殴りたくなった。
でも、ヤツがいなり様から離れてくれて、とっても嬉しい。
あの歯が痒くなるような軽薄な男は放っておいて、とにかく、それから俺は稲荷山に住んでいる。
稲荷山は静かだった、時々やってくるいなり様の邪魔をする人間が来なければもっと良かった。
ヤツらは稲荷様の敬虔な信徒だから、いなり様はヤツらの願いを叶えなきゃいけないんだ、とほざきやがって。
フンッ、求める事しかない恥知らずな人間共。
でも俺が自分の力を理解してからは、騒がしくなくなった。
かつて俺の霊力を奪い続けた銀色の力は俺の身体の中で渦巻いていたけど、それを転化する事でそれらは……俺の力になったみたいだ……
あの時の結界のような力……
霊力を媒介にして、手の中にある鍵から出てくる白い濃霧が稲荷山をすっぽり包み込んだ。
俺は山全体に俺が制御できる霧が広がっている事を感じた。
この切り刃結界みたいなもので、心の中でいなり様に敬意を払っていない人間を鳥居の外に遮断出来る。霧のあるところなら、他の生霊が侵入してきても、俺はすぐにわかる。
俺はついに、いなり様を守る力を得られた!
Ⅳ 稲荷山
結界が出来てから。
いなり様を煩わすものは少なくなっていった。俺の力も回復して、稲荷山に侵入した「怪物」もすぐさま処理できるようになった。
もう誰もいなり様を邪魔できない。
いなり様も時々、彼の過去の話を話してくれた。
たまにあの大吟醸とかいう男が、彼の従者の鯖を連れて、いなり様とお酒を飲みに来る事がある。
いなり様がヤツの持ってきた酒を楽しみにしていなかったら、絶対に稲荷山に入れたりしない。
ヤツはほかの人をイジメるのが大好きな軽薄な男で、いつも掴みどころのない笑みを浮かべている。
でも……ヤツはいなり様の友だちだ。
「き~つ~ね~ちゃん」
「……」
「どうしてそんなに冷たいでありんすか?あちきに会いたくなかったでありんすか?金平糖を持ってきんしたよ~」
「金平糖なんて食わねぇよ!!!……クソ、俺のしっぽを放せ!!!!!」
ヤツの手からしっぽを奪い返してから、目を見開いてニヤニヤと笑って今にも地面に転げそうな大吟醸を見た。
「九尾~お宅の子を見てくんなまし、いつも酷い事ばかり言ってくるでありんす」
「いつも彼をからかっているからでしょう、きつねうどんは本当は良い子だから」
「それはぬしにだけでありんす」
大吟醸のからかってくる視線を見て、いなり様の見えないところで白目を剥いてやった。
「きつねちゃん~あちきは冷やしたスイカが良いでありんす~」
「誰がお前なんかのためにスイカ持ってくるか!!!!!」
鳥居を出て階段の上に座っていたら、同じように鳥居の陰に座ってぼんやりしているヤツを見付けた。
鳥居の事をよく知っていなかったら、きっと影に隠れて息を潜んでいるコイツには気づかなかった。
「お前が鯖の一夜干しだろ!」
「……ああ」
「早くお前の主を連れて帰れ!いっつもいなり様に迷惑かけに来る!」
「……」
「お前は木かよ!」
「いや」
俺は三文字も喋らない目の前のヤツを見て、目を細めた。
どうしてやろうかと考えていたその時、霧から伝わって来た霊力の波動によって、俺の耳が立った。
俺が反応する前に、鳥居の影にいたアイツは先に立ち上がった。
「血生臭い」
波動を感じた方向に向かって走っていく鯖にあっけを取られたが、俺もすぐに追いかけた。
「この野郎!俺が先に気付いたのに!待て!!!!!」
Ⅴ きつねうどん
「バカ油揚げーーーー降りて来い!!!!」
「イヤ――イヤだーー」
純米大吟醸が酒の壺を持って悠々と鳥居を上っていると、いつも静かな稲荷山が少し騒がしかった。
首に包帯を巻いているたぬきそばは大吟醸に向かって笑顔で手を伸ばしていた。傷を負ったせいか、声は少し擦れていた。
「大吟醸様、いなり様からの伝言です。裏庭で飲みましょう、と」
「まだ傷が治っていないのに、出迎えご苦労でありんす~」
「大切なお客様が来ているので、勿論きちんと出迎えさせて頂きますよ」
純米大吟醸は鳥居のてっぺんに立っているふわふわなきつねの毛玉たちを見た。
「あた、彼らは油揚げです。兄弟四人とも怪我をしていた所、きつねうどんが野生の狐と間違えて拾ってきたのです」
純米大吟醸は何か思うところがあるような表情で眉を上げて頷いた。鳥居の上で腰に手をあてて喧嘩をしている双方をそれほど気にする事はなかった。
裏庭に行くと一年中咲き誇っている薄紅色の桜が風に吹かれて舞っていた、その様はまるで綺麗な絵巻のようだった。ただ木の下にいるはずの男はどこにも見当たらなかった。
「九尾は?」
「いなり様は入浴中だ、ちょっと待ってろ」
裏庭に駆けつけたきつねうどんは、相変わらず大吟醸ち良い顔を見せる事はなかった。
彼は大急ぎで部屋の方に走って行った。
「いなり様?いなり様?」
「入れ」
ふすまを開けたきつねうどんは、目を丸くして、真っ赤になった。
「いいいいいいいいいなり様――」
「ふふっ……どうしたの?初めてじゃないでしょう。信者の冥福を祈ったばかりだから、まだ転換していないだけ。さあ、服を着るのを手伝って」
顔も耳も真っ赤になっているきつねうどんは、顔を上げる勇気もなく、屏風に掛けられた上着を持ち上げ、いなり寿司に着せた。
彼が再び顔を上げた時には、いなり寿司は既に普段の青年の姿に戻っていた。しかしきつねうどんの顔の赤みはまだ消えない。
「大吟醸が来てます」
「……今日は早いね?とりあえず飲み物を用意して来て」
部屋から出たいなり寿司は、小走りで逃げていくきつねうどんの真っ赤な耳を見て、思わず笑いながら頭を横に振った。
お酒も大分回った頃、純米大吟醸は興味あり気に騒がしい声がする方へと目を向けていた。とりわけひとの心を読み取ることが得意ないなり寿司は、彼が口を開く前に彼の疑問に答えた。
「その様子だとわもう彼らの存在に慣れたようだな?」
いなり寿司は肩をすくめた。純米大吟醸の前にいる時だけは、他者から神と呼ばれているこの男も、肩の荷を下ろして過ごせる。
「九尾は賑やかなのを好まない筈では?そうでなければ、あちきの誘いを断る筈もないでありんす」
いなり寿司は眉を上げ、やりきれない顔をしている純米大吟醸を見て、お酒を注いであげた。
――世間一般の男が甘えて来たら慣れないどころか気持ち悪いとさえ思ってしまうが、目の前の男はいつも例外だった。
「うどんは賑やかなのが好きだ、彼の好きにさせている」
「彼が賑やかなのが好き?稲荷山ごと閉じ込めて、誰も二人の邪魔をさせたくないというのが本音ではないのか?」
「その二つは矛盾してないよ」
純米大吟醸は口を尖らせ、桜の味がする酒を一口飲んで、目を見開いた。
「どこで見つけたでありんすか?」
「たぬきが見つけてきた、宝物を探すのは得意だからね」
酒は口数を増やすものだ。純米大吟醸は唇についた雫を舐めとり、頬杖をしたまま同じくほろ酔いのいなり寿司の方を見た。
「きつねの子はぬしに甘えすぎていないか」
「まだ子どもだから、自分が本当に求めている物がわからないだけよ。だから彼を窮地から救い出した私に頼っている」
純米大吟醸は離れた所で、顔が真っ赤になるまてまたぬきそばと「誰がいなり寿司のためにおかずをよそうか」について言い争っていたきつねうどんを見て、目を細めた。
そして振り返っていなり寿司の狐のような両目を見た。
「本当か?あちきには、彼は全部わかっているように見えるでありんす」
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