遺失神跡・ストーリー
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遺失神跡
目次 (遺失神跡・ストーリー)
邪神の地Ⅰ
匿名の手紙
ある日
ホルスの眼
ザッハトルテ:ただい……
クレームブリュレ:おかえりなさいませ、ご主人様!お食事にしますか?それとも……
ザッハトルテ:まずは先週の調査報告書を提出してください。
クレームブリュレ:げっ……
クレームブリュレ:すみません、まだ書いていないです……
ザッハトルテ:大丈夫ですよ、今から書いても間に合います。
フランスパン:ザッハトルテ、おかえりなさい、外回りご苦労様でした。
ザッハトルテ:ただいま、今日はあなたとクレームブリュレだけですか?
フランスパン:パフェはまだ任務中です、ターダッキンたちなら……
フランスパンが言い終わらないうちに、涅槃葬儀館の方角から物音がした。
ターダッキン:まずは落ち着いて……
アンデッドパン:ああああなた……!どういうつもりですか?!
クッキー:どういうつもりも何も、折角誕生日プレゼントを用意してあげたのに、感謝の一言もない上にそんな顔をするなんて。
アンデッドパン:自分が渡してきた物を見てみなさい!
クッキー:どう見ても彫像じゃない、わざわざあなたの顔を彫ったのよ。
アンデッドパン:あたしの顔?!どう見ても怪物じゃない!もっとちゃんとあたしの顔を見なさい!!!
クッキー:ごめんなさい、醜いものを長時間見られない体質なの。これは自分の記憶と理解に基づいて彫った……芸術品よ。
アンデッドパン:ならこんな目立つ場所ではなく、自分の部屋にでも置いてください、心臓に悪いです!
クッキー:イヤよ~どこに置くかなんて、私の自由じゃない。
アンデッドパン:あなたってひとは……!
ザッハトルテ:……
フランスパン:……お取り込み中のようですね。
ザッハトルテ:そうですね、声を掛けるのはやめておきましょう。フランスパン、軽く荷物を整理してください、これからある場所に行かなければ……
クレームブリュレ:なんですか?どこに行かれるのですか?
調査報告書を書いていたはずのクレームブリュレは、どこからともなく現れて、目を輝かせている。
ザッハトルテ:新しい任務です、ついさっき匿名の手紙が届きました。森の中に潜む邪神を調査して欲しいとの事です。
フランスパン:邪神……?
ザッハトルテ:本当の神、もしくは堕神か食霊の可能性もあります……村の赤子を捕食する習性があり、そこの村人たちを長年苦しめているそうです。
クレームブリュレ:とんでもないですね?!あたしもお供いたします!必ずあの邪神を懲らしめてやりましょう!
ザッハトルテ:……調査報告書はどうするつもりですか?
クレームブリュレ:邪神の討伐より重要な事なんてありませんよ!さあさあ、早く出発しましょう!
ザッハトルテ:……一理ありますね。
フランスパン:えっ?しかし報告書は……
ザッハトルテ:森まで少し距離があるので、移動中に書いてください。
クレームブリュレ:ええっ?!
ザッハトルテ:むしろ好都合ですね、書いている最中に何かわからない事があっても、すぐに教えられますから。
クレームブリュレ:えっ……わかりました……ありがとうございます……
邪神の地Ⅱ
森の入口
しばらくあと
森の入口
馬車が静かな小道で止まった途端、クレームブリュレは馬車から飛び出し、道端の草むらに突っ込んで行った--
クレームブリュレ:オエッーー
ザッハトルテ:……乗り物酔いをするなんて、知りませんでした。
クレームブリュレ:ゲホゴホッ……ちっ、違います……乗り物酔いじゃなくて……報告書酔い……
ザッハトルテ:……
フランスパン:ここが例の邪神が潜む森ですか?
ザッハトルテ:ええ、普通の森と大差ないように見えますが、付近から異常な気配を感じ取れますね……
ザッハトルテ:クレームブリュレ、具合はどうですか?もう少し休憩した方がいいですか?
クレームブリュレ:いいえ!もう大丈夫です……コホッ、早く森に入って邪神を探しましょう……
フランスパン:少し待ってください、あそこに……
少し先に荷車が止まっていた、何かを乗せたそれは黒い布でしっかりと覆われている。その周りには数人集まっていて、何か話しているようだ。
ザッハトルテ:行ってみましょう。
村長:……「彼」を届けないと、我々には生き残れない……
村長:全員しっかりしろ、これから相対するのは野生のイノシシやウサギなんかじゃない、邪神だ!自分の身をきちんと守れ!
村人:村長、わかっています、安心してください。
ザッハトルテ:……こんにちは、突然すみません。この森を通り抜けて向こうの町に行こうとしているのですが、あなた方が邪神について話をしているのを聞いてしまいました。その……邪神というのは?
村長:森を通り抜けたい?はぁ……すまんが諦めてくれ。数年前、どこからかやって来た邪神が森の神を殺し、この森を乗っ取ってしまったんだ。
村長:それ以来、森に入った者は皆あいつの糧となった……別の道を行くのをおすすめする。
フランスパン:貴方たちはこの辺りに住む村人ですよね、救助要請を出そうとは思わなかったのですか?
村長:助けを求めるにはお金が必要だ……森が乗っ取られた今、我々は限られた土地で作物を育てている、生活するだけで精一杯なんだ……
ザッハトルテ:(匿名の手紙は村人が送ったものではなさそうだ)
村長:どんどん生活が苦しくなっているんだ……将来有望な若者は早々に村を見限って出て行く、人数は減る一方で、このままじゃ生贄すら……
ザッハトルテ:生贄?
村長:コホンッ……
突然、会話が不自然に途切れた。ザッハトルテたちはお互いに目配せをした後、村人たちの間にある荷車に視線を寄せた。
彼らの視線を感じたのか、村人たちは3人のことを警戒するように、体で荷車を隠し荷物を覆い隠す黒い布を直した。
村長:ほら、暗くなる前に違う道に進むと良い、我々も急がなければ……
フランスパン:森に入るのですか?
村長:……生き延びるためにはこうするしか……早く行きなさい、暗くなると誰も生きて森から出られなくなる。
ザッハトルテ:……
そう言って、村人たちは荷車を押しながら森へと入って行く、ザッハトルテたちは訝し気に彼らを見送った。
クレームブリュレ:怪しいですね……あの様子だと、荷車に乗せている生贄はおそらく……赤子……
ザッハトルテ:手紙の内容を踏まえると、赤子を生贄として邪神に捧げている可能性は十分ありますね……
フランスパン:そんな事、絶対阻止しなければいけません。
ザッハトルテ:ええ……しかし、村人たちの様子からして、強引に生贄を確認しようとすると、余計な争いが起きてしまう恐れがあります。ここは一つ策を練りましょう……
邪神の地Ⅲ
怪しい生贄
空が暗くなっていく、村人たちは周囲を警戒しながら、ゆっくりと森の中を移動した。
道中何事も起きなかったため、一行が警戒を解こうとしたその瞬間、怪しい物音が響いた--
???:ヒャッハー!待ちくたびれたぜ!ったく、やっと腹を満たせる!
村人:!!!
木々の間には、強大な黒い影が佇んでいる。その声は邪鬼のように怪しく、猛獣のような咆哮を上げた。
???:おいっ、生贄をそこに置いて、ここから消えろ!
村長:あっ、あなたが邪神……?!まだ祭壇に辿り着いていないのに……そっ、それに……どうして女性の声が?
???:おっ、愚か者め!人間のくせにオイラを疑うのか!そんなに食われたいか?!
???:オイラと一緒にいたいのなら、残るといい……ヒャッハー!!!!!
グアッー!
怪しい笑い声と共に鬼火のようなものが飛んで来た。森で火元に出会うのはとても危険な事、村人たちは生贄を置いて、急いで森から出て行った。
クレームブリュレ:フフーン!一件落着です!炎ちゃんお疲れ様!流石です!
村人たちの姿が見えなくなると、黒い影も消え代わりに火炎放射器を担いでいる少女が現れた。彼女の命令の元、燃え広がった鬼火は一瞬で引っ込んだ。
フランスパン:その火炎放射器はそういう使い方もできるのですね。
クレームブリュレ:灯りになるし、暖も取れる、花火だってあげられます!また機会があれば、炎ちゃんの特技をもっと見せてあげますね!
クレームブリュレ:クッキーの失敗作がこんな形で役に立てるとは思いませんでした、影だけで人を脅かせるなんて……怪物の姿で思い浮かべながらアンデッドパンを作ったのでしょう……
ザッハトルテ:どうしてそんな物を持ち歩いてるのですか……
クレームブリュレ:えへへ、備えあれば憂いなしですから、これから何が起きるかわかりませんし、準備して損はありませんよ!
クレームブリュレ:見てください、傷薬と寝袋と胡椒とドレッシングもありますよ!
ザッハトルテ:わかりました……一先ず、生贄の正体を確認しましょう。
混乱の中、荷車を覆っていた黒い布はすでに落ちかけていた。3人は互いに視線を交わし、一気に布を取り払った。
スブラキ:邪神様……ですか?
黒い布の下にいる少年は目を輝かせ興奮した口調で話し始めたが、すぐに声が沈み、3人を警戒する目で見た。
スブラキ:あれ……邪神様が3人もいるなんて聞いてないな……
スブラキ:違う、貴方たちは食霊だよね?それに、ここは祭壇じゃないし……
ザッハトルテ:……初めまして、あなたが村人たちが邪神に捧げようとしている生贄ですか?
スブラキ:はぁ……今時生贄をカツアゲするひとがいるなんて……諦めた方がいいよ、でないと邪神様は貴方たちを許さないから。
ザッハトルテ:……?
クレームブリュレ:えっ?カツアゲ?あたしたちは強盗じゃありません、貴方を助けに来たのです!
スブラキ:助ける?どうして?
クレームブリュレ:貴方……もしかして生贄の意味もわからないのですか?
スブラキ:もちろんわかるよ、邪神様に捧げられて、食べられるって事でしょう?それは僕にとって、とても栄誉ある事なんだ。
クレームブリュレ:はあ?貴方、ビビりすぎて頭おかしくなったのですか?何馬鹿な事を言っているんですか?!
スブラキ:頭おかしくなってないし。もういいから早くどっか行って、邪神様の邪魔をしないで。
スブラキ:そう言えばあの村人たち、僕をここに置いといてどこに行ったんだろう?頼りない人たちだなぁ……まあいっか、自分で祭壇まで歩くよ。
クレームブリュレ:おーいっ!
少年は荷車から飛び降り、自分で荷車を押しながら森の奥へ行った。その薄い背中はなんだかとても強がっているように見える。
フランスパン:あの子……なんか変ですね……自分が食べられてしまう事をとても期待しているようです。
ザッハトルテ:……幸い、生贄は赤子ではありませんでしたね。
クレームブリュレ:あたしたちはどうしますか?このまま彼の望み通り、邪神様に食べてもらいますか?
フランスパン:……彼には自分の生き方を選択する権利があります。しかし、私たちにも彼が自分を傷つけるのを止める義務があります。
フランスパン:無実なる者が、そのような虚しい死に方をしてはなりません。
邪神の地Ⅳ
「邪神」登場
夕暮れ
森の祭壇
3人は近くの草むらに隠れ、少年が自ら祭壇の中央に座るのを訝し気に見つめた。彼は敬虔そうに再び黒い布を自分の身に被せ、「捧げられる」その時を待っていた。
クレームブリュレ:あの子、おかしいですよ……どんな思考回路をしてたら、食べられる事を受け入れられるんですか?
フランスパン:彼を生贄にするため、村人たちが何か吹き込んだのかもしれませんね……
クレームブリュレ:洗脳されたってことですか?こわっ!
ザッハトルテ:しかし、これは好都合です、彼を囮にして邪神を誘き出しましょう……
ザッハトルテ:まだ邪神の正体がわかっていませんからね、気を引き締めて行きましょう。
フランスパン:はい!
3人は息を潜めたまま、草むらの中から周囲を警戒した。しばらくすると、細く長い人影が祭壇の付近に現れた。
クレームブリュレ:あれは!邪神?!
ザッハトルテ:焦らないでください、もう少し様子を見ましょう。
クレームブリュレは悔しそうに唇を噛んで草むらに戻った。それと同時に、その人影は「生贄」のそばまで移動し、少しずつ黒い布を外した。
ザッハトルテ:……
ザッハトルテ:……行きましょう!
3人が息を揃えて邪神を生け捕りにしようとした瞬間、予想外な展開が--
シュプフヌーデルン:わっ。
スブラキ:???
少年は口を開けたまま、とても驚いた顔をしている。元気がなさそうな声で自分に向かって叫んだ青年を見て、どう反応すればいいか戸惑っているようだ。
スブラキ:あれ……じゃっ、邪神様ですか?
シュプフヌーデルン:……どうして驚かないんだ。
スブラキ:えっ……驚かせようとしていたのですか……?
シュプフヌーデルン:ああ。
スブラキ:こっ、ここは驚くべきだったの?……どう反応するのが正解?
シュプフヌーデルン:……
スレンダー:バカ野郎!また失敗かよ!だから無理だって言っただろ?そんな寝ぼけた顔で誰が驚くんだよ!
スブラキ:えっ?誰が喋ってるの?
シュプフヌーデルン:僕の左手です、彼の名前はスレンダー。
スレンダー:俺様はお前の左手なんかじゃねぇ!俺様は俺様だ!
スブラキ:そっ、そうなんだ……不思議だな、あはは……流石邪神様です。
シュプフヌーデルン:邪神?違う、僕は貴方たちが言う邪神じゃありません。ただ……
シュプフヌーデルン:貴方は生贄でしょう?だったら食べてやってもいいですよ。
スブラキ:あっ、ごめんなさい!貴方に食べられたら困るんだ、僕は邪神様に捧げられる生贄だから!
シュプフヌーデルン:それは貴方が決めることじゃないです。
スブラキ:ちょっ……!
スブラキ:???
シュプフヌーデルンが少年に襲いかかろうとした時、冷たい声がその場にいる全員の耳に届いた。
その声はまるで別世界からのもののようで、揺るぎない威厳を感じる、簡単にシュプフヌーデルンを制止した。
スレンダー:チッ、あとちょっとだったのに!おいっ!食い終わるまで待ってくれねぇのか?
ムサカ:今回はやりすぎだ、今度やったら追い出す。
シュプフヌーデルン:わかりました、貴方がいない時にします。
スレンダー:フンッ!
スブラキ:……
3人の雰囲気は張り詰めておらず、まるで昔なじみの友人のようだった。
少年は顔を上げて突然現れた青年を見た。神聖な白い服を纏い、淡々とした表情をしていて、まるで神のよう。
スブラキ:彼も邪神様じゃなさそう……あの、邪神様がどこにいるか知らない?
シュプフヌーデルン:彼が、貴方が探している邪神です。
ムサカ:……
スブラキ:えぇー?!
邪神の地Ⅴ
変わった「邪神」
シュプフヌーデルン:彼が、貴方が探している邪神です。
スブラキ:そっ、そんな……邪神は冷血無情な怪物だって村人たちが言ってたのに、こんなに優しそうなひとが、邪神な訳が……
スブラキ:それとも、優しそうなのは見た目だけで、本当はかなり残虐な感じ?
シュプフヌーデルン:……貴方、失礼ですね……僕は怪物に見えたってことですか?
スブラキ:ああっ!ごめんなさい!僕は思った事をそのまま口に出してしまう癖があるんだ。その……悪気はないんだ!
シュプフヌーデルン:うるさい……ムサカ、彼の処理は貴方に任せました、僕は先に行く。
ムサカ:……
ムサカ:……君が今回の生贄?
スブラキ:はいっ!僕はスブラキ、村人たちが選んだ邪神様への今回の生贄です!
ムサカ:……その年で生贄として選ばれるとは……
スブラキ:赤子より年上に見えますが、僕は食霊なのでこの世界に生まれてからそんなに経っていません、人間の年齢に換算すると赤子と同じぐらいですよ……
スブラキ:ですから、僕の味は赤子と変わらないはずです。僕は美味しいですよ!邪神様、是非試してみてください!
ムサカ:君……私に食べられたいのか?
スブラキ:はいっ!邪神様に食べられること、それが僕の価値を証明できる唯一の方法です。この世にはもう、これ以上光栄な事はありません!
ムサカ:どうやら、君はまだこの世界を理解していないようだ。
スブラキ:えっ?
ムサカは淡々とスブラキの方をチラっと見て、スっと視線を逸らして祭壇から降りた。
ムサカ:君が赤子でない以上、自分で森を出られるだろう、暗くならないうちに出ていくといい。
スブラキ:えっ?僕を食べないんですか?
ムサカ:……私に食べられるよりも、君にはもっと有意義な事ができるだろう。
スブラキ:で、でも……
スブラキ:邪神様に食べられることしか、僕にそれ以外の価値なんて……
ずっと信じ込んでいた事が否定され、ショックのあまり少年は固まった。よく見れば先程までキラキラしていた目は涙で潤っていて、声も泣きそうになっている。
スブラキ:お金を稼げないから、御侍は僕の事をバカにするんです……村人たちだって、僕は食料の無駄だとか言って、僕のことを嫌っている。
スブラキ:生贄になって貴方に捧げること、これが僕が村のためにできる唯一のことです!僕の唯一の価値なんです……そしたら、村人も邪神様も喜ぶってみんなが言っていました!
ムサカ:馬鹿な事を言うな。
スブラキ:えっ?
先程まで淡々とした声が急に真剣になり、スブラキは祭壇の下で凛と立つ人物を呆けた顔で見つめた。ムサカは、まるで高みに立って万物を見下ろしているかのようにすら思えた。
ムサカ:生きる事、それこそが一番良い選択だ。
スブラキ:……例え苦しい思いをしても……ですか?
ムサカ:……例え苦しくても、生きていけばきっと良いことがある。
スブラキ:良い事……って?
ムサカ:……
「良い事」とはなんなのか、その質問に答えるため、ムサカはしばらく考え込んだ。空は暗くなり、山風が吹き、微かに花の香りを運んできた。
彼は少し身を屈め、祭壇の割れ目から生えている名も知らない花を摘み、少年に渡した。
ムサカ:命の一つ一つが奇跡で、貴方が出会うべき「良い事」でもある。
スブラキ:……
表情が抜け落ちた少年はその小さな花を受け取った。冬の寒さで枯れるはずの花は何故か彼の手の中で息を吹き返したのだ。
スブラキ:どうして……
空はすっかり暗くなり、森全体は死んだように静かになった。彼の持つ小さな花の鮮やかな色彩だけが異彩を放っていた。
暗殺計画Ⅰ
誘き出す
白い人影が森に消えるまで、ホルスの眼の3人はただ呆然と見入っていた。
クレームブリュレ:あれが噂の邪神……?人生相談所のひとじゃなくて?
フランスパン:確かに村人たちが言っていた邪神とはかなり違う気がします……噂が間違っていたという事でしょうか?
ザッハトルテ:……今回の生贄がいつものと違うから、受け入れなかっただけという可能性もあります……
クレームブリュレ:確かに!あの子は食霊ですし、邪神はただ善人を装っているだけかもしれません!ずるーい!
ザッハトルテ:……とりあえず調査を続けましょう、ちょうどあの「生贄」に聞きたい事があります。
そう言って、3人は祭壇に向かって歩き出した。スブラキはまだ正気に戻っていないのか、まだ手にした花をぼんやりと見つめている。
クレームブリュレ:ねぇ!頭のおかしい貴方、ちょっと話しませんか!
スブラキ:また貴方たち?
ザッハトルテ:どうも、改めて自己紹介をさせてください。僕はザッハトルテ、こちらはフランスパンとクレームブリュレです、僕たちは……
クレームブリュレ:実はあたしたち、邪神様の信徒なんです、わざわざ邪神様に会いに来たんですよ!
クレームブリュレ:でも邪神様はあたしたちが今まで聞いていた感じとかなり違うから、だから生贄の貴方にお話が聞きたくて……
スブラキ:絶対ウソですよね。
クレームブリュレ:はい?
スブラキ:邪神様の信徒なら、どうして僕を「助け」ようとしたの?生贄を邪神様に捧げるべきでしょう?
クレームブリュレ:貴方……意外と賢いのね……
スブラキ:貴方たちは邪神様の敵でしょう、僕から邪神様の情報を引き出そうとしても……無駄だよ!
クレームブリュレ:……どうしてそこまであの邪神を庇うのですか?子どもを食らう怪物じゃないですか!
スブラキ:貴方たちに何がわかるの?邪神様に食べられる事こそ僕の存在意義なんだ。僕は邪神様に食べられるために生まれたんだ、邪神様はやるべきことを果たしているだけだ!
クレームブリュレ:ちょっと……やっぱり頭おかしいでしょう?!
訳のわからない発言に怒ったクレームブリュレは一瞬言葉に詰まった。しかし、ずっと黙っていたザッハトルテは何か思いついたのか口を開いた。
ザッハトルテ:しかし、邪神はあなたを食べようとしなかった、それはどうしてでしょうか?
スブラキ:……
ザッハトルテ:あなたは彼に食べられる価値がないという可能性を考えたことがないのですか?
スブラキ:!!!
ザッハトルテ:食霊でありながら、赤子にすら敵わない。価値がないからでしょう、だから邪神は貴方を食べようとしなかった、違いますか?
スブラキ:……あり得ません!きっと、きっと何か別の理由が……必ず邪神様に食べさせてやりますから!
少年は顔を真っ赤にして、どこかへ走って行った。クレームブリュレはその細い後ろ姿を見て、長いため息を吐いた。
クレームブリュレ:ザッハトルテ、あの子どもはムカつくけど、さっきのは言い過ぎですよ……
ザッハトルテ:そうですか……ムカついてはいませんよ。
クレームブリュレ:えっ?じゃあさっきのは……
フランスパン:わざと彼を挑発したのでしょう?
ザッハトルテ:ええ。彼は何か隠している気がします、それを言わせようと挑発してみましたが、失敗したようですね……
ザッハトルテ:しかし、邪神に食べられる事を決心させたのは悪くないかもしれません……
クレームブリュレ:悪くない?あの子かなり頑固だと思いますよ、きっとなんとしてでも邪神に食べさせようとしますって!これのどこが悪くないんですか……
ザッハトルテ:そうすることで、邪神が噂で聞いたような邪悪な者なのか確かめられます。
クレームブリュレ:はい?
フランスパン:スブラキに「邪神」の本来の姿を暴かせ、もし「邪神」が殺意を出したら、すぐに止めて逮捕するということですね。
ザッハトルテ:その通りです。
クレームブリュレ:……どうしてそんな心が通じ合っているの、次は事前に計画を教えてくれませんか?
フランスパン:もっと周りに注意を払って、臨機応変が大事ですよ。そうすれば、クレームブリュレにもいつかわかるようになると思います。
ザッハトルテ:ええ、そうすれば調査報告書もうまく書けるようになるでしょう。
クレームブリュレ:……わかりました。
暗殺計画Ⅱ
美味しくなる方法
3日後
林間の小屋
スブラキ:邪神様!よく運動している動物は肉が引き締まるらしいです、なので今朝森を30周してきました!今きっと美味しいはずなので、試してみませんか?
ムサカ:いらない。
スブラキ:邪神様!さっき小川で体の隅々まで綺麗に洗いました!衛生面は心配ありません!安心して僕を食べてください!
ムサカ:いらない……
スブラキ:邪神様!調理器具もカトラリーも用意できました、お手を煩わせることはありません!あっ、そうだ……服も先に脱いだ方が、不便なく食事を楽しめますよね……
ムサカ:……
スブラキ:邪神様……邪神様……邪神様……!
スレンダー:クソガキうるせぇ!これ以上騒ぐな!オウムかよお前は!
スレンダーはついに爆発した。3日間スブラキの声を聞かされて、精神状態は崩壊寸前であった。
突然の怒鳴り声に遮られたスブラキの表情も暗くなり、相手への返答もかなり辛辣なものになっている。
スブラキ:スレンダーだって毎日腹減ったっていつも騒いでるくせに、僕はまだマシな方だよ……
スレンダー:はあ?お前何様のつもりだ?お前が生贄じゃなかったら、ガキの恐怖でとっくに腹は満たされてたんだ!
スブラキ:最初に僕を驚かせたアレですか?アレは赤子でも驚きませんよ。
スレンダー:お前っ!
スブラキ:あーあ……スレンダーが口を挟んできたせいで、邪神様が行っちゃったじゃん!
スレンダー:なんだと?俺様のせいにすんな!お前を止めてねぇし、お前が勝手にケンカ続けてんだろ!
シュプフヌーデルン:2人とも……うるさい……
ドーン、パーン。
スブラキ:えっ?
2人で騒いでいたのに、触手によって小屋の外に投げ出されたのは自分だけ。シュプフヌーデルンが力強く扉を閉じたのを見て、スブラキは顔をしかめた。
スブラキ:どうしたら食べてくれるんだ……
クレームブリュレ:あら、少年!頼もしい大人の食霊の意見を聞きたくないですか?
声のする方を見ると、遠くない空き地でクレームブリュレ、ザッハトルテとフランスパン3人が焚火を囲んで肉を焼いていた。
スブラキ:ティアラはこんなに広いのに……わざわざこんなところにキャンプしに来たの?
クレームブリュレ:まあまあ、暇してましたから……で、さっきの話、聞きたくありませんか?
スブラキ:いい、罠の可能性があるから……本当に助けてくれるんなら、胡椒を貸してください。
クレームブリュレ:胡椒?こんなもので何をするつもりですか?
スブラキ:自分をもっと美味しくするんだ!
クレームブリュレ:……やっぱイカレてる……
ザッハトルテ:……
クレームブリュレ:ザッハトルテ、どうかしました?まさか胡椒を取られて怒ったのですか?大丈夫ですよ、2本持ってきたので!こんなに胡椒が好きだったなんて……
ザッハトルテ:おかしい……
クレームブリュレ:えっ?おかしいというのは味のことでしょうか?この胡椒結構お気に入りなのに……
ザッハトルテ:胡椒の話じゃないです……
ザッハトルテ:ええ……もし彼が本当に自分が言ったように終始絶望の中で生きているのなら……こんなに前向きな性格にはならないはずです。
フランスパン:彼を送り込んだ村人たちもおかしかったですね……森に入れば邪神に食べられると言っていましたが、私たちは無事じゃないですか。
クレームブリュレ:確かに!噂通りなら、赤子を食べられなかった邪神は村で大暴れしそうですもんね……
フランスパン:少なくともこの3日間は、何も起こらなかったですね。
ザッハトルテ:ムサカは赤子を食らう邪神ではない可能性があります……しかしそれだと、村人たちはなぜウソをつく必要があるのでしょう?わざわざ生贄を送り込む理由も思いつきません。
ザッハトルテ:そして、邪神に食べられたとされている赤子たちも……一体どうなっているのでしょう。
肝心なピースを失くしたパズルのように、どうしても事件の全貌を掴めない3人は、少年が去って行った方向を見つめながら深く考え込んだ。
暗殺計画Ⅲ
消えたスブラキ
スブラキ:邪神様!ここにいたんですか!
この3日間、耳が痛くなるほどずっと聞いていた声で、ムサカは反射的に足を止めた。彼はどうしようもなさそうに振り返り、楽しそうに走ってくる少年を見つめる。
ムサカ:……どうしたら諦めてくれるんだ?食べないと言ったはずだ……コホッ……
ムサカ:どうして……こんなに噎せるような……
スブラキ:あれ、胡椒が苦手なんですか?!うわっ……掛け過ぎちゃった……大丈夫ですよ邪神様!少し落としておきますね!
スブラキ:はいっ!これでよし!ここには僕と邪神様、2人だけですよ!もうシュプフヌーデルンに気を遣う必要はありません、どうか僕を食べてください!
ムサカ:……何故彼に気を遣う必要があるんだ?
スブラキ:だって彼は「恐怖」を糧にしているでしょう?ビーガンな彼に気を遣っているから、彼の前で僕を食べるのを控えていたんじゃないんですか?
ムサカ:最早君が何を言いたいのかわからない……君はあの村の人に送り込まれたのなら、おそらく……
ムサカ:まあよい、例え私が何を言っても、どうせ君は信じないだろう。
スブラキ:邪神様……?
ムサカ:この先に小川がある、明るいうちに行って体を洗ってきなさい。
スブラキ:僕……
ムサカ:行きなさい。
スブラキ:……
ほんの一瞬だけだが、スブラキはムサカの顔から寂しさを捉えた。少年は木々の間に消えていく彼の後ろ姿を見つめながら、何かを考えているようだ。
スブラキ:……なら、残る方法は一つだけ……
翌日
森の奥
クレームブリュレ:うーん……よく寝た……
朝、森の美味しい空気を吸い込んで目を覚ましたクレームブリュレはご機嫌のようだ。大きく背伸びをしようとした時、寝袋で動けずにいた。
彼女は気にすることなく、寝袋のまま横を向き、同じくくるまれているザッハトルテを見た。
クレームブリュレ:どうですか?寝袋を持ってきて良かったでしょう!いつも大きなケースを持っているのに、何が入っているのか知りませんが、全然役に立たないじゃないですか。
ザッハトルテ:……確かにあなたのことを尊敬していますよ。このようなおかしな物を持って来ようとする発想もそうですが、こんな野外でもぐっすり寝られるなんて……
クレームブリュレ:先生と一緒に任務に出た時、色んな状況に遭遇したので……そのおかげで、今やもうあたしが思いつかない装備はないですし、どんな環境にも適応できますよ!
フランスパン:……なんだか今日おかしくないですか?
クレームブリュレ:おかしい?どういう事ですか?
フランスパン:いつもならこの時間になると、スブラキのノック音で起きるはずなのに……
クレームブリュレ:言われてみると確かに……
そう言いながら、3人は一斉に小屋の方に目を向けた。しかし、少年の姿はなかった。
コンコンッ--
シュプフヌーデルン:ムサカはいない……おや?キャンプをしているおかしなひとたちか……
シュプフヌーデルン:ええ、昨夜は帰って来ませんでした。
スレンダー:そんなに驚くことか?あのガキこそどこ行ったんだ?いつもなら玄関先でギャーギャー騒いでんのに、今日は来てねぇってことは……とうとう諦めたって訳か。
ザッハトルテ:2人ともいない……まさか……!
ザッハトルテ:フランスパン、一緒にスブラキを探しに行きましょう。クレームブリュレはここで待機していてください、もしスブラキやムサカが帰ってきたら、炎ちゃんで知らせてください。
クレームブリュレ:それって……
ザッハトルテ:スブラキが邪神に食べられる計画を諦めていないとしたら……むしろ、成功しているかもしれません。
クレームブリュレ:!!!
暗殺計画Ⅳ
森での追跡
森は彼らが想像していたよりも広く、雨の影響でスブラキの捜索は更に難航した。
フランスパン:スブラキー!チッ……クソッ、とうとう我慢出来なくなったのか……
フランスパン:油断しすぎました……ずっと小屋の外で監視していたのに、ムサカが小屋にいないことに気づかないなんて……
ザッハトルテ:反省は後にしましょう、今はまずスブラキを見つけることが先決です。
フランスパン:あの子一体どこに行ったんですか……
二人が話しているうちに、雨は雪に変わり、ますます強くなった。
ザッハトルテ:この天気に複雑な地形……早く見つけないといけません。
ムサカ:……どうしてここに君たちが?
ムサカ:いいえ……
フランスパン:昨夜はどこに行きました?何故今になって戻ってきたのですか?
ムサカ:君の質問に答える義務がない。
フランスパン:……
ザッハトルテ:はい。昨夜見たのを最後に、彼の姿を見ていません。
フランスパン:私たちと同じく、ここの地形に慣れていないはずなので、こんな吹雪の中じゃ危険すぎます……
ムサカ:私が行こう。
フランスパン:しかし……
ムサカ:私ほどこの森を知り尽くしている者はいない。
ザッハトルテ:……
ムサカ:何を考えているのかはわかる。しかし、私が本当に彼を食べる気なら、いつでも食べられるだろう。このような荒れた日にする必要はない。
ムサカ:道を覚えているうちに小屋に戻るといい。スブラキを見つけた後、君たちを探すのは御免だ。
ザッハトルテ:わかりました……お願いします。
ムサカ:ああ。
午後
崖の下
スブラキ:ひぃいい……寒い……
スブラキは自分が起こしたトラブルに全く気づかず、凍てつく銀世界の中一人で座り込み、片足は血まみれになっていて、体をわなわなと震わせていた。
スブラキ:誰かいないか……
スブラキ:助けて……
彼がこのような窮地に陥ったのは、昨夜の出来事が原因だった--
ムサカを見送った後、スブラキは一人楓の森の奥へと入っていった。うっそうとした森を抜けると、足元には断崖絶壁、目の前には広大な青い海が広がっていた。
スブラキ:ここが村人たちが言ってた、邪神様がよく来る場所……
しばらく辺りを見回した後、ある木の所でしゃがみ、周りに仕込まれた猟具を取り出してわざと自分の足を挟み込んだ。
スブラキ:フフーン…人里離れた場所で自ら進んで網にかかった獲物が目の前にいたら、動じない訳がないよね!
スブラキ:そうだ……血の匂いはより獣の欲望を掻き立てるそうだから……
そう言いながら足を動かしてわざと傷をつけた、草を集めてきちんと罠にも見せかけた。
スブラキ:完璧!じゃあ次は……
???:グルルッ……
スブラキ:何の音?
スブラキが自分の「傑作」を自信満々に鑑賞していると、突然背後から奇妙な音が聞こえてきた。暗くてよく見えなかったが、音が近づいてきて初めて自分の血が森の獣を引き寄せていることに気づいたのだ。
野獣:グルルッ……
スブラキ:シッ!シッ!僕は貴方たちの獲物じゃない!
野獣:グアッー!
スブラキ:チッ、厄介なことになった……
スブラキは片足を引きずりながら立ち上がり、ゆっくりと2歩下がり、獣から距離を取ってから逃げようとしたのだが……
スブラキ:あれ?
彼は背後に待ち構えているのが崖だってことをすっかり忘れていたのだ。
幸いにも、スブラキは冷たい海に落ちず、崖下のわずかな陸地に着陸した。
元の場所に戻ろうと立ち上がった時は、足首から激痛が伝わった。崖から落ちた時に骨が折れたかもしれない。
スブラキ:まさか……一晩経っても、誰にも見つからないなんて……
スブラキ:コホッ……声ももうでないし……僕……もしかしてここで死んじゃうの?
スブラキ:流石にバカすぎるでしょ……
ムサカ:安心しろ……君はまだ死なない。
スブラキ:誰……!じゃっ、邪神様?!
暗殺計画Ⅴ
崖の下の洞窟
一夜の期待が完全に打ち砕かれようとしたその時、ムサカが現れた、しかもその恰好は散々の体たらくであった。
スブラキ:邪神様はどうして僕の居場所を……?
ムサカ:森の動物たちが教えてくれた……その足はどうしたんだ?
スブラキ:それは……色々あって……
ムサカ:歩いて帰るのは無理そうだな……とりあえず、気温はどんどん下がっている、このままでは足がダメになる。この先に小さな洞窟があったはずだ、まずそこに行ってみよう。
小さな洞窟は、風雪を完全には遮れないが、外よりはずっとましだ。ムサカはスブラキを支えながら、座れる場所を探した。スブラキが無事に座れた後、ムサカは霊力を使って火をつけた。
ムサカ:……わざと罠にかかって、負傷したフリをして、私をおびき寄せ……食べてもらおうとしたのか……?
スブラキ:はい……
ムサカ:実に馬鹿馬鹿しい理由だ……
スブラキ:だって、邪神様が一向に食べてくださらないから……それにバカだって言うし……
スブラキ:それなのに邪神様はどうして……どうして愚かな僕のために、自分をそんな目に遭わせたのですか?
ムサカのサラサラの長い髪には雑草や葉っぱが付いていてボサボサになっている、呼吸も荒く、体の服に覆われていない部分は凍傷しかけている。
目の前にいる「邪神」をじっと見つめながら、少年は純粋でしつこく聞いた。
スブラキ:どうして助けに来たんですか?
ムサカ:この森の中で、君を助けられる者は私しかいない……それとも君は本当にそこまで死にたいのか?
スブラキ:怒って……いるんですか?
ムサカ:ええ。
いつも淡泊な彼の目の中に怒りの炎が揺れ動いている。スブラキは初めて、恐怖を感じた、しかし同時に少し興奮している。
スブラキ:罰として、僕を食べてくれますか?
ムサカ:……
一瞬、空気が凍りついたような気がした。ムサカはしばらく黙っていたが、再び口を開くと、いつもの淡々とした声が珍しく感情を帯びていた。
ムサカ:……君は私に食べられたら満足するのか?
スブラキは緊張して唾を飲み込んだ。ゆっくりと近づいてくるムサカを見つめ、覚悟をしたように頷く。
スブラキ:……ああ。
ムサカ:…………君は本当に……
その純粋な瞳に、ムサカは仕方なさそうに長いため息をついた。
彼は少年の足首を掴んで引き寄せ、負傷したくるぶしを膝の上に置き、霊力で治療し始めた。
ムサカ:噂について弁解したくはないが……これからの話、信じるか信じないかは君次第だ。
ムサカ:あれは、随分昔のことだ。
暗殺計画Ⅵ
「邪神」伝説
洞窟の中には、ムサカの声だけが響いている。いつもの声と違って優しさを感じる、スブラキはそれを聞いているうちに張り詰めていた神経が解れていった。
ムサカ:私は、捨てられた赤子に召喚されたんだ。
ムサカ:捨てられた赤子の両親は、この地方の伝統的な菓子をおくるみの中に入れていた……菓子はとても精巧なものだった、それを作った者の想いが伝わってくる。
ムサカ:しかし、そんな菓子を作った人間はどうして、生まれて間もない赤子を無人の森に捨てたのだろうか?
ムサカ:なら、捨てられた赤子に召喚された私は、赤子を糧にするなんて……そのような事をする訳がないだろう?
ムサカが霊力でつけた炎は、彼の感情と共鳴しているように激しく揺らいだ。しばらくすると、いつもの冷静で淡泊の彼の心のように静かに燃えるようになった。
スブラキ:じゃっ、じゃあ前の森の神はどこに……?村人たちは、貴方が殺したと言っていましたよ。
ムサカ:何十年もここに住んでいる、だが森の神などに会ったことがない。
スブラキ:つまり……
ムサカ:所謂森の神や邪神は、人間が勝手につけた名前だ、私は一度も自分のことを神だと名乗ったことはない。
ムサカ:人間が森の神を創造し、殺した。邪神を残したのは、責任を取らせるためだ。
スブラキ:でも、村人たちはどうして僕を騙したんですか……
ムサカ:なら、私に君を騙す必要はあると思うか?
スブラキ:……
ムサカ:君に暴力を振るった御侍を、君を見捨てた村人たちを、あのような人間をどうしてそう信じられるんだ……君を傷つけた人間の言葉を疑わずに信じるのは何故だ?
スブラキは一瞬言葉を失った、ムサカの目には、長い年月を経た孤独が映し出されているような気がしたからだ。
ムサカ:……わかっている、私のような正体不明な者より、貧弱な村人の方が信頼できるのだろう。私を信じないのも理解できる。
スブラキ:信頼されないことにはとっくに慣れているから、大丈夫だ。
数十年前
森の祭壇
赤子の泣き声が、再び夜明けを告げた。
女性:泣かないで……お母さんもこんな事したくないよ。
女性:ここの動物は人間の子を自分の子として育てると聞いたの……森の神様はきっと貴方を守ってくれるわ……
女性:悪く思わないで……どうか、どうか生き延びて……
ムサカ:その一言で許されると思っているのか?
女性:あっ、貴方は……?!
ムサカ:動物が人間の子を自分の子として育てようとしても、その子が病気になったらどうする。そのまま森に捨てられたら、彼を待ち受けているのは死という運命だけだ。
ムサカ:君の意思によってこの世に生まれた彼は、君に殺される事になる。
全てが彼の影響を受けているようで、一瞬、森は嵐と稲妻の狂騒に包まれた。
女性:かっ、怪物……怪物だ!
ムサカは祭壇に放置された赤子を抱き上げ、残酷な表情で女性を見つめた。
朝の空が急に厚い雲に覆われ、金色の稲妻が雲を突き破って、森に火をつけた。ムサカは、まるで天罰を下す神のように、炎の中に立っている……
スブラキ:貴方は……その人間に罰を下したのですか?
ムサカ:いいえ……そんな行為に何の意味もない……
ムサカ:そうだ、赤子を食らう邪神という脅威になった以外、何の意味もなかったんだ。
この時、村人たちの怒り、怨念が……時空を超えてスブラキの耳に届いた。
───
女性:怪物!やつは雷を召喚できるのよ!そしてやつは我が子を奪い去った!
村人:森の神様はどうしたんだ?私たちを守ってくれるんじゃ?
女性:きっと……きっとやつに殺されたんだ!あれは邪神だ!村ごと潰そうとしている!
村人:ここ数年、干ばつや洪水が続いて村の収穫がないのも頷ける……おのれ邪神!
───
スブラキ:……
ムサカ:人間は生きていくために、時には子どもを捨てるなど、人間性の一部を捨ててしまうこともある……
ムサカ:しかし、自分たちが人間性を失ったことを受け入れられず、一見もっともらしい理由をでっちあげる。例えば、子どもは自分たちが捨てたのではなく、森の邪神に食われたという理由が必要だったのだ。
そう言って、ムサカは洞窟の外の風雪を眺めた。
ムサカ:お節介な私への罰かもしれない。私は自分を一番大切にしなければならない親にすら捨てられた赤子たちを生かしたのだから……
ムサカ:神の意思に反する行為を何度も繰り返した、だから邪神扱いされたのかもな。
スブラキ:ちっ、違います!
雪の降る夜にしては少しうるさい声だ、ムサカは驚いてスブラキを見た。少年は何故か少し慌てている様子で、言葉に詰まりながらも必死に言葉を紡いでいる。
スブラキ:お節介なんかじゃありません!貴方は捨てられた赤子たちを救ったんですよね!
スブラキ:無力な命に手を差し伸べるのは、良い事です!もし、そんな事をする者がこの世から消えたら、この世界はどうなってしまうのでしょう……
スブラキ:罰なんて……そんな事を言わないでください……
少年の言葉から悪意は微塵も感じない、むしろ彼はムサカを慰めようとしている。今までかけられたことのない言葉に心を打たれ、ムサカもつい口調を和らげた。
ムサカ:私のことを信じてくれるのか?
スブラキ:僕……
ムサカ:ふふっ……私は邪神と呼ばれても構わないが……君は……
スブラキ:僕……?
ムサカ:大声で泣かなくとも、辛いことから避けられないかもしれないが、手を差し伸べてくれる者は必ずいる……君はまだ生きていくべきだ。
ムサカ:どうして……自分の命を大事にしないんだ……
スブラキ:?
ムサカの声はだんだん小さくなり、スブラキは思わず顔を上げた。ムサカは言葉を終える間もなく、よろめいて地面に倒れ込んでしまう。
暗殺計画Ⅶ
険しい帰り道
ムサカが倒れたため、洞窟の中にある唯一の光源が消えた。
スブラキ:熱い……でも、食霊は寒さなんかで熱が出るの?もしかして……
スブラキは目を閉じて集中すると、ムサカからわずかの霊力しか感じない。やはり、かなり弱っているようだ。
自身の霊力を消耗し、寒さを抵抗する食霊はたまにいる、だからどうしても寒さで弱ってしまう。加えてムサカはついさっき、霊力でスブラキの傷を治療したばかりで、ほぼ霊力は残っていない。
スブラキ:このバカ。
スブラキは珍しく焦った。足を動かしてみたら、まだ少し痛むけど、歩けるようになっていた。
スブラキ:助けてもらった分、ちゃんと返しますよ、「邪神様」。
歯を食いしばってムサカを背負うと、振り向かずに洞窟を出て雪原に足を踏み入れた。
空と大地の境目が見えない、雪に覆われた白き森の中、二つの人影がゆっくりと移動している。
スブラキ:早く帰り道を見つけないと……
スブラキは寒さで全身が震えているが、方角がわからなくてもそれでも彼は進み続けた。
見覚えのある人物が目に留まるまでは……
野獣:グルルッ……
スブラキ:チッ、一難去ってまた一難ってやつか……
野獣:グルルッー
スブラキ:あれ?貴方……
かつて出会った獣は、攻撃する意志を示さず、2人をしばらく見つめた後、逆方向へ走り去った。何歩かを走った後、また2人の方に振り向いた。
スブラキ:(ついてきてって……言ってるのかな?)
スブラキ:(いつも単独行動しているけど、群れで行動する動物じゃなさそうだ……とりあえず追いかけてみよう)
獣の後をついていくと、風雪が弱まり、果てしない白が広がっていた景色が鮮やかになった。その時、スブラキは道端に一輪の小さな花を見た。
スブラキ:これは……幻覚?極端な寒さに長時間さらされると、幻覚を見るって聞いたことがある。
スブラキ:ぼっ、僕はもう死んだんじゃ……ここは天国への道?
野獣:グルルッー
スブラキ:で、でも……天国に獣が現れることないでしょう……そっちから行くの?わかった。
まるで冬から春、いや、夏にまで季節が変わったかのようだ。目の前にある緑いっぱいの世界を見て、スブラキは言葉を失った。凍傷しかけた体が温かい日差しに温められ、スブラキはムサカを連れて、絨毯のように柔らかい草原に辿り着いた。
ムサカを慎重に降ろすと、スブラキも草原に座り、自分の膝を枕代わりにして彼を寝かせた。
スブラキ:熱、下がったみたい……貴方は彼のこと知っているの?
野獣:グアッ!
スブラキ:いくら大自然が不思議だと言っても、これほど短い距離でまったく異なる二つの天候になることはないはず……
熟睡しているムサカをうつむいて見てみると、スブラキは何だか複雑な気持ちになってきた。
スブラキ:これは全部、貴方の仕業でしょう?
ムサカは依然として目を瞑ったまま、何も答えてくれなかった。
スブラキ:森の動物たちが無事に冬を乗り越えるよう、守ってあげてたんだね……これだけ広い緑の森を作ったのだから、霊力が残っていなくても不思議じゃない。
スブラキ:あれほど生きろって説教したのに、自分の事ももっと考えてよね。
スブラキ:貴方ほどのバカが、「邪神」な訳がないじゃん。
野獣:グルアッ!
スブラキ:ああ、危うく忘れるところだった……ありがとうね……
スブラキ:それに、僕が崖から落ちたことを彼に教えたのは貴方だね?
野獣:グルアッ!
スブラキ:「はい」なのか「いいえ」なのかわかんないよ……まあいっか。
この時、スブラキの今まで張り詰めていた気持ちがようやく緩んだ。胸の中から優しい温もりが全身に伝わって、まるで眠気を誘う魔法みたいだ。
スブラキ:ムサカ……あの赤子たちを助けた時と同じく、貴方は僕を守ろうとしたのか……自分を危険に晒しても……僕に手を差し伸べてくれたのか……
スブラキ:そんなの……ずるいよ……
寒くて眠れない夜と、先程の応酬で、スブラキもついに目を閉じた。そして、ムサカは徐々に深い眠りからさめた。
ムサカ:……
野獣:ぐぅ……ぐぅ……
ムサカ:君か……心配するな、彼はただ疲れて眠りについただけだ。
彼の言葉がわかるかのように、獣はムサカの傍に腹ばいになった。
ムサカ:もう一つ……頼んでいいか?
勇者の名においてⅠ
勇者の使命
翌日
林間の小屋
自分のベッドで目を覚ましたムサカは、シュプフヌーデルンの気怠い声を聞いた。
シュプフヌーデルン:これ以上目を覚まさなかったら、入口にお墓を作るとこだったよ。
相手の手にしているシャベルをチラりと見て、反応はいつものように冷淡だった。
ムサカ:この季節だと、埋めるなら雪の中にするしかない、春になって雪が溶けると意味がないだろう。
シュプフヌーデルン:貴方のために作るお墓じゃない、彼のだ。
スブラキ:シュプフヌーデルン?あれ?どこに行ったの?マッサージしてくれるって約束したじゃん。
わざと語尾を伸ばして、甘えているような声だった。声のする方を辿って見ると、藁と古い布で作った仮のベッドが置かれている。スブラキはベッドの上に横になって、シュプフヌーデルンに腕を振っていた。
スレンダー:触手でなんとかしろ、だめなら右手にしろ。左手は絶対にダメだからな!
シュプフヌーデルン:……ああ。
あのシュプフヌーデルンが触手を操ってスブラキにマッサージをしている、これは現実の世界に起きていることかわからず、ムサカはかなり混乱しているようだ。
スブラキ:うん、力加減ちょうどいい!……あれ?起きたの?
ムサカの視線を感じて、スブラキはとても喜んだ。自分の下に押さえ付けられている触手を構う余裕がなく、手をベッドについて起き上がった。
シュプフヌーデルン:ちょっと……ちゃんと横になって。
スブラキ:わかったよ、そんなに僕のことを心配してくれているとはね……ムサカ、具合はどう?
ムサカ:もう大丈夫だ、それより君の足こそ大丈夫か?
スブラキ:まだちょっと痛むけど、もう大丈夫だよ。
ムサカ:まだ痛む?霊力で治したはずだが……
スブラキ:こういう傷は自然治癒の方がいい……そう言えばお腹空いたな……
シュプフヌーデルン:食霊は食事をする必要はない、しかもこの天気じゃ、外には動物しかいない……
スブラキ:食べさせてくれなくてもいいよ、じゃあ僕も怖い驚かせ方を教えてあげない!
シュプフヌーデルン:……ダメだ。
ムサカ:……何が食べたい?私が探してこよう。
スブラキ:あれ?体はもう平気なの?
ムサカ:ああ、君の足の傷は私にも責任がある……私を背負って、雪の中長距離を移動したからな。
スブラキ:わかった!僕はね、コーンスープとローストマッシュルームが食べたい!
ムサカ:わかった。
ムサカは、スブラキの要望をすべて受け入れた、スブラキもそれについてなんの疑問も持っていない様子だ。ムサカが外に出た後、シュプフヌーデルンは怪訝そうに少年を見た。
シュプフヌーデルン:もう彼のことを「邪神様」って呼ばないのか?
スブラキ:色々あって……そうだ、前に小屋の周りで野宿していたひとたちは?
シュプフヌーデルン:村に用があると言って向かったそうだ。
スブラキ:そうなんだ……マッサージはこの辺にしておこう、シュプフヌーデルンは休んでいいよ。
シュプフヌーデルン:じゃあ……約束の……
スブラキ:ムサカに言い忘れたことがあるんだった、早く追いかけないと。
シュプフヌーデルン:恐怖を……約束しただろう……
スブラキ:それは帰って来た後で!
そう言ってスブラキは、まだ足を怪我しているようには見えないほどの勢いで小屋を出て行った。
シュプフヌーデルン:……
シュプフヌーデルン:お腹すいた……
しかし、小屋を出たスブラキは、ムサカのところへは行かず、まっすぐ祭壇の方へと向かった。
祭壇にたどり着き、ムサカがいないことを確認してから、彼は声を低くしてこう言った。
スブラキ:……彼らを振り切ったから、もう出て来ていいよ。
すると、草むらからマントを着た人物が飛び出してきた。
???:どうだ?成功したか?
スブラキ:……計画が変わったので、もう少し時間が必要だ。
???:これ以上時間が必要なのか?!私たちはもうこれ以上待てない!おいっ、まさか敵わないとは言わないよな!
スブラキ:敵わなくとも、約束したことは必ず果たす。
いつものあどけない笑顔を捨てた少年の目には殺意が宿っている。
スブラキ:この手で邪神を始末するさ。
スブラキ:これは勇者である僕の使命だから。
勇者の名においてⅡ
使命を果たす理由
一週間前
村
スブラキ:ここは地図に記されている場所のはず……でもどうして……?
スブラキ:伝説の精霊遺跡がどうしてこんな……貧相なとこにあるんだ?やっぱそういう出処不明の商人が売っている地図って全く当てにならないな……
スブラキ:でも、せっかく来たんだし、チャンスは逃さないよ。すみません、この辺りに森はありますか?
村人:ええ……それを聞いてどうするんだ?
スブラキ:その森に用があります、行き方を教えてくれませんか?
村人:森、森に行くのか?!
スブラキ:え?それがどうかしましたか?まさか、森に入りたければまずは試練を乗り越えろ的な?それともチケットを買わないと森に入れないとか?
村人:死にたいのか君!あの森には人を食らう邪神が棲んでいるぞ!
スブラキ:どういうこと?!
村人:怖いならさっさと行け、恐ろしい邪神に狙われるぞ。
スブラキ:尚更行かなくちゃ!
村人:???
スブラキ:えへへ……実は僕、勇者なんだ!邪神のような悪い奴を退治して、伝説を残したいんだ!
村人:勇者……?
スブラキ:そうさ!あらゆる悪を一掃し、救いを求める者を救う勇者だ!
村人:もしかしたら、君は俺たちを助けられるかもしれない……
村長の家
村長:……勇者様、本当に助けてくれるのか?
スブラキ:勇者の使命は邪悪を打ち砕くこと!安心して、お金のためじゃない、ただやりたいことをやっているだけなんだ。
村長:感謝する……邪神退治が成功したら、貴方は我が村の恩人だ!
村長:邪神は森とその資源を力づくで奪っただけじゃなく、毎年赤子を生贄に捧げろと要求してくるんだ……さもなくば村に来て大暴れするらしい……
スブラキ:今年はもう生贄を捧げた?
村長:まだだ……村には若い人が少なくなってきているし、今年は出産した女性もいない……みんなが困っていたところだ。
スブラキ:ちょうどいい、僕を生贄として邪神に捧げよう!
村長:えっ?それは……
スブラキ:貴方たちが言った通り、毎年の生贄が赤子なら、邪神は食事の時は警戒しないだろう。つまり、僕はその隙に彼を殺せばいいんだ。
村長:わかった……わかった。では覚えていて、必ず彼を祭壇の上で討伐してくれ。
スブラキ:祭壇の上?どうして?
村長:それは……哀れな亡き魂を慰めるためです……
スブラキ:……わかった、約束しよう。
村長:では……私たちは用意をしてくる……勇者様、改めて貴方に感謝を……
……
村人:……何をやっているんだ?邪神とおままごとをする気か?何故あいつを殺さない?!
スブラキ:まだ調べたい事があるんだ……ちょうど良かった、聞きたい事があったんだ。
スブラキ:彼と何日間も一緒に過ごしてみたけど、彼が森を占拠したり、村に出向いて大暴れするような事はなかった。むしろ彼はこの森を守っているようにも見える……
村人:森を守っているだと?騙されるな!あいつがいるから、うちの村はどんどん貧しくなるんだ!もうそろそろ限界なんだ!
スブラキ:それは、あいつのせいなの?証拠は?そもそも、赤子を食らうっていうのも貴方たちの一方的な言い分じゃないの?
村人:お前……!じゃあ私たちは何のためにお前を騙すのか言ってみろよ。俺たちは人間だ、邪神だか食霊だか知らないけど、天災を呼び起こす彼にどう太刀打ち出来るって言うんだ?!
スブラキ:僕も食霊だけど、人間に危害を加えたいと思った事は一度もないよ。
村人:……だから、あいつの肩をもつのか?
スブラキ:彼が邪神だという証拠を探しているだけ。しかし彼は、一度も僕に害をなすようなマネをしていない……一度も。
村人:……約束した事を忘れるなよ!村の存続はお前にかかってるんだ!
スブラキ:最後にもう一度だけ言わせてもらう、彼が人に害をなすような邪神である証拠を見つけたら、僕は迷わずに彼を斬る。
スブラキ:でも、もし嘘をついたのが貴方たちなら……僕のやり方で彼の名誉を挽回するよ。
勇者の名においてⅢ
情報交換
ピリピリとした空気の中、会話は終わった。村人が去った後、スブラキは疲労感に襲われ、思わず長いため息をついた。
スブラキ:……出てきていいよ、そこにいるんでしょう?
スブラキ:……
スブラキ:出ておいで、野宿している変人たち。
ザッハトルテ:……
フランスパン:……
クレームブリュレ:……
スブラキ:何か言いたい事は?
クレームブリュレ:つまり、御侍に虐待されていたのは嘘だったんですね?あたしが嘘をついているのを見抜いたのは、貴方も嘘つきだから……
スブラキ:私は村人から邪神退治を依頼された、生贄のフリをしたのはただの策略だから。
フランスパン:どうして教えてくれなかったのですか?
スブラキ:ムサカが村人たちの言う邪神とまったく違うからだよ。もしかしたらその中に誤解があるかもしれない……貴方たちが真相を確かめずにそのまま彼を殺してしまう可能性だってあるでしょう?
スブラキ:そして一番重要なのは、これは僕が勇者としての初めての任務だからだ、貴方たちのせいで功労を奪われたくない。
ザッハトルテ:……なら、どうして今教えてくれたのですか?
スブラキ:事態は僕の予想を超えているからだ、それに……
彼は言葉を飲み込んだ。
スブラキ:僕の正体をバラしたからには、貴方たちの本当の目的も教えてくれるよね?
ザッハトルテ:……僕たちは、食霊特執法機関「ホルスの眼」に所属している、邪神が赤子を食らう事件を調査しに来ました。
ザッハトルテ:あなたと同じように、森に着いてから邪神が噂と違うことがわかり、調査を続けています。
スブラキ:……単刀直入に言おう、ムサカは当面の間僕に預からせて欲しい。噂の真偽を確かめるまで、邪魔しないで欲しい。
クレームブリュレ:簡単な事のように言うけれど、そんな事してあたしたちに何のメリットが……
ザッハトルテ:わかりました、あなたが良いと言うまでは、「ホルスの眼」は手を出さないと約束しましょう。
クレームブリュレ:……わかりました。
ザッハトルテ:それと、僕からもいくつか報告があります。
スブラキ:えっ?
ザッハトルテ:あなたがいなくなった2日間、私たちは村の調査に行きました。まず、村人たちはほぼ全員、邪神に対して「悪の限りを尽くす忌々しい神」という同じ意見を持っています。
フランスパン:しかし、赤子を食べる以外にムサカがどんな悪さをしたのか、誰も示してくれませんでした。食べられたとされる赤子の親さえも見つかっていません。
スブラキ:……他には。
フランスパン:僕たちがここに来たのは、匿名の手紙を受け取ったからです。しかし、ここに来て、その手紙を書いた人が見つからないのです。
スブラキ:村人じゃないの?
フランスパン:少なくとも現段階では、自分が手紙を書いたと誰も認めませんでした。可能性としては2つあります、1つ目は手紙を書いた人がもう村を去った、2つ目は……自分が書いたことを認めるのを恐れている。
スブラキ:認めるのを恐れている……どうして?
フランスパン:わかりません、しかしこの村については前から違和感を覚えています、村全体が外界から何かを隠しているような気がしてなりません。
ザッハトルテ:とりあえず、真相が判明するまでは、簡単に断言することはできません。
スブラキ:わかった……早速調べるよ。
ザッハトルテ:どうするつもりですか?
スブラキ:先日の1件から、ムサカは僕を少し信頼するようになった、彼から何か手がかりが掴めるはず……
ザッハトルテ:では協力が必要な時は連絡してください。
スブラキ:わかった……
ムサカ:そこで何をしている?
スブラキ:?!!
ムサカ:足は……もう大丈夫なのか?
勇者の名においてⅣ
信じる力
ムサカ:足は……もう大丈夫なのか?
スブラキ:辛うじて歩けるようになった……そう言えばどこに行ったの?探したよ。
ムサカ:キノコを探しに……私に何か用か?
スブラキ:そうそう!コーンスープはバターじゃなくてオリーブオイルの方を使ってねって伝えに来たんだ!
ムサカ:そんな事をわざわざ……君たちは……
クレームブリュレ:通りすがっただけです!だってほら、目の前に上手く歩けないひとがいたら声を掛けるでしょう?
ムサカ:そう……なら……帰ろうか?
スブラキ:うん!一緒に帰ろう!
スブラキはムサカの肩にごく自然に手を回した。ムサカは何も言わず、ただ少し、ぎこちない姿勢で屈み、小屋の方向へ移動するのに手を貸した。
クレームブリュレ:ふぅ……あの子やりますね、あたしより反応が早いなんて……良い俳優になりそう!バレるかと思ってヒヤヒヤしました。
ザッハトルテ:ええ……ムサカから答えが見つかるといいですが。
クレームブリュレ:ムサカの方はスブラキに任せましたが、あたしたちはこれから何をしたらいいですか?
フランスパン:実は……赤子を食らう邪神は、もしかしたらシュプフヌーデルンのことじゃないでしょうか?
クレームブリュレ:えっ?
クレームブリュレ:でもそれはスブラキを驚かせて、彼の恐怖心を食べるためでしょう?……それともシュプフヌーデルンは嘘をついてるのですか?
フランスパン:可能性はありますね。
ザッハトルテ:……フランスパン、もう一度村に行って調査してくれないですか?
フランスパン:もちろん、お2人は……
ザッハトルテ:僕たちはシュプフヌーデルンに話を……いいえ、彼を審問します。
一方--
スブラキは足を怪我しているため、ムサカは歩くペースを緩めた。それがスブラキに何かを「話す」きっかけを与えた。
スブラキ:そう言えば、動物と会話できるの?
ムサカ:会話というより、理解し合えるの方が正しい。動物は私たちと違って、言葉で意思を伝えるのではなく、感情で伝えるんだ。
スブラキ:でも、僕の居場所を示すなら感情だけでは足りないんじゃない?
ムサカ:狼は私の言葉を理解できる、今朝は崖の近くまで案内された。着いた後、あの子はずっと崖の下を見つめていた、そしたら君が崖に落ちたことがわかったんだ。
スブラキ:あいつ狼なんだ……でも、ここが精霊遺跡なら、動物が言葉を理解できるのもおかしくないな……
スブラキ:あれ、でも崖から落ちたのは一昨日の夜だよ?どうしてその晩に来てくれなかったの?寒くて死にそうだったよ……
ムサカ:ちょうど用事があったんだ。
スブラキ:用事って?
ムサカ:……
スブラキの誘導にようやく気づいたのか、しばらく間を置いてから、ムサカは再び口を開いた。
ムサカ:私が赤子を食べに村に行ったと思っているのか?
スブラキ:そんなことは……
ムサカ:いいんだ、そういうのにはとっくに慣れた。
ムサカの目には落胆の色が浮かんだ。彼は心の扉を閉じようとしている。このまま何もしないと、二度と開くことがないだろうと、少年はそんな気がした。
スブラキ:違う!疑ってなんかない!貴方と接触していない人たちに貴方を信じてもらうには証拠が必要なんだ。
ムサカ:彼らの信頼は私にとって何の意味もない。
スブラキ:僕には意味がある!
ムサカ:君に?何故だ?
スブラキ:だって……
ムサカの問い詰めに、スブラキは言葉に詰まった。そうだ、どうしてだ。勇者である自分は邪神を討伐し、村人たちを守るヒーローになるんだ、どうして邪神かどうか証明しなければならないんだ?
この森に春をもたらしているから?彼が動物を助ける優しいやつだから?
スブラキ:貴方は僕の……命の恩人だから、そんな優しい貴方に恩を返したいんだ。
ムサカ:……
目の前の少年を見ると、自分を背負いながら雪の中で歩く姿が脳裏に浮かんだ。
彼なら信頼できるかもしれない。今まで誰にも話さなかった真実を聞いてくれるかも知れない……とムサカは思い始めた。
ムサカ:……わかった。
ムサカ:昨夜は霊力を使って、動物たちのために寒さのない生息地を創っていたんだ……
スブラキ:狼が連れて行ってくれたあの場所……?
ムサカ:ああ……
ムサカ:私は赤子を食べたことがない、人間に害をなしたこともない、人間が赤子たちとこの森を捨てたんだ。そして私は……ただ赤子と森を守りたいだけ。
ムサカ:君は、私を信じてくれるのか?
勇者の名においてⅤ
証拠
午前
林間の小屋
ギシッ--
クレームブリュレ:あれ?帰ってきたのは貴方だけですか?ムサカは?
スブラキ:……キノコを探しに行った。
ザッハトルテ:彼が留守の間、情報を共有しましょう。クレームブリュレと僕はシュプフヌーデルンに問いただしたところ、邪神の噂は彼と無関係だという事実が判明した。村人が言っている邪神はムサカであることが確認されました。
ザッハトルテ:よって、問題があるのはムサカまたは村人の方です。フランスパンは村に行って調査を続けていますが、新たな手がかりが見つかる事を祈りましょう。
ザッハトルテ:そちらはどうですか?
クレームブリュレ:それなら、彼は昨夜どこに行きましたか?
スブラキ:彼は霊力で森の動物たちが安全に冬を越せるよう、暖かい生息地を創っていたらしい。
クレームブリュレ:……?
スブラキ:これは紛れもない事実だ、僕は昨日この目で見たんだ。それに……
スブラキ:元からこの森に神なんて存在しなかった。生贄は村人に捨てられた赤子を彼は、隣の村で里親を見つけて養子に出しているそうだ。
ザッハトルテ:彼の言った事を信じていますか?
スブラキ:僕……
───
ムサカ:人間に捨てられた赤子たちとこの森を守りたいだけだ。
ムサカ:君は、私を信じてくれるのか?
スブラキ:僕……実は僕……
ムサカ:?
スブラキ:外で野宿していた3人のことなんだけど、実は村人から依頼を受けてムサカを捕まえに来たらしいんだ!
ムサカ:……
スブラキ:あいつらはムサカのことを邪神だと誤解している!彼らに本当のことを教えなくちゃ!
スブラキ:……
───
スブラキ:証拠がない。
ザッハトルテ:は?
スブラキ:そう簡単に「信じる」とは言えない、証拠がなければ「信じる」なんて意味のない文字列に過ぎない。
スブラキ:ムサカが無実であると、誰も証明する事はできない。確かに森の動物たちは彼に助けられたけど、喋られないから証人にはなれない。シュプフヌーデルンも本当のことを知っているけど、村人たちは彼を信じてくれないだろう。
ザッハトルテ:真実は埋もれるかも知れないが、消える事はない。彼の言った事が事実である以上、無実を証明する方法は必ずあります。
スブラキ:どうやって証明するんだ?動物たちに証言させるの?それとも森に語ってもらう?
スブラキ:ここは所詮人間社会だ、村人たちが「ムサカは赤子食いの邪神だ」と食い下がったらどうする?人間は自分の同族しか信じないよ!
クレームブリュレ:それは人間の事情だ、ムサカの言葉が真実なら、村人が嘘をついた事になる、なら彼らは罰を受けるべきだ、このままじゃ許されない!
スブラキ:じゃあどうするんだよ、村人を皆殺しにするのか?
クレームブリュレ:……
ザッハトルテ:つまり、計画は立てているのでしょう?スブラキ?
スブラキ:僕が彼に身を捧げた時でさえ、彼は私を傷つけようとはしなかった。貴方たちだって見たでしょう?
スブラキ:ムサカが赤子を食べた証拠がない限り、彼は無実だ。そして、僕が受けた依頼は、この森の邪神を消す事……必ずしも殺さなければならない訳じゃない……
ザッハトルテ:でも、これではムサカに「邪神」の汚名がついたままですが、本当にいいんですか?
スブラキ:これが、僕が考えられる最善の解決策だ……
スブラキ:ムサカは弁解を嫌がっている、遅かれ早かれ、金や名声のために彼を殺そうとする者が現れるだろう。
スブラキ:彼をそんな目に遭わせたくない。
ザッハトルテ:……
クレームブリュレ:でも、ムサカはこの森に深い愛着を持っているはずです、出て行きたいと思うでしょうか?
スブラキ:僕が彼を連れて出て行くさ。
クレームブリュレ:貴方が?
スブラキ:そうすれば、例え彼が本当の邪神であっても、今後人に害をなすようなマネができなくなるだろう……
その真剣な眼差しには決意の光があった。
スブラキ:僕の夢は、正真正銘の勇者になること!本物の勇者なら、助けを求める全ての者に手を差し伸べるべきだ。
未来への道Ⅰ
新しい未来
ムサカが霊力の大半を費やして維持している緑の森は、この寒い冬にある唯一の温室である。
初めてここに来てから、スブラキは暇があればここに通った。この地域に生息する動物たちもすぐに彼と顔見知りになった。
今日は手仕事をしているようだ。冬にはあまり見ない、派手で香りの良い花や植物が用意されている。スブラキの手にかかると、すぐに美しい花冠になった。
スブラキ:……やっとできた!
狼:グルルッー
スブラキ:ちょっと、これは食べ物じゃないから!プレゼントだ!
狼:グルゥ……
スブラキ:気に入ったの?じゃあ後で貴方にも作ってあげるね。
狼:グルアッ!
ムサカ:……何をしている?
スブラキ:あっ!なんでもない!
ムサカが近づく前に、スブラキは花冠を体の後ろに隠して、それを狼にくわえさせて遠くまで運んでもらった。
自分に何か隠していると考えたムサカは、少し不愉快になった。
ムサカ:……何か用か?
スブラキ:ちょっと話がしたくて……
スブラキ:コホンッ、前回……以来、二人きりになる機会がなかったから。
スブラキの言葉は曖昧だったが、「前回」というのは、自分を信じるかどうかを尋ねた後、彼が逃げ出したときのことを指しているとムサカは一発でわかった。
そう考えると、ますます不快になったムサカは、口調もキツくなってきた。
ムサカ:ああ。
スブラキ:実はこのところ……ずっと聞きたかったんだ、貴方はずっとここにいるつもりなの?
ムサカ:ダメなのか?
スブラキ:でも、世界はこんなに広いんだよ?色んな景色を見てみたいとは思わないの?もちろん僕もこの森が大好きだけど……やっぱり少しもったいない気がするな……
ムサカ:もったいない?ここは……
彼は周囲を見渡した。陽光、花々、木々、優しい動物たち、小川のせせらぎ、まるでおとぎ話のような美しい景色だ。目の前にいる少年の瞳に映る世界を、ムサカはもう一度見た。
ムサカ:ここの景色はこの上なく美しい。
スブラキ:……森から離れようとしないのは、村人がまた赤子を森に捨てることが心配だから?
スブラキ:考えてみて、貴方が毎回捨てられた赤子の面倒を見ているから、村人たちは何度も何度もここに捨てに来るのかもしれないよ?
ムサカ:私が原因だと言いたいのか?
スブラキ:だって、もし誰かがまた赤子を捨てたいと思って、祭壇にある死体を目にしたら、子どもが捨てられても動物が世話してくれるだろうと自分を騙せなくなるんじゃない?そしたら平気で捨てることもできなくなるはずだよ。
スブラキ:こんな事を言ったら子どもたちには酷いかもしれないけど、ムサカはもっと自分のために考えるべきだと思うんだ。良い事をしているのに、邪神だと勘違いされてるなんて……不公平だよ。
スブラキ:ここから離れて、外の景色を見てみたくない?本当に嫌なのか?
ムサカ:……
スブラキ:反応が薄いな……せめて感想を教えてよ。もしかして、ムサカはここから出る事を恐れている訳じゃないよね?
ムサカ:私は……
スブラキ:んはは、心配しないで!それが原因なら、僕も一緒についてってあげるから!
ムサカ:一緒に……?
スブラキ:うん!僕はね、ずっと前から外の世界に行ってみたかったんだ!でも1人だと寂しいし……だから!僕と一緒に旅に出ようよ!
ムサカ:君と一緒に……ここを出る……
スブラキ:そうだよ!旅をしながら依頼を解決して稼ごう!ナイフラストだけじゃない、グルイラオ、光耀大陸……いろんなところを旅すればいい!
スブラキ:夏は海でセーリング、冬は雪原でイグルーを作って、春は草原で乗馬、秋は山で果物狩り……飽きたらまた次の場所へ行けばいい!色んな景色を見て、自由自在な生活を送るんだ!
少年の瞳に四季が映っているように見え、ムサカはそれに見惚れ、無意識に呟いた……
ムサカ:悪くなさそうだ……
ムサカ:……考えておく。
スブラキ:早くしてね、僕は気が短いんだから!
スブラキ:この勇者と一緒に旅ができるなんて滅多にないチャンスだよ、ちゃんと考えてよね。
それまでの憂鬱とした気分が一掃され、ムサカはスブラキのあどけない笑顔を見て、笑みを浮かべた。
スブラキ:じゃあ先に帰るね。前に脅かし方を教えるってシュプフヌーデルンと約束したんだ、早く行かないとまたスレンダーのやつに文句を言われる。ムサカも早く帰ってきてね、霊力を使い切るなよ。
ムサカ:……ああ。
暖かい春から寒い冬へ、スブラキは森の奥にひっそりと佇む温室を振り返り、心配そうに目を細めていた。
スブラキ:……一緒にここから離れると同意してくれてから、ゆっくり僕の正体を伝えよう……
スブラキ:そうさ、それでいい……一緒にこの森を出たら、邪神の名を捨てられる、僕たちには新しい未来が待っているんだ。村人たちもこれで文句ないはず……
スブラキ:うん……これでいいんだ……
スブラキ:ビックリした!どうしたの?そんなに慌てて……
ザッハトルテ:大変です。
スブラキ:は?
ザッハトルテ:赤子の死体が、発見された。
スブラキ:?!!
未来への道Ⅱ
私を信じてくれるか?
女性:私の子、私の子よ……
村人:忌々しい邪神め……もううんざりだ!出てこい!
女性:出てきなさい!我が子を返しなさい!
ザッハトルテの後を追ってムサカのところに戻ると、小屋の前に村人たちが集まっていた。
スブラキ:これは一体……
ザッハトルテ:ムサカが生まれたばかりの赤子を食べたと村人たちが騒いでいるんです。
シュプフヌーデルン:朝からなんですか?うるさい。
ザッハトルテ:では、昨夜は?
スブラキ:昨夜……
村長:勇者様!貴方が邪神を討伐してくれると約束したでしょう?!見てください!この子は……骨しか残っていない!
村長は悲しげに言いながら、抱えていたものを手渡してきた。おくるみの中に骨が包まれていて、その上に乾いた赤黒い血痕も残っている。
村長:見てくれ!これが証拠だ!邪神が赤子を食べた証拠!このような暴行を許せるものか!早くやつを!
スブラキ:僕……
ムサカ:私を殺すのか?
スブラキは、いつの間にか背後に現れたムサカを見て、何も言えずにただ黙り込んだ。ムサカは憎しみに狂った村人には目もくれず、ただ黙ってスブラキを見つめ、淡々とした口調で話した。
ムサカ:これは私の仕業じゃない。
村人:じゃあ誰がやったんだ?俺たちが、村の子にこんな残酷なことをしたとでも言いたいのか?!
村人:今度は勇者様が守ってくれるから、もうお前なんか怖くない!さあ、勇者様、早くやつを殺してくれ、この子の仇を打ってくれ!
スブラキ:……
ムサカ:私はやっていない。
ムサカ:私を信じるか?
スブラキ:僕……
ムサカ:……………………わかった。
ムサカの顔は、立っているだけで倒れそうな、非常に疲れているように見えた。綺麗な瞳には淀んだ水が溜まっているように濁っている。
村長:もう逃がさないぞ。だって勇者様がいるんだ……おいっ、ロープを持ってこい、そいつを縛り上げろ!あと松明も持って来い!
スブラキ:何をするつもりだ?
村長:彼は簡単に死なせてはならない……彼を祭壇に連れて行き、その魂を焼き尽くして、幼い死者たちの魂を慰めるんだ。
村人たちが一斉に、ムサカを囲んだ。彼を押さえながら、祭壇の方へと向かって行った。ムサカが村人たちに連れ去られるのを、スブラキは信じられない表情で見届けた。
シュプフヌーデルン:……何もしないのか?二人は友だちなんだと思っていた。
ザッハトルテ:ムサカを連れてここを出ていくんじゃなかったんですか?
スブラキ:でっ、でも……証拠が……しかもこれは赤子の死体……
シュプフヌーデルン:証拠?この骨のことですか?頭蓋骨もないのに、どうやって他の動物ではなく赤子だと証明するんだ?
ザッハトルテ:ええ、しかも目撃者もいない……証拠としては不十分です。
スブラキ:……
シュプフヌーデルン:わかった……貴方は欲張りです。
スブラキ:?
シュプフヌーデルン:村人たちからちやほやされたいから、ムサカという「邪神」を犠牲にするつもりでしょう?
スブラキ:違う……
シュプフヌーデルン:あれだけ彼に貴方に近づくなと言ったのに、彼は貴方を信じようとした、例え貴方が今でも彼を疑っているとしてもです。
スブラキ:……
シュプフヌーデルン:ここで何十年も生活をしていた彼は、一度も自分のために弁解しようとしなかった。貴方を信じているから、昔のことを教えたのでしょう?フンッ……無駄な事を。
シュプフヌーデルンは黙っているスブラキの顔を見て、急につまらなくなった。
シュプフヌーデルン:僕が言うのもおかしいかもしれないが、あいつがようやくひとを信じ始めたくせに、ひどく騙されたのを見て、イラっとしただけです。
シュプフヌーデルン:やはりこんないつまでも終わらない茶番より、恐怖の味の方が満足できる。
そう言うと、彼はこの世界に失望したように、ただ首を横に振りながら、木陰に消えていった。
未来への道Ⅲ
勇者の名において
夕暮れ
森の祭壇
一足遅れてザッハトルテとスブラキが到着すると、祭壇は既に村人たちに取り囲まれていた。全員が松明を掲げ、柱に縛り付けられたムサカに向かって怒号を飛ばしている。
村長:ようやく……この日が来た。邪神を討伐し、森を奪還するのだ……
村長:死んだ赤子たちの仇を打つのだ!
村人:死んだ赤子たちの仇を打つのだ!
ムサカ:……
村長:邪神め!灰に還り、子どもたちに罪を償うがいい!
スブラキ:やめろ!
村長:勇者様?ようやく来ましたか、自分の手でやつを始末したいのか
スブラキ:彼を解放しろ。
村長:勇者様?何を言っているんだ?
スブラキ:彼は邪神ではない、解放しろ。
村長:おそらく……邪神に惑わされたのだろうな。安心しろ、邪神が居なくなれば、全て元通りになるから。
スブラキ:僕は彼を死なせない。
村長:勇者様、まさか邪神の肩を持つというのか?我々の村を敵に回すことになるぞ。
スブラキ:……
その瞬間、ふとある記憶がよみがえった。
───
???:スブラキ……これからは簡単に他人の言葉を信じるな。
???:何も知らない状態で軽々しく動くな。さもなくば無実な人を傷つけることになる、勇者になるには考えてから行動すること、いいな。
???:覚えておくがいい、何事も「証拠」がないとダメだ。証拠がない限り、君はその力を発揮してはならない……
???:俺の二の舞になるなよ。
───
スブラキ:しかし……証拠は死物、ひとは生きている。証拠探しなんて事は探偵に任せた方が良い。
村長:は?
苦笑いを浮かべながら、少年は群衆の中に立ち、村人たちの敵意を一身に受けた。
スブラキ:真相を知らないまま村人側に立って、言われるがままに剣を振るい悪を成敗したら……
村長:……勇者の名を捨てる気か?
スブラキ:もういい、その名で僕を操ろうとしないで。
スブラキ:最後のチャンスだ……どいてくれ。
村人:村長……彼は食霊だ、俺たちでは太刀打ちできません……
村長:今は食霊が好き勝手できる時代じゃない!やつが残りの人生を食霊監獄で過ごしたいと思わない限り、彼らは私たちに何もできないのだ。
スブラキ:僕は貴方たちを傷つけない、でも貴方たちが彼を傷つけるのも許さない。
スブラキ:僕は彼と過ごしてわかったんだ、彼は人を食べたりはしない……貴方たちが信じるかはもうどうでもいい、だって貴方たちの信頼なんてなんの価値もないから。
スブラキ:彼を連れて、ここを出たいだけ、もう二度と戻って来る事はないよ。
話を聞いた村人たちは互いに顔を見合わせ、誰も口火を切ろうとはしなかった。双方数分間にらみ合った後、結局食霊の圧には勝てず、村人たちは渋々譲歩した。
ムサカ:……最初から私を殺すために近づいたのか?
スブラキ:……とりあえず僕についてきて、後で説明するから。
ムサカ:どうして、早く教えてくれなかったんだ?
スブラキ:僕……
ムサカ:私を信じていなかったからだろう。
スブラキ:信じてる!信じてるよ!貴方が無実だと、僕は信じてる!
ムサカ:そう……
彼は顔を上げた、だけどその目には冷気で溢れかえっていた。
ムサカ:でも、私はもう君を信じる事ができない。
スブラキ:信じようが信じまいが、嫌でも外へ連れていく!
ムサカ:私はどこにも行かない。
ムサカの声はそれほど大きくはないが、その場にいた全員にその声が届いた。村人たちはまた警戒して、彼を取り囲もうと動く。
村長:どうやら意見が一致しなかったようだな。邪神はやはり邪神だ、ここを簡単に手放したりはしないんだな!
村人:私たちは村の豊穣を守ってくれるよう、たくさんの赤子を捧げて来た……なのにお前は生贄だけ受け取って、私たちに福をもたらさなかった、まさに邪神だ!死んで当然!
ザッハトルテ:村の富は赤子を犠牲にして交換するものではありません!自分たちで努力して勝ち取るものですよ!
村長:フンッ、働かずに食べていけるのなら、耕作する必要もないだろう!元々、森で穏やかな生活を送っていたんだ。こいつ……この邪神のせいでさんざんひどい目に遭ってきたんだ!
スブラキ:穏やかな生活?……それは、血の繋がっている子どもを森に捨てること?
村長:なっ……何を馬鹿な事を?!
問い詰められた村長は顔色を変えた、後ろにいる村人たちも混乱し始める。しかしすぐに顔を上げ、一斉にスブラキを睨んだ、一人一人の目から怨念を感じる。
村人:あれほど信頼していたのに、よくもまあ、邪神の味方をしたものだ!
村人:何が勇者だ、最初から邪神の味方だろう!
スブラキ:……邪神も勇者も、ただの呼び名だ、そんなものはもうどうでもいい。
村長:……あの猟具に毒を塗っておけばよかった!邪神と一緒に死ねば良かったんだ!
村長:生贄のことを知られた以上……生きて帰さない……
スブラキ:なっ……?!
未来への道Ⅳ
天から降りし神威
村長:ははっ、本当にバカだな、長い間ここにいたのに祭壇の効果に気付かなかったのか?
スブラキ:この祭壇?
村長:原理はわからないが、この祭壇に近づけば、君たち食霊は霊力を失い、異能の持たない……普通の人間みたいになるんだ。
ザッハトルテ:つまり、あの怪しい気配は……
村長:本当は手を出さずに邪神を排除したかったが、ここまでくると事を荒立てないために、犠牲は免れないようだ。
村人たちはスブラキたちが逃げられないよう、祭壇を囲んだ。松明を高く掲げ、その表情はまるで悪霊のように歪んでいる。
スブラキ:あっ、貴方たち!
村長:財宝を危険にさらすことになるかもしれないが……邪神が死ねば、森は高く売れるようになるだろう。
村長:我々の不運な日々がようやく終わるんだ!そしてお前らは今日ここで死ね!
ムサカ:私たちはここで死なない……少なくとも彼はね。
ムサカ:長い間、無駄に邪神と呼ばれ続けてきたのだから、そろそろ邪神らしい事をしてもいいはずだ。
ムサカの体を縛っていたロープが一瞬にして灰になった。ムサカはゆっくりと一歩前に出る、すると耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
村長:そっ、そんなバカな?!
ムサカ:以前は復讐なんて無意味な事だと思っていた。でも今は、ただ我慢する事の方がよっぽど無駄だと思うようになった。
空から雷が突然落ちてきて、大地から炎が巻き上がり、村人たちは悲鳴とうめき声を上げる暇もなく、ボーっと突っ立っていた村長は黒焦げになった。
ザッハトルテ:なっ……
村人:そっ、村長が殺された!逃げろー!!!
女性:きゃあああー!たっ、助けて!!!!!
叫び声は突然止んだ、蔓が女性の首にしっかりと巻きついたから。
ムサカ:子どもを捨てた人の顔は、全部覚えている。
ムサカ:今こそ、償う時だ。
ザッハトルテ:やめろ!
炎は血のように赤く躍動している、主の敵を貪欲に食い尽くそうと、めらめらと燃え上がっているが草花だけは傷つけていない。
ムサカが操る蔓……かつてそこに咲いていた白い花は、少しずつ黒く焦げていった。
あっという間に、村人たちは半分以下になり、腰が抜けて地面に座り込んでいる数人だけがハアハアと荒い息を吐いていた。
ムサカ:私が君たちを殺さないのは、君たちが無実だからではない、君たちも全員共犯者だ。
ムサカ:生かしたのは、これからを見届けてもらう必要があったから。
赤い稲妻が空から地面を突き刺した。ムサカは、生き残った人間たちを冷ややかに見渡し、少し躊躇した後、目の前のスブラキに目を向けた。
彼の思った通り、そのあどけない目は今、恐怖と衝撃に満ちていた。
ムサカ:森を破壊させる訳にはいかない……それに、もう止められない。
少年の声は無力だった。ムサカは驚異的なスピードで祭壇を離れ、森の奥へと消えていった。
そして、生き残った村人たちが安堵のため息をつく間もなく、蔓によって足首を縛られ、森の中に引きずり込まれた。
ザッハトルテ:クソッ……スブラキ!突っ立ってないで早く追いますよ!
ムサカが何をしようとしているのか、誰にもわからない、スブラキも同じだ。今追いかけると、自分が後悔する事が起こりそうで、しかしそうしないと、もう永遠に彼とは会えない気がした。
今に一番大事な事はムサカを追いかけること。雑念を振り払って、スブラキは急いで森の奥へと進んだ。
スブラキ:こんな終わり方なんて……イヤだ!
終章Ⅰ
罪の償い方
2人は、蔓に引きずられていく村人を崖の方まで追いかけた。ムサカは凛とした顔で彼らを待っていて、その細い体は今にも吹き飛ばされそうだった。
スブラキは突然、激しい寒気に襲われた。ここは……前回自分が転落したところだ。自分がその崖から落ちても死ななかったのは、ただ運が良かっただけ。しかし、もし転落したのがあの村人たちだったら……
次のことを想像する事すら怖い。
スブラキ:ムサカ、とりあえず……村人たちを離して!話があるんだ!
ムサカ:全てが終わったら、彼らを解放するつもりだ。
ムサカ:ほら、君は今になっても私を信じようとしない。
ムサカ:やってもいない事で忌み嫌われ、邪神と呼ばれるより……最初からこの人たちを皆殺しにすれば、誹謗中傷を受けることもなかろう。
ザッハトルテ:こんな事をして、逃げられると思っているのか?
ムサカ:逃げる?私は一度も逃げようとは思わなかった。悪事をしたこの人たちと同じ、私もいずれ罰を受けるだろう。
ムサカ:今、この時を楽しめれば十分だ。
スブラキ:どうして……どうしてこんな事に……貴方は無実だ、ここから一緒に出られたのに……どうして……
ムサカ:多分、私は召喚された時から、何かが歪んでいたのだろう。
ムサカ:あの時から、私は感情を失い、誰も信じられなくなった。私の信頼と犠牲に値する者はいない、そう自分にはっきりと警告しているのだが、それでも……
ムサカ:あの村人たちが悪さを繰り返していたのは、私の独善的な贖罪が原因だ、まさに君の言う通りだ。
ムサカ:これは、私の罪だ。
ザッハトルテ:悪行で悪行を罰する……それがあなたの贖罪の仕方ですか?
ムサカ:言いたい事はわかる。ただそれは贖罪ではなく、単に報復しているだけだ。
そう言うと、彼は視線をスブラキに戻し、冷たく悲しげな口調で言った。
ムサカ:勇者になりたいと言った時、君の目には光が宿っていた。
ムサカ:だけど私を信じると言った時の君は、とても悲しそうだった……
ムサカ:だから、私を信じなくてもいい。でも、勇者の夢は諦めないでくれ。
突然、手に冷たい感触が伝わってきた。蔓がいつのまにか登ってきて、手首に巻きついていたのだ。
ムサカに目をやると、冷酷な瞳の中に微かな優しさが見える。
ムサカ:勇者よ、私を殺してくれ。
蔓がスブラキの手首を引っ張り、ムサカを崖から突き落とさせた。
ムサカが落下する最中、蔓はあっという間に森の中に消えていった。両手が解放されたスブラキは彼を救いたい一心で、何も考えず崖から飛び降りた。
……
3日後
林間の小屋
フランスパン:……この村は最初、森で採れる貴重な草木を売って大金を稼ぎ、村人たちは贅沢な生活を送っていた。それらの草木が市場で多く流通するようになると、高価で購入する人がいなくなり、他の方法でお金を稼ぐ事を考えなければならなくなった。
フランスパン:しかし、商売はうまくいかなかった。生計が苦しくなった家庭は生まれたばかりの子どもを森に捨て、口減らしを始めた。
クレームブリュレ:「邪神は赤子を食らう」という噂が立ったのは、ここ2年ほどの事です。村人たちの証言によると、赤子を邪神に捧げた行為は、まだ2回しか行われていないそうです。
フランスパン:昨年、赤子を邪神に捧げた後、邪神が怒り狂い村を騒がせた。しかし怪我人は出なかった。
クレームブリュレ:隣の村に確認しました、確かに白い服を着た長い髪の食霊が子どもを届けた事があるとのことです。
ザッハトルテ:……つまり、ウソをついたのは村人たちですね。しかし……どうして?
フランスパン:「森の神に生贄を捧げれば、神は村を豊かにしてくれる」と村長が村人たちに言ったらしい。
フランスパン:村が豊かになるどころか、森の神のせいで森に入る事すらできなくなった。
クレームブリュレ:おそらく村長は、森に入れなくなったことを村人たちに責められるのが怖いから、ムサカに責任を押し付けたのでしょう。
クレームブリュレ:しかし、森に入ることができなくなると、村はどんどん貧しくなっていく。だから彼らは森の神ーームサカを追い出すことにしたのです。
フランスパン:しかも、ここには伝説の精霊遺跡があり、数え切れないほどの宝物が眠っているとされている。村人たちは、ムサカが宝を独り占めしていると思い込み、ますますムサカを憎んだ。
ザッハトルテ:だから僕たちに依頼を……?
クレームブリュレ:実は、その匿名の手紙を書いた人物を見つけたのですが……その方は自殺しました。
ザッハトルテ:そんな……どうしてですか?
クレームブリュレ:あの老人は真相を知っているが、村人たちを止めることができなかった。だから匿名の手紙を書いて、あたしたちに依頼したんです、ムサカの汚名をそそぐために……
クレームブリュレ:しかし、それを知った村長は、真実が明らかになる事を恐れて、彼女に自殺を強いた。そして彼女の骨を使い、赤子の死体に偽装した。村長も当時は自分の子どもを捨てたのだろう……
ザッハトルテ:……なら村長は不当な死を遂げた訳ではなかったようですね。
フランスパン:これが調査結果の全容です……すみません、遅かったようですね……
ザッハトルテ:……
あの日のことを思うと、ザッハトルテは「大丈夫」という言葉が出なかった。自分も深く恥じているからだ。
ザッハトルテ:荷物を片付けましょう。事件も解決しましたし、そろそろ帰らないと。
ザッハトルテ:でもその前に、行きたい場所があります……
小屋を出て、ザッハトルテはとても複雑な気持ちになった。来た当初は騒音が続いてかなり困っていたが、今は静かすぎるくらいだ。
軽く森を歩くと、森の中の唯一の温室があった。そう遠くないところに、草の上に座って何かをじっと見ているような人影がいた。
ザッハトルテ:まだ……彼を探していますか?
スブラキ:……
終章Ⅱ
あの日、ムサカが崖から落ちた後、スブラキは思わず後を追って飛び込もうとした。しかし、何かによって必死に引き止められた。
スブラキ:狼……?
狼:グルアッ!
スブラキ:どうして……!
スブラキは崖から飛び降りなかったのは、狼が彼の服を必死に噛んで、懸命に引きずり上げたからだ。まるで、果たさなければならない使命を執行しているようだった。
───
ムサカ:もう一つ……頼んでいいか?
狼:グアッ!
ムサカ:村人たちが彼を送り込んできたのは、彼を殺すためだろう……
ムサカ:もし彼が死んでいないことがわかったら、もう一度彼を殺そうと企むはず……その時、もし私が彼の傍にいなかったら……
ムサカ:私の代わりに彼を守ってくれないか?
狼:グルアッ!
───
少年はそれについて何も知らなかった。
彼が知っているのは、村人を惨殺した「邪神」を自分の手で崖から突き落としたことだけだった。
彼はようやく「勇者」になった。しかし、大願成就した今、目の前にある底知れぬ深淵を見て微笑むことができなくなっている。
───
スブラキ:……
スブラキ:実は、元々お宝を探しに来たんだ。
ザッハトルテ:……
スブラキ:僕は自分で言うほど偉くはない、困っている人を助ける勇者になりたいのは……ちやほやされたいからだ。
スブラキ:少なくとも最初はそうだった。
少年は恥ずかしそうに笑った。彼の目には相変わらず青く澄んだ空が映っているが、前と比べて悲しみを湛えている。
スブラキ:世の中には宝物よりも美しいもの、大切なものがたくさんある事を彼が気づかせてくれた。
スブラキ:温もり、優しさ、正義、仲間、信頼……どれも宝物や勇者の名より大切だ。
ザッハトルテ:……だから、見つかるまでここにいるつもりですか?
スブラキ:うん、僕は一度彼の信頼を裏切った、今度こそちゃんと彼に伝えないと。
スブラキ:「宝物」を見つける前に、僕はどこにも行かない。
口角を上げて、自信に満ちた笑顔を見せた。
スブラキ:悪を倒し、村を救い、最後は歓声の中で賞賛を受けるこそが真の勇者だと思い込んでいた……しかし、悪は完全に消滅させることはできない、村も必ずしも善の象徴ではない、時には人を助けることが互いを害することさえあるかもしれない。
スブラキ:勇者は絶対にヒーローになれるとは限らない。自分が思う正義を貫き通し、その行動による結果に責任を持てる人が真の勇者になるのだ。
スブラキ:本当は前から彼を信じていた。ただ、彼を信じることの結果から目を背けていただけ……これからはもうそんな事したりしない。
ザッハトルテ:わかりました。でも、彼がここから出ていった可能性もあるのでは?
スブラキ:そんなことはない、ほら。
スブラキは小さな花を大事そうに差し出すと、ザッハトルテはそれがムサカが最初にスブラキに贈った花だとわかった。
スブラキ:彼の霊力はまだこの花の生命力を維持している。だからきっと、まだここにいるはず。
スブラキ:まだ生きている……この森のどこかで……ただ僕を避けているだけだ……
ここまで言って、スブラキは少しだけ元気を取り戻したように、笑った。
スブラキ:僕のことはともかく、貴方たちこそ、まだ帰らなくていいのか?もしかしたら彼、貴方たちに掴まりたくないから、姿をくらましているのかもしれないよ。
その呑気な口調を聞いて、ザッハトルテはようやくホッとした。
ザッハトルテ:では、彼に会えたら、代わりに伝えてください。暴力を暴力で報復することには賛成できませんが、彼が殺した人たちは許されない罪を犯した。よって、ホルスの眼はムサカを「無罪」だと判断した。
ザッハトルテ:そして、彼は多くの赤子を助けた。しかも何十年もこの森という無形の牢獄で暮らしてきた……罪を償ったとも言えるでしょう。
スブラキ:彼にとって、その判決はどうでもいいだろうね、自分に罪を定めるのが趣味なんだから。
ザッハトルテ:ふふっ、本当に元気そうで良かったです。僕たちもそろそろ帰ります。待ってください……その花……
二人がようやく重苦しい気持ちから解放されると、スブラキが手にした花が散り始め、しばらく経つと、すっかり枯れ果ててしまった。
それを見て、スブラキは火がついたように慌ててさっと立ち上がった。次の瞬間、空からピンクの花びらがひらひらと舞い落ちた。
あの日以来、昼夜問わず探し続けた相手が突然目の前に現れた。スブラキは驚きのあまり声が出なかった。しかし、この感動的な再会に相応しくない冷たい声がスブラキを落ち着かせた。
ムサカ:人違いだ。
スブラキ:人違い?!そんな訳ない!ムサカ!貴方はムサカだろう……?
スブラキ:……
もちろん彼はそれを証明できる証拠を出せない。冷たい男が無関心な言葉を吐き続けるのを、ただ見ているしかなかった。
ムサカ:ここは精霊遺跡。ここに住まう者に生死も、感情も、記憶も……ない。
ムサカ:もちろん、名前という物もここでは意味がない。
<遺失神跡>完。
調査報告書Ⅰ
特別報酬
馬車は路地を進んでいる。
クレームブリュレ:はぁ……
クレームブリュレは座席をテーブル代わりにして、調査報告書を書いていた。
ザッハトルテ:進捗はどうですか?
クレームブリュレ:えっと……もうちょっとで完成すると思います。
ザッハトルテ:まだタイトルしか書いていないようですが?
クレームブリュレ:あー、これはですね、「学校」時代の悪い癖ですよ!一生懸命頑張って勉強した内容は、テストが終わった瞬間にすぐ忘れてしまうんです……だってほら、頭の容量は限られていますし、次のテストを準備するために前に覚えた内容を頭から削除しないと、新しい内容が頭に入りにくいでしょう?
クレームブリュレ:そんな訳で……前回の任務で何をしたのかすっかり忘れてしまいました……
ザッハトルテ:なら任務が終わったらすぐに書いておけばいいのでは?
クレームブリュレ:書きましたよ……
クレームブリュレ:先生に提出するやつですけど……
クレームブリュレはあまりに小さい声で呟いた。ザッハトルテはそれを聞き取れなかったが、ただの愚痴かと思い、思わずため息をついてしまった。
ザッハトルテ:調査報告書を書くのは大変な作業だと思いますが、単に事件を記録するだけではありません。
ザッハトルテ:「学校」側は、報告書に基づいて何をしたかを知ることで、資金の調整が必要かどうかを判断するので、年度末の査定にも関係しています。
フランスパン:更に、事件と事件の間に繋がりがある場合もあるので、そうした記録を残しておくことも必要です。
フランスパン:調査報告書はきちんと書きましょう。
クレームブリュレ:それぐらいわかっていますよ……
クレームブリュレ:先生は各自提出した調査報告書であたしたちの中に裏切り者がいるかどうかを判断するんでしょう?
クレームブリュレ:同じ事件の報告書なのに……あたしは貴方たちの2倍……ううん、4倍の内容も書かないといけないなんて……
ザッハトルテ:どうかしましたか?
クレームブリュレ:いいえ、自分に言い聞かせているだけです。こうなったらでっち上げても書いてみせますよ……いや、そうじゃなくて、もう少し考えさせてください……
クレームブリュレ:怪しまれたくないってだけで……こんなに苦労しなきゃいけないなんて……
クレームブリュレ:あーあ、調査報告書を書くための報酬を先生に申請しようかな……
調査報告書Ⅱ
意外な収穫
数日前、涅槃葬儀館にて--
昼間の葬儀館にはほとんど誰もいない。「ホルスの眼」のメンバーは任務で外出しているか、または寝ているか、ここは長い間使われていないかのように静かだ。
ギシッ--何の前触れもなく、葬儀館と「ホルスの眼」のオフィスを繋ぐ扉が開かれた。
クレームブリュレ:左……異常なし!右も……異常なし!うんうん!よし!
誰もいないことを確認して、クレームブリュレはずかずかと入ってきた。
クレームブリュレ:先生ったら、ザッハトルテが書いた報告書に曖昧な点が多すぎるというのなら、直接彼を呼び出したらいいのに!あたしに調査させる意味なんてあるのかな……
クッキーは葬儀館やホルスの眼のメンバーではないが、ターダッキンとアンデッドパンの知り合いであるため、よくここに泊まりに来ていた。次第に客室が彼女専用の部屋になったのだ。
クレームブリュレ:ふむ……怪しい……先生が言うには、クッキーは以前の教会の事件に関わっていたのに制裁を受けていないらしい……ホルスの眼によって隠蔽されたのか……
クレームブリュレ:この名探偵クレームブリュレが真相を見つけ出してあげよう!うわっ!いっ、いたの?!
クッキー:……
忍び込もうとしたクレームブリュレは、内側からドアを開けたクッキーとバッタリ顔を合わせてしまった。寝起きで少し苛立った顔を見て、彼女は冷や汗が止まらなくなる。
クッキー:何か用?
クレームブリュレ:えっと……クッキーは彫刻が得意だと聞いていたので、見学しに来ました!
クッキー:あら?彫像に興味あるの?
キーワードを捕捉したクッキーは、急に親切になった。クレームブリュレはその人間味のあるリアクションに興味を持ったのか、クッキーの作品を褒め始めた。
クレームブリュレ:普通の彫像には興味ありません!でも、クッキーの彫像は違いますわ、クッキーは魂を彫刻していますもの。
クッキー:あら、見る目あるわね。ちょうどいい、私は今新しい創作をしているの、興味があるのなら見てみない?
クレームブリュレ:いいんですか?!
クッキー:ほら、これだわ。
クレームブリュレ:これは……うーん、かの有名な湖の怪物でしょうか?
クッキー:……やっぱり似ていないのかしら……
クレームブリュレ:あら、まあ……言われてみると確かに……似てますね!
クッキー:お世辞はいいわ。私はこの作品に満足していないの、これは失敗作ね。
クレームブリュレ:いいえいいえ……特徴を捉えた良い作品だと思います!
クッキー:気に入ったの?ならあげるわ。
クレームブリュレ:あっ……それはちょっと……
クッキー:失敗作を捨てるのに粉々に潰さないといけないから大変なの、もらってくれると助かるわ。
クッキー:新しい作品ができたらまた見に来るといいわ。仕事に戻るから、またね。
扉は目の前で閉じられた。腕の中の謎の彫像を見つめながら、クレームブリュレは仕方なさそうにため息をついた。
クレームブリュレ:今日の調査報告書の内容は「スライムの彫像を手に入れた」にしよう。
邪神への生贄Ⅰ
幕が開く
ぎゅるる……
シュプフヌーデルン:スレンダー、うるさい。
スレンダー:誰のせいだと思ってんだ?この人っ子一人いない場所にこもる意味がわからねぇ!餓死しそうだ!
シュプフヌーデルン:ここは静かないい場所だと思わないのか?
スレンダー:静かが何になんだ!ウマがいなくなってから、一回も腹いっぱい食えた試しがない!
スレンダー:あいつの話になると腹が立ってくる……ムサカ!どうしてあいつがここを出るって早く教えてくれなかったんだ!知ってたらもっとたらふく食ってたのに!
ムサカ:私も当日になるまで、彼が去ることは知らなかった。
ムサカ:それと、彼をウマと呼ぶのをやめろ、彼が知ったらまた泣くぞ。
スレンダー:知るか!どうせ彼には届かねぇし……
シュプフヌーデルン:そう言えば、彼もツルを操ることができたな、貴方の能力と少し似てるけど……違う。
シュプフヌーデルン:自然や天候さえも操れる食霊は、僕の知る限り貴方一人だけだ。貴方は本当に森の神とかじゃないのですか?
スレンダー:チッ、今は邪神だけどな。
スレンダーに冷やかされても、あの感情の読めない顔は相変わらず冷淡のままだった。
ムサカ:……言ったはずだ、私は神なんかじゃない。
ムサカ:特殊能力を持っているのは……この森が特殊だからだ。
スレンダー:ここが?地獄みてぇに静かなだけだろ。
ムサカ:ここはかつて精霊たちが生活していた場所……君たちが来る前は精霊の霊気はまだ残っていた。
スレンダー:精霊の霊力?それはうまいのか?
ムサカ:味はしない。
スレンダー:チッ……つまんねぇ。
シュプフヌーデルン:……ということは、貴方は精霊の霊力を吸収したのか?なら半分精霊になってるってことですか?バニラマフィンも同じ?
ムサカ:具体的な事は私にもわからない、しかしやつの気配は確かに私に似ている。
シュプフヌーデルン:とすると……
スレンダー:おいシュプフヌーデルン!今日はなんとしてでも恐怖を食べさせろ!祭壇に行くぞ!運が良ければあの村人共がまた生贄を送り込んでいるかもしれない!
シュプフヌーデルン:……わかったから、大きい声を出すな。
スレンダーに急かされて、仕方なく小屋を出たシュプフヌーデルンは祭壇の方へ歩いていった。
シュプフヌーデルン:うん?あれは……生贄?本当に送り込んできたのか?今回のはいつものより大きいな……
スレンダー:細かいこと気にすんな!早く食べさせろ!
シュプフヌーデルン:急かすなって……
シュプフヌーデルンは祭壇に上がっていった。少年を覆っていた黒い布を取った瞬間、事件の幕も切って落とされた。
邪神への生贄Ⅱ
最後の一夜
スブラキ:邪神様!待ってください!
ムサカ:私について来て何をするつもりだ。
スブラキ:ぼっ……僕は村人たちが貴方に捧げた生贄です、僕を食べないんですか?
ムサカ:食霊を食べる趣味はない。
スブラキ:食霊の食感は人間とそんなに差があるんですか?
ムサカ:私は人間も食べない。
スブラキ:えっ?じゃあ前に送り込まれた生贄は?
ムサカ:……もうすぐ暗くなる、まだ帰らないのか?
スブラキ:帰る?僕には帰る場所なんてありません……
スブラキ:今帰ったら、村人たちに殴られてしまいます!
ムサカ:……
スブラキ:じゃ、邪神様!
ムサカ:突っ立ってないでついてこい。
スブラキ:えっ?
ムサカ:夜になると猛獣が出没する。一晩だけ泊める、明日の夜明けに出て行け、いいな?
スブラキ:はいっ!
翌日
林間の小屋
ムサカ:……どうしてまだいるんだ?
スブラキ:邪神様にお礼がしたくて……森で薬草を摘んできました。これを肉と一緒にスープに入れたら美味しくなりますよ!
スブラキ:ただ……この季節だと動物たちは冬眠しているし……肉がないとスープも作れません。
スブラキ:よかったら、僕の肉を使ってください。
ムサカ:……
スブラキ:あれ?邪神様?!どこに行くんですか?僕っ……うわ!飲んじゃダメです!肉を入れていないからまだ出来上がってないです!
ムサカ:ゴホッ……このスープ、肉を入れても美味しくならないだろう……ケホッ……
スブラキ:えっ……そんなに不味いですか?
ムサカ:別に。お礼は貰った、もう行っていい。
スブラキ:でも……邪神様、もうこんな時間ですよ。
ムサカ:……
ムサカ:今日で最後だ……明日、必ず、ここから出ろ、わかったな?
スブラキ:はいっ!
迷いのない爽やかな返事だ、とにかく夜を乗り切ろうと考えているのでしょう。少年はムサカの言ってることを明らかに気にしていなかった。
ムサカは少年の言葉を信じてしまった。シュプフヌーデルンだけが、仕方なさそうに頭を横に振る。
シュプフヌーデルン:騒がしい日々はもう少し続くらしいな……はぁ……
恐怖を探し求めてⅠ
相性が悪い
ホルスの眼の3人はスブラキの後を追って、ムサカの住む小屋を見つけた。
外から見た小屋の大きさから、3人は今夜外で寝なければならないことがわかった。
クレームブリュレ:フフーン!経験不足の二人のために、寝袋を用意しましたよ!
フランスパン:ブリュレがいて本当に良かった、感謝します。
クレームブリュレ:はぁ、「学校」から卒業した食霊が……こんなに素直に他人を褒めるなんて……なんだか落ち着かないです……
ザッハトルテ:暗くならないうちに、拠点を確保しましょう。
シュプフヌーデルン:……
クレームブリュレ:あれ、さっきの腹話術のひとじゃないですか?どうしてここに……?
シュプフヌーデルン:そこに住んでいますから。
クレームブリュレ:はあ?あの邪神と住んでいるのですか?!あそこで?!
シュプフヌーデルン:ええ、何か?
クレームブリュレ:いいえ……なんでもありません。
シュプフヌーデルン:あと、僕は腹話術師ではありません。
クレームブリュレ:えっ?は?……待ってください!
クレームブリュレ:二人でその子を食べ切れるのですか?あたしたち、一日中お腹を空かせていて、少し分けてもらえますか?
シュプフヌーデルン:……あのガキを食べたいの?気持ち悪い。
クレームブリュレ:はあ?貴方もさっきあの子を食べようとしていたでしょう?
シュプフヌーデルン:驚かしてただけ、僕は食霊なんか食べない。
シュプフヌーデルンが小屋に入っていくのを見て、クレームブリュレは少し残念そうに首を振った。ただ、後ろにいる仲間に振り向くと、二人は武器を構え、戦闘態勢に入っていた。
クレームブリュレ:どっ、どうしたんですか急に?
フランスパン:……本気で食霊を食べようとしたのかと。
ザッハトルテ:ええ……あなたを気絶させて縛り上げようと考えていました。
クレームブリュレ:ちょっとひどいです!あたしが食霊を食べようとする訳ないじゃないですか!彼を試しただけです!
クレームブリュレ:やはり、あたしは二人と心を通わせることはできないみたいです……
クレームブリュレ:もう寝ますっ!
恐怖を探し求めてⅡ
特別授業
クレームブリュレ:あれ……
シュプフヌーデルン:……
クレームブリュレ:ん?あれ……?
シュプフヌーデルン:何か?
クレームブリュレ:あっ、ちょっと気になったのですが……ムサカとは兄弟なんですか?男二人であんな小屋で生活するのって気まずくないですか……?
シュプフヌーデルン:同じ部屋で寝ているだけ、気まずい要素なんてない。
クレームブリュレ:じゃあ、彼が子どもを食べる時は気まずくなりませんか?
シュプフヌーデルン:子ども?彼は子どもを食べない。
クレームブリュレ:チッ、お口が固いですね。最初はスブラキを食べるって言ったくせに。
シュプフヌーデルン:あれは彼を驚かすために嘘をついただけ、僕は恐怖心しか食べない。
クレームブリュレ:でも、もう2日も経つのに、貴方が誰かを驚かすことに成功したのを見たことがないですよ、お腹は空かないのですか?
スレンダー:2日?!2日どころじゃねぇよ!!!1週間近くも飢えてんだ!もうっ……喋る気力も残ってないぜ……
シュプフヌーデルン:スレンダー、休んでいろ。
クレームブリュレ:……そんなにお腹が空いているのなら、早く誰かを驚かしたらどうですか?
シュプフヌーデルン:……驚かしてみたけど、失敗した。
クレームブリュレ:貴方……才能がないのでは?
シュプフヌーデルン:……
クレームブリュレ:あははっ!早く言ってくれたらよかったのに!「学校」にいた時に、サルミアッキ先生から怖い話をたくさん聞いたわ!教えてあげましょうか?
シュプフヌーデルン:……どうして僕を助けるのですか?
クレームブリュレ:食霊はみんな困ってる人を助けることを美徳としていますし?もちろんあたしも同じですよ……その代わりに、ムサカのことについて教えてくれませんか?
シュプフヌーデルン:わかった。成功したら、僕が知っていることを全部教えましょう。
クレームブリュレ:えっ?本当ですか?!
シュプフヌーデルン:これ以上失敗し続けたら、スレンダーは餓死してしまう、彼を死なせたくはない。
クレームブリュレ:わかりました……ゴホンッ!ではこのクレームブリュレ先生が、人を驚かす秘訣を教えてあげましょう!
恐怖を探し求めてⅢ
ドッキリ
深夜
森の中
夜は静かで、時折草木が風になびいて、ざわざわと音を立てている。しかしこの自然が奏でる子守歌は、ザッハトルテには効かなかったようだ。
彼は何度も寝返りを打った。何かを感じたのか、一気に目を覚ました!
シュプフヌーデルン:……
ザッハトルテ:!!!
夜眠っている時に、青白い顔をした誰かが隣に寝ているのに気付いたら、誰でもドキドキしてしまうものでしょう。
ザッハトルテ:なっ、何をしている?!
シュプフヌーデルン:うん……美味しい。
ザッハトルテ:???
シュプフヌーデルン:クレームブリュレが教えてくれた、貴方が怖がるに違いないって。
ザッハトルテ:……趣味で人を驚かしているのか?
シュプフヌーデルン:いいえ、お腹を満たすためにやっています。
シュプフヌーデルン:ご馳走様です、おやすみなさい。
ザッハトルテ:……
彼は言い終わると真っ直ぐに小屋に入っていった。
今夜は眠れなさそうだと、ザッハトルテはため息をついた。
邪神への生贄Ⅲ
メモ
スブラキ:邪神様……どうして僕を食べてくれないのですか……?
ムサカ:……食霊には食事をする必要がない、君を食べる理由がないからだ。
スブラキ:理由……僕を食べれば、霊力を補充できるかもしれませんよ!
ムサカ:いらないと言ったはずだ。
スブラキ:……わかりました、じゃあ自分で何とかします!
そう言って、腰に提げている短剣を取って、自分の腕に狙い定めた。
ムサカ:何をする?!
スブラキ:くっ……
キーンッ--
ムサカは急いで短剣を奪った。しかし、その行動は彼を驚かせ、手元が狂って、短剣がスブラキに傷を与えてしまった。
スブラキ:さっきのは……冗談ですよ……あっ……血が……
ムサカ:……良い教訓になっただろう。痛いのがイヤなら、もうこれ以上無茶はするな。
スブラキ:……邪神様、どこに行くんですか?
ムサカ:君には関係ない。
ムサカは小屋を出た。スブラキはため息をつきながら、部屋であちこち探し回り、包帯のかわりに使えそうな布で傷の手当てをした。
やることがないため、外に出て、暇つぶしにホルスの眼の三人とお喋りをした。昼過ぎになると、ムサカが帰ってきた。
スブラキ:邪神様……
バンッ--
スブラキはムサカの後を追って小屋に入った。しかし、小屋に入った途端、ムサカは出て行った。扉をわざと強く閉め、まるで「ついてくるな」と警告しているように。
スブラキ:怒っているのかな……あれ?これは?
スブラキは口を尖らせた。少し退屈そうにしていたが、ふとテーブルの上に置かれた薬草とメモに目が止まった。
これをつぶして、傷口に塗るといい。
スブラキ:僕のために薬草を探しに行ったの?
メモに書き込まれた字を見て、彼は何故だか少し悔しくなった。不満をメモにぶちまけてギザギザに破り捨てようとしたが、結局は捨てられなかった。
スブラキ:なんだよ……
信じる対価Ⅰ
温もり
ムサカを暖かいところに運んだスブラキは疲れ果ててすぐに眠ってしまった。
ムサカ:……
少年はぐっすり眠っている。熟睡している彼の顔を見て、ムサカの目には言い知れぬ感情が浮かんでいた。
スブラキを担いで小屋に戻った。シュプフヌーデルンと簡易ベッドを作り、少年をその上に寝かせた。
ムサカ:そうか?
シュプフヌーデルン:人間はいかに利己的で狡猾なのか、ムサカが一番わかっているはずだろう。そんな連中とつるんでる彼も悪習に染まったはず、あまり彼に近づくな。
ムサカ:利己的で……狡猾……か。でも彼は自らの危険を顧みず、私を助けた。
シュプフヌーデルン:それは貴方に食われたいからだ。何はともあれ、結局は彼自身のためにやっているんだ。
ムサカ:誕生した時点で捨てられた私は、血の繋がる子どもを捨てる親を数多く見てきた。
ムサカ:それでも彼は私をあの洞窟に捨てなかった。
シュプフヌーデルン:貴方は、ちょろすぎるだろう。
ムサカ:そうかもしれない。
ムサカ:冬に居続けた人が、春を恋しくなるのもおかしくない。
シュプフヌーデルン:無論、春に慣れてしまうと、もう冬の寒さに耐えられなくなるだろう。
ムサカ:……もう少し経てば、赤子たちと同じように隣の村に送る。
シュプフヌーデルン:わざわざ僕に説明しなくともいい、僕たちは友だちではないから。
シュプフヌーデルン:自分の首を絞めないように。
ムサカ:わかっている。
ムサカ:彼はあの人間たちとは違う。
ムサカ:違うんだ。
信じる対価Ⅱ
「愚か」な勇者
クレームブリュレ:そう言えば、貴方はどうして勇者になりたいのですか?
スブラキ:どうしてそれを聞くの?
クレームブリュレ:退屈だから……いいじゃないですか。
スブラキ:……僕の御侍は生前、勇者だった。
クレームブリュレ:うーん……もしや、貴方を救うために命を落とした、とか?その恩返しに、貴方も彼のような人になりたいと志願した。
スブラキ:いいえ。僕は彼のような人にはなりたくない、それに……
スブラキ:彼は自分の愚かさで命を落としたんだ。
クレームブリュレ:……?
スブラキ:ああ?話が長くなるんだ……しかも全然面白くない、本当に聞きたいの?
クレームブリュレ:まあ、フランスパンの調査報告書を持つよりはずっとマシですよ……興味が湧いてきましたし!
スブラキ:わかった……
スブラキ:僕が召喚される前、彼はある依頼を受けた。土地を占拠した村人たちを立ち退かせろと。
スブラキ:しかし、その土地は実は依頼主のものではなく、商売に使おうとしているが、村人にお金を払いたくないだけだった……だから人を雇って立ち退かせたのだ。
スブラキ:御侍はバカだから、自分が依頼人に利用されたことに全然気付かなかった。最後は村人たちを彼らの土地から追い出してしまった……
スブラキ:亡命を余儀なくされた村人たちは、やがて自ら命を絶った。
クレームブリュレ:そんなリアルな話だとは……真相を知った御侍はきっと、自分を責めたでしょう。
スブラキ:うん、切腹したよ。
クレームブリュレ:……
手にした剣を見つめて、少年は首を振って苦笑いを見せた。
スブラキ:だから、決して、彼のような愚かな勇者にはなるなと……盲目的に人を信じず、証拠を掴んでから行動しなさいと御侍が教えてくれた。
スブラキ:でも、彼は教えてくれなかった。人を信じたいけど、証拠が見つからない場合どうすればいいのかを。
少年はゆっくりと目を閉じた。御侍が自責の念にかられて自殺した姿がまだ鮮明に残っている。
スブラキ:本当に、彼を信じたいんだ……
スブラキ:でも彼を信じる対価が……重すぎる。
森の記憶Ⅰ
手分けして調査
ザッハトルテの指示により、フランスパンは一人で村に調査に行った。
フランスパン:妙だ……さっきから村人が一人も見かけない……
老人:……
フランスパン:こんにちは、少しお話を聞いてもいいでしょうか?
老人:どうしたんだい?
フランスパン:邪神についてお聞きしたいのですが……
老人:くっ、詳しいことはワシも知らん、他を当たってくれ。
フランスパン:ちょっ……
クレームブリュレ:あら、うまくいかなかったでしょう?
クレームブリュレ:ムサカがね、赤子を食べたことないってよ。あれは全部、ここの村人に捨てられた子らしい。その子どもたちは全員、里子として隣の村に送ったそうですよ。
クレームブリュレ:本当かどうかを検証するために、ザッハトルテはあたしを隣村に調査に行かせました。
フランスパン:結論は?
クレームブリュレ:ムサカが言った事は本当でした、だから嘘をついていたのは……
フランスパン:生まれたばかりの赤子を森に捨てたというのが本当なら……許しがたいですね。
クレームブリュレ:ええ。嘘をついたのが村人たちの方なら、調査がうまくいかないのもおかしくないです。そこで、手伝いに来たのです。
フランスパン:助かりました。規模から言うと、決して小さい村ではないので……村の中を随分と歩いたが、一人しか見かけなかった……どうも怪しいです。
クレームブリュレ:こんな真っ昼間にみんなどこに行ったのでしょう。
フランスパン:わからないです。折角来てくれたのだから、手がかりが見つかるまで、手分けして一軒ずつ調査してみましょう。
クレームブリュレ:うわっ……大がかりですね?まあ、もう他に方法はないですし……
森の記憶Ⅱ
罪深き嘘
血に飢えた悪魔め⋯⋯
村を苦しめたクソ野郎⋯⋯
憎らしい邪神!
ムサカ:……
枯葉の上に捨てられた赤子を抱き上げると、赤子はすぐに泣き出した。それでも、耳障りな声は頭の中から離れない。
嘘ばかりの人間と議論する必要はないと、彼はずっとそう思ってきた。その結果、誹謗中傷の声は津波のように押し寄せてくるようになった……
赤子の泣き声は再び、静寂の夜を引き裂いた。
ゴロロロッ--
雷だ。
ムサカ:出て行け!二度と森に足を踏み入れるな!
女性:火が……!邪神の祟よ!私の家が!!!
村長:邪神様!どうかお怒りを収めてください!なんでもしますから……どうか……どうか森へ入らせてください!
村人:貴方が望む物でしたらなんでも捧げます!どうか……どうかお許しを……
女性:赤子……!早く赤子を!あれは邪神様の大好物だわ!
ムサカ:……
ムサカにはわからなかった。あれは、他人が自分と同じように大切なものを失わせるための罪深き嘘だ。
何故自分が人間の目にそのようなイメージで映るようになったのか、彼には理解できなかった。
もしかしたら自分も御侍のように、存在自体が他人を悩ませてしまっているのだろうか。
必要とされない存在は⋯⋯
森に捨てられた赤子たちではなく、彼自身だ。
でも⋯⋯
邪神様が僕に生きる意味をくれました!
邪神様⋯⋯邪神様⋯⋯そんな酷いことを言わないでください!貴方が人々に誤解されるのをもう見たくない⋯⋯
貴方と⋯⋯ずっと一緒にいたい。
一緒にここを出ない?
それが嘘だとしても、彼も必要とされた。
それが嘘だとしても、彼は信じた。
それが嘘だとしても、彼は確かに光に触れた。
もうこれ以上望むものはない。
森の記憶Ⅲ
託された願い
数十年前
森の祭壇
ムサカ:ありがとう……彼の埋葬を手伝ってくれて。
???:すまない、貴方の御侍を助けられなかった……コホッ……
ムサカ:もう十分だ……大丈夫か?
???:私もそろそろ、逝く時がきた。
ムサカ:逝く?
???:もう十分生きた、でも、私が逝く前に、もらって欲しいものがある……
ムサカ:なっ……
???:これがあれば、あなたは普通の食霊じゃなくなる……完全な精霊にはなれないけれど……ゴホゴホッ……
ムサカ:何故全ての霊力を私に?!君が死んでしまう!
???:あなたにわけなくても、きっと私はもう長くない……この祭壇は精霊以外の生き物の霊力を吸い取る……貴方が祭壇に呑まれないためにも、こうするしかない。
???:この森は長い間、精霊を失っているため、もう朽ち始めている……もし完全に消えてしまったら、私の一族が……ううん、もしまだ精霊がこの世に存続しているのなら、帰る場所が必要になるだろう。
???:お願い……この森を守ってくれ。
ムサカ:……
???:じゃあ、頼んだ。……
???:我が精霊の一族は……まだ滅亡してはいけない。
???:我が精霊の一族には……まだ……
言葉は途切れた。肌を刺す寒風が吹き抜け、失われた種族の運命にため息をついてるようだった。
新たな始まりⅠ
意外な出会い
ムサカがいくら運が悪くても、一番熟知している土地で転落死することはない。
崖から落ちると、空中で素早く体勢を整え、最後はしっかりと地面に着地した。
彼はスブラキが自分のために勇者になる夢を諦めて欲しくなかった。ましてや利己的で狡猾な人間共に絡まれ続けるのも御免だ。それでもこのまま死んでしまう訳にもいかなかった。
ムサカにはまだやらなければいけない事が残っている。
パルマハム:上から飛んできたのかよ?!残念だ、写真は撮りそびれた……
ムサカ:君は……
パルマハム:どうも。俺はパルマハムだ、スメール探検隊のカメラマン!君は……?
ムサカ:ここで何をしている?
パルマハム:精霊遺跡を探しているんだ。
ムサカ:あれを探してどうする?
パルマハム:君……まるで尋問のような口調だな?まあでも、美人だから特別に教えてあげてもいいぞ。
パルマハム:スメール探検隊はティアラ大陸の全ての秘密を解明することを目的としている!当然、精霊遺跡も見逃したくないんだ。
ムサカ:秘密を解明するだけか?
パルマハム:もちろんそれだけじゃないさ。精霊遺跡を見つけたら、滅亡しかけている種族を存続させるために保護することができたら、なんて素敵なことだろうな。
パルマハム:まあ、俺にとっちゃ、精霊の写真を1枚でも撮れたら満足できるんだけどな。
ムサカ:精霊族を存続させる……か……
ムサカ:君たちが探しているものがどこにあるか、知っているかもしれない。
パルマハム:本当か?!
ムサカ:連れて行ってもいいが、条件がある。
ムサカ:君たちが求めているものはまだそこに残っているかもしれないが、精霊はもういないはずだ。もし精霊を捜すなら、私も一員に入れてくれ。
パルマハム:ってことは、君は探検隊の一員になりたいのか?
パルマハム:それなら簡単だ、うちのリーダーは来る者は一切拒まないからさ。
ムサカ:……ついてきて。
パルマハム:ちょっと待ってくれ……そうだ、名前をまだ聞いてないぞ。
ムサカ:……名前はない。
パルマハム:そんな?!食霊なら誰でも名前を持っているだろう!
ムサカ:私は食霊じゃない。ここに残る、最後の精霊だ。
パルマハム:……
パルマハム:ハハッ、面白くなってきたなー!
新たな始まりⅡ
勇往邁進
パルマハム:しかしうちの探検隊に空きはあったかな……そうだ、君にはガイドをやってもらおう。
ムサカ:ああ。
パルマハム:じゃあ最初の仕事は、偶然にもチームとはぐれてしまった俺のために、チームと合流するのを手伝ってくれ!
パルマハム:しかしこの森は広いね、うまく合流できるかな……
パルマハム:うん?待てよ?春の匂いがするな。
ムサカ:待ってくれ……
ムサカが彼を呼び止めるのも聞かずに、パルマハムは春と冬の境界線を踏み越えた。好奇心旺盛な子どものように早足で歩き去ってしまった。
パルマハム:なるほど、森にこんなに良い場所が隠れているとはな!うーん!やっぱりバラの香りは最高だ!
スブラキ:?!!
パルマハムが振り返ると、一人の少年が呆然とこちらを見つめていた。
パルマハム:坊や君は確かに可愛いけど、お兄さんにはそういう趣味は……
パルマハム:誰?
ムサカ:……
パルマハム:なんだ、俺を見てる訳じゃないのか……知り合いか?
ムサカ:知らない。
スブラキ:ムサカ……わかっている。まだ怒っているんでしょう?それはそうだよね、だって僕は貴方に酷い事を……
ムサカ:……好きにしろ。
彼は言い終わるとすぐに立ち去った。
パルマハム:本当に面白いな。
パルマハム:坊や……落ち込んでいるようだな。
スブラキ:……
パルマハム:良い事を一つ教えよう。実はな、俺もそいつとこの森で知り合ったばかりだ。
パルマハム:彼はきっと君のことを知っている、ただ知らないフリをしているだけだ。二人の間には深い誤解があるようだが、どうだい、うちの探検隊に入らないか?
スブラキ:探検隊に……入る?
パルマハム:そうさ。うちのリーダーはかなり賑やかが好きだからな、きっと君のことを歓迎するよ。それに、同じチームにいれば、誤解を解ける機会も増えるだろう?
スブラキ:……
あれは間違いなくムサカだと、少年は歯を食いしばった。
スブラキ:チャンスから逃げる勇者はいない。ましてや、大切な「宝物」からも。
今回は、丹念に証拠を追うよりも、優柔不断に躊躇するよりも、自分の本能を信じ、彼は前に進むことを選んだ。
スブラキ:入らせてくれ!
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