ラタトゥイユ・エピソード
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ラタトゥイユのエピソード
浮世離れした、精霊のような純真な少女。汚してはいけない存在のように見えるが、実際には、何かに執着し痴情に溺れてしまうような存在である。
Ⅰ妖精
(※誤字等が見られたため編集者の判断で一部変更して記載しています)
ポトリ――
顔に垂れた冷たい雫がわたしを夢の中から呼び覚ました。
両手を開くと、木漏れ日が運んだキラキラとした輝きによって、僅かな暖かさが全身に伝わっていく。
わたしの友だちはサファイアのような羽を振るうと、星空のような鱗粉を零しながら、ゆっくりと傍にやってきてくれた。
この森にいる全ての命はみんな、わたしの友だちだ。今日わたしの傍に来た彼女のように。
でも……彼女はなんだか元気がないみたいだ。
「……お腹がすいたのかしら?少し待って、貴方のために咲いてくれるかみんなに聞いてみるわ~」
周囲にいるみんなを見渡すと、わたしたちならではの形で言葉を交わした。
「本当?彼女のために咲いてくれるの?良かったですわ!」
小さな白い花が咲いた、朝日に照らされ聖なるオーラを輝かせながら。
弱った友だちはそっとわたしの指先に止まり、咲いたばかりの友だちの傍まで運んであげた。
「なんて綺麗な羽根でしょう、わたしにもあれば良いのに」
いつも通り平和な静けさが広がっていた。
しかし、突然わたしの独り言は遮られてしまった。
「妖精のお姉さん——妖精のお姉さん——」
その声は友だちを驚かせてしまったようで、綺麗な羽根を羽ばたかせわたしの指先を離れてゆく。
その後ろ姿を見送った後、手の平にある花を見つめた。
花の命は短い。散る間際、一番の輝きを放つ。
……彼女のために咲いてくれたのに、彼女は去ってしまった。
「妖精のお姉さん?もしかして機嫌悪いの?」
わたしが悲しんでいると、遠くから伝わってきた声がいきなり背後から響いた。
(えっ!!!)
わたしは急いで巨大な木の後ろに身を隠した。
長い年月を生きてきたこの大樹は、その歳月のおかげでとても頼りがいのある姿をしていた。
彼の後ろに隠れていれば、安心することができる。
彼が枝で優しくわたしの頭を撫でてくれたおかげで、少しだけ落ち着いた。
どこからかやってきた「人間」の方を向くと、わたしと同じように声が出せることに気付いた。でも……
「妖精のお姉さん、どうして僕を避けるの?」
……だって、貴方がわたしと同じ声を出すから。
同じ声を出すもの全て、いつもわたしに苦痛を与える……
彼……以外は……
Ⅱ 楽園
「私の子どもよ……彼らをちゃんと守ってね……」
綺麗な声が頭の中で響く、その言葉の一つ一つはわたしの魂に刻まれ、微かな温もりをもたらしてくれた。
ゆっくりと目を開けた。
目の前にいる……人間たちが、わたしが守るべき存在なのだろうか?
守ってあげるからもう泣かないでって伝えようとして、わたしが言葉を発しようとしたら……
「フンッ、怖いもの知らずがいたもんだな。ちょうどいい。”楽園”で何人かくたばったばかりだから、こいつをそっちに送ってやれ」
透明なバリアの中で紫色の煙が立ち昇った。
煙の中、わたしは気が遠くなっていく。
その後の日々はよく覚えていない。
毎日眠りから覚めると、白衣を着た「人間」たちが目の前に立っていた。
時に短い針で、時に鋭利なナイフを手にしながら、私の前に立っていた。
「この食霊は本当にすごいな、どんなに酷い傷でも、霊力さえあれば痕一つ残らず治るなんてな」
「ほら見ろ、本当に発芽した。食霊の体内でも種は発芽できるんだな!」
「素晴らしい!これはいくら試しても発芽しなかったレアな種だぞ!他のレア物も急いで試してみないとな!」
「“楽園”!もしかしたら、近い将来我々は本当の”楽園”を手にすることができるかもしれない!」
朦朧とする中、彼らの歓声が聞こえてくる。
(『楽園』って……何かしら……)
重くなった瞼はゆっくりと閉じていくにつれ、目の前の全てが再びぼやけていった。
再び目を開けると、いつものように終わらない暗闇に包まれていた。
果てしない暗闇の中、両腕を抱きしめると奇妙な触感がした。
――体から細い枝が生えているらしい。
ツタには綺麗な白い花が咲き誇っていて、淡い香りが漂う。空気中広がる悪臭は、それによって少し和らいだ。
わたしは両手を広げ、体に咲き誇る花をそっと持ち上げた。
その白さは、暗闇の中で一層輝いて見えた。
わたしの肌の奥から生えてきたものだけれど、鋭い刃物によって切りつけられた時のような痛みは感じなかった。
むしろわたしと心が通じているかのように、そっと優しく慰めてくれた。
彼はわたしのために咲いてくれたのだ。
「ハハッ、また来たか」
遠くない所から笑い声が聞こえてきた。
わたしは無意識に声がする方を向いた。
花がもたらした変化なのか、わたしにとっての世界は様変わりしてしまった。
わたしは人々が纏う色が見えるようになっていたのだ。
眩しい白衣の下に見えるのは、ほとんどが歪んだ黒だった。
暗い檻の中に閉じ込められているから彼らの姿はよく見えないけれど、その濃厚な黒色は歪んでいてとても恐ろしかった。
淀んだ黒色が広がる中、微かだけど赤色が目に映った。
人間の傷口から流れ出る液体と同じような、鮮やかな赤色。その中にも黒色が混じっているけれど、その赤色は真っ黒な世界の中一際輝いていた。
その声の主は「人間」と同じように見えるけれど、どこか異なっていた。
彼は人間と同じように、人間の言葉を話すけれど。
彼は人間と違って、檻の中に閉じ込められていた。
彼と同じ「人間」たちによって食霊と呼ばれている者は、他にもたくさんいる。
彼らは毎日泣いて、叫んでいた。
彼らの体を覆う黒色は段々と濃くなっていき、彼ら自身の僅かな色を吞み込んでしまう。
やがて、暗闇と完全に同化してしまった。
全ては暗闇に呑み込まれてしまうのに、でもその赤色だけは変わらないままそこに佇んでいた。
(彼は……誰……)
Ⅲ 赤色
それからの日々は長いものだった。
永遠に終わらない暗闇。
絶え間なく襲ってくる痛み。
私の体の中には、更に多くの種が芽吹き始める。
こんな日々がいつまで続くのか、わたしにもわからない。
ただただ繰り返されていくだけの毎日。
唯一の救いは、遠くない所に佇んでいるその赤色だけかもしれない。
「貴方様は誰ですか?」
一度勇気を出して聞いてみたけれど、彼はただ鼻で笑うだけで、背を向けてしまった。
「どうして笑っているのですか?」
彼はまたわたしを無視する。
「わたしとお友達になってくれませんか?」
……
依然として彼はわたしを無視したまま。
落ち込んだわたしは膝を抱え、腕に絡まっているツタに小さな声で尋ねた。
小さな若葉は、そっとわたしの頬をなでてくれた。
わたしも産毛が生えている若葉に頬を寄せる。
「お前は死ぬのか?」
突然、彼が口を開いた。
しかし、わたしの返事も待たずに、彼は独り言のようにこう答えた。
「死ぬ、ここにいる全てのものはいつか死ぬ」
それを聞いて、わたしは少しだけ腹を立てた。
わたしはあんなにも汚い黒色になんかになりたくはない。
わたしはそのおぼろげな赤に視線をやり、悔しい気持ちで彼に尋ねた。
「なら、貴方様は?」
「オレは死なねぇ」
彼の声には笑みが含まれているようだった。
以前聞いたものとは違うような笑みが。
「お前はここで生まれたらしいな。じゃあ、オレが脱出できたら、何か美味しいものでも驕ってやるよ」
「美味い物?」
「……そうだったな……美味い物がなんなのかなんて、お前にはわからねぇよな」
「うっ……それぐらいはわかりますわ!わたしの体に実った小さな果実は美味しいわ!」
「頭の悪い女だな。他にやりたい事はないのか?」
「やりたい事……わかりません……貴方様は?何かありますか?」
彼の声が予想以上に綺麗だったから、思わず会話を続けたくなってしまった。だけど……
「オレはここをぶっ壊す!どんな代償を払っても、ここを必ずぶち壊してやる!!!そうしねぇと、オレたちは望むものを手に入れられねぇんだ!そうしねぇと、オレたちが得るべきものを手に入れられねぇんだよ!!!!!」
(望むもの……わたしは……もっと綺麗な色を……見ることが出来るのかしら?)
彼の気持ちはどんどん高ぶっていき、わたしと会話していた時とは違って、なんだか恐ろしくなった。
彼が纏う赤色すらも、歪み始めた。
彼が望んでこういう風になった訳ではないとわたしはわかっていた。
この暗闇の中、既に多くの者が彼と同じく正気を失っていたから。
ただ、他の者たちの色はいつも暗かった、他人までもが巻き込んでしまうような暗い黒色。
その色に包まれてしまうと、彼らはまもなく消えてしまう。
だけど、今回は違った。
目の前にいる彼の赤色は眩しくなっていき、わたしの体で咲く花と違った赤色を見せてくれた。暗闇の中の濃い黒色と混じり合った後の赤色、その赤は黒をどんどん呑み込んでいった。
わたしは思わずその赤色に惹かれてしまった。
人を狂わせる暗闇の中で、それは暗闇と対抗出来る唯一の色だったから。
その美しい色は、暗闇でしかないわたしの世界に現れた最後の色彩。
俯いたわたしは、思わず自分の手を見つめた。
まるで体の中に、実体のない赤色の種が撒かれたような感じがした。
彼が普通に戻った後、これはどういうことなのか聞いてみようと思った。
――しかし、その日からしばらくすると、彼は帰って来なくなった。
Ⅳ 萎れる
彼が姿を消した後、この暗闇にいる多くの食霊も続々と姿を消していった。
何も出来ないわたしは、ただ彼らのために小さな花を添えることしか出来なかった。
「早く出ろ!実験は終わりだ!残りの全ての実験体は処分する!」
わたしを暗闇から引っ張り出した「人間」がそう言って来た。
突然の光によって、わたしは思わず顔を逸らしてしまった。
そして、注射器の鋭い針がわたしの肌に刺さった。
だけれど今回は、気絶することはなかった。
体の中にある赤色の種が、芽生えたから。
「まずい!こいつの体に眠っていた種が発芽したぞ!!!」
「なんだこれは!!!!!」
「あぁーーー!!!!!」
慌てふためく人間たちの声が聞こえる。
彼らは胸が張り裂けんばかりの叫び声を上げ、怯えた様子でわたしを見た。
まるで恐ろしい怪物を見ているかのように。
「人間」の傷口から流れてくる液体は、わたしの仲間たちが最も好む養分だったようだ。
仲間たちはとても喜んでいた。
そして、「人間」たちは次から次へと萎れていった。
わたしは誰かを枯らしてしまうのがイヤだった。
だって、黒く汚くなってしまって、綺麗ではないから。
みんな、このような暗闇の中で萎れるべきではないのに。
でも、大丈夫、仲間たちが彼らを呑み込めば、これからはずっとわたしと一緒だ。
そうすれば、彼らを連れて他の色を見に行くことが出来る。
わたしは暗闇から飛び出した。
でも、どこへ行ったらいいかわからなかった。
幸い、体の中にいる仲間たちには憧れている場所があるようで助かった。
その場所は、少しだけ遠いけれど……
わたしの体は疲れも痛みも感じないから、わたしはひたすら歩き続けた。
そして、ようやく世界の果てに辿り着いた。
そこで、年老いた大樹を見つけた。
彼は年長者のようにわたしと仲間たちを優しく受け入れてくれた。
わたしたちはここで暮らすことに決めた。
ここは広い。あの黒々とした狭い場所とは違って、仲間たちは自由に体を延ばすことが出来る。
ここで、彼らはようやく自由自在に動けるようになった。
やがて、一人ぼっちだった大樹の周りは仲間たちとの住まいになった。
気付かないうちに、見たことのない可愛らしい友だちもここにやってきた。
ほとんどがわたしにはわからない声を発しているし、違った外見を持っている。
綺麗な角が生えていたり、長い耳が付いていたり。
みんなとても可愛らしい。
彼らとの生活はとても楽しかった。
毎日新しい出来事が起こる。
全てのものは綺麗な色を持っていた。
彼らは咲きたい時に咲き、一番美しい時に萎れる。
たまに間違ってここに入ってしまう「人間」もいる。彼らはいつもわたしのことを「妖精」と呼び、願いを叶えて欲しいと言ってくる。
そういう時、わたしは仲間たちに意見を聞いたりする。
彼らのために咲いてくれる花があれば、彼らはその花を持ってここを出て行く。
しかし、多くの人間たちは、仲間たちの香りによって萎れてしまう。
その数が多く増えすぎて、少しずつ、誰も寄り付かなくなった。
ここで静けさを取り戻し、木漏れ日を追いかけることが、わたしと仲間たちの一番楽しい遊びとなった。
ただ、たまに立ち止まって青々とした空を見上げながら、あの暗闇の中消えていった赤色を思い出してしまう。
(わたしは望むものを見つけられたわ……貴方様は?)
Ⅴ ラタトゥイユ
「は、早くここを出ていきなさい!ここは貴方を歓迎いたしません!」
大樹の後ろに隠れた少女は怯えながら、自分よりも背の低い子どもを見つめた。
彼女の関心は、子どもが追い払ってしまった青い蝶と、その蝶のために咲く花にあったため、その子どもが彼女の背後に近づくまで、彼女は「人間」がいたことを気にもとめていなかった。
汚い恰好をしている子どもは、全身蔦の棘でボロボロになっていた。
しかしその見た目と裏腹に、両目はキラキラと笑みを浮かべていた。
前歯が一つ抜けている彼の笑顔はなんだか間抜けに見えた。
「妖精のお姉さん、遊びに来たの。ほら、絵本を持ってきたんだ!」
「……絵本?」
森を我が家にし、森の中に住む木々や獣、ひいては蝶やセミをも友だちとして見ている少女は、不思議そうな表情を浮かべた。彼女は大樹の後ろから頭を出して、ビクビクしながらその子どもが持っている絵本を見つめた。
その上には、花にもない色が描かれていたのだ。
彼女の目が微かに輝いたが、大樹の後ろから出るのはまだ怖いらしい。
「あっ!日が暮れちゃう!……妖精のお姉さん、絵本をここに置いていくね!また今度遊びに来るから!」
子どもはすぐに森から姿を消した。
その後ろ姿が遠のいていく様子を見ていた少女は、しばらくしてようやく地面に置かれた絵本を拾い上げた。
絵本をめくると、白馬に乗ったハンサムな青年が少女の目に映った。
森の妖精が与えた花を食べて不治の病を治したその子どもは、その花のおかげでどんな毒にも侵されることがなくなった。
最初の小さな子どもから、一人の少年、そして青年へと成長した。
しかし少女は、出会った頃のままだ。
青年は緊張しているのか両手を擦り合わせ、葉っぱで身を覆う少女にワンピースを渡した。
そのワンピースは華美とは言えないが、この僻地に引っ越してからあまり外に出ていない青年が持つ全ての蓄えと引き換えに買ってきた物だった。
「よっ……妖精さん……これを……貴方に!」
青年は以前と同様、頬を赤く染めながら、彼にとっての妖精を見ていた。
「あら……ありがとう!だけど……やっぱり絵本の方が良いわ。それを着ると、肌が痛むんです」
少女の笑顔は、光に照らされた森の中の湖のように、キラキラと輝いて青年の目を奪った。
「わ、わかった!じゃあ、今日も絵本の続きを読んであげる!」
「本当ですか?嬉しいわ!」
「王子様とお姫様は、末永く幸せに暮らしました」
誰もが知る物語を語る老人は、出会った頃と同じくらい澄んだ両目で、昔のまま変わらない少女を見つめた。老人はその枯枝のような手で、少女の手の甲を優しく触れる。
「妖精さん」
「ニア?どうして次の物語を語ってくれないのですか?」
「妖精さん……貴方は……自分だけの”その人”を見つけられた?」
「いいえ……まだですわ……」
「……じゃあ、どんな人がいいのかい?」
可憐な少女は真面目に考え込んだ後、真剣な表情で老人を見つめ返した。
「物語の中の、王子様のような人が良いわ!」
「そうか……ケホッ……いいね……ケホゴホッ……」
老人は少し残念そうに、何も変わっていない少女を見つめる。そして彼女の瞳に、幼かった頃の自分が映ったような気がした。
少女の手にある花は、突如赤色に染まった。
白い花はすぐさまその赤色を吸収し始めた。
少女はその赤色を見て、急に何かを思い出したかのように、ニアの老いた手を握り締めた。
「……ニア、どうしました?貴方様もみんなと一緒にわたしのそばから離れてしまうのですか?」
「そうだ……妖精さん、これ以上そばにいてあげられなくて、すまない……」
「ニア、死なないで。死なないでください!まだたくさんの物語を聞かせてくれるって言ってくれたじゃないですか……」
「妖精さん……いつか、貴方のために物語を語ってくれる王子様が、きっと現れるよ……」
少女は落ち込んで俯いた。衰弱した老人を見て、目頭が熱くなる。
この感情が何なのか、彼女にはわからない。
ただ、胸に感じる痛みによって、彼女の笑顔が消えていく。
「でも……まだその王子様を見つけられていませんわ……彼がどんな人なのか、わたしにはわからないから……」
「彼はきっと、妖精さんが一番好きな色をしているよ……妖精さんが二度と暗闇を怖がらなくなるような……色を……」
少女の手を優しく叩きながら、老人の両目は未練の他、心配や期待など、数え切れない程の複雑な感情で濁っていく。少女の手の甲に乗せていた手も、少しずつ滑り落ちていく……
「……ニア……ニア……」
「みんなに私を呑み込ませてくれ……そうすれば、永遠に君と一緒にいられる……」
愛する妖精の腕の中で亡くなった老人は、幾分の遺憾も残っているが、微かな笑みを浮かべていた。
この生きている森も、自分たちのやり方で、友を静かに弔っていた。
風に吹かれた木の葉が音を立てて揺れる。老人がかつて座っていた場所に座った少女は、高い空を見上げた。
「わたしの王子様は、一体どこにいるのでしょう……」
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