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トフィープディング・エピソード

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トフィープディングのエピソード

優しく上品、何が起きても冷静沈着で、決断が早い。家族を守るためなら、冷酷更には残忍な一面を見せることもある。本質的には悪人ではない。


Ⅰ.兵器

「イヤ…………」


「ゴォオオオーー」


堕神の喉から絞り出したような慟哭が、煙を突き抜けていく。

砂と埃が一面に広がり、やつらは緋色の口を大きく開け、残骸を噛み砕いていた。

どれだけ砕けようと、私には「残骸」たちの本来の姿がわかる。


彼らは……


「いやあああああ!!!」



霊力の数値はこれまで到達したことのない値を叩き出し、筋肉がちぎれて悲鳴を上げている。しかし、私は止まれない……


膨れ上がった霊力が数百もの剣と化し、堕神に向かって飛んだ。やつらは蜘蛛の巣のような剣に囲まれ、次の瞬間、ずたずたに引き裂かれ、風と共に散っていった。


私の勝ちだ。


でも、笑えないわ。


彼らが齧っていた残骸、つまり私の仲間たちは……彼らと共に消滅してしまったから。


力が抜けて地面に座り込む、全身から冷や汗が溢れ出している。必死で呼吸をしているのに息が詰まるような感覚がする。


これまで何百、何千回と経験してきた事とはいえ、未だに慣れる気がしない。

慣れたくもない。


砂と剣は徐々に消え、私の周りに金属の壁がそびえ立った。計測器の機械音に耳を傾けながら、幻想と現実の間に引きずり込まれていく。体が引き裂かれているような感覚を覚える。


「まだまだだ」


男の冷たい声によって、私は無理やり現実に引き戻された。


「彼女は兵器としてはまだまだだ」


この模擬戦場はコロッセオのような場所だ。中央は広大な円形の盆地になっていて、その周りを鉄と鋼の固い壁が囲んでいて、高い壁の上には狭い観客席が設置されている。


声の主はその観客席に立ち、私の方を向いているが、距離が遠いため、顔は見えない。

胸元のバッジが、怪しい光を輝かせていることしかわからない。


「彼女の訓練ペースは既に他の実験体の数倍です!このままだと彼女は……」


「もう時間がない」


男は研究員の話を強引に遮り、掴んでいたガードレールにトントンと音を立て、私への判決を下した。


「シュミレーションの難易度を上げ、訓練を続けろ」

「しかし……これ以上はキャパオーバーに……」

「続けろ」


私と研究員に拒否権はない。すぐに、周囲を囲む高い金属の壁が消え、広大な荒野が広がった。


生臭い匂いが鼻先をかすめ、砂まじりの強い風が吹く……


「トフィー、何ボーッとしているんだ?」


目の前を白い閃光が通り過ぎた。彼は、私のすぐ後に召喚された二人目の実験品、トマホークステーキだ。

彼は堕神に向かって突進していた。


「兄貴!どうして姉貴の指示を聞かないで勝手に動いてんだ!」


レイチェルが走って来て、トマホークの後を追う。

二人の姿はどんどん離れていき、砂の霧の中に消えて見えなくなった。


ダ、ダメ……


私は身構えた。


「ゴォオオオーー」


やはり、堕神は再び嵐のように激しく唸り声を上げ、彼らを襲った。トマホークとレイチェルはその攻撃を交わしそびれて、呑み込まれそうになっている……


……


またやらなければいけないの?


仲間が堕神に引き裂かれ、白煙となって空中に消えていくのを、またこうしてただ遠くから見なければならないの?


悲痛以外感じなくなるあの感覚を、もう一度味わえって言うの!!!!!


「あああああー!!!!!」


堕神ではない、猛獣のような怒りの咆哮は、私の口から出たものだ。


激しい風で髪が乱れ、崩れかけた視界の中で、堕神の百倍もの大きな怪物が私の頭上を通り越し、花を摘む感覚で堕神を拾い上げた。そして、「花」をちぎり、地面に投げつけ、踏み潰した。


血肉が飛び散り、怪物は気持ち良さそうに顔を上げ、耳障りな狂った笑い声を上げる。


私が創造した怪物……あれは、私の本来の姿だ……


そう……私は兵器。


体の中から大きな虚無感が湧き上がってくる。

まるで血も、肉も、魂も抜かれたかのように、ただの空っぽの殻になった感覚がする。


その怪物はまさしく略奪者そのもの。堕神をことごとく倒し、未だ止まる気配がなく破壊し続けている。


暫く経つと、金属が破裂する音がした。怪物は幻影の隙間から現実を引きずり出し、素手で偽の障壁を打ち破り、あの越えられない壁をも砕こうとしたのだ。


敵を徹底的に叩き潰すこと。繰り返される悲劇を止めるには、これしかないと考えているようだった。


風は止まらない。鮮血が目から溢れ出す。怪物は魂を焼き尽くすかのように咆哮を上げ続けている。


「このままですと、訓練場が彼女に破壊されてしまいます!

「……もういい、止めろ」


瓦礫の中、私は無力に地面に膝をついた。


埃と血で視界がぼやけ、恐ろしい咆哮はまだ耳に残っている。


意識が遠のいていく寸前、男は私にこう言い残した。


「なんと優れた兵器だ……さあ、いよいよ戦場に向かう時が来た……」


ええ、兵器よ……


私はただの兵器、戦場だけが唯一の帰る場所。

でも……


必死で指先を動かす、怪物が発狂した時に一生懸命に手を伸ばして触れた……仲間の温もりが、まだ指先に残っているように思えた。


あたたかくて、安心する存在……


だけど……それは幻でしかなかった。


Ⅱ.クリスマス

「トフィー姉さん……どうしたの?」

幼い声で我に返ると、デビルドエッグが緊張した面持ちで私を見ていた。


今日はクリスマス、魔導学院は休み。私たちも誕生日以来初めての休日を迎えた。


当直のスタッフ数人を除けば、この広い学院に残っているのは私たちだけ。

他の食霊たちが夕食の準備に行っている間、私はデビルドエッグパンドーロと一緒に部屋のセッティングをすることになった……


上の空になっていたようね……


平気な顔を装い、頑張って笑顔を作って見せ、デビルドエッグの頭を優しく撫でた。

「姉さんは平気よ。ちょっと考え事をしていたの……」


「あら?デビルドエッグ、それがもらったクリスマスプレゼントかしら?」

「ううん、姉さんへのプレゼントだよ!」

そう言いながらプレゼントボックスを私の膝の上に乗せた。あまりに可愛らしい笑顔を見せるから、私は思わず彼のほっぺを軽くつねった。


「ありがとう、もう開けていいかしら?」

「姉さん、気をつけて!さっきナメクジみたいなものが飛び出す箱を渡されたの!おかげで何度顔を洗ってもまだ変な匂いがする!」


パンドーロが突然駆け寄ってきて、大声で私を止めた。濡れた前髪が彼女の額に張り付いていて、顎には吹き取れなかった水がぽたぽたと垂れ落ちている。


「あははっ、パンドーロのバカ、トフィー姉さんにそんなイタズラをする訳ないでしょう!」

「あたしならいいって言うの?!それにそのナメクジは一体何でできているのよ……自分の顔にも塗ってみたら!」

「ヤダ!!!」


ダンッーー


部屋のドアが突然蹴り開けられ、レイチェルは持ちきれない量の荷物を抱えて入ってきた。彼女の後に続くのはトマホークとルーベン、何故か二人とも髪がボサボサだ。


「おいっチビ共!今日は珍しく訓練がないんだから、これ以上暴れたら今日のおやつお前たちの分はないぞ」

「うぅ……レイチェル姉さんごめんなさい……でもトマホーク兄さん、その髪はどうしたの?あれ?!ルーベン兄さんも……」

「こいつら、夕食をステーキにするかソース煮にするかで言い争ってたんだ。お互いの足を踏んだり、髪を引っ張り合ったり、いい年してこんな事で喧嘩するなんて……どうせ牛肉なんだから、どっちでも一緒だろ」

「は?同じな訳ねぇだろ!そんなこと言ったら、世界中のシェフとグルメに怒られるぞ!」


ボンッーー


今度はドアを蹴破る音ではなく、厨房から爆発音らしき音が聞こえてきた。

そして、髪が乱れ、顔も真っ黒になったクリームチキンが部屋にやってくる。


「皆様、申し訳ございません……本日はケーキを食べられないかもしれません……」

レイチェルは一瞬固まったけど、クリームチキンに歩み寄り、彼の肩を叩いた。

「なあに、心配するな、絶対しくじると思ってたから、夕食とデザートを食堂から持ち帰ったんだ!さすがクリームチキン、みんなの期待を裏切らないな!」

「もっといい意味で期待していただけないでしょうか?!」


狭い部屋にまた笑い声が響いた。


夕食の準備を終えたルーベンは、パンドーロにとってぶかぶかのクリスマス帽子を彼女に被せた。そしてレイチェルはトマホークの髪を顎の下に置いて、サンタの真似をしている。 デビルドエッグは落ち込むクリームチキンの肩を叩いて、彼を慰めるフリをしながららそっとナメクジを彼の背にペタッと貼り付けた。


クリームチキンの悲鳴と共に、笑い声が広がる。

せっかく買ってきたガーランドが部屋中のあちこちに散らかって、光を反射して弱弱しく光っていた。


やがて闇に葬られるかのように……


ゴゴゴゴゴッーー


笑い声は突如として湖底に沈んでいくように聞こえなくなり、見慣れた愛らしい顔も一瞬で消えてしまった。

再び目の前に巨大な怪物が現れた、不毛な戦場と白い煙しかない。


いや……私から離れないで……


もう二度とこんな風に消えないで……


いやだいやだいやだいやだ……


「トフィー、なにボーっとしてんだ?」

「イヤーッ!」


トマホークの声で現実に引き戻されたが、胸には闇が渦巻いたまま。

突然の悲鳴に全員が手を止め、心配そうに私の方へと振り返る。


「……じゃあ、今日はステーキはやめようか?姉貴がこんなにもステーキが嫌いだなんて知らなかった……」

レイチェルはテーブルに置こうとしたいた皿を手に取り、厨房に戻しながら助け舟を出してくれた。


その一言で気まずくなった雰囲気が吹き飛ばされたようだ。皆も安堵のため息をつき、再びそれぞれ手を動かし始めた。


「大丈夫ですか?」

思慮深いルーベンは、もちろんそう簡単には誤魔化せない。

そんな不安な顔で聞かれて、切ない気持ちになってきた。


「いや……ごめんなさい、さっきのは……いいえ、なんでもないわ……」

「もしかして、これからの戦場のことを心配しているのですか?」

「ええ」

「トフィー、まさか俺が堕神を倒せないとでも思っているのか?」


トマホークは私の隣に座り、かなり不満そうな表情を浮かべている。

それを見て、思わず吹き出してしまった。


「もちろん違うわ。でも私たちは実際の戦場について何も知らないのも事実よ……ごめんなさい、私ったら、折角の休日……ううん、クリスマスなのにそんなこと言っちゃダメね」

「いえ、むしろそんな悩みを一人で抱え込まないで欲しいです。ただ、トマホークは負担を分担できるほど頼もしくないのが残念ですね」

「はあ?もう一回言ってみろ?!」

「ふふっ……ルーベン、笑わせてくれてありがとう」

「こんな笑わせ方あるかよ?!」


部屋は再び明るい雰囲気に包まれた。


ガラス窓に霜が広がっている。部屋の外では雪まじりの風が吹いていた。

暖炉の火は小さなクリスマスツリーをあたたかく照らし、壁に飾られたクリスマスリースも橙色の光に包まれ、より鮮やかに見えた。


どこにでもありそうな、少し貧しい普通の家庭に見える。


ああ……なんて素敵なのかしら。


まるで、夢のよう……


Ⅲ.家族

戦場は、やはり予想以上に過酷なものだった。


以前、魔導学院での過程やテストも過酷なものだったけれど、少なくとも体力が限界になる前に終わらせてくれる。


しかし、戦場にあるのは始まりだけ、終わりはない。


日々繰り返された戦闘は、私に夢と現実の境目を見失わせた。訓練用のシミュレーションで仲間がこの世から消えて煙になっていく姿がフラッシュバックする。


いえ、あの悪夢を再現させるものか!


でと、まるで私の恐怖心に引き寄せられたのか、ずっと恐れていた事がついに現実になってしまった。私のミスで、レイチェルが怪我をした。


魔導学院では、戦いの技術やコツは色々と教えてはもらったが、傷を手当てする方法は教えてもらえなかった。


更にまずい事に、レイチェルの傷は以前のように自然に治ることはなく、大量出血して、悪化しているように見えた。


「もしかして、ここの堕神はいつものとは違うかもしれない……」


「みんな、今日は一旦休もうぜ。堕神の野郎、今日は大目に見てやる」

「レイチェル姉さん、大丈夫?」

「安心しろ、死んだりはしない」


私が命令しなくても、皆は整然と役割をこなしていた。

皆と比べて、私は慰めの言葉をかけることもできず、ただ傍観することしかできなかった。


私は、なんて軟弱なのかしら……


「素敵な女性に出会ったのです。見てください。頂いたこの包帯で止血ができますよ!」


クリームチキンは、まるで命を救う魔法でも授かったかのように、嬉しそうに走って帰ってきた。

だけど、彼以外の全員が例外なく顔をしかめた。


親切な女性?こんなところに現れるものかしら?


「皆様、色々な疑問を持っているとは思いますが、その前に……まずはこの可哀想な包帯を綺麗に巻いてからにしましょう」


現れたのは、上品な物腰でありながら、どこか冷たい雰囲気を漂わせる食霊の女性だった。

彼女はバイオリンケースをレイチェルのそばに運び、クリームチキンから包帯を受け取りレイチェルの傷に手際よく巻いた。


彼女は医者か?あるいはよく怪我をする人?そうじゃないと、これほど綺麗に包帯を巻けないわ。


ここはティアラ大陸の最北端、辺境の地だ。理由となくここを通りかかる事はない、そして、たまたま治療が得意で包帯を持っているというのはもっとありえない。


戦場はそんな偶然存在しない。

彼女は間違いなく危険だ。


その事に気づいた私は、立ち上がって彼女に近づいた。


いつまでも軟弱のままではいけない。

苦しい戦いの中で支え合い、僅かな時間の中で喜びを分かち合ったこの仲間たちは、最早「仲間」ではなく、私の「家族」だ。


彼らを守るため、今この瞬間、私は軟弱な自分を殺すと決めた。


「ご協力ありがとうございます。どうかお名前を教えてください。そして、どのようにお返しをしたらいいでしょうか?」

「礼には及びません。どうぞヴィーナーとお呼びください。そうですね……私は道に迷っているのです。しばらくここを離れられそうにないみたいですし、少しの間でもいいので、ここに泊めていただけませんか?できるだけ野宿を回避したいのです」


大胆に「爆弾」をそばに置くべきかしら?


……


もちろんだ。

危険を解決したければ、危機を恐れてはいけない。


「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください、ヴィーナーさん」


笑顔で彼女と握手をし、そのバイオリンケースを受け取ったーー中身が何であれ、バイオリンの可能性はゼロだろう。


念のため、ヴィーナーには別のテントを用意した。

物静かな彼女は少し冷たい、距離感の取り方が上手で、共に過ごす上で特に不快感は覚えなかった。


翌日、ヴィーナーは退屈という理由で私たちの戦闘に加わった。

そして驚いたことに、彼女にはたくさん助けてもらった、しかも私よりも……指揮が上手だった。


気がつけば数日が経ち、ヴィーナーはまだ何も不審な事はしておらず、皆とも随分親しくなっていた。

一日の戦闘を終え、キャンプ地へ向かう途中、笑ったり、冗談を言い合ったりするようにもなった。


この時こそ、彼女が最も油断している時のはずだ。


「そう言えば、そもそもどうして邪神遺跡に来たのかしら?」


流石の彼女も、私が突然の話題を変えた事に疑問は抱かなかったみたいだが、しばらく考えてから口を滑らせた。


「以前予約していたバイオリンを取りに行くはずだったのですが、途中で堕神に遭遇し、ここまで追いかけられて迷子になってしまいました……貴方方に出会うまでは」


嘘、だってのバイオリンケースは重かったもの。


微笑みながら、必死で怒りを抑えた。

「あら、そうなのね、ここの堕神は確かにかなり厄介だわ」


「はい、ここにいる堕神はとても手強いです」

そう言いながら、クリームチキンを庇った時に出来た傷に包帯を巻いていた。


……


敵でありながら、同時に彼女は恩人でもある。


私はため息をつき、彼女の横を通り過ぎる時、そっと彼女の肩を叩いた。


「お疲れ様、それと……ありがとう」


情に流された訳ではない。

ただ、いつか彼女と刃を交える事になるかもしれないと思うと、少し残念な気分になったのだ。


もし、彼女も私の家族だったら……


堕神と戦う必要がなくなったら、冬に皆で休日を過ごし、美味しい料理をシェアしながら、同じジョークで笑い合えたら……どれほど幸せなことなのだろう?


残念ながら、私たちの世界にそのような「もしも」は存在しない。

あるのは「生」と「死」、二つの選択肢だけだ。


しかしこの後、ヴィーナーは自ら自分の正体を明かした。彼女は我々を暗殺しにきた傭兵であることを告白してきたのだ。


予想はしていたからか、不思議なことに、私は彼女がケースから取り出した兵器に恐怖など感じなかった。


彼女は自分のことを殺人道具と言ったが、自分も「兵器」であることを思い出した。


魔導学院は私たちに呪いを掛けたのだ、自分は感情のないただの兵器だと一度は思ってしまった事がある。

しかし、戦えば戦うほど、自分には血肉があり、感情を持った命であることはっきりわかるようになっていった。


私は涙を流す衝動に駆られる前に、ヴィーナーを見つめ、彼女を抱きしめた。


そして、この先に何度もこう決断して良かったと思えるような決断をしたーーヴィーナーを家族として受け入れる。


家族がいれば、たとえこの身が兵器であっても、もう冷たさは感じなくなるはずだ。


Ⅳ.夢からの目覚め

コンコンッーー


「どうぞ」


ヴィーナーが茶菓子を運んできてくれた。デスクの上に置かれた図面を見て、そっと顔をしかめる。


「お嬢様、もしかして”増築”のことを考えているのですか?」


「ええ、戦争も終わったことだし、そろそろ皆と旅行をする約束を果たす時だわ」

「お嬢様、これは大きなリスクが伴っていることを存じておりますね?」


ヴィーナーの真剣な口調を聞いて、私は図面を下ろした。


戦争が終わり、かつて魔導学院に「スペクター小隊」と呼ばれていた対堕神兵器は戦場を離れ、「スペクターファミリー」を結成し、この広い領地でのんびりと暮らしている。


ーーしかし、ここはあくまで私が丹精込めて築き上げた表象に過ぎない。


堕神を殲滅すること、これが魔導学院が下した最後の命令だった。私たちは契約に縛られているため、新たな命令が下されるまで戦場を離れることはできない。


しかし、新たな命令が下されることはもうないだろう。


「スペクター」は悲劇的な形で裏切られ、魔導学院からも見放されてしまったのだから。


あの絶望的な一夜を、私は永遠に忘れることはできないだろう。


クリームチキンは皆を守るために血だまりに倒れ、パンドーロデビルドエッグは人間に踏みつけられ、涙を枯らしながらやがて虫の息になった。


レイチェルは怒り狂い、血に飢えた悪鬼になった。ルーベンはこの世の全てに幻滅し、危うく自分の目を潰そうとした。


ヴィーナーも初めてパニックに陥った、傷口の手当をする両手が激しく震えていたのだ。トマホークは人間たちを死に追いやると、契約のしがらみを振り払おうと咆哮した。


暗い森は血まみれになり、窒息しそうなほど凄惨な場面が広がっている。


人間たちが狂ったように笑っている様子が、私たちの悲惨な未来を告げる恐ろしい声が、悪夢のように私に付き纏う……


私は悪夢の中で膝をつき、初めて無力感、絶望感を同時に味わった……


でも、私も決して絶望に負けたりはしない。


「スペクター」はこの世から消えたりはしない、自分たちのやり方で生きていく。


例え、それが夢だとしても……


「ルーベン様とレイチェル様がこのような悲惨な現実のせいで堕化し続けることがないよう、そして彼らの魂が完全に壊れないよう、この幸せで美しい”夢”を築き上げたのは理解できます……」


ヴィーナーは、観覧車やメリーゴーランドなど、私が本で見た遊園地の様子が描かれた図面を手にした。


「しかし、これだけ巨大な夢の世界を維持するのは容易ではありません。このまま”増築”を繰り返せば……最近、お嬢様の”睡眠時間”はどんどん長くなっていますし、このままでは、いずれここは崩壊するかもしれません」


……


もちろん、承知の上よ。


夢は自意識を生み出したが、論理的なものではなく、現実とは全く関係ない場合もある。


これが現実の世界で、戦争が本当に終わっていて、私たちは本当に解放されたのだと納得してもらうために、私の力を使うことは必須だった。


ーーそれぞれの混乱した意識の糸で一つの完璧な網を創り上げる、完璧な世界を創り上げる必要がある。


ただ、ルーベンとレイチェルの特殊な状況を考えたら、この「網」は非常に脆く、少しの刺激でも破れて、論理的エラーがら起きてしまうだろう。


だから、網の完全性を維持し続けなければならない。既に霊力の多くを消費しているこの網を、さらに拡張し続けたら……


これがいかに危険なことなのか、私も当然わかっている。


「私たちは生まれた時から訓練と実験のために魔導学院に閉じ込められてきたわ。この世界の事も、旅先でチラっと垣間見ただけ……目的地に着いたらすぐに戦場に兵器として投入された」

「この世界は訓練場や戦場だけじゃない。本当の世界はとても美しいのに……そんな世界を皆にもっと見てもらいたいの」


これでルーベンとレイチェルは堕化から徐々に立ち直れるかもしれない、何より……

私の家族は、世界の美しさに相応しいわ。


「なら、お嬢様はどうなるのです?この世界を築き上げた貴方はたくさん犠牲を払われたのに、窓の外の一寸の青空しか眺められないなんて……私はお嬢様が霊力を使い果たし、干からびて死んでいくところを見たくありません」

「だから、あの時誘って本当によかったと思っているわ。ヴィーナー……家族になってくれて、ありがとう」

「私を褒めて話題を変えようとしないで頂きたいです」

「あら、バレたのね?」


ヴィーナーはため息をついて、図面をデスクに戻した。


「私にはお嬢様を止める権利はありません。しかし、お嬢様の身に危険が及ぶと判断したら、強引な手段を取るつもりです」

「ええ、その時はお願いね」


かつてスペクターの暗殺が目的だった彼女が、今やスペクターのメイドになっているなんて、運命とは不思議なものね。


メイドになりたいという志望動機は少し変わっているけれど……


でも、こんな時に冗談交じりに心配してくれるのは彼女しかいないから、こうしてそばにいてくれる事に本当に心から感謝している。


契約に縛られていない彼女は、家族を守るために全てを捧げようとしている、とても頼もしい存在だわ。


それに、彼女が淹れた紅茶も最高に美味しいわ。


パリンッーー


ティーカップが床の上で砕け散りヴィーナーは驚いた顔で私を見る。


「どうかしましたか?」

「ルーベン……ルーベンの存在を感じ取れないわ……」


いつも晴れ晴れとしている窓の外は今、黒雲が広がり、木々が風に吹かれて窓ガラスを叩いている。胸が締め付けられ、鼓動が早くなる。


あぁ……どうやら、この完璧な夢からもう醒めてしまうようね。


Ⅴ.トフィープディング

ヴィーナー・シュニッツェルが戦闘に加わってから、トフィープディングは薄々と気付く事に。自分は対堕神兵器としての立場は「リーダー」や「指揮」でなく、スペクターの皆を従わせることであると。


強力な兵器群に服従の仕方を知ってもらうためには、契約後からだけでは不十分であると判断し、魔導学院はトフィープディングを最初に創り出した。

誰もが喜んで従うような優しい姉である彼女は、魔導学院に最も従順な忠犬だ。


自分たちが生まれた意味は何か、人間のために死ぬまで戦うための武器に過ぎないのか、デビルドエッグが無邪気な顔でそう聞いてきても、彼女は何も答えられなかった。


彼女はそれが間違っていると、いや、家族たちにとってフェアではないと心の中で思っているからだ。


それでも彼女は、「スペクター」の仲間たちを何度も何度も魔導学院の命令に従わせてきた。


何故なら、魔導学院は彼女の心に「愛」の種を植え付けたからだ。

仲間のため、皆を率いて命令に従わなければならないーーそうすれば、契約の脅威から生き残ることができる。


兵器扱いされても、魔導学院の忠犬になっても、裏切られ、見捨てられていても、彼女は何とも思わなかった。


仲間や家族が元気で生きていればそれだけで十分。

皆が残酷な戦争に巻き込まれることなく、怪我せず自由に暮らせればいいと強く願っていた。


そのために、彼女は敵の前に立ち続けた。


彼女は鉄壁のような存在となった。魔導学院の監視の目を遮り、堕神の咆哮が轟く戦場で、孤独と絶望の中にそびえ立ち、美しき夢を守り続けた。


彼女は「スペクター」で最も優しく、そして最も強い柱であり、決して倒れてはいけない。


「スペクター」のためなら、霊力が衰えて死ぬまで、この夢を維持し続けるだろう。


それは最早魔導学院から与えられた枷ではなく、彼女自身の夢そのものになっていた。


でも今は違う……


自分が必死に繋ぎ止めた夢からルーベンサンドが消えていくのを感じながら、崩壊し始めた彼女の心と共に、この夢の世界も少しづつ崩れていく。


行方不明のルーベンサンドを探しに行ったトマホークステーキを除き、トフィープディングは夜中に家族を一人ずつ起こし、リビングルームに集合させた。


雷が鳴り響く雨夜、彼女は震えながら家族に世界の真実を告げた。


自らの手でこの夢を壊したのだ。


ヴィーナー・シュニッツェルは彼女の横に立ち、しっかりと彼女の手を握ってあげている。

皆は雷に打たれたかのように、複雑な表情で石のようになってその場に立ちすくんだ。


そして、トマホークステーキが帰ってきた。ずぶ濡れになりながらも、その目には炎が燃えていた。


トフィープディングは長いため息をついた。せっかくあの悪夢から逃れられたというのに、根本的な原因を解決しない限り、いずれまた悪夢が襲ってくることをはっきりわかったのだ。


戦争は今、再び始まろうとしていた。



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