花びら餅・エピソード
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花びら餅のエピソード
物静かな少女に見えるが、強い妄想癖を持っている。他人に悟られないよう努力して真顔を貫き通しているけれど、いつもバレてしまう。そういう時は、隠蔽するために自分の能力で他人を眠らせたりする。館長の最中にも妄想がバレてしまうことがあるが、彼にだけはどうやったって隠し通すことが出来ない。
Ⅰ.花の夢
端正な顔立ちを持つ男性は桜の木の下、ゆっくりと私に向かって手を差し出して来た。
「私だけの花びら、早く私のところへ帰っておいで」
彼の顔は半分桜によって隠されていて、口元の微かな笑みしか見えなかったけれど、それでも魅力的で凛々しい姿が見て取れる。
「私の愛すべき婚約者を、こんな酷い目に遭わせるわけにはいかない。貴方が背負っているもの全ては、まるで刃のように私の胸を突き刺す」
気づけば私は無意識に彼の方へと一歩ずつ近づいていった。しかし、心の中にある一抹の疑念が大きな壁となって私たちを隔てた。
ーー私はごく普通の和菓子屋の娘、だけど彼は雲の上にいる大名。
「いけないわ……大名様。私は……大名様の妻になれるような身分ではありません。ただの庶民なのです」
「いや、他人がなんと言おうと、私の心の中では花びらこそがこの世で一番の姫君だ。あの輝夜姫すら敵わない気高い貴方こそ、私の心の中で一番の大和撫子だ」
あぁ、彼の抱擁はなんてたくましく、安心感があるのだろうか。彼に寄り添っているだけで、幸せになれる勇気が持てる。
「花びら餅」
「へへ、えへへ……」
「花びら餅!!!」
「えへへへへーー」
コツンッーー
「うっ、いったーい」
突如訪れた痛みによって目の前の桜が散ってしまった。私の大名様が笑いながら手を振り遠ざかっていく。
気が付くと、桜子は目の前で腕を組んだまま、苛立っているのか指でトントンと自分の腕を叩いていた。彼女が持っている大きな気のお盆こそ、先程の痛みの「元凶」のようだ。
(あれ……彼女は……とても怒っているみたいですね……)
「花びら餅!今は勤務時間だよ!どうしてまた物語なんて読んでいるのよ!『大名と庶民の花嫁』?何よこれ!」
「うっ……桜子、どうか一度考えてみてください。もしある日突然、誠実で見目麗しい大名様が店の前にやってきて、貴方に手を差し出してにこやかに”貴方が私の花嫁ですか?一緒にお城に帰ろう、これからは貴方が私の妻ですよ”とか言ってきたら!とっても素敵だと思いませんか!ねぇ!」
本の中の物語を思い出しながら、もしそんな日が来たら、どんなに幸せなのだろうかと妄想を繰り広げた。
少しずつ、笑いながら遠ざかっていった大名様が、ゆっくりと私の前に戻ってきた。
「はぁ、そうね……ごめんなさい、私たちの大名様が身長と体重が同じ数字のおデブさんって知らなかったら、もしかすると理解出来るかもしれないかな」
それを聞いた瞬間、桜に隠されていた顔が一瞬にして膨れ上がり、口を尖らせて私に詰め寄って来た。
「僕の愛しの花びらちゃんーーチューー」
「あああああー!!!!!いやあぁぁぁぁー!!!!!」
Ⅱ.花言葉
「花言葉」、ここが私と桜子が一緒に経営している小さな和菓子屋だ。
「和菓子でみんなに幸せをもたらし、和菓子でみんなに恋の甘さや幸せを感じてもらう」
これがこのお店のモットー。創業者である桜子のお父様、いうも笑顔で人を幸せにする旦那さんの夢だ。
古今東西、あらゆる菓子を得意とする。
もちろん、最も得意なのはうちの看板和菓子であるーー「花びら餅」だ。
花びらの形をした小さな菓子には、作り手の思いが全て込められているようだ。美しい願いも、甘い思い出も、小さなお菓子の中に詰まっている。
聞くところによると、この菓子には桜子のお父様の心にある、桜子のお母様への想いや、愛についての感慨が注がれているそう。 お母様とお父様の出会いを証明する物であり、美しい愛を記念する物でもある。
彼の理念を受け継いだ桜子も花びら餅にたくさんの思いを込めてきた。そして「花言葉」は近所でも有名な和菓子屋となり、更に戦乱の中、皆にとっての数少ない癒しの場所となった。
いつもなら、入口の席まで埋まってしまうほどの人だかりが出来る。
しかし最近は……
「ああああー!もう二週間目になるよ!」
「桜子……落ち着いてください……」
「落ち着いてられるか!もうっ!二週間目だよ!このままじゃ今月の家賃も払えない!」
「えっと……」
机に突っ伏して、辛そうにドンドンと机を叩いている桜子を見て、私も困ってしまった。
「謎の失踪事件」が起きて以来、町中が騒然となっている。
そのせいもあって、お店だけでなく、いつも賑やかな大通りでさえ、この時ばかりは恐ろしいほど閑散としていた。
「家賃が払えなければ、ここでお店を続けることは出来ないのですか?」
「……うん」
「その時はどこに行けばいいのでしょう?追い出されてしまいますか?」
桜子は急に机を叩く手を止めて起き上がった。そして私を見る目には強い決意が宿っていた。
「花びら餅!安心して!絶対に追い出されたりしない!父上の夢を全て乗せたお店だもん!このまま見殺しにするようなことは絶対にしない!」
目の奥で炎が燃えているように見えた。小柄ながら自分よりもずっとしっかりした少女を見ていると、やはり少し心配になってしまう。
「桜子……あまり強がらないでくださいね。たまには頼ってくれても良いんですよ」
「わかってる!安心して!」
Ⅲ.花枯れ
「やめてー!!!」
ハッと悪夢から目覚めた。心臓が飛び出しそうになっている、服越しでも不安げに鼓動が加速している様子がわかる。
「桜子……あれ?桜子?」
桜子は戦乱でお父さんを亡くして以来、私のそばで体を小さく丸めながらじゃないと眠れなくなってしまった。
彼女の行方がわからない、そして突然の動悸のせいで、私は眠り続けることなんて出来なかった。
立ち上がって一先ず水を飲もうとしたが、机で桜子が残したであろう書き置きを見つけた。
「花びら餅、森ですごい材料が採れるって聞いたから、森に行ってくるよ。心配しないで、すぐに戻るから。ーー桜子」
書き置きを見てホッと胸を撫でおろそうとした次の瞬間、これまで感じたことのない感覚に襲われた。
私と桜子の繋がりが……
切れた。
どうやって町の外に出たのか、もう覚えていない。
ただ、到着したとき、足の裏から伝わってきた、刺すような痛みで我に返った。
しかしその瞬間、この痛みが起こらなければ良かったと思った。
そうすれば、目の前にある物を、悪夢として見ることが出来たのに。
巨大な黒い影は沼のように大地を引き裂いてかき回し、森の木々を呑み込んでいた。巨大な木がドロドロの黒い沼に引きずられて、あの影に吸い込まれていった。影は時々ねじれた触手を振り回して全てを掴み取り、地の底に引きずり込もうとしている。
その不気味な黒の中、一縷の桃色だけが一際眩しかった。
それは桜の飾りのついた組紐だった。
歪で決して綺麗とは言えない。
しかし、私にとっては、これ以上ない程に身に覚えのある物だった。
それは、私が桜子のために編んだ組紐で、どんなに汚れてと彼女はいつもそれを自分の手首につけていた。
組紐がつけられた細い腕が、少しずつその地獄のような深淵に呑み込まれていく。
彼女の助けを求める声が聞こえたような気がした。
その瞬間、私は全ての恐怖を忘れ、その歪んだ大地に向かって突進した。
「桜子!」
「危ない!行っちゃダメだ!」
Ⅳ.花咲き
「おいっーー」
「……」
「なあ?もしもし?」
「えっ!キャーー!」
私の叫び声に驚いたのか、息がかかる程に近い距離にいた青髪の青年は尻餅をついて、呆れたようにこう言った。
「さっきから呼んでいるのに、何の反応もないから大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい……」
「まあいいや。私は最中だ。貴方の名前は?」
「は、花びら餅です」
「ほおーー良い名前だ!それにしても、どうやってここまで来たんだ?迷子か?」
(あら……結構男前ですね……いつの日か……彼と一緒に桜の木の下に行けたら……えへへ……)
「花びら餅?」
「あ、あっ、はいっ!」
「迷子になったのか?どうしてこんな所に現れたんだ?」
(私は……迷子になっちゃったのでしょうか?)
(私はどうして……ここにいるんでしょう……)
「花びら餅?」
「あっ……ごめんなさい、ボーっとしていました」
(私は……何か……大切なものを忘れているような……)
「まあ、とりあえず神子様の所へ連れて行ってやろう。神子様は貴方を家まで送る方法を知っているかもしれない」
「神子様?」
「ああ、この神国を守る神子様だ、凄いだろー」
状況をまだ飲み込めず、とにかく頷いた。そして、少し混乱した思考を整理することにした。
しかし、ごちゃごちゃとした思考は、整理しようとしても混乱していく一方だった。
最中さんは私に気遣っているのか、ゆっくりと歩いてくれた。それでも私はどんどん歩くのが遅くなり、ついに彼の声によって思考が中断されてしまった。
「どこから来たの?」
「うーん……」
「まさか……”現世”から来たんじゃないだろうね?」
最中さんの後について、私は深い谷から出た。しかしどれ程長く歩いても、私は自分の疑問を説明することが出来なかった。
最中さんは神国の神子様に会わせてくれた、彼に負けず劣らずとても美しかった。
神子様は私のために、不思議な浄化の儀式を行ってくれた。その静かで神々しい声は、私の心にあるあらゆる不安をなだめてくれた。
行き場を失った私は、神子様の許しを得て、最中さんの星象館に残った。
神国の生活は、平和で素晴らしいものだった。
ただ、時々神国の生活を乱すような怪物を退治しなければならない時もある。
紡錘を振り下ろすと、怪物は悲鳴を上げながら歪みながら空中に消えていった。それを見ていると、私はこれまでにない程に心が落ち着くのを感じたのだ。胸に手を当ててみた。
(……何か大切なものを失っている気がします。一体それは何なのでしょう?)
そんな生活をしているうちに、私はすぐに神国の生活に慣れていった。
神国の皆さんはとても良い方たちで、星象館での生活もとても心地の良いものだった。
仕事の合間にお気に入りの本を読んだり、未来への憧れを皆さんと語り合ったりした。
全てが幸せで素晴らしかった。
星象館での仕事を終え、私はこわばった体をほぐした。
スッーー
襖が開く音を聞いて、私は振り返った。
「最中さん、お出かけですか?」
「ああ、神子様の所へ行ってくる、すぐに戻るよ」
「わかりました、気を付けて行ってください!」
最中さんの後ろ姿を見送りながら、私はゆっくりと星象館の入口に腰を下ろした。
最中さんはここが神国だと教えてくれた。誰もが幸せになれる神聖な場所であると。
そして、ここでの生活はこの上ない幸せなものだった。
にもかかわらず、私は最中さんの言う「現世」からここに来た理由を、どうしても思い出せないでいた。
たとえ、「現世」に戦乱が、病気が、心災があって、御侍がいるということをわかっていても……
「心災」と「御侍」、この二つの言葉の意味はよくわからなかったけれど、頭の中に誰かによって組み立てられた台詞がある。
人形劇の中、小さな人形たちが口にする台詞のような、自分の記憶ではない何か。
しかし、それらを口にするたび、私の胸はどうしようもなく傷んだ。
一体何のために私はここにいるのだろう?
「御侍」とは?「心災」とは?
桜子……
桜子?
……それは、誰のこと?
Ⅴ.花びら餅
桜の島は、数え切れない程の噂話を持つ不思議な土地だ。
──「どんな難題も解決出来る日暮探偵社」
──「全ての悩みを解決出来る深夜食堂」
──「幸せの味が楽しめる花言葉和菓子屋」
数え切れないほどの美しい噂話は、怪談の中格別に目立っていて、それを口にするたびに、こう言う者がいる。
「そうだ!見たことあるぞ!本当にすごいんだ!」と。
噂話の中には、明るくて朗らかな探偵・りんご飴、穏やかで優しい社長・抹茶、思いやりのある店主・おでんがいる。
そしてもう一人、妄想好きだがとても優しい店員の花びら餅がいた。
しかし、どんなに問い詰めても、どこに行けばこの人たちに出会えるのかという問いには答えてくれない。
まるで彼らの記憶の中にあるこの部分が消しゴムで消されて、その文字の跡だけが残されているかのように。
こうして、一部の人々の自慢話として作り上げられた小さな噂話は、それらの怪談の中に埋もれてしまい、気付けば余談となってしまった。
誰もがあの日のことを忘れているようだ。
あの明るいとは言えない朝に起きた事だった。
あの、幸せの味を、皆から奪ってしまった悪夢を。
不気味な黒い影が牙を剥いて全てを飲み込んでいくのと同時に、臆病で妄想ばかりしていた花びら餅は、初めて恐怖を忘れた。
彼女は無我夢中になって、呑み込まれそうになっている少女の元へと駆け寄った。
ところが、彼女は一人の青年によって止められた。
きちんとした身なりの彼は、手に扇子を持ち、物憂げな雰囲気を漂わせている美青年だった。
いつもなら、妄想ばかりしている彼女が興奮するような場面だったが、この時の彼女は、青年に見向きもしなかった。
「桜子!」
「危ない!行っちゃダメだ!」
「桜子!行かせて!桜子!桜子!」
同じ食霊だが、花びら餅は阻止するすき焼きを振り切ることが出来なかった。戦闘に慣れていない彼女を抑えるのは、そう難しいことではない。
しかし、あまりにも激しくもがいているため、彼は泣き叫ぶ少女を見つめ、やがて視線を反対側に向けた。
沈黙していた侍が、自らの刀を持ち上げ、鞘で彼女を軽く叩いた。
すると、少女はすき焼きの腕の中で気を失った。彼女の頬には涙の痕が残っている。
彼女が再び目を覚ました時、耳元で優しい声がした。
「目を覚ましたのね。ゆっくり休んで、水を持ってくるね」
桜色の長い髪を持つ少女が歩くと、その袖から桜が舞い落ちてきた。その桜を見た花びら餅は、記憶がよみがえり、少女の舞い上がる袖を掴んだ。
「桜子、桜子は、どこに行ったんですか……」
「……俺が教えてやろう」
先程彼女を止めていた青年が、彼女の前にゆっくりと腰を下ろし、桜の島全体を吞み込もうとしている災難について話した。
その災難の名前は「心災」と言う。
「桜子さんはあの時……もう助からない状態だった。だからお前を見殺しにはいかなかった」
「……」
和室の襖が閉められた。
部屋の中で泣きじゃくっている少女を誰も邪魔しなかった。
少しずつ、泣き声が止んだ。
桜餅がおそるおそる襖を開けると、花びら餅が深い眠りについているのを確認した。彼女に毛布を掛け、桜餅は安心して部屋を後にした。
真夜中、紅葉の館の門が開き、眠っていたはずの少女が、おそるおそる館を出て行った。
彼女は振り返り、小さな旅館に向かって一つお辞儀をした。
「ありがとうございます。でも、私は桜子を探さなければなりません。彼女の生き死にかかわらず……」
その瞬間、妄想ばかりしていた臆病でどこか気の弱い少女は大人になった。
彼女は妄想に逃げることなく、目の前にある現実を見ようと決めた。
少女は自分がよく知っている町に向かって走ったが、小さな町はあの災難のせいで荒れ果ててしまった。辛うじて戦乱を免れた町民たちだったが、心災を免れることは出来なかったのだ。
彼女は恐怖を押し殺し、恐ろしい森の奥深くを探っているうちに、黒い影が彼女の足首に絡みつき、彼女を包み込んだ。
もがいていると、彼女は少年の声を聞いた。起伏がない、悲しみも喜びもない、だけど微かな同情を帯びているような声だった。
「あなたは悲しい物語を持っているようですね。そんなあなたは幸せではありません、忘れさせてあげましょう。そうすれば、あなたは幸せになれます。神国の祝福を与えましょう、神国の民よ」
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