【黒ウィズ】フェアリーコード Story3章 ~入り乱れる音色~
目次
登場人物
翅音
story1 悪魔のささやき
受付で当日券を買い、中に入った。
演奏が始まるまで、まだ時間がある。ライブハウスのあちこちで、訪れた客同士が歓談していた。
注意深く内部を見回していると、
バーカウンターに座したマサンが、先にソウヤを見つけて手を振った。まるで待ち合わせていな友人のように。
込み上げる怒りをグッとこらえ、ソウヤはバーカウンターに近づいた。
その間にマサンは手際よく酒を頼んでいた。ソウヤが座った席に、サッと血の色をしたワインが差し出される。
マサンはぼやくように言って、勝手に頼んだソウヤのグラスに、勝手に自分のグラスを合わせ、酒を煽った。
ソウヤは無言で、ワイングラスの中身をマサンの方へとぶちまけた。
真紅の液体がマサンの身体にかかる――はずだったが、マサンがトンとカウンターを指で叩くと、液体はすべてグラスに戻って行った。
ま……、だが逆に言えば、この程度が関の山だ。フェアリーコードが世界を律している限り、そうそう好き勝手はやらかせん。
昔はよかった。フェアリーコードが今ほどガッチガチじゃなくてよ。俺たち悪魔も、人間に召喚されて力を貸したりして、仲良くやってた。
それがどうだ。今じゃ妖精も悪魔も、迷信やら都市伝説の中にしか居場所がない。肩身が狭いったらねえ。
フェアリーコードなんてさ。邪魔なんだよ。
秩序だ理性だ、そんなもんどうだっていい。喰いたきゃ喰いたい時に喰う。それが自然ってもんだろう、ええ?
おまえにとっても悪い話じゃなかろうさ、吸血鬼。いつ、どこで誰の音を喰ったっていい。楽しいぜ。きっと愉快で爽快だ。
観客のざわめきに隠れるようにして、タツマは、ふたりの会話に耳をそばだてていた――が。
突然、同級生、花宮コウイチが、タツマを見つけて肩を叩いてきた。
マサンは、ス、と懐から何かを取り出した。
あの、小さな紅の結晶だ。これ見よがしに振って見せ、自分のグラスの中に落とす。
マサンが、グラスをピンと指ではじいた。ゆぃぃぃぃん……、とグラスが音を奏で始めた。
ソウヤの手の中のグラスが、同じ音を奏でた。それだけではない。周囲にあるグラスすべてが、不思議な余韻の合唱に参加する。
客のざわめきが止んだ。物言わぬグラスたちの不気味な合唱が、今やライブハウスを支配していた。
すべてのグラスが、ー斉に砕けた。
あちこちで、グラスを手にしていた者の悲鳴が上がる。
それすら呑み込む音色があった。いびつに狂った、外れた音色……。
各地で暴れていた妖精。その体内からこぼれ落ちた紅い結晶。都市全体に降り注ぐ、紅い雪――結晶。
それらが意味するものに気づき、ソウヤは目を見開いた。
立ち上がった瞬間、異様な音が響き渡った。
あるべき世界が、塗り変わる。あるべからざる世界ヘ――あるべき音の外れた世界へ。
誰かが絶叫を上げた。
客。若い女性だ。喉首を、異形の腕につかまれている。
女が震える。その目が光を失った。彼女の音を喰った妖精が、歓喜の声を上げる。
マサンは、それすら肴(さかな)に笑ってみせた。
story2 怒れる音色
妖精に向かって駆け出そうとするソウヤの前に、ふらりとマサンが立ちはだかった。
笑うマサンの掌から炎が放たれ、ソウヤの全身を包み込んだ。
閃く鎌が炎を引き裂き、マサンの喉元を急襲する。
マサンは繰り出される攻撃をひょいひょいとかわし、肩をすくめた。
逃げ惑う人々を、容赦なく妖精が襲う。ー刻も早く止めに入りたいが、そうはさせじとマサンが邪魔をする。
ソウヤは歯噛みしながらも、マサンを倒すべく鎌を振るった。
妖精は、逃げ惑う人々の喉首をつかみ、内なる音を引きずり出しては喰らった。
ギャッ!!
稲妻が走った。
そうとしか思えない光と轟きが、妖精の身体を正面から捉え、弾丸のように吹き飛ばしていた。
その身体はライブハウスの扉をぶち壊し、往来へと転がり出た。
頭を振って起き上がり、――ふと、妖精は気づいた。
吹き飛んだ扉から、何かが歩み出てくる。
人間の、少年だ。悠然かつ堂々と扉をくぐり、じいっと妖精を見つめている――いや。
見下している。
誰に何をやられたのかわからぬ怒りをぶつけてやろうと、妖精は少年に躍りかかり、
頭を踏まれた。
顔を大地に叩きつけられ、目を見開いた。
馬鹿な。なんだ。何が起こった?どうして自分は踏まれているのだ?
襲いかかろうとした、この少年に!
頭の上から、足がどいた。
かと思うと、それは妖精の頬をえぐるように撃った。
少年は言った。足を振り抜いた姿勢のまま、傲然と。
少年の手が、何かをつかんだ。笛。ぶんと振るうや、激しり音が吹き荒ぶ。
笛は瞬時にして、神々しい杖へと変わった。少年の背には天輪のごとき翅音が浮かび、荘厳にして雄美なる翅音を奏で出す。
妖精の顔が引きつった。格が違う。音だけで、そうわかるほどの相手だった。
杖で大地を撃ち叩く。激しい風が吹き荒び、びょうびょうとタツマの服をはためかせた。
story3 機械の翅音
突如、バスが蛇行を始めた。
人の多い場所は、フェアリーコードが強固で、音を外すことができなかったはずだ。なら、どうして音が外れているのか。
君は窓から外を見た。
街の空は、ありえない色に染まっていた。見渡す限り、例外なく。
ルミスはリレイの懐から飛び出した。人々の悲鳴をすり抜けるようにして、窓を透過し、外に出る。
何かが降っていた。雪。血染めのような、紅い雪。
その雪を浴びながら――
バスの上で踊る妖精の姿があった。その手がゆらゆら動くたび、合わせてバスが蛇行する。
ルミスは元のサイズに戻り、フィドルを剣に変えて斬りかかった。
グレムリンは翅音を広げ、剣を弾いた。その手に、なんと機関銃が握られている。
発射。弾丸の嵐が高速で飛来。ルミスは曲芸めいた飛行で回避する。
間断なく放たれる銃弾を避けながら、ルミスは周囲に視線をやった。
とにかく今は、こいつを止めなきゃ!)
危険を承知で突っ込もうとした、そのとき。
横合いから飛んできた〝何か〟が、グレムリンを盛大に吹っ飛ばしていった。
グレムリンが、当惑の声を上げたのも、まったく無理からぬことだった。
バスの上に浮かぶのは、空飛ぶ人型の機械という、およそ誰も見慣れていなさそうな代物だったのだから。
〝それ〟は返事も聞かずに翅音を広げ、再びグレムリンヘと突っ込んでいった。
答えるように電子音が鳴り響き、機械の拳が急激に加速。体勢を立て直したグレムリンの横っ面に突き刺さる。
ルミスはあわててバスの方を見た。グレムリンの制御から離れたバスが、どうにか路肩に止まったところだった。
我先にと乗客たちが降りていく。君とリレイは、左右からギンを支え、最後にバスを降りた。
ふわりと降りてきたルミスが、ギンを抱える。
ルミスは、キッと東京タワーを睨みつけた。歪んだ空、外れた音の中心に立つ塔を。
story4 天の叫びを統べる者
タツマと妖精を追って外に出たソウヤは、ありえない色を帯びた空を見て、息を呑んだ。
それだけではない。紅い雪が降っている。〝音を増幅させる結晶〟――もし、これがすべて〝そう〟だとしたら。
背後から火球が飛んでくる。ソウヤは横に転がってかわしつつ、タツマの方を見る。
横薙ぎに振るわれた笛杖が、妖精を打撃した。妖精は激しく地面を横転する。
タツマは追いかけず、トンと笛杖で地を打った。
すると、いくつもの球状の翅音が笛杖からこぼれ、蜂のようにブンブンと唸りながら、倒れた妖精へと殺到する。
四方八方から音球が突撃し、猛烈な衝撃をぶちかますと同時に電撃を放つ。妖精は、滅多打ちにされて悶え狂った。
タツマがもうー度、笛杖で地面を打った。音球の群れは、訓練された猟犬よろしく、速やかに彼の笛杖へと戻っていく。
タツマは傲然と言って、ぶうんと大きく杖を振るった。
高速で空を裂く杖――その柄に空いた穴が、風を喰らい、笛の音を奏で出す。
雄渾。そして壮麗。聴く者すべてを平伏させんばかりの、大いなる威厳に満ちた章負の主たるべきは――
天が哭く。空がどよめく。風が謳い、雷すらもがひざまずく。
***
告げて、タツマは鋭く妖精を睨んだ。
その、人として得た友に――我が宝に汝は下劣な手で触れた!
タツマの音が、轟ッと膨れ上がった。吹き荒び、鳴り響く音の圧力は、もはや妖精に逃げることすら許さない。
タツマは地を蹴り、風に馳せた。
電光そのものの速度で、妖精の横を駆け抜けざま繰り出した笛杖が、妖精の身体に激烈な音を刻み、ー瞬にして千々に引き裂く。
地に墜ちた雷が爆ぜ散るように、妖精は四散し、ばらばらの音に戻った。
妖精自身の音、喰われた者たちの音にまぎれ、こぼれ落ちた紅い結晶を、マサンが拾い上げた。
タツマは、ゆるりと杖を振るい、凛とマサンに向き直る。
含み笑いと共に、マサンの身体が燃え上がり、焼け消えていく。
タツマはソウヤに視線を移し、鼻を鳴らすと、笛をしまった。
あんたが吸血鬼とは知らなくてな。奴とやり合ってんのを学校で見かけて、どうしたもんかと思ってた。
奴の狙いは――
言いかけたとき、ぐらりと地面が激しく揺れた。
ただの揺れではない。音の揺れだ。世界の音が、ばちんばちんと外れていく。秩序が、さだめが、失われいく。
タツマは言って、東京タワーに目を向けた。