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昇平楽・ストーリー

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昇平楽

千年调

千年調「センネンチョウ」・壱

日出づる処、耀きの東極。


某日

鬼谷書院


金駿眉:山河陣……?

白酒:ああ。これまで、聖教のやつらは至る所で悪事を働いていた。それに、それは全て山河陣と関係がある……俺が生まれた時、脳内に誰かの声が聞こえたような気がした。まるで呪文のように、ひたすら山河陣と呟いていた……

白酒:だから、今後何をするにも、まずは山河陣に一体何が隠されているのか、聖教の連中が山河陣に何をしたのかをはっきりさせなければいけない…耀の州に住み着く害虫を根ごと引っこ抜くのはそれからだ。

金駿眉:なるほどね。でも、残念だけどわたしは山河陣を少し知っているだけで、精通しているわけじゃないよ。聖教については……今年の春節に、書院の近くの村で子供が失踪したあの事件は、どうやら彼らが関わっているらしい。わたしもその時気づいたんだ。だからまだそんなに詳しくは調べていないよ。

金駿眉:でも、行ってみたらいいかもしれない場所がある。

白酒:どこだ?

金駿眉:東籬の国だよ。

白酒:東籬……東?そこは青龍神君の領地じゃ?

金駿眉:そう、でも違う。耀の州の東、かつては青龍、つまり東方族の領地だったんだ。百年来、神君は各地を遊歴するか閉じこもって出てこないかで、とっくの昔に東極のことなんか忘れてしまってるけどね…

金駿眉:しかし、山河陣は青龍の秘法で作られているから、青龍以上にそれを理解している人はこの世にいない。それに、東方の一族が知らないはずはない……さらに言えば、もしあなたがそこで青龍神君に会えれば、直接彼に聞いてみたらいい。

白酒:先ほど、青龍は東極を忘れたと言っていたが……ではどうしたら彼に会えるんだ?

金駿眉:遊び回っていたっていずれ家に帰るだろう。運試しだ。

白酒:……

金駿眉:まあ、山河陣に関する情報が得られなくても、あなたにとっては何かしらの利益があるでしょう。

白酒:どうして俺に利益があると?

金駿眉:わたしはただの教師で、占いはできない。あなたの運命なんかわからないよ。

金駿眉:でも、あなたの心に迷いはないけど、進むべき方向がわからないみたいだね。東に進むといいよ。日が出る場所にはいつだって希望がある。

白酒:……礼を言う。


 遠ざかっていく白酒の影を見ながら、金駿眉は思わず首を振ってため息をついた。


金駿眉:もう玄武ではないけれど……あなたたちだって自分の進む道は自分で決めたではないか?

金駿眉:一体そこにどんな運命があるっていうんだ……心の望むものにすぎないよ。


東極

東籬の国


白酒:ここが……東籬の国か……?


 白酒は目の前の少し古びた寺を見ながら、どこかで道を間違えたのではないかと必死に思い出そうとした。


白酒:近年、築かれた東籬の国は、驚異的なスピードで発展し、今や豊かな国となっていると聞いていたが…

白酒:これは……豊かな国?


 彼は怖い話にしか出てこないような荒廃した寺を見ながら、左右を見渡した――周りには崖か湖しかなく、他に進む道はないようだ。


白酒:(……まあいい、入って休むとでもしよう。)

???:あなた……


 白酒が寺に入ろうとした時、一人の女性が出てくるのが見えた。二人はぶつかり、一瞬驚きの表情を見せた。


白酒:すまない、ちょうどここを通り過ぎて、少し休もうと……

???:昏君!私の東籬に手を出すなんて、ずいぶん大胆だな?まったく――死にてぇのかい!!

白酒:?


千年調「センネンチョウ」・弐

謎の少女。


 女性は赤く燃え上がった目で白酒を睨んだ。弯刀を持ち、彼に突進しようとしている。


白酒:お嬢ちゃん、人間違いだ。俺の名は白酒、決して……


 言い終わらないうちに、刀が白酒の耳元すぐ近くを掠って落ちた。髪一本も傷ついていない。白酒は戸惑いながら刀をしまった女性を見た。彼女は冷たい表情をしており、先ほどの勢いは全く感じられなかった。


???:知っている。あなたが玄武じゃないと。

白酒:し……知っていたのか?

???:ええ、もちろん。体のにおいが違う。

白酒:においが違う……?ではさっき……

???:長年の怒りをあんたにぶつけただけだ。不快にさせてしまったな、謝る。

白酒:……大丈夫だ。

???:それで、東籬には何をしに?

白酒:……


 白酒は先ほどの緊迫した状況でまだ気が動転しており、女性の正体を恐れてもいたため、何も答えなかった。その女性は予想できていたかのように笑って言った。


???:ふっ、知っているぞ。玄武はあの三文字のために身を捧げた。あなただって逃げられはしない……

白酒:…………一体何者だ。


 それを聞いて、女性の顔に一瞬悲しい色が浮かんだが、すぐにまた堂々と笑みを浮かべた。赤い瞳が揺れる木の影の下で、うっすらと光っている。


???:もしできることなら、私も誰かに聞いてみたい。私は一体誰なのか。

白酒:どういうこと?

???:話すと長くなる……まあいい。

瑪瑙つみれ:私は瑪瑙魚圓。東籬は私の縄張りだ。お客さんなら、もてなして当然。それに……私も聞きたいことがあるんだ。

瑪瑙つみれ:ここでは話しにくい。場所を変えよう。

白酒:……


 白酒は黙って瑪瑙魚圓の後をついていくと、寺に隠し扉があることに気がついた。扉を抜けると、唯一の吊り橋を渡って崖の反対側、つまり本当の東籬の国に行くことができる。


白酒:(ずいぶんと面倒な設計だ……)

瑪瑙つみれ:あなたが何を考えているかわかるぞ。東籬の国は完全な自給自足を実現できる。貿易なんか必要ない。だから、攻めにくく守り易い、それで十分さ。

瑪瑙つみれ:私がここを守っている限り、一人だろうが千人の軍だろうが、私の東籬に入ることはできない。

白酒:……攻めにくく守り易い?ここではよく戦いが起きるのか?

瑪瑙つみれ:ここは東極だ。青龍以外にも、仙人や仙薬に関する伝説がたくさんある。

瑪瑙つみれ:あれ?金髄煎、どうしたの?これから鳳脯で当番だろう?


 二人が吊り橋を渡ろうとした時、一人の青年がこちらへ向かってきて、瑪瑙魚圓に簡単な礼をした。


金髄煎:彼女は遅れるから、先に声をかけてくるようにと。

金髄煎:あなた……

白酒:なんだ?


 青年は白酒を見ると、なぜか冷酷な顔に怒りを浮かべ、一瞬で攻撃の姿勢になった。しかし、瑪瑙魚圓に止められた。


瑪瑙つみれ:待て、金髄煎……彼は玄武じゃない。

金髄煎:玄武の顔とそっくりだ。

瑪瑙つみれ:わかってる。だが彼は本当に違う。後で説明してやる、先に戻ってるんだ。

金髄煎:……わかった。


 疑いと不満は消えなかったが、青年は瑪瑙魚圓に言われた通り鞭をしまい、振り返って歩いていった。瑪瑙魚圓は呆然としている白酒を見て、思わず笑い声を上げ、小さい声で説明した。


瑪瑙つみれ:あまり気にするな。前に、玄武の愚痴をこぼしたことがたくさんあったんだ。でも、それは単純な悪口じゃない……彼を助けるためだ。

白酒:……みんな秘密を隠し持っているようだな。


 白酒の言葉から疑いと不満を感じ取った瑪瑙魚圓は軽く笑い、豪快に背中を叩き、吊り橋を渡るよう合図した。


瑪瑙つみれ:わざと怒らせたんじゃない。さあ、早く「メインディッシュ」を食べに行くぞ!


千年調「センネンチョウ」・参

犁郷と離郷。


白酒:…………

瑪瑙つみれ:何ぼーっとしている、早く馬に乗れ。

白酒:俺と彼が同じ馬に乗るのか?

瑪瑙つみれ:何か問題でも?

白酒:……


 白酒は眉をしかめながら金髄煎がまたがっている馬の鞍を見た。その目はかなり嫌そうだ。瑪瑙魚圓は相手が何を思っているか知っていたが、仕方ないふりをした。


瑪瑙つみれ:私は金髄煎と同じ馬でも気にしない。でも、あなたの正体はまだわからないから、信じられないだろう。一人で馬に乗せたら、そのまま馬ごとどこかに逃げていくかもしれない。

白酒:……

金髄煎:早くしろ、すぐに着く。


 金髄煎の言葉を聞いて、白酒もためらうことを止め、金髄煎のすぐ後ろに乗った。

 三人と二匹の馬は壮大な草原を駆け抜け、すぐに荒廃した寺から遠ざかった。道中、白酒は周りの景色を見ていた。延々と続く田んぼに畑、鶏や犬たち、かまどから立ち上る煙、すくすく茂った草木を見て、ため息をつかずにはいられなかった。


白酒:東極は確かに資源豊かだな。

金髄煎:玄武がいなければ、もっと豊かになっていたはずだ。

白酒:この地と玄武になんの関係が?

金髄煎:……東籬の国はここ数年に建てられたばかりだ。それまで、ここはなんと呼ばれていたか知っているか?


 白酒は何も答えないでいると、金髄煎の言葉が重くなったのを感じた。はるか昔の記憶をたどっているようだ。


金髄煎:離郷だ。

白酒:離郷……

瑪瑙つみれ:さらに昔は、犁郷と呼ばれていた。犁耕の犁だ。


 金髄煎の重い表情とは違い、金髄煎の口調は落ち着いていて、まるでなんら変わりない物語を語っているかのようだった。


瑪瑙つみれ:犁郷は山と川に囲まれ、自然豊かだった。元は人々が安らかに過ごせる資源豊富なところだったの。でも、玄武が献祭の志願者を募集し始めた頃、神君のご加護がなくなった犁郷は兵士に襲われ、強制的に生贄として捕まえられそうになり、みんな離散してしまった……それで離郷と呼ばれるようになったの。

白酒:そんなことが……罪のない人々の勇敢な魂は、必ず山河陣と共にこの土地を守ってくれるはずだ。

金髄煎:フン。

白酒:……


 金髄煎はまだ自分に偏見を抱いているようだったが、白酒は相手にせず、絵のように美しい風景に目を向けていた。するといつの間にか目的地に到着した。


───


白酒:話ができる場所に着いたようだな。お嬢ちゃん、質問していいか?


 本題に入ろうとする白酒を見て、瑪瑙魚圓も気を引き締めた。白酒に座るよう言い、お茶を注ぎながら言った。


瑪瑙つみれ:あなたは玄武じゃないけど、顔立ちもにおいも玄武にそっくりだ……私の予想が合っていれば、あなたは食霊か?あなたは玄武とどういう関係なんだ?

白酒:……聖教の言い方で言うと、俺は玄武の生まれ変わりだ。

瑪瑙つみれ:ほう?神君が人間に生まれ変わり、それがさらに食霊に生まれ変わったというのか?

白酒:詳しくは俺も知らない。おそらく山河陣と関係があるはずだ。

瑪瑙つみれ:山河陣……ではさっき言っていた聖教とはなんの関係がある?

白酒:やつらが山河陣に何かしたんじゃないか疑ってるんだ。だが証拠も手がかりもない。

瑪瑙つみれ:手がかりがない?玄武から食霊に生まれ変わったのは……身をもって経験したことだろう?

白酒:前世の記憶はそんなにない。今は、白酒になってからのことしか覚えていない。

瑪瑙つみれ:なるほどね……

白酒:どうかしたか?

瑪瑙つみれ:いや、大したことない。でも疑っているなら、聖教を調べればいいだろう。どうして東籬へ?

白酒:聖教は小賢しく卑劣なやつらだ。直接調べたって、収穫はほとんどないはずだ。裏で探る必要がある。それに、やつらと手を組みたくない。東籬のことは……ここはかつて青龍神君の領地だった。何か収穫があるかもしれないだろう。

瑪瑙つみれ:はっ、あの青龍を神様扱いしてるみたいだけど、彼も世俗に悩まされた可哀想なやつに過ぎない……私なら、先にあのくだらない聖教を滅ぼすさ!

白酒:……それは山河陣、耀の州の平和に関わることだ。そう簡単に手を出せない。

瑪瑙つみれ:なら聖教のボスをとっ捕まえて、拷問して無理やり吐かせればいいだろう。

白酒:それも……まあ一つの方法ではあるが、ただ……

金髄煎:コホン、到着されたようだ。


 金髄煎の言葉は突然で、かなり敬意を払っているようだ。ましてや、少し恐れているようにも感じた。白酒は思わず好奇心を抱いた。彼は扉の外を見ると、かなり気品がありながらも少しか弱そうな青年が部屋に入ってくるのが見えた。


???:あれ?お客さんですか?


 白酒は視線が自分に向けられたのを見て、居心地が悪くなった。瑪瑙魚圓は何も気づいていないようで、爽やかに笑って言った。


瑪瑙つみれ:おう、ちょうどいいところに来た。新しい仲間だ。さて、ここからはみんなで手を組んで、悪名高い聖教を一網打尽にしてやるぞ!


千年調「センネンチョウ」・肆

もう一つの力。


瑪瑙つみれ:さて、ここからはみんなで手を組んで、悪名高い聖教を一網打尽にしてやるぞ!

???:……


 瑪瑙魚圓の興奮はその青年にはうつらなかったようだ。彼は礼儀をわきまえたまま穏やかな笑みで彼を見ているが、その口調は冷たく、堅苦しかった。


胡桃粥胡桃粥です。お名前を伺っても?

白酒白酒だ。

胡桃粥:失礼、白酒さん……手を組んで聖教を一網打尽にするというのは一体?

瑪瑙つみれ:ああ、それは……

胡桃粥白酒さんに聞いているのです……申し訳ありません。

白酒:……


 白酒は、その謝罪が誰に向けられたものなのかわからなかった。彼は瑪瑙魚圓の反応に驚いた――東籬の君王が部下に反論されても気にすることなく、むしろ口角を上げたのだ。


白酒:(東籬の国では、こちらの胡桃粥というお方は重要な地位にいるようだ)


 白酒はここに来た理由と先ほど瑪瑙魚圓と話していた内容を手短に話した。相手の表情が暗くなるのを見て、白酒は一言付け加えた。


白酒:協力のことは瑪瑙お嬢ちゃんが一時の気まぐれで口走ったことだ。まだ決まったことではない。

瑪瑙つみれ:決まってない?聖教と関わりたくないんだろう。私以外に、力を貸してくれる人はいないぞ?

白酒:……こうなったらはっきり言う。初め、お前は俺を敵だと思っていた。それからは態度は良くなったものの、隠し事ばかりだ。それなのに今度は手を組むだと……

白酒:率直に言う。俺はお前を信じていない。

瑪瑙つみれ:理にかなっているな。でも愚かだ。たとえ私が何かを企んでいても、今は聖教の排除に協力するだけだ。これが成功しようがしまいが、あなたが失うものはないはず。それに私は何を得られるっていうんだ?それか……

瑪瑙つみれ:私があなたを殺して、玄武への恨みを晴らすんじゃないか恐れているのか?


 カンッ――

 刀が抜かれた瞬間、白酒は常人離れした速さで前に乗り出し、瑪瑙魚圓を椅子の背もたれに押し倒し、刃を彼女の喉元に向けた。


白酒:俺はお前を信じていない。だがお前を殺そうと思ったことはない。それはお前が東籬の明君だからだ。後悔させるな。

金髄煎:キサマ……!彼女を放せ!

胡桃粥:……まずい……


 白酒が二人に反応する前に、目の前の瑪瑙魚圓の様子が突然おかしくなった。彼女の赤い瞳は先ほどよりだいぶ色が薄くなったようだが、重苦しい圧迫感を感じた。


瑪瑙つみれ:はっ、もう数千年も経ったというのに、変わっていないようだな……玄武。

白酒:!?

瑪瑙つみれ:あら、私まで忘れたのか?私は……

瑪瑙つみれ:さあ……さっさと帰れ。

白酒:!?


 そう言うと、赤い瞳が元の様子に戻った。瑪瑙魚圓は明らかに機嫌が悪く、わずかに疲れも見えるが、驚いた表情の白酒を見て嘲笑った。


瑪瑙つみれ:質問がたくさんあるようね……でもそれはみんな一緒よ。私が言ったこと、覚えているか?

瑪瑙つみれ:もしできることなら、私も誰かに聞いてみたい。私は一体誰なのか。

白酒:さっき……

胡桃粥白酒さん、彼女を放してくれますか?

瑪瑙つみれ:問題ない。私はそう簡単には捕まらない。


 そう言うと、白酒は微風が首元を掠めたような気がした。彼は驚き、静かに後ろに後退りし、瑪瑙魚圓の弯刀を避けた。


胡桃粥:……白酒さん、よければ二人で話しませんか?


 それを聞き、白酒は思わず瑪瑙魚圓を一目見た。彼女は反対するのかと思ったが、何事もないようにそこに座っており、胡桃粥の提案に異議はないようだ。


───


 白酒胡桃粥とともに部屋を離れ、庭院へとやってきた。


白酒:さっきのは一体?

胡桃粥:私もわかりません。瑪瑙魚圓は危険な目に遭った時や興奮した時にああなるんです……まるで彼女の体の中にもう一人別の存在があるかのように……

白酒:なるほど……そういえば、話とは?

胡桃粥白酒さんに、我々と協力してほしいんです。

白酒:……さっきの反応を見て、てっきり俺とは手を組みたくないのかと。

胡桃粥:聖教の行動は隠密です。真正面から対抗すれば、面倒ごとも多い。東籬はここ数年平和を保てている。その平和を壊したくないのです……しかし、瑪瑙魚圓がそれを望む限り、誰も止められはしない。誰かが止めれば、先ほどのようなことが起こるんです。

胡桃粥:東籬に危機や動乱をもたらすことよりも、彼女の身にそのようなことが起こってほしくないのです。

白酒:どうやら、彼女はあなたにとって特別な存在のようだな。

胡桃粥:彼女がいなければ、今日の私はいませんから。


 胡桃粥が穏やかな表情を見せた。他人のプライバシーを探ることはしたくない白酒は視線を逸らし、こう聞いた。


白酒:では、彼女があんなにも俺と手を組んで聖教を滅ぼそうとしている理由はなんだ?

胡桃粥:彼女の考えていることなどわかりませんよ……ですが、彼女があんなにも興奮するなんて、おそらくまたあの人と関係があるのでしょう……


山姥謡「ヤマウバヨウ」・壱

西荒の昔の記憶。


数年前

西荒


 西荒、その名の通り、耀の州の西にある荒れた地だ。劣悪な自然環境に加え、度重なる堕神の襲撃で、人々は耐えられず困窮し、哀鴻遍地となった。

 西荒に住む西昧族は、白虎神君を崇拝していたが、神君の加護を受けていないと感じたため、その敬意は恨みへと変わった。そして数年後、西荒が白虎を祀る寺はたった一つとなった……


──


老人:白虎様……どうかお守りください……孫が無事に帰ってきますように……どうか……お守りください……


 壊れた白虎の神像の前で、一人の老婦人が跪き、お祈りをしている。彼女の頭上にある建物の柱の上から、一筋の視線が彼女を見つめ、残念そうに首を振りながらため息をついてこう言った。


瑪瑙つみれ:こんな不作飢饉の年に、こんなにたくさん食べ物を用意できるなんてたいしたものね。なのに、そんな簡単な願いを唱えるなんて、ちょっともったいないんじゃない?

老人:誰……?化け物、山姥だ!!

瑪瑙つみれ:……


 慌てて逃げていく影を見て、瑪瑙魚圓は一瞬呆気に取られたが、柱から飛び降りると不満そうに舌打ちした。


瑪瑙つみれ:チッ、あんたたちが私を呼んだんでしょ。山姥って何よ……失礼ね。

瑪瑙つみれ:だが、望みを聞いてしまった以上、無視するわけにはいかない……


 彼女は弯刀を肩に担ぎ、指先で鋭利な刃を軽く叩きながら、弯刀と会話をするよう言った。


瑪瑙つみれ:行くわよ、仕事の時間よ。


 瑪瑙魚圓が離れ、小さな寺に静寂が戻った。しばらくして、細い人影が入ってきた。供物台の前でお供えされている供物を見ている。


???:あれ?前回の供物も食べ終わってない?腐っちゃうよ……うわ!

瑪瑙つみれ:泥棒猫め、こんなものまで盗むなんていい度胸だな?さあ、名を名乗りなさい!


 陶舞はいつの間にか戻ってきた瑪瑙魚圓によって机の上に押し倒され、反撃の余地もなく、ただ泣き喚くしかなかった。


陶舞:ぬ、盗みじゃないわ!私は陶舞!

瑪瑙つみれ:盗みじゃない?証拠は?

陶舞:証拠……?そうだ!も、桃を持ってきたの!そうよ、桃を届けにきたの!

瑪瑙つみれ:桃?


 瑪瑙魚圓は少し迷ったが、手を放し、陶舞がカゴからももを取り出すのを見た。


陶舞:ほら!

瑪瑙つみれ:じゃあ、数日前の供物もあんたが持ってきたのか?

陶舞:うん…

瑪瑙つみれ:西荒は今じゃ荒廃と化した地だ。作物だって何年も収穫できていない。一体どうやってこの桃を?それにどうして自分で食べない?

陶舞:か、感謝したくて……あなたが現れてから、西荒の堕神がだいぶ減ったわ。きっとあなたが毎日郊外に行って一掃してくれたおかげよ!

瑪瑙つみれ:ふん、感謝よりも謝罪してほしいものだ。元は西荒を助ける気なんてなかった。ただあんたたちみたいな人間の望みに巻き込まれて仕方なく助けただけだ。

陶舞:そ、そうだったの……


 陶舞は何かを考えているようで、危険が彼女に近づいていることに気が付かなかった。瑪瑙魚圓が弯刀を掲げているのを見て、ようやく叫び声を上げた。


陶舞:きゃあああ!

瑪瑙つみれ:虫けらどもめ!この私を狙うなど!死んでも二度と生まれ変われないようにしてやる!


 弯刀は陶舞ではなく彼女の背後にいた堕神に降りかかり、真っ二つに引き裂いた。放心状態の陶舞は瑪瑙魚圓の尖った刃から血が滴るのをしばらく見ていると、突然笑い出した。


陶舞:ははは…

瑪瑙つみれ:恐怖でイカれたか?何笑っている……

陶舞:へへへ、さっきは助けてってお願いしなかったけど、あなたは迷わず手を差し伸べてくれた。やっぱり、あなたは人間の望みに巻き込まれたんじゃない。善良な山……


 彼女は突然口を閉ざし、懸命に別の言い方を考えているようだ。それを見て面白いと思った瑪瑙魚圓は眉を吊り上げて揶揄うように言った。


瑪瑙つみれ:山なんだって?山姥?

陶舞:山大王?いや、山神様よ!


 想像もしていなかった答えを聞き、瑪瑙魚圓は少し驚いた後、ゆっくりと下を向いて冷たく言った。


瑪瑙つみれ:……その供物は受け取ってやる。だが、ここ最近は堕神がのさばっている。おそらく、すぐにまた災難が来るだろう……

瑪瑙つみれ:もうここには来るな。次は、あんたを守れると保証できない。

山鬼谣

山姥謡「ヤマウバヨウ」・弐

新たな仲間。


陶舞:ゴホゴホ……またホコリまみれじゃない?毎日ここに住んでるんだから掃き掃除くらいしないと……

瑪瑙つみれ:……

陶舞:それに、お供物は食べてもらうためにあげてるの。そこに飾ってどうするつもり?腐っちゃもったいないでしょ!

瑪瑙つみれ:私の記憶がおかしいのか?もうここには来るなと言ったはずだろう……

陶舞:あれ?なんて?そんなことより、見て!桃に小さい虎を彫ってみたの!かわいいでしょ〜

瑪瑙つみれ:虎?豚の間違いでは?

陶舞:豚って何よ!おでこに「王」って書いてあるんだから、どう見たって虎じゃない……


 瑪瑙魚圓は拗ねた陶舞を無視し、供物台にいっぱい並べられた桃を睨み、嫌そうに言った。


瑪瑙つみれ:一体、どこからこんなにたくさんの桃を?西荒はどこも行き尽くしたけど、桃の木なんて見たことないわよ。

陶舞:もちろん私なりの方法があるのよ〜気になる?

瑪瑙つみれ:……まさか盗んだんじゃないだろうな。

陶舞:そんなわけ!……ちょっと!どこ行くの?

瑪瑙つみれ:堕神を殺しにいく。ここにいるのは構わないが、最近は物騒だ。供物台で死なれては困るぞ。そこは私のベッドなんだから。

陶舞:……相変わらず口が悪いね。心配の言葉くらいかけてくれたっていいのに……正直じゃないんだから!意地っ張り!


 瑪瑙魚圓の後ろ姿に向かってベロを出すと、愚痴をこぼして満足したのか、陶舞はまた嬉しそうな笑みを浮かべた。彼女は壊れた白虎神像の前に立ち、ホコリのついた額に頬を当て優しくスリスリした。


陶舞:怖くなんかないもん。だって……私のことを守ってくれるでしょ?


 そう言うと、冷たい秋の風が寺に吹き込み、返事をするかのように彼女の優しい頬を掠めた……


───


 一方。


瑪瑙つみれ:……錯覚か?堕神がますます増えたような……

瑪瑙つみれ:まあいい。何人いたって全部殺せばいい話。


 瑪瑙魚圓は笑いながら刀を掲げ、西荒の果てしない怨念によって変貌した堕神たちに一人で立ち向かった。赤い瞳が火のように燃え上がり、全てを呑み尽くす勢いで、乾いたひび割れた地面に邪怪の熱い血が注がれていった。

 彼女は戦えば戦うほど快楽を感じ、狂気的な笑い声が堕神の怒号に響き渡った。山を揺るがす勢いで、敵国に攻め入るように荒れた西荒の郊外を一掃した。


瑪瑙つみれ:ハッ!ゴミども、これでもう終わり?私はまだ遊び足りないぞ!

???:殺す……殺してやる……殺す……!

瑪瑙つみれ:なんだ?


 騒がしい堕神が消え、人間の弱々しい声が鮮明に聞こえた。瑪瑙魚圓は声の元を辿ると、堕神に押しつぶされそうになっている人間の少年が見えた。弱そうな枝を懸命に堕神にぶっ刺している。


???:死ね!堕神!殺してやる!殺してやる!

瑪瑙つみれ:……


 少年の体の上にいる堕神はびくともせず、さらに口を大きく開けて彼を飲み込もうとしている。瑪瑙魚圓は目を光らせ、すぐに持っていた弯刀を振り、堕神の頭を斬り落とした。


???:!!くっ、お前……。

瑪瑙つみれ:坊や、大口を叩く前にまずは自分が置かれている状況を見てみたらどう?堕神を殺す?危うく自分が堕神に飲み込まれるところだったぞ。

???:し、知るか!あいつらは俺の家族を殺した。だからあいつらの命も奪ってやるんだ!

瑪瑙つみれ:……気持ちはわかるが、身の程知らずはバカだ。家はどこだ?送っていく。

???:もう家なんかないよ……


 西荒の人々は離れ離れになり、家を失った。少年の話も珍しいことではない。だが、瑪瑙魚圓は静かに彼の話を聞いた。


???:父ちゃんと母ちゃんが死んだ後、じいちゃんが俺を売ろうとしたんだ。でも、ばあちゃんが猛反対して、俺を逃がしてくれた……でもまた家に帰ると、じいちゃんとばあちゃんはもう堕神に……

???:身の程知らずでもいい、バカでもいい。俺は絶対にあいつらを殺して仇を討つんだ!

瑪瑙つみれ:……あんた、なんて名前?

張千:え?俺は、張千……


 名前を聞いた瑪瑙魚圓は頷くと、張千の抵抗を無視して彼を肩に担ぎ上げた。


瑪瑙つみれ:私は瑪瑙魚圓、覚えておいて……これは西荒で唯一あなたを助けられる命の恩人の名前よ。


───


 ……


陶舞:張千っていうのね?私は陶舞!魚ちゃんのお友達よ〜

瑪瑙つみれ:誰が友達だって?それに、魚ちゃんって何よ。

陶舞:へへ、魚ちゃんのことは無視していいわ。彼女は恥ずかしがっているだけなの。はい、桃でも食べて。

張千:ありがとう、陶舞姉ちゃん……お、豚を彫るのがうまいね。本物そっくりだ。

陶舞:……


 怒りながらもそれを言えない陶舞の姿を見て、瑪瑙魚圓はすぐに愉快になった。彼女は供物台に寄りかかり、二人を揶揄うように笑った。


瑪瑙つみれ:あはは――まさか独り身の山の精霊であるこの私に、娘と息子ができて家族の幸せを味わえる日が来るとはねえ!めでたいわ!めでたいわ!

陶舞:だ、誰があなたの娘よ!

張千:そうだ!恥知らず!!

瑪瑙つみれ:恥知らず?じゃあタダ飯食べてタダで暮らしてるあんたは?

張千:か、借りは返す!

瑪瑙つみれ:大口を叩く前にまずは自分が置かれている状況を見てみたらどう?もう忘れちゃったの?今のあなたには何もないわ。どうやって借りを返すの?

張千:あんたには関係ない!とにかく……男に二言はない!


 瑪瑙魚圓は自分の腰くらいの背丈をした男の子を見下ろし、あの日白虎神像の前に跪いていた敬虔な老婦人を思い出した。か弱くも固い意志を持った目が、今彼女の前に再び現れた。彼女は思わず微笑み、張千の頭を無造作になでた。


瑪瑙つみれ:わかった、楽しみにしてるわ。


山姥謡「ヤマウバヨウ」・参

山姥と英雄。


子ども:嘘つき!父ちゃんと母ちゃんは、寺に住んでるのは山姥で、ヒーローなんかじゃないって!

張千:フン!それはお前の親が無知なだけだ!まったく、お前たちみたいなガキは、昔の西荒がどんなものだったか知らないんだから――お前みたいなちっこいやつを一口で丸呑みする堕神が至る所にいたんだぞ!

子ども:そんなに怖いの?でも西荒で堕神を見たことなんてないよ?

張千:それは全部、瑪瑙魚圓のおかげだ!

子ども:瑪瑙魚圓?

張千:寺に住んでるヒーローさ!万夫不当の強者!たった一人で千軍万馬に立ち向かう!どんなに恐ろしい堕神だって、彼女を前にすれば跪くしかないんだ。

子ども:す、すごい!

張千:そりゃそうだ!こんなに強くて私利私欲のない人のことを、山姥だなんて!いけないことだろ?

子ども:ごめんなさい……今すぐお家に帰って父ちゃんと母ちゃんに教えてくる!寺にいるヒーローに供物をたくさん持っていってもらうんだ!

張千:へへへ、いい子だ。クルミをたくさんお願いな!

瑪瑙つみれ:…………

張千:うおお!びっくりした!な、なんだよその暗い顔は?堕神をやっつけ足りないのか?

瑪瑙つみれ:お前……暇があればすぐに外であることないこと言いふらす癖はいつ治るんだ。供物が溢れているのが見えないのか?寝る場所までないんだぞ……

張千:だって本当のことだもん!毎日郊外で堕神を殺しに行ってたんだ。西荒が今日という日を迎えられるのも、全部君のおかげじゃないか。平和が戻った今、みんなで君にお供えすることの何が悪いんだ?

瑪瑙つみれ:悪い。食料の無駄だ。それに……。

瑪瑙つみれ:堕神は私に殺されるために存在する。私はただ当たり前のことをしただけだ。なのにお前は凡人たちに供物を持って来させるなど、まるで私が彼らの食べ物を欲しがっているみたいじゃないか。

張千:僕は……僕は代わりに怒ってるんだ!あいつらは君のことを山姥だって、寺まで壊そうとした……あんな恩知らずなやつらを守ってるんだ。少しくらいせしめたっていいだろ!

瑪瑙つみれ:バシッ――そんな汚い言葉、どこで学んだ?


 瑪瑙魚圓は眉をしかめて張千の頭を叩いた。人が痛がっているのを見ると、笑いながら叩いた場所を撫でた。


瑪瑙つみれ:山姥でもヒーローでもどっちでもいい。他人にどう思われるかはそんなに大事か?自分の生き方は自分が知っていれば十分だ。

張千:……


 張千は何も言わないが、その顔はすっかり感心しているようだ。瑪瑙魚圓は彼が反省しているのを見て、痩せた小さな肩に腕を回し、山のほうに押した。


瑪瑙つみれ:さあ、帰るぞ。好きなものを選べ。残ったものはみんなに返してこい。

張千:そう……


───


 道中、二人はふざけながら寺に戻った。扉を開けると、悩んだ顔をした陶舞がいた。


瑪瑙つみれ:どうかしたのか?何そんなところでぼーっとしているんだ?

陶舞:あ、帰ってきたんだ……ううん、こんなにたくさんのお供物、どうしようかなって……

瑪瑙つみれ:ほら、困らせただろう。

張千:僕……陶舞姉ちゃん、心配しないで!今すぐ、食べ切れない供物を返しに行ってくる!

陶舞:待って……もうすぐ日が沈むわ。明日にしよう!

張千:大丈夫、僕足が速いんだ。すぐに帰ってくるよ!

陶舞:……


 陶舞は遠ざかっていく張千の後ろ姿を見て、なぜだかすごく心配した顔をしている。瑪瑙魚圓もそれを見て、聞かずにはいられなかった。


瑪瑙つみれ:本当に大丈夫か?

陶舞:だ……大丈夫です……


 陶舞は夢から覚めたように瑪瑙魚圓に向かって笑ったが――彼女は陶舞を疑ったことはない。

 その夜、張千は帰らなかった。


山姥謡「ヤマウバヨウ」・肆

張千失踪する。


瑪瑙つみれ:陶舞!張千は帰ってきたか!?

陶舞:ま、まだ……

瑪瑙つみれ:まったく……もう一晩経ったっていうのに、あいつはどこに行ったんだ……

陶舞:魚ちゃん……族長たちに聞いてみるのはどう……?

瑪瑙つみれ:族長?

陶舞:うん……西昧族の族長。西荒で起きたことはある程度知ってるはず……

瑪瑙つみれ:……そのなんとかの族長は今どこに?族長のところに連れていって。


───


 二人は光の速さで寺を出発し、山の麓までやってきた。瑪瑙魚圓にとって予想外だったのは、族長を探しに行く途中で悲鳴が聞こえたことだ。


女性:我が子よ……我が息子(娘)よ……

男性:泣かないで。知っているでしょう……泣かないで……

瑪瑙つみれ:……一体どういうことだ?行方がわからないのは張千だけじゃない?どうやら簡単じゃなさそうだな……

陶舞:……魚ちゃん、着いたよ……

瑪瑙つみれ:ああ……とにかく、まずは張千を探すぞ。


───


西荒会館

西昧族族長院


瑪瑙つみれ:じいさん、10代のガキンチョを見なかったか?背はこれくらいだ。昨日の夜から帰ってきていない。

族長:おぉ、山神様でしたか。遠くからわざわざお越しいただきすみません。

瑪瑙つみれ:山神?本題に入るぞ。質問に答えろ。

族長:はい……お探しになっているのは張千でしょう。あの子を知っていますよ。昔はよく一族の子供たちと遊んでいたものです……

族長:まさか、彼が山神様の親族だったとは……はあ、もっと早く知っていれば。その時、誰かに報告させるべきだった、そうすればあんなことには…

瑪瑙つみれ:おい、会話ができないのか?さっきから何わけのわからないことを言っている。私は、張千を見たか聞いているのだ!

族長:み、見ました……あの子は昨晩、数十人の子供たちとともに、玄武帝の兵士に連れて行かれましたよ……

瑪瑙つみれ:玄武帝?右も左もわからない子供を連れて行ってどうするつもりだ!?

族長:山神様はご存知ないかもしれません。玄武帝は不老不死を手に入れるため、山河陣に捧げるための大量の命が必要なのです。あの子たちは、みな生贄になったのですよ!

瑪瑙つみれ:!!


───


 ……


白酒:……

胡桃粥:私もかつて、彼女と一緒に経験したことはありません……全て陶舞さんが教えてくれました。

白酒:そんなことが……だから初対面の時も、あんなに敵意を向けてきたのか。

胡桃粥:……張千の失踪は山河陣と関係があるはずです。あなたが神君から食霊に生まれ変わったのも、山河陣が理由でしょう……おそらく、彼女はあなたと手を組み、張千に関する手がかりを見つけたいのだと。

瑪瑙つみれ:じゃあ言うが、予想は外れだ。


 胡桃粥は少し驚いて振り向いた。瑪瑙魚圓が木の後ろから姿を現し、二人に向かって歩いてくる。彼女は無表情で、口調からも感情が聞き取れないため、胡桃粥はさらに固唾を飲んだ。


瑪瑙つみれ:安心しろ、怒ってなどいない。ただ、それはもう昔の話だろう。張千は人間、玄武は神君、そもそも一緒にするべきじゃない。

瑪瑙つみれ:私が頑なに聖教を滅ぼそうとしているのは、そうしないといけないからだ。

白酒:どういうことだ。

瑪瑙つみれ:西荒の人々が私のことを山姥、山神と呼ぶのはなぜだと思う?

白酒:……どうして?

瑪瑙つみれ:私に御侍がいないからだ。いや……私に御侍はいる。でも私の御侍は特定の誰かじゃない。西荒の人々、一人一人だ。

白酒:西荒……の一人一人?


 予想通り困惑している白酒を見て、瑪瑙魚圓は長話をする準備ができたように、振り返って木の下にある丸い石に腰掛けた。彼女は顔を上げて枝の影を見つめながら、堂々としながらもどこか悲しげな様子は、物語の中の山姥と姿が重なっていった。


瑪瑙つみれ:西荒の人々はあの古びた寺で、石で作られた白虎神君に幾多もの願いを唱えた……それらの願いで作られた希望の力、その信仰が……私を召喚した。

瑪瑙つみれ:だから、西荒の人々の身に関わることは……いや、耀の州の仲間たちの安全を脅かすようなことがあれば、必ず私がやらないといけない。それに……


 彼女は下を向いて何もない手のひらを見つめ、ゆっくりと拳を握った。


瑪瑙つみれ:私は西荒の人々の願いによって生まれたが、その願いは私に祈るはずではなかった……白虎は自分に捧げられるはずだった信仰を私に奪われたことを恨んで、私の体内に怨魂を生み出した。

胡桃粥:そんな……!

瑪瑙つみれ:わかるんだ。それはこの体を欲しがっている、渇望している……だから私は殺さねばならない。


 彼女は白酒の次第に縮小していく瞳孔の中で温い笑みを見せた。その笑みを見て、白酒の長い間眠っていながらもまだ若い情熱が共鳴するのを感じた。


瑪瑙つみれ:山河陣はあなたの体から玄武の記憶を抜き出して、あなたを白酒に生まれ変わらせることができるなら……白虎の亡魂を徹底的に消し去って私の自由を取り戻すこともできるはず。

瑪瑙つみれ:どう?この答えで満足したか?


山姥謡「ヤマウバヨウ」・伍

玉京出征。


胡桃粥:私は……何も知らなかった……

瑪瑙つみれ:知らなくて当然だ。話したことがないんだから。

胡桃粥:……


 瑪瑙魚圓は彼女なりの優しい口調で慰めたが、胡桃粥は釈然としていないようだ。白酒は二人の間を流れる複雑な雰囲気の中、しばらく黙っていたが、ようやく口を開いて沈黙の気まずさを破った。


白酒:……じゃあ、失踪した張千は探さなくていいのか?

瑪瑙つみれ:探すさ。でもあなたに力を貸すこととは別だ。張千の失踪は……山河陣のせいじゃないかもしれない。

胡桃粥:え?

瑪瑙つみれ:陶舞はやはり全てを教えてあげられなかったみたいだな。実はな、族長の話を聞いて、私は玄武と蹴りをつけるために玉京に行こうとしたんだ……


───


西荒

荒廃した寺


陶舞:魚ちゃん!魚ちゃん……も、もうちょっと考えてみて……

瑪瑙つみれ:これ以上何を考えるっていうんだ?これ以上何を考えるっていうんだ?言われた通り、軽率な行動は取らないで玉京に行くよう上奏文を出した。だが結果は?

瑪瑙つみれ:山河陣が信用できないこと、人の命に関わること、私がひたすら堕神を殺して彼の耀の州を守ってあげていたこと、全て言ったぞ!それなのにどうだ。「どうすることもできない」……

瑪瑙つみれ:ハハハ――たった一言、「どうすることもできない」だと!どうすることもできないなら、私が殺したってどうしようもないだろう!

陶舞:お、落ち着いて……今日行けば、白虎と玄武の宗族戦が始まるだけ。人々が一番望んでいないのは戦争よ、魚ちゃん……生まれたのは白虎寺だけど、だからって白虎みたいになっちゃだめでしょ!

瑪瑙つみれ:?


 陶舞の突然の言葉に、瑪瑙魚圓はどうしたらいいかわからなくなった。質問する間も無く、族長が大勢の兵馬を連れてやって来るのが見えた。


族長:山神様。お久しゅうございます。

瑪瑙つみれ:じいさん、これは一体?

族長:玉京へ連れ去られた張千を助けに行かれるのでしょう?

瑪瑙つみれ:だったら何だ。

族長:玉京への道は険しい。たとえ山神様が偉大な神通力をお持ちでも、一騎当千とは参りませぬ。それで時間を無駄にするのも如何かと?それに、張千は我が西昧族の仲間です。黙って見ているわけには参りません。

瑪瑙つみれ:つまり、こいつらも一緒に玉京に行くと?ふっ、これじゃあ本当に玄武との戦いが始まるようだな……

陶舞:……


 瑪瑙魚圓は急に嘲笑うのをやめた。先ほどまで彼女を必死に止めていた陶舞が何も言わずにいるのだ。彼女は突然あることに気がついた。あの族長がいる場では、陶舞は口数が格段に減る。


瑪瑙つみれ:……そうと決まれば、ちゃんと着いてこい。遅れても知らないぞ。

族長:はい、山神様。

瑪瑙つみれ:陶舞、一緒に行くか?

陶舞:私……一緒に行く!


山姥謡「ヤマウバヨウ」・陸

陰謀と権衡。


 瑪瑙魚圓は一人で万人の敵を相手にし、玄武の軍隊は次第に後退していった。道中、多くの人々が自ら「反乱軍」の陣営に加わった。白虎の旗は破竹の勢いで、順調に玄武の大殿に攻め入ることができた。


瑪瑙つみれ:なんだ?どうして誰もいない?玄武は?

兵士:山神様、おそらく玄武は山河陣の陣目に行ったのでしょう。

瑪瑙つみれ:……知っているなら、どうしてここに連れてきた。

兵士:玄武の権力を奪い、白虎一族がもう一度天下を取れるなら、山神様は必ずここに来なければなりません。

瑪瑙つみれ:……つまり、今日この日に玄武を支配の座から引きずり下ろし、白虎族が耀の州を統治する。それで私の力を借りて、まずは玄武大殿を占領したと……そんなの知っていたぞ。

陶舞:!し、知ってたの?

瑪瑙つみれ:とっくに気づいていた。じゃなきゃ、辻褄が合わない。お前らは、これまで張千を心配したこともなかった。長い間、山姥がいると言われるボロい寺に住まわせてたんだからな……それなのに、突然彼のためにこんな騒ぎを起こすなんて。


 瑪瑙魚圓は冷たく笑い、前で敵を待ち構える兵士たちを見た。その目はゆっくりと怒りの火が燃え上がった。


瑪瑙つみれ:人に利用されるのは不愉快だが、王朝が変わるのはよくあることだ。私は止めるつもりはない、そんな暇もない……政権を奪うことと人を助けることは矛盾していない。私はただ張千がどこにいるか知りたいだけだ。

兵士:行方どころか、張千が誰かも知りません。

瑪瑙つみれ:なんだと?お前たちの族長が言っていただろう……

兵士:彼が玄武に生贄として捕らえられたというのは、族長があなたをここに連れてくるためにでっちあげた嘘ですよ。

瑪瑙つみれ:……


 その瞬間、その場にいる全員が、ただでさえ冷たい玄武大殿に背筋が凍るような寒気が広がっていくのを感じた。


瑪瑙つみれ:私を騙した代償はわかっているだろうな。

兵士:我が白虎一族と精兵たちを再び天下に君臨させることができるのなら、死んでも構いません。


 そういうと、大殿を埋め尽くすほどの兵士が一斉に跪いた。瑪瑙魚圓は彼らのまっすぐな背筋を見て、目が冷たくなった。


瑪瑙つみれ:たかだか帝位のためにそこまでするのか?

兵士:ただの帝位ではありません。我が西昧族がもう二度と貧しい西荒に苦慮させられぬよう、西昧の人々が耀の州の光を浴びられるようにするためです。

瑪瑙つみれ:……

兵士:山神様も西荒人だ。西荒の人々がどのような生活を送っているかご存知でしょう……私たちは着るものも食べるものもままならない。身を置く場所さえないというのに、玄武は何もかも手に入れている。それなのにさらに不老不死を求めるなんて……

兵士:彼は耀の州の人々に支持されるようなやつじゃない。王失格だ!


 兵士の声が重いハンマーのように宮殿の美しくも脆い殻を割っていった。


兵士:そんな奴は王にふさわしくない!そして神は我が西荒に、そいつを王座から引きずり下ろす山神の力を与えてくれた。だからこそ今日、西荒の人々に泰平の世を取り戻すのです!


 国と一族のために命を捧げる熱い激情が兵士の間に流れた。瑪瑙魚圓は冷たく疲れた様子で彼らを見つめ、そっと尋ねた。


瑪瑙つみれ:じゃあ張千は?

兵士:え……?

瑪瑙つみれ:張千だってお前たちと同じ西荒人だ。玄武を追い出すためなら張千の生死はどうでもいいのか?そんなの、あのクソ皇帝と同じじゃないか!!


 そう言いながら、瑪瑙魚圓は怒りが込み上げ、目の前の兵士に弯刀を振り上げた。それを見た陶舞は、慌てて彼女の腕を引っ張った。


陶舞:魚ちゃん!人助けが先よ!張千は……ここにはいないかもしれないけど、山河陣を阻止できれば、もっとたくさんの人が救える!


 陶舞の力では瑪瑙魚圓を阻止するまでには至らなかったが、彼女は動きを止め、未だ刃の下から逃げようとしない兵士たちを見つめた。


瑪瑙つみれ:お前たちを必死に助けた結果、どれも自分を犠牲にしようとするアホな奴らだけか……愚かだ……みんな愚かだ……

瑪瑙つみれ:陶舞、行くぞ。


山姥謡「ヤマウバヨウ」・漆

万人の命。


 二人は玄武大殿を離れ、皇宮内を探し回ったが、玄武や生贄として捕らえられた者たち、張千の姿は全く見つからなかった。


陶舞:どうしよう、あまりにも広すぎる……生贄にされてしまう人たちがどこにいるのかもわからない……

瑪瑙つみれ:……わかってももう阻止できない。

陶舞:ま、まさか……!

瑪瑙つみれ:もう元には戻れない。


 陶舞は雷に打たれたように呆然としている。しばらくして、静かにため息をついた。


陶舞:幸い、張千は連れ去られたわけじゃない……

瑪瑙つみれ:陶舞、張千がどこにいるか本当にわからないのか?

陶舞:俺だ……

瑪瑙つみれ:お前は族長と面識があるはずだ。それにいつだって彼の顔色を窺って行動している……そもそも、お前の提案がなければ、私は彼に会いに行かなかったし、こんな罠にもはめられることはなかった。

瑪瑙つみれ:お前は白虎族だろう?あの日、張千が山を下りて供物を返しにいったとき、彼はもう戻って来ないことに気づいていたんじゃないのか?

陶舞:ううん……私は族長が張千をだしにして、あなたを玉京に行かせることは知っていたけど、こんな方法だったとは……


 瑪瑙魚圓はため息をつき、陶舞の顔を見ることなく相手の肩を寄せた。


瑪瑙つみれ:わかった、そうしよう。行くぞ。

陶舞:どこに……西荒に帰るの?

瑪瑙つみれ:いや……もう二度と西荒に帰ることはないはずだ。


───


 ……


瑪瑙つみれ:白虎一族は玉京を攻め入ることに成功し、西荒人も入京した。西荒は本当の荒野となったんだ。もう帰る場所ではない……

瑪瑙つみれ:陶舞と玉京を離れる道中、たくさんの東極からの流民に会った。自分の故郷が大変なことになっていると聞いて、何かできることはないかと見にきたと。

白酒:それでここをずっと守っているのか……

瑪瑙つみれ:だから誤解するな。私が玄武を憎んでいるのは、張千が理由じゃない。山河陣の目的は、玄武を不老不死にさせることじゃない。耀の州が二度と堕神に侵略されないよう守るためにある。ましてやそれは玄武自身の寿命を対価に……

瑪瑙つみれ:でも私は山河陣を認めてなどいない。


 白酒は思わず彼女の方を見た。真っ直ぐで情熱的な赤い瞳は、白酒どころか玄武に対しても一ミリも恨みを抱いていないようだ。むしろ、果たせなかった野望に対する苛立ちと怒りのようだ。


瑪瑙つみれ:生きる血肉で戦うのと、命を空虚な実現できるかもわからないものに捧げるのは全く違う。

瑪瑙つみれ:私は自分の力で西荒を何年も守ってきた。それなのに、耀の州の食霊は一体どこに行ったんだ!?誰も山河陣より良い策を思いつけないのか?思いつけないのなら、どうして堕神と死ぬまで戦わない?血戦の兵士はどこに?罪のない人々の命を犠牲にして平和を取り戻す!?

瑪瑙つみれ:生贄は……人間だ、人間なんだぞ!どんなに自分が不運でも私のために怒ってくれる張千、朝早くから川の近くで喧嘩して騒がしい趙おばさん、静かに荷物を担いで腰をかがめる陳じいさん。みんな、たくさんの喜怒哀楽で満たされる人生を送るはずだった!

瑪瑙つみれ:みんな、家の温かいベッドでその人生を終えるはずだった。それがたとえ野原や湖海だったとしても、絶対に暗い穴蔵なんかじゃない。堕神の支配と皇帝の目先の利益のために死ぬべきじゃない!彼らはみんな人間だ。線香でも寿桃でもない。玄武の手に握られる勝算でもない!

白酒:……


 瑪瑙魚圓の込み上げる怒りに対し、白酒は黙ることしかできなかった。彼はただ一人、瑪瑙魚圓の言葉に反論できず、玄武帝を恨む立場にも立てず、黙ってそれらを背負うことしかできなかった。

 瑪瑙魚圓はそれを見て、つまらなくなった。彼女はため息をつき、手を振ると、いつもの様子に戻った。


瑪瑙つみれ:あなたが玄武の代わりに罵られる必要はない。玄武が神だったとしても、今はただの凡人にほかならない。何事も完璧にやれなど言えんだろう。それに、平和な今日を過ごせているのに、全ての過ちを彼に押し付けられない。

瑪瑙つみれ:私だってずっと西荒を気にかけていたのだ。以前は考えてもみなかった、耀の州に他にも苦しんでいる人々がいるなどと……悪の根源は堕神や無数の冷たい目で傍観していた人たちだ。悪いのは玄武ではない……

白酒:そなたの言うことは正しい。だが、俺は全てを玄武に押し付けて、自分だけ無実になるわけにはいかない……俺が玄武だったら、きっと彼と同じ選択をしていたはずだ。

瑪瑙つみれ:玄武は耀の州のために命を投げ出した。当然、敬意を払われるべき行為だ。だから私は彼を恨んでいるんじゃない。ただあの時の自分を恨んでいるだけだ。

瑪瑙つみれ:玄武は王であっても、親しい友人が何人かいるはずだろう?もし私が玄武の友人だったら、彼が自らを犠牲にしてあの山河陣を築くのを見たら、彼を憎んでボコボコにするだろう。

瑪瑙つみれ:私が大切にしている人は、自分の人生をとても大切にしていない……本当に歯がゆくなる。

白酒:嬢ちゃんの言葉は心に刻んで反省する。

瑪瑙つみれ:ふっ、やっぱり玄武のやつとは違うな。

白酒:これまで、俺と玄武の違いを一瞬で感じ取ったのは嬢ちゃんだけだ。


 称賛し合い、今にも結託しそうな二人を見て、胡桃粥は思わず口を開いた。


胡桃粥:空はもう暗い。協力の話は一度ここまでにして、白酒さんは今晩東籬でおやすみなさってください。

白酒:……ではお言葉に甘える。

胡桃粥:あとで、荷葉鳳脯……彼女も私たちの仲間です。彼女がお部屋までご案内します。

白酒:礼を言う。

瑪瑙つみれ:そうだ、寝るときは気をつけるんだ。

白酒:?

瑪瑙つみれ金髄煎は元々お前を嫌っていた。なのにお前は今日、この私に刀を向けただろう……


 瑪瑙魚圓はそう言いながら、白酒に向かって陰険な笑みを見せた。


瑪瑙つみれ:こっそり部屋に入られて、殺されないようにな。

白酒:……


好時光「コウジコウ」・壱

約束と堅守。


 白酒が出ていったが、胡桃粥はそこから離れようとせず、思い悩んだ顔で瑪瑙魚圓を見ている。


胡桃粥:……

瑪瑙つみれ:何か言いたくて堪らなさそうだな。私とお前の仲だろう?言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?

胡桃粥:……………………申し訳ありません。

瑪瑙つみれ:?お前が何をしたっていうんだ?

胡桃粥:あなたの意図を推測するような真似をするべきじゃありませんでした。あなたは……どうみたって人々のためにやっていたのに、私はずっと……彼一人のために無謀な行動をしているのだと……

瑪瑙つみれ:あら?つまり、いつも怒ってたのは張千にやきもちを焼いていたからか?

胡桃粥:と……とんでもない!は、恥知らずなお方だ……

瑪瑙つみれ:あははは――やっとお前らしくなった。あの時、お前の正直な性格が気に入ったんだ。これからは、何か悩んでいることがあるならはっきり言ってくれ。

胡桃粥:……コホン、恐れながら、陛下がそう仰るなら、言わせていただきます。


 恥ずかしがっていた胡桃粥の顔が不敵な笑みに変わり、瑪瑙魚圓は思わず視線を逸らした。その足は、いつでも逃げられる準備までできている。


瑪瑙つみれ:陛下だなんて、急に何だ。そう呼ばれたときはろくなことがないんだから……

胡桃粥:聖教と山河陣の関係がわかりました。では、あの時の約束を覚えていますか?

瑪瑙つみれ:もちろん覚えている……

胡桃粥:「耀の州の他の場所で何が起ころうと、東籬の国には常に平和と安全のみがあり、もう二度と戦争や苦しみは存在しない」

胡桃粥:「東籬で菊を摘み、ゆっくりと南山を眺める」当時、この言葉を聞いて私は入京せずここに留まったのです……さて、陛下、この紙に書かれた約束を自らの手で破るおつもりですか?


 そういうと、胡桃粥は懐から一枚の紙を取り出し、瑪瑙魚圓の前で広げた。瑪瑙魚圓は数秒ほどぼんやり見つめると、ゆっくり口角を上げた。


瑪瑙つみれ:おお?こんなにも経ったのに、まだ持っていたのか?よっぽど私の字が好きみたいだな?

胡桃粥:「平和」はこの世で最も価値のあるものです。嫌いになるはずありませんよ。

瑪瑙つみれ:ふん、つまらん……わかった。お前の考えはわかっている。ただ……

瑪瑙つみれ:お前は東籬で一、二を争うほど賢い人だ。だから「利害得失」の道理を知らないはずはない。平和を手に入れたいなら、耀の州の他の場所を見捨てて、この東籬の地だけを守るわけにはいかない。

瑪瑙つみれ:戦争をなくしたいなら、戦火の火種を全て握りつぶさないと。戦争から目を背けたり、自分を騙していても始まらない。

胡桃粥:しかし……

瑪瑙つみれ:私を信じろ。

胡桃粥:……

瑪瑙つみれ:私の体には白虎の愚かな好戦の血が流れている。でも、張千や陶舞のため、東籬の無数の民のため、そしてこの紙に書かれた約束のために…

瑪瑙つみれ:私は今日という平和を守り抜く。二度ともう、罪のない人を犠牲にさせたりしない。


 瑪瑙魚圓の固い意志を持った目を見て、胡桃粥の口調も柔らかくなり、反論できなくなった。


胡桃粥:もちろん信じます。聖教の敵になることには口を出しません。ただ……

胡桃粥:これからは、何か考えがあるのであれば、まずは私に相談してください。今日のように、他人との話し合いを直接私に投げるようなことはもう二度としないでください。

瑪瑙つみれ:はいはいわかった……ん?やはりやきもちのようだな?

胡桃粥:………………かっからかわないでください。


 胡桃粥は一瞬言葉を失い、袖を振り払ってその場を去ろうとしたが、瑪瑙魚圓によって引き留められた。


瑪瑙つみれ:待て、金髄煎を誘って酒でも飲みに行くぞ。彼も今日はイライラしているんだ。ストレス発散させないと。

胡桃粥:あれ?てっきり……鬱憤を晴らすために、白酒を襲わせに行かせるのかと。だから白酒に忠告を……

胡桃粥:つまり、単純に白酒がぐっすり眠れないようにするためだったんですね……

瑪瑙つみれ:ふっ、私に刀を向けたあいつが悪い。これくらいのイタズラ、受けて当然だ!

瑪瑙つみれ:そうだ、さっき、これからは結果を伝えるんじゃなくて、全部相談するようにって言っただろう……じゃあ、目的は多少なり隠してもいいってことだな?

胡桃粥:え?

瑪瑙つみれ:なんでもない、早く行くぞ!もたもたしてると、金髄煎白酒を襲いに行っちまうぞ〜

胡桃粥:お待ちください、話を逸らさないで。何を隠すと?はっきり言ってください、ちょっと――!

好时光

好時光「コウジコウ」・弐

二度目の旅立ち。


 清々しい朝、よく眠れた瑪瑙魚圓は小鳥のさえずりに包まれながら気持ちよさそうに伸びをした。目を開けると、周りの景色に似つかわしくない恨み深い顔が目に入った。


白酒:……

瑪瑙つみれ:ぷ……ひどいクマだな、昨日はよく寝れなかったのか?

白酒:……おかげさまでな。

瑪瑙つみれ:ハハッ、冗談を言えるくらいだ。そんなに怒ってはなさそうだな……そうだ、手を組む話は答えが出たか?

白酒:実は、前に聖教に言い寄られたことがあった。その場で断ったが……今、彼らに近づいては、きっと不審に思われる……

白酒:だから、手を組むしかなさそうだ。

瑪瑙つみれ:聖教があなたを……前に、聖教は卑劣だって言ってたわよね。と言うことは、聖教についてもある程度知っているのね?

白酒:闇に潜む虫どもに過ぎない……聖教の一般的な事務は聖女が担当している。いつも聖女が口にする聖主は滅多に顔を出さないんだ。

白酒:聖教の秘密は聖女と聖主だけが知っているようだ。他のやつらは聖教に命を売ったただの操り人形だ。

胡桃粥:聖教という名は、私も耳にしたことがあります……彼らの悪行は、きっと山河陣以外にも他の仲間や組織が絡んでいるはず。その人たちから有効な手がかりを聞き出せるかもしれません。

瑪瑙つみれ:では、明日……それか明後日、玉京に行くのはどうだ?


 断定的な口調が突然質問に変わった。瑪瑙魚圓の問いを聞いて、胡桃粥は満足げに頷き、笑った。


胡桃粥:私も賛成です。

瑪瑙つみれ:決まりだ。ふむ……薬師はここ最近、また山に入ったのか?薬は足りるのか?


 胡桃粥はそれを聞いてすぐに持っていた風呂敷を叩いて頷いた。


胡桃粥:薬をたくさん出してもらったので、十分です。

瑪瑙つみれ:よし、じゃあしばらくの間、東籬はお前たちに任せたぞ、金髄煎荷葉鳳脯

荷葉鳳脯:安心してお任せを!あ!ちょっと待って!食料を渡してなかった!たくさん作ったの!ちょっと待ってて!

瑪瑙つみれ:……鳳脯が戻ってくる前に早く行くぞ!

白酒:?

瑪瑙つみれ:あの真っ黒に焦げた野菜を一人で平らげたいなら別だ。あと、塩で殺されたんじゃないかってくらいしょっぱい牛バラもな!


 それを聞いて、白酒も慌てて馬に乗った。しかし、厳しい顔をした金髄煎に止められた。


金髄煎:もし瑪瑙魚圓に何かあったら、お前を許さない。

瑪瑙つみれ:お前……私はあいつに守ってもらうほど弱くない。

金髄煎:……もしお前がまた理性を失ったら、こいつはお前の安全など顧みず、目的を達成することを優先するはずだ。

白酒:俺はそんなひどいやつじゃない。信じるかどうかはお前の勝手だ。

金髄煎:……

胡桃粥:安心して、私がいる限り、そのようなことはさせません。


 胡桃粥の言葉を聞いて、金髄煎もようやく安心し、馬に乗った三人を見送った。


───


 数十里ほど進んだとき、白酒は長い間考えていたかのように、口を開いて聞いた。


白酒金髄煎……彼の俺への敵意は、強過ぎないか?

瑪瑙つみれ:夜中に殺されていないだけマシだ。

白酒:……そうだ、以前、陶舞の話をしていたが、その嬢ちゃんはどこに?会ったことがないような……

瑪瑙つみれ:……


 瑪瑙魚圓の笑顔が一瞬固まったが、すぐに目の前の広い平原を指差して笑った。


瑪瑙つみれ:会ったことがない?この東籬を見ろ……これが陶舞だ。

白酒:?

瑪瑙つみれ:まあ、旅は長い。暇つぶしに説明してやろう。金髄煎がどうしてあなたをあんなに嫌っているのかを。


好時光「コウジコウ」・参

いわゆる犠牲。


白酒:玄羽衛?

瑪瑙つみれ:玄武を守る闇衛だ。玄武のために生き、玄武のために死んでいく人たちさ。山河陣の生贄がいない時は、もちろん彼らが真っ先に生贄として使われる。

白酒金髄煎は玄羽衛だった……でも生贄にはされなかったのか?

瑪瑙つみれ:色々あって、あいつは生贄の部隊に追い付けなかった。それで私が拾ってあげたんだ。そういえば、胡桃粥と知り合ったのもその時だったな……


───


数年前

玉京城外


瑪瑙つみれ:これだけ歩いて、助けたのが自ら死を求める食霊だと……逃げられないようにキツく縛れ。

金髄煎:なんで縛るんだよ!離せ!

陶舞:け、怪我してる。じっとしてて……

金髄煎:気安く触るな!うぐっ……!


 肉まんを口に入れられ、金髄煎は目を見開いてイライラした様子でその犯人を睨みつけることしかできなかった。


瑪瑙つみれ:離してどうするっていうんだ?狂牛のようにあちこち騒ぎ回るつもりか?黙って食べろ。

金髄煎:うぐぐぐぐぐ!

瑪瑙つみれ:え?何言っているかわからないぞ。チッ、しゃべれないなら静かにしろ。

金髄煎:うぐっ……ペッ!離せ!戻らないといけないんだ!俺は玄羽衛だ、戻らないと!

瑪瑙つみれ:戻っても生贄を連れた山河陣の部隊にはもう追いつけない。玄羽衛はもう存在しない。玄武の王朝も終わった。

金髄煎:なら反乱軍を片付けて、陛下のために最後まで戦う……

瑪瑙つみれ:死にいくことがそんなに大事か?気になるんだ、教えてくれてもいいだろう?

金髄煎:……俺は玄羽衛だ。俺の命は陛下のもの。陛下のために死ねないなら、生きていたって……

瑪瑙つみれ:でも生きることが重要じゃないなら、その犠牲も無意味なものだ。

金髄煎:どういう……ことだ……

瑪瑙つみれ:ここがどこだか知ってるか?ここは玉京城からそう遠く離れていない。戦争のためのテントがいたるところに張られている……この旗や矢は耀の州に何をもたらしたと思う?災い、生き別れ、死別……

瑪瑙つみれ:でも聞いたところによると、お前の陛下が必死に作り上げた山河陣は、耀の州の人々を守るためにあるらしいな……もし耀の州の住民であるお前が命を軽んじたら、なぜそのような犠牲を払ってでもそれを守ろうとするんだ?

金髄煎:だが、陛下は最初から俺の命を犠牲にするおつもりだ……俺が生まれたのは、陛下のために死ぬためだ……

瑪瑙つみれ:犠牲をこの上ない栄光だと思っているなら、最初から生まれなきゃよかったんだ。みんな腹の中で死んじまえばいいんだ!

瑪瑙つみれ:自分が何のために死ぬのかも、自分の死が本当に世界に平和をもたらすかどうかもわからないなんて。お前の言っている犠牲は「忠臣」としての虚栄心を満たすためだけに過ぎない。


 突如、大殿で跪いていた西荒の死士たちが頭に浮かび、瑪瑙魚圓の目に怒りと悲しみの色が浮かんだ。


瑪瑙つみれ:ただ死ぬために生まれた人などいない。お前の陛下は死んだ。これからは自分のために生きろ。

金髄煎:自分のために……生きる?

瑪瑙つみれ:鈍い頭だ……まあいい。自分のために生きることが難しいなら、こいつのために生きたらどうだ?

小狗:ワン!

金髄煎:おい!どうしてそいつまで縛ってるんだ!

瑪瑙つみれ:なんだ?お前の犬じゃないのか?お前が気絶していた時、ずっと周りをぐるぐるしていたから、てっきりお前の犬かと……まあいい、今日からお前の犬だ!名前をつけてあげなさい。

金髄煎:あっ?

瑪瑙つみれ:早くしろ。名前をつけないなら今すぐそいつの首を切り落とす。

金髄煎:ま、待って!えっと……えっと……


 瑪瑙魚圓の目つきを見て、金髄煎はそれが冗談とは思えなかった。彼女はいつでも犬に刀を振り下ろせそうだ。金髄煎は頭に浮かんだ単語を必死に叫んだ。


金髄煎:クコ!クコだ!

瑪瑙つみれ:クコ?何だその変な名前は?

金髄煎:クコの実のクコだ。クコの実の畑の中で見つけたんだ……クコ……クコ?

小枸儿:ワン!

瑪瑙つみれ:いいだろう。結構気に入ってるみたいだな。じゃあ、これから育てるんだな?早く答えろ、でないと今すぐ首を切り落とすぞ。

金髄煎:お前……わかった、育てる!責任持って面倒を見る!

瑪瑙つみれ:動物が好きみたいだな……ふっ、わが国にはまだ……面白い動物がたくさんいる。そいつらの面倒を見ないか?

金髄煎:俺が面倒を……見る?

瑪瑙つみれ:早く返事をしろ。今すぐ目の前で角煮にするぞ。

金髄煎:……


 この時、金髄煎は相手の威嚇が全て虚勢であることに気づいていた。瑪瑙魚圓が自分を離し、自分を死なせてくれるまで、無視することもできたのに……

 だが、彼はあまりにも長い間、死の気配が充満する世界で生きていたため、「生きるために生きる」ということが彼にとってどれほど魅力的か……性格が悪そうだが信頼できそうな瑪瑙魚圓を前に、彼は本能的に信じたかった……

 自分は、ただ犠牲になるために生まれたわけではないことに。


金髄煎:……わかった。俺がみんなを育てる。

瑪瑙つみれ:ふん、約束だ。

陶舞:……


 重荷を下ろしてほっとしている金髄煎と満足げな瑪瑙魚圓とは違い、陶舞は思い詰めた顔をして瑪瑙魚圓をテントの中に引っ張った。


陶舞:魚ちゃん、西荒にそんなたくさんの動物はいないよ?なのに……

瑪瑙つみれ:西荒?西荒に動物がいるとは言っていない。

陶舞:え?でも、さっき、わが国って……

瑪瑙つみれ:そう、私が言ったのはわが国、西荒じゃない。

陶舞:えっと、こんがらがってきた……つまり、新しい国を作るってこと!?

瑪瑙つみれ:ふっ、頭はしっかり働いているじゃないか。こんがらがってないようだぞ?

陶舞:で、でも……国を作るなんてそんな簡単に……どうやって……

瑪瑙つみれ:安心しろ、方法はある。


 陶舞の心配そうな顔を見て、瑪瑙魚圓は説明を続けた。


瑪瑙つみれ:東極には、玄武のせいで「離郷」と化してしまった風水の宝地があるだろう。そこに新しい国を作るんだ。

瑪瑙つみれ:今度こそ、西荒の二の舞いにはさせない。


好時光「コウジコウ」・肆

救いの恩義。


瑪瑙つみれ:じいさん、これがいつもお前を邪魔してくる堕神だろう?

农户:おお!そ、そうじゃ……

(※「农户」とは、農家という意味。)


 農夫は床に転がる縛り上げられた堕神と、それに比べてかなり小柄な瑪瑙魚圓を見て、信じられないという顔で大きな口を開いた。


农户:本当に……捕まえた……

瑪瑙つみれ:当たり前だろ。給料は?

农户:あ、あるよ!まだ小さい子牛じゃが……

瑪瑙つみれ:いつか牛が大きくなる。連れて行く。

瑪瑙つみれ:そうだ、じいさん。あの絵のことを忘れるな。張千を見かけたら、絶対に離郷に来るよう伝えてくれ!

农户:わかったわかった……


───


 満足そうに農夫から縄をもらった瑪瑙魚圓は、金髄煎がこの今月五頭目の牛を見てどんな表情をするか、胸を膨らませながら帰った。


瑪瑙つみれ:ああ、張千には人に見返りを求めるなと教えたのに、今じゃ私が……まあ仕方ない、これも離郷のため。ただ……

瑪瑙つみれ:山河陣は一番の解決策じゃない。耀の州の外から堕神が侵入しないように防ぐだけ。元々いた堕神はすぐに片付けないと、増殖を繰り返す……

???:殺す……殺す……

瑪瑙つみれ:あれ?何の声……


 近くから奇妙な声が聞こえ、瑪瑙魚圓は不思議ながらもどこか聞いたことのあるように感じた……彼女は子牛を木の下に繋げ、早足で声のする方へ向かった。


胡桃粥:ゴホッ……堕神のやつ……殺されてたまるか……

瑪瑙つみれ:……


 草むらの中で、醜い堕神が一人の青年に馬乗りになっていた。涎を垂らしながら牙をむき出しにし、痩せ細った首に噛みつこうとしているが、青年が持っていた筆軸によって遮られている。

 この状況はどこか見覚えがあり、瑪瑙魚圓は思わず思いにふけた。その時、牙に対抗していた筆軸から破裂音が聞こえた。


胡桃粥:!!

瑪瑙つみれ:まずい……!


 今にも尖った牙が青年の首に刺さろうとしている。瑪瑙魚圓は冷や汗をかいた。今までで一番早いスピードで弯刀を抜き出し、堕神に向かって投げた。

 間一髪で、弯刀は直接堕神の首を斬り落とした。鮮血が飛び散り、驚いている青年に降りかかった。


瑪瑙つみれ:だ……大丈夫か?

胡桃粥:本が……

瑪瑙つみれ:あっ?

胡桃粥:本に……血がついてしまった……

瑪瑙つみれ:……


 危うく死ぬところだったのに、巻物を心配している青年を見て、瑪瑙魚圓は言葉を失った。そこで彼女は気づいた。青年が先ほど必死に守っていたのは自身の命ではなく、巻物だったのだ。


瑪瑙つみれ:また命を軽んじるやつか……

胡桃粥:……助けてくれてありがとうございます。胡桃粥と申します。この巻物以外に、お返しできるものはありませんが、もしお好きであれば好きなだけ持っていってください。感謝の気持ちです。

瑪瑙つみれ:先ほどまで命を捨ててまで守ろうとしていたものを人にあげるのか?堕神の血がついたから、本の価値がなくなったとでも言いたいのか?

胡桃粥:本は汚らわしいものがついたからといって、その価値が下がることはありません。私はただ、あんな邪悪なやつらによって本を失いたくなかったのです。ですが、本を大切にしてくれる持ち主を見つけることができれば、本も幸せでしょう。

瑪瑙つみれ:そんなのもらっても仕方ない……でも、どうして一人でこんなにもたくさんの本を持っているんだ?

胡桃粥:お恥ずかしいのですが、玉京へ行って抱負を実現しようとしていたのです。まさか道に迷い、命まで失うとは……

瑪瑙つみれ:玉京へ?抱負を実現……つまり、皇帝に仕えるというのか。

胡桃粥:明君を補佐し、人々に平和をもたらせられるのであれば、悔いはありません。


好時光「コウジコウ」・伍

大志の方向。


 秋になり、緑と黄色の草原はまるで絵の具が混ざったようだ。金髄煎は丘の上に寝転がっていた。息を吸うたび、日に照らされた草のにおいが広がる。うとうとしていると、堂々とこちらへ向かってくる足音で目が覚めた。


瑪瑙つみれ:ほら、この子は任せたぞ。

金髄煎:……また牛か?こんなに小さきゃ、食べても腹を満たせないな……

瑪瑙つみれ:おい、この可愛い子牛ちゃんを殺して食べるつもりか?

金髄煎:離郷は干ばつで収穫がない。みんなが餓死してくのを黙って見ているわけにもいかないだろ……牛や羊は俺が面倒を見ているんだ。殺すなんて、もちろん嫌だよ。でもそれも「生きる」ためだ。

瑪瑙つみれ:だいぶ成長したな。もう、死ぬことだけを考えていた頑固頭じゃないようだ。

金髄煎:……全部、愚かな玄武のせいだ。あいつのせいで離郷の人々がこんなにも苦しんでいるんだ。今年の干ばつだって、きっとあいつが山河陣を作るために多くの人を犠牲にした天罰だ。

瑪瑙つみれ:そういう迷信はよくないぞ。天災は予想できない。私たちはできることをすればいい。

金髄煎:できること……人間は俺たちと違う。もし雨が降らなければ、餓死する前に渴死してしまう。人がいなきゃ、国とはいえない。

瑪瑙つみれ:渴死は大袈裟だが、陶舞が桃をたくさんあげただろう。どこから持ってきたのかは知らないが……

金髄煎:でもこの策は長くは持たないだろ。それに食糧の問題を解決できても、離郷の人々は戦争で疲弊している。祖国を再建する意思も力もない。それなのにどうやって彼らをまとめるつもりなんだ?

瑪瑙つみれ:私は体力仕事しかやらない。頭を使うことは専門外だ。

金髄煎:じゃあ誰がやるんだ?これまで、俺たちを騙していたのか?

瑪瑙つみれ:騙す暇なんてない。頭脳労働はいい候補を見つけた。

金髄煎:誰だよ……

胡桃粥:お嬢さん!


 話していると、そう遠くない場所から声がした。瑪瑙魚圓は声がした方を見て、思わず笑った。


瑪瑙つみれ:ほら、来たぞ。

陶舞:魚ちゃん、ごめんね。彼はここが離郷だって知ってるのかと思って……

瑪瑙つみれ:問題ない。いずれ知るんだ。

胡桃粥:この命を助けてくれたことは忘れません。しかし、私は玉京に行きたいと言ったはず、どうして私を騙したのですか?

瑪瑙つみれ:逆に聞くが、玉京じゃなきゃいけない理由はなんだ?高い位や富が欲しいのか?

胡桃粥:違いますよ!私はただ、耀の州を良くしたいんです……

瑪瑙つみれ:ならここが相応しい。

胡桃粥:……


 ここまで話し、胡桃粥は瑪瑙魚圓の考えに対し、覚悟を決めていたが、あまりにも突然の出来事だったため、すぐには受け入れ難かった。それに何より……


胡桃粥:玉京の方が地形の面でも経済的な面でも優れており、どこにでもつながっているため耀の州の各地を統治しやすい……一方、ここにあるのは不毛の土地と弱い平民のみ……

瑪瑙つみれ:ほう、廃物を宝にする自信がないのか?

胡桃粥:廃物を宝にするというより……起死回生に近い……

瑪瑙つみれ:大殿で平凡な暇人になるより、険悪な情勢を挽回できる、起死回生できる有能な家臣になるほうがいいだろう。離郷の復興が急がれる今、腕を振るうチャンスだ。

胡桃粥:……つまり、ここを王城である玉京よりさらに繁栄した街にするおつもりですか?

瑪瑙つみれ:玉京より?玉京なんかと比べてどうする。離郷は玉京と関係ない。それに、私が求めているのは街じゃない……国だ。私は「犠牲」を崇拝しない国を作る。人々が、夜ご飯を魚にするか肉にするか、そんなちっぽけなことでしか悩まない国……

瑪瑙つみれ:そして私はこの国の王になる。その対価として、ここでの苦しみは全て私一人で背負う……どうだ?丞相になって、一緒に平和な国を作らないか?


好時光「コウジコウ」・陸

東籬の国だよ。


瑪瑙魚圓の部屋の外


 金髄煎は腕を組んでドアに寄りかかり、目を閉じている。陶舞は階段に座り、暇そうにクコの相手をしている。


陶舞:……二人が部屋に入ってから丸一日が経ったわ。一体何を話しているのかしら……

金髄煎:幸い、コップが割れた音が聞こえただけだ。もし本当に言い争いが起きれば、彼はきっと瑪瑙魚圓に殺される。

陶舞:魚ちゃんが胡桃粥さんをうまく説得できるといいんだけど……彼が離郷に残って魚ちゃんの力になってくれれば、私も安心できるわ……

瑪瑙つみれ:もう二度と離郷の話はするな。


 扉が中から突然開けられ、陶舞は部屋から出てきた瑪瑙魚圓を見て、信じられないという表情で目を丸くした。


陶舞:魚ちゃん……どういうこと?話し合いはうまくいかなかったの?胡桃粥さん、やっぱり玉京に行かれるんですか?

胡桃粥:や、私は……

瑪瑙つみれ:よし、我が丞相から新しい国名を発表してもらおう。

陶舞:!!

胡桃粥:……今日から、離郷の名を「東籬の国」に改めます。

金髄煎:東籬の国……

胡桃粥:ええ。東籬の国……争いとは遠く離れた、平和で穏やかな国です。

陶舞:よかった……よかったわ!!

瑪瑙つみれ:喜ぶのはまだ早いわ。これから忙しくなるわよ。

陶舞:でも、いいスタートが切れた!新しい国を作る……魚ちゃん、本当に成し遂げたのね!

瑪瑙つみれ:もちろんだ。ゴホン、建国後の一つ目の任務は、東籬の食糧の問題を解決すること……

瑪瑙つみれ:この中に雨を降らせる力を持ってる人はいないだろうな?うーん……いっそのこと、玉京へ食料を奪いに行くぞ!

胡桃粥:???ついさっき、「争いとは遠く離れる」って言ったような気が?

瑪瑙つみれ:これは争いには入らない。生きるためなんだから。それに、私は前から玉京が気に食わなかった。

胡桃粥:……「離郷は玉京と関係ない」と。あの時の態度は嘘だったのですか……?

金髄煎:玉京から食糧を運ぶのは時間も労力も必要だ。やめた方がいい。

瑪瑙つみれ:なら東籬に一番近いのは……戍衛郡?

金髄煎:ああ。そこなら食糧もたくさんあるはずだ。

胡桃粥:……丞相の件はもう一度考えさせてもらっても……


 胡桃粥がこめかみに手を当てて悩んでいるのを見て、陶舞は近づいて笑って慰めた。


陶舞:心配しないでください。魚ちゃんは今、興奮状態なんです。今言ったことは全てでたらめです。もう少し冷静になるのを待ちましょう。

胡桃粥:冷静になる前に先に遠くへ行ってしまうのでは……

陶舞:いえ、魚ちゃんは見かけによらず、慎重なんですよ。

胡桃粥:そうであればいいんですが……しかし、食糧については確かに難題です。

陶舞:それは私に任せてください。

胡桃粥:えっと……失礼ですが、人は一生桃を食べていくわけにはいきません……

陶舞:違いますよ!とにかく、安心してください。


 彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔は、人に安心感を与えた。


陶舞:干ばつはもうじき終わります。


数日後

東籬の国


 不眠不休で人々のために堕神を倒し、悪党を叩きのめし、瑪瑙魚圓は東籬にかなりの食糧をもたらした。希望を失っていた東籬の人々も、瑪瑙魚圓の貢献を見て、再び生きる希望が湧いた。

 乾季はまだ終わっていないが、次第に再建が進んでいった。東籬の人々は瑪瑙魚圓のために寺を建て、彼女を神として敬った。寺は簡素でボロかったが、瑪瑙魚圓にとって、これまでの中で一番居心地がいい大好きな場所になった。


胡桃粥:しかし……ずっとこのままというわけにはいきません。お体の健康状態もそうですが、もう東籬付近で盗みを働く者はいません。食糧を手に入れるには、これからはもっと遠くへ行かなければ……

瑪瑙つみれ:大丈夫だ。遠ければ遠いほどいい。そうすれば彼を見つける確率も上がる。

胡桃粥:彼……張千のことですか?今でも彼を諦めていないんですね?

瑪瑙つみれ:生死を問わず探し出すしかない。私は諦めない。

胡桃粥:……

瑪瑙つみれ:よし、他に用がなければ、陶舞を見にいってくる。


───


 何も言わない胡桃粥を見て、瑪瑙魚圓は早足で陶舞の部屋に向かっていった。扉は半分開いていた。彼女は扉を押し開けて中に入ると、ベッドに横たわる彼女を見て、思わずその場に固まった。


陶舞:魚ちゃん、来たのね……

瑪瑙つみれ:たった数日で、どうしてこんなに悪化してるの?あのヤブ医者……

陶舞:待って……薬師は関係ない、私がいけないの……


 陶舞は手を伸ばして瑪瑙魚圓を引き留めた。その手はかすかに震えており、瑪瑙魚圓の袖を掴んだだけで力を使い切ったようだった。瑪瑙魚圓はベッドの横に座り、心配そうに彼女を見つめた。


陶舞:魚ちゃん、私たちが会えるのは、これで最後だと思う。

瑪瑙つみれ:あなた……

陶舞:私の体はもう持たない。神様が来ても、もう元には戻れない……最後に、ずっと隠してたことがあるの……

陶舞:実は、私は人間じゃないの……

瑪瑙つみれ:……知っている。

陶舞:やっぱり……何でもお見通しだね……

瑪瑙つみれ:あの桃は、お前が霊力を使って変えてきたものだろう……体がこんな状態になったのも、霊力を使いすぎてしまったせいか?

陶舞:うふふ……私はそんなバカなことしないよ……でも、半分は正解……


 ポタ。


陶舞:私は霊族……私の名前は、梼杌……白虎……族……

(※檮杌(とうごつ / とうこつ)とは中国神話に登場する怪物の一つ。四凶の一つとされる。)


 ポタ。ポタ。


陶舞:白虎一族のために……私はたくさんの……過ちを犯した……罪を、償わないと……


 ポタ。ポタ。ポタ。


陶舞:これで、東籬が……繁栄、して……西荒の……後悔を……埋められますように……


 瑪瑙魚圓の手のひらに包まれた手が徐々に力、そして温度を失っていった。その時、窓の外から雨の音が聞こえた。

 陶舞が死んだ。突如やってきた大雨と、感激して涙を流す東籬の人々の歓声の中、この世を去った。

破阵子

破陣子「ハジンシ」・壱

聖教の調査。


瑪瑙つみれ:陶舞がいなくなった後、東籬で再び干ばつが起こることはなかった。人々は懸命に働き、胡桃粥も統治に尽力し、東籬はすぐに繁栄した。ここ数年は、戦争で迫害を受けた難民もたくさん受け入れた。

瑪瑙つみれ:東籬に今日という日があるのは、陶舞が命に替えて降らしてくれた大雨のおかげだ。だから、今東籬に生えている草や砂は全て陶舞だ。

白酒:……東籬には、そんな悲壮な物語が……

瑪瑙つみれ:「壮」は認める。だが「悲」は違う。あなたは知らない。あの頃がどんなに楽しかったか、陶舞がどんなにたくさんの幸せをもたらしてくれたか。

白酒:俺は身をもって経験したわけじゃないが、なぜだか建国当初の話を聞くと……いつも馴染みある……懐かしい感覚がする……

瑪瑙つみれ:……前世で似たようなことを経験したからだろう。

白酒:おそらくな……玄武にもお前みたいに同じ志を持った仲間がいれば……どんなに幸せだったか。

瑪瑙つみれ:羨ましいのか?お前も今、同じ志を持つ仲間ができたじゃないか。


 それを聞いて、白酒は少し驚いた顔で瑪瑙魚圓を見た。長い物語とともに、彼らは何日も共にしており、白酒は瑪瑙魚圓や胡桃粥のことをどんどん見込んでいった。彼ら二人と仲間になれるなんて、それ以上の喜びはない。


白酒:……ふっ、そうだな。


 彼は軽く笑った。嬉しさを感じると同時に、少し寂しくなった。


胡桃粥:この先が玉京です。茶屋や酒楼で情報を探ってみましょうか?

瑪瑙つみれ:任せる。行くぞ。


───


玉京

墨閣


蓮の実スープ:……私は確かに聖教と少し繋がりがございます。ただ……

蓮の実スープ:聖女は秘密主義で、聖教内部のことは誰にも話しません。彼らが山河陣に何をしたのかは、私もわからないんです。

白酒:では、他にこのことを知っている可能性のある方をご存知ですか?

蓮の実スープ:ごめんなさい……

白酒:謝らないでください。

蓮の実スープ:……墨閣は聖教を滅ぼすために建てられました。聖教も仇敵であるなら、他に情報を提供できるかもしれません……

瑪瑙つみれ:それは助かる!

蓮の実スープ:ええと……聖教がはたらいた悪事は計り知れません。それに、長い間、食霊を使って色々な実験をやっているんです。それに犠牲になった食霊は数え切れません……

蓮の実スープ:その実験は、どうやら聖主のためのようです……しかし、聖教内部では、聖女と聖主の仲が良くないとの噂もあります。

蓮の実スープ:聖女と関わったことがありますが、彼女の意思は固く、動揺することはありません。情報を得たいのなら、聖主から探った方がうまくいくかもしれません……ただ、聖主に会うことも簡単なことではありませんが。

瑪瑙つみれ:なるほど……では、聖教はどこに?行く途中に何か罠はあるのか?

白酒:聖教の場所なら知っていますよ。しかし、どうするおつもりですか?

瑪瑙つみれ:虎穴に入らずんば虎児を得ずってやつ?

胡桃粥:まさか……聖教に潜入するおつもりですか?

瑪瑙つみれ:湘蓮さん、聖教への加入に何か条件はある?

蓮の実スープ:じょ、条件があるなどとは聞いたことがありませんが……それはあまりにも危険すぎます!

瑪瑙つみれ:奇遇だな、私は冒険家なんだ。


 瑪瑙魚圓が馴染みあるあの笑顔を見せ、胡桃粥は話し合う余地もないことを悟った。白酒はまだ諦めず、説得を試みている。


白酒:聖女は俺を知っている。もし聖教に潜入するなら、お前と胡桃粥の二人しか入れない……だが、これは持久戦だ。聖主に接触する前に、聖教の陰謀がやつらの思い通りになるかもしれない。

胡桃粥:ですので持久戦はだめです。今必要なのは速戦即決です。

白酒:というと、何か計画が?

胡桃粥:はい。危険な一手になりますが……


破陣子「ハジンシ」・弐

虎視眈々。


翌日

地府


猫耳麺:報告してくるので、ここで少し待っていてください。

瑪瑙つみれ:頼んだぞ、坊や。


 猫耳麺は走って玄鉄の扉の中に入っていった。そしてまた走って戻ってくると、三人を連れて中に入った。


高麗人参:……まさか、こんなにも早くまたお会いできるとは。

白酒:世事は予測しがたい……今回は、頼み事があって来た。

高麗人参:なんでしょう?

白酒:今年の春節、鬼谷書院の近くの山河陣に何かおかしい様子はあったか?

高麗人参:……たしかに鬼谷書院の近くにあった石碑が壊れましたが、どうしてそれを?

白酒:その頃、ちょうど俺もそこにいたんだ。それに俺の推測が正しければ、聖教の仕業だろう。

高麗人参:聖教ですか……

白酒:簡単に聖教のここ最近の行動を調べてみたが、やつらが行く先々で、山河陣に異常が発生している。

高麗人参:つまり、石碑が壊れたのも聖教のせいだと……?

白酒:それだけじゃない。おそらく、やつらは初めから山河陣に何か仕掛けていたんだろう。そろそろ聖教を一網打尽にする時だ。

高麗人参:……山河陣に危害を加える者がいるのであれば、もちろん黙ってみているわけにはいきません。

白酒:それなら、俺たちの計画を聞いてほしい。


 白酒はそばにいた胡桃粥のほうに目を向けると、胡桃粥は人参のほうへ足を一歩進めた。


胡桃粥:今ある手がかりを見ると、聖教の目的は二つあります。一つは聖主のために何らかの実験をしていること。もう一つは、耀の州の安寧を壊すこと、すなわち山河陣の破壊を意味します。

高麗人参:……山河陣は耀の州を守るためにつくられたというのに、一体どうしてそんなことを?

胡桃粥:真の目的を知りたいのなら、一番の方法は聖教に加わり、彼らの一員になることです。

高麗人参:しかし、どうやって?

胡桃粥:簡単です。聖教よりも先に山河陣を壊せばいいのです。

高麗人参:!


 驚いている人参を見ても、胡桃粥は急いで説明することなく、冷静にゆっくりと話を続けた。


胡桃粥:地府の者たちは山河陣の維持に尽力していますが、聖教の最終的な目的が単なる山河陣の破壊であれば、必然的に地府という妨害を排除するはずです。しかし、実際はそうではありません。私の推測では、彼らがもう一つ別の目的を果たす前は、まだ山河陣を完全に排除できないのでしょう。

胡桃粥:つまり、私たちが先に山河陣を破壊すれば、聖教は必ず阻止しにくるはずです。白酒さんの経験からすると、利用価値のある食霊であれば、聖教は積極的に仲間に引き入れようとしています。つまり、如何にして聖教に入るかではなく、聖教があちらから私たちを仲間にするはずです。

高麗人参:なるほど。しかし、山河陣は何人もの命を犠牲にして作られたものです。そんな簡単に壊せるのでしょうか……

胡桃粥:だからこそ、地府の力が必要なのてす。山河陣を壊すのは見せかけですが、あまりにも嘘っぽければ、聖教に疑われてしまいます……

胡桃粥:地蔵様には、山河陣に詳しいお方を紹介してほしいのです。山河陣を完全に壊すまではいかなくとも、ある程度破壊し、聖教に接触ができたらすぐに山河陣を修繕するのを手伝っていただきたい。

高麗人参:なるほど……危険な策ではありますが、試す価値はあります。

高麗人参:ただ、重要なことなので、兄弟子に相談する必要があります。

胡桃粥:どれくらい必要ですか?ここ最近、聖教の実験は以前に比べて頻度が少なくなったようです。残された時間は多くありません。

高麗人参:そんなにかかりません……彼が賛同してくれれば、さらに優秀な人手を借りられるかもしれません。

胡桃粥:ではお願いします!

瑪瑙つみれ:待って。

胡桃粥:どうしましたか?

瑪瑙つみれ:ふと気づいたんだが、この計画には理由が足りないんじゃないか?もし聖教に、どうして山河陣を破壊するのか聞かれたらどうするんだ?

胡桃粥:……私を助けるためと。

瑪瑙つみれ:?

胡桃粥:私は山河陣によって生まれた食霊です……山河陣を壊してこそ、私は真の自由を得られます。

瑪瑙つみれ:!!


破陣子「ハジンシ」・参

配置計画。


白酒:人参が、俺たちの計画に賛成してくれた。機関城の辣子鶏東坡肉も力を貸してくれると。

瑪瑙つみれ:そう……


 ずっとこの答えを待ち侘びていたが、瑪瑙魚圓はあまり嬉しくないようだ。彼女は眉をしかめ、隣の胡桃粥を見た。


瑪瑙つみれ:山河陣によって生まれたと、なぜ言わなかった?

胡桃粥:ゴホン……私も詳細を知らなかったので、なんと説明したらいいかわからず……

瑪瑙つみれ:では、山河陣を壊さないと真の自由を得られないというのは?ずっと自由じゃなかったのか?

胡桃粥:ゴホン、それは聖教を騙すための嘘ですよ。まさか信じたんですか?

瑪瑙つみれ:本当か?騙してない?山河陣によって生まれたのなら、山河陣を壊したら何か悪影響があるんじゃないの?

胡桃粥:騙す理由がどこにあるんですか?それに、もし影響があれば、白酒さんだって気づくはずです。

白酒:……確かに、山河陣が原因で何かを感じたことはないな。

胡桃粥:ほら。ゴホゴホ……だから安心してください。

瑪瑙つみれ:どうしてさっきから咳き込んでいるんだ?薬はしっかり飲んでいるのか?

胡桃粥:大丈夫です……ゴホゴホ、もしかしたら、気候風土になじめていないのかもしれません……

瑪瑙つみれ:まったく、こうなるなら薬師も一緒に縛りつけてくればよかったな……

猫耳麺:みなさん、お話のところ失礼します……人参さまがお呼びです。

白酒:機関城の人が到着したようだ。一緒に計画を練るんだろう。行くぞ。

瑪瑙つみれ:うん。


───


 何かを考えているような瑪瑙魚圓は猫耳麺の後ろをついていく。彼女が先に曲がり角を曲がると、白酒が勢いよく胡桃粥を引っ張った。彼はそこまで大きな力を出していなかったが、胡桃粥は倒れそうになった。


白酒:やっぱり……初めて会った時から病弱だとは思っていた。だが、山河陣は英霊の希望の力をたくさん集めている。生まれてくる食霊も霊力がみなぎっているはずだが。

白酒:瑪瑙魚圓は長らく一緒にいるから、些細な変化に気づかないんだろう……玉京に来てから、さらに霊力が減ったんじゃないのか?

胡桃粥:彼女には言わないでください。

白酒:……

胡桃粥:私は彼女に命を助けてもらいました。今はその借りを返す時なのでしょう……

白酒:今まで東籬を治めて来たんだ。十分恩返しはできただろう。

胡桃粥:それは命を救ってくれたことへの恩返しでしかありません、ゴホゴホ……他にも、生き返らせてくれたことへの恩返しが必要です。

白酒:……山河陣を壊すことは、本当に体に影響がないのか?

胡桃粥:私もわかりません……私の体は昔からこうなのです。以前は、薬師の薬に頼っていましたが、今回は薬を飲まなくなったうえ、疲労が溜まってしまったのでしょう……

白酒:薬は十分な量を持って来たって……まさか瑪瑙魚圓を安心させるための嘘だったのか……なら、東籬に戻って薬師に薬をもらいにいくのはどうだ?

胡桃粥:それはいけません……もうここまで来たんです。計画は……刻を争います……

白酒:……わかってるだろう。彼女は絶対に、あなたが命を犠牲にしてこの計画を実行するなど認めないはずだ。

胡桃粥:わかっています。しかし、彼女が怨魂のせいで苦しんでいることを知ってから……私は、その悩みから彼女を解放するために全力を尽くすと決めたのです。

胡桃粥:これは私の生涯の願いです。どうかわかっていただけませんか?

白酒:……わかった。


───


 瑪瑙魚圓に疑われる前に、二人は急いで後を追った。猫耳麺は三人を玄鉄の扉の中に案内すると、すでに辣子鶏が待っていた。


高麗人参:……話し合ったんですが、山河陣を壊すには、聖教に近い場所のほうが安全でしょう。

辣子鶏:それに、俺たちは山河陣を守ることが優先だ。もし万が一何かあったときは、聖教への潜入計画を中断するぞ。

白酒:承知した。みんな、かたじけない。さっそく、準備が整ったら出発しよう。

辣子鶏:せっかちだな……鬼蓋は、じゃあ一緒に行ってくる。

高麗人参:はい。うまくいくことを祈っています。


 言い終わる前に、みな部屋から出ていった。人参はゆっくりと目を開け、扉のそばにある白い残影を見て、つぶやいた。


高麗人参:いつだって、そなたたちのように耀の洲のために命を賭け……光がこの地を照らしてくれることを祈ります……


午後

聖教の近く


 辣子鶏東坡肉はすでに身を隠しており、瑪瑙魚圓が胡桃粥を支えながら遅れてやってきた。彼女は眉をしかめながら、胡桃粥を隣に座らせ、青白い顔に向かって、心配そうに言った。


瑪瑙つみれ:あとで、何か違和感を感じたら私に合図して。すぐに止めるから。

胡桃粥:わかりました……


 心配そうに胡桃粥の肩を叩き、瑪瑙魚圓はようやく弯刀を掲げ、事前に決めた位置に立ち、つい先日修繕した石碑に向かって振り下ろした。

 バンッ。最初の刀は当初の約束通りわざとずれ、刃が石碑の裏の崖に落ちた。その瞬間、砂利が転げ落ち、鳥が驚きの鳴き声をあげ、まるで地震が起きたかのようだった。


瑪瑙つみれ:ふっ、ようやくストレスを発散できる……


 白虎は好戦だが、瑪瑙魚圓の体に根付いた怨魂はそれ以上だ。長年のストレスが今ここで爆発し、瑪瑙魚圓の刀はどんどん速さを増し、しばらくして「魚」が引っかかった。


黒服の男:な、なんの騒ぎだ……そこで何をしている!!!

瑪瑙つみれ:どうした?そんなに怒って。別にお前の墓を掘り出してるわけでもないだろう。

黒服の男:お前……今すぐやめろ!


 黒服の男は怒りと焦りで今にも瑪瑙魚圓に襲い掛かろうとしている。しかし、普通の人間が彼女に敵うはずもない。たった一本の刀で危うく命を落としかけ、彼は攻撃する意思を失い、逃げるしかなかった。


瑪瑙つみれ:もう少し楽しませてくれる助っ人を連れて来てくれればいいが……

瑪瑙つみれ:気をつけないとすぐに殺してしまいそうだ。堕神を殺すより大変じゃないか……山河陣は本当に脆くて仕方ないな……

チキンスープ:そこまでよ!


 黒服の男がすぐに助っ人を連れてきた。瑪瑙魚圓はにおいですぐに相手が食霊で、高確率で聖女だとわかった。心の中では喜んだが、顔には一切現れることはなかった。


瑪瑙つみれ:どいて、じゃなきゃ一緒に吹っ飛ばすわよ。

チキンスープ:はっ、そんなことをしたらきっと後悔しますわよ。

瑪瑙つみれ:どういう意味だ?

チキンスープ:どうやら、あなたが壊しているものに、どんな秘密が隠されているのかご存知ないようですね。

瑪瑙つみれ:奥義?なら言ってみなさいよ、一体どんな奥義なのか。

チキンスープ:ご興味があるなら、拙宅でお茶でも飲みながら話をするのはいかがですか?


破陣子「ハジンシ」・肆

聖教潜入。


チキンスープ:つまり、瑪瑙様はこちらのお方を助けるために、山河陣を壊したと?

瑪瑙つみれ:だからそう言っただろう?何がしたいんだ!

チキンスープ:フン。ご存知ないかもしれませんが、山河陣の役割は外部からの堕神を隔離し、耀の州に入れないようにすることです。こちらの方のために山河陣を壊すなんて、大勢の人を犠牲にしてしまいますよ。

瑪瑙つみれ:だから何?友達を救えるなら、何人死んだって構わない。

チキンスープ:あなたの性格、気に入りました。ぜひ、妾と協力しませんか?

瑪瑙つみれ:協力?

チキンスープ:目的は山河陣の破壊です。仲間が増えた方がいいでしょう。

瑪瑙つみれ:お前も山河陣を壊したいのか?ならさっきはどうして私の邪魔をしたの?

チキンスープ:なんせ、まだ破壊の時は来ていないですから。

瑪瑙つみれ:ならいつになったら壊せるんだ?いつまで待たせるつもりだ?

チキンスープ:ふふ、準備が整う前に山河陣を壊してしまったら、妾たちも大量に堕神の攻撃を受けるかもしれません。ましてや耀の州が滅んでしまったら……もったいないでしょう?

瑪瑙つみれ:言ってみろ、一体何を準備するつもりだ?

チキンスープ:協力してくれるのなら……自ずとわかります。

瑪瑙つみれ:待ちくたびれた。仮に私が待てたとしても、友達はもう待てない……

胡桃粥:ゴホゴホ……

瑪瑙つみれ:!!


 長い間耐えていたかのように、沈黙を貫いていた胡桃粥が突然苦しそうに咳き込み、血を吐いた。瑪瑙魚圓は驚き、すぐに駆け寄って彼を支えた。


瑪瑙つみれ:大丈夫?

胡桃粥:だ……大丈夫です……

瑪瑙つみれ:……私と手を組みたいなら、誠意を見せろ。私に計画を教えるんだ、もしくは目安となる時間を。

チキンスープ:ごめんなさい。計画は機密情報なんです。時間も今すぐにはわかりません。

瑪瑙つみれ:何も言えないなら協力は無理だな。もういいわ、私がこの手で山河陣を壊す!

チキンスープ:では、何があっても知りませんよ。山河陣を壊せば大変なことになります。それに……完全に山河陣を壊せるとは限りません。耀の州には、これを、かけがえのない大切なものと思っている人が大勢います。壊すような真似をすれば、ご自身が面倒なことに巻き込まれるだけですよ。

瑪瑙つみれ:脅し文句は聞き飽きたぞ。私の邪魔をするやつはみんな殺す。

チキンスープ:やっぱり、瑪瑙様の性格は妾にとっても合いますわ。お二人、もしよければ聖教で休んで行かれたらどうですか?こちらの方も休息が必要ですし……よく考えてください。どうしても協力ができないというのなら、妾も諦めるしかないですわ。

瑪瑙つみれ:……


 離れていくチキンスープを睨みつけ、瑪瑙魚圓は不満そうに胡桃粥に乗り掛かると何かを探し始めた。


胡桃粥:ゴホゴホ……な、何をしているんですか?

瑪瑙つみれ:薬を探しているんだ!薬師からもらった薬は?

胡桃粥:も、持ってきていなくて……

瑪瑙つみれ:だ……大丈夫なのか?なぜ急に血を吐き出したんだ?

胡桃粥:大丈夫です。いつもの発作が起きただけですよ……そこまでひどくはありません、演技ですから。

瑪瑙つみれ:……あの女、思っていた通り狡猾だな。彼女を言いくるめるのは難しそうだ。一旦帰るとでもするか?

胡桃粥:ここまで来たんです。成功を目前にして諦めることなどできません……私たちを引き留めたのですから、まだ手を組む考えを捨てていないはずです。もう少し、待ってみましょう……

瑪瑙つみれ:まだ持ち堪えられるのか?

胡桃粥:はい……少し、寝て休めば……大丈夫です……


 意識が次第に朦朧とし、やはり胡桃粥の体は持たず、目を閉じた。

 意識を失う前、彼は瑪瑙魚圓が慌てて何かを言っているのを聞いた。返事をしたくてたまらなかったが、もう少しの力もなかった……


终章

最終章「ハジンシ」・壱

計画の内訳。


起きろ⋯⋯寝ちゃだめだ⋯⋯


彼女に恩返しをするって約束だっただろ⋯⋯


死んだら何もできないんだぞ⋯⋯


早く⋯⋯目を覚まして⋯⋯


胡桃粥:!!!


───


 胡桃粥は突然夢から覚めた。額と背中が汗で冷たく濡れている。彼の息遣いが落ち着く前に、瑪瑙魚圓が麻袋を二つ担いで勢いよくやってきた。


胡桃粥:あなた……

瑪瑙つみれ:目を覚ましたようだな、早く行くぞ。

胡桃粥:どこへ……担いでいるそれはなんですか?

瑪瑙つみれ:聖主だ。

胡桃粥:え???

瑪瑙つみれ:驚いていないで、早くしろ。眠りについたこいつをなんとかして麻袋に突っ込んだんだ。もじもじしていれば、聖女が来ちゃうだろ。私が一撃で首を斬り落としても知らないぞ。

胡桃粥:そんな……だめですよ!ここまで来て諦めるというのですか!?

瑪瑙つみれ:諦めて何が悪いの?お前の命より大事なものなんてないだろ?

胡桃粥:……

瑪瑙つみれ:何ぼうっとしてるんだ?お前も私に担がれたいのか?


 胡桃粥は悔しかったが、言うことを聞いて起き上がり、瑪瑙魚圓の後について部屋を出ていくしかなかった。


───


 聖教は恐ろしいほど静かで、二人はほぼ順調に進めた。途中、瑪瑙魚圓の手に一歩も及ばない黒服が二、三人おり、今にも聖教から逃げ出しそうな二人を何もできずに見ていた。


瑪瑙つみれ:大丈夫か?本当に担がなくて平気か?

胡桃粥:こんな時に冗談を言っている場合ですか……あれ?あれは……


 胡桃粥の視線の先を見ると、一人の影が扉の外に立っている。その人の足元には黒い影がたくさん倒れている。しかし彼は下を見ることなく、まっすぐと立っている……白酒だ。


白酒:守衛はみんな片付けたぞ。

瑪瑙つみれ:ふっ、お見事だ。早く行こう!


───


 胡桃粥は呆然と扉の外へ引っ張られると、木の下に三匹の馬が整列している。白酒が準備してくれたのだろう。


胡桃粥:あなたたち……

白酒:二人が出発する前、瑪瑙魚圓と決めたんだ。一日以内に聖女から役にたつ情報を得られなかった時は、聖主をとっ捕まえてゆっくり尋問するってな。聖主がいなきゃ、聖教も何もできないだろう……俺たちもまた策を考えられる……

白酒:すまないが、病気のことは俺が口を滑らせちまった。

瑪瑙つみれ:謝る必要ないわ。事前に教えてくれなきゃ、このバカは命を落としていたところだったのよ。

胡桃粥:……

瑪瑙つみれ:何見てるのよ?まさか、薬がなくなったことも隠すなんて。私は正直に白状するチャンスは与えた。そのチャンスを無駄にしたのはお前だ。帰ってからしっかり叱ってやる。

胡桃粥:そんなことしたって……どうせ私の体は、遅かれ早かれ死ぬのです……

瑪瑙つみれ:死なせない。


 瑪瑙魚圓の口調は堅く揺るぎなかった。話しながら胡桃粥を馬に乗らせ、その表情は少しばかり怒っているようだ。


瑪瑙つみれ:約束しただろう。「犠牲」を崇高しない国を作るって。どんな苦しみがあっても、背負うのはお前じゃない。

胡桃粥:しかし……

瑪瑙つみれ:私が一番恨んでいるものが何か、知っているだろう……罪のない人が犠牲になるのは、もう二度と起きてほしくないんだ。


 胡桃粥は山河陣の生贄として捕まった罪のない人たちや、一族のために命を惜しまず戦った白虎の兵士、東籬のために命を捧げた陶舞を思い出した……そして突然悟り、ひどく後悔した。


胡桃粥:……申し訳ありません。

瑪瑙つみれ:ふん、過ちに気づいたのならそれでいい。行こう。ここからは私たちの旅を楽しむんだ!進めー!


───


しばらくして

地府


 麻袋を地面に置き、瑪瑙魚圓は疲れた肩を揉むと、笑って言った。


瑪瑙つみれ:どんな罪も、地府の無常司の前では隠すことはできないと聞いた……今日はツイているな。早く有名な耀の州の拷問を見せてくれ。

豆汁:えへへ……黒ちゃん緊張することないよ。もし何かヘマをしたら、わたしの豆汁を飲ませちゃえばいいんだよ。

油条:……俺はただ仕事をするだけで、見せびらかすわけじゃない。ヘマなんかするか……


 青年はどうしようもなさそうに言った。身を屈めて麻袋を開けると、中にいる縛られた人が見えた。みんなが興味津々に周りを囲んだ。


胡桃粥:悪事を働いている聖教の聖主が、まさか……

白酒:子供?

蛇スープ:……


最終章「ハジンシ」・弐

雲万里に開き、天下太平になる。


 麻袋の中にいる、縛られた怒っている少年を見て、みんなが驚いた。


瑪瑙つみれ:あの時は暗くてよく見えなかったが、まさか子供だったなんて……

油条:俺は……子供を尋問した経験はないぞ……

蛇スープ:僕は子供なんかじゃない……離せ。

瑪瑙つみれ:ふん、子供じゃないなら、いつも通りでいいだろう。お前たち聖教は一体何を企んでいる?嘘ついたら……手加減しないぞ。

蛇スープ:なんのことだよ……ここはどこ?御侍はどこにいるの?

瑪瑙つみれ:御侍?御侍がいるのか?聖女と聖主以外に、聖教にはまだほかにも裏で操っている人がいるということか?

蛇スープ:あんたたちは……敵だ……青ちゃん、白ちゃん。


 そう言うと、二匹の蛇が少年の背後から姿を現した。動きは速かったが、即座に瑪瑙魚圓と白酒に一人一匹ずつ捕まえられた。


瑪瑙つみれ:一人と蛇が二匹。そんなんじゃ私たちに敵わないぞ。足掻いてないで、早く白状したほうが身のためだ。

蛇スープ:白状って……何を……

瑪瑙つみれ:……私の話、聞いてなかったのか?そう……

瑪瑙つみれ:お前たち聖教、つまりお前と聖女は山河陣に一体何をした?何を企んでいる?

蛇スープ:……

瑪瑙つみれ:何見てるんだ、早く言え。

胡桃粥:ゴホン……念のため聞きます。あなたは聖教の聖主ですか?

蛇スープ:………………違う。

瑪瑙つみれ:違う!?私はちゃんと内殿に行った。そこには聖主しかいないはず……聖主じゃないなら、お前はなぜ聖主のベッドで寝ていたんだ!

蛇スープ:あれは僕と御侍のベッドだよ。

瑪瑙つみれ:…………

胡桃粥:つまり……違う人を捕まえたのですね?

蛇スープ:聞き終わったなら放して。早く、彼のそばに戻らないと……

瑪瑙つみれ:……ふん、完全に人を間違えたわけではなさそうだな。


 瑪瑙魚圓の表情が変わった。不敵な笑みを見せながら、少年に一歩近づくと、彼の前でしゃがんだ。


瑪瑙つみれ:坊や、御侍とずいぶん仲がいいようだな……そんなに慌てるなんて、まさか初めて彼のそばを離れたわけじゃないよな?

蛇スープ:あなた……何をするつもりだ?

瑪瑙つみれ:ふっ、お前は御侍を心配しているが、お前の御侍はちっとも心配していないかもしれないぞ。

蛇スープ:デタラメだ!

瑪瑙つみれ:ほう?つまり、御侍もお前を心配して、すぐにここに探しに来ると?

蛇スープ:……

胡桃粥:瑪瑙魚圓、まさか……

瑪瑙つみれ:ふっ、これ以上の「魚の餌」はない。


 瑪瑙魚圓の溢れ出す笑みを見て、隣にいた豆汁油条のそばに寄ると小さい声で言った。


豆汁:黒ちゃん、地蔵様は騙されたんじゃないよね?あの女の人の笑い方……悪い人そっくりだよ。

油条:……

瑪瑙つみれ:おい、そこで悪口を言ってるお前たち。こいつは任せたぞ。

豆汁:え?

瑪瑙つみれ:こいつは聖主の食霊だ。彼がいれば、聖教はすぐに探しに来るはず……墨閣の人がこっちに向かっている。お前たち地府もいるし、これだけいれば聖教に敵わないはずないだろう。

白酒:どこに行くんだ?

瑪瑙つみれ:東籬に帰って、丞相の病気を治すんだ。

胡桃粥:そ、そんなことをしては計画が……

猫耳麺:瑪瑙さま!お、お客さまが……

金髄煎:瑪瑙魚圓!


 猫耳麺が報告し終わる前に、金髄煎が勢いよくやってきた。


瑪瑙つみれ:どうしてここに?

金髄煎:みんなが出発した後、薬師が薬を忘れたって言うから、慌てて届けに来たんだ……

瑪瑙つみれ:チッ、だからあいつは信じられないんだ。まあいい、それよりいい薬が見つかった。


 そう言うと、瑪瑙魚圓は聖教から担ぎ出したもう一つの小さい麻袋を床に置いた。袋の縄を解き、濃厚な薬のにおいが漂った。


胡桃粥:えっと……

瑪瑙つみれ:これが、私が頑なに聖教を滅ぼそうとしているもう一つの理由だ。薬師が前に言ってたの。聖教には医術に精通している人がいて、貴重な薬草を隠し持っているって。それを手に入れれば、あなたの病気にもきっと役に立つって。

瑪瑙つみれ:だが、どの薬草が効くのかわからなかったから、全種類もぎ取ってきたんだ……足りなければ、また取りに行けばいい!

胡桃粥:わ、私のために……

瑪瑙つみれ:ああ、これが今回の私の「本当の目的」だ。

瑪瑙つみれ:安心しろ。これは聖教から「盗んだもの」だが、金を置いたから、完全に盗んだわけじゃない。


 瑪瑙魚圓は満足気に麻袋をきつく縛ると、もう片方の手で胡桃粥を外に引っ張った。


瑪瑙つみれ:言っただろう、死なせないと。私は約束を守る。

瑪瑙つみれ金髄煎、一緒にここに残って聖教を片付けてくれ。私は先に胡桃粥と戻る。病気が治ったら、すぐに来るから。


───


 反論する機会を与えず、瑪瑙魚圓は胡桃粥を引っ張って地府から出ていくと、馬に乗って東極へ向かった。


胡桃粥:たった薬草のためだけにこんなことをするなんて……

瑪瑙つみれ:安心しろ。もし、この薬草が効かなければ、また別のを探しに行く。仙薬でも仙草でも、無謀なことをするのは初めてじゃない。

胡桃粥:瑪瑙魚圓、あなたは一国の主ですよ。どうしてたった丞相のために、東籬を捨ててこんな遠い地までやって来るなんて……そして今度は新たな仲間を捨て、そして眼の前の敵にすら目もくれず。こんな私のために……

瑪瑙つみれ:逆に聞くが、君主はなんのためにあると思う?

胡桃粥:え?

瑪瑙つみれ:私はなんのために東籬の国王になったと思う?国の繁栄のため?高い地位や富のため?歴史に名を刻むため?もし、これらを望み、それを叶えるためなら自分の仲間も犠牲にするのが名君というのなら、私は一生暗君でいい。

胡桃粥:しかし……しかし、ここまで来たのなら、張千の行方を探ることも……

瑪瑙つみれ:……心配ない。耀の州が平和なら、張千も安全だ。これも私が東籬という国を作った当初の想いだ。


 彼女は太陽が昇る遠い東を見た。その目は燃えるような希望に満ちていた。


瑪瑙つみれ:人がいない国など、ただの綺麗な殻でしかない。それでは棺桶と変わらない。人さえいれば、それが百人、十人、一人であろうと……人さえいれば国は滅びない。

瑪瑙つみれ:私が東籬の王になったのは、我が国の国民を守るため……胡桃粥、お前は我が国の国民だろう?


 その問いで、胡桃粥はあの時自分がなぜ東籬に留まると決めたのか、なぜこのわがままで恐れを知らぬ君主のそばに残ると決めたのかを思い出した。

 心配や不安が消え、胡桃粥はようやく温かい笑みで彼の君主を見つめた。


胡桃粥:陛下、私は当然ながらあなたの国民です。

瑪瑙つみれ:その通りだ!


 荒凉とした大地に夕日が落ち、辺り一面が金色に輝いた。まるで、まもなく訪れる輝かしい時代のようだ。馬に乗った二人は、この光輝く広い旅路で、終わりがどこか知っていたため、長い道のりに迷いを感じることはなかった。


瑪瑙つみれ:私は耀の州のためなら全てを捧げるわ。でもそれは新しい仲間を作ったり、敵が降参したり、人々に好かれることじゃない。ただ、世界が平和で幸せに暮らせればいい。

瑪瑙つみれ:事が終われば身を隠す。たとえ鉄のわらじを履いて数千里歩むことになっても、私は東菊を守り抜く……それだけで十分よ!



「昇平楽ショウヘイラク」完。

清平願「セイヘイガン」

雪中旧談

任重くして道遠し旅


数ヶ月前

鬼谷書院


金駿眉雪掛トマトたちから、前に村の子供たちが失踪した事件は、閣下のおかげで無事解決したと……

金駿眉:大晦日の夜は一緒に晩餐を食べられなかった。だからこうやって宴会を準備したが、遅くなって申し訳ない。

白酒:気にすることない。失踪した子供たちを助けるのは俺の本意でもあったんだ。力を貸したわけじゃない。礼はいらないよ。

金駿眉:本当は感謝よりも謝りたいんだ。これから無礼なことを聞くかもしれないから……

金駿眉:閣下はみんなに救いの手を差し伸べるが、見返りは求めない。それに、ただの遊侠にも見えないが、一体……何の目的でそんなことを?

白酒:耀の州で天下泰平を望む。何か問題があるか?

金駿眉:もちろんない。ただ、あなたと玄武は……今は昔とは違う。頑なに天下を統一したいのなら、また戦争が起こるかもしれない。それで苦しむのは耀の州だ。

白酒:なるほどね。心配の種はわかった。安心してくれ。俺は玄武と同じ道は進まない。

金駿眉:おお?

白酒:俺が望むのは、天幕や……山河陣の保護に頼らずとも、平和で侵略のない繁栄した時代だ。

金駿眉:ふっ、それはとても「壮大な志」だな。しかし、山河陣の保護を望まないのなら、なぜ山河陣の調査を?

白酒:事が成功するまで、耀の州は山河陣による保護から完全には離れられなかった。

金駿眉:確かによく考えておられる。旅はまだ長い……この食事は、あなたへの餞別だと思って。

白酒:これについては……ずっと言いたかった事があるんだが……


 白酒はテーブルいっぱいに並べられた料理と、つい先ほど新たに皿の間に乗せられたばかりの料理を見て、胃が痛くなった。


白酒:たった二人だけというのに、この量は……いつになったら運び終わるんだ?

金駿眉:ははは、餅米蓮根がようやく俺たち以外に味見をしてもらえる人を見つけたんだ。彼女の好きなようにさせてやってよ。

白酒:わかりました……

金駿眉:そうだ、女児紅嬢ちゃんもちょうど書院に住んでいるんだ。よかったら会っていかない?

白酒:会っても悲しい思い出が蘇るだけだ。

金駿眉:そうか。ではここで見送るとしよう。

白酒:礼を言う。


「膳意」

珍しい体験。


午前

東籬の国


金髄煎荷葉鳳脯、本当に寺の仕事に行かないで、ここで料理を作り続けるつもりか……

荷葉鳳脯:もちろんだよ!東籬にせっかくお客様が来たんだから、ちゃんとおもてなしして、東籬の味を味わってもらわないと!

金髄煎:東籬にも腕が立つ料理人はたくさんいるんだし……

荷葉鳳脯:一緒にしないでよ、私は御厨なんだから!

金髄煎:御厨は御厨だけど、それは瑪瑙魚圓が東籬の人の胃を壊したくないから、自分が引き受けたんだろ……


 金髄煎は絶望した顔で戦場と化した厨房を見ると、荷葉鳳脯が一人で楽しそうに鉄鍋を振っている。彼の呟きは聞こえなかったようだ。


金髄煎:いつになったら、瑪瑙魚圓がなんでお前の当直を毎回食事の時間にしているのか気づくんだ……

荷葉鳳脯:え?なんか言った?

金髄煎:なんでもない……先に席についてるぞ。まあ……頑張れよ……

荷葉鳳脯:うん!ありがと!


 鍋に残った最後の残りかすをなんとか皿にうつし、荷葉鳳脯は満足気に両手で四つの皿を持つと、慎重に厨房から出てきた。


───


 席について待っていた瑪瑙魚圓と白酒は、やって来る荷葉鳳脯を見て、楽しそうだった表情が一変した。


瑪瑙つみれ:ゴホン、今日ちょうどお寺の近くの村人が菓子をくれたんだ。今は腹がいっぱいだから、料理はお客様の前に置いておけ。

荷葉鳳脯:また食事の前にお菓子を食べたのね、まったくもう。でも村人がせっかくくれたんだから、確かに断れないわね……お客さん!どうぞお腹いっぱい食べて!


 白酒は礼を言おうとしたが、黒くてベタベタした見たことのない料理を見て、すぐに顔が固まった。


瑪瑙つみれ:ふふっ、せっかく来たんだから、我が東籬の一流料理人の腕を味わってみないと!

白酒:……この酒、うまそうだな……


 飲み込める気がしない料理を避けるように、白酒はそばにあった盃に手を伸ばしたが、他の手に奪われた。


金髄煎:まずは料理から。酒はその後だ。

荷葉鳳脯:そうよ!胃に良くないからね!

白酒:………………

白酒:(料理を食べるほうが胃に悪そうだが……)


 目の前では荷葉鳳脯が期待を膨らませた目でこちらを見つめている。その奥では、食卓を戦場と見立てているような金髄煎が追い詰めてくる。その隣には、より一層不敵な笑みを浮かべている瑪瑙魚圓が座っている…。白酒は三人からの圧を感じながら、目を閉じて適当に箸を取り、飲み込んだ。


白酒:(鬼谷書院の料理を前に、この嬢ちゃんの腕は本当に……)

白酒:(飲み込める気がしない……)

荷葉鳳脯:まだあるよ!遠慮しないで、早く食べてみて!

白酒:…………

瑪瑙つみれ:ほどほどにしな、拷問を受けに来たわけじゃないんだ。気になるだろうから味見させてあげたんだ。無理する必要ない。

荷葉鳳脯:拷問?拷問ってなんの?

瑪瑙つみれ:聞き間違えだ。料理が美味しいと褒めてたんだ。

荷葉鳳脯:そう……ありがと!

瑪瑙つみれ:よし、食事はここまで。鳳脯は当番だろう。私たちも本題に入らないと。


祈願

尽きない願い。


白虎様、どうか西荒に豊作をもたらしてください……


白虎様、どうか私たちの子供を助けてください……


白虎様、どうかお助けください……白虎様……白虎様……


どうか、あの堕神どもを殺してください。


どうか、あの兵士たちを追い払ってください。


白虎様……白虎様……白虎様……


 希望、憎しみ、憧れ、恨み……さまざまな感情が小さな寺の中に入り組み、小さな繭となって次第に大きくなり、破裂する……

 瑪瑙魚圓はゆっくりと目を開けた。


瑪瑙つみれ:うるさいぞ……


 彼女は誰もいない寺を見渡し、孤独な白虎神像を見た。


瑪瑙つみれ:黙れ……願いを叶えてあげるんだからそれでいいだろう……

白虎神像:本当に全ての人の願いを叶えられるのか?

瑪瑙つみれ:……お前は誰だ?

白虎神像:私の正体を知っても、彼らの願いを叶える助けにはならない。

白虎神像:人の願いは尽きない。だから、あなたは永遠にその願いに縛られ、自由を得ることはない……

白虎神像:それなら、願いを唱えることしかできない者を、全て殺してしまえば……


 ガチャッ――

 刀を振り下ろし、神像に一筋の深い傷を残した。そして先ほどまで騒がしかった音も消えた。瑪瑙魚圓は弯刀を肩に担ぎ、冷たく言った。


瑪瑙つみれ:他人にとやかく言われる筋合いはない。

瑪瑙つみれ:願いを唱える人たちを殺せば自由を得られる?それも一種の囚われじゃないか……人の願いは尽きない。私の命だって尽きないんだ。暇つぶしにちょうどいい……


 彼女は笑いながら供物台に飛び乗ると、神像のそばに座り、愛おしそうに冷たい石を抱きしめた。


瑪瑙つみれ:少し苦労するだけだ。でもそれで彼らに希望をもたらせるなら……それでいいだろう?


背水の陣

決死の覚悟で挑む。


西荒会館

西昧族族長院


兵士:西荒はもう持たない……もし我が白虎族を復興することができれば、当然勇ましく戦います。ただ……

兵士:今の白虎は兵士はおろか、武器もありません。どうやって玉京に攻め入るおつもりですか?

族長:武器も人も買えるじゃろう。

兵士:買う?どこにそんなお金が……

族長:戦争に必要なのは青壮年だ……西荒の老人や子供じゃない。

兵士:まさか……!

族長:私のような老人はすぐに死んでしまう。しかし子供は……また作ればいい。

兵士:……

族長:負担を感じる必要はない。白虎族はすでに覚悟ができておる。

兵士:背水の陣……死ぬ覚悟で挑まなければなりません。

族長:この戦い、必ず成功する。

兵士:どうしてそのような確信を?

族長:運命だからじゃ。今の西荒には、山神の力がある。

兵士:山神……山の古い寺に住む食霊のことですか?彼女は私たちの力になると?

族長:きっと力になるはずじゃ。なんせ……「餌」があるのじゃから。


 窓の外では、子供たちが集まって一緒に遊んでいる。自分たちの身に降りかかる陰険な目には気づいていないようだ……


「教訓」

憂さ晴らしの仕返し。


東籬の国


 窓を閉めると、部屋の中は一気に静かになった。白酒はベッドに寝転がっているが、眠気はない。ふと、昼間のことを思い出した。


───


瑪瑙つみれ:もともと金髄煎はお前に不満を抱いているんだ。今日はお前が私に刀を向けてくるとはな……そんなことすると金髄煎が夜にお前の部屋にやってくるぞ、殺されないように気を付けろ。


───


白酒:……

白酒:簡単に騙されてはいけない。しかし、警戒心を持つことは悪いことじゃない……


 そう考えた白酒は起き上がり、刀をそばに置いて目を閉じた。


白酒:……

白酒:………………

白酒:………………………………あれ?


───


 一方。


金髄煎:こんな遅くに何の用だ?


 瑪瑙魚圓が扉を開け、扉の外で楽しそうな瑪瑙魚圓とどうしようもできなさそうにしている胡桃粥を見て聞いた。


瑪瑙つみれ:大事なことだ。

金髄煎:大事なことって……酒がないと言えないことなのか?

瑪瑙つみれ:相変わらず堅苦しいな。自分の部下を労うのは当たり前だろう。


 部屋から人を引っ張り出し、三人は月明かりの下、石机に座り、酒を注いだ。瑪瑙魚圓が乾杯しようとした時、暗い顔をした金髄煎を見て、ため息をついた。


瑪瑙つみれ:お前も今日はイライラしただろう。

金髄煎:……

瑪瑙つみれ:はあ、彼はもう玄武じゃないけど、玄武がやったことは彼と何の関係もないとは言えない。彼自身だってそう思ってるんだから、あなたが彼を嫌っても仕方がない。

金髄煎:???前はそんなこと言ってなかったぞ……

瑪瑙つみれ:あれはお前が一時の衝動で彼とやり合うんじゃないかって心配したからだ。

金髄煎:俺が負けるとでも?

瑪瑙つみれ:そんなことは言っていない。ただ、お前たちの勝ち負けは何の意味もない。

瑪瑙つみれ:仮に彼が玄武だとしても、彼を殺して何になる?過去の歴史は変えられない。私たちは前を見るしかない。だが……

瑪瑙つみれ:彼が玄武の道を進まないように、ちょっと懲らしめてやったほうがいいな。それで私たちの怒りもちょっとは収まる。

金髄煎:教訓……どうやって?

胡桃粥:……彼女がもう教訓を課してくれましたよ……

金髄煎:???

瑪瑙つみれ:あはは、さあ!飲め!今夜は酔っ払うまで飲むぞ!


寺院

みんなの心意。


(※登場人物の「年轻女子」とは、年が若くて働き盛りの女性という意味です。)


数年前

離郷


 瑪瑙魚圓は馬に乗って走り回っていると、人がたくさん集まり賑やかな場所を見つけた。何をしているのだろうか。



瑪瑙つみれ:そこで何をしている?

青年:おお、瑪瑙様!

年轻女子:瑪瑙魚圓様だ!本当にあなたでしたか!

瑪瑙つみれ:なんだ、偽物でもいるというのか?さっきからレンガや瓦を運んで、一体何をしている?

青年:瑪瑙様のお寺を建てているのです……

瑪瑙つみれ:へ?私は和尚じゃない。寺なんか建ててどうする?

年轻女子:これは私たち離郷人からの気持ちです!離郷に今日があるのは、瑪瑙様のおかげです。もし瑪瑙様がいなければ……とっくに滅びていたでしょう……

青年:その通りです。瑪瑙様は生きる希望を与えてくれました。どうしても何か恩返しがしたく……

瑪瑙つみれ:そういうことね……


 瑪瑙魚圓は建てられたばかりの小さな壁を見て、遥か遠くにある西荒の古い寺を思い出した。


瑪瑙つみれ:ふっ、あなたたちの気持ちは受け取った。でもこれからは様なんてつける必要はない。少しばかり距離が遠いからな。だから……

瑪瑙つみれ:これからは陛下と呼べ!

年轻女子:えっと……

青年:余計距離が遠くなっているような……

瑪瑙つみれ:なんだ?

青年:何でもないです!陛下!

瑪瑙つみれ:うむ……そういえば、この寺には何の神を祀る気だ?私の雕像は置かないでくれよ。考えただけでゾッとする……そうだ、青龍神像を置こう。

年轻女子:えっと……

青年:はあ……東極は元々青龍の領土でした。青龍は雨を降らせられます。東極は天候に恵まれるはずだったのに、まさか今年は大干ばつに陥るなんて……

年轻女子:もしかしたら、離郷は青龍神君に見捨てられたからなのかもしれない……

瑪瑙つみれ:何ため息ついているんだ?私より青龍がいいとでも言いたいのか?今はもう私がいるんだ、彼のことなんてどうでもいいだろう?

瑪瑙つみれ:離郷が幾多の神に見捨てられようと、今は瑪瑙魚圓様の領土だ。私が復興させてみせる。じゃなきゃ……


 彼女は馬に乗り、首を捻って敬慕したり喜んだりしている人々に向かって笑った。


瑪瑙つみれ:せっかく建ててくれたお寺に失礼だろう。


病気

瑪瑙魚圓、初敗を喫する。


数年前

東籬の国


胡桃粥:ゴホ……ゴホゴホ……

瑪瑙つみれ:本当にか弱いな。まだ冬にもなっていないのに、もう風邪を引いたのか?食霊も風邪を引くなんて初めて聞いたぞ!

胡桃粥:……大丈夫です……私から離れてください、風邪をうつしてしまいます……

瑪瑙つみれ:私の心配はいらん。まずは薬を飲め。

胡桃粥:……ここ数日、私が寝込んでしまったため、東籬の心配事は全てあなたにふりかかってしまいました。もう……私のために時間を使うのはおやめください。それに、もう死にませんから……

瑪瑙つみれ:その悪い癖はいつになったらなおるんだ?死ぬとか死なないとか、私がいる限り死ぬことはないと言っただろう。

胡桃粥:……陛下は唯一こんな丞相を気にかけてくれる存在です。私を張千の代わりだと思っているのですか?

瑪瑙つみれ:???

胡桃粥:陶舞お嬢さんから聞きました。張千も堕神に襲われていたところをあなたに助けられたと……それに、彼の一番好きな食べ物が胡桃だと……

瑪瑙つみれ:またやきもちか?心配するな。私はお前を張千だと思ったことは一度もない。

胡桃粥:では東籬には病人がたくさんいます。陛下はどうして彼らの様子を見に行かれないのですか?

瑪瑙つみれ:……

胡桃粥:ふっ、冗談ですよ。陛下の心にいる故人は、私とは比べられない存在です。

瑪瑙つみれ:お前はこの東籬、いや、この世で唯一信頼できる人だから。

胡桃粥:…………


 胡桃粥は一瞬で、瑪瑙魚圓を揶揄おうとする気持ちが吹っ飛んだ。彼は初めて、彼女がこんなにも寂しそうな表情をしているのを見た。


瑪瑙つみれ:人と人は比べられない。誰のほうがいいなんてものはない。でも今この瞬間、私のそばにいるのはお前だ……

瑪瑙つみれ:しっかり病気を治せ!これからも私の右腕でいろ!わかったなら早く薬を飲め!

胡桃粥:…………………………蜜……

瑪瑙つみれ:あっ?

胡桃粥:砂糖漬けがないと飲めません……

瑪瑙つみれ:こんな時でもわがまま言うつもりか?蜜煎なんてどこに探しに行けば……まったく、わかった!探しに行ってやる!


 瑪瑙魚圓は諦めたかのように薬の入った茶碗を置くと、飛ぶような速さで部屋から飛び出し、忘れずに扉を閉めた。胡桃粥はしっかり閉められた扉を見て、思わず笑った。

 二人の第36回目となる勝負、記念すべく瑪瑙魚圓の初めての敗北?


午後のひととき

胡桃粥の完敗。


数年前

東籬の国


 午前、胡桃粥は机の前に座り、上奏文をつらつらと書いている。突然、窓の外から破裂音が聞こえた。彼は驚いて手が震え、筆が再び竹簡を突き、大量の墨汁をつけてしまった。


胡桃粥:………………

荷葉鳳脯:あれ?どうして鍋から火が出てるの!?うわあ――今度は水が!!!

荷葉鳳脯:いてっ!やけどは槍で撃たれるより痛いじゃない!料理人はみんな戦いに長けているのかしら……?

胡桃粥:………………はあ。


───


 やる気がなくなった胡桃粥は、筆を置いて部屋から出た。悲惨な厨房から必死に目を逸らし、庭に瑪瑙魚圓を探しにいった。


瑪瑙つみれ:うん……悪くない。もう少し砂糖を減らせばもっと美味しくなるはずだ!

糕点师:砂糖を減らす……なるほど!さすが瑪瑙様です!素晴らしいご提案です!素晴らしい味覚!今すぐレシピを修正してきます!

瑪瑙つみれ:おう、頑張りたまえ……胡桃粥?ちょうどいいところに来た。焼きたての菓子を味見してくれ!

胡桃粥:……新入りの荷葉鳳脯は毎日厨房を爆破させ、あなたに連れられてきた薬師は毎日私の部屋で毒を放っているというのに……あなたは一人のんびりと、美味しいものを食べていいですね……

瑪瑙つみれ:じゃあどうしろって言うんだ。鳳脯の爆発は、止めたくても止められない。薬師は言うまでもない。彼はお前のために薬を煎じているんだ。私にはどうすることもできん。

胡桃粥:……先日の上奏文は見ましたか?

瑪瑙つみれ:言っただろう。お前の提案なら全て採用すると。面倒な上奏文など書いていないで、病気を治すことに専念しろ。

胡桃粥:全く……国を治めることは、おままごとじゃないんですよ!?

瑪瑙つみれ:おままごと?お前は私が認めた丞相だ。お前の決断含め、全て信じて当然だ。まさか、東籬に危害を加えるつもり?

胡桃粥:そんなことは決してありません!

瑪瑙つみれ:ならいいじゃないか。何事にも向き不向きがあるだろう。私はお前が国を治めることを邪魔しない。好きなようにやってくれ!

胡桃粥:………………あなたという方は……


 胡桃粥はどうしようもなさそうに首を振ると、瑪瑙魚圓が美味しそうに食べているのを見て、思わず興味が生まれ、問いかけた。


胡桃粥:……お味はどうですか?

瑪瑙つみれ:美味しいぞ、早く食べてみろ!


 胡桃粥が手を伸ばして取ろうとした時、瑪瑙魚圓は待ち構えていたかのように、手でお菓子を掴んで相手の口に詰め込んだ。


瑪瑙つみれ:どう?うまいだろう?少し甘いが、欠点はない……ん?どうした?顔が赤いぞ。まさかまた病気か?

胡桃粥:だ、大丈夫です……ゴホゴホ……す、少し離れてください!

瑪瑙つみれ:逃げるな!どれどれ、おでこを貸してみろ……最近、冷えてきたからまた風邪を引いたんじゃないか……ん?体温は私と同じくらいだな。

胡桃粥:……戻って上奏文の確認を……

瑪瑙つみれ:また?病気を治すことに専念しろと言っただろう。お前は我が東籬の宝だ。いつまでも病弱ではダメだ。

胡桃粥:しかし、上奏文を見なければ何をしたらいいのか……あなたのようにのか、それとも……


 胡桃粥は腹が立ち、子供じみた復讐心が生まれ、珍しく軽率に質問した。


胡桃粥:あなたとここで花鳥風月に明け暮れろとでも?


 彼の言葉を聞き、瑪瑙魚圓は一瞬驚いたが、すぐに倍返しにして胡桃粥に向かって得意げに眉を上げた。


瑪瑙つみれ:それの何がダメなんだ?

胡桃粥:………………


 二人の第78回目となる勝負、胡桃粥、完敗。

称賛

意気投合。


 金髄煎が初めて離郷にやってきた話を終え、瑪瑙魚圓は笑いながら酒を飲んだ。


瑪瑙つみれ:……金髄煎を離郷に連れてきて、彼に生きる意味を教えてあげた。私のことを好いて、あなたを嫌うのはこれが理由だ。

白酒:……まるで俺が気にしているみたいじゃないか。

瑪瑙つみれ:お前は意外と金髄煎を気に入ってると思ったがな。違うのか?

白酒:……

瑪瑙つみれ:ほう、図星か?

白酒:……金髄煎は忠実で勇敢だ。信仰が崩れ落ちても、立ち直ることを諦めなかった。むしろ、すぐに正しい道を歩み、大局を見渡し、私情を挟むことはなかった。俺はそんな彼を心から称えたい。

白酒金髄煎だけじゃない。東籬の皆さんのことは素晴らしいと思っている。

瑪瑙つみれ:お世辞はほどほどにしたらどうだ?これからはみんな仲間だ。そんな言い方したからって、お客様扱いすると思うな。

白酒:仲間……?

瑪瑙つみれ:なんだ、一緒に聖教を一網打尽にするって約束だろう?もう撤回するのか?

白酒:いや……

瑪瑙つみれ:ふん、ならいい。とにかく、お前は我が東籬にふさわしい。鳳脯はお前を歓迎する。薬師ともきっと馬が合うはずだ、あとは……

瑪瑙つみれ金髄煎と上手くやれれば、あなたは我が東籬の護国将軍だ!

白酒:護国……将軍……


 その称号に不満はあったが、瑪瑙魚圓の話は本当ではなく単なる冗談なのかもしれないと思った。そして何より、この楽しい雰囲気に飲まれた白酒は、ずっと困窮だったせいか、すこし気大きくなった。


白酒:(わざわざ必要のないことを言い、場の雰囲気を壊してもいけない……)


 彼は釈然と笑い、久しぶりにいたずら好きな本性をあらわにした。


白酒:もし俺が本当に金髄煎とうまくやれたら、護国将軍が反乱を起こしても知らないぞ。

胡桃粥:ふふ、金髄煎に気に入られるのはそう難しくありませんよ。ただ……クコを褒めてあげればいいんです。


 胡桃粥のアドバイスを聞き、白酒はいつも金髄煎のそばにくっついている犬の顔を思い出した……


小枸儿:ワン!

白酒:………………い……言えない……

瑪瑙つみれ:あはははは――なんて正直なんだ!ますますあなたを気に入った!


仲買人

盛世清明が真になることを願う


数年前

玉京の郊外


張千:ここは……どこだ……?


 ふらつきながら、張千がようやく目を覚ました。意識が朦朧とする中、周囲を見渡すと全く知らない景色が目に入った。しばらくして、自分が牛車の中にいることに気がついた。他にも子供が数人おり、全員両手を縛られている。


張千:こ、これは一体?お供物を返しに行ったはずなのに……どうして……

子ども:うう……お母ちゃん……お母ちゃんに会いたいよう……お家に帰りたいよう……

仲買人:泣くな!うるせえな……母ちゃんだって?お前はその母ちゃんに売られたんだ!


 牛を勧めていた男が怒鳴った。乗っていた子供が驚き、一瞬で泣き止んだ。


子ども:ど、どうして……

仲買人:ふん、今はどこも不景気なんだ。子供を売ったって何もおかしくねえ。恨むなら玄武皇帝を恨みな!

子ども:そ、そんな、母ちゃんがそんなことするはず……信じないぞ!

仲買人:関係ねえ。俺に売られたんだから大人しく言うこと聞け!


 子供たちは恐怖で口を閉ざした。張千はしばらく唇を噛み、ようやく勇気を持って口を開いた。


張千:俺に両親はいない。俺は誰に売られたんだ?

仲買人:いちいち覚えてるわけないだろ。金はお前たちの族長にあげたんだ……そんなことを聞いても無駄だ。誰に売られようと、お前の運命は変えられない。

張千:……じゃあ俺たちをどこに売るつもりだ?

仲買人:どこに売ったってあの西荒よりはマシだろ?運が悪くて、金持ちの家に売られて副薬代わりにされても、この乱世で苦しみ続けるよりいい。


 張千は恐怖に怯える子供達を見ながら、必死に頭を回転させた。そして、瑪瑙魚圓に教えてもらった方法で縄から抜け出すことにした。


仲買人:騒いでいるのは誰だ!?

張千:お、お腹が痛いんだ!

仲買人:痛いなら我慢しろ。

張千:もう我慢できない!トイレに行かせてくれ!

仲買人:チッ、面倒かけやがって……


 男はイラつきながら牛をとめると、飛び降りて後ろにやってきて、子供たちを睨みながらこう言った。


仲買人:静かにしろ、騒ぐな。トイレに行きたいガキはどいつだ?

張千:俺だ……


 男は張千を引っ張ると、いつの間にか縄が解けていることに気づいた。男が反応する前に、自由を取り戻した両手をその腰に回し、車に縛られていた縄のもう一方の端で男を縛りつけた。


仲買人:このガキ……!

張千:逃げろ!早く!!


 張千は男に抱きついたまま、後ろにいた子供達に向かって叫んだ。子供が慌てて逃げ出す中、男に圧倒され恐怖で動けない子供もいた。


仲買人:死にたいのか!!


 男は硬い拳を思いっきり張千の背中に向かって振り下ろした。張千はうめき声を上げ、呼吸が止まり、喉に血のような鉄臭さが広がった。しかし、彼は、一番先に逃げ出した子供が見えなくなるまでその手を離さなかった。

 彼は縄を解いた男によって地面に投げつけられ、ひたすら殴打に耐えた。


張千:(瑪瑙魚圓……これで恩は返せたかな……でもやっぱり足りないような気がして……)

張千:(もし来世があるなら、本当に役に立つ人になりたい……国の力になって人々を助け……みんなが……もう二度と苦しまないように……)

張千:(よく口にしていた栄えた国が……実現するように。)


偶然の再会

罪と後悔。


玉京

墨閣


 氷糖湘蓮と話した後、胡桃粥は体に不調を感じ、客室に案内された。瑪瑙魚圓と白酒胡桃粥が寝たのを見ると部屋を出て、外に向かった。


中年士兵:あなたは……や、山神様?

瑪瑙つみれ:なんだ?


 外に出ると中年の男に出会した。瑪瑙魚圓は一瞬驚いたが、すぐに思い出した。


瑪瑙つみれ:あなたはあの時、兵士たちを率いて玉京に入った者か?

中年士兵:こんなにも経ったというのに、まだ覚えてくれているなんて……

瑪瑙つみれ:あまり変わっていないからな。だが、どうしてここに?てっきり……

中年士兵:田舎の家で余生を過ごしているとでも?ふふ……

中年士兵:昔から、建国に貢献した軍人の末路はひどいものでしたが、私は幸い……山神様はお元気でしたか?ここ数年はどちらに?

瑪瑙つみれ:まあ悪くない。私は東極におる。東籬の国が私の国だ。

中年士兵:そうでしたか……では、本日玉京へいらしたのは……昔の事ですか?

瑪瑙つみれ:昔の事?私がここに来たのは聖教を調査するためだ。そうだ、聖教について知っていることはあるか?

中年士兵:聖教……?初めて聞きました。

瑪瑙つみれ:気にするな、ついでに聞いてみただけだ。聖教はこそこそしているうえ、卑劣極まりない。調査しなければ知ることはないだろう。

中年士兵:……

瑪瑙つみれ:どうした?何か言いたいことでもあるようだな?

中年士兵:山神様、張千は見つかりましたか?

瑪瑙つみれ:……まだ探している。

中年士兵:……やはりそうでしたか。私の罪です……

瑪瑙つみれ:?

中年士兵:当時、私は嘘をつきました。本当は、張千と子供たちの居場所を知っていたんです……

中年士兵:私たちは彼らを売ったんです。そのお金で武器や食糧を手に入れた……仲介人も玉京に向かっていましたが、張千が誰に売られたかはわかりません。ただ……

中年士兵:あの時は情勢が混乱していました。みな、自分のために生きることに精一杯で、子供を買って育てることはあまりなかったはずです。おそらく……悪い結果を迎えるかもしれません。

瑪瑙つみれ:…………


 瑪瑙魚圓は何も言わなかった。兵士はしばらくの間黙っていると、腰を曲げて彼女に跪こうとしたが、止められた。


中年士兵:山神様……

瑪瑙つみれ:当時のことは、お前一人の責任じゃない。それに、お前が跪くべき相手は、失踪した子供達や命を落とした子供たちだ。

中年士兵:……当時、玄武殿でおっしゃっていた山神様のお言葉は、ずっと覚えています……毎晩思い出し、悪夢を見るのです……

中年士兵:しかし、今でも当時の選択が間違っていたとは言えません。もしもう一度あの状況になっても……同じ選択をしていたでしょう……

瑪瑙つみれ:では、たとえ万年の罪悪感に苦しめられたとしても、悔いはないんだろう。自分が何をしているか、どのような結果をもたらすのか、わかっているならそれで十分だ。

中年士兵:山神様……

瑪瑙つみれ:昔話はここまでだ。私はまだ用がある。じゃあ……元気でな。

中年士兵:ありがとうございます……山神様……


 兵士がふらつきながら離れていくのを見て、瑪瑙魚圓は終始何も言わずにただ立っていた白酒に言った。


瑪瑙つみれ:今のことは胡桃粥には言うな。

白酒:?

瑪瑙つみれ:言ったってどうにもできない。あの聖人のような奴が、もし張千に何かあったと知ったら、また心を痛めてしまう。元々体が弱いんだ。私のために傷ついてほしくない。

白酒:わかった、約束する。

瑪瑙つみれ:助かる。


お願い

細やかな気遣い。


玉京

墨閣


 胡桃粥を客室で休ませ、氷糖湘蓮は部屋を離れようとした時、背後から聞こえた声に呼び止められた。


胡桃粥:お待ちください。

蓮の実スープ:どうかしましたか?

胡桃粥:お願いがあります。どうかお力を貸していただけませんか……

蓮の実スープ:何なりとおっしゃってください。

胡桃粥:少し手間がかかるかもしれませんが……お嬢さん、墨閣のためにある人を調べていただきたいのです。

蓮の実スープ:どなたですか?

胡桃粥:数年前に、西荒で失踪した孤児です。名前は張千といいます。

蓮の実スープ:他に……何か情報はありますか?

胡桃粥:瑪瑙魚圓が自ら描いた似顔絵があります。しかし、もう何年も経っているので、顔立ちも変わっていることでしょう。

蓮の実スープ:瑪瑙お嬢さんが絵を描かれるなんて、とても大切なお方なのですね……情報があれば、すぐにお知らせします。

胡桃粥:あともう一つ……もし悪い結果であれば、瑪瑙魚圓には秘密にしてください。

蓮の実スープ:それは……どうしてですか?


 胡桃粥は苦笑いしたが、その表情にはどこか優しさが見られた。


胡桃粥:瑪瑙魚圓は強くて、何事をやるにもまっすぐで何も考えていないように見えますが。本当は、誰よりも慈悲深い人なんです……

胡桃粥:もしそばにいた人が命を落としてしまえば、ひどく苦しむでしょう……

胡桃粥:彼女をもう苦しめたくないのです。

蓮の実スープ:……わかりました。情報があれば、真っ先に胡桃粥様にお知らせいたします。

胡桃粥:ありがとうございます……


守護

城主の使命。


聖教の近く

山河陣の陣目


東坡肉:まったく、肉月餅がもったいない。出来立てだったというのに、お年寄りを敬うことを知らぬ若造に、食べる前に引きずりだされてしまった。皮すら口にできなかったぞ……まったく!

辣子鶏:お年寄りを敬う?そんなに年老いてないだろ……文句を言ってないで、後で食べればいいだろ。

東坡肉:後で?ちっとも美食に対する敬意が感じられんぞ!お前というやつは……はあ、もういい……

東坡肉:そういえば、なぜ突然こんなつまらぬ事に首を突っ込んだんじゃ?もし、彼らが本当に山河陣を壊してしまったらどうする?

辣子鶏:俺たちはそれを防ぐためにここにいるんだろ。それに、つまらない事じゃない。うすら木偶の坊も言ってたんだ。魔法陣の英霊がどんどん消えてるって……

辣子鶏:もしこれが全て聖教の仕業なら、東籬のやつらと聖教を倒せば、面倒なことも減るだろ。今みたいに、毎日壊された石碑を修復するのだってそう長くは続かない。

東坡肉:確かにそうだな。しかし、もし彼らの推測が間違っていて、山河陣が聖教となにも関係がなかったら、全てが無駄になるぞ?

辣子鶏:そうなったら仕方ない。俺だって、今まで無闇に動き回って振り回してきただろ。

東坡肉:おお!身の程をわきまえているんだな!

辣子鶏:……

東坡肉:ははは、冗談だ。お前は機関城の城主としてよくやってるよ。ずっと見てるさ。

辣子鶏:良くても悪くても、とにかく……山河陣は大勢の命によって作られたんだ。あんなに多くの命が……

辣子鶏:俺様がいる限り、山河陣の邪魔はさせない!


協力

ノスタルジア。


地府

人参のところ


白酒:力を貸してくれて助かった。礼を言う。

高麗人参:……いえ、全ては山河陣のためです。

高麗人参:彼らは……あなたの力になってくれる方達なのですか?

白酒:ふっ、瑪瑙魚圓に聞かれたら、また刀を向けられるな。

白酒:この世界で、気が合う同じ志を持つ仲間に出会えたとしても、いつまで一緒にいられるかなんてわからないんだ。だったら運命にまかせて一緒に前に進めばいい。

高麗人参:それも……そうですね……

白酒:……俺もそろそろ瑪瑙魚圓たちに会いに行く頃だ。じゃあな。

高麗人参:わかりました……


───


聖教

薬盧


冬虫夏草:君たち二人はお酒を飲んだんだから、先に戻っててって言ったでしょう。なのになぜ着いてくる……

虫茶:お兄ちゃんがお酒弱いから……いや!あたしたちもお兄ちゃんの薬草コレクションを見てみたかったの!そうよね、ピータン

ピータン:……

虫茶ピータンもなんとか言ってよ。

冬虫夏草:わかったわかった。せっかく来たなら、いい子にしててよ。鍵を探すからちょっと待ってて……

虫茶ピータン

冬虫夏草:入っていいよって言ったのに、もう……ピータン

ピータン:……痛い……

冬虫夏草:痛い?どこが痛いの?おい……

ピータン:頭が……痛くて……痛くて……うっ……


 ピータンは突然辛そうに頭を抱え、血管が浮き上がっている。それを見て虫茶は慌てて一緒にしゃがみ込んだ。この時、白い影が暗闇から慌てて去っていくのが見えた……


ピータン:陛……下……

冬虫夏草:?

虫茶ピータン!どうしようお兄ちゃん!気絶したみたい!

冬虫夏草:……大したことはないよ。でもどうして突然……虫茶、先に彼を連れて出ていって。薬を取りに行ったら帰ってくるから。


憤怒

江太史文龍の失踪。


聖教

薬盧


冬虫夏草:嘘だ……嘘だ……


 冬虫夏草は何者かに盗まれて空になった薬庫を見て、ショックと怒りで手が震え、しばらくの間「嘘だ」以外に何も言うことができなかった。しばらくして、彼は怒って内殿に行き、先ほどまで一緒にいた人を探した。


冬虫夏草:便利だから君のところに貴重な薬草を置いておいたのに、聖教の警備がこんなにも無防備だなんて!これじゃあ明日にも根こそぎ持っていかれるよ!あれ……


 罵声が突然止まった。冬虫夏草は崩れ落ち、眉を顰めて微かに息をしている洛神花茶を見た。様子がおかしく、思わず口調が和らいだ。


冬虫夏草:どうしたの?さっきまで問題なかったのに、君も盗まれたの?

ハイビスカスティー蛇スープが……いない……

冬虫夏草:人がいなくなったのか……


 冬虫夏草は思わず口を開いたことに後悔した。今の洛神花茶は冗談を言える雰囲気ではない。怒りが実体となって彼の体にまとわりつき、人を近づけない。かつてないほどの怒りだ。

 しかし、冬虫夏草もどうしようもなさそうに手を振り、長い間準備していた毒虫を放った。


冬虫夏草:ボクを睨んでも無駄だよ。あの子は人にいじめられる性格じゃない。聖教から人を連れ去るなんて、相当な実力者か、あるいは内通者か、もしくは自分の意志で離れたかだね。

ハイビスカスティー蛇スープはそんなことしない。

冬虫夏草:あの子の心の中に君がいることは知ってるけど、もし彼に騙されていたらどうするの?

ハイビスカスティー:……

冬虫夏草:眉までしかめちゃって。蛇スープがいなくなって、辛いのは心だけじゃないでしょう。毒虫で応急処置しよう。


 洛神花茶はそれを聞き、何も言わずに目を閉じた。応じる気はないようだ。その様子を見て、冬虫夏草も気分が悪くなった。


冬虫夏草:もうボクには手に負えないよ。聖女を呼んでこようか?

ハイビスカスティー:あの女は蛇スープがいなくなってさぞ喜んでいるだろう……しかし、人を探すとなると、聖教の人手を借りないわけにも……

ハイビスカスティー:どうやら決着をつける時が来たな……


 冬虫夏草は心の中で、あの子を探すなど一言も言っていないと思った。しかし洛神花茶の様子を見て、なんとか言葉を飲み込んだ。


冬虫夏草:何か考えがあるの?

ハイビスカスティー:必ず蛇スープを見つけ出す……絶対に……

ハイビスカスティー:私の者に手を出すなど……息の根を止めてやる!


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