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ビーストパーティー・ストーリー

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作成者: 時雨
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ビーストパーティー


プロローグ

パラダイスサーカス


早朝

パラダイスサーカス


 パンッーー


サーカスオーナー:さっさとしろ!グズグズするな!これを運び終わるまでご飯はお預けだ!

ジェール:……よく言うよ、昨日から何も食べてないんだ……

フィル:シーッ、聞こえたらまた叩かれちゃうよ……

ハンチ:昼は力仕事、夜はショーで金を稼いでやってるから、あいつは俺たちを死なせたりはしねぇよ。

アイシャ:死ななくても、痛いのは痛いよ……うぅ……フェジョアーダお兄ちゃんがいてくれたら……

サーカスオーナー:何ブツブツ言ってんだ?!またボコられたいのか?!


 そう言って、先ほど地面に叩きつけた太くて硬い鞭を、痩せた子どもたちに向かって振り下ろされた。

 しかし、その鞭が子どもたちに当たる寸前、突然ある少年が現れ、その鞭を必死に握り締めた。


フェジョアーダ:イカれてんのか?もうこの子たちに手を出さないと約束しただろ?!

サーカスオーナー:フンッ!

フィル:フェジョアーダお兄ちゃん!やっと帰ってきた!

フェジョアーダ:フィル、教えて、僕がいない間、あいつはまたお前らに手を出したのか?

フィル:あいつ……

ハンチ:食べさせてくれないし!鞭で打ってくる!ほらっ!

サーカスオーナー:こんなガキ共をイジメていたらなんだ?こいつらは私が金で買ってきたもんだ、私の言う通りにしろ!そして、お前は……

サーカスオーナー:お前は私の食霊だ、どんなに力があっても、私に何もできる訳がないだろ!

フェジョアーダ:……でも約束しただろう、僕が大人しくしていたら、彼らに優しくしてくれるって!

サーカスオーナー:チッ、客のためじゃなきゃ、誰がこんなガキ共を養うかよ……それにお前も!街で何枚チラシ配ったんだ?今夜の客席を満席にできんのか?

サーカスオーナー:はぁ……もういい、どうでもいい。どうせ、私にはもう関係ないことだ。

フェジョアーダ:関係ない?どういう意味だ?

サーカスオーナー:ある裕福な紳士がサーカスを買ってくれたんだ。そう、お前らもまとめてな。

フェジョアーダ:僕たちを、売ったのか?!

サーカスオーナー:もちろんだ!あの方はこのサーカスの売上10年分の金を出してくれたんだぞ!売らない手はないだろう?

フェジョアーダ:……

サーカスオーナー:ハハッ、お前らは本当に私の宝だな。サーカス団員……いや、食霊がいなけりゃ、こんな高い金額は出さないと、あの方は仰ってたぞ。

サーカスオーナー:最後にこんなに儲けさせてくれるとはな、悪くない、これこそが「商品」の価値だ!

フェジョアーダ:僕は商品なんかじゃない……

サーカスオーナー:わかった、わかった、その通りだ。さっさとシャワーを浴びて、自分を綺麗にしておけ。もし新しいオーナーが返金するなんて言い出したらまずいからな。

フェジョアーダ:言っただろう、僕は商品なんかじゃないって。

サーカスオーナー:なっ……何をするんだ?!


 少年が手に持っていたナイフを振り上げた時、男は無意識のうちに恐怖で一歩後退した。しかし、その刃は彼ではなく、少年自身に向けられた。

 素早い手つきで、少年の顔には深い傷と血痕が残り、次いで腕と太ももにも……


ハンチ:フェジョ兄!

フェジョアーダ:これで「商品」にはならなくなったな……ハッ、前金を使い切ってないといいけど、返金する金がなくなるからな。

サーカスオーナー:なっ……私に盾突くつもりか!この野郎、殺してやる!


 「商品」が傷ついたのを見て、「商売ができなくなったら損だ」と思った男は、相手が自分の食霊なので逆らえないと思い、再び鞭を高く振り上げた。

 しかし鞭が落ちる前に、それは粉々に砕け散ったーー突然現れた一人の青年が、二人の間に立ちはだかったからだ。


バスティラ:やりすぎだ、彼らはもう貴方のものではないのだから、余計なことをするな。

サーカスオーナー:あっ、貴方は、あの方の……き、来てくれたんですね……その……


 青年の顔を見ると、男は怒りを抑えて後ずさった。それを見て、フェジョアーダも来訪者の正体に気付くことに。


フェジョアーダ:ほら、僕の顔はもうダメだ。パフォーマーとしても、お前ら金持ちの見世物としても、価値がない、だから……

バスティラ:いいえ。


 青年は、フェジョアーダに近づくと、既に手に負えなくなった顔を自分の影で覆った。口調は冷たかったが、その動きは思いのほか優しく、フェジョアーダの顔についた血を拭ってくれたのだ。


バスティラ:今の方が、良い。


エキストラ


 夜の喧噪に比べ、昼間のサーカスは格別に静かで落ち着いている。そして、そんな静かな晴れの日に、理由もなく突風が吹いて、テントの暗闇に押し寄せた。


バスティラ:……主。

カイザーシュマーレン:おかえり、もう終わったのですか?

バスティラ:はい、ご要望の通り子どもたちを安全な場所に連れ、そして……サーカスの元オーナーも

カイザーシュマーレン:よくやってくれました。あとは、夜が来るのを待つだけだ……

バスティラ:仰る通りです、しかし、今夜のショーについて……


 その言葉が言い終わる前に、どこからともなく白い人影が飛び出してきて、手と膝を使って、青年にしがみついた。


チェダーチーズバスティラ!グッジョブ!いっぱい褒めてあげよう~

バスティラ:チッ……チェダーチーズ!降りろ!今すぐ!

チェダーチーズ:え~でも、せっかく飛びついたのに、もうちょっといさせてくれよ!ケチ!

バスティラ:キャットタワーじゃないんだ!さっさと降りろ!

チェダーチーズ:ケチケチ!!!このドケチ!あっかんべー!

バスティラ:このっ!

カイザーシュマーレン:ふふっ……チェダー、すまないがまだバスティラと話がある、先にお菓子食べていてくれませんか?

チェダーチーズ:お菓子?!もちろん!!!


 チェダーチーズという少年はバスティラから跳び下り、カイザーシュマーレンから手渡されたお菓子を持ってスキップしながらテントの隅に向かった。バスティラはやっと一息ついて、引っ掻き回された服を整えることができた。


バスティラ:コホンッ……今夜のショーについてですが、あのフェジョアーダという食霊は、私たちに協力したくないのかもしれません。

カイザーシュマーレン:問題ない、後で個人的に話をしておきます。さて、もう一つ気になる事があるのだが……

カイザーシュマーレン:本番間近なのに、いきなり新しいパフォーマーが現れた……その新しい仲間をどこに配置するか、きちんと考えないといけませんね……

カイザーシュマーレン:何しろ、新鮮な血液は我々の力となるし、我々に災いをもたらす可能性もあるからね……そうでしょう?0044号さん?

鴨のコンフィ:……


 誰も言及しなければ、テントの隅にしゃがみこんでいる少女に気づくことはなかっただろう。血まみれで、とても弱っているように見えるが、目の前の二人の男から同情した視線が送られることはなかった。


バスティラ:タルタロス大墳墓の警備は厳重です、一度入ると出られません……正直に言え、一体どうやって脱獄したんだ?

鴨のコンフィ:さっき言ったように、そこの看守が私に手を出そうとしたから、不意を突いて逃げ出したのよ……

バスティラ:仮に監房から脱出できたとしても、タルタロスは海のど真ん中、海底に建っている……簡単に岸に上がれないはずだ。それに、貴方は強いというより、か弱く見える……

バスティラ:タルタロスから脱出したというのは本当なのか?貴方は一体何者だ?そして、私たちに近づいた目的は?

鴨のコンフィ:もう言ったでしょう……私の名前は鴨のコンフィ、かつては宮廷画家のモデルだったけど、ハメられて投獄されたの……貴方たちに近づいたのは、たまたまここに逃げ込んで、生き延びようとしただけ……

鴨のコンフィ:同じ話を、何度言っても構わないわ……ただ残念だけど、違う答えが返ってくることはない。

バスティラ:どうやら、ただの尋問では無理らしいな……ならば、本当にタルタロスから脱出できる力があるか、試してやろう……


 カイザーシュマーレンの合図で、神出鬼没な白衣の少年は再び突進し、驚くべき速さと力で少女を地面に押さえつけた。


鴨のコンフィ:!!!

チェダーチーズ:怖くない、怖くないよ~一つ秘密を教えてあげよっか!俺の頭の中はね、空っぽなんだ、つまり脳みそがないんだよ、だから……

チェダーチーズ:脳がどんなものなのか、気になるんだ!俺を倒さないと、お前の頭をかち割るぞ!

鴨のコンフィ:いっ、嫌……


 少年は怯える鴨のコンフィに少しも動揺することなく首を傾げ、口角にクリームをつけたまま無邪気に微笑んだ。


チェダーチーズ:イヤ?頭をこじ開けられるのが嫌なの?でもそれって……俺には関係ないんじゃん?


 次の瞬間にも頭蓋骨を叩き割るかのような勢いで鴨のコンフィの髪を撫で、彼女の頭をヒリヒリとさせた。


チェダーチーズ:イヒヒッ……じゃあ、始めるよ~!

鴨のコンフィ:ぐっ……!

カイザーシュマーレン:もういいですよ、チェダー。


 その優しそうな声で「白い悪魔」は一瞬にして動きを止めた。彼は不思議そうにそして残念そうに、カイザーシュマーレンに視線を投げた。


チェダーチーズ:あれ?もういいの?

カイザーシュマーレン:ええ、よくやってくれました。

チェダーチーズ:へぇ~そう……残念だけど、Emperorがそう言うなら……まあいっか!


 そう言うと、少年は鴨のコンフィを放し、カイザーシュマーレンの後ろに従順に立った。カイザーシュマーレンチェダーチーズにご褒美にお菓子を投げ、そして呆然としている鴨のコンフィを優しく見つめる。


カイザーシュマーレン:このように、ここは貴方の理想のオアシスではなく、思っている以上の危険な場所です。だから、貴方自身のために……


 その声は柔らかく上品でありながら、何故か悪魔のささやきのように聞こえた。


カイザーシュマーレン:タルタロスからどうやって脱出したのか、今から正直に説明してください、鴨のコンフィさん。

メインストーリー

天衣無縫


一日前

タルタロス大墳墓


 いつもと変わらない一日。ハギスは伸びをしてベッドから飛び起き、チェス盤を持って監房の外に座った。


ハギスジン!チェスしよう!

ジン:……チェスなら、0044のところへ行くべきじゃないですか。

ハギス:でも、鴨のコンフィはいつもわざと負けるから……つまんない……

鴨のコンフィ:一度貴方に勝ってしまったら、負けるまで続けるつもりでしょう。

ハギス:どうせやることないんだから、僕とチェスした方がいいんじゃない?

ジン:でも、なんで毎回私なんですか……0666も近くにいますし、彼女もいいでしょう?

ハギス:嫌だ……0066は、怖い……

鴨のコンフィ:怖い?そうは思わないけど……

ザバイオーネ:ハッ、ここはいつも賑やかだな。


 ザバイオーネのいきなりの登場にも、3人はとっくに慣れていて、ハギスは跳び上がってやって来た相手に挨拶をした。


ジン:彼がここにいますからね……無罪が確定したのに、何故ハギスをここに閉じ込めているのですか?

ザバイオーネ:彼はここ以外に行くところがないからだ。タルタロスは避難所ではないが……我々のオイルサーディン典獄長が優しく、親切だからな。

ジン:……世間話するために来たのですか?

ザバイオーネ:いえ、彼女に少し用事があるんだ……ハギス、今日は他のところで遊んでていいよ。

ハギス:えっ?でも、ここは危ないから、歩き回らないようにって、オイルサーディンが……

ザバイオーネ:今日は特別だ。さあ、行きなさい。


 ザバイオーネハギスの頭を撫でた。少し躊躇していたハギスは、すぐにチェスボードを抱えて期待に満ちた表情で走り去っていった。


ザバイオーネ鴨のコンフィ、久しぶりだな。

ザバイオーネ:単刀直入に言うが……今日、君はタルタロスを出ることになる。

鴨のコンフィ:……二次審判は受けていないし、それに、私の知る限り……タルタロスは一度入ったら出られない場所のはず、どうしてそんな話が?

ザバイオーネ:もちろん正規の方法ではなく……脱獄だ。

鴨のコンフィ:???

ジン:……盗み聞きをするつもりはないのですが、この状況ですし聞かざるおえません。

ザバイオーネ:俺の知る限り、ジンさんはタルタロスの囚人の中で一番ここを出たいと思っている一人だろう?

ジン:何の話ですか。

ザバイオーネ:つまり……典獄長に密告することはない。何しろ、1人がうまく脱獄できれば、2人目、3人目と……君もいつか脱獄できるだろう。

ジン:……

ザバイオーネ:私の計画は完璧だ。それに、密告しても、あまりいいことはないだろう?


 それを聞いて、ジンはまだ半信半疑だったが、ザバイオーネの言うように、今の彼にとって協力することが一番良い選択のため、彼は壁にもたれて、隣の二人が大声で共謀しているのを聞き流した。


鴨のコンフィ:しかし、タルタロスから逃げても、その後の追跡からは逃れられないはず……

ザバイオーネ:それは、ここを出てからどうするかという話になる。


 次第に彼の顔から軽薄な表情が消え、その目にはわずかな覚悟が見えた。


ザバイオーネ:「クレメンス家」のことを、聞いたことはあるか?

鴨のコンフィ:クレメンス……?


謎の家族


半年前

クレメンス家


ザバイオーネ:噂は本当だったようだな……クレメンス家では、人間よりも食霊が多いと。玄関から応接室まで歩いただけで、既に食霊を5、6人は見ている。

カイザーシュマーレン:ふふっ、これは氷山の一角にすぎません。

カイザーシュマーレン:今日は何のためにいらっしゃったのですか、サール……さん。

ザバイオーネ:魔導学院の依頼で、盗まれた新型材料の行方を追っている。そして現在、私が持っている全ての手がかりが、ここを指し示している……


 ザバイオーネは相手の前に写真を突き出し、そして相手の表情をじっくりと観察した。


ザバイオーネ:写真の男性は、最後に盗品を扱ったアシスタント……魔導学院に入る前は、クレメンス家に仕えていたはずだ。

カイザーシュマーレン:この顔に記憶はないですね、ただ……

カイザーシュマーレン:クレメンス家は魔導学院設立当初から資金援助を行っており、両者は常に良好な関係を保っています。なので、クレメンス家が魔導学院に研究員やアシスタントを推薦することは珍しいことではないでしょう。

ザバイオーネ:ならば、この写真の人物とまだ連絡取れるか?

カイザーシュマーレン:いえ、彼が魔導学院に着任した日から、クレメンス家とはもう関係はありませんから。

ザバイオーネ:では、この人の家族や友人について……

カイザーシュマーレン:クレメンス家は、自分の一族に加え、そのメンバーが経営するさまざまな傍系会社にも多くの従業員が、数え切れないほどいますからね……

カイザーシュマーレン:なので、残念ながら、ここを離れた者の情報は保管していません。

ザバイオーネ:……わかった、無駄足だったようだな……失礼する。

カイザーシュマーレン:ご訪問ありがとうございます、ザバイ……

カイザーシュマーレン:いいえ、サールさん。

ザバイオーネ:……


 ザバイオーネは今でもあの憎たらしい笑みを思い出すと、歯痒くなる。


ザバイオーネ:そいつは絶対に嘘をついていた、材料を盗んだのはクレメンス家に間違いない。そして、その材料を盗まれたから、御侍は……

ザバイオーネ:サドフは、タルタロス計画に支障が出ないよう、自分を犠牲にしたんだ……

鴨のコンフィ:サドフを、間接的に殺したのはクレメンス家ということね。

ザバイオーネ:いや、そんな単純な話ではない……クレメンス家はきっと事前に計画していた。事前に魔導学院に人を仕込み、材料が開発されたことを知ると、それを盗めと命じた……

ザバイオーネ:タルタロス計画はただの道具、サドフが望む世界は形づくられていたばかりなのに……そして、その世界が完成するために最大の障害は、間違いなくクレメンス家だ。

鴨のコンフィ:では……クレメンス家に潜入しろと言うの?

ザバイオーネ:クレメンス家は大きすぎる、目的もなく潜入するだけでは、おそらく一生何も見つからないだろう……

ザバイオーネ:しかし、内情を一番知っているのは、私を接待したあの食霊に違いない。そして、彼は今家から離れたことで、より接近しやすくなっているはずだ。

鴨のコンフィ:私はどうすればいい?

ザバイオーネ:あいつが私を認識している以上、私と君の関係を知らない訳がない……私にハメられて投獄されたこと、その後タルタロスの追っ手から逃れ、私に復讐するためにあいつの仲間になりたいことを伝えてくれ。

ザバイオーネ:あとこれも。

鴨のコンフィ:これは?

ザバイオーネ:ビクター帝国内部の文書と、タルタロス大墳墓に関する文書だ。彼にとっては、それなりの価値のあるプレゼントになるだろう。

鴨のコンフィ:こんなことをしたら、自分を危険に晒すことにならないの?

ザバイオーネ:私よりも、君の方だ……あいつの信頼を得るには、脱獄に見えるような酷い目に遭わなければならない……

ザバイオーネ:本当にそこまでしてくれるのか?

鴨のコンフィ:……知ってる?あの貴族たちが私を花瓶のように扱った時、私の内面の空虚さを笑った時、私自身でさえも自己嫌悪に陥った時……

鴨のコンフィ:サドフだけが私の尊厳を守ってくれた、彼だけが私を肯定してくれた。


 欲望とは無縁のようなその無表情な顔に、突然、決意と執念の輝きが現れた。鴨のコンフィは、密かに拳を握りしめ、珍しく笑みを浮かべた。


鴨のコンフィ:サドフの遺志を守り、そして、私自身の魂を鍛えるためよ……断る理由はない。

鴨のコンフィ:それに、怪我なんて昔から慣れている。


傷だらけ


 ザバイオーネの助けで、鴨のコンフィはタルタロスから脱出し、すぐにカイザーシュマーレンを見つけた。

 夜明け前の静けさに身を隠し、顔をしかめながら少し先にあるテントを見つめた。


鴨のコンフィ:彼が何故このサーカスを買ったのかはわからないけれど……実に皮肉なことに、この書類よりも、今最も必要なのは私の体かもしれない。

鴨のコンフィ:それなら、服で隠せない場所を避けよう……


 そこで彼女はザバイオーネから渡された短剣を取り出し、腰の横や太ももに数ヵ所傷を作り、逃走中に切りつけられた風に偽装した。そして、傍らの石を持ち上げて……


鴨のコンフィ:ぐっ……うぅ……ふぅ……ふぅ……


 一回、二回、三回……彼女は足首を石で強く叩き、変形するまで叩いた……再び石を持ち上げ、手首にも叩きつけた……


鴨のコンフィ:ぐぁ……はぁ……ふっ……

鴨のコンフィ:これで、そろそろいいかな……


 傷だらけになった身体に納得したのか、鴨のコンフィは歯を食いしばってテントに向かって歩こうとした。しかし、足の怪我のため、最終的に這って目的地に向かうことになった。


鴨のコンフィ:だっ、誰か……助けて……

バニラマフィン:そっ、それはどうしたの?大丈夫?!

鴨のコンフィ:助けて、助けてください……

バニラマフィン:寝ちゃダメ!ま、まずい……早く手当をしないと!


 偶然にも鴨のコンフィを見つけたバニラマフィンは、彼女をテントの中に運び、傷口を簡単に手当てした後、躊躇いながらもカイザーシュマーレンを呼びつけた。

 やがて鴨のコンフィは正気に戻り、カイザーシュマーレンを見た瞬間、こんなものではその男の信用を得ることはできないと悟ったのだ……

 しかし、今はただ、恐怖心を押し殺し、歯を食いしばって相手を説得するしかない。


鴨のコンフィ:こんな目に遭うのは、私が強くないから……こんな私が、例え下心を持って貴方たちに近づいても、波風が立たないでしょう。

鴨のコンフィ:それとも、私が頼りたい組織のボスにはそんな気概すらないの?

カイザーシュマーレン:……

バスティラ:自分の立場をわかっての発言か?……貴方の価値は、貴方を受け入れることによって我々が負うリスクに見合うものではない。だから、いつでも貴方を殺せる。

鴨のコンフィ:貴方はまだ私の価値を知らないでしょう?

バスティラ:?

鴨のコンフィ:もちろん、理由もなく逃亡者を引き取る人はいない……だから、事前にタルタロスで2つの書類を手に入れたの。

バスティラ:何の書類だ?

鴨のコンフィ:仲間にしか渡さない書類。

バスティラ:……

カイザーシュマーレン:ふふっ……バスティラ、今夜のショーを成功させるためには、まずバニラマフィンに彼女の体を洗わせて休ませましょう。

バスティラ:つまり……

カイザーシュマーレン:元々、メンバーを集めていましたし、それに、そんな豪華な「お土産」を持ってきてくれた。ただ……

カイザーシュマーレン:私が貴方を受け入れるのは、このお土産のためではないことを、理解して欲しいです。


 青年は立ち上がり、地面に倒れている鴨のコンフィに向かって優雅に近づき、言葉を発した。


カイザーシュマーレン:文書にできる秘密は、秘密ではない。この文書に書かれていることは、たとえ今は知らなくても、将来必ず知る機会が訪れるはずです。

カイザーシュマーレン:ただ、私たちの仲間になるために、自分の体にそんな事までするとは……

鴨のコンフィ:!!!

カイザーシュマーレン:怖がらないでください、貴方の勇気と決意に敬服しているのですよ。だから、その2つの書類がなくなるまで……


 彼は微笑んだ。その優しい眼差しは、傷ついた少女を見るものとも、仲間を見るものとも全く違う。


カイザーシュマーレン:貴方を死なせるわけにはいかない、鴨のコンフィさん。


逮捕計画


タルタロス大墳墓

典獄長休憩室


オイルサーディン:何だと?!脱獄?!

ザバイオーネ:なんだ、そんなに大声を出して大丈夫なのか?他の囚人に聞こえたらまずいだろう?

オイルサーディン:……それより、どうやって脱獄したんだ?ここはタルタロスだ……

オイルサーディン:まず、囚人の監房に行ってみよう。

ザバイオーネ:かしこまりました。

オイルサーディン:本当に逃げ出すなんて……そんなのあり得るのか、警報は全く作動しなかった……

オイルサーディンジン、0044がどうやって逃げたか知っているか?

ジン:……

ジン:寝ていましたので、知りません。

ザバイオーネ:おや……ハギスがいない、彼も何が起こっているのかわからないようだな。

ザバイオーネ:防犯カメラは?

オイルサーディン:ちょうどメンテナンスしている……そんな偶然が起きる訳が……


 平然としているジンと、ちっとも緊張していないザバイオーネを見て、彼はまた顔をしかめた。


オイルサーディン:まずはブランデー典獄長に報告した方がいいだろう……


 ブランデーのオフィス


ブランデー:なんだ、囚人が脱獄したのか。

オイルサーディン:なんだその反応は?!もし、囚人がタルタロスから脱獄できると外部に知られたら、この海底牢獄はその意義を失ってしまう!

ブランデー:我らが言わなければ、誰も知る由はない。

ザバイオーネ:確かに、0044号も派手にアピールするようなタイプではないはずだ。

オイルサーディン:……それでも、囚人は連れ戻さねば!タルタロスは人手不足だ、セキュリティに欠陥がある可能性もあるし、そもそも全く人手が足りていない!

ブランデー:心配するな、あいつらが犯人を逮捕してくれる……

オイルサーディン:誰が?

シェリー:また私たち?私たちはタルタロスの使い走りじゃないのよ?!

ポロンカリストゥス:焦らないで、シェリーちゃん。「学校」は人間と食霊が平和に共存するために設立したんだから、タルタロスを手伝うのも、矛盾しないはずだよ。

シェリー:じゃあ、貴方が行けばいいじゃない。

ポロンカリストゥス:陛下から他にもっと重要な仕事を任されているから、手伝いたくてもできないんだよ。それに……

ポロンカリストゥス:脱獄した囚人の独房は、ジンの隣にあったよ。

シェリー:……それが何?

ポロンカリストゥス:その囚人とジンは仲が良くて、よく2人で話をしていたそうだ。もしかしたら……脱獄する前にジンから何か頼まれたかもしれないよ。

シェリー:……何を?

ポロンカリストゥス:自分を無罪にするための証拠を探してもらう、とか?実際の所はわからないけど、お姉さんとしては気になるよね?

シェリー:……

ポロンカリストゥス:ふふ、引き受けてくれるみたいだね。一人で行くのが寂しいのなら、サンちゃんを誘ってみたらどう……

シェリーキビヤックと一緒に行くわ。

ポロンカリストゥス:……

ポロンカリストゥスシェリーちゃん、いつの間にあいつと仲良くなったんだ?あいつを任務に連れて行くのは大変だよ……

シェリー:貴方こそ、いつも彼を連れて行っているじゃない?鹿教官が苦労を恐れないのであれば、私はもっと恐れないわ~

ポロンカリストゥス:でも……


 相手の顔がいきなり険しくなったのを見て、シェリーはたちまち上機嫌になり、元気な足取りで部屋から出て行った。


シェリー:というわけで、また後でね、鹿教官~


二手に分かれて


午後

パラダイスサーカス


シェリー:何故、囚人はこんなところに……こんな時に捜査に来るなんて……目立ちすぎるわ……

キビヤック:……

シェリー:嘘でしょ、私と一緒に任務に出るのがそんなに嫌?

キビヤック:なんで……シェリーは、俺と……

シェリー:そうね……実は、鹿を困らせようと思っただけよ、でもたまたまみんな忙しくて、貴方しか選択肢がなかったの……

シェリー:わかったわ、本当に嫌なら二手に分かれよう。

キビヤック:分かれる……どうやって?

シェリー:中と外、貴方はサーカスに潜入して、私は囚人が再び逃げないように外を守る……わかった?

キビヤック:うん……でも、どうやって潜入すればいいの?

シェリー:それなら簡単よ~


 ……


バスティラ:つまり……その食霊をパフォーマーとしてサーカスに売りたいのか?

シェリー:そうそう~ボーっとしているように見えるけど、すごい奴よ。空気から氷を作ることもできるのよ~

シェリー:スズメちゃん、腕前を見せてあげて!

キビヤック:……

バスティラ:結構だ。私たちは今ちょうど食霊が必要なんだ……いくらだ?

シェリー:そんな、いくらも何も……帰る旅費分だけ、適当に払ってくれればいいわ。

バスティラ:では、これを……

シェリー:よし、スズメちゃん、ここで生き残れるように頑張ってね、バイバーイ!

キビヤック:バイバイ……

バスティラ:……あの女とはどういう関係だ?彼女より弱いようには見えないが、どうして売られたんだ?

キビヤック:……


───


シェリー:今から嘘を教えても遅いわね……要するに、相手がどう答えていいかわからない質問をしたら、黙ればいいわ。

キビヤック:それは……失礼……じゃないか……

シェリー:失礼って、私たちは任務中よ!ああ、本当に心配だわ……

シェリー:いいから、正体がバレないように、それと相手に迷惑をかけないように……質問されたら、何も言わないこと、わかった?

キビヤック:うん……


───


キビヤック:……

バスティラ:言いたくないならいい……ついて来い。


 バスティラキビヤックを連れてテントに入った。ここでは、サーカス団員が今夜のショーのためにトレーニングをしている。


バスティラフェジョアーダ、この新人を任せた。

フェジョアーダ:は?新人?

バスティラ:ああ、名前は……スズメちゃんだ。サーカスのルールはよくわからないみたいだ、とにかく今は適当に教えてあげればいい。

フェジョアーダ:テキトーすぎるだろ?……おいっ!そのまま帰るのかよ?!

バスティラ:また後で来る。

フェジョアーダ:何だよ……

キビヤック:……

フェジョアーダ:おいっ、お前、食霊だよな、何か特技とかあんのか?

キビヤック:氷……

フェジョアーダ:氷?それで何ができるんだ……

キビヤック:……

フェジョアーダ:でも、食霊だからジェールの代役にはなれるかも……行こう、まずは「空中ブランコ」に挑戦してみてくれ。

キビヤック:空中……ブランコ?


新生・パラダイスサーカス


 いわゆる「空中ブランコ」は、パフォーマーがリングにぶら下がり、空中でスリリングな技を繰り広げるショーであり……

 リングにぶら下がり、2回ほど飛んでから気絶するというスリリングなショーではない。


フェジョアーダ:おいっ!起きろ!

キビヤック:めまいが……

フェジョアーダ:スズメって名前だろ?高所恐怖症なのかよ……動くな!僕が降ろすから!

キビヤック:うっ……ありがとう……


 ふらついているキビヤックは、フェジョアーダや子どもたちに助けられ、めまいを防ぐと言われるツボを押されながら、目を固く閉じていた。


ジェール:……フェジョ兄、この様子じゃ、ステージに出られないよ。

フェジョアーダ:ああ、しょうがないな……今夜もジェールの出番になりそうだ。

ジェール:……そんなに俺のパフォーマンスが、気に入らないの?

フェジョアーダ:???

ジェール:ううん、なんでもない、本番まで少し寝ておく。

フェジョアーダ:わかった……あいつ、何だかおかしくないか?

アイシャ:ジェールお兄ちゃんはヤキモチ焼いてるんだよ。多分、フェジョアーダお兄ちゃんが自分の代わりを探しているって考えてるんだと思う。

フェジョアーダ:は?このダメ新人が?

キビヤック:……

フェジョアーダ:コホンッ、そんな訳あるかよ……僕はただ、ジェールに少し休んで欲しくて、もうあんな危険なパフォーマンスはやめて欲しいだけだ……

アイシャ:アイシャは知ってるけど、ジェールお兄ちゃんは……

フェジョアーダ:……心配しないで、後でちゃんと話すから、アイシャはもう行っていいよ。

アイシャ:うん!

キビヤック:……俺、君たちに……迷惑をかけた?

フェジョアーダ:うぬぼれるな。来たばかりなのに、迷惑も何もないよ……

フェジョアーダ:でも、サーカスには全く興味がないんだろう?食霊なら逃げられるはずなのに、どうしてここにいるんだ?

キビヤック:……君は?こんなパフォーマンス……何の意味があるのか、わからない……君はどうして、ここにいるの?


 キビヤックは頭を押さえる動きを止め、フェジョアーダの声は少し悲しげに響いた。


フェジョアーダ:あの子たちは……僕がいなかったら、いじめられるんだ。でも、連れて行くと……僕も面倒を見れる自信がない……

フェジョアーダ:どうしてお前にこんな話したんだ、どうせ僕をバカにしているんだろう?

キビヤック:ううん……理解、できる……

フェジョアーダ:……慰めは結構だ、そんなもんいらない。



 パチパチパチ――

 手を叩く音で会話が途切れた――バスティラとその横にはフェジョアーダが見たこともない若い男が立っていた。


バスティラ:集まってくれ。サーカスの新しいオーナーがみんなに言いたいことがあるそうだ。

カイザーシュマーレン:ふふっ、新しいオーナーというより……みんなの新しい仲間でしょうか。

フェジョアーダ:……何の冗談だ、前の奴らと同じ奴隷主だろう……そんな言葉は、僕たちを騙して、喜んでお金を稼がせる手段でしか……

カイザーシュマーレン:私があの奴隷主たちと同じかどうかは、しばらく一緒に過ごしてみてから判断して欲しいです。

フェジョアーダ:!


 自分の囁くような呟きが相手に聞こえてしまい、フェジョアーダは少し恥ずかしくなったが、その顔はまだ納得のいかない表情をしていた。


フェジョアーダ:どうやって騙すのか見てやるよ……

カイザーシュマーレン:今日から正式にパラダイスサーカスを引き継ぐことになったので、辞めたい者がいるなら辞めるといい。

フェジョアーダ:?!

カイザーシュマーレン:合意のないパートナーシップはあまりにも脆い、それならない方がましです。大丈夫、辞めたい者にはいくらか資金を出す……そう思っている人は、いつでも私のところに来てください。


 そう言って、去って行った。フェジョアーダは、しばらく固まったまま反応できずにいたが、子どもたちが興奮した様子で集まってきた。


アイシャ:フェジョアーダお兄ちゃん、さっきの話は本当?

フェジョアーダ:……あいつの言うことなんか聞くな。今はうまいこと言ってるけど、そのうち何か無理言ってくるかもしれない……

フィル:え?さっきの人も、あいつらみたいに私たちを殴るの?

フェジョアーダ:まさか、もう二度とそんなことはさせない。心配するな、僕がみんなを守ってあげるから。

アイシャ:うん!フェジョアーダお兄ちゃんを信じてる!

キビヤック:……


 苦笑いを浮かべるフェジョアーダを見つめ、キビヤックは同じような経験をした自分の過去を思い出し、何かがおかしいと感じた。


キビヤック:(囚人が早く見つかるといいな……そして、子どもたちが一日も早く普通の生活を送れるように……)


冤家路窄


 一方、キビヤックをサーカスに「売った」シェリーは、まずサーカスの周辺を偵察した。サーカスのテントは、平らで静かな川に囲まれた草原に張られている。

 先に見つかった血痕を考えると、傷だらけの囚人が気づかれずに草原を出て、隣町まで逃げることはできないとシェリーは確信した。


シェリーキビヤックのアホはサーカスの人を騙せないはずだから、彼があいつらの気を引いている間に、私が色々調べよう……

シェリー:早くしないと……お客さんが増えたら、捕まえるのが難しくなっちゃうわ。


 空が暗くなるにつれ、シェリーも焦ってきた。しかし、彼女はサーカスの周りを走り回ったが、手がかりを見つけることができなかった。それどころか、今一番会いたくない人に遭遇した。


ブリヌイ:せっかく外出したのに、服くらい着なさいよ。

ジェノベーゼ:……着ている。

ブリヌイ:まあ、それを服と呼べるかどうかは別として、でも、やっぱり目立ちすぎじゃない?

ジェノベーゼ:貴方の方が目立つのでは……

ブリヌイ:わたしはあえてウェイターの格好をしているのよ。何しろ、競争相手を偵察するために来たんだから、「カーニバル」だとバレたらまずいわよ。

ジェノベーゼ:数日で退去するサーカスだ、「カーニバル」の相手として相応しくない。

ブリヌイ:それには賛成……とりあえずわたしの遊びに付き合って〜

ジェノベーゼ:……だから来たくなかったんだ……

シェリー:(運が悪いわね……確か陛下が鹿に「カーニバル」を監視するように言っていたはず、今回は避けておこう……)


 そう思いながら、シェリーはテントの陰に隠れた。しかし、安堵のため息をつく間もなく、背後からくぐもった音が聞こえてきた。

 ドンッ――


ハカール:あら、暴力は良くないわ。

ルーベンサンド:くだらないことを言うな!いつまで引き伸ばする盛だ、いつになったら約束を果たしてくれるんだ?!


 怒りを抑えた声がはっきりとシェリーの耳に届いた。見渡すと、青年が女性の首を締めながら、注射器を握りしめ、針を彼女のこめかみに押し付けていた。


シェリー:(指名手配犯ハカール……どうしてここにいるの?彼女と一緒にいるのは……誰?)


 シェリーは、誰にも気づかれないうちに木箱の後ろに隠れ、固唾を飲んで話を聞いた。


ルーベンサンド:もう時間がないんだ、このままじゃ……

ハカール:焦らないで、せめて考えてから行動しなさい。今日あげた薬は、いつもよりかなり少なかったでしょう?

ハカール:今夜、隅っこで丸くなって、子猫のように痛みに呻きたくなかったら……大人しくワタクシの言う通りにしなさい。

ルーベンサンド:……


 彼は躊躇した後、歯を食いしばってハカールを放した。彼女は恐れるなく、それどころかわずかに口角を上げた。


ハカール:ふふ、焦らないで。魔導学院を潰すのはそんなに簡単なことじゃないから。その背後にある力は、並大抵のものじゃないのよ……

ハカール:しかし、良い知らせがあるわ。魔導学院の背後にいる勢力が、これから会う人物と大いに関係があるということ。

ルーベンサンド:……貴方を信じるのは、これが最後です。

ハカール:いいわ、失望させないようにするわ〜


 そう言って、2人は再び去っていった。


シェリー:(あの2人只者じゃないわ……魔導学院を裏から支える勢力についても言及している……今このサーカスにはいくつもの勢力が集まっているの?)

シェリー:(囚人は偶然ここに逃げ込んだわけじゃないようね……一体どうなっているんだろう……そんなことより、とりあえず追いかけてみよう……)

出会いと過去


 ハカールルーベンサンドは、サーカスの真ん中にある観覧車の下に到着し、しばらく立待っていると、2人の白い人影がゆっくりと近づいてきた。


ハカール:皇帝陛下は時間厳守だわ、1秒でも早く来てくれないなんて。

チェダーチーズ:もちろん、Emperorは一番時間にきっちりしているし、お前らと会うだけなんだから早く来る必要はないからね〜

ハカール:会うのはもう2回目なのに、その話し方にはまたま慣れないわ。

チェダーチーズ:どうして慣れる必要があふの?毎日顔を合わせるわけじゃないし、それにお前、もしかしたら明日にはこの世から消えるかもしれないし?アハハッ〜

ハカール:……

カイザーシュマーレン:ふふっ、お二人共どうぞ。


 そう言って、4人は観覧車に乗り込んだ。


ハカール:ワタクシと手を組む件、皇帝陛下はどう考えるのかしら?

カイザーシュマーレン:その呼び方は使わない方が良いですよ……私の考えより、まずはハカールさんが私と協力したい理由を教えてくれませんか。

ハカール:簡単に言うと、殺したい相手があまりにも強すぎるからよ。ワタクシ一人では成功率が低いから、同じように強い力を持つ人と協力する必要があるの。

カイザーシュマーレン:ビクター帝国の国王は、「強い」というだけでないのでしょう?

カイザーシュマーレン:目的はわかりました。理由については、貴方が言わないということは、まだ明らかにしたくないからでしょう。では、次の質問です……なぜ、私は貴方と協力する必要があるのでしょう?

ハカール:ワタクシの知る限り、アナタは仲間を集めているようね。そして……ワタクシには、アナタがきっと気に入ってくれる能力があるの。

カイザーシュマーレン:おや?

ハカール:そして彼は、医学の領域を超えた催眠術の能力を持っている。そしてこのその目は……未来も過去も見ることができるのよ。

ルーベンサンド:……

カイザーシュマーレン:ハッ、未来はいずれ体験するものなので、興味はないですね。しかし、過去を見るのは面白い……

カイザーシュマーレン:このように、チェダーの脳はかつて何らかの形で損傷を受けています。なので今の彼は自分の過去について何も知らないし、私も知る由もありません……

ルーベンサンド:彼の過去を見て欲しいのですか?

カイザーシュマーレン:可能であれば、お願いしたい。

ルーベンサンド:……


 ハカールが頷くのを確認したルーベンサンドは、眼鏡を外し、向かいに座っているチェダーチーズを見ながら、過去の記憶を探った。

 ……


チェダーチーズ:腹減った……腹減ったよ……

チェダーチーズ:あれ?あいつ……美味しいものたくさん持ってるみたい……おいっ!

カイザーシュマーレン:うん?

チェダーチーズ:食べ物……ちょうだい!

バスティラ:危ない!


 密かにカイザーシュマーレンを守っていたバスティラが、突然現れた狂人を止めようと素早く構えたのに、相手にあっさりと襲われてしまった。


バスティラ:うっ、この野郎!降りろ!


 この突然の出来事に、カイザーシュマーレンは慌てた様子を見せず、バスティラを押し倒す少年を見て、目を曇らせた。


カイザーシュマーレン:こんなに簡単にバスティラを圧倒できるなんて……素晴らしい……

チェダーチーズ:おいっ、食い物ちょうだい。でないと、のいつを食っちゃうぞ。

カイザーシュマーレン:それは。随分と勇ましいですね。


 カイザーシュマーレンは微笑み、後ろを向いてそばの売り場からリンゴを取り、少年に投げつけた。


カイザーシュマーレン:ほら。

チェダーチーズ:もぐもぐ――うん、美味しい……

カイザーシュマーレン:ただのリンゴですよ、良い食べっぷりですね……

チェダーチーズ:それ、褒め言葉?好き!続けて!

カイザーシュマーレン:ふふっ……面白い……続けて欲しいなら、大人しく私の言うことを聞いてくれますか?

チェダーチーズ:じゃあ……言っていいよ、聞いてあげるから。

カイザーシュマーレン:貴方の名前は?どこから来たのですか?

チェダーチーズ:俺は、チェダー!他のは……全部忘れた!


 ……


ルーベンサンド:……これは、貴方たちが初めて会った時の場面……ですね……

カイザーシュマーレン:なるほど、確かに。しかし、それでは能力で知ったという証明にはなりませんね。例えば、バスティラが情報を漏らしたとか。

ルーベンサンド:……あの者は貴方の仲間じゃないのですか?それに、彼は貴方にとても忠実なように見えますが、それでも彼を信じ切れないのですか?

カイザーシュマーレン:人は変わるものです。確かに以前は私に忠実でしたが、だからといって今後もそうであるとは限りません。

カイザーシュマーレン:信用できるのは、自分だけです。

ルーベンサンド:……


 相手の冷たさに驚きながらも、ルーベンは一抹の哀しさを感じた――周囲の人間を信じられなくなるとは、一体どんな目に遭ったのだろう。

 カイザーシュマーレンルーベンサンドの考えを察することなく、相変わらずの優しい微笑みを浮かべていた。


カイザーシュマーレン:さあ、続けてください。私が知りたいのは、もっと昔のことです……


魔導の記憶


 それは火の海と、火の海に浸かっている廃墟だ。

 その中に白い人影が立っていた。火で焼かれ、折れそうになっているが、決して歪むことはない。彼は両手を高く上げ、その手には何かを持っているように見えた……


チェダーチーズ:ふ……ふふふ……アハハハハハッ―――

チェダーチーズ:自由……自由の……カギ……自由の……

チェダーチーズ:カギ――!


 ドンッ――

 その記憶は突然、大きな音とゴンドラの激しい揺れによって中断された。カイザーシュマーレンの隣で静かに座っていたチェダーチーズが、突然ガラス窓に頭を強く打ちつけ始めたのだ。


ルーベンサンド:おいっ……だ、大丈夫ですか?

カイザーシュマーレン:チェダー?:

チェダーチーズ:はぁ……はぁ……


 チェダーチーズは、聴覚や知覚を失ったかのように、反応することなく、ガラス窓にゆっくりと頭を叩いている。


ハカール:恐ろしい記憶に触れてしまい、暴走してしまったのかしら?

ルーベンサンド:過呼吸のようですね……この乗り物はいつ止まるんですか?彼は外に出て新鮮な空気を吸わなければなりません!

カイザーシュマーレン:しばらくは止まりません。

ルーベンサンド:ま、まさか……

 カイザーシュマーレンは普段と変わらない顔で、チェダーチーズが頭と窓の間に手を差し入れ、彼を自分の方に引き寄せた。なだめるように見えるが、実質抑え込んでいるだけだ。


カイザーシュマーレン:続けてください。

ルーベンサンド:……


 カイザーシュマーレンの強引な態度に不満はあったが、チェダーチーズが彼の行動で大人しくなったのを見て、ルーベンサンドは彼の過去を探り続けるしかなかった――何しろ、断れる立場ではなかったから。

 驚いたことに、次の記憶には、見覚えのある人物が登場した……


???:目覚めたか。

チェダーチーズ:だ……れ?


 ルーベンサンドもその質問をしたくなった。その姿はわけもわからずぼやけていて、相手の顔はおろか姿さえも確認したできないが、その雰囲気だけで……

 ルーベンサンドは思い出した。その香りは、思い出したくもない過去、自分を生み出し、幽閉していた牢獄――魔導学院から漂ってきたものだった。しかし、やはり目の前の男は、白衣を着た冷たい人間たちとは違い、同じように冷たいが、残酷な感じはしない。


???:……僕は、貴方を創造した人。

チェダーチーズ:うん……それって、お父様?

???:……

チェダーチーズ:ふふ、違うんだろ、ただの冗談だ、気にするなよ。


 この時のチェダーチーズルーベンサンドの知る狂人とは全く別人のようだ、子どものような無邪気さと大人のような狡猾さを兼ね備えた、生まれながらの悪人になっている。

 ルーベンサンドは、チェダーチーズの目を通して自分を囲む透明な檻を眺めた。瓶の中にいる小さな虫になった気分だ。

 記憶があと数日後に遡ったようだ……


チェダーチーズ:昨日、鍵をかけ忘れたから、外に出てみたんだ。

???:そう。

チェダーチーズ:わざとやってるんでしょう?俺が外に出て何をするか見たいのか?魔導学院がお前に対する寛容さの限界を試すため……それとも、この退屈な生活に少し刺激を与えるため?

???:それで、僕の望みを叶えてくれたのか。

チェダーチーズ:いや、出るのは初めてだから、トラブルに巻き込まれたくなかった……

チェダーチーズ:でも、俺以外にもこんなに子どもがいるなんて、それも初めて知ったよ。


 ルーベンサンドはそう言ったチェダーチーズに、何故か少し寂しさがあるように感じた。


???:子どもじゃない、実験体だ。

チェダーチーズ:わかったよ……で、お前の実質はいつ終わるの?

???:実験は成功すれば自然に終わる。

チェダーチーズ:その時、実験体はどうなる?

???:魔導学院が処分してくれるだろう。

チェダーチーズ:つまり……実験が終わったら、俺たちはお前の手から離れるってことか?

???:ええ。僕が欲しいのは、次の実験とための実験データだけ、結果にはこだわらない。

チェダーチーズ:冷たいやつだ……

チェダーチーズ:だったら、お前の実験が永遠に成功しないように呪ってやる、永遠にな。

???:……

???:実験が終わったら、やってみたいことや欲しいものとか、あるのか?例えば……自由とか。

チェダーチーズ:わかりません。


 ルーベンサンドは、ガラスに映ったチェダーチーズの姿と、檻の外に立っているぼんやりした人影を見て、なぜか切なくなった。


チェダーチーズ:自由は楽しい?わからないから……欲しいかどうかもわならない……

???:では……楽しいと思うものはあるのか?

チェダーチーズ:そりゃそうだろう〜じゃないと、鬱でとっくに死んでるよ。

???:それは、何だ?

チェダーチーズ:当ててみて?

???:……

チェダーチーズ:はは、世界一頭が良いお前なら、きっと……察しがつくだろう?

チェダーチーズ:俺にとって、一番楽しいのは……


 ルーベンサンドチェダーチーズの答えが聞こえなかった。チェダーチーズが答えを言っていなかったのか、それとも彼の潜在意識がその答えを深く埋めてしまい、どうしても掘り起こせないのか……

 しかし、ルーベンサンドは、チェダーチーズが楽しいと思ったことは、同時にとても悲しいことなのかもしれないと、何となく感じていた。


自由へのカギ


チェダーチーズ:ここを出る?!一人で?今?

???:ああ。


 チェダーチーズは長い間黙り込んで、透明の檻を力強く蹴った。

 手のひらと足の半分がしびれるほどの痛みで蹴ったが、檻は特殊な素材でできていて動かない、音さえも出なかった。


チェダーチーズ:は……ハハハッ――流石だな。その気になったら食霊をこんなに作りやがって、離れると言ったら、全てを、ここにある全てを置き去りにできンのか?

チェダーチーズ:ハッ、俺の呪いが効くとは……ただ、実験が成功してないのは、お前が諦めたからだ。


 彼の顔からは笑顔が消え、冷たい目が少し怖く見えた。


チェダーチーズ:じゃあ俺も用済みだろう、なんでここに来たんだ?

???:貴方に、カギを渡すために。

チェダーチーズ:は?

???:自由を得られる、カギだ。

チェダーチーズ:自由がそんなに楽しいとは思わないって言っただろう……

???:それは、貴方が自由になったことがないからだ。自分で体験してから、自由が楽しいかどうかを、教えてくれ。

チェダーチーズ:……

???:君は一般の食霊とは違う、食霊の一生を縛る契約は、貴方には簡単に切れる……

???:いいえ、そんなに簡単でもないかも……

チェダーチーズ:何をするんだ?

???:動くな……


 その相手はチェダーチーズに手を伸ばした。すると、周囲のガラスの檻がゆっくりと降りてきて、ついにその手はチェダーチーズの頭の上に落ちた。


???:ここだ。貴方の契約は、脳の中にある。

チェダーチーズ:契約を破棄したいなら、自分の脳を破壊しなきゃってこと?冗談だろう?その後に得た自由に何の意味があるんだ?

???:いいえ……それは一時的なものな。カギも用意したから、受け取ってくれ。


 それは少し古びているが、ごく普通の見た目のカギだった。チェダーチーズは手にしたカギを見て、少し戸惑った。


???:この後……君は正気を失い、記憶を失い、身の回りのこともできなくなりら死ぬよりひどい人生になるかもしれないが……

???:そのカギさえあれば、貴方を本当に自由にすることができる。

???:どんなことがあっても、必ずソレをなくすな………………チェダー……


 ドンッドンッドンッ――


ルーベンサンド:ぐっ……!


 記憶がピタリと止まり、ルーベンサンドの意識が戻ると、チェダーチーズに首を絞められているのに気付く。相手の動きで後頭部がゴンドラに叩きつけられていた。


チェダーチーズ:自由なんて全く欲しくないって言ったのに……

ルーベンサンド:?


 そう言ったチェダーチーズの声はとても柔らかく、ルーベンサンドは一瞬自分の妄想かと思ったが、次の瞬間、彼の耳には心臓をえぐるような笑い声が響いた。


チェダーチーズ:ハハッ……カギ……アハハハハハッ……カギ!

ルーベンサンド:!!!


 チェダーチーズの突然の狂乱に、その場にいた全員が凍りついた。彼の激しい動きに合わせてゴンドラが揺れ、通りかかった渡り鳥まで驚かせた。


 空は一瞬だけ騒がしくなった、ジェノベーゼも見上げることになった。そして、見慣れた懐かしい白い姿を見て、思わず少し見惚れてしまった。


ブリヌイジェノベーゼ?どうした?

ジェノベーゼ:いや……ただ、鳥が上空を飛んでいた、とても自由に見える。


 青空と鳥の群れを眺めながら、嘆くように、つぶやくように。


ジェノベーゼ:鳥たちもその自由を楽しんでいるといい。


開演前


 チェダーチーズハカールから精神安定剤を注射されて、ようやく落ち着いた。


ハカール:不思議な子ね、普通の食霊なら、一発で眠ってしまうからね。

カイザーシュマーレン:チェダーは私が見てきた食霊の中でも、最も身体能力と戦闘能力が高い存在です。彼は私にとって、とても大切で……

ルーベンサンド:……しかし、彼は先程痛みで死にそうになっていました。

カイザーシュマーレン:彼を死なせたりしませんよ。

カイザーシュマーレン:で、彼が突然暴走した理由はわかりますか?

ルーベンサンド:……


 ルーベンサンドは、向かい側に座っていて少しボーっとしていて、なんだか憂いているチェダーチーズを見て、少し黙り込んでから強気で答えた。


ルーベンサンド:わかりません。

カイザーシュマーレン:そうか……彼は……カギと言っていたようですが、それは?

ルーベンサンド:無意識のうちにカギの正体を隠そうとしているのか、抵抗していたため、カギは見ていませんし、その正体もわかりません。

ルーベンサンド:知っているのは、彼が魔導学院で生まれ、彼を作った者が契約の束縛から抜け出す方法、つまり、自分の脳を破壊することを教えただけです。だから今の姿になってしまったようです……

カイザーシュマーレン:彼を作った者……

ルーベンサンド:相手の顔が見えなくて、その正体もわかりません。

カイザーシュマーレン:ああ、大丈夫です、見当はついています。

ルーベンサンド:……では、何故これを知りたいのですか?チェダーチーズの精神が崩壊しかねないリスクを負ってでも……

カイザーシュマーレン:私は、私を本当の危険に晒さない忠実な仲間を必要としているので、彼の過去を知りたい……ただそれだけです。

ルーベンサンド:では……今の彼は忠実で、貴方にとって安全な存在なのでしょうか?

カイザーシュマーレン:「カギ」を手に入れるか……彼をそこまで暴走させる理由を、この世から消滅させるか……

カイザーシュマーレン:そうすれば、彼は私にとって最も忠実で安心できる仲間となることでしょう。

ルーベンサンド:……

ハカール:さて、「力試し」も終わったし、アナタの決断は?

カイザーシュマーレン:ふふっ……今後ともよろしくお願いします、ハカールさん。

ハカール:ええ、もちろん。


 両者の合意が達成した後、観覧車は間もなく停止し、4人は順番に別々の目的地に向かって出発していた。シェリーはしばらく彼らの後ろのゴンドラで待機していたが、暗い顔でゴンドラから出て来た。


シェリー:口の動きで読み取れる情報は完全ではないが、少なくともこの危険な連中が……同盟を結んでしまったみたいね……

シェリー:今日は週人と逮捕以外にも色々ありそうだわ……まずはキビヤックに会いに行って、状況を説明しよう……


一方

舞台裏


 開演時間になると客席はほぼ満席。キビヤックは幕の後ろに隠れ、外の賑やかな雰囲気を眺めて、急に少し緊張してきた。

 緊張し過ぎて、本来の任務を忘れてしまうほどに……


フェジョアーダ:……分かった?後で客席に向かってみんなが拍手している時に、小道具を押し上げること。

キビヤック:ああ、わかった。

フェジョアーダ:僕のパフォーマンスの順番は、空中ブランコ、火の輪くぐり、マジック……順番を忘れないようにな。

キビヤック:はい……

フェジョアーダ:ふぅ……心配するな。ハット、ジェールの着替えはまだ?

ハンチ:わからない……ちょっと催促してくる!

フェジョアーダ:頼む。


 しかし、ハットが離れる前に、フィルが慌てて駆け寄ってきた。


フィル:大変!ジェール、ジェールがいないっ!

フェジョアーダ:?!!


守るの意味


フェジョアーダ:ジェールがいない?もうすぐ本番なのに、どうして……

フィル:わ、わからないよ……衣装もまだ楽屋に残っているのに、ジェールは、ジェールはそんなことしないはず!

フェジョアーダ:フィル、焦らないで……本番たでしばらくあるから、僕が探してくるよ。

ハンチ:僕も!

フェジョアーダ:いや、お前らはここにいて、もしショーが始まるまでに戻らなかったら、僕の代わりに出てくれ……

フェジョアーダ:スズメちゃん、この子たちを見守ってくれるか?

キビヤック:ああ、わかった……

フェジョアーダ:ありがとう、すぐ戻るから!


 サーカスの周りをぐるりと走って、ようやくテントの前にいるジェールを見つけたフェジョアーダは、喘ぎながら立ち止まって一息をつき、相手に声をかけようとした。


フェジョアーダ:ジェ……

ジェール:あの人が、ここから出たかったらお金をくれるって言ったけど……今でも間に合うかな?

バスティラ:もちろん。

フェジョアーダ:……


 その時、ジェールがバスティラと会話していることに気づき、思わず隠れてこっそりと覗き込んでしまった。


ジェール:サーカスを出たいんだ。

バスティラ:いいけど……貴方一人で?

ジェール:ハットも、フィルも、アイシャも……俺たちは皆、ここから出たい。

バスティラ:……フェジョアーダは?確か、殴られている貴方を守るために、彼は顔を切ったりもしていたな。

ジェール:俺たちを守るより、ヒーローであることを楽しんでいるだけだろう……俺たちが、少なくとも俺が何を考えているかなんて、彼は今まで気にしてくれたことがない……

ジェール:俺を守るという建前、俺の意思を無視して勝手に俺のやる事を決めるなんて……俺はそんなの全く望んでいない!

ジェール:ここが嫌い、あいつが嫌い!今すぐ遠くに行きたい、二度と戻って来たくない!

バスティラ:……わかった、その話を主に伝える、しばらく待ってくれ。


 それを聞いて、ジェールはホッとした。バスティラが去るのを見届け、自らもテントの方へと歩いた。


フェジョアーダ:……


 フェジョアーダは一人その場に立ち尽くし、考え込んだ。ジェールは本当はそんなことを考えていたとは、今まで思いもよらなかった。


フェジョアーダ:守っているつもりだったのに……かえって負担になってしまった……というのか……


 しばらくして、彼の思索は何らかの結果を得たようだ。彼は、かつては自分の御侍、今はカイザーシュマーレン専用のテントに向かって歩いた。


カイザーシュマーレン:おや、私に会いに来たのですか?

フェジョアーダ:……この前、ここを出たい人は離れればいいし、お金も払うと言っていただろ……代価は?

カイザーシュマーレン:代価?

フェジョアーダ:僕もバカじゃない、本当にお金があって使い道がないのなら、慈善活動でもやればいいだろう、わざわざこのサーカスを高い値段で買って、パフォーマーたちを追い出す必要なんてない……

フェジョアーダ:お前一体目的はなんだ?あの子たちを外に出して、より良い生活をさせるためなら……僕は何でもする。

カイザーシュマーレン:ふふっ……どうやら、私を卑劣で貪欲な奴隷主たちと勘違いしているようですね。

フェジョアーダ:は?

カイザーシュマーレン:大丈夫、一緒に来てくれれば、理解してもらえますよ。


 カイザーシュマーレンフェジョアーダを案内してテントの中に入ると、奥には仕切りが設置されていて、その裏には黒い布で覆われた巨大な四角い物が置かれていた。はたから見ると、それが何であるかはわからない。

 そして、カイザーシュマーレンが黒い布を引き剥がすと、フェジョアーダは目の前の光景を見て、ショックを受けて目を丸くした。


フェジョアーダ:こっ、これは……?!お前……

カイザーシュマーレン:驚くにはまだ早い……今夜の主役はこの方たちですよ。ネタバレのお返しとして、チェダーを連れ戻すように、バスティラに頼みに行ってくれませんか?

カイザーシュマーレン:ショーは、もうすぐ始まる。


開演


シェリー:チッ……キビヤックのやつ、一体どこに行ったのよ、どうしてどこにもいないの……

シェリー:観客がどんどん増えていく……あのバカ、まさか自分の任務を忘れて、本当にステージに出るつもり?

チェダーチーズ:おいっ!何探してるの?

シェリー:!


 背後から突然声を掛けられてシェリーは動きを止めた、そして深呼吸をして余裕を装って振り向く。目の前の顔に印象はあったが、初めて見るフリをしなければいけなかった。


シェリー:あの……ごめんなさい、ショーを見に来たんだけど、うっかり迷っちゃって……

チェダーチーズ:嘘つき。先見たもん、観覧車の上で、ぬ・す・み・ぎ・き!してたでしょ!

シェリー:ぬっ、盗み聞き?観覧車?

シェリー:あら……そうだったわ、さっき観覧車には確かに乗った、でも盗み聞きなんて……あんなに距離があるんだから、何も聞こえないわ!

チェダーチーズ:本当か?

シェリー:もちろん、貴方のことを全く知らないのに、聞いてどうするの?

チェダーチーズ:嘘つきじゃなかったんだ……嘘つきじゃないなら、ショーに連れてってやる!

シェリー:えっと……ありがとう……


 チェダーチーズの力はとんでもなく強い、シェリーは彼に引っ張られた途端、自由に動けないと察した。そしてそのままテントまで引っ張られて客席に座ってしまうことに。

 シェリーは興奮気味で左右に揺れながら、ショーを見届ける決心をしたらしいチェダーチーズを見て、おずおずと口を開いた。


シェリー:あの……貴方はサーカスの団員じゃないの?ショーには出ないのかしら?

チェダーチーズ:ショーに出るより、ショーを見る方が楽しいだろ?だからここで見るんだ!

シェリー:(後でこっそり席を外す口実を作るしかないようね……)


 テントは混雑し、空気は薄くなり、その騒音でシェリーはますます苛立ってきた。


シェリー:ねぇ、このサーカスはいつもこんなに観客が来るの?客席足りないみたいね。

チェダーチーズ:知らない、こんなにいっぱい来てるの初めて見た……パフォーマーみたいな格好してる観客を見るのも初めてだ〜

 チェダーチーズの言葉を聞いたシェリーは、会場を見渡し愕然とした。


シェリー:(見間違い?いや……伯爵、医者、研究者、それに……王国大臣までいるの?!これは……まるで創世日祭典じゃない……)

シェリー:(サーカスのショーなんかで、のれほど重要な地位の観客を集められるもの?いや……どう見てもおかしい……)

シェリー:あの……突然用事を思い出したの、ショーを見れなくなったわ、お先に……

チェダーチーズ:どこに行くの?ダメ!もう始まるよ!

 パチパチパチ――

 その言葉が発せられると同時に照明が消え、アリーナは拍手と歓声に包まれた。そして、一人の青年がゆっくりとステージ中央に向かって歩いてくる。


バニラマフィン:お待たせしました、皆さん、ようこそパラダイスサーカスへ!今夜のショーはまもなく始まります――

バニラマフィン:どうぞ……お楽しみください……


 そう言って青年は舞台を去り、体にニシキ蛇を巻き付けた少女が台車に乗せられて登場してきた。


シェリー:0……0044号?!

鴨のコンフィ:……


 今回の任務で逮捕すべき逃亡犯が目の前にいるのに、今すぐ捕まえられない、なぜなら……


ポロンカリストゥス:今回は隠密行動だから、逮捕する時は他の人に迷惑がかからないように気をつけてね、シェリーちゃん。

ポロンカリストゥス:何しろ、タルタロス計画は陛下が自ら推進し、実行されたものだからね。タルタロスに何かスキャンダルが起きれば……陛下の名誉も傷つくだろうね。


シェリー:チッ……面倒くさいな……

シェリー:(仕方ない、彼女の出番が終わるまで待つしかないみたいね……)


思いがけない再会


 鴨のコンフィがステージ上のニシキ蛇と一緒に踊ると、耳をつんざくような大歓声と拍手が沸き起こった。

 シェリーは騒然とした会場の真ん中に座り、ますます眉間に皺を寄せた。


シェリー:こういうショーのどこが面白いのか、本当に理解できない。この観客たちも普段はもっとまともなのに、どうして今日はみんなこんなにおかしくなっているの?

シェリー:まるで……

ジェノベーゼ:まるで獣のようだ。

シェリー:!


 その時初めてシェリーは、ジェノベーゼブリヌイがいつの間にか後ろに立っていたことに気づいた。


ジェノベーゼ:いや、それも違う……獣は、生き残るために、相手を威嚇したり、怒りを表現したりするために吠える。しかし、この人間たちの叫びと喜びは、すべて無価値、無意味なものだ。

シェリー:……

ブリヌイ:ふふっ、遅刻しちゃったから、ここしか空いてないみたい……座っていいかしら?

シェリー:……もちろん。


 断る理由も見つからず、シェリーは仕方なく頷いた。シェリーが逃げないようにチェダーチーズが一番外に座っていたので、ジェノベーゼチェダーチーズと一緒に座ることになった。


ジェノベーゼ:久しぶりだな、チェダー。

チェダーチーズ:お前……俺のこと知ってるの?俺は……お前を知らないのに……

ジェノベーゼ:「カギ」を使っていないようだな……

シェリー:あっ、それは言っちゃダメ!


 観覧車の中でチェダーチーズが「カギ」という言葉で暴走した姿は、まだ記憶に新しい。シェリーはつい言葉を発したが、チェダーチーズがその言葉に反応していないことに気づき、驚きを隠せなかった。

 それも、ジェノベーゼが来てからは、一見異常とも思えるチェダーチーズのテンションはだいぶ落ち着き、少し鈍くなったような気さえした。


シェリー:(妙だわ……「カーニバル」の創始者はこの狂人を知っているだけでなく、彼ととても特別な関係を持っているようね……)

シェリー:(それに……ここにいる人間たちのせいかしら?ここの空気……息苦しくて仕方ないわ)


 パンッーー

 シェリーがその怪しい雰囲気の正体を突き止める前に、鴨のコンフィのショーは終わってしまった。シェリーが彼女を追いかけようとすると、周囲の明かりが突然消え、しばらくしてから、スポットライトだけが灯った。

 スポットライトの中、フェジョアーダが台車を押してステージに上がった。台車の上には、黒い布に覆われた巨大な何かが乗っている。そして、物が重いからか、フェジョアーダの顔は強張っていた。

 フェジョアーダが台車をステージ中央に押し出した後、またしても空中にスポットライトが当てられたーーそこには空中のロープに腰掛けているカイザーシュマーレンの姿があった。


カイザーシュマーレン:皆さんの熱意に応え、今晩の公演のクライマックスを早めに……

カイザーシュマーレン:お見せすることにしました――


 再び会場から万雷の拍手と耳をつんざくような歓声が沸き起こり、台車の上の黒い布が取り払われるまで続いた。

 しかし、黒い布の下にあるものが見えた途端、大きなテントは静まり返り、恐怖に震える檻の中の人々の重い喘ぎ声だけが残った。


カイザーシュマーレン:今夜の主役はこの方たちです……そう、これは食霊のショーでもなければ、かわいそうな動物たちのショーでもない……


 黒い布の下の檻には、缶詰のように人が詰め込まれていた。彼らは獣のように不気味に光る怯えた目で、隙間から覗いている。

 そして、冷たいライトの上に座ったカイザーシュマーレンは、とても冷静に、だが今となってはとても怖く思えるような笑顔を浮かべていた。


カイザーシュマーレン:今夜は、貴方方全員……この場にいる全ての人間が主役のショーですよ。

ビーストパーティー


 檻の中に同族がいることがわかると、一瞬の静寂が訪れ、その後、より熱狂的な歓声が沸き起こった。

 食霊は不死身だ、動物の殺し合いは見慣れている、人間を虐待するショーは全くない訳ではないが、前者のどちらよりも遥かに刺激的であることは明らかだ。

 歓声が上がる中、オープニングを飾ったあの青年が再びステージに登場し、檻の中で怯えている人々に向かい、軽く頷きながら声をかけた。


バニラマフィン:ごめんなさい……


 パンッーー

 人間たちに鞭が激しく打ちつけられ、肉と血が裂け、ステージからの悲鳴と客席からの歓声が混ざり合い、鼓膜が痛む。

 パンッーパンッーパンッー

 檻に振り下ろされる鞭はどんどん長くなり、観客の一人に当たった後、2人目、3人目にも……


観客A:あぁっ!なっ、何してる?!痛い!!!

観客B:クソ!この変態共!これは犯罪だ!今すぐここから出してくれ!!!

バニラマフィン:ダ、ダメ……最後まで、見届けないと……


 そう言って、無数のツタが絡み付いて出口を塞ぎ、横からハカールも回り込んできて、帰ろうとする観客を制止した。


ハカール:パラダイスサーカスのチケットは、払い戻し不可なのよ〜

観客B:こ、この……!

カイザーシュマーレン:そろそろ、お客様全員に体験していただく時間のようですね。


 その鞭はたちまち本数が増え、その場にいる全ての人間を追いかけ、激しく打ちつけた。


観客A:なんだこれ?!あああーーは、離れろ!

観客B:手が!あぁーー助けて!!!

カイザーシュマーレン:かつて、動物や食霊が檻に入れられ、鞭で打たれ、やりたくもないパフォーマンスをさせられることを見ていたのは、いつだって人間でした……

カイザーシュマーレン:貴方方が自ら体験できて、新鮮に思えたでしょう?


 カイザーシュマーレンの言葉には誰も反応せず、人々はただ床に転がって泣き叫んでいる。その影は光と蝋燭の明かりによって黒く歪み、悪鬼となって人々を取り囲んでいた。


ブリヌイ:ふふっ、本当に地獄があるとしたら、こんな感じなんでしょうね〜

シェリー:どっ、どういうこと?この人たちはどうしたの?

ジェノベーゼ:多分……催眠術に掛ったのだろう。

シェリー:催眠?

ジェノベーゼ:いわゆる幻術みたいなものだ。おそらく、この人間たちは幻覚の中で何かに追われているのだろう……

ジェノベーゼ:催眠術は人間に向けたもののようだ、だから僕らは見えない。

シェリー:そうなの……?


 シェリーはもう一度、狂っている人々を見た。例外なく全員が痛みに声を上げ、何かを避けようと必死になっていた。しかし、実際は何も彼らを傷つけておらず、追い掛けたりもしていない、ただ無駄に空気を叩いて抵抗しているだけのようにしか見えない。

 シェリーは、客席からステージの方に行こうとしたが、動いた途端足元に人影が転がって来て、いわば一歩も動けなくなるような状態になっていた。


シェリー:……今日は、残業になりそうね。

シェリー:しかし、ここにいるほとんどの人は特別な地位を持つ……一気にこんなに多くの勢力に手を出すなんて、彼は何を望んでいるのかしら?

ブリヌイ:ただ殺すのではなく、わざわざ人を集めて、こんなにも「丁寧」な拷問をするなんて……きっと、深い憎しみがあるんじゃない?

シェリー:……これだけ多くの人に恨みを持つなんて、彼は一体何者……


 シェリーはつぶやきながら、ひたすら人ごみに紛れ、ステージに向かっていくしかなかった。


ジェノベーゼ:……これ以上見る意味がないようだ。

ブリヌイ:あら、今から帰るの?

ジェノベーゼ:ああ、でもその前に……チェダー。

チェダーチーズ:……なに?

ジェノベーゼ:僕は貴方を傷つけるようなことはしない、だから……反撃も抵抗もしなくていい、わかったか?

チェダーチーズ:うん……わかった……


 チェダーチーズに指示をした後、ジェノベーゼはどこからか真新しいカギを取り出した、そしてチェダーチーズはなんだか見覚えのあるカギをじっと見つめる。


ジェノベーゼ:君が「カギ」をなくすことを考えて、コピーを作って持ってきた……


 そう言って彼は「カギ」を折り、そこから淡い緑色の液体が入った小さな注射器を取り出した。


チェダーチーズ:これは……なに?

ジェノベーゼ:これは……本物の自由だ。


アンダーパラダイス


 一方ーー

 ルーベンサンドはステージの隅に立ち、暗闇の中で手にしたペンデュラムを揺らし、やむを得ず眼下の地獄絵図を見ていた。反吐が出る。


カイザーシュマーレン:もう少しです。今、ペンデュラムを止めてはいけません、催眠術を続けてください。

ルーベンサンド:……わかっています。

カイザーシュマーレン:なんて素敵な光景なんでしょう……貴族、権力者、研究者、芸術家、いわゆるエリート、有名人、英雄たちが……

カイザーシュマーレン:動物や食霊の運命をコントロールできると考えている……傲慢な人間たち。彼らは、自分が世界の主だと、自分は決して犠牲者にはならないと思い込んでいる……

カイザーシュマーレン:そして、その恥知らずな認識が完全に覆されたこの瞬間、彼らはどう感じるのでしょう?

カイザーシュマーレン:気にならないか?フェジョアーダ

フェジョアーダ:……人間の考えに興味はない。

カイザーシュマーレン:そう……ならば、貴方自身はどうですか?

フェジョアーダ:僕?

カイザーシュマーレン:貴方を売った御侍、かつて貴方や仲間を虐げた人間が、足元で苦しむ姿を見て……どんな気分ですか?

フェジョアーダ:……

カイザーシュマーレン:自分を傷つけた人間が相応の罰を受けるのを見て……この光景に満足しませんか?

フェジョアーダ:まさか、僕の気持ちを確かめるために、こんなことをしたんじゃないんだろう?本当に何がしたいんだ?


 青年は顔を上げて燦然と輝く天井を見上げたが、その目は虚ろに見えた。


カイザーシュマーレン:ティアラを……地獄にするためだ。

フェジョアーダ:???

カイザーシュマーレン:人間は、平和なフリをするのが一番得意だ。堕神から人々を守るために食霊がいるとか、そして、帝国連邦、法王庁、神恩軍、ホルスの眼、学校、タルタロス大墳墓など……

カイザーシュマーレン:世界の平和と秩序を維持する無数の組織がある……人間を未知の世界に導き、より良い未来を切り開く魔導学院やペリゴール研究所もある……

カイザーシュマーレン:これらは、天国のように神聖で、幸福で、完璧なものだが……天国は天の上にしか存在しない。

カイザーシュマーレン:天国の下こそ人世、つまり地獄だ。


 彼は微笑んだが、その笑顔は少し悲しそうに見えた。


カイザーシュマーレン:残念ながら、人間は天国を長い間見ていると、この事実を忘れてしまうようだ……食霊も同じ。そして、彼らに思い出させるためにも、その素晴らしい幻想を破壊しなければならない。

カイザーシュマーレン:彼らに、思い出させたいんだ。

フェジョアーダ:つまり……現実を直視させようとしているのか?でも……そんな事して何になるんだ?

フェジョアーダ:そういう組織は、例え平和を装っていても、多くの人を助けているのは事実だ。例えそれが美しい幻想に過ぎないとしても、少なくとも人々に希望を与えているだろう?

カイザーシュマーレン:多くの人を助けている?貴方は助けられましたか?鞭で打たれ、パフォーマンスを強いられ、金持ちのおもちゃにされた時、彼らはどこにいました?

カイザーシュマーレン:客席で泣き叫ぶ人間たちは、ついさっきまで食霊と蛇の不器用で退屈な演技に歓声をあげていた。これらの下品で愚かな人々も、そういう組織の一員でもあるのですよ。

カイザーシュマーレン:朽ちた木に実った果実は、必要ない。

フェジョアーダ:……

カイザーシュマーレン:ふっ、今、狂人を見ているような顔をしていますね……大丈夫、確かに今は理解できないだろうけど、私たちの仲間になれば、このクレイジーな考えを見直してくれるはずです。

フェジョアーダ:仲間……?

カイザーシュマーレン:愚かな御侍に仕返しするため、そしてお金を稼ぐための道具として命を終えないため……

カイザーシュマーレン:生まれてからずっと自分を縛り付けていたしがらみを、自分を傷つけてでも、緩めようとしていたでしょう……

カイザーシュマーレン:私の仲間たちは皆このような狂人だ、きっと仲良くやっていけると思いますよ。

フェジョアーダ:僕はそうは思わないけど。

カイザーシュマーレン:つまり、私の誘いを断るつもりですか?

フェジョアーダ:ああ……この光景を見た僕の気持ちを知りたいんだっけ?

フェジョアーダ:気持ち悪い、ただただ気持ち悪い。


 彼はナイフの柄を握りしめ、少し緊張に震えながらも、その目は臆することなくこう言い放った。


フェジョアーダ:僕は確かに束縛が嫌いだ。あの傲慢で、僕たちを平気で苦しめ、虐待する奴隷主たちも嫌いだけど……

フェジョアーダ:でも、あいつらみたいなクソ野郎にはなりたくない……他人の痛みを見て喜びを感じる変態になんて……

フェジョアーダ:お前こそあいつらと同じ穴の狢だ。


束縛を断ち切る


カイザーシュマーレン:仲間になれると思ったのに、残念です。


 そう言うものの、カイザーシュマーレンの顔には悔しさは微塵もない。いつものように、余裕のある表情で微笑んでいる。


カイザーシュマーレン:しかし、この状況で私にその言葉を言うとは、並々ならぬ根性があるみたいですね。

フェジョアーダ:……子どもたちを傷つけさせない。

カイザーシュマーレン:誤解しないで、あの子たちで脅している訳ではない。

カイザーシュマーレン:合意のない協力関係はあまりにも脆く、ない方が良いといったはずですよ、無理強いはしません。

フェジョアーダ:……本当に僕たちを解放してくれるのか?何の代価もなく?

カイザーシュマーレン:代価……そうですね。バスティラ、何か良い案はないですか?


 その言葉を発した瞬間、青年のそばに黒い濃い霧が集約され、次第にバスティラの姿になった。


バスティラ:あの時主が仰ったのは、「辞めたい人は勝手に辞めるといい」でした、「人」であって、食霊について言及していませんでした。

フェジョアーダ:……

バスティラ:だから、子どもたちは好きに辞めていいかと、しかし食霊となると……一人が出て行く代わりに一人入ってもらわないといけません。

カイザーシュマーレン:等価交換か、その通りですね。

バスティラ:ここを離れたいのなら、食霊を一人捕まえて欲しい……できれば、あの黄色い髪の男性食霊がいい。

フェジョアーダ:そんなの嫌だ!食霊が欲しいなら、やはり僕がここに……

バスティラ:本気なのか?貴方の庇護がなければ、あの子たちは3日以上生き延びることさえできないだろう。

フェジョアーダ:……

バスティラ:急いで。


 バスティラの言う通り、フェジョアーダはまだ子どもたちのことを心配している。だから何年もサーカスに留まり、御侍との契約を破棄した後も辞めようとしなかった。

 躊躇した末、彼は客席に向かって歩き出した。しかし、突然、子どもの声によって呼び止められてしまう。


ジェール:フェジョアーダ!また俺たちの代わりに勝手に決めるの?!

フェジョアーダ:!!ジェール……


 フェジョアーダ驚いて振り返り、ステージ上の見慣れた顔ぶれに目をやった。ジェールの後ろには、ハンチング、フィル、アイシャ、そして慌てふためくキビヤックがいた。


キビヤック:ごめんなさい……止められなかった……

ジェール:人に何かを強いられるのがイヤじゃなかったの?それに人を傷つけるなんて……俺たちをあんたの苦しみの源にするなんて、酷いだろ!

フェジョアーダ:お、お前らのせいじゃない、僕はただお前らを守りたくて……

ジェール:あんたの保護なんて必要ない!毎回俺たちを庇って、自分を傷だらけにして……自分をダメ人間だって思ってしまうんだ!だから……

ジェール:だから、ここから出たいんだ……そうすれば、あんたの負担にならないから……

フェジョアーダ:そうか……そういうことだったのか……でも……

フェジョアーダ:お前らは僕の負担じゃない、お前らは、僕の仲間だ!

ジェール:だったら、俺たちのためにイヤなことをするな!人に操られるな!

フェジョアーダ:!


 少年の言葉はまるでフェジョアーダの魂に響いたのか、彼は突然、自分の恨みと怒りがどこから来ているのかを悟ったーー操られ、嫌なことをさせられていたからだ……

 自由がないからだ。


フェジョアーダ:あまりにも長い間服従していたから……抵抗することまで忘れるとは……

ジェール:フェジョ……兄?


 無言のまま、フェジョアーダはステージ脇の空中ロープが繋がれた手すりのある場所まで歩いていた。あれを切れば……大勢の人が見ている中で、フェジョアーダはナイフを抜いた。


バスティラ:……そんな事させない!


 ロープを切れば、カイザーシュマーレンの身が危うくなる。主の身の安全を第一に考えたバスティラは、すぐにフェジョアーダの方へと駆け寄り、彼を止めるつもりでいた。

 しかし、バスティラフェジョアーダに触れようとしたその時、相手は突然振り返って刃を彼に向けた。


バスティラ:なんだって……?

フェジョアーダ:僕は彼らをここから連れ出す、でも、お前らのために何かすることはない。これ以上命令すると……

フェジョアーダ:まずはお前を殺して、次にお前の主を殺す。


 手にしたナイフはバスティラの首に強く押しつけられ、フェジョアーダの目は異常なまでの決意を示していたが、そこに憎悪や殺意はなく、執念と自由への渇望に満ちていた。

 今の彼は、もう誰にも止められない。


地獄の創始者


 バスティラは静かにフェジョアーダを見ている。相手の脅しに、その目は最初の驚きを除けば少しも動揺していない。


バスティラ:一人で私たちを殺せると思っているのか?

フェジョアーダ:……

キビヤック:俺も、加勢する……もう二度と、彼らを傷つけるのを……許さない……


 キビヤックが子どもたちの前に出て、彼らを庇おうとしている。そこでようやくシェリーもステージにたどり着いた。


シェリー:スズメちゃんだけじゃないわ、この変態犯罪者どもはお姉さんに任せなさい!

フェジョアーダ:……お前は?

シェリー:ふふっ、私が誰であろうと関係ないわ、私が貴方の味方であることが分かれば十分よ。

シェリー:そちらの方、どなたか知らないけれど、子どもたちを困らせるなんて、少し見苦しいわね。

カイザーシュマーレン:ビクター帝国の方ですね。この子たちを困らせるつもりはないですよ、今の状況を見てください、彼らは自分たちを罠にかけ、自分たちを困らせているだけではないですか。

フェジョアーダ:……困らせるつもりがないのなら、僕たちを行かせてくれ!

カイザーシュマーレン:どうぞ。

フェジョアーダ:……!


 フェジョアーダは、バスティラから安全な距離離れるまで、躊躇いながら後退した。相手も攻撃する気はなく、ただ無関心に見ていた。

 カイザーシュマーレンが言ったことが事実であることを確認したフェジョアーダは、バスティラにまた複雑な表情を浮かべた。


フェジョアーダ:……悪かった。

バスティラ:……


 シェリーは、フェジョアーダが子どもたちを連れて出て行くのを見て、緊張していた神経が少し緩んだ。キビヤックに急に動かないようにと合図して、カイザーシュマーレンにこう言った。


シェリー:私の正体を知っているようだから、隠す必要はないみたいね。本来は逃亡犯を捕まえるために来たんだけど、今は……

シェリー:こんなに多くの大物たちを監禁し、幻覚で虐げるなんて……タルタロスの見学がしたいのかしら?

カイザーシュマーレン:ふふ、タルタロスの設計図はずっと前から見ています、出来上がった時にどんな風になるかはあまり興味がないですけれど。

シェリー:話せば話すほど、貴方を逮捕したくなるわね……タルタロスは極秘プロジェクトなのに、どうしてその設計図を見ることができたの?

カイザーシュマーレン:残念ながら、その時はコピーを持って帰らなかったので、今となっては証明できません。それに……私をタルタロスに連れて行くのは、貴方たちでは無理でしょう。

カイザーシュマーレン:貴方たちが無事ここに潜り込めたのは何故だと思いますか?

シェリー:……貴方は一体何者かしら?

カイザーシュマーレン:一番難しい質問をしますね。そうですね、私は何者なのでしょう?あまりに多くの肩書を持っているので、自分でもわからなくなっています……

カイザーシュマーレン:かつては人に利用された道具であり、無数の命を踏みにじって王位についた君主であり、そして今……

カイザーシュマーレン:この地獄を広げたいだけです。


 彼は目の前の地獄のような光景を眺めた。笑顔ではあるが、その目はいつになく冷たかった。

 おそらく彼はこんな地獄にも、満足していないのだろう……

 一方ーー

 フェジョアーダカイザーシュマーレンの条件でまだ迷っている時、ブリヌイはステージ上の数人の視線が突然自分の側、いや、ジェノベーゼに集中したことに気づいた。

 彼女はそれに気づかないジェノベーゼをちらりと見て、彼が何をしているのかわからないが、彼女はこの風変わりな上司の邪魔をしないようにした。


ブリヌイジェノベーゼ、誰かに狙われているようよ。

ジェノベーゼ:……どうせ、守ってくれないんだろう。

ブリヌイ:だから注意してるのよ。

ジェノベーゼ:もう少し時間をくれ。


 その手で素早く注射器に針を刺し、空気を絞り出すと、もう片方の手でチェダーチーズの肩の部分を押さえた。


ブリヌイ:何をする?

ジェノベーゼ:実は、チェダーは身体能力や戦闘力だけでなく、もっと多くの長所を持っている。彼の頭脳もとても賢いんだ、このように台無しにしてしまうのはもったいない……

ジェノベーゼ:幸い、食霊は人間とは違う。ケガが自力で治るように、脳みそを抜かれた傷でさえ、正しい方法を使えば……再生できる。

チェダーチーズ:再生……?

ジェノベーゼ:少し痛くなるかもしれない、どうしても僕を叩きたくなったら……控えめにして。

チェダーチーズ:お前、痛いのが嫌なのか?

ジェノベーゼ:いいえ……貴方があまりに早く動くと、僕は反応できず、針が折れて頭の中に残してしまうかもしれない。


 そう言って、チェダーチーズの頭部に針を強く突き刺した。


全ての始まり


魔導学院

実験室


チェダーチーズ:だから……こんな実験をして、何の意味がある?

ジェノベーゼ:世界を理解し、自分の限界を知ることができる。


 チェダーチーズが毎日投げかける質問に慣れているのか、ジェノベーゼは顔を上げずに答えた。その答えを聞いて、チェダーチーズはため息をつき、脱力して床にへたり込んだ。


チェダーチーズ:へぇ~魔導学院に弱みを握られて、無理矢理やらされてるんじゃなかったんだ。

ジェノベーゼ:ありえない、魔導学院は必ずしも実験をしなければならないわけではない。

チェダーチーズ:ならあいつらはどうしてこんなことをしているんだ?

ジェノベーゼ:……

ジェノベーゼ:それを聞いて何の意味があるんだ。

チェダーチーズ:俺がいるこの場所をもっと知りたい……とか?

ジェノベーゼ:貴方はここで働くことはない、だから知らなくていい。

チェダーチーズ:じゃあ、お前を知るために、お前の仕事場も知りたい、これでいいんだろう?

ジェノベーゼ:僕と貴方は、創造者と実験体の関係だ。感情的なつながりを築く必要はないし、お互いを理解する必要もない。

チェダーチーズ:なんだ、前に自由になりたいかどうか聞いたじゃないか、俺のことを気にかけてるくせに。

ジェノベーゼ:…………僕を恨まないのか?

チェダーチーズ:恨む?どうして?お前がいなければ、俺は存在しないのに。

ジェノベーゼ:だから、魔導学院を恨むのか?

チェダーチーズ:……ああーーまたハメられた。


 ジェノベーゼは、何かを考えているようだ。一瞬の動揺と葛藤の後、ようやく低い声で話し始めた。


ジェノベーゼ:本当の所、魔導学院を恨むべきではない、ここが全ての始まりではないから。

チェダーチーズ:どういう意味?

ジェノベーゼ:あらゆる組織、あらゆる勢力は、目的と意味のために存在するーーそれは自然にできるものではなく、誰かが作り出したものだ。

チェダーチーズ:魔導学院も?

ジェノベーゼ:魔導学院だけではない。ティアラ大陸のあらゆる組織に、あの家が入りこんでいる……

チェダーチーズ:あの家……?

ジェノベーゼ:そうだ、あの……


 その記憶は、チェダーチーズが突き刺さるような激しい痛みを感じると共に、ピタリと止まった。彼はたまらず自分で注射器を抜き、つい無意識にジェノベーゼを蹴り飛ばしてしまう。

 ジェノベーゼが反応する間もなく、次の瞬間にはチェダーチーズに馬乗りにされた。チェダーチーズは片手にナイフを持ち、もう片手でジェノベーゼの口を強く押さえている。


チェダーチーズ:ステージ上で皇帝のように見下している男は、俺の道具だ……目的を達成するためには、彼に信用される必要がある、だからこれからもバカを演じ続けなくちゃいけない……わかった?

ジェノベーゼ:……貴方の目的は?

チェダーチーズ:魔導学院を支える力、あの一族……俺が全てを暴いてやる。

ジェノベーゼ:それがどれほどの代償を伴うか、わかっているのか……

チェダーチーズ:心配してくれているのか?はは、嬉しいな……残念ながら、俺はもうお前には関係ない。

ジェノベーゼ:僕が注射した薬では、完全には回復できない……必要ならば、「カーニバル」に来るといい。


 ジェノベーゼチェダーチーズはの目つきから、彼の決意と焦りを感じ取った。決意を変えることはできないと思い、それ以上は何も言わず、相手を突き放して腹を強く蹴った。

 チェダーチーズは彼を解放し、後ろの座席に倒れ込み、床に頭を強く打ち付けて、そのまま動かなくなった。


ブリヌイ:まさか死んじゃったの?

ジェノベーゼ:彼はそこまでバカではない……行こう、もう帰る時間だ。


撤退


 ステージ下の地獄を眺めながら、カイザーシュマーレンジェノベーゼの動きを常に注視していた。そして、チェダーチーズが相手との争いに敗れたのを見て、永遠に笑顔が刻まれている彼の顔に、ようやく不愉快な気配が走った。

 ステージ上の容赦ないシェリーに視線を落とし、思わず口調がぐっと冷たくなった。


カイザーシュマーレン:今、私と戦うのなら、時間を節約するために、手加減できないかもしれませんよ。

シェリー:情け無用だわ!キビヤック、あの姿を隠せる奴は任せたわよ!

カイザーシュマーレン:見逃してやろうと思っていたのに……残念です……


 ドンッ--

 出口の方から大きな音がして、全員思わずその方向を見たが、強い光しか見えなかった。

 そして、エンジン音が小さくなり、眩しさが薄れると、目の前にバイクと、それに乗っている2人の少年が現れた。


フェタチーズ:タイガー、後ろタイヤがパンクしてる……

タイガーロールケーキ:わざとじゃないって、ただ、初めてだから慣れてなくて……どうせチェダーのヤツにはいつもからかわれてたし、そのお返しってことで……

タイガーロールケーキ:皇帝!全部言った通りにしてきた!いつ火をつければいい?

シェリー:火……?!

カイザーシュマーレン:ああ、今お願いします。

タイガーロールケーキ:了解!


 フッーー

 少年がマッチをすってテントの外に投げ出すと、一瞬にして火がテントの中を駆け巡り、周囲を取り囲んだ。

 シェリーたちはすぐに耐え難い熱さに襲われたが、幻覚に浸っている人々はそれに気づかず、逃げようともしない。


シェリー:正気?!こんなに人がいるのに……それにここは草原よ!もっと酷い火災になるとは考えていなかったの?!

カイザーシュマーレン:大丈夫です、このテントの周りにだけガソリンを撒いて貰いました。貴方たちが消火に専念してくれれば、大火事になることはないでしょう。

カイザーシュマーレン:ただ……私にとっては、災害のようなものは酷ければ酷いほどいいです。

シェリー:一体、何がしたいのよ?!

カイザーシュマーレン:宣戦布告だ。

シェリー:???

カイザーシュマーレン:今夜、ティアラ大陸の名のある全ての組織に対し、宣戦布告をします。

カイザーシュマーレン:平和はやがて終わり、一生平和に豊かに暮らせると思っていた人たちは、やがて天国から墓場へと落ちていくだろう……

カイザーシュマーレン:この人たちのうめき声や叫び声が聞こえますか?それらは、ほんの始まりに過ぎません。

カイザーシュマーレン:次にひれ伏しながら喚くのは、貴方の主ですよ、お嬢さん。

シェリー:なっ……殺してやるー!!!


 シャンパンの話が出た瞬間、シェリーは怒りに打ち震え、その目は猛烈な殺気を放ち、カイザーシュマーレンに突っ込もうとした。

 そして、相手を攻撃しようとしたその瞬間、大きな声が彼女を止めたーーポロンカリストゥスがいつのまにか到着し、シェリーの前で素早く彼女の動きを封じたのだ。


ポロンカリストゥスシェリー!やめろ!

シェリー:どけ!!!あのクソ野郎をぶっ殺す!

シェリー:よくも陛下を侮辱しやがって、絶対にこの手で殺してやる!

ポロンカリストゥス:やめろ、これも陛下の命令だ!

シェリー:なっ……?!

ポロンカリストゥス:陛下の名誉を守りたいのはわかるけど、撤退が陛下の指示だ……それとも、陛下が本当にあいつの言うように、彼の前に跪いて慈悲を乞うとでも思っているの?

シェリー:そんな訳ないでしょう!……チッ、帰るわ!


 まだ怒りはおさまらないが、シャンパンの指示に従うことの方がシェリーには一番大切だった。仲間とまだ泣き叫びながら逃げている人々を無視して、彼女はテントを出て行った。


キビヤック:火は……どうする……氷で……

ポロンカリストゥス:せっかく治ったのに、力を使いすぎて暴走したいのか?

キビヤック:だけど……でも……

ポロンカリストゥス:だけどもでももない、火災処理の専門家がすでに向かっている、私たちがここにいても、面倒を掛けるだけだ。

キビヤック:じゃあ……この人たちは……どうすればいい?

ポロンカリストゥス:運が良かったら脱出できると思うけど、もしできなかったら……人はいつか死ぬ、私たちではこの人数を救うことできないし、そもそも彼らは……

ポロンカリストゥス:まあいい、まず戻ろう、陛下が待っている。

キビヤック:……ああ……


創世日祭典


⋯⋯


サヴォイの皇帝になれ。


この大陸の最後の力を、手に入れるのだ。


全ては、一族のため⋯⋯一族のために、全てを捧げよ⋯⋯


嫌だ。


小さな場所に幽閉されるよりも、その小さな玉座の上で呪われた操り人形になるよりも⋯⋯


従順に、服従して、腐敗の沼に沈んでいくよりも⋯⋯


全てを破壊して、枯れ木と白骨の塔から、生まれ変わり、創造したい⋯⋯


例え作り出したのが、地獄だとしても。


 テントを取り囲む火は消えることなく、やがてテントの中にまで燃え広がった。人々は徐々に現実の痛みと共に幻覚から目覚めていたが、脱出するには手遅れだった……


カイザーシュマーレン:残念……私も人の痛みを喜ぶような変態ではないようだな。

カイザーシュマーレン:地獄、意外とつまらないな。なら次はもう少し面白くしてみよう。


 この地獄のような光景を見飽きたのか、カイザーシュマーレンもステージを降り、帰ろうとした。出口に着く前、チェダーチーズの隣で立ち止まった。

 その混乱の中でチェダーチーズは床に伏せたままだった。幸い、彼の席はもっと後ろにあったので、幻覚に浸っている人間たちに踏みつぶされることはなかった。


バスティラ:彼がさっきの食霊に勝てない訳がありません。

カイザーシュマーレン:ええ、わかっています。

ハカール:じゃあ、わざと相手を逃がしたってことかしら?それって、アナタの仲間として、忠実で安全という基準を満たさないじゃない。

ハカール:ここに置いていくの?

カイザーシュマーレン:そうだな……どうしたものか……


 彼は静かに立ち尽くし、チェダーチーズの寝顔を見つめる。

 彼にとって、チェダーチーズがどうしようもない危険因子であることは、既に明らかだ。しかし……


カイザーシュマーレン:本人が起きてから、判断しましょう。

バスティラ:……


 バスティラカイザーシュマーレンの決断に疑問を抱くことはない。彼はただ、黙ってカイザーシュマーレンチェダーチーズを抱き上げるのを見て、後を追ってテントの外に出て行った。

 火はまだ燃えている。サーカスの荒唐無稽で華やかな世界、高貴な者と低俗な者、偉大な者と罪深い者の魂を納めていた広いテント、魂の「ゆりかご」は、ついに炎の中で破壊されてしまった。


ハカール:壮観だったわ~皇帝陛下としての、いわばオープニングショーにちょうど良いわね。

カイザーシュマーレン:思っていたのと少し違ったが、結果的に悪くなかったですね……

カイザーシュマーレンタイガーロールケーキフェタチーズ、この2人は私たちの新たなパートナー、ハカールルーベンサンドです。それと、こちらは新しい仲間ーー鴨のコンフィさん。

タイガーロールケーキ:……あまり強そうには見えないけど。

フェタチーズ:タイガー……すみません、タイガーに悪気はないんだ……

鴨のコンフィ:大丈夫……


 例え悪気があったとしても、鴨のコンフィは気にしない。彼女はカイザーシュマーレンに目を向けるだけーーそれが彼女の目的だから。


鴨のコンフィ:なぜ罪のない人をこんなに殺すの……敵を作るだけではないの?

カイザーシュマーレン:罪のない?いや……この火事で死んだ人間は、伯爵、医者、科学者、王国大臣であり……

カイザーシュマーレン:同時に殺人犯、闇業者、密輸業者、サディストでもある。誰一人、無実の人はいない。

鴨のコンフィ:……国民のために悪を取り除いたとでも言いたいの?

カイザーシュマーレン:国民のため?いや、これが皇帝のあるべき姿だが、私は自ら皇位を放棄した。

カイザーシュマーレン:この観客たちは今夜、もう一つの共通の立場を持っている。その立場こそが、彼らを終局に導いた。


 燃え盛る炎を眺めていたが、その目は氷のように冷たかった。


カイザーシュマーレン:クレメンス家。

鴨のコンフィ:彼らは全員クレメンス家の人なの?

カイザーシュマーレン:ああ……彼らは努力してティアラというケーキに香り高いクリームを塗り、聖なるパラダイスとして彩ったが、その内部は腐ったウジ虫でいっぱいになっている。

カイザーシュマーレン:そして、私はウジ虫を駆除したい。例え……天国が転覆しても。

カイザーシュマーレン:では、次はティアラの皆に……地獄を見てもらいましょう。


しばらくして

ビクター帝国


 華麗な宮殿に、無数の食霊が集まり、創世日を祝っている。

 そして、埃だらけのシェリーたちが登場すると、すぐに注目を浴びた。


ブランデー:お前ら……吹き飛ばされたのか?

シェリー:……誰のためにこんな苦労したと思ってるのよ。いい加減にして、人手が足りないって言ってたでしょう?お酒を飲む人が足りないって意味だったのかしら?

ザバイオーネ:せっかくの創世日だから、囚人たちもリラックスして過ごしたいと思ってな。

ブランデーシャンパンへの手紙には、創世日の後に行動してもいいってちゃんと書いてあったのに……文句があるなら彼に言え。

シェリー:……陛下のご意思がすべてだわ。文句があっても、貴方たちにしか言わない。


 冷たく言い放ち、シェリーは人ごみの中でシャンパンを探し始めた。


ポロンカリストゥス:はぁ、こんな姿で祭典に現れ、陛下に報告しなければならないとは……シェリーちゃんが怒るのも無理はないね。

キビヤック:祭典……創世日……?

ポロンカリストゥス:ああ、ティアラ最大のお祭りのことだ。そう言えば、君は初めてだったね……今日大変だったから、特別に……たっぷり楽しませてあげるよ。

キビヤック:うん!

ポロンカリストゥス:ついて来るだけでいい、そんなに近づくな!

キビヤック:うん!


 一方ーー祭典でシャンパンを見つけるのは難しくはなかった。シェリーはやや躊躇いながら彼に近づき、初めてこんなに深く頭を下げた。


シャンパン:帰ってきたか……シェリー、ご苦労だった。

シェリー:お役に立てて光栄です。ただ、何故陛下は突然、撤退命令を出されたのでしょうか……

シャンパン:仕事は祭典が終わってからにするといい。フォンダントケーキが着替えを用意してくれた……とりあえず、今は祭典を楽しんでくれ。

シェリー:わかりました……ありがとうございます!


 その言葉を聞いたシェリーは、すぐに機嫌を直し、命令を実行するかのように、迷いを捨てて小走りで休憩室に駆け込んだ。


サンデビル:陛下の目的は、シェリーが帝国に潜入しているスパイであるかどうかを確かめるためだと、わかってはいますが……

サンデビル:あんな姿を見てしまうと、やはり少しかわいそうに思える……

シャンパン:少なくとも、無実を証明した今、当分彼女は信用できる……補償は、後でゆっくりとやろう。

サンデビル:それと、レポートにある……貴方を脅した連中について、このまま逮捕状を出してもよろしいでしょうか?

シャンパン:急ぐな……この糸をたどれば、もっと大きな魚が釣れるかもしれない。それに……

シャンパン:あいつは、どの組織にもあの一族の勢力が潜り込んでいると言っていた……その勢力を全て摘発するため、まずあいつを利用した方がいいかもしれない。

シャンパン:このシャンパンに頭を下げさせようとしているのか?フンッ、それは彼が今やろうとしている事よりも難しいぞ。

フォンダントケーキシャンパンシェリーちゃんにはなんて衣装を用意したのですか!私が用意したと言うなんて!祭典であんな醜いスーツを女の子に着せるわけがないでしょう!

シャンパン:…………

シャンパン:コホンッ、とりあえず法王庁の者に挨拶してくる、では。

フォンダントケーキ:ちょっと、シャンパン、待ってください!ちゃんと話を聞かせて!

サンデビル:……陛下に頭を下げさせるのは、それほど難しいことじゃないようだ……


 シャンパンフォンダントケーキが人ごみの中で追いかけっこをしているのを見て、サンデビルは微笑みながら首を横に振った。誰かが誤ってワイングラスを倒し、たまたまテーブルにしゃがんでいたウサギのロボットにこぼしてしまったようだ。


イースターエッグ:わっ!ぼくの新作が!どいてよ!こいつは壁もぶち壊せるんだよ!

フィッシュアンドチップス:え?なんですか?あぁ!ウサギが僕のワインを盗んでいます!

ヴァイスヴルスト:バカ!イースターエッグのロボットが暴走しているんです、はやく止めてください!

白トリュフ:ん?帽子に何か当たった?

テキーラ:……マティーニ!他人の帽子から矢を抜いてください!!!


 祭典は一瞬で大混乱に陥った。人々は叫び、追いかけ合い、やがて笑い合い、じゃれ合った。遠く離れていた組織たちが、今では楽しげで生き生きとした姿を見せている。

 これこそが、創世日を祝う意義なのかもしれない。


サルミアッキ:うわ……騒がしい……まるで、獣だらけの、ジャングルみたい……

ポロンカリストゥス:ははっ、これはこれは、楽しいパーティーだね~



 <ビーストパーティ>終

サイドストーリー

道案内


 どこかの小さな町の道端で、タイガーロールケーキは買ったばかりのガソリンをバイクの後部に固定し、背中を押さえてホッと一息ついていた。


タイガーロールケーキ:やっと終わった!フェタ、乗ろう!

フェタチーズ:このままだと……危ないかな……

タイガーロールケーキ:大丈夫、チェダーのバイク大きいから、フェタも痩せてるし、スペースは十分すぎるほど残ってるだろ。

タイガーロールケーキ:でも間に合うかな……早く乗って、急がないと。

フェタチーズ:うん……

???:子どもたち、それは危険すぎるんじゃないか?


 バイクで走り去ろうとした時、背後から突然、親切そうな、しかしどこか不愛想な声が響いて、タイガーロールケーキは思わず振り返った。


タイガーロールケーキ:君は……いや、誰が子どもだ!

???:ごめんごめん、見下すつもりはないんだ。ただ俺にとって、俺より背の低い者は皆子どもなだけだ。

タイガーロールケーキ:なんだって……?

パルマハム:ボス、口下手だったら喋らなくていいよ……


 この時初めて、タイガーロールケーキはその青年の後に他に3人がついていることに気づいた。


ムサカ:このままでは確かに危険だ、バケツに縛り付けるためのツタをあげよう。

タイガーロールケーキ:あれ?おお……あっ、ありがとう……

スブラキ:ツタ……ツタがあるのに!ムサカじゃないって……

ムサカ:ツタを持つ者が全員、君が言うムサカという者なのか?

スブラキ:ぐぅ……も、もちろん違うけど……ごめんなさい……

ムサカ:……怒ってない。

スブラキ:えっ?


 その言葉に、それまで思い悩んでいた少年の目が一気に輝き、タイガーロールケーキは一瞬、少年の背後で尻尾が揺れているのが見えた。


タイガーロールケーキ:なんだよ、わけわかんない……

タイガーロールケーキ:急いでるんだから、今すぐ行かないと。どこに住んでいるの?後でツタを返しにいくよ。

ムサカ:返さなくていい。

タイガーロールケーキ:そう……じゃあ、またいつか!


 そう言って、タイガーロールケーキフェタチーズを車に乗せて走り去った。そして、彼らが去った後、あの青年は突然、自分の頭を叩いて後悔した。


???:しまった!パラダイスサーカスへの道を聞きたかったんだ!あの子たちをからかってたら、すっかり忘れた!

パルマハム:だからボスってば……

???:ハハッ、大丈夫!自力で探した方が達成感があるだろう!それに……俺には「悪魔の眼」もあるし!


ルールを尊重する


タルタロス大墳墓

典獄長オフィス


ブランデー:とある囚人を解放したのに、その理由は教えてくれないのか……

ブランデー:そんな不平等な条件に、我が応じるとでも思うか?

ザバイオーネ:君の御侍が何故死んだのか、知りたくはないのか?

ブランデー:……

ザバイオーネ:そんな顔をするな、俺も知らない。だから……あの囚人を解放して、捜査に協力させたんだ。

ブランデー:囚人を解放することが真相に繋がると、どうして確信できるんだ?

ザバイオーネ:サドフがどうやって君を見つけたか、知っているか?

ブランデー:……その話、詳しく聞かせてくれ。

ザバイオーネ:彼はタルタロスの設計の参考のため、世界中の監獄を訪れていた……何十箇所の監獄を見た後、とあるあまりにも普通すぎる監獄が彼を拒否したのだ。

ザバイオーネ:しかし、訪問を許されない分、この監獄は何か変だと感じるようになった。そこで、彼は帰るフリをして、隠れて監守の会話をこっそり聞いていたーーそこは、クレメンス家が所有する監獄だった。

ブランデー:クレメンス家……聞き覚えがあるな……

ザバイオーネ:名家は、多かれ少なかれ世間に知られている……その後、サドフがタルタロスの典獄長を探している時、クレメンス家の人々が何度も、「私を選んで」と言いながら、サドフの前に現れたそうだ。

ザバイオーネ:その時、サドフはふと、自分が入ることを許されなかった監獄のことを思い出した。当時、そこに捕らわれていた特別な囚人は、ブランデー典獄長、君だったのだ。

ブランデー:クレメンス家が自分たちの仲間を典獄長にしたかったから、サドフが監獄を訪問するのを拒否し、我の存在を知らせなかったということか?

ブランデー:でも、どうしてサドフが我を選ぶとわかったのだ?そして……あの監獄に入れられるのも、我自身の意思で決めたこと。もしかして、彼らに予知能力でもあるのか?

ザバイオーネ:どうだろう。あれだけの家なら、予言者がいてもおかしくない。

ブランデー:だから……我の御侍の死は、あのクレメンス家と関係があると言いたいのか?

ザバイオーネ:決定的証拠は、君と接触した後、サドフがもう一度君と君の御侍を調査した……君の御侍は間違いなく善人で、多くの人々から尊敬され、慕われていたが、唯一のトラブルは……

ザバイオーネ:クレメンス家の息子と婚約者をめぐっての争いだった。

ブランデー:そんな事もあったな……これは確かに確実な証拠と言える。

ザバイオーネ:それで?ブランデー典獄長の判断は……

ブランデー:……助けはしないが、見て見ぬフリはする。他には……特にオイルサーディンには、きちんと処理して、何も気づかせないようにしてくれ。

ザバイオーネ:なんだ、彼に怯えているのか?

ブランデー:違う、彼の「規則」を尊重したいだけだ。こういう茶番は、我ら二人でやれば十分だ。

ザバイオーネ:もちろん、珍しく意見が一致したね。


しばらく内緒


創世日の前夜

帝国宮殿外


白トリュフドーナツ、迎えに来てくれてありがとうございます、そうでなければ、もっと時間がかかっていたかもしれません。

ドーナツ:いいえ、どうせ通り道でしたので……

ドーナツ:ヨークシャーも、お久しぶりです。しばらく挨拶できていませんでしたね、ここ最近元気ですか?

ヨークシャープディング:ヒッ!お、おかげさまで元気です!

ドーナツ:それは何よりです……でも、何だか顔色が悪いみたいですね?

ヨークシャープディング:へぇっ?!そっ、そうですか……?

ホイメン:はは!ヨークシャーはきっと昨夜ソワソワしすぎて、よく眠れなかっただけだべ!

ヨークシャープディング:えっ?そ、そんな……!

ホイメン:きっと創世日祭典が楽しみで……

ヨークシャープディング:軍団長様にお会いするのが待ちきれなくて興奮している訳じゃないです!

ホイメン:……

ドーナツ:……

白トリュフ:……あら……これはこれは……

ヨークシャープディング:うぅ……そ、そういう意味じゃ……その……

ドーナツ:ふふっ、わたしに会うのを楽しみにしていてくれて、嬉しい限りです。最近色々忙しいので、なかなか会いに行けませんでしたからね。

ヨークシャープディング:いやいや!わたしを覚えてくださっているだけで満足です!

白トリュフドーナツはもちろんヨークシャーのことを覚えています、何度か会った時、ヨークシャーのことを聞いてきましたし。

ヨークシャープディング:え?会った?いつですか……

ホイメン:ヨークシャーが図書館に夢中になってた時だべ。モンブランたちが騒がしいから中に入らせなかった、でも外から呼んでも聞こえねぇし……

ホイメン:ヨークシャー?どげんしたん?

ヨークシャープディング:まさか、まさか軍団長様にお会いできる機会をそんなに逃していたなんて……

ヨークシャープディング:ああ……わたし、なんて愚かな……!

ドーナツ:愚か?ペリゴール研究所の本のほとんどは難しくて、プロローグすら読み切れない本もあるのに、こんなに夢中に読めるあなたが愚か者ならば……

ドーナツ:わたしは救いようのない愚か者ですね。

ヨークシャープディング:そ、そんな!軍団長様は、わたしが出会った中で最も聡明で、最も勇敢なお方です!

ドーナツ:褒めてくれてありがとうございます、でも……呼び方を変えてくれませんか?軍団長様だなんて、少しよそよそしすぎます。

ヨークシャープディング:あっ、じゃあ……ドーナツ……様……

ドーナツ:やはり「様」が捨てられませんか……大丈夫、ゆっくりでいいですよ。

ドーナツ:次回作を期待していますよ、ヨークシャー先生。

ヨークシャープディング:!!で、できるだけ早く完成させます!い、今から書きましょう!

ホイメン:あ、そういや、ヨークシャーちゃんがこの前書いた話、すっげぇ面白かったべ!軍団長と司書の恋物語……ぐぅう!


 ホイメンの言葉が終わる前に、白トリュフに口を塞がれた。


白トリュフ:ふふ、その話については、ドーナツの前では内緒にしておきましょう~


アクシデント・リハーサルⅠ


 キビヤックだけでなく、新人の鴨のコンフィも引き継ぐことになったフェジョアーダは、一瞬怒りを抑えきれなくなった。


フェジョアーダ:開演まで時間がないのに2人の新人を……そのうちの1人は傷だらけ……

フェジョアーダバスティラの奴、サーカスを老人ホーム扱いかよ?!

キビヤック:俺たち……老人、なのか……

鴨のコンフィ:精神年齢の話なら、何の問題もないけど……

フェジョアーダ:……傷だらけだから、難しい技はできないな……

フェジョアーダ:蛇は怖いか?怖くないなら、蛇ダンスはぴったりだな、トロッコに座って蛇を持ち上げるだけでいい。

鴨のコンフィ:蛇…………どんな蛇?

フェジョアーダ:持ってくるから待ってろ。


 しばらくして、フェジョアーダはトロッコを押して戻ってきた。


フェジョアーダ:これはサーカスの中で一番小さい蛇だ。まずは持ってみろ。

鴨のコンフィ:……毒は?

フェジョアーダ:ない。残酷だけど……歯は前のオーナーに全部抜かれたんだ、お前にとって幸いなことだろうけど。

鴨のコンフィ:哀れな命……じゃあやってみる、死なないなら問題ない……

鴨のコンフィ:あっ……忘れていた、まだ手首が折れたままだ……

フェジョアーダ:おい!手放すな、あいつ逃げ足は速いんだ!

鴨のコンフィ:ごめん……もう持てない……

フェジョアーダ:!!!

キビヤック:まずい……俺も、手伝い……


 ドンッ--

 蛇を捕まえることに集中していたキビヤックは、正面から木箱に激突した。無意識のうちに横の何かに掴まろうとしたが、誤ってフェジョアーダが持ってきたばかりのトロッコを押し倒してしまった。

 蛇が積まれた檻が一斉に倒れてしまった……


フェジョアーダ:!!中には毒蛇がいるんだ!早くどけ!!

キビヤック:ど、毒蛇を……逃がす訳には……いかない……


 キビヤックは必死の思いで手のひらを地面に押し当て、逃げる蛇を一瞬にして凍らせた。


キビヤック:これでいい……氷は……役立った……

フェジョアーダ:……ああ、役立ったじゃないか。一緒に蛇を氷から摘み取ってくれ、二度と逃がさないようにな。

キビヤック:つ……摘み取る……?

フェジョアーダ:じゃないと、ここで凍らせておくつもりかよ?ここの蛇は力が強いんだ、逃げないうちに急げ。

キビヤック:……

フェジョアーダ:なに、本当にスズメなのか?蛇が怖い?

キビヤック:いや……噛まれた……みたい……

フェジョアーダ:はぁ……?!おい!しっかりしろ!ここで死ぬなー!


アクシデント・リハーサルⅡ


 うっかり毒蛇に噛まれたキビヤックは、昏睡状態に陥ったが、食霊である彼はすぐに自力で毒が抜け、次第に意識が戻ってきた……


鴨のコンフィ:まだ起きてない。やはり、足を切り落とそうか。

フェジョアーダ:い、いくら食霊でも、足を丸ごと再生するのは無理だろ?

鴨のコンフィ:大丈夫、今の義肢はよくできている。何しろ……生きていることが大事。

フェジョアーダ:とは言え……おい!もう一度考え直そう!まずはそのナイフを置け!

キビヤック:……

鴨のコンフィ:あら?目覚めた?

キビヤック:うん……ナイフ……下ろしてくれる?

鴨のコンフィ:ええ、失礼した。

フェジョアーダ:ふぅ……無事で良かった。僕と鴨のコンフィで蛇を全部回収した、ちなみに彼女のショーはヘビダンスに決まったから、残りはお前だ……

フェジョアーダ:そのアザラシ……パフォーマンスできないか?

キビヤック:ダメ……ヒョウは、俺の、仲間だ……

フェジョアーダ:まあ、僕も動物ショーは嫌いだ……

フェジョアーダ:そうだ、外でアイスクリームを売るのはどう?

キビヤック:外?ダメだ……俺はサーカスの中に……いないと……

フェジョアーダ:あ?なんで?

キビヤック:それは……あっ。


 その時、彼はようやくここに来た目的を思い出したーー脱獄犯の手がかりを探すことだ。


キビヤック:(でも……シェリーは、脱獄犯の写真を、見せてくれなかった……)

キビヤック:(やはり、俺に脱獄犯を捕まえられるって、期待していないのか……)


助けてほしいⅠ


数日前

パラダイスサーカス


 ショーが終わって騒ぎが収まると、テントの裏側で鞭を打つ音が一際大きくなる。


サーカスオーナー:このクソガキが!何度言ったらわかるんだ!客が何を言おうが何をしようが、笑顔でいろって!笑顔で!

サーカスオーナー:お前はサーカス団員だ!檻の中の動物たちと何ら変わりねぇ!まさか自分がお嬢様だとでも思ってんのかぁ?お前の役目は客を喜ばせることだけだ!

サーカスオーナー:今度逆らったら、笑うことしかできなくなるように口を縫うぞ!聞いてるのか!

フィル:わ、わかった!あぁーーイタッ!痛いよ……お願いだからやめて……

フェジョアーダ:やめろ!何してる!


 ショーを終えたフェジョアーダは、フィルがいないことに気づき、何かおかしいと思った……幸いなことに、間に合った。


フェジョアーダ:フィル、大丈夫か?

フィル:うう……フェジョアーダお兄ちゃん……

サーカスオーナー:どけ!お前も叩かれたいのか!

フェジョアーダ:……稼ぎが悪いからって八つ当たりするのか?だったら、誰を叩いても同じだろう、僕を叩けばいいだろ!

フィル:お兄ちゃん……

フェジョアーダ:大丈夫だ、フィル……いいから、アイシャのところに行って薬を塗ってもらおう。

フィル:ううぅ……ご、ごめんなさい……


 恐怖と無力さゆえに、少女は泣きながら逃げ出した。その後では、罵声と鞭打ちの音が嫌でも聞こえてくる……


サーカスオーナー:フンッ、自分で叩かれたいのなら、容赦なくいかせてもらう!お前も役立たずだなぁ!この程度の客しか呼べないのか、売上でギャンブルすらできねぇなんて!

サーカスオーナー:この役立たずめ!何のために食わせるんだ!チクショー!


 少女は傷ついた体の痛みに耐えながら、片隅に隠れていた。寒さと恐怖に包まれながら、彼女はふと、希望が見えた夜のことを思い出した。


───


観客の子ども:……外の世界は広いよ。サーカスは世界中を旅しているんでしょ?行ったことないの?

フィル:オーナーは、私たちが逃げるかもって、外に遊びに行かせないの……

観客の子ども:それは残念だな……そうだ、ナイフラストには願いを叶えてくれる酒場があるの、知ってる?願いが強ければ、どんなものでも叶えてくれるんだ。

フィル:ほ、本当に?助けて欲しいなら、どうすればいいの?

観客の子ども:手紙を出せばいいんだよ!

フィル:て、手紙……でも私、字が書けないの……

観客の子ども:え……そうなんだ……大丈夫!私が書いてあげる!私も書ける文字は多くないけど……

フィル:お願い!助けてください!

観客の子ども:いいけど、今日は紙とペンを持ってないし、ここには封筒もなさそうだし……今度来る時にしよう?

フィル:じゃあ、絶対に、また来てね!

観客の子ども:うん、安心して!今度は辞書を持ってくるから、願い事をたくさん書いてあげるよ!

フィル:そんなに多くの願い事はない……私はただ、ただ、誰かに来てもらって、私たちを救って欲しいの……


───


フィル:お願い……誰でも良いから……私たちを助けてください……


助けてほしいⅡ


ミネラルオイスター:チッ……こんなところでしか叶えられない願いってなんだ?

パスタ:それが気になるから、わざわざここまで来たんだろう。

ミネラルオイスター:でも、今回の願いはルール違反だろ。普通は、依頼人自身が書いたものじゃなきゃいけないのに。それに……

ミネラルオイスター:「助けを待ってる子どもがいる」って……どんな願いだ?

パスタ:サーカスの子どもたち、様々な身分の客……ちょっと連想したら犯罪物語が出来上がるな、ついでに貴族も狩れるか。

パスタ:君も助けを待ってる子どもがいると聞いて、すぐに一緒に来たのでは?

ミネラルオイスター:コホンッ……くだらないことを言うな、サーカスはこの先だ、早く……


 その言葉が終わらないうちに、突然、聞き覚えのある歌声が聞こえたきた……


ビール:むかしむかし、あるところに、お話を聞くのが嫌いな子がいました……

ハンチ:おい!俺のことをネタにしてるのか!もうやめろって!

ビール:その子はお話が嫌いで、誰にも語らせない~

ハンチ:うあああ助けて!もうやめてくれよ!

パスタ:……あれが助けを待っている子じゃないだろうな?

ミネラルオイスター:……もう、救いようがないな……

ビール:隠れないで、逃げないで、一緒に楽しい時間を歌おうよ~

ハンチ:誰か助けてーー


前日譚


ある日

フィナンシェの邸宅


フィナンシェ:さすが悪名高きウェッテさんだわ。アポも取らずに、急にアフタヌーンティーに来るなんて言い出して、誰もが彼と同じように暇だと思っているのかしら?

フルーツタルト:ふふ、彼のことになると、おぬしはいつも不機嫌になる。

フィナンシェ:招かれざる客が私たちアフタヌーンティーを邪魔するからよ、それに堂々と遅刻するとは……まあいいわ、新しい別荘の設計図が届いたの、一緒に見ましょう。

フルーツタルト:いいわよ……ふふ、ずいぶん広そうだ。

フィナンシェ:街で一番有名な建築家に設計してもらったわ、気に入ったかしら?もし気に入らなかったら、彼に払った報酬を騙し……

フィナンシェ:あら、騙すではなく、取り戻すわよ~

フルーツタルト:ふふ、気に入ったわ。でも……どうやって「物々交換」でお金を取り戻すのかも気になる。

フィナンシェ:やはり、マダムと私は似た者同士だわ~


 静かな庭に突然足音が聞こえ、二人の前に青年が現れた。


ウイスキー:お邪魔でしょうか。

フィナンシェ:チッ、興冷めだわ。

フルーツタルト:ウェッテさん、ごきげんよう。先ほどのお話、あの面白いビジネスがどんなものなのか、早く聞きたい。

フィナンシェ:もし、中身のない話だったら……わかっているわね?

ウイスキー:ふふ、ご安心ください、きっとご満足いただけます……

ウイスキー:何しろ、これはマダムの最も愛する物語に関連しているものでもあります。

フルーツタルト:おや?

ウイスキー:もし「時間罪歌」に前日譚があるとしたら、それを知りたくありませんか?

変なお客さん


夕方

パラダイスサーカス


スフレ:ここに……マダムが望むものがあるのか……

スフレ:サーカスからこんな悲鳴を上げるのは普通なのか……少し、おかしいな……


 彼はテントに近づこうとしていたが、テントから聞こえる悲鳴に思わず後ずさりしてしまった。躊躇している間、聞き覚えのある声がした。


オペラスフレ……?

スフレ:えっ?


 その姿を見たスフレは、珍しく笑顔を見せた。


スフレオペラ!お、お久しぶりです……ここで何をしているんですか?

オペラ:歌劇を聴きに来たお客さんに、サーカスの演目が参考になると勧められた……いや、そんなことを言ってる場合ではない。

オペラ:このサーカスは何か変だ、できるだけ早く出て行った方がいい。

スフレ:そうか?ちょうどいいと思っていたのに。


 スフレの口調が急におかしくなり、まるでさっきまでとは別人のようになった。オペラはこの状況に慣れているのか、目が冷たくなった。


オペラ:……また君か。

スフレ:ハッ、さっきは嬉しそうだったのに、どうして俺を見た途端そんな顔してるんだ?

オペラ:だって、君は私の知っているスフレとは違うから。

スフレ:俺は確かにあの弱虫めじゃないが、体を共有している……そうだ、今、このサーカスが何か変だと言っただろう?

オペラ:……何をするつもり?

スフレ:もし、俺がこのサーカスに入ってから、あの弱虫と入れ替わったら、どうなると思う?

オペラ:何だと!


 スフレは口角を上げ、テントの中に潜り込んだ。相手が何をするか分からないので、オペラも仕方なく彼について入っていた。


オペラ:こ、これは……

スフレ:ハハッ、なんて素晴らしい!

オペラ:もういい、早くここを出ろ……


 オペラの忠告を聞かず、スフレは幻覚によって気絶した貴族の前にしゃがみ込み、血だまりを手でかき混ぜた。


スフレ:お前の怖がる顔も、おもしれーな……


 彼は冷静にオペラの前に歩み寄り、その白い顔に指で血を塗ったが、オペラの冷めた表情を見て、不愉快な顔をした。


スフレ:でも、あの弱虫が傷つくことだけを恐れているみたいだな……つまんねえ。


 言葉を発すると同時に、赤い瞳は禍々しさが薄れ、オペラが見慣れた姿に戻った。


スフレオペラ?こ、ここは……その血!

オペラ:……大丈夫、これは私の血じゃない……とにかく、ここを出よう。


「救う」


 バニラマフィンはテントの外に立ち、中の暗闇を覗き込みながら、何かに悩んでいるようだった。


バニラマフィン:…………

カイザーシュマーレンバニラマフィン?何の用ですか?


 見つかってしまった以上、隠れていても仕方がない。少し躊躇した後、バニラマフィンはテントの中に足を踏み入れた。


カイザーシュマーレン:どうした?顔色が悪いですね。

バニラマフィン:こ、今夜のショーについて……

カイザーシュマーレン:緊張しているのですか?

バニラマフィン:ふぅ……そうだけど、それだけじゃない……

バニラマフィン:本当に、あの人間たちを殺さないといけないの?

カイザーシュマーレン:マフィン……私が話したあの物語、覚えていますか?

バニラマフィン:はい……

カイザーシュマーレン:今夜、サーカスに来る人間は、みんなチェス盤の上の駒だ。彼らを取らなければ、彼らは貴方の仲間とより多くの無実の人々を取ってしまうだろう。

カイザーシュマーレン:傷つけるんじゃなく、くだらない加害行為を止めてるんだ、わかりましたか?

バニラマフィン:わ、わかってるけど……私たちは、彼らと同じやり方で、彼らを止めなければならないの?

バニラマフィン:もしかしたら、もっといい方法があるかも……

カイザーシュマーレン:残念ながら、時間が足りない、今はよりよい方法を探す余裕もないです。

カイザーシュマーレン:あの子どもたちのことを考えてみるといい、このサーカスで1秒でも多く過ごすことは、彼らにとって拷問に等しいことだ……

バニラマフィン:わ、わかった。


 カイザーシュマーレンは、バニラマフィンの徐々に決意を固める目を見て、満足したように微笑んだ。


カイザーシュマーレン:私たちのやることは、単に無意味に傷つけるのではなく、救うということを常に忘れてはならない。

カイザーシュマーレン:私たちがやることは全てには、意味があるのですよ。


情報


創世日の前夜

帝国応接室


クロワッサン:単刀直入に言いますが、手紙に書かれている手がかりとは?

シャンパン:……ちょっと急ぎすぎないか?

クロワッサン:法王庁に関わることなので、急ぐ必要があります。

シャンパン:それは法王庁に関することか、それとも司教を継ぐ直前に……堕化した食霊のことか?

クロワッサン:……

シャンパン:誤解するな、他意はない。ただ、法王庁だけでなく、これはナイフラスト、さらにはティアラの各組織にも関わることだ……

シャンパン:先に「手掛かり」を見つけても、急いで燃やさない方がいい、何かにつながるかもしれないから。

クロワッサン:……それは知っています。

シャンパン:今日、一通の匿名の手紙が届いた。俺に届けられたということだけで不思議なのに、さらに信じられないのは……

シャンパン:それは5000人の名前が書かれたリストだ。

クロワッサン:5000人……?

シャンパン:名前を挙げられるほぼすべての組織がリストに載った、それに……法王庁の前司教の名前も。

クロワッサン:それは何のリストですか?

シャンパン:クレメンス家のメンバーだ。リストにある人、全員が。

クロワッサン:クレメンス家?……聞いたことはあります、確か有名な貴族ですが……どうして?

クロワッサン:他の組織はどうかわかりませんが、法王庁は司教を厳しく選別していて、同時に他家にも所属することは考えにくいです……

シャンパン:だから、あの司教は裏切り者だった。

クロワッサン:……

シャンパン:とにかく、この数字は実に恐ろしい。ただ、これだけの人数を組織に潜り込ませる目的は一体何なんだろう……

シャンパン:法王庁のことから判断すると、俺の勢力拡大に協力する好意からではないはずだ。

クロワッサン:いずれにせよ、早く解決した方が良いです……情報を共有してくれて、ありがとうございます。私も、クレメンス家について調べ始めましょう。

シャンパン:自分の手で調べるつもり?

クロワッサン:もちろん……必ずや、思い知らせてやります。


「カーニバル」


「カーニバル」


ブリヌイ:うーん、せっかく衣替えしたから、ボロジンスキーのお店に行ってみようかな~

ジェノベーゼ:……もうすぐ創世日だから、あまり騒ぐな。もうアクタックにドアを破られたくないから。

ブリヌイ:大丈夫よ、ドアを蹴られる度に、わたしとレッドベルベットがお金を出して修理してあげたでしょう?

ジェノベーゼ:毎回の元凶も貴方たちでは……

シーザーサラダジェノベーゼ様!おかえりなさいませ!

ジェノベーゼ:まだ退勤していないのか?

シーザーサラダジェノベーゼ様のお帰りを待っていました!えっ?ジェノベーゼ様!どうして怪我を?!

ジェノベーゼ:うん?


 シーザーサラダの視線を追うと、ジェノベーゼは自分の肩に小さな血痕があることに気がついた。


ジェノベーゼ:(おそらくチェダーに……)

ジェノベーゼ:大丈夫、大したことない、朝には勝手に治っているだろう。

シーザーサラダ:ダメです!感染したらどうするんですか?ジェノベーゼ様の部屋に消毒液があるでしょう?傷を手当してあげましょう!

ブリヌイ:ふふ、ドアボーイちゃんはジェノベーゼの部屋に入る口実が欲しいだけでしょう?

シーザーサラダ:そんな!俺はただ……

フォカッチャジェノベーゼ!帰ってきたか!ちょうど探してたぞ!オーナーが創世日特別メニューとして新しい料理を作ったから食べてみろって!

シナモンロール:あぁ……先を越されました!ジェノベーゼに新しい香りを試してみようと思っていましたのに……

ブイヤベースジェノベーゼ、温泉のお湯……熱くなくなったみたい……

レッドベルベットケーキ:せっかくみんな揃ったし、あたしの追加資金を承認してくれたらどうかしら?

ジェノベーゼ:…………

ジェノベーゼ:食べない、行かない、香りもわからない、温泉は僕の担当じゃない、申請は却下。

ジェノベーゼ:用事があるなら明日にして。


 そう言って、ジェノベーゼはまた数日部屋に閉じこもろうと、その場を立ち去ろうとした。しかし、彼の前に人影が現れた。


アクタック:明日まで待てない用事がある。今日、請求書を確認したら、何の費用か明記されてなく、「カギ」という文字だけが書かれているものがあった……

アクタック:無駄にカギを作ってどうするつもり?しかも、とんでもない金額だ。レストランの1日の売り上げに匹敵する。

ジェノベーゼ:……

アクタック:説明には時間がかかりそうだな……では、私のバーにでも行こう。


信頼


翌日

とある旅館


チェダーチーズ:……

カイザーシュマーレン:目が覚めたか?調子はどうですか?

チェダーチーズ:……お腹が痛い……

カイザーシュマーレン:見たが、お腹にアザもないし、痛いのか……それともお腹が空いただけですか?

チェダーチーズ:お腹が空いた……

カイザーシュマーレン:ふふ、では、何が食べたい?

チェダーチーズ:全部、食べたい……

カイザーシュマーレンバスティラ、何か食べ物を買ってきてくれませんか。

バスティラ:……はい。


 バスティラが出かけた後、カイザーシュマーレンチェダーチーズをベッドから起こすのを手伝った。彼の表情だけでは何を考えているのかわからないが、口調がいつもより優しいのは確かだった。


カイザーシュマーレン:この前にサーカスで、あの黄色い髪の食霊との間で何があったか覚えていますか?

チェダーチーズ:黄色い髪の食霊……?蝶々?

カイザーシュマーレン:そう、蝶々だ、彼は貴方に何か話しましたか?

チェダーチーズ:あいつんとこで一緒に遊ぼうって言われた!じゃないと俺が死んじゃうって!

カイザーシュマーレン:死んじゃう?彼はその理由を言わなかったのですか?

チェダーチーズ:だって、俺の脳は……それは……うぅ……思い出せない……イタッ!悪い蝶々だ!

カイザーシュマーレン:……無理しないで、まずは食事を。


 バスティラはすぐにたくさんの食べ物を持って戻ってきた。チェダーチーズは食事に集中している間、2人は無言で部屋を出て行った。


バスティラ:主人、チェダーチーズは嘘をついてるとは思いませんか?

カイザーシュマーレン:脳を損傷し、正気を保つのが限界だった彼に、まだ騙す力があったのなら……

カイザーシュマーレン:それはそれですごいことです。

バスティラ:……チェダーチーズは危険だと思います、少なくとも、危険である可能性があります。それに、あの怪しい鴨のコンフィまで引き受けてしまいました……これではリスクが高すぎます。

カイザーシュマーレン:単に平穏な生活を求めるだけなら、サヴォイやあの玉座から離れることはなかったでしょう。

カイザーシュマーレン:知ってるか、一番怖いのは敵ではなく、自分の「恐れる」という感情です。

バスティラ:……では、まだ彼を引き留め、あの食霊の「カーニバル」にさえ行かせるつもりなんですか?

カイザーシュマーレン:そうですね……チェダーが何かを隠していたことは、心の中ではわかっていましたが……

カイザーシュマーレン:でも、彼から殺意が感じられない。だから、彼のごまかしは自分を守るためのもの……

バスティラ:……私の主が、そんな直感だけで行動する人だったとは。

カイザーシュマーレン:ふふ、がっかりしました?

バスティラ:……ただ、どうしても彼を引き留める理由がわからないだけです。

カイザーシュマーレン:それは……


 カイザーシュマーレンは、今まであまりに醜い心を見てきたため、再び他人に信頼を置くことは難しかった。

 しかし、チェダーチーズは違う。彼には脳みそがないから、陰謀や策略もなく、カイザーシュマーレンが食べ物を与えてくれさえすれば、大人しくしてくれるし、信頼できる存在になれる。チェダーチーズカイザーシュマーレンが信頼できる唯一の存在だ。

 ただ、これはもちろんバスティラには言えない。


カイザーシュマーレン:私たちには、死ぬことを恐れない戦士が必要だから?

バスティラ:……

カイザーシュマーレン:ふふ、彼の圧倒的な戦闘能力のためだけじゃない。

カイザーシュマーレン:「カーニバル」の者と関係があることがわかった以上、これをうまく利用せずに追い出すのは、もったいないでしょう?


「ダークストリート」


ダークストリート

アンソニーのバー


アンソニー:あら、こんな小さなバーにイケメンが3人も集まる日が来るなんて~

アンソニー:何が飲みたい?今夜のご注文は全品5……いや、1割引きだわ!

ペルセベ:ここでの1割引きは、外での元々の値段だろ?

アンソニー:イヤだわボス、いつものちょっと高価な分は私の愛よ~

ペルセベ:安い愛だな。

アンソニー:もうっ!注文しないなら人の秘密を晒さないでよ。お2人はどうかな、何か頼んでみたら?

サンデビル:私は大丈夫……

ガナッシュ:オレはライムヨーグルト、グリーングラスホッパー、バーボンコーラ、ジンジャードリンク、カリフォルニアレモネード、あと……この大盛りアイスも!

ペルセベ:おい小僧、アイス以外何だかわかってるのか?

ガナッシュ:わからない!

ペルセベ:……アンソニー、こいつにオレンジジュースを。飲み終わったらさっさと帰れ。

ガナッシュ:えぇー!

アンソニー:えぇー!

ペルセベ:えぇー!ってなんだよ!

アンソニー:せっかくの太客なのに、どうして追い出すんだ……まあいいわ、私の運が悪かったのね……

ペルセベ:……まあ、あのガキはともかく……太陽の野郎、貴様は酒飲まないのになんでここに来たんだ。

サンデビル:貴方を探しに来た。創世日が近いので、陛下が創世日祭典に来てくれるかどうか聞きたいと……

ペルセベ:行かねぇよ。

サンデビル:……やはり。

ペルセベ:断るってわかってて聞きにきたのか?学校のもんはそんなに暇なのか?

サンデビル:実は……シェリーの任務に同行することのないよう、私は隠れる場所を探していたので……

ペルセベ:はぁ?なんだって?

サンデビル:いいえ、何も……用事がないなら来てはいけないというルール、ここにはないはずだ。

アンソニー:もちろんだわ~!知らないのね、もうすぐ創世日だからみんな祝日のために稼ぎに行っちゃったの、最近寂しかったわ……

アンソニー:どうせみんな知り合いなんだから、一緒に祝日を過ごそうよ。創世日が無理なら、前夜祭だけでも!

サンデビル:創世日は確かに少し難しい、ただ前夜祭なら……いいだろう。

アンソニー:最高、やっぱり貴方が一番だわ!

ガナッシュ:なんだよ!前はオレが一番って言ってたのに!

アンソニー:あらもう、貴方のことも好きだから!待っててね、アイスを持ってくるから!今日は冷えて風邪引くまで帰れないのよ~!


自由


早朝

パラダイスサーカス


 乱暴に扱われ、傷つけられても、そのテントはフェジョアーダの家だった。しかし、今は火事で焼けてしまった。今さらこれを嘆く暇もなく、火事を免れた彼は仲間の無事を確認することに必死だった。


フェジョアーダ:みんな!大丈夫?

ハンチ:ジェール、アイシャ、フィル……ハンチも!みんな無事!

フェジョアーダ:よかった……ぐぅ!

フィル:フェジョアーダお兄ちゃん、ケガが!

アイシャ:血、血がたくさん出てる……どうしよう……

フェジョアーダ:僕は大丈夫……まだここは安全じゃない、僕はもう歩けないから……お前ら、もっと先に行け……

ジェール:そんな!フェジョ兄、俺とハンチが一緒に支えてあげるから、一緒に行こう!

ハンチ:そうだよ!俺たち仲間だろう、一人にするなんてありえない!さあ、行こう!

フェジョアーダ:……ああ……


 残念ながら、子どもたちの体力はあまりにも弱く、長い時間歩いても隣町までとても遠く感じた。フェジョアーダはもう限界寸前だ……


アイシャ:眠っちゃダメだ、フェジョアーダお兄ちゃん。ママはこうして眠ってしまって、もう二度と目を覚まさなかったよ……

ハンチ:縁起でもないこと言うな、フェジョ兄さんは食霊だから、きっと大丈夫……

フィル:だけど、このままじゃ最寄りの町にも行けない……

???:こんにちは……おや、どうやら何か困っているようだね?

ジェール:な、何者だ?!

???:おっと、そんなに緊張しなくても、ちょっと強盗に見えるかもしれないけど……俺は良い人なんだから。

ジェール:良い人……?

フェジョアーダ:し、信用すんな……

???:うん……君、随分とひどい目に遭ったようだな。こんな時に強がらなくていいよ、一度俺を信じても大して損はしないよ。

???:命、助けてあげてもいい。

フェジョアーダ:……いらない。

???:いや、いるんだよ。俺は「悪魔の眼」で見たんだ。

フェジョアーダ:悪魔の……眼?

???:そうそう。未来を見通すことができる悪魔の眼で見たんだ……

???:君は俺に治され、生き続けて、そして真の自由を求めるために、俺の探検隊に入るんだ。

???:どうだ?俺と一緒に真の自由の地へ行かないか?


 その微笑んだ瞳に、なぜかフェジョアーダは真摯と希望を見たような気がした。そして、彼の言葉ーー真の自由の地は、その時フェジョアーダにとってとても魅力的なものだった。

 そこで彼は、「自由」をしっかりと掴もうと、必死で手を伸ばすことにした。



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