ヨーグルト・エピソード
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ヨーグルトのエピソード
健康管理について研究している彼女は、いつも人に健康に関するアドバイスをしている。
ときに親切が行き過ぎることもあるが、光耀大陸の人々は彼女のことが大好きである。
Ⅰ 冬日の朝
オレンジ色の太陽が昇ったばかりで、少し暖かい感じのする冬の朝。
無限に広がりそうな草原に、時折風が吹く。
草が風にそよぎ、露が落ちる。
草原の隅に、静かで平和な、小さい村がある。
朝の太陽で目覚めたかのように、扉がゆっくりと開いた。
「おはようございます、ベト夫人。」
野菜サラダは軽やかに挨拶してくる。
「今日も青空一杯の好天気!」
正確に言えば、彼は私の前にいるあの人に挨拶している。
「うん~太陽がとっても温かいね。」
私が押している車椅子に座り、太陽を浴びている老人はベト夫人だ。
野菜サラダは採れたての野菜をベト夫人の家に運んだ。
私がおばあさんの食べる野菜を届けてくれるように頼んだのだ。
「いつも迷惑をかけてごめんね。」
「大丈夫、私…私、こういうことが好きだから。あの、お気に召したらうれしいな。」
野菜サラダは恥ずかしそうに笑っていて、所在なく指で亜麻色の三つ編みをいじっている。
「私はね、自分がいずれ孤独死すると思っていたの。」
ベト夫人の目には光が無く、瞳にも焦点がない。
こんな話をしているのに、彼女の口調は淡々としている。
視力をほぼ失った彼女だが、口元には笑みを湛えている。
「大丈夫、私達がついているから。」
私はしゃがみ、温めたばかりのヨーグルトをベト夫人の手のひらに置いた。
こんな冬の日には、たったこれだけの温度でも、暖かい感じがする。
ベト夫人は両手でヨーグルトを持ち、手を膝の上に置いてしばらく暖を取った。
その後、彼女はゆっくりと手を挙げ、唇に運んで啜った。
コップを持っている手はずっと挙げたまま、彼女は笑って一息つく。
白い吐息が空気に消える。
「かつてあなたのような女の子に会ったことがあるわ。彼女も毎朝私に一杯のヨーグルトを温めてくれる。
年を取ったせいかしらね、まったく同じ味に感じる。本当に懐かしいわ。」
そう言いながらおばあさんは膝へと戻した手を重ねる。
「どんな人だったの?」
野菜サラダは低い声で聴いている。帽子の上にある兎耳も軽く揺れている。
「とっても美しい女の子だよ。太陽の光に染まったような金髪と同じ色の目をした、笑うと花のような明るい笑顔を見せる子なのよ。」
ベト夫人は昇ったばかりの太陽に向かって、温かな笑顔で過去の愉快な思い出を話す。
ヨーグルトはただ静かに傍にしゃがみ、笑いながらおばあさんを見つめている。
金髪は太陽の光に流れ、風にそよいでいる。
「じゃあ、ここで物語でもしようかしらね。
この少女と七、八歳ぐらいの女の子との物語。」
ベト夫人は突然言い出した。
「あの子はとっても活発で、いつもハラハラしちゃう。
あの少女は遠方から来た旅人なの。
美しくて優しいだけでなく、博識なのよ。彼女は健康に詳しくて、いつも人々にアドバイスをしていた。
みんなあの子のことが大好きよ。
ある日、女の子の願いを聞き入れた少女は、一緒に馬に乗って牛や羊の放牧に行った。
それは明るい春の日で、草原は緑に染まり、牛や羊が草原に走っていく……」
私は野菜サラダと一緒にベト夫人の隣に座り、静かに聞いている。
こうしていると、まるで過去に遡ったような気がする。
Ⅱ 草原の放牧
牛や羊の群れが草原に走っていく。
重い足音が草原に響き、埃も舞い上がる。
私とベトは牛や羊の群れの後ろにつき、それぞれの馬に乗って移動する。
私の記憶では、これは長い生涯で最も自由な日々だった。
私の隣で馬に乗り、帽子をかぶっている短髪の女の子がベトだ。
長時間日光を浴びたせいで少し焼けたが、いたずら好きで賢い性格からか、女の子というよりは男の子に見える。
牛や羊が群れから離れると、ベトは馬に乗って彼らを群れに戻す。
ベトはいつも天真爛漫に笑いながら、騎馬の腕を自慢する。
「へへ、自慢じゃないよ~騎馬なら、私はほかのどの子にも負けないよ~」
「分かったわ。だから大人しく馬に乗りなさい」
ベトはいつも馬の上で危険なことをする。例えば両手を手綱から放して立ち、風に向かって胸を開くとか。
そうすると、自分が鳥のように飛んでいるような気がすると、彼女は言った。
ベトは遊牧民部落で育った子で、小さい頃から気ままな生活をしてきた。
たくさんのところに行ったことがある彼女も、山を一度も見たことが無い。
これこそがベトがいつも空に憧れている原因だろう。
ここは遊牧民が村を移したばかりの場所だ。
草は一応茂っているが、前の草原に比べると、地勢が高くて山地に近い。
これだけで、ベトはとても興奮している。
だから彼女はみんなの反対を押して放牧に来たのだ。
ベトはここの地形に詳しくないので、万一のため、村人たちは彼女の安全を私に任せた。
それで私は、彼女の放牧に付き合うことになった。
「あ!」
ベトは突然声を上げて叫んだ。
「おねえちゃん、おねえちゃん、見て見て、あれが山じゃない?!」
ベトは遠いところにある隆起の土の塊を指し、初めて「山」に似ているものを見た彼女は、感動した様子で私に聞いた。
「うん、そうよ。」
ここまで喜んでいる彼女を見て、私はこう答えた。
すると、ベトの目に突然強い光が宿る。
「見に行ってくる、すぐ戻るから!」
それだけの言葉を残し、ベトは馬に鞭を打って山に走って行った。
私が止める前に、彼女は走って行ってしまった。
そこに残された私は、草を食べるのに夢中になっている牛と羊を見て、戸惑った。
「その後は?」
野菜サラダの質問は私を思い出から連れ戻した。
「ずっと草原で生きてきた女の子は初めて山に出会い、嬉しくてたまらなかった。
彼女は馬に乗って山へと駆け出していく。
山が近くなればなるほど、山の壮大に彼女は強いあこがれを抱いたの……」
ベト夫人の声はいつもより高くなってきた。
しかし、私がそのことに気が付いたとき、ベト夫人は突然また落ち込んだ。
「その後のことは、多分一生忘れられないでしょうね。」
そう、私も忘れられない。
Ⅲ 忘れられないこと
待てど暮らせどベトが戻ってくる様子はない。
こんなことは初めてなので、心配だ。
牛と羊を村に戻してから、私はすぐ馬に乗って追いかけた。
ベトが消えた方向に向かって一生懸命に走った。
日は空浮き、山の裏にいる私は影に覆われている。
山の周辺を見渡すと、見えるのはただただ眩しい日光だけだ。
するとその瞬間、恐ろしさのあまり叫びそうになるような光景が見えた。
「ベト、しっかり捕まって!絶対手を離さないで!」
ベトは空中にぶらさがっていて、両手だけが崖を掴んでいる。彼女の細い両腕は震えている。
ベトは崖から斜めに突出している木の枝を掴んでいた。
下で受け止めるから飛び降りてと言おうとした。
今にも泣き出しそうな彼女を見ると、こんな怖い思いをするのは初めてなのだろう。
そのまま飛び降りてと言ったら、けがをさせるかもしれない。
諦めた私は馬から降り、山を登り始めた。
「ベト、今まで我慢していて偉いわ。心配しないで、すぐ助けに行くから。」
やっと山頂についた私は腹ばいになり、ベトに手を差しながら言った。
しかし、私が精いっぱい腕を伸ばしても、ベトまであと片手の距離で届かない。
「うう…おねえちゃん、私の…手が…もうこれ以上もたない。」
ベトの手が少し緩み始めた。
私は何度も試したがうまくいかない。もうベトの体力も限界だ。
それを悟った私は仕方なく、崖を降り始めた。
私は片手で岩を掴み、もう一方をベトに差し出した。
「大丈夫、私の手を掴んで。」
私はできるだけ安心感を与えようと笑顔を作ったが、声が自分の意志に反して震えていた。
ベトは恐る恐る私に手を差し出した。
目の前の距離なのに、まるで銀河が隔てているかのように感じる。
私はようやく彼女の手を掴む。
しかし、私には二人で上に上がる力はもはやないようだ。
そこで……
「私を信じて!」
私は自分でも信じられないくらい大声でベトに叫んだ。
その瞬間、ベトの瞳が大きくなるのが見えた。
私は崖を掴む手を放し、ベトを抱きしめた。
私はベトを懐に隠し、そのまま崖から滑り下りた。
幸い、崖自体は相当高いが、それほど険しくない。
私はベトを抱いて崖に沿って滑り落ち、かすり傷程度で地面に着いた。
しかしベトが受けたショックが深刻で、正気を取り戻すのにしばらく時間がかかった。
ベトは私の傷を見て聞いた。
「大丈夫?傷は痛い?」
「大丈夫だよ、全然痛くないよ。ベトが無事であればいいの。」
「ごめんなさい、私が悪かった。」
「今回は本当にあなたが悪かったわ。だから、もうこんな人に心配かけるようなことをしないで。」
私はできるだけ叱るような口調で言った。
ベトは私を見ておらず、ずっと自分の体を探っている。
自分が傷を負ったかを確かめているのかしら?
そう思った私は敢えて聞かなかった。
しかし、ベトはずっと頭を下げて自分の襟を持っていたが、しばらくするといきなり大声で泣き出した。
Ⅳ 美しいもの
「女の子が崖から落ちそうになった原因が分かる?」
車椅子に座っているベト夫人がくすくすと笑い、目元には皺がたくさん浮かんでいる。
意外な話題だった。
「うっかり落ちたんじゃない?」
私は思わず聞いた。
ベト夫人の物語を聞いていた野菜サラダは、私の足を枕にしてもうすっかり熟睡している。
彼の寝顔を見ると、子供のころのベトのイメージがまた浮かんできて、本当に可愛らしい。
「違うわよ~」
笑っているおばあさんの目は真一文字になっている。
「彼女は崖の上で、美しく見たことがない花を見たの。
だから、彼女は花を摘んで大好きなおねえちゃんにあげようと思った。
しかし、結局自分が落ちそうになったの。
そして花を懐に入れても守れないだなんて、彼女はちっとも思わなかった。」
この時おばあさんは、声が少し震えていた。
「あの時、花を彼女の頭に飾ることができたらいいのに!」
ベト夫人は微笑みながら、自分の手を握った。
暖かい日の光が草原を、そして私達を照らしている。
ベト夫人はもう百十歳を超えている。
人類にしては、十分長寿だと言える。
脚力と視力はもうほぼゼロになってしまったが、今の彼女はすごく幸せそうだ。
私に出会ったころまだ子供だった彼女は、もう車椅子に乗るしかできない白髪の老人になってしまった。
しかし、彼女の一生は、私の長い生涯においてはただの刹那に過ぎない。
私はよく分かっている。どんなことをしてあげても、何も変えられない。
私はよく分かっている。食霊に比べ、人類の時間はあまりにも短い。
だから、人類と食霊との出会いと別れは、きっと数えきれないほどあるのだろう。
私は私の足でぐっすりと寝ている野菜サラダを見ながら、彼の頭を撫でた。
青い空と白い雲を見上げると、耳をかすめる風が懐かしい音を送ってくる。
「本当に美しい…」
目の前の景色を見ると、なぜか少し嬉しくなった。
「あれ?私また寝ちゃってた?」
野菜サラダは目をぼーっと開きながらうとうとと言った。
「そうよ、また寝ちゃってた。」
私は野菜サラダを見て笑った。
「じゃ、今から健康的な昼食を作ろう~」
最初は彼女との出会いが偶然だったとしても、
今一緒にいられるということは、きっと必然なのだろう。
Ⅴ ヨーグルト
「もっと長く一緒に居れればよかったのに~」
それは、ヨーグルトの御侍様が彼女に残した言葉だ。
「人は所詮死から逃げられないのね。」
「ごめんなさい、いつもわがままで、今回もあなたを一人ぼっちにしてしまう…」
「あとベト…この子だけは健やかに育って長生きしてほしいな~」
御侍様はベッドに寝かされた赤ん坊を見てヨーグルトに言った。
ヨーグルトの御侍様は生まれつき病弱で、ベトを産んだ後、健康が一気に悪化した。
あっという間に、御侍様は寝たきりになった。
そして、ある静かな夜に、御侍様は息を引き取った。
暁までの時間がこんなに長いと感じたのは、初めてだった。
若い御侍様が亡くなった後、ヨーグルトがそこに留まることはなかった。
彼女は遠くに行って遊学し、健康に役立つ様々な食べ物を学ぶことにした。
御侍様のような人が二度と現れぬよう、すべての人類が長生きするよう、彼女はそう願う。
そうすれば、人類は自分の好きな人ともっと長く一緒にいられる。
ヨーグルトは様々なところに行き、ティアラ大陸のいくつかの国に足跡を残した。
そして偶然、彼女は再びベトに出会ったのだ。
遊牧民部落で育ったベトは母親に似た顔を持ち、小さいころからずっと父親と過ごしてきたからか、男の子のような性格をしている。
ベトは小さいころにヨーグルトに会ったことをもう忘れていて、彼女をただの旅人だと思っている。
ヨーグルトもずっとそこに留まるつもりはなく、ただあの子の笑顔をもっと見たいと思うだけだった。
御侍様がもしまだ生きていれば、今はどんな幸せな生活をしているだろう。
こんな思いがヨーグルトにもあるが、彼女はまだ人類の感情を理解できない。
ずっとおねえちゃんと彼女を呼んでいる女の子は、彼女にどれほどの信頼を寄せているかも分からない。
ベトは小さいころから母に関する記憶がない。それを特に気にしていない彼女は毎日笑っているが、実は母がいる他の子のことをすごく羨ましく思っている。
ヨーグルトの出現は、彼女にとって奇跡のようなものだった。
彼女のためだけに喜び、心配する、母のような人に初めて出会った。
なのに、あの時のベトは自分のヨーグルトに対する感情を自覚しなかった。
それでもベトは、どんな些細なことでも、ヨーグルトに褒めてほしかった。
ベトが初めて山を見て、名前も知らないピンクの花を見つけたときのように。
その瞬間、その花はきっとヨーグルトに似合うと彼女は思ったのだ。
そして、彼女は恐れも知らずに山に登り、花を摘みに行った。
しかし、予想外の事故が起こった。
そして、摘んだ花は結局懐の中で散った。
まるで母親に再び会うという夢は決して叶わないと告げられたかのように。
彼女はヨーグルトに何も言わなかった。
遊牧民たちが引っ越しを決めたあの日も、ヨーグルトが離れると決めたあの日にも、彼女は止めようとしなかった。
彼女は笑ってヨーグルトと別れた。
ヨーグルトも彼女の笑顔を心に刻み込んだ。
こうして、ヨーグルトはまた旅に出た。
あまりの孤独に神も哀れに思ったからだろう。
ナイフラストを通った時、ヨーグルトはずっとおどおどしている食霊に出会った。
その子が野菜サラダだ。
顔がまだ幼いこともあってか、ヨーグルトは一人で生活している野菜サラダを放っておけなかった。
しかし、その時ヨーグルトも自分に仲間が必要であることを自覚した。
これからの道はまだ非常に長いことを、彼女はよく分かっている。
同じく食霊である野菜サラダだったら、彼女と一緒に旅を最後まで続けられる。
だから、たとえ暁がまだ来ていない今でも、彼女はもう一人ではないことを心から感謝するのだ。
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