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シアオディアオリータン・エピソード

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シアオディアオリータンのエピソード

弦春劇場の琵琶琴師。年は若いが、琴は一流。彼は劇場でも人気者で、性格は賢くて可愛らしく、よく「シアオディアオリータンの話を聞くのは、彼の琵琶を聞くのと同じく心地がいい」と言われる。

Ⅰ.紅楼


長い通りに拍子木の音が響き渡ってくると、紅楼の琉璃灯が次々と灯された。

お香と化粧品の匂いが混じり合い、姉さんたちの笑い声と鈴の音が交じり合い、目眩がするぐらい賑やかだ。


しかし、その時、ボクはただ手に抱えたものに夢中で、鮮やかな景色の中を駆け抜けたら、親しい挨拶の声が絶えず耳に入ってくる。


シアオディアオリータン、そんなに慌てて、どこへ行くのぉ?悪いけど、ついでに手あぶりを取ってきてくれないかしら~」


「わかりました、月香姉さん。お届け物が終わったらすぐに行きます!」


「ふふ、シアオディアオリータン、この前、市場で買ってきてくれた簪、すごく素敵よ、ありがとうね。とても気に入っているわ」


「……うん!秋蘭姉さんが付けると、やはりボクの思った通りにステキですね!」


シアオディアオリータン、落ち着いて、ゆっくり行きなさい。この先には大切なお客様をお迎えしているのです、裏門から出て行ってよね」


「あ、わかりました、桂姉さん、ありがとうございます!」


回廊を抜け、のれんをめくり、慣れ親しんだ素朴な部屋に入ると、道中の騒音がようやく静まった。


「御侍様……御侍様、起きてください、お薬の時間です」

ボクは寝床の前にひざまずき、彼女の細い腕をそっと揺すり、しばらくすると、その瞳がゆっくりと開いた。


「コホコホッ、シアオディアオリータン、帰ってきたのね、もう灯りがついた?」


「ええ!ついさっきついたばかりですよ。御侍様、この薬は胡先生に処方していただいた薬です。飲めばきっと病もなおりましょう!」

薬碗を包んでいる麻布を解いて、まだ温かい薬を御侍の前に持って行った。


「胡先生……?どうしてあんなに遠くまで……、こんなに汗をかいて……大変だったでしょうに」

御侍は薬を見ることなく、ボクの汗を丁寧に拭いてくれた。彼女の顔には申し訳無さが滲んでいた。


「御侍様、疲れてなどありません!御侍様が元気になれば、ボクも元気になるんです。」


「ありがとう、シアオディアオリータン……」


憂鬱そうだった顔に、ようやく淡い笑みが浮かんだ。ボクがそれを見て、ようやく安堵できた。


御侍様は体が弱い。ボクが召喚された時、目覚める前に、苦い薬の匂いが先に押し寄せてきた。


シアオディアオリータン……あなたが、私の食霊?」

穏やかな瞳にさざなみが広がり、澄み渡る山水画のようだった。


彼女の前には二つのお茶碗が置いてあり、一つは赤黒い薬、もう一つは、ボクの名前と同じ糖水が入っていた。

彼女はボクの頭を撫で、なにか決意をしたかのように、その赤黒い薬を横の茂げた君子蘭に捨てた。


「今日から、私たちは家族よ」

「怖がらないで、私はあなたと一緒に生きていくわ……」


その薬はなんなのかを、御侍様には聞かなかった。

ぼんやりとした記憶の中で、次の日にはその枯れた君子蘭が松柏に変わった。


「松柏は寒暑に強く、常に緑が見られるから、私は好きなの」

御侍様はそう言った。


……


夜が深まり、暇なのでボクは御侍とろうそくの火の下で本を読んでいたら、外から甲高い声が騒々しく響いた。


「清ちゃん、こんな時になにをしているの?早く支度しなさい!」

おしろいを顔につけた年長の女性がのれんをめくり、イライラした声で促した。


御侍様はビクッとした。ボクはその様子を見て、頑張って笑顔を見せた。

「御侍様は今日、咳がひどくて、薬を飲んだばかりなんです。別の姉さんに交代してもらえませんか……」


「恩客のご指名だよ。変更は効かない、早くしなさい!」


「張ママ……お客様は琵琶をお聞きになりたいなら、御侍様の代わりにボクが弾きましょう!琵琶は御侍様から教わりました。幕を隔てていたら、お客様もわからないと思います……」


「ガキのくせになにバカなことを言ってるの?!恩客を誑かして、この店を壊す気か?もたもたしないで!王様を怒らせたら承知しないわよ!」


「ま、まって、張ママ……それじゃあ、ボク、御侍様についていってもいいですか?万が一、御侍様が具合が悪くなったら、お客様に失礼のないように対応できます」


「ふん、まあいいわ、普段はなかなか機転が利くんだからね……わかった、でもあまりお客様を待たせちゃいけないよ!」

女性は苛つきながらハンカチを一振り、のれんを払って外に出ていった。


「チッ、曲を弾いて詩を吟じるだけのことを、こんなに嫌々そうにして、お嬢様でもあるまいし……はあ、めんどくさいのを買ってしまった!」


不快な罵声が遠ざかり、御侍様は黙って目を伏せ、しばらく何も言わなかった。


ため息がひとつ漏れた後、彼女はボクの頭を撫でてくれた。

「コホッ……シアオディアオリータン、琵琶と楽譜を取ってきて。」


「御侍様……」


病で疲れ切った彼女を見て、ボクは胸がチクッとして、思わず目を擦った。

「ごめんなさい……」


食霊なのに、御侍が困った時になにもしてやれない。


「謝らないで。分かっているよ、シアオディアオリータン。あなたも私のために、この紅楼でいつも頑張ってくれていることを……」

御侍様はやさしくボクを見つめ、初めて会った時と同じように優しく微笑んでくれた。


「この程度の苦しみは、大したことじゃないわ。この松柏の盆栽のように、いつか……その日が来るわ。」


Ⅱ.自由


御侍様からは、彼女の過去について話を聞いたことがない。


御侍様は紅楼のほかの姉さんたちとは違う。派手なお香や装飾品を好まず、賑やかな場所が嫌いで、笑うことも滅多にない。

ほとんどの時間、御侍様は窓辺で独りで琴を調弦したり、字を書いたり、または黙って窓の外を眺めたりする。


長い街の向こう側にある湖畔には、多くの旅行者がいる。柳の緑に桃色の花が点在し、とても素晴らしい春の光景だ。

なのに、御侍様の薬の匂いが充満した部屋は、外の世界と比べたら、果てしなく暗い。


御侍様の薬を買いに外出したときに、わざわざ湖畔から桃の花を摘んで持ち帰ったことがあった。


その鮮やかな桃の花が、御侍様の光を失いかけた瞳を一瞬だけ輝かせた。それはまるで午後の日差しが水面に反射するようで、心が弾んだ。

でも、数日後、その花はすぐに萎んでしまった。


「鮮やかな花は、確かにここに束縛されるべきではない……」

御侍様が白い瓶から枯れた花を取り出し見つめていたとき、遺憾の念と、ボクが理解できない何かを抱いているようだった。


シアオディアオリータン、十分なお金を貯めたら……一緒に木の上に咲いている桃の花を見に行きましょう」


ボクは知っている。御侍様の寝床の下には、古びた彫刻された木箱がある。そこには、いつか身請けするために貯めたお金を入れてある。


御侍様は、その日が来たら、一緒に御侍様の故郷に戻ると言った。

そこは、山と川に囲まれ、肥えた土地がどこまでも広がっていて、春には桃の花が一面に咲くところだそうだ。


そこならば、御侍様はきっと幸せになれるだろう……


ボクが顔を両手で包むように紅楼の間に揺れる琉璃灯を見つめてぼんやりしていると、一つの笑い声がボクの思考を遮った。


シアオディアオリータン~どうして一人でここにいるの?」


「あ、秋蘭姉さん」

急いで微笑む女性に向かって礼をしようとしたが、彼女にうちわでとめられた。


「ふふ、あなたはいい子ね、こんな私にも礼儀正しくしてくれるなんて~」

秋蘭姉さんは顔を隠しながら笑い、意味ありげにボクが待っている暖房室を見渡した。

シアオディアオリータン、聞いたわよ~あなたの御侍様は運が良くてね、もうすぐ出世するわ~」


「御侍様が……出世?秋蘭姉さん、それ、どういう意味ですか?」


「あら、知らないの?毎日紅楼に来る王様がいるでしょ?よくあなたの御侍様を指名するあの方、雨風問わず、十数日ずっと通ってるわ」

「玉京の街中でも有名な話よ、王様が紅楼の清音嬢に心を奪われ、近いうちに彼女を身請けして自宅に迎えるって~」

秋蘭姉さんはうちわを揺すりながらため息をつき、やや羨望の入った口調で言った。


「ああ~王様はかっこいいし、権力者だし、それでも清音ちゃんの身分なんて気にしないでくれている……本当に、このご縁は天からの贈り物よ。町の語り部たちも、才子佳人のお二人のお話を熱心に語っているわよ~」

シアオディアオリータン、もしあなたの御侍様が紅楼を去ったら、私に付かない?絶対に損はさせないわよ~」


御侍様、紅楼を出るの……?


「天からの贈り物」「才子佳人」、ボクはこれらの言葉の意味がわからない。

でもなんか、御侍様は自分にとっての大事な人を見つけたようだ……


ボクは秋蘭姉さんの話している口元をぼーっと見つめ、言葉を忘れていた。


つまり……御侍様はボクを置いて、自分の人生を生きるのでしょうか……


……


数日後、私は姉さんたちが口々に話す王様に会った。


御侍様が病気で静養していると聞いて、わざわざ薬草を持って見舞いに来た。

とても謙虚で礼儀正しい方だ。彼はただ扉の外に立ち、物を御侍様に手渡しただけだった。


彼は笑顔で話をしているが、御侍様は依然として淡々とした様子だった。


シアオディアオリータン、コホコホッ……どうしたの?最近いつもぼーっとしてるけど?」

御侍様は手を伸ばしボクの目の前で振った。薬草を見つめていたボクははっと我に返った。


「御侍様は……王様に……」

ボクは頭を下に向いて小さい声で呟いた。

「御侍様は彼についていきますか?」


「コホコホッ……だれにそんなことを言われたの……シアオディアオリータン、私の貯金は自分自身のためだけじゃない。私とあなたが一緒にここから出て行くためのものなの」

御侍様の言葉はいつもより速い気がした。


「御侍様、怒らないでください!ボク……ボクは御侍様に置かれていっても構いません……ただ、みんなが王様はいい人って言ってますから……」

「もし、本当に御侍様を助けてくれる人なら……ボク、ここに残っても、いいんです……!」


「……」

御侍様は眉をひそめ、ため息をつき、ボクの頭を撫でた。

「バカな子、私はあなたを置いていくわけないでしょう……あなたは純粋でいい子だけど……あなたはまだ分からないわ、世の中の複雑な人の心を」


「それに、王様だろうと、李様だろうと……彼らについていくような生活は私が望む『自由』じゃない」


「御侍様が望む『自由』……どうすればいいですか……?」


「私たちは自分の力で、ここを出るの」


Ⅲ.冤罪を訴える


瞬く間に初夏が訪れ、窓の外の長堤は春の色に染められた。


紅楼の日々は変わらず、ただ姉さんたちは暇を持て余すと、例の王様のことをよく話題にする。

「才子佳人」の物語はまだ玉京で盛り上がっているが、主役はすでに何度も入れ替わった。


姉さんたちの会話の中で、以前とは異なる詳細が耳に入ることもあった。


「……例の王様は全然一途な人じゃないんだって。別荘ではどこから来たかもわからない歌姫をたくさん飼っていて、王の旦那様に怒らせたこともあるそうよ」

「まあ~いい環境で育てられた方だからね、手に入らないものなんてないもの~清音ちゃんが身請けしてもらって、ここを出たとして、きっとお屋敷に閉じ込められるのが最後……ここより幸せとは限らないでしょうね」

「そうだね……数年前、その屋敷で人の命に関わる騒ぎも起きたって聞いたわ、王家の権力で大事にはならなかったけど、王の旦那様は大激怒したそうよ……」

「しかし、清音は最近ますますひどくなってない?先日は王様を門前払いにしたと聞いたけど、あの方を怒らせたらどうなるか……」


ぼんやりとしている間に、あの日、御侍様が言った「人の心の複雑さ」をなんとなく理解できたみたいだ。


しかし、完全に理解できる前に、現実がそれを覆い隠す布を乱暴に剥ぎ取ってしまった。


その夜、例の王様は酔っ払って御侍様の部屋の扉を蹴り開けた。

両眼が真っ赤で、以前見たあの謙虚で礼儀正しい様子からは程遠く、ボクは必死に御侍様を守ろうとしたが、彼に襟を掴まれて横に放り投げられた。


シアオディアオリータン!!!」

御侍様の驚きの声は、杯や蝋燭の台が転がり落ちる音にかき消された。


「チッ、もともと他の人との賭け事だったが、お前が物事の良し悪しも分からない女だとは思わなかったぞ!よくもこの俺に恥をかかせたな!?」

「楽しいか?今街中で俺とお前の物語が流行りだした!今日は絶対にお前を許さん!」


パンッ!

御侍様の華奢な体は木の屏風にぶつかった。


ボクの目の前の景色が、琉璃灯の光と影のように回転し、歪み、散っていく。


だめだ!

だめ――

「御侍様を傷つけないで!」


ボクは力いっぱいで叫び、体内から火事場のクソ力がほとばしる。

しかし、大きい悲鳴の声がそれを断ち切った。


「ぐああああ――!!!!」

男は血を流した顔を押さえ、地面からよろめきながら立ち上がった。

今にも息が絶えそうな御侍様は、血のついたかんざしを握りしめ、自分の首に当てて、その淡々とした瞳には決意が宿っていた。


「賤しい女め、待ってろよ――お前だけは許さん!!」


どれほどの時間が経ったか、ようやく静寂を取り戻した。


ボクは走って御侍様の肩を抱きしめ、声をあげて泣いた。


世の中が複雑だとしても、ボクの御侍様がこういう扱いを受けるべきではない……

一体どうすれば、御侍様を守れるのだろう……


……


驚かされた御侍様の寝付きが悪く、夜が明けるとすぐ、ボクはお医者さんを探しに出かけた。

しかし、紅楼に戻ると、御侍様の部屋には何故か封印紙が貼られた。


シアオディアオリータン、さっき、官兵たちが押し入ってきて、紅楼をひっくり返して……清音も彼らに連れ去られたわ」

姉さんたちも驚かされて、蒼白い顔色で駆け寄ってきた。


「聞いた話しだと、あるお方が清音を訴えたそうよ……自分が酔っ払っている隙に窃盗を働いたと。しかも、官兵たちが清音の部屋から大量のお金を見つけたから、現行犯で捕まえた……」

「はぁ、清音はそんなことをするような子じゃないのに……でも、官兵たちはどうしても清音を捕まえようとしてるのかしら、あの子、お偉いさんでも怒らせたのかしら……」


一瞬、昨夜の恐ろしい光景が頭によぎった。王様だ……彼が御侍様を嵌めたんだ……


「違うんです、冤罪です……!姉さんたち、御侍様を潔白を証明するために、一緒に府衛に行っていただけませんか?」


なのに、姉さんたちは次々と後ずさりした。

シアオディアオリータン、もし清音が本当にお偉いさんを怒らせたら、それは仕方のないことよ……私たち一般人があのようなお方の前では弁明の権利すら持っていないの……」


「わかりました……姉さんたちが困るなら、ボク一人で行きます」


この世界の人たちの心は複雑で、世の中は危険なことばかりで、無数の無形な手が白黒を操っていると、御侍様が言った。

そして同時に、人の外には正義と天理があると。


しかし、目の前の府衛の門は固く閉ざされ、威圧感のある衛兵たちが長槍をボクに向け、「公義」と書かれた冤罪の太鼓への道を塞がった。


「ここはガキが来るべき場所じゃない、とっとと戻れ!」


「違います、ボクは冤罪を訴えに来たのです!」


「ふん、馬鹿なやつだ……上から、ここで数日間は誰も騒ぎを起こさせるなと指示されたんだ、無駄なことするな――」

隙を見て、ボクは長槍の間をくぐり抜け、駆け足で太鼓に向かった。


「このクソガキ!はやく止めろ!」


一瞬の間、刀と槍が飛び交う。


混乱の中で、ボクに向ける槍先を剣がかわすと、次の瞬間、ボクは襟元を掴まれながら路地に連れ込まれた。


「ふぅ――危なかったな……羊散丹、今見た?この子、肝に毛が生えてるよ!」


「あ、あなたたちは……?」


剣を持つ少年がまだボクの襟元をしっかりと掴んでいるが、今はそれどころではなく、ボクはただ目の前の人を見つめていた。

赤い服を身にまとい、路地に降り注ぐ金色の日光の中にいるその人はまるで、絵から抜け出した天女様のようだ。


「しーっ!衛兵がこっちに……」

少年が路地の外を覗き、ボクを後ろに引っ張った。

「ちび、一旦逃げようか?」


「あっはい、でもどこへ……?」


「弦春劇場だ。大丈夫、ついてきて」


「天女様」はボクに微笑みかけ、美しい声でボクを安心させた。


Ⅳ.夜行


弦春劇場……

よく姉さんたちから聞く名前だ。そこの花形である羊散丹に会うためだけに、玉京の殿方たちが押し寄せ、千金をばら撒いたと聞いた。


そして、「隠れ仙人」とされる羊散丹は才気に溢れ、高慢で冷たく、付き合いやすい人ではない、貴人たちさえ彼に会う際には礼をもって接しなければならない、と。


でも、ボクの目の前のこの羊散丹は、噂で聞くような人物ではないようだ……


「……急がなくていい、いっぱい話したから喉が乾いたでしょう、水を飲んで」

黙ってボクの話を聞いたあと、彼は静かに温かいお茶が入った茶碗を差し出した。


「先程は、助けていただきありがとうございました、御侍様を助け出したら……必ずお二人に恩返しいたします!」


「めっちゃ先の話じゃん。なあ、ちび、どうやって君の御侍様を助けるつもりなんだ?」

ルージューホーシャオ(※卤煮火焼)という名の剣を腰に差す少年が我慢できずに言葉を挟んだ。


「御侍様は冤罪だから、府衙様に直訴して、潔白を……」

(※府衙とは「衙」も「府」も役所の意。役所、官庁のこと)


「だめだめ!君さ、喧嘩できないし、霊力の使い方も知らないみたいだし、またさっきのように無謀に府衙に駆け込んで太鼓を叩くようなことをしたら、捕まって牢獄に放り込まれるかもしれないぞ!」


「でも……」


「ルージューホーシャオの言う通りだ、そんなことをするのは危険すぎる。それに……府衙の人は、おそらくあの王様と裏で手を結んでいるだろう」

羊散丹は頭を横に振り、ボクの言葉を遮った。その水面のように静かで澄んだ瞳が微かに波紋が広がり、過去の何かを思い出したようだ。


「官庁と権貴はぐるになって、事実を曲げることはそう珍しくない……軽々しく立ち向かうと、かえってお前の御侍を追い込むかも知れない」


「……じゃあ、どうすればいいんですか……?御侍様は体が弱いから、牢屋に長くいられないんです……」


焦るボクを見て、彼はため息をつき、手を伸ばしてボクの頭を撫でた。

「焦ることはない。僕とルージューホーシャオを信じるなら……お前の御侍を助ける方法を任せてもいいか?」


「ボクに……協力してくれるのですか……?」


天女のような彼を見て、ボクは言葉を失くした。


召喚された日から、ボクは御侍様と紅楼で二人で寄り添い、共に生きてきた。まるで荒波に揉まれる浮き木のように、すべての苦楽を自分しか知らない。

なのに今日、そんな恐ろしい波を払いのけ、優しく取ってくれる手があるとは……



「……たしか、あの府衙様は何度も懇願状を送ってきて、弦春劇場で誕生日を祝いたいと……なら、明日、府衙の人たちを劇場に無料で招待したら、その間に牢屋の看守も怠けるだろう」


「おお、羊散丹、つまりは、その隙をついて脱獄を図ることか?!」

ルージューホーシャオはまじめにしばらく聞いていたら、ようやく理解したようだ。


羊散丹は言葉を発さず、ただ軽く頷いた。


「はは、いいね!俺もそれがいい!あんな裏表ありありの高官たちと話しても意味がない、剣で問題を解決できるならそれが一番だ!」

ルージューホーシャオは腰に差した剣をたたき、ボクに向かってにかっと笑った。


「ちび、安心しろ、絶対君の御侍を無事に助け出してみせる。」


……


次の日、夕暮れの頃、劇場の華やかな明かりが灯され、楽器が一斉に奏でられた。

舞台の上に主役が悠々と現れ、美しい光が天女のような顔に降り注ぎ、まるで真の仙人の降臨のようだ。


楽器の音が交錯し、客席からは拍手の音が潮のように押し寄せ、人々は夢中になっていた。

一曲が終わり、弦の音がまだ響いている中、客席で突然、騒ぎが起きた。


「……何だと?!府衙が火事になった?!こんな大事件、なぜ早く教えない!一体どうして火がついたんだ?」

特別席に座る官員が怒鳴ったあと、すぐに声を抑えた。

「看守が酔っ払ったか……本当に無能な連中だ!早く火を消せ――そうだ、この事を公にするな!さっさと馬車を用意しろ!」


官員が部下に囲まれて急いで場を去る様子を見て、ボクはお茶を注ぐふりをしていたが、不安になった。

御侍様とルージューホーシャオ、大丈夫かな……


「……心配しないで、ルージューホーシャオから伝言を受け取っている、順調のようだ。」

いつの間にか、羊散丹が優雅にボクのそばにやってきていた。


「本当?……御侍様が助かったのですね!今どこにいるんですか?」


「ついてきて」


夜色が水の如き、月が西の山に居座る。

夏の風が暗闇でちらちらと光る蛍に優しく撫で、紅楼の琉璃灯のない夜はとても静かだ。


街の端にある小さな家で、ボクはついに御侍様に会えた。

彼女の優しい抱擁に飛び込み、思わず涙がこみ上げてきた。


「君さ、官兵に脅かされる時も怖がる様子がないのに、今泣くのか?」

ルージューホーシャオは満面の炭を手で拭き、気にする様子なく爽やかに笑った。彼の滑稽な姿を見て、ボクも思わず噴き出した。


シアオディアオリータン、心配させてごめんなさい……お二人、本当に助けられました、ありがとうございます。」

御侍様が優しくボクの手に触れ、そしてあの二人に向かって、礼をしようとしたが、羊散丹が止めた。


「礼などいらない……ただ、これから先、お前はもう玉京にいることはできないかもしれないが、どうする?」


「待って……御侍様の身請け証がまだ紅楼に……」


「いいえ、紅楼の清音はあの火災で死んでしまった、あの身請け証はもうただの紙切れだ。」

御侍様が首を横に振り、その口調はいつもとは違って、とても軽やかなものだった。

シアオディアオリータン、私、故郷に帰るわ……明日出発する」


「てことは、御侍様……やっと、『自由』を手に入れたんですね!」


「ええ……シアオディアオリータン、この数日間で私は気付いたの。このような生活、このような『自由』は、私一人が望んだもの、あなたのではないわ。あなたにも自分の人生を選ぶ権利がある……」


「御侍様……?」


御侍様が身をかがめ、ボクをぽんぽんした。いつも闇がかかったその瞳には光が宿っていた。


「あなたは義理堅いいい子だ……あなたはもう私のほしい人生を与えてくれた。今は自分の人生を生きる時だ」


Ⅴ.シアオディアオリータン


初冬の朝、大雪がやっと降り止んだ。

弦春劇場の青い琉璃瓦は残雪を映し、日光の下でまばゆい光を放つ。玄関前、小さな人がすでに箒を持って、テキパキと掃除をしている。


「みんな、もうちょっとですよ!あと30分もすれば劇場は開きます。積もった雪を全部掃かないと!」

シアオディアオリータンは赤く冷えた手をこすり、また箒を手に取った。

「みんな、お疲れさまです。仕事が終わったらおいしい糖水を奢りますよ!」


冬の朝、寒風が刃のように肌に刺さるが、彼の熱心な仕事っぷりを阻むことはできなかった。

シアオディアオリータンのやる気溢れる様子を見て、使用人たちもつい彼のペースに巻き込まれ、一緒に地面を掃除していた。


「……すみません、こちらにオシドリ粥という方はいますか?」

見知らぬ中年男性が箒を振り回す小さな人を戸惑いながらも呼び止めた。


「……え?先生はさっき出かけましたよ。お客様、何かご用があるなら、ボクが代わりに伝えますよ!」


「土地の契約書を届けに来たのですが、オシドリ粥さんがいないなら、君にお願いしようかな。」

「え、土地の契約書……?先生、土地を買ったんですか?」


「そうです!その土地は今は荒れ地ですが、いい値段でして、しかも弦春劇場のすぐ近くにあります。オシドリ粥さん、すごく目利きがいいですよ」


シアオディアオリータンはその契約書を受け取り、疑問に思いながらも丁寧にしまい、可愛らしい笑顔を見せた。

「ご足労をかけました、先生が戻ったら渡しますね!」


……


数日間の大雪の後、弦春劇場はようやく再開し、今回上演されるのは「暁夢生」の新作だ。

劇場が開くと同時に、待ちきれない客たちが押し寄せ、一時は大騒ぎとなった。


シアオディアオリータンは観劇券を取り合う数人の客を調停したら、迷子になって泣きわめく子供を案内し、それが終わったらまた観劇券を取れなくて悔しそうにしている老人にお茶を運ぶ……

そんな風にずっと走り回って、前座から個室にきた時、彼はようやく一息をついて、熱いお茶を飲めた。


シアオディアオリータン、ここにいたんだね……」

扉の外で、羊散丹が劇の脚本を数巻抱えて、落ち着いた顔で入ってきた。


「あ……羊散丹、劇の稽古ですか!手伝います?」


「落ち着いて、お前、朝からずっと忙しいんだろう」

羊散丹が部屋に入って、仕方なさそうにシアオディアオリータンの飛び上がってしまいそうな勢いを止めた。

「少し休んだほうがいい、疲れて倒れたら元も子もない……夜には琵琶を弾くんだから」


「ボクは疲れてませんよ!それに琵琶を弾くのは楽です、そこに座って指を動かすだけですから!しかもこんなに近くであなたの芝居もみれるなんて!お芝居をする羊散丹の方こそ疲れるでしょう、はやく休んでください!」


羊散丹は呆れたように笑みを浮かべ、シアオディアオリータンが渡した熱いお茶を受け取った。


「おっと、みんなここにいたのか!探したぞ!」

明るい声が聞こえると、剣を携えた少年が大きな足取りで入ってきた。


「なあなあ、知ってた?さっき剣の稽古を終えて帰ってきた時、店の前の客たちに押し出されそうになったぞ!ああ、恐ろしい恐ろしい」


「劇場は半ヶ月間も休業していましたから、お客さんたちも待ちくたびれたでしょう…ルージューホーシャオ、はい、お茶!」


シアオディアオリータンは気を遣って熱いお茶を差し出すと、息を切らせた少年はヘラヘラと笑って、彼の頭をポンポンと叩いた。

「へへ、ありがとな!」


「あっ、みんな、今日は先生に会いましたか?今日……ある人にこれを先生に渡してって」

シアオディアオリータンが何かを思い出し、懐をしばらくさぐり、例の土地契約書を取り出した。


「ん?なになに?土地契約書……?!うわっ、こんなにお金を使ったの?!」

ルージューホーシャオが土地契約書を受け取り、驚いて目を見開いた。

「これって……この近くの空き地じゃないか?!先生がそれを買って、どうするつもりなんだ?」


「空き地……?お前がよく剣の稽古をする場所か?」

羊散丹が紙を受け取り、眉をひそめて考えた。


「たまに行くぐらい?でもなんか……あそこ、気味が悪いんだよな」


「き、気味が悪いですか?!もしかして……お化けとか出てくるんですか……?」

シアオディアオリータンは震えを抑えきれず、冷や汗を出してしまった。


「いや、実際見たことはないけど、でも……あそこで稽古するたび、体の調子が悪くなるし、夜も眠れなくなるし、だから最近行かなくなった」


「もしかしたら、先生なりの考えがあるかも知れない……」

羊散丹がしばらく考えたあと、淡々と頭を横に振り、契約書を丁寧に畳み直した。


「先生が戻ったら渡そう。シアオディアオリータン、もうすぐ舞台が始まるから、裏で準備しよう」


「はい!」


「ちょうどいい、俺が送ってやろう!」


「送る……?」


「外の客、狂ってるからな、さらわれたらどうするんだ!」


「……」


「客にさらわれる……?そんなことないですよ!ボクが羊散丹を守りますから!」


「ちびは黙ってろ!今や君は劇場の首席琵琶奏者だぞ。君に会いたくて来た客もたくさんいる!君にだって拉致される恐れがあるんだ!」

向かいの二人が言葉を失った様子を見ると、ルージューホーシャオは爽やかに笑って彼らを軽く押し出した。


「心配するな、俺の剣でみんなを守る!」



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