【黒ウィズ】フェアリーコード2 Story5
フェアリーコード2 Story5
目次
story 翅ある蛇神
前も、こんなことがあったような気がする。
遥かな空へ飛びゆくあいつを追いかけて、必死に追いつこうとして、飛んだ。
激しい焦慮に心を焼かれながら――
ドレスコードを知らないようだ。
――!
そんな翅音では通れんぞ――半端者!
微笑とともに戦鎚が振り抜かれ、タツマの翅音を直撃した。
ぐあっ……!
ガラスのように、翅音が砕けた。
タツマの身体は貪欲な重力の餌食となって、遠い地上へ落ちていく。
(くそ――くそ――ちくしょうー)
落ちながら、タツマはすがるように手を伸ばした。
つかめない。何ひとつ。あのときと同じように。少年の背中を見ながら、ただ落ちる――
くそおおおおおっ……
吐き出す。どうにもならない思いを。記憶の底から湧き出る名前に込めて。
ふざけるな――〝翅ある神(ラプシヌプルクル)〟!!
タツマくんっ!!
伸ばした手が、つかまれた。装甲に覆われた手――ふたり分の音色を宿した手で。
タツマくん――聞いて!あの人の音色……あの人のエコーを!!
ハビィが、訴えるような声を上げた。ひとひらの旋律が、繋いだ手から流れ込む。
確かな音色が。かすかなエコーが。
かつてタツマの知っていた、誰かの心の音のかけらが。
***
〝翅ある神(ラプシヌプルクル)〟――あるいは〝翅ある蛇(ラルシオヤウ)〟。
その龍と親しくなるのに、大したきっかけなどなかったように思う。
ただ出会い、ただ馬が合った。それだけのことでしかなかった。
「私は、もともとこの地の龍じゃなくてね。別の地で〝翅ある蛇(ケツァルコアトル)〟と呼ばれた神だった。いろいろあって追放されてしまったけど。」
「それで、洞爺湖くんだりの主となったか。」
「傷を癒すには、良い土地だったのだよ。地元の人間たちも、良い人ばかりでね。」
「解しがたい。人の音なぞ繊弱きわまる。信を寄せるに値すまい。」
「音が大きければいいというものでもないさ。
草も、虫も、獣も、人も……どんな小さな音も、それぞれの曲を奏でて生きている。私は、それをとても尊いことだと思うのだよ。」
「くだらぬ。かような者らの発する音なぞ、我には聞こえたこともない。」
「君の音は、雷のように強く轟く。だから、小さき音が聞こえない。
断魔守よ。私は、生まれ故郷を追われて以来、ずっと考えていた。私はなんであるのか――私の生きる意昧はなんなのかと。
そして、気づいた。人や獣と触れあううちに。
私は、ひとつの曲であり、その曲が、私の生きた意味となる――
それが、私の答えだよ。」
――ある日、人が「東京」と呼ぶ地の上空で、異変が起こった。
天の音が乱れ、地上に生きる、吸い上げられ、世の理が歪んだ。あらゆるものたちの音色が空へと消えていった。
龍にとっても見過ごせる事態ではなかった。ー丸となり、辛うじて天の乱れを抑えた。自身の音を吸われながらも。
「乱れは治まったか……だが――おう、見るがいい、ラプシヌプルクル。生き残ったは、我らだけではないか。」
「地上の音が、消えてしまった……草も、虫も、獣も、人も……妖精たちの音色さえ、すべて奪われ、消えてしまった……。」
「龍の音すら喰らう乱れよ。小さき音しか持たぬ者らでは、耐えうるべくもない。」
「いや……まだ間に合う。
音そのものである妖精たちは助かるまいが、人や獣の心は、まだ朽ちていない。
私は天の火の音より生まれたもの。かっては人に火の音を授けたこともある。我が身の音を与えれば、彼らを救える。」
「何を言う、ラプシヌプルクル!汝とて、心の音を喰われておるのだぞ。分け与えなどすれば、命を失うことになろう!
人や獣の覧となるのか!?神とも呼ばれた龍たる汝が!」
「宝を守るは、龍の性。地上にさざめく音色こそ、私の守るべき宝だ。」
「許さぬぞ――ラプシヌプルクル断じて許さぬ!
我を――地上の塵芥どもなぞのために、我を!
我を置いて逝こうというのかラプシヌプルクル!!」
止めたかった。止めようとした。天高く舞い上がるラプシヌプルクルを。その心、その命が音の雨となって降り注ぐのを。
だが、叶わなかった。天の乱れを止めるため、音のほとんどを使い果たしていては。
たやすく払われ、地に墜ちるしかなかった。
「友よ。誇り高き我が友よ。
君もまた、私の宝だ。だから――
我が火を受けよ――断魔守!」
「ラプシヌプルクルッ!!」
天の高みから墜とされながら、彼は哭いた。
友を止めなければという焦り――馬鹿なことをするなという怒り――止めることすらできない屈辱――
そして、友を失うことへの悲しみを胸に、哭いた。
天から降り注ぐ、熱い音の雨に――かつて友の心であったものに打たれながら。
そうだ……そうだった。
失われた記憶――それでもなお抱き続けてきた気持ちの意味を。
今、確然と理解して――タツマは、震えるような吐息をこぼした。
教えてくれたのは、ハビィの音色だ。ハビィが伝えてくれた、ラプシヌプルクルの音。
ハビィは、あの人のエコーから生まれたから。だから、この雨でわかったの。あの人の音色が、どんなだったか。
みんなに音を与えたい――あの人の最期の気持ちがエコーになってる。だから、あの子は音を降らせてるの!
でも、今、この街に音が降ったら……普通に生きている人たちが、過剰な音を注がれたら――
タツマは、地上を見た。
音の雨が降り注ぎ、人々の身体から音があふれる。そのせいで世界の音が外れていく。
親父――おふくろ――コウイチ――
龍としての感覚が、見知った人々の音を捉えた。
強すぎる音に耐えられず、悶え、苦しんでいる。あふれ出た音がその背中から翅音を広げ、無秩序に飛び出そうとしている。
地上の音。小さき者たちの音。
かつては、なんの値打ちもないと思っていた。
だが、今は。その音に囲まれ、その音と触れあい、その音とともに17年を生きてきた、今は。
――捨て置けるものか!
咆呼が、タツマの背中に翅音を生やした。
我が父!我が母!我が輩!今やすべてが我が宝――龍たる我の守るべきものだ!
タツマは昂然と顔を上げ、天を睨んだ。
とぐろなす暗雲。音の雨を降らす少年。微笑を浮かべて地上を見下ろす悪魔。
そのすべてを睨み、烈々たる叫びを上げた。
あれを止めるぞ――龍たる我が身の誇りに懸けて!
うん!
ミホロが笑顔でうなずき、ハビィが嬉しそうな電子音を奏でた。
story 空へ
天に、巨大な黒雲が渦巻いている。龍がとぐろを巻くように――
その中心とも呼べる場所に、エコー体が翅音を広げて佇んでいる。
早くあいつを止めるにゃ!
わかった、とうなずいて君は飛翔速度を上げる。
本来君は、空を飛ぶ魔法は使えない。今は、異界で出会った魔道少女たちの音色が、君に空飛ぶ力を与えてくれていた。
てぇーいっ!
ディギィが、エコー体へと突っ込むのが見えた。しかし、そこに黒い風が割って入る。
ラファールだ。戦鎚と斧が激突し、斧の方が弾き返された。
邪魔をするなと頼んだのにな。今や、街のあちこちに餌が転がっているぞ。俺のおかげでな。
残念、あたしはグルメなの!あんなまずいの喰ってらんない!つーかもーいーかげん雨うざい!
悪魔というのは身勝手で困る。
的確な自己評価ね!
叫び、ルミスが斬りつけた。ラファールが軽くその剣を払ったところへ、リレイの銃弾と君の魔法が飛ぶ。
ラファールが翅音を広げて防御する隙に、地上から飛んできたソウヤが、、エコー体へ向かおうとする。
音の刃が閃いた。ソウヤはハッと空中で足を止め、鎌を振り上げて防御する。
ソウヤと鍔迫り合いを演じるのは、翅音の装甲をまとった金森であった。
金森さん?あなたがどうして!
金森は無言でソウヤを蹴り飛ばし、装甲の各所から音の砲弾を射出する。
横合いから飛んだ黒い炎が、それを砕いた。
炎はさらに金森を襲うが、音の刃で切り裂かれる。
おいおい先生、もっと頑張ってくれよ。でなきゃ俺が楽できねえだろ?
おまえも敵に回るのか?世界の音が外れるなら、悪魔には嬉しいことだと思うんだがな。
もちろん、そいつは大歓迎さ。ただ――
〝悪魔を喰らう悪魔〟ラファール。あんたが何か企んでるってなると、悪魔の身としちゃ手放しに喜べないね。
え、あいつそんなのだったの?
そんなのだったの。それなりに有名だぜ?ま、17年前の話だが。
てなわけで、ここは共同戦線と行こうぜ、先生。あいつに強くなられちゃ、俺が困る。
マサンに冷たい視線を向けるソウヤの脇を、高速で駆け抜けていくものがあった。
タツマとミホロである。二人は、エコー体を目指している。
その道を阻もうとするラファールと金森に、君たちはそれぞれの攻撃を浴びせかけた。
story
金森の手にした音の刃が、空を裂いて迫る。受け止めた鎌が、軋むような音を奏でた。
待ってください、金森さん!
エコー体を破壊させるわけにはいかないあなただってそうだろう!
すでに状況は変わっているんです!確保なんて言ってる場合じゃない!
このままじゃ、みんなが音を失くしてしまう!ユリカや、あなたの大切な人みたいに!
大切な人の音を取り戻す――それだけが私の目的であり誓いだ!そのためなら、すべて構わん!!
無体だ!
私にとってはそれがすべてだ!
ラファールは、この雨で完全となる!何もかもが報われる!!
ラファールだって……?
ソウヤは、ハッと目を見開いた。
翅音の装甲の奥からにじむ、金森の音――そのなかに、どこか歪んだ音色を感じて。
あなたは――魅入られているのかあの悪魔に!
かつて、妖精リァノゥンがソウヤの教え子の音を呑み、意のままに操ったことがある。
それと同じだ。金森は、すでにラファールに魅入られていた。
おそらく――〝大切な人の音を取り戻す〟という強い願いに付け込まれて。〝大切な人〟をラファールだと思いこまされて。
悪魔め……!!
あと少し――あと少しであの人の音が戻るんだ!
叫ぶ金森に、黒い火球が飛んだ。金森は後退し、それを回避する。
いやあ、悪いことする奴がいるもんだねえ。ああいう悪魔こそ、放っといちゃいけないんじゃない、先生?
同じ穴の猪が言うな!
言われちやった。とにかくあいつを片づけようぜ。あ、もちろん俺、本気出さねーけど。
親しげな友人のような態度で横に並ぶマサンをもうー度睨んでから、ソウヤは金森を見た。
心の音に嘘はない……あなたの〝大切な人〟への気持ちは、まぎれもなく思いやりの音に満ちていた。
ねじまげられていいものじゃない!
紅い翅音が、左腕から噴き上がる。
妖精を喰らい、血肉に音を宿してきた種族――吸血鬼(コードイーター)と呼ばれた者たちの証が。
私の願いの邪魔をするなぁっ!!
だからやるんですよ!金森さん!
***
機械によって増幅された音を噴射し、金森は高速でソウヤの周囲を飛び回る。
視覚で反応できる速度ではない――が、そもそもソウヤは目に頼るつもりなどなかった。
はあっ!
振り向きざまのー閃が、飛んできた金森を捉える。鎌の刃が、金森の装甲をざっくりと削った。
反響定位(エコーロケーション)……!
音波を放射し、それが跳ね返るのを感知して、どこに何があるのかをたちどころに把握する。コウモリなどの種が得意とする行動である。
紅鬼先生――あなたの娘さんだって、この音の雨で心を取り戻すかもしれないのに!
だからといって、見過ごせるものか!
あなたは娘を世界でいちばん大切だと言った!ならば何を犠牲にしてでも、どんな手段を使ってでも、救うのが当然じゃないのか!
もちろん娘がいちばん大事だ。だけど、娘以外だって僕には大事だ!
非常勤とはいえ、教え子がいる!僕は、彼らに道を示せる大人であらねばならない!
たかぶる思いが、翅音からあふれる。金森を圧倒するほどの音色となって、ソウヤに力を与えてくれる。
あなたの奏でた音色も大事だ!だから止める――あなたの音を守るために!
***
愛が……愛が足りない!足りていないぞ紅鬼先生!!
金森は獣のように叫びながら、全身の武器から音を敷き散らした。
たったひとり愛する人のためなら、どれだけ犠牲を出そうと、どんな手段を使おうと構わない!それが本当の愛じゃないのか!!
愛に定義がいるものかっ!
ソウヤは左手の翅音を展開し、金森へと飛翔した。
放たれる音刃、音弾の数々を、翅音のシールドで強引に蹴散らしながら、ー気に距離を詰める。
ぬうっ――!
左手が、金森の胸に触れる――瞬間、翅音は鋭く尖った牙となって、金森の装甲に突き立った。
悪魔の音など、消し尽くす!
うああぁああぁあああっ!!
ソウヤの音が詐裂し、金森の装甲が弾け飛んだ。
ソウヤが砕いたのは、金森の装甲であり、彼の心を呑み込んでいたラファールの音色、そのものであった。
う……あ――私……私は……。
アヤコ……。
がくりと、金森はソウヤの腕の中で気を失った。
いやー、お見事、お見事。やるねえ、先生。いい感じだったよ。
……貴様、ほとんど何もしなかったな。
何言ってんの、ちまちま炎投げて気イ逸らしてたじゃん。楽な戦いができてほんとよかったわ、うん。
ソウヤは、深々とため息を吐いた。
story 龍の誇りにかけて
ゆけッ!
球状の翅音が、エコー体へと飛んでいく。
エコー体は微動だにしない。音球は、その周囲に広がる音の壁に弾かれ、あらぬ方へと反射された。
小癩な――ハビィ、あれがなんであるかわかるか!
『大量の音で織りなされた翅音が、あいつの周りで螺旋状に回転してる』って!
螺旋――なるほど。とぐろを巻いておるわけか……だが、それほどの音がどこから来た?
街中に散ってたラプシヌク……ラプシヌプク……ラプヌ……あれ?
ラプシヌプルクルだ。
言い辛い……えっと、とにかくあの人のエコーを、ずっと集めてきたみたいなの。歩きながら。
ふん…。屍の腐肉漁りか。
あのとき、突然ソウヤの家から飛び出したのも、空中に残っていたエコーを回収するためだったのだろう。
どうしよう、タツマくん。ハビィの計算だと、あの翅音を突き破るには、相当な音の力がいるんだけど……。
突き破る必要などない。
あれがラプシヌプルクルのエコーであり、奴の散った音を集める習性があるなら……ラプシヌプルクルの音は拒むまい!
告げるタツマの翅音が、カッと強い輝きを放つ。
熱く、そして鮮やかに燃える光。天地を想い、天地に散った、優しく優い龍の声色。
〝翅ある神〟のエコーが織りなす翅音であった。
その音って……!
……俺も、あいつの火(雨)に打たれてたからな。でなきゃ、あのまま音を失くして消えていた。
ハビィの中にも、あいつの音があるはずだ。それで翅音をごまかしてすり抜ける!
……ええと、「それをやるには、あの知音に自ら突っ込んでいく必要があるから、失敗したら螺旋に巻き込まれて吹き飛ぶ』そうだけど……。
上等だ。互いのとぐろのどちらが上か、格の違いを教えてくれる。
おまえらは、そうだな、あいつの音をミサイルにでも込めて撃ち込め。それで揺らいだところに、俺が突っ込む。
ほ、ほんとに大丈夫!?
知らん。
タツマは笛を大きく振り回した。
末は運命が知るのみよ!
***
行くよ――ハビィ!!
高らかな電子音とともに、ミサイル状に形成された翅音が数発、エコー体めがけて飛翔した。
ミサイルはエコー体を取り囲む翅音のとぐろに激突し、詐裂――激しい音を響かせる。
その中に、ラプシヌプルクルの音があった。雨と降り、地に砕け、空に散った音のかけら――ハビィに自我を与えた音色が。
翅音のとぐろが、じわりと歪む。
エコー体の本能。同種の音を取り入れようとして、音の詐裂そのものを吸収してしまったのだ。
そこへ、タツマは突っ込んだ。
雄々雄雄雄雄雄――々雄雄ッ(おおおおおおおおおおおお)!!
咆呼――飛翔。雨粒を散らし、暗雲を裂く、ー条の雷と化して。
激突。衝撃。立ち塞がる螺旋の回転。
ドリルに横から指を突っ込むようなものだ。普通なら、たちまち頭から削れている。
しかし、直前のミサイルで翅音が揺らいでおり、さらにタツマがラプシヌプルクルの音とともに突っ込んだことで起こるべき結果が変じた。
――謳ッ(おう)!!!
ぱぁんッ――と、小気味よい音がして、とぐろなす翅音が砕け散った。
ラプシヌプルクルの音で゛受け入れるべきもの、と誤認させたタツマが、翅音に潜り込み、内側から音を詐裂させて吹き飛ばしたのだ。
目の前に残るのは、エコー体のみ。自我のない、茫洋たる瞳でタツマを見つめている。
「君の音は、雷のように強く轟く。だから、小さき音が聞こえない。」
……今は、違う。
タツマは静かにエコー体を見据えた。
我は悩んでいた。龍の誇りと、人の生の狭間で。我はなんなのか――今の俺に意味はあるのか。ずっとそればかり考えていた。
だが――やっと、おまえの答えの意味がわかった。
我は、ひとつの曲である。我が音色、そして出会った者らの奏でる音が、響き、交わり、我という名の曲をなす。
そして、その曲そのものが、いつか我の生きた意味となる。
要は――俺は何かなんて出会う奴ら次第だし、俺の生きる意味なんて、死んだ後についてくる結果でしかねーってことだ。
おまえと出会って。空から墜ちて。親父とおふくろに育てられて、ダチと出会って。今は、こうして戦ってる。
それが――俺だ!
タツマの音が膨れ上がる。確固たる意志、決然たる烈思のもとに。天地に謳い、轟くように。
雨が。風が。雷が。天に轟くすべての音が、集い、かしずき、ひざまづく。
地上の光は、我が星にして我が宝宝を守るは龍の性――だからてめーはぶっ飛ばす!
聞くがいい――天地どよもす我が咆呼を!
咆哮とともに、タツマは渾身のー撃を撃ち込んだ。
轟然たる嵐の音色を宿した杖が、かつての友のエコーを貫き、吼え猛る。
さらばだ……友よ!!
その音に。その言葉に。
エコーは、微笑み、こだまを返した。
――友よ。
story
良い雨だ――
斧を受け、剣を払い、銃弾を弾き、魔法を斬り、ラファールは穏やかな微笑みを浮かべる。
17年前も、この雨が俺に力をくれた。燃えるような竜の力を。
だというのに――
はっ!
ぬるい、
ルミスが振るう細剣を、ラファールはあっさりと受け止め、
甘い、
戦鎚を絡ませるように細剣を跳ねのけ、
遅い!
瞬時に旋回し、側面に回り込みながら、戦鎚をルミスの胴へと振り抜いた。
ルミスは辛うじて大剣で受け止めたが、耐えきれず、大きくはね飛ばされる。
くあっ……!
ルミちゃん!
リレイが、あわててルミスを受け止める。
く……うう……。
リレイの腕の中で荒い息を繰り返すルミスを、ラファールはつまらなそうに見やった。
どうした、ルミスフィレス。この雨を受けて強くなるどころか、弱さの3拍子が揃っているぞ。
恐れているのか?気持ちが暴走することを。俺を倒したいという音が限りなく高鳴り、暴走妖精に――悪魔になることを。
そんなことを気にしながら戦っているのか?この祝福の雨の中で――そんなつまらんことにこだわっているのか!ルミスフィレス!
ディギィと君が同時に攻撃を打ち込むが、ラファールは君たちを見もせず片手間にあしらい、あくまでルミスに叫びを叩きつけた。
それでは俺は殺せんよ!心の音をかき鳴らし、さらなる力に変えない限り――絶対にな!
暴走妖精を止める!悪魔を討っ!そう誓い、そのために戦ってきたのだろう!今さら何をためらうか!
俺を討つなら覚悟を決めろ――ルミスフィレス!!
夜空色の剣の閃きを、今でもよく覚えている。
数百年前。まだ小精霊(コリガン)であった頃。
フランスのあちこちで悪戯を繰り返し、いつしか暴走妖精となったとき――
「悪戯には、しっぺ返しがつきものよ。」
彼女が現れ、夜空色の剣を振るった。その美しさ、その見事さに目を奪われている間に、暴走した音を断たれていた。
元に戻っても彼女のことが忘れられなかった。あの夜空色の剣のー閃が――そこに込められた強く気高い誓いの音が、耳から離れなかった。
もうー度、彼女に会いたい。そのー心で、彼女の足跡を追い、駆けた。そして――
見た。彼女が、あの何より美しいー閃を奏で、悪魔を斬り断つ瞬間を。
たがの外れた音が砕け散った後――彼女がうつむき、声を殺して泣くさまを。
深く静かな悲しみの音が、切々として響いていた。彼は、それを茫然と聞いていた。
悪魔は元に戻せない――だから斬るしかない。たとえどんなに斬りたくなくても。斬らねば、悲劇を防げない。
その痛み、その罪、その苦しみ、その悲しみが、音となり、叫びとなって、こぼれ落ちていた。
助けて。
誰か助けて。この痛みと罪をなくして。
この苦しみと悲しみを止めて――
あたしを救って。
それは。
あまりにも切なく、あまりにもか細い〝弱音〟だった。
彼女は、ずっとそうして戦ってきたのだろう。そしてこれからも、そうして戦っていくのだろう。心の弱音を封じ込めて。
その音に、呼び覚まされる感情があった。心の奥から、ふつふつと湧き上がるもの。止めようもなくあらわれる願いが。
彼女を救いたい。彼女の苦しみを、止めてあげたい。そのために――
悪魔は、俺が殺そう。
長い時が流れるなかをさすらった。
人を襲い、妖精を襲い、その音色を喰らった。そうして力を増していくうちに、暴走妖精や悪魔とも渡り合えるほどになった。
彼女が斬るべき悪魔を、彼女より早く殺す。ただその意志のもとに、悪魔を殺し、その音を喰らってさらに力を高めた。
何度目だろうか。いつも通り悪魔を見つけ、問答無用で襲いかかり、力ずくでねじ伏せ、その音に喰らいついたとき。
「お――おまえが、ラファールか……!〝悪魔を喰らう悪魔〟のラファールかっ!!」
そう呼ばれ、ラファールは初めて気づいた。
ルミスフィレスを救いたい――その思いが高鳴るあまり、いつしか自分が悪魔と化いていたのだと。
だからといって、特に感慨はなかった。ラファールはその悪魔を喰らい、また別の悪魔を探した。
そして、17年前――この東京という街で、フェアリーコードの異変に巻き込まれた。
地上の音が、吸い尽くされていった。人々は心を失い、音そのものである妖精や悪魔たちは、存在を保てず消滅していった。
ラファールが生き永らえたのは、純粋に、悪魔の中でも群を抜いて強い音を手に入れていたからであり――
音を吸い尽くされて消滅する寸前、天から降り注ぐ音の雨に打たれたからだった。
音を与える雨。その、火のような温もりを浴びて、脳裏に、あの夜空色の閃きが浮かび――
そして、気づいた。
苦しみや辛さを感じるのは……心に嘆きがあるからだ……。
悪魔の心に、嘆きはない。ただひとつの思い――ただひとつの音色に満たされていれば、迷うことも、ためらうこともない……。
ルミスフィレスが悪魔となれば――罪を罪とも思うまい。迷わず、嘆かず、ただひとつの思いのためだけに戦える……。
自分が悪魔となったから、わかることだった。
迷いも嘆きもない心――その安らかな地平こそ、精神の救いそのものではないか。
そして、この雨こそ、まさに天の恩寵だ。音を与える火の雨――これを彼女に降らせれば――きっと――
きっと、彼女は悪魔になれる。
目的のため、願いのため――迷いも嘆きもためらいもなく戦える、幸せな悪魔に。
(あと少しだ。音の雨を浴びた今――俺に勝つには、暴走するしかないはずだ!)
戦鎚を振るい、さらなる音を解き放つ。少女の腕の中で歯噛みするルミスに、もうそうするしかないのだと悟らせるために。
ルミスを抱えたまま、リレイは微動だにできずにいた。
(どうしたらいいの?)
戦えば、ルミスは暴走し、悪魔になってしまう。
だが、それはどの音の力がなければ、ラファールには勝てない。
(どっちか選ぶしかないなんて……でも、そんなの……!)
どちらも、ルミスには耐えがたい痛みを伴う選択だ。
助けたい。どうにかしたい。しかし、その方法が思い浮かばない。
(どうしたら――!)
……リレイ。
名を呼ばれ、リレイはハッとなって、腕の中のルミスを見た。
ルミスも、リレイを見上げていた。
夜空色の瞳で――そこに決然たる誓いと意志の光を燈して。
動けぬリレイに、彼女は言った。
お願い。
あたしを、助けて。
***
ラファールの音が、強く鳴っているにゃ。このままだと――
〝勝利の旋律〟に到達する。そうなれば、もう勝ち目はない。
君は、ちらりとリレイとルミスを見た。
戦うことをためらい、動けずにいるルミス。そんな彼女を抱きしめ続けているリレイ。
流れを変えなければ、と君は思った。ギンと戦ったときのように。
相手に勝利を確信させてはならない。自分が敗北を確信してはならない。
そのためには流れを変える必要がある。新たな音色、新たな曲を奏でて、戦いの流れにー石を投じるのだ。
それはたぶん、君にしかできない。異界の人々と培った音色を持つ、君にしか。
君はカードを取り出し、魔力を込めた。
たちまち、音が流れ出す。君が異界で出会った人――彼らと触れあい、奏でた音色が。
ほう。変わった音色だな。
気持ちが音に、音が力になる異界。ここだからこそできることだ、と君は答える。
どこまでやれるかはわからない。だが、やれるだけやってみよう、と君は決めた。
まずは――1曲目。
竜の力を持つのなら、竜をも倒す音色で行くにゃ!
***
竜の顎のような炎と、竜の爪のような雷が、迫り来るラファールを迎え撃つ。
真なる竜の音色か。確かに、まがいものでは分が悪い。が!
ラファールの翅音が黒く輝く。瞬間、君の魔力も音色も打ち消され、ラファールの音が場を支配した。
ならば悪魔の力で潰す!
だったら魔王の音色はどうにゃ!
君は別のカードを取り出し、魔力を込めた。
魔力はラファールの翅音よりも黒い魔剣となり、容赦なくラファールを狙う。
魔剣がラファールを貫いた――かに見えたが、それは形なき影でしかなかった。
騙してすまんが、悪戯好きでな!
上から声。ラファール本体。戦鎚が君の頭部を狙う。
不ッ意打ちィ!!
ディギィが大声を上げながら突撃した。ラファールはそちらに向き直り、斧を受ける。
不意なのに!!
叫んでふいにするからだ!
ふたりの武器が火花を散らす。そこへ君は次の異界の音を飛ばした。
い針穿孔空挺突剣陣にゃ!
死角から躍りかかった魔法が、鋭くラファールに突き刺さり、後ずらせる。
次はシューティングスターライトにゃ!
わかった――と取り出しかけた力ードを、黒い翅音が貫通した。
君は、思わず息を呑んだ。同時に、場の音色がラファールのそれに覆われ、ラファールが力ずくでディギィを引きはがす。
面白くはあったが!
ラファールが加速して君に肉薄し、戦鎚を振りかぶる。
だめか、と君は思った。ギンの時ほど世界の音色が外れていない今、ラファールに勝てるほどの魔法は使えない。
時間稼ぎはできたみたいにゃ!
――!
光り輝く翅音が割り込み、ラファールの戦鎚を弾いてのける。
ルミスフィレス…!
ううぅううあああぁあああぁああああーッ!!
獣のような叫びとともに、ルミスの剣が閃いた。
るぅうぅうぅううううああっ!
踊る。躍る。夜空色の剣が月光に閃いて。
凄まじい音を宿したー撃――受け止めきれないその威力に、ラファールは思わず笑みを浮かべた。
そうだ――これだ――この音だこういう音色を待っていた!
来い、ルミスフィレス!悪魔となって、俺を討てェッ!!
がぁああああっ!
狂ったような斬撃の嵐が奔り、武器と武器とがぶつかり合って、むせび泣くような音を奏でる。
いいぞ――そうだ――そのまま来い!そのまま――
澄んだ剣音が、静かに空を震わせた。
――何?
戦鎚に、凄まじい圧がかかる。
だが、音は。ぶつかり奏でる剣の音は。
清かなる月の光のように、澄みきっている。
なんだ――これは?あんたは――暴走しているんじゃないのか!?
ひとつの気持ちが大きくなると、その音が他の気持ちをかき消して、止まれなくなってしまう――
でも今は――あたしの音色は、ひとつじゃない!
ルミスの翅音が、ぱさりと広がる。もうひとつの翅音を響かせながら――
同じくらい大きな音が、もうひとつあれば暴走なんかしないでしょ!
ふたり分の翅音を宿した弾丸が飛んだ。ラファールは戦鎚で弾こうとするが、受け流しきれず、衝撃によろめく。
音が…ふたつ!?
ルミちゃんを暴走なんてさせない――ルミちゃんの音が、どんなに激しく鳴ったって……。
私が絶対、乗りこなす!
***
ふたりの翅音が入り混じり、ふたりの翅音が支え合う。
銃と剣。ふたつの力がー体となった武器で、ふたりは縦横無尽に攻め立てる。
なぜだ?これほど音がたかぶって、どうして心が澄んでいられる!?
気持ちがひとつじゃないからよ!
〝あなたを倒す〟!
〝みんなを守る〟!
同じくらい強い、ふたつの気持ちが響くから!
踏み止まれるし!
乗り越えられる!
ふたりの斬撃がラファールの翅音を切り裂き、ふたりの銃撃がラファールの肉体を撃ち抜く。
同じくらい強い音だと!?数百年戦ってきた、あんたと!
それがこの子の凄いところよ!
ルミちゃんだから私もノれる!
斬撃。銃撃。寸分の乱れもなく。重なり、乗り合い、分かち合う。
へえ……。
君の隣に飛んできたディギィが、笑いかけてくる。
あいつら、いい音出してんじゃん。
うなずく君の視線の先で、ラファールが激しい咆呼を上げた。
そんなことでは、心の痛みを消せはしない迷いも、嘆きも、ためらいも!消えることなく心を焼くぞ!ルミスフィレス!
翅音が広がり、戦鎚へと集う。音のすべてを乗せた黒いー撃が、雨風を散らして振り抜かれる。
知ってる!
だけど!
ルミスとリレイは、互いに銃口を向け、撃った。
音の弾丸がぶつかる。その衝撃でふたりは左右に散り、ラファールのー撃から逃れた。
なにっ……!?
驚愕するラファールヘ、ふたりはー気に接近する。
たとえ弱音を吐いたって!
支え合えたら、乗りきれるだからっ!
翅音を楯にするラファールヘ、ふたりは熾烈に撃ちかかっていく。
信じて!
合わせて!
背中(はね)を預けて!
お互いさまで!
飛んでいく!!
ラファールの翅音が砕け、破片となって舞う。ラファールは、茫然とそのさまを見つめた。
ピリオド――行くよ、ルミちゃん!
ノッた!!
ふたりは、並んで武器を構えた。揃いの銃口が、謳うように開く。
Tit!
for――
taaaaaaaat!!
ふたり分の音が、胸を貫いていく。
その力強さに――その高らかな響きに。ラファールは、大きく眼を見開いた。
そうか……。これは、〝助け合う〟音か……。
音という音が、砕けていく。たがの外れた音、暴走した音が、弾けて、消えて――
束の間に取り戻した彼自身の本当の音色が、唇を苦笑の形に歪ませた。
ー方的に助けてやろう、というのは――少し、押しつけがましかったかな。
ま……これも、俺のおかげということにしておこう。
story 馳せる思い
……聞こえた?あの人の最後の音。
…………聞こえた。
ファンだったね。ルミちゃんの。
反応に困ること言わないでよ。
ルミスは、拗ねたように言った。
悪魔となった者を斬らねばならない悲しみは、依然、彼女の胸に響いている。相手が自分のために戦っていたとわかった今、なおさら強く。
それでも、今、彼女の胸に響くのは、痛みや悲しみだけではない。
それがわかるから、リレイは微笑みを浮かべた。
私はね。あの人の音を聞いて、あー、そっかー、ってなったけど。
思えば。
この翅音を得たのも、ルミスを助けたかったからなのだ。
リレイとトヨミを守るために――そして、暴走妖精の気持ちをも守るために、必死に戦うルミスを見て。
助けたいと思ったから、その音が、リレイの翅音になった。
そう思ったのは自分だけではないとわかって、ああ、そうだよね、と納得する思いだった。
だから、嬉しかったな。ルミちゃんが、助けてって言ってくれて。
忘れて。
いやいや。いいと思うよ?だってお互い様じゃん。どんどん言ってこうよ、そういうの。
わーすーれーて!
あのふたり、前に来たときより、仲良くなってるにゃ。
そうだね、と君は微笑んだ。
支え合い、助け合う。それが当たり前のようにできるふたりになった。そんな感じがする。
この分なら、心配いらなそうにゃ。
笑い合う君とウィズを、淡い光が包み込んだ。
エピローグ
あ、先生――どうでした?金森さんの様子。
命に別状はないけど、まだ意識は戻らないようだ。
彼が使っていた、あの機械――人の音を無理やり引き出して、翅音に変えていたようだったからね。
あの戦いで、心の音を使いすぎた。そういうことなんだろう。
治るといいですけど……。
音を喰われたわけじゃないからね。時間が経てば、回復するよ。
そのときは――きっと、彼が本当に助けたかった人のことも、思い出せるはずだ。
***
「あーなんかヤバい夢見た。すごい怪物にめちゃくちゃぷん殴られた上、ぺろっと食べられちゃうの。怖かったな~。」
「えーと……うん……夢で良かったね。」
「まったくでさあ。あ、リレイちゃん、帰りお菓子屋さん行かない?今日は新作入るんだ~。」
「お菓子屋さんかあ……。あ、そうだ。ちょうど探してるお菓子があったんだよね。」
「おっ、マジで?どんなのほしいの?」
「しめじの国のお徳用パック。」
「すげえガチ!!!」
***
「いてててて。筋肉痛がすげえ。筋肉痛が。」
「張り切り過ぎじゃん?」
「転がりすぎー。」
「でも、おかげで被害も出なくて助かったわ。みんな、ありがとね。」
「あのくらい、お安い御用じゃ。」
「わしもがんばったんだから、竜の旦那にゃあよろしく言っといてくれよ!」
「はいはい。」
***
「……あ。雨。
大丈夫かな?傘持ってないよね。たぶん。そろそろ帰ってくる頃だと思うけど――」
「うひー!ただいまー!
あーもーびしょ濡れー。これだから雨ってやんなるよねー。」
「お帰り、ディギィちゃん。はい、タオル。」
「わーい!サンクス!」
「今日はどうだったの?悪い妖精はいた?」
「いたよー、1匹。がっつりざっくり食べてきた。ここんとこ喰いッぱぐれまくってたからさー、久々だねー、久々。」
「そうなんだ。良かったね。
あ、今日、オムレツ作ろうと思うけど、食べる?」
「お、いーじゃんいーじゃん!そっちもそっちでいただきまーす!」
***
「うわうわ、マジかよ!またいきなり降ってきちゃってさ~。」
「傘はどうしたんだよ。」
「風で壊れたんだよ!」
「しょうがねーな。ほら。」
タツマは自前の傘を差しながら、バッグから取り出した折り畳み傘をコウイチに渡した。
「おっ、サンキユ~。気が利いてる~ってこれ俺のじゃん!」
「ありがたく思え。」
「いや俺のだから!俺の!
つーか、おまえ今日は傘あんのな。」
「雨の降る日は、なんとなくわかるんだよ。こないだみてーなこともあるけど。」
「あ、なんか山育ちとかわかるって言うよな。やっぱ、においとかで?」
「音。」
「音……?」
「今日は雷雨だ。そういう音だ。」
その言葉を証明するように、カッと遠くで白い光が走った。
遅れて、重々しい轟きが聞こえてくる。
「うおっ、マジだ!でけー雷だな、電車止まったりしねーだろーな!」
「うるせーな。おまえの声がでけーよ。たく……空にいても聞こえそうだな。」
「なわけねーでしょ!どんな例えよとにかく急ごうぜ、もう!」
あわてて走り出すコウイチを尻目に、またひとつ、雷が鳴った。
タツマは音のした方を振り向き、暗く濁った雲を見つめる。
産声のような轟きだった。あるいは、遥かなる呼び声のような。
「どこかで龍が生まれたかもな。」
なんとはなしにつぶやいて、タツマは、小さな笑みを浮かべる。
「生まれ変わったら、また会おう。――我が友よ。」