腌篤鮮・エピソード
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腌篤鮮のエピソード
天才的な頭脳スペックで、高貴で聡明だが、普段は間抜けな生存バカ。超強力な論理的推定能力と学習能力を持ち、数字に非常に敏感で、物事の表面的な現象を通してその後ろに隠れている実情を見抜くことができる。御侍が聖教に殺された後、生活が窮迫し、富豪スープに救われ、弦春劇場での働き口を手配してくれた。
Ⅰ.傘
小雨が上がり、草木が青々と輝いている。見慣れた小道を進むと、雑木に隠れた荒れ果てた祠(ほこら)の古びた門が見えてきた。
一年という月日が流れ、崩れた屋敷の周囲には次々と新しい緑が芽吹いているが、焼け焦げた跡だけは今もなお生々しく残っている。御侍一家の墓は、この場所にある。
私は墓石に積もった塵や落ち葉を拭った。すると、江(こう)家の名が再びはっきりと現れる。巡る思考と共に、かすかな溜息が胸をついた。
いつものように酒と供え物を置いた後、私は丁寧に折り畳んだ紙銭を取り出した。故人は遠く去り、今の私にできる手向けはこれだけだ。
だが、不意に風が吹き、火をつけたばかりの炎が急に煽られた。
「チリッ――」残り火が瞬く間に地面の枝葉に燃え移る。私は避けようと立ち上がったが、翻った袖が不運にも酒器を倒してしまった。
火の手は次々と広がり、気づいた時には周囲に煙が立ち込めていた。むせるような煙が鼻や口から入り込み、一瞬、目眩を覚える。
「ゴホッ、ゴホゴホッ……!」
「――ちょっと、なんでこんなところが燃えてるのよっ?!ねえ、大丈夫?!」
朦朧とする意識の中、澄んだ女性の声が聞こえた。同時に、腕を引かれて外へと連れ出される。
新鮮な空気が肺に流れ込み、ようやく意識の混濁が晴れていった。
幸い火はすぐに消し止められた。助けてくれたのは、清らかな佇まいで、独特な装いをした少女だった。ただ、消火のために灰にまみれてしまった彼女の鞄を目にし、申し訳なさが込み上げる。
「助けていただき、感謝します。……今の、不慮の事故でして。お騒がせいたしました」
「ついでに助けただけだから、気にしないで。でも、どうしてこんな場所で火を焚いたりしたの?周りにこんなに落ち葉があったら、すぐに燃え広がるわよ」
「……そこまでは、考えが及びませんでした」
「まあ、いいけど……あ、これ、あなたの物でしょ!火に巻かれなくてよかったわね」
少女は快活な口調で言い、一本の紙傘を差し出した。しかし、私が答えるよりも早く、彼女は驚きの声を上げた。
「えっ……ちょっと待って、この傘……これ、江家特有の『描金(びょうきん)』の技法じゃない!」
少女は目を輝かせ、まるで宝物でも見つけたかのように私の紙傘をまじまじと見つめた。
「……江家のことを知っているのですか?」
「当たり前じゃない、私は江家を訪ねるためにここに来たんだから。でも、どういうわけか屋敷には誰もいなくて、それで探し回ってたのよ」
「なぜ、江家を?」
「教えてあげてもいいわよ。私はファッションデザイナーで、インスピレーションを探しに来たの。江家の紙傘は絶品だって聞いてたから。そのデザインの理念を学べれば、これからの創作に役立つと思って!」「なのに、最初から道を間違えちゃったみたい……変ね、地図ではここを指してるはずなのに……」
少女の言葉をすべて理解できたわけではないが、その率直な姿に、私は事実を告げることにした。
「……あなたの道は間違っていません。ここは確かに、江家です」
私は傘に描かれた、今も鮮やかな彩りを放つ絵に目を向けた。喉の奥に熱いものが込み上げ、結局、小さな溜息と共にそれを飲み込んだ。「ただ……かつての江家は、もうここにはありません」
初夏の晴れ渡った日、薫▫(※薫風)が庭を吹き抜ける。
「ん……ここはもう少し色を濃くして……」
少年は細筆を手に机に向かい、いつものように没頭して傘に絵を描いていた。
しばらくすると、その影が嬉しそうに駆け寄ってきて、描き直されたばかりの紙傘を私に押し付けた。
「へへっ、修復完了!次からは気をつけてね。傘を持ったまま池に落ちるなんて、もうしちゃダメだよ」
私は黙って頷き、知らず知らずのうちにその傘に目を奪われていた。擦り切れていた傘の表面は新しく張り替えられ、そこには桃の枝が濃淡豊かに描かれている。まるで春の盛りを閉じ込めたかのような、香りが漂ってきそうな見事な出来栄えだった。
江家の非凡な技法で造られた傘は数多く見てきたが、それでも感嘆を禁じ得ない。
「御侍、腕を上げましたね。ありがとうございます、とても気に入りました」
「本当?気に入ってくれたならよかった!でも、僕の腕なんて父さんに比べたらまだまだだよ。江家の名に恥じないように、もっと練習しなきゃ!」
「――そうだ、腌篤鮮はこういう奇妙な図案が載った本が好きなんだね」
次の瞬間、少年の好奇心に満ちた視線が、私の手元にある書物へと向けられた。
「九宮図(きゅうきゅうず)と、いくつかの算経(さんけい)です。倉庫に積まれていたので、勝手にお借りしました。読み解いてみると、なかなか興味深いものです」
「ああ、思い出した。それ、本当は母さんが僕に学ばせたがってたやつだ……。母さんは僕を商売人にしたかったみたいだけど、僕は父さんと傘を作る方が好きなんだ。先祖代々伝わってきたこんなに綺麗な傘を、もっとたくさんの人に見てもらいたいんだ!」
少年の声は清泉のように澄んでいた。心の内の願いを語る時、彼はいつも饒舌(じょうぜつ)になった。
当時、私が江家に来てからまだ半年ほど。それは江家の盛名が最も高まっていた時期でもあった。
東南一帯に、傘作りで名を馳せる「江氏」という一族がいた。江家の傘は独自の技法と精良な画工で知られ、特に山水草木に「描金」を組み合わせる手法は群を抜いていた。
江家の息子である御侍は天賦の才に恵まれ、十六にして既に極めて巧みな画工の技術を習得していた。彼は誠実で、情に厚い。彼と共に過ごす時間は、何よりも心地よいものだった。
「おっと、お湯を沸かすだけで手を豚足みたいに火傷させちゃうなんて。次からはこういう些細なことは僕に任せてよ~」
「塩と砂糖を一緒にするなんてダメだよ。絵の具を調合するのと同じで、料理にも道理があるんだから」「ははは!聡明な人でも、こういう日常の些細なことには敵わないみたいだね。でも、それこそが僕の知ってる腌篤鮮だよ」
そんなやり取りが、私たちの日常だった。
生活の中の雑多な用事に応じるよりも、私にとっては算木(さんぎ)を弾いたり書を読んだりすることの方が、遥かに容易だった。それゆえ、私が御侍の力になれず困り果てていた時、彼は名案を思いついた。私に家の帳簿の管理を任せたのだ。
私はかつて尋ねたことがある。なぜ彼は、私がしでかした数々の失敗を気にも留めず、笑って流せるのかと。少年はいつも笑顔でこう答えた。
「人には得手不得手があるものさ。苦手なことがあれば、必ず得意なこともある。例えば、僕は数字や難しい文章が並んでいるのを見るだけで頭が痛くなるけど、君は違うだろ?」
「それに、家の商売だって君の助けがなきゃ、こんなに整然とはいかないよ。それなのに、薪割りや炊事まで押し付けるなんて、そんなの良心が痛むよ……」
「……あなたは私にとって知遇の恩があるお方です。お助けするのは当然のこと」
「僕が君を召喚したとはいえ、手伝わせるためじゃない。君には自分の好きなことをする権利があるんだ」「だって、御侍と食霊である前に、僕たちは親友なんだから!」
当時の言葉が今も耳に残っている。数年の流転(るてん)を経てもなお、それは変わらず温かい。
ただ、このまま穏やかに歳月を重ねていけると思っていたのに。結局のところ、災厄の波に抗うことはできなかった。
Ⅱ.憂
その日、私は御侍に頼まれ、江家の傘屋の手伝いへと向かった。店に足を踏み入れるなり、喧騒が耳に飛び込んでくる。
「そ、そんな……お役人様、お静まりください!私は本当に、伝家の宝傘など存じ上げません!」
「黙れ!今日中にその傘を差し出さねば、この店を叩き潰して聖女様への詫びの品にしてくれるわ!」
先頭に立つ男は、豪華な錦の衣に玉帯を締め、大勢の従者を従えて尊大に振る舞っている。詳しい事情はまだ見えないが、碌でもない手合いであることは一目瞭然だった。
私は男の言葉から要点を推測しつつ、前へと歩み出た。
「千代に他意はございません。おもてなしに行き届かぬ点がありましたら、どうか私にお話しいただけますか」
「貴様のような優男がここの責任者か?早くその伝家の傘をこちらへよこせ。代金なら望み通りに払ってやる」
「……あいにくですが、江家には伝家の宝を売りに出すという決まりはございません。私は正式な管理者ではありませんが、それでも経営の掟には従わねばならないのです」
「掟だと?目の前にいるのがどなたか分かっているのか!巡撫様のご子息こそが掟なのだ!」
「そうだ!売る気もないのに商売などするな!我らが若旦那に目をかけられたことを光栄に思うがいい!早くブツを出せ!」
傍らの従者たちが次々と口を挟み、傲慢な空気が店内に満ちる。
私は礼を尽くして説得を試みたが、このような手合いが簡単に引き下がるとは思えない。かといって、ここで好き勝手に暴れさせるわけにもいかなかった。
「富ですべてを量れるわけではございません。それは珍宝とて同じこと」
「思うに、宝を集めるお心をお持ちの若旦那であれば、世の宝の多くが千金をもってしても購えぬものであることは、重々ご承知のはず」
「はぁ?何が言いたい!私に金がないとでも言うのか?!」
「滅相もございません。ただ、見識の広い若旦那であれば、先ほど仰った『聖女様』も、さぞや非凡なお方なのでしょう」
「ゆえに、金銭の話ばかりに終始しては俗世にまみれ、若旦那の名声を傷つけるのみならず、宝の価値をも貶めてしまうのではないかと危惧したまでです」
淡々と、落ち着いた口調を維持して告げると、果たして男の瞳に迷いの色が浮かび始めた。
「それに、今日という日はあまりに急ぎすぎ。万が一、贈り物を手配する際に不備があっては……。一度こちらで万全に整えた後、改めてお返事をするというのはいかがでしょう」
「ふん、いいだろう。ならば三日だけ待ってやる。精々しっかり準備しておくんだな。もし次もしくじってみろ……タダじゃおかないぞ」
男の不遜で残忍な物言いは、背けばどうなるかを雄弁に物語っていた……。
横暴な影が消え去ってようやく、店の者は安堵のため息を漏らした。
「あのご子息は官の権力を笠に着るだけでなく、地元のならず者とも通じていまして。逆らう者は皆ひどい目に遭うので、街の誰もが避けて通る御仁なのです」
「本当に助かりました、腌篤鮮様!!私一人では、九つの命があっても足りませんでしたよ!」
「……左様ですか。あなたのせいではありません。これからのことは、私から家主に報告しておきましょう」
口ではそう言ったものの、彼を落ち着かせた後、私は思考に沈んだ。
今の言葉はあくまで一時しのぎに過ぎない。事態が深刻化する前に、早急に手を打つ必要がある。
思案を巡らせる中、あの男の言葉が再び脳裏をよぎる
奴が口々に呼んでいた『聖女様』とは、一体誰のことを指しているのだろうか……
屋敷に帰る頃には、既に夕闇が四方を包み込んでいた。そこで目にしたのは、生きた心地もしないといった様子の御侍の姿だった。
彼の嘆きを聞くに、江家と長年提携していた染物屋が、今日、正体不明のならず者に襲撃されたという。屋主は脅され、江家との取引を断絶させられていた。時刻は、あの一団が傘屋を去った直後だった。
私は絶句した。あの官家の息子のやり口は、想像以上に理不尽なものだった。
その後、傘屋での出来事を御侍に伝えたが、驚いたことに彼らは既にその情報を掴んでいた。どうやら、すべては周到に仕組まれた計画のようだ。
「御侍、江家に伝わるあの宝傘について教えていただけますか」
「うん、もちろんだよ……。実は、職人の技として見れば、あの傘は江家の中で最高級というわけじゃないんだ。ただ、あれは百年前、先祖が独自の技法を編み出して初めて作った一号傘なんだよ。今の江家があるのは、あの傘のおかげと言ってもいい」
「代々受け継がれてきたあの傘は、江家にとってかけがえのない『魂』であり象徴なんだ。何があっても、外の者に渡すわけにはいかないよ!」
少年の顔には不安が影を落としていたが、その口調には一点の曇りもない決意が宿っていた。
刹那、複雑な思考が胸に渦巻く。
恐らく、事態は御侍が考えているほど単純なものではない……だが……
それが御侍の望みであるならば、いかに困難であろうとも、私はそれを成し遂げる助けとなろう。
Ⅲ.禍
「富豪スープさん……『聖教』について、何かご存知ではありませんか。先ほど『聖女』の名が出た際に、反応されていたようですが」
小楼の奥まった一室。茶の香りがゆらゆらと立ち込め、静謐な空気が流れている。富豪スープと名乗った少女は眉を寄せたが、私の唐突な問いに不快感を示すことはなかった。
「確かに、その聖教という名は聞いたことがあるわ。でも、悪評が絶えないことくらいしか知らないの。いつも裏で汚い仕事ばかりしている連中だっていう……」
私の返答を待たず、彼女の瞳には驚愕と疑念の色が混じり始めた。
「まさか……江家の没落に聖教が関わっているの?その後、一体何があったっていうの?」
「その後は……」
「祠(ほこら)に何年も閉じ込めてあるあの古傘なんて、とっくにただのボロじゃないか。今や巡撫のご子息が千金という破格の値を提示してくれているんだ。ここは恩を売るつもりで売っ払っちまったほうが、江家のためにもなるってもんだ」
「三日だなんて悠長なことを。染物屋はあちらの連中に脅されて取引を打ち切ってきたし、ごろつき共は毎日店で騒ぎを起こして客を追い払ってる。明日になっても首を縦に振らなきゃ、連中が次に何をしてくるか分かったもんじゃないぞ!」
部屋の中から漏れ聞こえる争い声は、私の耳にもはっきりと届いていた。事の次第が広まると、江家の一族の大半は妥協を選んだ。だが、家主と御侍だけは、断固として首を縦に振らなかった。
「相手が欲しいと言えば、何でも差し出すとでもいうのか!我ら江家を何だと思っている!あの傘は先祖が自ら作り上げた、江家の魂だ!売りたいなら、まず私を殺してからにしろ!」
「父さん……みんな、落ち着いて!父さんも僕も、それに腌篤鮮も解決策を考えてるんだ。絶対に連中の思い通りにはさせない!」
御侍の、かつては泉のように澄んでいた声に苦渋が混じるのを聞き、私の胸も締め付けられる思いだった。人の世の非情さは心得ていたつもりだが、それでも今は、言いようのない悲哀を感じざるを得ない。
部屋の中では依然として言い争いが続いている。私は袖を強く握りしめた。御侍が言った通り、まだ……手立てはあるはずだ。
その夜、冷たい月が高く掲げられていた。静まり返った小道を進むと、一軒の邸宅に灯る火が見えた。
扉を開けると、そこには豪華な衣を纏い、艶やかな容姿をした女が屏風の前に立っていた。この女が、例の「聖女」か……
「初めまして、腌篤鮮さん。遠路はるばるご苦労様。まずは腰を下ろして、お茶でもいかがかしら?」
女は口元に笑みを浮かべていたが、その金色の瞳は底知れぬ深淵を湛えていた。私は疑念を心の奥に押し込め、彼女の言葉に応じる。
「お心遣いには感謝しますが、結構です。用件のみ、手短に願います」
「ふふっ、これほど気がお早いとは。これは私が無作法でしたわね」
女が口角を上げると、その笑みの裏に鋭い刃のようなトゲが隠されているのが分かった。
彼女が意図的に私を試していることを察し、私は動じることなくその視線を受け止めた。
「品物は、お望み通り渡しましょう。ただし、条件が一つあります」
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