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蛇腹きゅうり・エピソード

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蛇腹きゅうりのエピソード

周りにはクールな狭客として見て欲しいため、装っているが、実はとても熱心で、人助けが好き。間を取り持つ事を楽しんでいる。仕事は早く、口を動かす暇があったら手を動かすタイプ。いつもイメージを保つに無口でいるが、一人の時は自分の武器に向かってブツブツ何かを話したりする。


Ⅰ.善悪

「もっと急がなければ。何も起きていないといいが……」


枝葉をかき分け、山の細道を駆け抜ける。

棘でふくらはぎが痛くなっても、とにかく手遅れにならないようにと願うばかりだった。


山を這い下りてきた木こりの話によると、山賊の一団が山腹で人々を襲っているらしい。


彼によると、その賊は悪名高い常習犯だそうだ。

強奪を繰り返し、誰も生かさないんだとか。そいつらを一刻も早く止めなければ、考えたくもない事態になるだろう……


やがて、前方から人の声が聞こえてきた。


速度を落とし、視線を遮る木々をそっと押しのけると、そこには赤が広がっていた。一瞬、それが血のような夕焼けなのか、それとも血だまりの色なのかわからなかった。


夕陽の下、護衛の死体があちこちに転がっている。血だまりの中で生きているのはたったの三人だった。

それは、血の気のない女性とその腕に抱かれている震えている幼い娘、そして跪き頭を下げて懇願する男性だった。


「おっ、お願いします…!お金も物も好きなように持っていってください!この命だけは助けてください……」

「生きたいのか?ハッ、いいだろう」


男性は喜びながら、急いで荷車から箱を降ろし、金銀財宝を山賊の頭に届けた。


しかし、危険な香りがする。

経験から、このような欲張りな男が簡単に見逃してくれる訳がないと察した。


「ああっー!!!」


案の定、頭は目の前の財宝を満足げに眺めながら目を細めて部下に合図を送った。

すると、娘を抱き抱えていた女性が、血だまりに強く押しつけられた。


「なっ、何を……しているんですか!」


頭は男性の服で刃物についたばかりの血を拭き、その笑顔は不吉な悪意に溢れていた。


「この財宝で、お前は確かに一命を取り留められるが……クリー残りの二つの命は、俺のもんだ!」

「そんなっ……」


もうこれ以上待てない。


「やめろっ!」

「誰だ?!」

俺は叫びながら茂みから飛び出し、そいつらが呆然としている間に、鞭を振り回し、そいつらの手から刀を叩き落とした。

山賊は凶暴だが、所詮は人間。数撃で全員地面に倒れた。


「ああっ!雲ちゃん!!!」

突然、後ろから女性の悲鳴が聞こえてきた。


振り返ると、流れが変わった事に気付いた頭が、俺が部下と戦っている間に幼い娘を連れて行ってしまったのだ。


山賊の頭は目を見開いて俺を見つめ、まさに今手にした刀で彼女の細い首を切り落とそうとしていた。


俺は一気に彼に近づき、自分の腕で刀を防ぎながらもう片方の手で彼の首に触れる。

青い龍の影が一瞬にして足元の真っ赤を掃き、山賊の頭は俺に倒された。


幼い娘が女性の腕の中に戻ったのを見て、やっとホッとした。

正気に戻った男性は、慌てて懐から光り輝く宝石の入った袋を取り出し、はにかみながらそれを俺に押し付けてきた。


俺は笑顔で首を横に振り、彼の手を押しのけ、女性に傷口を包むための綺麗な布だけを求めた。


「俺はただの通りすがりだ。ついでに倒しておいただけ、礼はいらない」

「まだまだ先は長いため、俺は長居はできない。またどこかでお会いしましょう」


そうだ、本の中の侠客たちも、こうやって自分の務めを果たした後にカッコよく別れを告げているのだろう。

悪をくじき、弱きを助けても、礼などを求めない。


しかし、歩き始めてからすぐ、この山は険しく道程が大変であることに気がついた。

それに、子供と一緒だ、もしまた危険な目に遭ったら……


こっそり後をついて、見守ろう。

俺は静かに三人の元へ戻り、馬車の少し後ろについた。三人の会話がうっすらと俺の耳に入ってきた。


「雲ちゃん、怪我はない?よかった。あのお方が助けてくれて……そうでないと……」

「あのお方って、ただの戦えるだけの暇な食霊だろ。俺が解決しそうになっていたところを見ていないのか?」


「貴方に何が出来たの?彼が助けてくれなかったらどうなっていたか、想像もつかないわ……」

「あいつがあの盗賊の頭を怒らせたんだ、そうじゃなかったら雲ちゃんはあんな目には遭わなかっただろ」

「はぁ……とにかく無事で良かった……でも護衛たちが亡くなってしまったのは可哀想だわ……」

「フンッ、役立たずなんて死んでも構わん。例え生きていても、絶対に金を払わなかった」


風が強くなってきたようだ。木々が音を立てている。


「雲ちゃん、お前は父みたいに経験がないから、ああいう偽善者に騙されるかもしれない。気を付けないといけないぞ。わかったか?」

「……」

「……」

「……」


全部は聞き取れなかったが、内容は推測できたので、それ以上聞く必要はなかった。

麓が近づいてきた、城門もそう遠くない、もう安全だろう。


俺は、そう遠くないところにある名もない酒場の扉を押し開け、ここで一晩過ごすことにした。


明日、盗賊が殺されたと聞けば、街の人たちは喜ぶだろう。


酒場の外は雨が降っていて、飲みながら、忘れられないとある雨の夜のことを思い出した。


Ⅱ.恩讐

「ここは……どこだ……?」


眩暈の中目が覚めた俺は、まだ痛む頭をさすりながら、急いで目の前の暗闇に慣れようとした。


「おかしいな、俺は……李おじさんの家でご飯を食べていたはずだろう?」


李おじさんが、盗賊を退治したお礼に酒をごちそうしてくれると言ってくれた。

人を助けるのに見返りを求めてはいないが、彼の誘いを断ることが出来なかったのだ……


あたたかく賑やかな光景はまだ記憶にあるし、食事もまだ終わっていないのに、どうしてこんなところにいるのだろう。

しばらく答えが見つからなかった。

とにかく、まずはここから出よう。


立ち上がって痛む手足を動かそうと思ったが一歩踏み出した途端、足に巻かれた鎖につまずいてしまった。


そしてその時初めて、自分の霊力がどんどん失われているのに気が付いた。ふらふらと地面に尻餅をつき、しばらくすると腕も上がらなくなった。


「ははっ、私の毒が効いているんだ。無駄な力を使うな。もがけばもがくほど、早く死んでしまうぞ」

暗闇の中から突然低い声が聞こえてきた。

「考えなしなお前が悪いんだ。私の息子に手を出すとは、随分な度胸だな!」


火が灯り、暗闇の一部を散らした、目の前には肥えた人影があった。姿は見えないが、官服でその男の正体を確認することができた。


今日、市場を通る時に始末した悪党は、この者の息子だったようだな。

だからあんな白昼堂々、犯行悪さをしていたのか……


「官吏である以上、民のために働かなければならない。山賊を退治することができないなら、せめて自分の息子くらいは躾けるべきだろう」

俺はあの人影に向かってこう言った。


「ハハハッ、どうして自分の部下を退治しなければならないんだ?」

男は部下に命じて周囲の松明を全て灯すと、柔らかな光が部屋全体、いや、正確には拷問器具で覆われた独房を徐々に照らした。


「あの盗賊のおかげで、この独房を修理するのに十分な金を手に入れた……お前が私の部下を殺したことは不問にしてもいい……ただし……」


「ある愚か者が盗賊の件を朝廷に報告し、私がそれと共謀していると訴えたのだ。だから、下民どもに認められた侠客であるお前が……私の無実を証明するために名乗り出てくれれば……」


彼はそう言って近づいてきた。不吉な口が火明かりの中で醜く歪む。

「お前のした事を全て許すだけでなく、官職もつけてあげよう。どうだ……?」


それを聞いて、俺は思わず笑った。

その男は、俺が申し出に興味を持ったと思ったのか、無意識に近づいてきた。俺は体内の猛毒を無理やり抑えて、前に飛び出す。


男は突然の出来事に怯え、叫びながら後ろに倒れ込んだ。


毒がまた効いて、俺は獄卒たちに地面に押さえつけられてしまった。鎖がカチャカチャと音を立て、俺は鼻で笑う。

「クソ官吏!あんな非道な事をするくらいなら、死んだほうがましだ!」

「フンッ、人の厚意を無碍にするとは!やれっ!」


ついに独房の扉が閉まり、獄卒は様々な拷問道具を持ち出しては一つずつ俺に試した。夜がこんなに長いと思ったのは始めてだった。


朝日が上がると、あの官吏はいよいよ俺を見飽きて、帰ろうとした。だが何か別のことを思いついたのか、笑みを浮かべながら振り返る。


「毒を盛られ、投獄された経緯を知っているか?ふふっ、あの下民共は恩を返すことを知らないんだ……」

「……」

「後悔したか、食霊よ」

「ペッ!」

「フンッ、意地を張るな!もっと痛めつけろ!」


……


「水責めからやれ。耐えられなくなったら次に移れ」

「ご心配なく、あらゆる方法で彼を拷問いたします。彼は死よりも恐ろしい目に遭うだろう」

去り行く足音は次第に小さくなり、俺の意識は遠のいていった。


何?水……?


また……雨が降っているのか?


雨が……


Ⅲ.雨夜

もうすぐ雨が降る。


屋根裏の扉を開けると、御侍はまだ車椅子に座ったまま、窓の外を見つめて動かない。

俺はいつものように、ゆっくりと歩み寄った。


「おや?来てくれたのか」


「御侍、外は寒い、中に戻ろう……前回の話の続き、まだ聞いてないだろう」


御侍には持病がある。風の冷たさに耐えられない。俺は暖炉のある部屋に戻って、大好きな侠客物語の続きを聞くよう説得した。

颯爽と登場し、悪を懲らしめ、善を広める侠客の話を聞くたびに、彼の目はいつも輝いていた。


しかし、彼は首を横に振って、遠くの家々の灯りを眺めた。

蛇腹きゅうり、外の世界に行ったことはあるか?」

「いえ、でもいつか御侍と一緒に見てみたい」

「外の世界は良いのか、それとも悪いのか。素晴らしいのか、それともここのようにつまらないのか。どうしても……この目で見てみたいんだ……」


「本の中の侠客のように、天地を自由に行き来し、弱者のために立ち上がり、悪人に立ち向かって、世の中の不正を根絶できたら、なんと楽しい人生だろう……」


その瞳の光は、ますます輝きを増していった。しかし、その言葉を言い終わらないうちに、強い風が窓を開け、屋根裏部屋を一瞬にして冷気で満たした。彼はまた咳き込んでしまったのだ。俺は急いで駆け寄り、再び窓を閉めた。


「しかし……人助けどころか、この身体で皆に迷惑を掛けるなんて……私は役立たずだな……」

「御侍、元気になったら……」

「もう隠すな。あの日、先生の言葉を聞いたんだ」

「……」


蛇腹きゅうり、一つ頼みがあるんだ。聞いてくれないか?コホッ、これが……最後の頼みだ」

「もちろんだ、任せてくれ」

「私の代わりに、世界を旅して欲しい」

「……」


「本の中の侠客の生き方に憧れているが、それはあくまでも他人の話だ。コホッ、この体ではここから一歩も出られない……」

「君は、私の唯一の友だちだ。ここの代り映えのない生活を君も好まないことをよく知っている」


言えば言うほど、その声は小さくなり、もはや口を開く力もないかのようだった。


「わかった」

俺は彼の肩にそっと手を置いた。

「約束する」


「それじゃあ……戻ろうか」

彼は目を閉じ、話すのをやめた。

彼の車椅子を押して中に戻ると、暖炉の火が踊っていた。外はやっと雨が降り始めたようだ。


何日も雨が降り続いた。彼との最後の思い出も、雨夜のままだ。


その日も、いつものように御侍のそばに座り、いつものように、息を引き取るまで付き添った。


もし彼が病気に掛からず、他の子どもと同じように健康に育っていたら、凛々しく颯爽とした青年になっていただろうと、ずっと思っていた。


「侠」とは何だ?

誰も本当の答えを教えてくれないが、俺は自分の足でそれを知っていきたい。


何はともあれ、御侍、外の世界がどんなものなのか見てみたい、その願いを叶えてやろう。それに……


俺は御侍がいた家を後にし、雨夜を歩いた。


「御侍、その無念が晴らそう」

夢が覚めたようだ、俺は寒さに震えていた。

「この世の中は、寒すぎる……」


「きっ、金駿眉(きんしゅんび)!こいつ冷たい!もしかして死んじゃった……」

「シーッ、そんな縁起でもない事を言うために呼んだんじゃないよ」

「わかってるよ、悪者をやっつけるのを手伝って欲しいんだろ!」

「早く背負って、行くよ」

「力仕事のためかよ!」


うるさいなぁ……

それにしても……

なんてあたたかいんだろう。


必死で目を開けてみると、地面に倒れている二人の獄卒と、独房の扉から遠く離れたところに立っている黒髪の男だけが見えた。

俺の視線に気づいたのか、金色の瞳を俺の方に向け、口角を上げた。


そして、体が軽くなったのを感じ、完全に意識を失った。


Ⅳ.侠客

どれくらい経ったのだろう。


暗闇から再び目を覚ますと、俺はあたたかな寝台の上で眠っていた。

また夢なのか?


「チッ……目が覚めたか」


辺りを見回すと、寝台の脇に麒麟のような黒い怪物がいた。俺が目を開けたのを見て、不愉快そうにため息をついて離れて行った。


「ふふっ、そのような怪我で生き残るとは、本当ち幸運だな……ただ黒麒麟がまた腹を空かせてしまうね」


口を開いたのは金色の瞳を持つ黒髪の男性だ。どうにも見覚えがある。


「あんたが……俺を救ってくれたのか?」

「正確には、わたしではない」


俺の戸惑いを見透かしているのか、俺を見下ろしながらその目には笑みが浮かんでいた。


「あなたを運んだのは老虎菜(らおふーつぁ)だ。しかし、わたしが独房の扉をこじ開けなければ、あなたは出られなかっただろうし、わたしがあなたを救ったということにしておけばいい」


「わたしの名は金駿眉、ここはわたしの書斎だ」

「ああ、俺は蛇腹きゅうりだ。どうも、感謝する……」

「必要ない。ただ一つだけ聞きたいことがある……あんな目に遭ってのに、何故悪念の一つも生じてないんだ?」


「悪念?」


金駿眉が突然一歩前に出て、興味深そうにこう言ってきた。


「勇気を出して人を助けたのに、裏切られた」

「侠客精神は貫いたのに、足枷を着けられてしまった」

「あなたの犠牲は、実に安いものだ」


「……」


「失望した?」

「世の中の不公平と、恩を仇で返す人間共を憎み始めた?」


「……どこで俺のことを知ったのかわからないが、誤解しているようだな」


俺は体を起こし、まだ霊力が完全に回復していないにもかかわらず、その金色の瞳を直視しようと身構えた。


「見返りを求めている訳でもなく、頼まれたから手を貸す訳でもない……単に自分がそうしたいから誰かを救うんだ」

「だから、他人の裏切りや他人から科せられた足枷は、俺にとってどうでもいい事なんだ」


「プッ……アハハッ、なんという愚か者な!世界一の馬鹿だ!」


あの黒麒麟は突然笑い出し、地面を転げ回った。


金駿眉、こいつはただの頑固な石ころだ。まるで自分が世界を救う聖人だと本気で思っているようだ。ハハハハッ……」


しかし、金駿眉は無表情のまま、ただ静かに俺を見つめた。

俺は拳を握りしめて、再び言葉を発する。


「大陸を旅し、様々な困難を乗り越えてきたが未だに侠客とは何か、人間の善悪は解らない……」

「しかし、侠客は世の中の不公平を憎んでも、少なくとも損得や犠牲を気にすることはないことを俺は知っている……侠客は、常に自分が正しいと思うことを行うのだ」

「無駄な恨みに何の意味があるのか?世の中は広いんだ。復讐するより、笑って許してあげた方が良い」


その金色の瞳に、からかい以上の何かがあるように見えた。

しかしそれは一瞬のことで、俺がそれを捉える前に消えてしまった。


「ふふっ、笑って許してあげた方が良い……おそらくあなたは間違っていない。しかし皆がこのようになったら、世の中の楽しみは減ってしまうだろうね……」

「少なくとも、出てくる前に独房の中にもっといる事になっただろう」


「どういう意味だ……」

「侠、侠客……」


扉の前から突然聞き覚えのある声がして、俺は金駿眉を通り越して声がする方を見た。

「李おじさん?」


「わっ、私です……申し訳ないです!あの官吏に孫の命を狙われていたので、貴方のお酒に薬を……」

「貴方に合わせる顔がないんですが、怪我をされたと聞いて、お見舞いに伺いました……大丈夫です。もう二度と貴方の前には現れませんから……」

「許せないのならどうぞ私のこの命を奪ってください……」


地面に跪き、震える手で何度も謝ってきた。老人の顔は罪悪感でいっぱいになっている。見るに耐えないほどだった。


「立ってくれ。何を言っているんだ。あんたの命を奪うなんて……」

「そうだ、彼があなたを救ってくれと懇願しに来なければ、あなたがそこに閉じ込められている事をわたしは知らなかっただろう……」

金駿眉は老人を助け起こし、彼の腕を支えながら俺に顔を向けた。


「恩讐や色んな葛藤こそが、この世で一番面白いものだろう?」


Ⅴ.蛇腹きゅうり

クラゲの和え物!俺の笠をどこに隠したんだ!」


「イヒヒッ、当ててみろ!」

クラゲの和え物の笑い声が四方八方から谷間に響き渡り、蛇腹きゅうりの頭を悩ませた。


歩けるようになってから、眠りから覚めるたびに、笠、簑、武器のどれかが必ず消え、そのために書院のほとんど全ての場所を歩き回った。


クラゲの和え物は、学院を案内する任務を最短で達成したと、興奮気味にそして得意げに金駿眉に向かって報告している。


「恩讐や色んな葛藤こそが、この世で一番面白いものだろう?」

この言葉を聞いて、命を救ってくれた金駿眉に報いるため、蛇腹きゅうりは当分ここに留まることにしたのだ。


鬼谷書院に来てから五十九日目になった。傷もほとんど癒えたため、彼は中庭で体を動かしている。


笠を奪われたって関係ない。食事時間にはクラゲの和え物がやってくるはずだから。

鬼谷書院の門番でもいい。一刻も早く凝り固まった体を解し、自分の出来ることをしたいと彼は考えていた。


蛇腹きゅうりは硬い鞭だけでなく、刀や槍などのあらゆる武器に精通していて、あらゆる技を繰り出す事も出来るため、すぐに多くの学生たちの注目と喝采を浴びることになった。


中庭の騒ぎが大きくなればなるほど、雪掛トマトのダンスの授業がうまくいかなくなる。


窓の外から聞こえる拍手の音に学生の注意が逸れるため、授業に集中していた雪掛トマトは苛立ちながら、扉の外まで出て行った。


「じゃ!ば!ら!きゅうり!いまは授業の時間よ!カッコつけるのもいい加減にしなさい!」


「うん?」


遠くから雪掛トマトの声が聞こえた蛇腹きゅうりは、すぐに動きを止め、武器を片付けた。


「へへっ、聞こえたか?雪掛トマト先生は蛇腹きゅうりのことをカッコつけって言った! つまり……彼女は蛇腹きゅうりがカッコいいって思ってるって事だろ?」

「えへへ、聞いたよ!やっぱりあの二人はお似合いだな!」

「なっ、何を言っているの!あのバカとお似合いってどういう事よ!二人とも早く教室に入って授業を受けなさい!」

「えっ?でも……俺たちはダンスの授業は取っていません……」

「それがどうかしたの?せっかく無料で教えているのに!来てくれないと、金駿眉に文句を言うからね!」


二人の学生は顔を見合わせたが、頭を下げて 教室に入っていくしかなかった。


「あなたも!学生に教える訳でもないのに、中庭で何をしているの?!授業がしたいなら、まず金駿眉に言って、日程を決めなければならないのよ、わかった?」

「あの、雪掛トマト先生、人前では声を抑えてくれ。俺の耳は悪くないから、聞こえているよ」

「なに?侠客さんは自分が悪いのに、大声で言われるのが怖いの?」


雪掛トマトは弱さを見せず、腰に手を当てて睨みを利かせた。蛇腹きゅうりは、目の前の少女をどうする事もできない。まるで自分が勝ったかのようにドヤ顔をしている彼女を見て、ちょっと腹が立って、続けて言い返した。


「怖くはない。あんたは学生たちがダンスよりも武術に興味があることに怒っているんだろう?罪のない人に八つ当たりする必要はないだろう……」

「あっ、あなたという人は……!」

「授業はどうしたんだ?学生たちが待っているだろう……おいっ、何をする?もうこれ以上追いかけてくるな!」

「……」


緑と赤の鮮やかな人影が狭い中庭を駆け巡るのを見て、学生たちは呆れた。

これ程までに慌てふためく蛇腹きゅうりを見たのは初めてだった。


「あたしも遊びたい!!!」


クラゲの和え物の参戦で戦況が乱れなければ、この二人は明日の朝まで追いかけっこをしていたことだろう。


クラゲの和え物を捕まえて笠を奪い返した蛇腹きゅうりは、苦い顔で何も言わずに自分の部屋に戻っていった。


書院に来てから、何故か自分は少し幼稚になったと彼は思っている。


あらゆる場所を旅し、人の温かさと冷たさに触れ、不平不満やもつれ……そんなものとかけ離れた雰囲気がここにはある。


あの雨夜の前の王府に戻ったかのようだった。


その温厚な人柄で、これまで多くの人と出会い、多くの友人を作ってきたが、ここで改めて「仲間」の温かさを感じたのだ。


コンッコンッ――


扉を叩く音が二回聞こえた。扉に寄りかかっていたのは、あの日、独房から彼を救い出した金駿眉だった。


雪掛トマトに聞いた。あなたもあの子たちに授業を教えたいのか?」

「ごっ、誤解だ……コホンッ、しかしあんたを手伝えるならそれも悪くない」

「もういい、これ以上助けたら本当にキリがなくなる」

「?」


蛇腹きゅうりの困惑した顔を見て、金駿眉は微笑んだ。


蛇腹きゅうりに、前世、或いはもっと昔の記憶があると言ったら、頭がおかしいと思われるだろうと金駿眉は思った。


前世で濡れ衣を着せられた時にこの侠客が手を貸そうとしたからといって、今世では例外的に他人の怨念に巻き込まれてまで、彼を独房から救い出した……

確かに狂っている。


そんな事を思いながら、金駿眉は微笑みながら首を横に振り、極めて自然にその話題を避けた。

「本当にあの子たちに武術を教えたくなった時に、また授業の話をしよう。それと……」


雪掛トマトは先程の件を申し訳なく思っているそうだ。このお菓子をあなたに持っていくようにと言ってきた……餅米蓮根が作ったものだが、彼女の気持ちだ」


蛇腹きゅうりは机の上のお菓子を長い間眺めて、最後に長いため息をついた。




翌日、朝霧と木の枝の間から中庭に日の光が反射し、早起きした蛇腹きゅうりは上機嫌で二人分の朝食を手に、昨日のことを詫びようと雪掛トマトの元へと向かった。


しかし、雪掛トマトの部屋の扉を叩いても誰も出てこない上に、どこにも彼女の姿がない。


ふと、今日は彼女が学院の受付をする番らしいということを思い出し、応接室に移動した。部屋にたどり着いた瞬間、部屋の中の会話が聞こえてきた。


「硬い鞭を持ち、笠と蓑を着ている……まさか?」

雪掛トマトが驚いて低い声でつぶやいた。

「本当にそんな偶然があるの?」

「そうだよ、お姉さん。あの方の姿は絶対に忘れません」

「しかし雲ちゃん、どうやって彼がここにいる事を知ったの?」

「李おじさんが教えてくれたんです。おじさんは、私だけじゃなく、あの方が多くの人を助けてくれたと言っていたのです……」

「父は彼の事をお節介だと言っていましたが、彼がいなければ、あの日、私はきっと山賊の手にかかって死んでいたと思います!」


少女はその目に、蛇腹きゅうりの記憶の奥底にあるよく知っている輝きを灯しながら、興奮した口調で言った。


「私も彼のような侠客になりたいんです!」

「これは友だちと作ったお菓子です!蛇腹様に受け取ってもらえると嬉しい」


「おや、まさか子どもたちに大人気だったなんて……待っていて、彼を探してくる。あれ、あそこにいる……って、ちょっと!なんで逃げるのよ!蛇腹きゅうりってば!」


朝食を入口に置いて、蛇腹きゅうりは姿を消した。


彼は書院を出て、静かで人気のない山林をゆっくりと歩いている。

朝のあたたかい光が顔を照らし、心に温もりが溢れる。


長年旅をしてきた彼は、多くの悪意や憎しみを目の当たりにしてきた。「どんなに純粋な悪意に直面しても対処できるか、例えそれが自分の力を超えるものであっても、後悔せずに死ねるか」と自問自答してきた。


しかし、彼らの思いがけない温かさと優しさに驚き、いつもの冷たい表情が一瞬にして砕け散った。


彼は見返りを求めない訳ではなかったんだ。


しかし、彼が見返りに求めたものは、決して金銀などではなかった。


彼はただ、善意を更に広げたいと願っていただけだった。


「侠」とは何か。


おそらく、蛇腹きゅうりはまだそれを理解していない。しかし、彼は確かに「侠」の長い道のりを歩んできた。




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