西湖酢魚・エピソード
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西湖酢魚のエピソード
人の上半身と魚の下半身を持ち、性格は穏やかで、感傷的かつ傷つきやすい。人から希望と太陽の光のような温かさを求めており、温厚な姿はとても可憐である。
Ⅰ 蟠り
体が徐々に沈んで、水面の光が遠のいていく。
このまま、眠ってしまうのも悪くない。
すべての悲しみを抱いたまま、愛したものも、愛したものを失った自分も、すべてこの湖に溶けて消える。
妾にはもう、何も残されていない。
あの夏の夜に見た、星明りのような蛍の火。どこか愁いを帯びて、それでいて眩しい笑顔。
その光景が脳裏にぽっかり浮かんでは消え、抑えきれない悲しみが、妾の心をしめつける。
悲しみは、妾に問いかけ続ける。
「なぜ、まだこの世に生きている?」
そうね。なぜでしょうね。
妾は叶うならばあの人間に問いたい。湯薬を飲んだ今、なぜ妾にまだ息があるのか?なぜ、まだ悲しみを感じ取れるのか?
なぜ、妾の望みを叶えさせてくれないのか?
しかし、答えは永遠に得られることはない。
今生、もうあの人には会えないのだから。
Ⅱ 付合い
あの頃の妾は、御侍様を失った悲しみから立ち直れずにいました。人類の一生は短すぎて、彼と過ごした時間は、妾にとってほんの一瞬に過ぎなかったのです。
妾は、御侍様の故郷を離れることにしました。水に流されながら、人里離れた、どこか遠くまで泳いでいこうと思いました。
水面から顔を出すと、そこは鬱蒼とした木々に囲まれた湖でした。静かな夜でした。湖面の小さな波は、月光に照らされてきらきらと輝き、蛍たちの火が辺りをぼんやりと照らし、その光景は、妾の悲しみをいっとき、忘れさせてくれるようでした。
思わず、御侍様が一番好きだった、あの歌を口ずさんでいました。
途中まで歌って目を開くと、岸辺に佇む人影がありました。
その人間の男は、不思議そうに妾を眺めていました。
久しぶりに、人間の顔を見た気がしました。ただ呆然と、お互いを見つめ合うだけの時間が流れていました。
しばらくして我に返り、水中に潜ろうとしたとき、岸辺から声がしました。その方向を見やると、彼が内気に笑いながら、弱々しく尋ねました。
「また……ここに来てもいいかな?」
孤独が長すぎたせいでしょうか。とても温かに、妾の心を包み込むような声でした。妾は、思わず頷いてしまいました。
或いは、星空の下ではにかむその笑顔が、素敵すぎたせいかもしれません。
Ⅲ 決心
「うわっ!こいつ、魚の尻尾がついてるぞ」
「食霊にもこんな化物がいるんだな」
「でも彼女の歌声はとても綺麗よ」
「馬鹿言うな。あれはきっと人間を惑わす手段に違いない」
「あいつには近づかないでおこう」
夜が更けたころ、むかし人間たちに浴びせられた声が頭の中に響く。しかし今は、彼のおかげで聞こえることはない。
深夜、いつも同じ時間に、彼は湖辺にやって来る。妾に、彼の友人の話や森での面白いことを話してくれる。いつからか、彼の来る時間が待ち遠しくなっていた。
ずっとこの湖にいても悪くないと、ぼんやりとそう思い始めていた。そして、彼は突然姿を消した。
一度もここに来たことがなかったかのように。
妾は自分を慰めた。人間など、もともと気まぐれな生き物だから。または、話すことが尽きてしまったのかもしれない。
それでも、いかに自分に言い聞かせてみても、彼が現れ、そして去ったという事実を、なかったことにはできないのだった。
ここに残る理由は、なくなった。
蛍火が飛び交う岸辺の辺りに、彼の気配はなかった。妾は、この湖を離れようと思った。
Ⅳ 湯薬
彼がいつも話してくれたことを頼りに、妾は森林を横切って、ようやく彼が生活している村にたどり着いた。今は深夜、村は静まり返っている、まだ光が点っている家は一軒だけ。
その家から時々口論の声が聞こえる、妾がよく知ってるあの声も混ざっている。声の主を目で追うと、家の中に彼の姿を発見した。
彼は眉をきつく顰めて、彼の母らしき人物と何かを言い争っている。壁の外では内容がよく聞こえない、聞こえたのは妾を言及した断片的な言葉だけ。
「人魚……食霊……」
「強制……契約……料理人ギルド……」
妾は、瞬時にすべてを悟った。心臓の鼓動が徐々に落ち着いてきた。妾は深く息を吐き、その場を離れた。
その日から、彼はまた以前のように、毎日妾と雑談しに来る。数日の欠席を風邪で誤魔化した。
妾は彼の嘘を破らなかった、あの日まで。
あの日、彼はいつもと違って、夕方頃に湖辺にやってきた。その手には湯薬を持っていた、長い時間水中にいる妾が彼のように風邪をひかないために、ここ数日わざわざ森で薬草をとってきた。
本当に幼稚な言い訳だった。
妾は何も言わずに湯薬を受け取った、中に映し出した妾の容貌を見て、自分の顔は少し見慣れない感じがした。
妾の沈黙を見て、彼は慌て始めた。何かを言おうとしたとき、妾はぐっと湯薬を飲み干した。
咽喉が突然火に焼かれてるような感じがした、目の前の景色が歪み始め、彼の顔も一緒に歪んでよく見とれない。
全身から力が抜けて、お椀が妾の手から落ちて湖に沈んだ。
これで全てが終わるでしょう。
妾はそう思った。
Ⅴ 西湖酢魚
光耀大陸のとある鬱蒼とした森林の中に小さな村がある。
村人は俗世との関りを避けるように、静かに幸せに暮らしている。ただ一つの家を除いて。
その家の主は、以前彼女の子供を連れて旅に出ていた。
ある川に差し掛かったとき、堕神という名の怪物に遭遇した。
狼狽し、なすすべもなくなったとき、一人の料理御侍に助けられた。食霊と共に強敵を倒すその姿は、六歳の子供の心に強い印象を刻み込んだ。
村に戻った後、その子供は料理御侍になるために、勉強に勤しみ始めた。しかし、努力は必ずしも報われるとは限らない、その子供の料理の腕は日に日に良くなっていったが、食霊を召喚することはできなかった。
「才能が無い」
そう囁かれていることにも気づいていた。
子供は成長し、青年となり、料理御侍に対する単純な崇拝は、偏屈な執着に変わってしまった。
ある夜、偶然森で美しい歌声に惹かれた彼は、思わず歌声を辿っていった。
そこで彼は、人魚を見た。
食霊を手に入れるという長年の夢が、叶うと思った。
その後、彼は毎晩、人魚のもとを訪ねるようになった。
だが、人魚と親しくなるにつれて、当初の目的が揺らぎ始めた。
「呪いの歌声」と「怪物の姿」を持つと言われ続けた、彼女の心の奥に鬱積した孤独と悲しみを、彼は気にかけるようになった。
人魚が湯薬を持って涙したその時、彼はようやく、自分の本当の気持ちを悟ったのだった。
彼は全ての計画を諦め、薬で気絶した人魚を湖に残し、その場を離れた。
あと一歩と言えた夢を諦めた男は、長年の執着から解放され、ようやく自由になった気がした。
たとえ一生、自分の力で食霊を召喚できなくてもいいと、彼はそう思った。
自分の喉が男の薬で傷ついた彼女の心には、もはや生きる希望をもつ余地はなかった。
もうあの歌を、歌うことすらできない。
人魚は、今日も湖に眠る。
春の日、その笛の音が響き渡るとき、彼女の心の蟠りはほころぶだろう。
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