かまぼこ・エピソード
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かまぼこのエピソード
七大怪談の一人であり、武士の装束を纏う少女。伝説によると、彼女は人の願いを叶えてからその人を惨殺し、その着物の赤みは返り血で染められたものだと言われているが、真実は如何なものか。彼女は自分の刀をかなり大事にしていて、血で切れ味が増すと思っており、そのためによく夜に狩りに出る。
Ⅰ.試し斬り
月のない夜、暗い星の光しか見えない。
木橋の間に薄紫の霧がかかり、目の前の夜桜が低く垂れ下がっていて、ちょうど視線を遮っている。
ドンッ――
橋が震えて、待ちに待った低い音が橋の向こうから響いてきた。
獲物の登場。
夜桜の暖簾越しに、黒い影が微かに見える。
不気味で重苦しい足音が近づいてきた。
二十歩、近くにある紙の灯篭が震えて傾き、蝋燭の炎が明滅する。
十歩、生臭い熱気が渦巻き、桜の香りを汚した。
五歩、空気が揺れ、「ヤツ」は爪を伸ばしてきた。
桜は散り、桜の雨が降る。
「ギィイー!」
私から一歩離れたところで怪物は怒って唸り出したが、鋭い槍は既にその前足を貫いていた。
鋭い牙が並ぶ大きな口から灼熱の悪臭が溢れ出し、私は思わず眉を顰める。
醜いヤツめ。
矛を抜き、私は事務的に最後の質問をする。
「貴方、最後に叶えたい願いはあるか?」
怪物の口から悔しがっているような呻き声が絞り出された。人の言葉を真似しているようだ。
ヤツは頭を下げて、後ろに退いた。傷ついた爪は力を溜め、最後の力を振り絞って私に飛びかかろうとしている。
「わかった、ではお望み通りに」
一瞬にして、刀は雪のような真っ白な光を反射し、赤い飛沫が橋に広がる。
斬り落とされた丸いものが橋から転がり落ち、暗い河に飲み込まれていった。
刀を仕舞い、夜風は亡霊のように悲鳴を上げた。
「もっともっと魂を食らいたいのか……?ちょうどいい、私の刀は数え切れないほど汚れた魂が隠されている」
「試し斬りをさせてもらった礼だ」
血色は桜の花びらに覆われ、痕跡を消した。
橋の下、流れる河は煌めき、金色の薄い雲を映し出す。
もうすぐ夜が明ける、そろそろ戻らないと。
「奇遇だね。貴方も出掛けていたのか……」
太陽は既に高く昇っていた。男は満面の笑みで門の前に立ち、私の行く手を阻む。
記憶が正しければ、彼の名前はカステラだ。しかし、今の私は彼と無駄話をするつもりはない。
「通して」
彼はようやく体をどけて、道を開けてくれたが、どうしてか私の胸当てを見つめていた。
不快に思った私だが、彼の視線につられて胸当てを見ると、いつの間にか黒ずんだ赤黒い痕が付いていた。
どうやら……刀を抜く角度を間違えたみたいだ。
「そういえば、私たちは他人の願いを叶える者同士だ。だけど……貴方はやけに物騒に見える」
彼はまた嘘っぽい笑顔を浮かべた。思わずイラついてしまう。
「貴方のそれは、全て嘘でしょう」
彼は一瞬動きが止まった。私の答えが意外だったようだ。
これ以上彼のために時間を費やしたくないため、私は門を通った。
「最近、百聞館の北西の方で、夜になると何かが動き出すそうだ。貴方なら……興味があるんじゃないか」
男のゆっくりとした声が後ろから聞こえて、私は一瞬立ち止まったが、振り返らなかった。
変なやつだ……自分なら手を下す勇気がないのか。
ようやく屋内に戻った。武器を下ろすよりも前に、私は畳に倒れ込んだ。
温かい、柔らかい……私は一息ついて、思わずホッとした声を上げた。
百聞館、逃げた怪物を追いながら偶然入った場所だ。
あのおかしな「館主」は私の刀筋を気に入ってくれたらしく、私のような食霊をずっと待っていたと彼女は言った。
館の役立たずな男共と顔を合わせた後、ようやく彼女の考えを理解した。
とはいえ、それらは些細なことだ。
私は姿勢を変え、顔をあたたかな布団の中に沈めた。
私にとって、休めて寝られるところさえあれば、十分だ。
Ⅱ.鉢合わせ
暮風が吹き、倒れた雑草の間に乱雑とした痕跡が現れた。
矛先から血が滴り落ち、胸当てに染み込む。
ヤツに逃げられるとは……
痕跡が伸びているのを見る。夕日が沈み、夕焼けが辺りを照らした。
先には、少し寂れた集落と市場がある。
さっきのヤツは私と長く戦うつもりがないのか、ただひたすらあの方向に向かって突き進もうとした。
もしかしたら、あいつは最初からあそこを……そこにいる人間たちを狙っているのかもしれない。
一々考えている暇はない、下駄で雑草に覆われた泥道に踏み入れた。
苛烈な夜風は顔を掠め、どうやら今夜は橋で獲物を待つ時間はないようだ。
どれ位経ったのだろう。野鳥が鳴き、もうすぐ夜が明ける。
断続的な跡はもう何見えず、腰の高さまで伸びた野草の茂みの中に消えた。
そよ風の中、微かに血腥い匂いがする。
その中には……酒臭さも。
その匂いを追跡し、矛で邪魔な雑草を払い、近くにある何かに目を付けた。
「ヤツ」の顔は服に包まれて、体は血痕だらけだ。
人間?
私は思わず固唾を飲み、酷い匂いがする服を捲った。
夜明けの光は彼の寝顔を照らし、私はホッとした。
生きている。
酔い潰れている食霊のようだ、体に傷跡はなかった。
ちょうどよかった、彼ならあの怪物の行方を知っているかもしれない。
その食霊を叩き起すには些かに手こずった。彼はその寝ぼけ眼で私を見て、目に奇妙な光を輝かせた。
その光から感じた喜びは私を困らせた。どうやら……私を他人と勘違いしているようだ。
「屍かと思った」
彼から距離を取ると、その不快な眼差しもようやく落ち着いた。
「近くで堕神を見ていないか。触手がたくさん付いているヤツだ」
「あの怪物のことなら……すでに殺されていた」
彼は澄まし顔で口角を上げ、道端で適当に摘んだ野草とでも話しているような軽い口調で告げてきた。
「そうか」
私は一応頷いた。彼は見た目のようにか弱くないかもしれない。
朝日が雲間から顔を出し、鞘はそよ風に吹かれてまるで何かを促しているように微かに音を立てた。
忘れるところだったが、今夜も収穫なしってことか……
まだ早い。運が良ければ橋の近くで彷徨う怪物に遭遇できるかもしれない。
彼の話に耳を傾ける暇はない。私はいつもの場所に行こうとした。
「おいっ、お前が噂のあっちこっちで、堕神を試し斬りしている妖怪だよな……俺と飲まないか?」
背後のヤツは騒いでいるが、すぐにその声も雑草の茂みに消えた。
私は俯いたまま野原を駆け抜け、風邪は耳元を掠め、野草の先についた露は私の傍に飛び散る。
もうすぐ間に合わなくなる、急がないと……
朝日の眩しい光が露を照らすのを見て、私の意識が朦朧として、懐かしいが、はっきりと見えない笑顔が脳裏に浮かんだ。
「喉が渇いたのなら、それを飲みな!」
彼は俯いて、大きな葉っぱで野草の先についた露を受け止め、水筒に注ぎ、私に投げてきた。
「ほら飲んでみろ、そんな顔すんな、別に毒は入っていない!」
彼は微笑んで、顔にある大きな傷跡も一緒に動いた。豪快に見えるが、少々不気味な感じもする。
でも見慣れたら特に気にならなくなった。
彼の言った通り、傷跡は武士の誉の証だ。
彼の刀が斬り捨てた汚い怪物は数知れず、奴らは彼の体に様々の誉の跡を残した。
しかし、最後のあの日、彼は自分の短刀を私に託し、疲れたようにこう言った。
「この刀で怪物を斬っているのは、罪滅ぼしのためだった」
騒ぎ声が物思いに耽る私を我に返らせた。気がついたら、見慣れたら雑草の生えた小道の姿はとっくになくなっていた。目の前にあるのは騒がしい市場だった。人混みの中から酒臭さを感じる怒鳴り声が聞こえてくる。
「おいっ!この物乞いめ、俺様の刀に触ったな?死にてぇのか、あん?」
Ⅲ.武士
また酔っ払いだ。
私は何も言わず微かに鳴る鞘を握り締めた。さっきはうっかりして道を間違えたから、今から戻ればまだ間に合う。
その場から離れようとした時、私は震える命乞いの声が断続的に聞こえてきた。私は我慢出来ずに振り向いた。
「どうかご勘弁を……私は足が少々不自由で……避けきれなかったんです」
「この老いぼれが、俺様の刀を汚しておいて、よくもその減らず口を」
人混みから上がる叫び声と共に、刀が抜かれた音が耳に刺さる。
キンッ――
怒りの籠った刃は目標を切り落とす前に、私の矛に止められた。
私は冷たく視線を上げる。
「刀はそのように使うものでない」
武士の装束をしている酔っ払いが真っ赤になった両目で私を見る。彼は興味深そうに私の矛を見て、また私の腰周りを見た。
「ほう、小娘、どこから来やがった?俺様に向かって偉そうな口を叩くとはいい度胸じゃねぇか?刀は使えるよな?」
その挑発に乗らず、私は矛を地面に突き立て、物乞いの老人の前に立った。
しびれを切らした酔っ払いは苛立ちながら頭を傾けた。両手で刀を握り、しゃがんで力を溜め込む。
「失せろ、俺様の試し斬りを邪魔するな」
「試し斬り?」
「ああ、こんな賤しい愚民如きが、俺様の誉れ高い刀に斬って貰えるなんて、身に余る幸せだろうが」
酔っ払いは狂気じみた笑顔を浮かべ、太い唇の間から吐き出す酒臭い息は、怪物の生臭さと良い勝負だ。
「どかねぇのなか、貴様もろとも真っ二つに斬り裂いてやろう」
なんと醜い。
鞘に手をかけ、精神を集中して息を吸い、刃は空気の流れを撫で、風の音に合わせる。
目を閉じている間に、聞き慣れた声が再び耳元に響いた。
「刀を使う時、耳を澄ませて風の軌跡を聞け」
「剣術とは力ではない、呼吸だ。風とは自然の呼吸、探って、合わせろ」
「刀は手にあり、呼吸にある。風は汝の心の中にある。前に向かって、斬ってみろ」
「そうだ、よくやった!」
練習に使った葉っぱは、正確に脈から真っ二つにされ、地面に落ちた。
チャランッ――
斬られた葉っぱだったものは、真っ二つに砕かれた刀になった。
「おのれ……俺様の、俺様の刀を!ありえん……」
血に伏せた酔っ払いは驚きながら起き上がり、しばらく呆然としていたが、やがて正気を取り戻し、その目は恐怖に満ちている。
「貴様は……何者だ!貴様、人間でないな。妖怪だ!妖怪に違いない!」
手にある短刀は雪のように綺麗で、血はついておらず、いつもおは全然違う。
私は短刀を構え直し、彼の眉間を指した。
「なっ、何をする気だ!やめろ!許してくれ――あああああっ!」
血飛沫が舞い散り、花のように地面に降り注いだ。
刀を鞘に戻し、地面に横たわりながら体を丸め、顔を隠して喘ぐ酔っ払いを冷ややかに見下ろす。
「この傷で、刀は弱者を虐げるためのものでない事をしっかりと覚えなさい。失せろ」
酔っ払いはそれを聞いて、悲鳴を上げながら、狼狽しながら逃げ出した。
脂っぽい顔に刻まれた目立つ傷は、道に赤い痕跡を残していく。
深い傷だから、跡は一生残るだろう。
振り返ると、物乞いの老人が感激した目をこちらに向けている。
腰にぶら下げた袋を探り、少ない銭をかき集め、彼に渡した。
「持っていけ。別の場所に行くといい、ここは貴方にとって安全じゃなくなるだろう」
「ありがとう……お嬢さん、貴方の名前は?」
「名もなきただの武士だ」
Ⅳ.帰路
百聞館の近くでも、よく怪物がうろついている。
時に酔っ払いも。
「ヤツの代わりに俺と飲めよ!」
酒臭い食霊があの怪物を指さし、まるでおもちゃを取上げられた子どものような表情を浮かべる。
こいつは、怪物にお酒を飲ませてから殺すのが趣味のようだ。
武士の世界において、上下関係なんてない、抜刀の速度だけが物を言う。
しかし――
彼の服を見ると、かなりの面積の血痕が見える、前回よりも酷いようだ。
彼の手にある火器のようなものは、そんなに使い勝手が良くないのかもしれない。
「まあいい、確かに私が早まった、これで借りを返す」
私が両手を差し出すと、彼はにやけた顔で杯を渡してきた。
「やったぜ、これで心ゆくまで飲めるな!すぐに酔い潰れるんじゃないぞ」
しかし、三杯飲んだあたりで、彼はもう地面に倒れ、気を失ってしまった。
私が足を伸ばすと、彼は不満そうな寝言を口にしながら、私の足首を掴んで離さない。
まあいい……
私は草地に腰を下ろした。薄暗い空に浮かぶ雲、風が野草を鳴らした。
草むらを手で掻き分ければ、飛び回るバッタが出てくるかもしれない。
いつの間にか、あの影はまた草地現れ、焚き火の傍にしゃがみ、手にあった竹を弄っていた。
炎は枯れ枝を舐め回すように燃やし、輝く火花を散らし、危うく彼の結ばれたボサボサの髪に飛び火するところだった。
「ふぅ、よし!」
竹ぐしいついた燃え滓を吹き飛ばし、黒焦げの謎の串を私に見せてきた。
「焼きイナゴっていうのも案外悪くないぞ。腹を空かせたままよりはマシだ、試してみろ」
「おっと、忘れるところだった。お前は食霊だから腹は減らないか、じゃあ師匠がいただこう!」
彼は爽やかに笑っている、顔の半分がまた暗闇に呑まれた。頬が膨らむと共にその傷跡も動く。
自分のことを師匠だと思い込んでいるこの人は私のかつての師匠だ、私に刀を教えた人でもあった。
私を召喚したあの日、彼は短刀を渡してきた。
「食霊か、機敏そうだな、一緒に狩りに出るか」
「剣術とは力ではない、呼吸だ」
最初の狩りが終わった頃、全身が血で汚れた私を見て、彼は首を振って、適当に地面から落ち葉を拾い上げた。
「さあ、風の呼吸というのを教えてやる」
……
御侍は、いい刀とは血で養うものだと言った。そのため、毎晩私と競って怪物を狩った。
彼の太刀筋は素早く、無駄な動きもない。いつも同じ時間で私の倍以上の戦利品を手に入れていた。
だが、人間の悪者に出会う度、彼の太刀筋には躊躇いが生じた。
毎回、その人たちには浅い傷しか残さない。
「やつらは悪人だ、怪物と大して変わらない、何故逃がす」
その人たちが命拾いして逃げ惑う無様な姿を見ると、私は苛立ちを覚え、思わず刀を握りしめてしまう。
御侍は軽く私と手を抑えた。
「もし誰かが正義とやらのために悪人を千人斬ってしまったら、そいつも悪人になってしまうだろう」
この難しい言葉の意味を考えていたが、御侍は私の頭を撫で爽やかに笑った。
「もういい、そんな顔をするな。もうすぐ夜が明けるし、帰ろう!」
帰る。
狩りが終わる度に御侍はその言葉を口にした。
「家」というのは不確かなものだ。柔らかい干し草の山だったり、雨を避けられる洞窟だったり、大きく枝を広げた古樹だったりもした。
御侍が焚き火を起こし、飛び散る火花の中で変な食べ物を焼き、どうしようもない見聞を口にした時……
その変な場所は、本当の「家」になる。
あの日、御侍が草地の血の沼に倒れた時まで。
あそこは私たちの最後の「家」になった。
「武士だった頃、俺は領主のために多くの人を殺した……」
彼は疲れて、目を閉じた。苦痛を和らげるためか、またつぶやき始めた。
「領主は、彼らは皆悪人だと言った。しかし私は知っていた、罪のない子どもも老人もその中にいたという事を……」
「彼らが本当に悪人だとしても……殺戮で悪を制すなんて、殺戮という行為自体が、あくそのものだという事を忘れていたのだ」
「この刀で怪物を斬るのも罪滅ぼしのためにすぎん……ははっ、もしかしたら、ただ自分を慰めたいだけなのかもしれない」
「この刀は……お前に託すよ……思うがままに使うといい……」
目の前の草むらに風が吹く、橋の下で止まらず流れる川のようだ。
「うう……」
足元に横たわる人の両手はようやく私の足を放して、寝転んで傍にある火器に抱きついた。
「帰るのか……よかった……家に帰るぞ……」
彼は寝言を言っているようだ。
星が垂れて平野が広がる。夜鳥が鳴き、夜風は嘆きに聞こえた。
私は考え込んだ。
「貴方も、誰かに連れられて一緒に家に帰るのを待っているのか……ならば、私と共に帰ろう」
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